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能力者福祉 case1 -Don't touch me.- 前編

 ガタンゴトンガタンゴトン。
 行くも来るも満員電車。ホームも人でいっぱい。
 スパ、スパスパ、スパスパスパ。
 人々がすれ違う中、そんな小さな音が鳴る。
 ガタンゴトン、プシュー、ピロンピロン。
 周囲の喧騒の中にその音は消えて誰も気付きはしない。
 そして職場や学校で、誰かに指摘されて初めて気付く。
「あれ、その傷、どうされたんですか?」

 

 能力者福祉
 case 1 -Don't touch me.-

 

 東京新宿区役所第二分庁舎分館、その一室の扉の前。
 ――今日からここが新しい職場か。
 先月大学を卒業し、今月から公務員として働くことになる新社会人、中村なかむら 凛太郎りんたろうは心をドキドキさせながら、その扉を開いた。
「お、最後の1人が来たみたいやね」
「はい! 本日からこの相談所に就職しました! 中村 凛太郎です! よろしくお願いします」
 凛太郎は開けてすぐに声をかけられたのに対応し、直立の姿勢で大きな声で挨拶した。
「おぉ、元気やね。わいは浜田はまだ 平太へいた、この相談所の所長を任せてもろてます、よろしゅう」
「よろしくお願いします」
 凛太郎の平太への印象は「東京の施設の長なのにキッツイ関西弁だなぁ」であった。
「うん、ほな、今から第一回ミーティング始まるさかい、会議室に集まってもらうんやけど……。まず荷物をロッカーに置こか」
 そう言って平太は凛太郎を隅の小さなロッカー室に案内する。
「見ての通り小さな建物やけん、ロッカー室はこの狭いワンスペースだけや。鍵も男女の別もないさかい、間違っても女の子のロッカーを間違って開けんようにな」
 もちろん男でもあかんけどな、と笑う平太。
「はぁ」
「ま、それはそれとして、これがお前のロッカーになる。まだ名札もネームプレートもないが、間違えんようにな」
 それは5つ並んだ三つ目のロッカーだった。
「まだ三人だけなんですか?」
「おう、あと二人は来週になるらしいわ」
 そして、ロッカーに荷物を詰めて、いよいよ、ミーティングが始まった。
 平太と凛太郎、そしてもう一人、凛とした女性が一人。
「ほな、ミーティング始めていきましょか。まずは改めて自己紹介とさせてもらいます。わいは浜田 平太。ここに来る前は大阪の企業が経営する児童養護施設の施設長をさせてもろてました。はい、次、手塚てづか君」
 平太の自己紹介から続き、指名された手塚と言うらしい女性が立ち上がる。
手塚てづか 直美なおみと申します。東京の長門区社会福祉協議会でコミュニティソーシャルワーカーCSWをしておりました」
「はい、ありがとう。手塚君にはCSWの経験を生かして地域のアウトリーチに勤めて貰えればと思っています。じゃ、次は中村君」
「中村 凛太郎です。竜谷たつたに大学の社会学部現代福祉学科を卒業したばかりです。実習は特別擁護老人ホーム特養で、少しこの施設の性質とは外れますが、頑張りたいと思います」
 凛太郎はせめて元気にとハキハキと挨拶した。
「おぉ、竜谷大学と言えば、かなり古くから福祉学科を持つ総合大学やんね、京都の方の学校やし、関西って意味でわいとは同郷やん、よろしく。えー、中村君にはまだ先例のないこの能力者相談所において若いフレッシュな人材の意見も聞けるようにと思って採用されたと聞いています」
 ほな、と。平太が空気を切り替える。
 いよいよ、本当のミーティングが始まる。

 

◆ ◆ ◆

 

 2030年の春。アメリカのとある地方都市で、彼は発見された。
 当時14歳の少年は巨大な黒い腕を虚空に出現させ、自身の父親を圧迫死せしめた。
「能力者」と呼ばれる存在として最初に確認された彼は、駆けつけた警察に対しても反抗。最終的に警察の特殊部隊SWATにより射殺される事となった。
 後の調べで少年の父親は家庭内暴力DVを少年と少年の母親に振るっていたことが明らかになり、少年の能力行使は父親が母親に対し凶器となりうる鈍器を振りかぶった直後であった事が分かった。
 マスコミはこの事実が判明するや否や、熱烈に警察組織を批判。もっと彼に寄り添えたのではないか、と批判した。事はアメリカ国内だけでは済まず、国外からも批判する声が上がった。
 しかしそれは、能力者という存在がたった一つの例外、対岸の火事であるうちの話でしかなかった。
 2032年に入る頃には能力者と能力者による犯罪は世界中で激増の一途を辿った。
 そしてその少なくない事例として能力者は市民や警察組織にさえ牙を剥き、そして、「やむを得ない判断」により排除される運びとなった。
 それはもはや〝災害〟の如きもので、一部の国家では「能力者はそれが発覚した時点で排除すべきだ」という言説すら飛び出した。
 2032年半ば、能力者の多くが最初の少年がそうだったように、皆、何かしらの心の悩み、苦しみ、抑圧を抱えており、それに由来する能力を発現するのではないか、とアメリカのアイオン・コクセー博士が提言し、多くの事例の研究により、どうやら能力が心因性のものである確率が高い、と結論が出された。
 最初の少年がDVによる抑圧から巨大な腕として発現したように。
 そしてこの仮説に基づき、多くのケースで対話が成立しなかった理由も仮説がつくられた。即ち、犯罪を犯した、致命的な結果になってしまった、それをしてしまった事による罪悪感。それが自分自身を責める結果につながり、その結果、能力が制御不能に陥るのではないか、と。
 これが正しいとすれば、能力者の発現を早期発見、対応出来れば能力者による犯罪は、悲劇は、止められるという事になる。
 この仮説以降「心因性能力者」と言う正式名称で呼ばれるようになった彼らに対応するべく、各国で能力者に対する福祉の法律が制定された。


 そして、それから2年。会議が踊り続けた末、半ば場当たり的な結論として、日本でもそれは成立した。
 能力者に対し対応するための能力者福祉法に基づく福祉施設「能力者相談所」である。

 

◆ ◆ ◆

 

 能力者相談所の正式な開始から二日後。
 直美と凛太郎は様々な通報(建前上は相談)を受け、それが能力絡みか調査する外回りの仕事を続けていた。
 凛太郎は運転免許を持っていなかったので直美の運転である。ちょっとどちらとも言えないって案件が多すぎる気がしますね」
「相談者もどっちか判断がつかないから相談してるのよ。日本はまだまだ能力者=犯罪者のイメージが強いから、確信してたら私達より先に警察に通報されてるわ」
「なるほど……。あの、手塚さんはこれまでにも能力者と関わった事が?」
「えぇ、CSWをしてた頃にちょっとね。能力者=犯罪者ってイメージが強いのは確かだけど、だからといって一部の国みたいに能力者は通報即刑務所ってわけじゃない。そんなわけで、近隣住民から相談があったの。隣の家に能力者がいて怖い、ってね」
「能力者だって分かってたんですか?」
「えぇ。別に危険があるような能力じゃないのよ。……一応、守秘義務がある事だから窓を閉めましょうか」
 直美が窓の下のスイッチを操作して、全ての窓を閉じる。
「改めて話すわね。その相談があった人の隣に住んでいた能力者、その能力は空っぽのお皿の上に好きな食べ物を出現させる能力だった」
「能力ってそんなものもあるんですか」
「えぇ。むしろ過激なものほどニュースになるから、知られてないけどね。さて、中村君、問題よ。その彼女……あぁ、女の子だったんだけど、彼女の抱えてる問題は何だったと思う?」
 女の子って言うのもヒントかもしれないわね。ジェンダーフリーの風潮に反したヒントだけど、と直美は続ける。
「え、えーっと、えーっと、食べ物を手元に出すんだから、食べ物に困ってたのかな。あ、育児放棄ネグレクト?」
「確かに。ネグレクトされた子供がその空腹を能力で補う。あり得ない話じゃないわね。けど今回は不正解。けど、能力から相手の抱える問題を推察するのはこの仕事に就く上で大事だと思うわ。これからもそうやって考えるのを忘れないでね」
「で、結局何だったんですか?」
 凛太郎が聞いたタイミングで車が赤信号に捕まり止まる。
 凛太郎は直美の返事がないのを一瞬不思議に思ったが、走行中と違って停車中は会話内容が外に漏れる可能性があるから黙ったのだと理解して、黙って待つ。
「……摂食障害よ。彼女は異常に痩せこけていたの。周りから怖がられた大きな理由の一つでもあるわ」
 車が動き出しある程度加速したところで直美が口を開く。
「拒食症か過食症ですか? でも、それじゃ、あべこべだ」
 摂食障害とは拒食症や過食症で知られる極端に食事を取らなくなるか、食べては吐くを繰り返す、心因性能力と同じく主に心因性で生じる病の総称だ。極端に痩せた体は筋肉や脂肪が本来持つ外からのダメージの軽減という役割を果たせなくなり、様々な苦痛を得る事になる。しかし多くの場合、それでもなお摂食障害が改善される事は少ない。
 つまり、食事を忌避するはずの病理であり、食べ物を生成する能力はそれに反するものに思える。凛太郎の「あべこべ」とはそう言う意味である。
「そう思うわよね。でも違ったの。彼女の能力はね、自身の持つカロリーと栄養を食べ物に戻す能力だったの」
「あっ!」
 凛太郎は思わぬパズルのピースの一致に叫んだ。
「吐く代わりに、能力を?」
「そう言う事。何とかそこまでは突き止めてね、一年くらいかけての説得の末、ようやく彼女を医者の前に立たせることができた。私が長門区の社協を抜ける頃には、少しずつ元の体型に戻りつつあったわ」
 よかった、と凛太郎は思わず息を吐き出した。
 それを見て直美もふふっと笑う。
「手塚さんは、能力者がケア出来る存在だと信じてるんですね」
 それは所謂「能力者保護論者」と呼ばれる存在に分類される。
「そりゃそうよ。能力者は何かしらの苦しみから逃れるためにその力に目覚めただけ。その苦しみから逃れられるようにお手伝いをするのは、そもそも福祉の基本でしょう」
「確かに」
 直美の言葉にふんふん、と頷く凛太郎の。
「けど、来週来る同僚達はそうは思わないかもね」
 しかし、ふと思い出したように、直美は視線を伏せる。
「え、どう言う事です?」
「あら、聞いてないの? 今度来る二人は能力者福祉法に基づく能力者相談所が出来る前に能力者犯罪に対処していた警察からの出向なのよ。二人共がそうとは限らないでしょうけど、少なくとも片方の人が強烈な排除論者なのは確かだって、所長が言ってたわ。私と同じで立候補したんですって」
「それは……」
 直美に何かを言おうとして、凛太郎はしかし次の言葉が告げられなかった。
 今ここで直美に同調するのは簡単だ。凛太郎も直美の信じるやり方が理想なのは理解している。きっとその排除論者の人もその理想は理解するだろうと思う。
 だが、凛太郎は現実を知らない。ここで簡単に同調した挙句、いざ現実に能力者と出会った時、凛太郎が同調するのがどちらなのか、凛太郎は自信をもって答えられない。
 結局、日本という国全体が凛太郎のようになっているのだろう、と、凛太郎は思う。
 実は能力者福祉法には能力者を保護すべしとも能力者を排除すべしとも書いていない。
 能力者相談所が能力者と相対した時、どのように対処すべきなのかは能力者相談所の判断に一任されているのである。
 日本という国自体が保護論と排除論、どちらを取るか決めかねているのだろう。
 本来なら全国一斉に配置すべきな能力者相談所が東京都に一つだけ、という判断が下されたのも、まず能力者相談所の実際の運用を見て、法の正式な解釈を決め、その上で各地に広げようと考えているのだろう。
 つまり、凛太郎達の出した結論が、最終的にそのまま日本という国の能力者への対応の結論を決めるのだ。
 だから、保護論者の直美も、排除論者らしいまだ見ぬ警察の人も、この能力者相談所に立候補した。
 フレッシュな若い人材として凛太郎も採用された。
 自分たちのこれからが、日本の能力者福祉のこれからを決めるんだ、と凛太郎は密かに震えた。


 さらに二日後、出勤するなり、平太は二人に告げた。
「山手線沿線にあるとある企業さんからの相談や、同じ方向から来る社員が時折、体の一部を傷つけて出勤してくるらしい。警察に通報しようと言うことになったんやが、そこの社長が、わいと縁のある人でな、その前にこっちに通報してくれたんや」
「分かりました。行くわよ、中村君」
「はい」
 直美と凛太郎は速やかに相談所を出て、車に乗る。
「会社は堺グループの傘下企業みたいですね」
 車の中で情報収集していた凛太郎が呟く。
「えぇ。浜田所長の元いた施設も堺グループの福祉施設らしいから、その縁でしょうね。堺グループと言えば都内にも多くのオフィスを持つ大グループ。所長が所長に選ばれたのもまさにこう言う縁を活かして動く事を期待してのものでしょう」
 凛太郎はなるほど、と直美の言葉に頷く。
「あれ、直美さん、駅はそこを左ですよ」
「えぇ、首都高速で行くから大丈夫よ」
「え、まだ9時前ですよ。港区のあたりは混むと思いますけど」
「つまり電車なら大混雑って事でしょ、満員電車って嫌いなのよ」
 直美はあっけからんと答えつつ車を走らせる。凛太郎はそりゃ好きな人はいないでしょうけど、と言いつつ、上司がそう言っている以上それ以上の反論は出来ない。


 それからしばらくの渋滞を抜けて、二人はようやく相談のあったオフィスに到着した。
「お待たせしました、能力者相談所から参りました、手塚 直美です」
「中村 凛太郎です」
「ヤァ、話は浜田から聞いてるよ。被害者はうちの部長でね。面談室で待ってもらってる。早速ついてきてくれるかな」
 オフィスを訪ねると直々に社長が出てきて、面談室に通される。
 そこにいたのは、スーツの左腕がボロボロに切り裂かれ、血も滲んでいる男だった。
 治療をしていたらしい女性社員が三人の入室を見て。
「あ、男性の方もいらっしゃるんですね、よかった」
 と救急箱を閉じて、立ち上がる。
「それでは、後はお任せします」
 女性社員が退室する。
「おはようございます。能力者相談所から参りました、手塚 直美と申します。被害に遭われたとのことで災難でしたね。申し訳ありませんが、被害についての詳細や、被害に遭われた時の状況についてお話いただけますか?」
「あ、はい。と言っても、よくは覚えてないんです。家を出る前にはもちろんこんな傷はなくて、そして、職場に着いたところで、部下に聞かれたんです。その傷、どうされたんですか? って」
 男性も自身の状況を把握しきれていないらしく、辿々しく語る。
「つまり、ご自身では出社するまで違和感はお覚えにならなかった?」
「えぇ。痛みも無かったですし、血が垂れてるのも、感覚的には汗が垂れてるのと区別がつかなかったので……」
 そんなバカな、と凛太郎は口を挟みかけたが、直美が事前に車の中で「能力を受けた被害者の多くは能力の不可解さゆえに混乱し、自身に受けた被害を正確に認識できないことが多い」と説明し、今日の確認は自分に一任してほしい、と告げていたことを思い出し、口をつぐむ。
「なるほど、一応お尋ねしますが、このような傷をつける刃物と接触したと言うような事は」
「もちろんないですよ。というかその痛みで気付きますよ」
「そうですよね。ちなみに通勤はお車ですか?」
「いえ、電車です。新栃木から、南栗橋で乗り換えて」
「それは……かなり遠いですね。2時間くらいかかるのでは?」
「そうですね、朝も早くなるので谷塚とか西新井の辺りで大体立ったまま寝てしまいますね」
「なるほど。そうすると傷は寝てる間についた可能性が高そうですね」
「そうなんですかねぇ」
 その後もしばらく聞き取りを続けたが、曖昧な返事も多く、それ以上有益な情報は得られそうになかったため、他に何か思い出したら連絡ください、と名刺を渡して、部屋を後にした。
「大丈夫でしたか?」
 先ほど救急箱で治療をして女性が、給湯室から出てきて声をかけてくる。
「えぇ。傷を見たところ確かに能力によるものである可能性が高いけど、何かを切断するだけの単純な能力で、それ以上の副次効果は今のところ見受けられないわ。あなたが治療した時にも何も起きなかったんでしょう? そこまで過度に心配することはないと思うわ」
「いえ……そう言うことではなく……、まぁ、大丈夫なら良いんです。それでは」
 女性が歯切れ悪く何かを言おうとした直後、オフィスの方に視線を送ったと思うと、突然話を切り上げて給湯室に戻っていった。
 直美が視線の先を辿ると、そこは社長のデスクだった。
「とりあえず、一度所長と連絡を取りましょう」
 直美は凛太郎に声をかけ、ビルを出て車に戻る。
 直美は車を走らせ、渋滞がないのを確認して、ハンズフリーで電話をかける。
「手塚君か、どうやった?」
「満員電車の中で辻斬りにあった……と言うところでしょうか。もし能力でないとしたら柱状の回転する刃物が電車内にあったとでも考えないと説明がつきませんね。能力者である可能性が極めて高いと思います」
「ほうか。これからどうする?」
「いくつか気になる事があります。まず一つ目に、あの会社について少し突っ込んで調べてもらえませんか? 相談者の部長の職場内での立場や評価などについて。もしかしたら、何かしらの問題を抱えていたのかもしれません」
「分かった。持てるだけのコネで探ってみるわ、もう一つはなんや?」
「警察の被害届けを照会して欲しいんです。東武宇都宮線、東武日光線、東京メトロ日比谷線、あるいはその沿線辺りの利用者で、身に覚えのない切創を受けた人間。……あ、沿線の治療記録なども当たれればベストですが……」
「分かった。時間かかるやろし、結果も保証はできへんが、ともかく手配はしとく。ほんでそっちはどないするんや?」
「今のところは出来ることもないので、他の相談に対して外回りを続けます。明日ですが……、中村君、明日、早出できる?」
「え、はい、構いませんが……」
「中村君を早出扱いで、新栃木から相談者の通勤状況を探ってもらいます」
「分かった。警察に照会をかけるとなると仮設能力者対策課に頼るのが一番早い、結果的に警察からの出向組が出向いてくんのが早くなるかもしれへんな」
「まぁ、それは仕方ないでしょう。それに、警察由来の捜査力はこの先必要になります」
「ん。ほな、頼まれたことはやっとくさかいな。中村君、こんばんは栃木に泊まりか? ビジネスホテルで領収証貰っといてな、やないと自腹になるで。ほな」
 通話が切れる。
「そう言うことだから、中村君。今晩は栃木に泊まって、業務扱いだし、もう今から六本木駅に向かう? それなら送るけど」
「いえ、手塚さんだけに外回りを任せるわけにはいきませんから」
「分かった。じゃ、外回りを続けましょう」
 正直、えぇ、いきなり泊まり? という感じで困惑の感情しか浮かばないのだが、現代っ子にありがちな断れない男、凛太郎なのであった。

 

 翌日。スマホのアラームで起きて、凛太郎は一瞬見慣れない天井に首を傾げる。
「あぁ、そうだ。早出扱いで相談者の動向を見張るために栃木に泊まったんだった」
 いそいそと身支度を整え、フロントでチェックアウトするとともに、相談所名義の領収書を発行してもらい、ホテルを出る。
 すぐそばのコンビニで買ったサンドイッチを食べながら新栃木駅に向かう。
 聞いている時間通りなら、そろそろ相談者も見えるはずだが、と駅前で見回すと、ちょうど階段を登る相談者が見えた。
 慌てて追いかけて、改札を抜ける相談者と二人ほど間を開けて改札を抜ける。
 小さい駅舎の割に利用者は多い。都心ほどではないが気をつけないと人にぶつかってしまう。
「東武鉄道をご利用いただきまして、ありがとうございます。この電車は各駅停車南栗橋行きワンマン電車です。発車までしばらくお待ちください」
 5時53分発南栗橋行きに乗り込むのを見て、急いで追いかける。
「この電車は南栗橋行きワンマン列車です。まもなく発車します」
 そして、列車が動き出す。
「ご乗車ありがとうございます。この電車は各駅停車南栗橋行きワンマン列車です。次の駅は栃木、栃木です。この列車はボタン式です」
 ガタンゴトン、と電車が揺れる。
 既に車内は満員に近く油断すると相談者を見失ってしまいそうで、凛太郎は眠い眼を擦りつつ、少し離れたところで吊革に捕まる相談者を監視する。

 

 一瞬うつら、としたと思ったら、そこは終点、南栗橋。見れば相談者もほぼ寝ていたようで、半ば隣の人にもたれかかるように寝ていたところを終点ゆえにその人が移動し、そのまま倒れるという直前で目を覚ました。
 そしてそのまま慌てて正面の電車に乗り換えに走るので、慌てて凛太郎もそれを追う。
 東武日光線中目黒行き6時41分発の電車だ。
 それから17駅。竹ノ塚駅についた頃にはまた相談者はまたしても他人に体を預けるように眠ってしまった。体を預けられてる側はいい迷惑だろう。
 それにしても、と凛太郎は思う。満員電車というのは本当に体を密着させられて嫌なものだ。
 自分でさえそうなのだから、男が苦手な女性とかだとなお辛いだろうな、と思う。
 そんなことを考えていたからか、次の駅、西新井駅で、目の前に小柄な女の子が入ってきたのがふと目に入った。
 ブレザーについている校章から考えてお茶の水にある大学附属の女子高校の生徒だろうか。
 ――小柄だし周りは大きな男ばっかりで不安だろうから、気を付けてあげないとな
 と、そんなことを考えながらも、特に何も起こらずただただ電車は進む。
 北千住を通り、電車は東京メトロ日比谷線に入る。
 そして、次の駅、南千住駅に到着したところで、凛太郎は見た。
 ――昨日給湯室にいた女性だ。同じ路線だったのか
 そう、相談者の会社で給湯室にいた女性が奥の扉から乗ってきていた。とは言え他人の空似の可能性もある。念には念を、確認したほうがいいだろう。
 と、人をかき分け進もうとした直後、JRの路線と交差して大きく曲がる部分に差し掛かり、凛太郎は大きくバランスを崩した。
「きゃっ」
 小柄な学生と背中でぶつかる。守るつもりで近くにいたのが仇になった。向こうからすると守るどころか攻撃してきたとすら取られるだろう。
 ――危ねぇ、一歩間違えたらわざと当たった変質者と思われるぞ。
 冷や汗が背中を伝うのを感じたような気がした。
「ご、ごめん」
「い、いえ、大丈夫です」
 思わずの謝罪に学生も小さい声で応じる。
 電車が三ノ輪駅に到着し停車したタイミングで人の出入りに乗じて車内を移動する。かなりの人間から迷惑そうな目で見られたが、仕事のためだ。
「あれ、見覚えがあると思ったら、昨日、六本木でお会いしましたよね」
 出来るだけ自然体を装って声をかける。
「え? あ、能力者相談所の」
「えぇ、どうも」
「この辺りに住んでいらっしゃるんですか? 私が言うのもなんですが、遠くないですか?」
「いえ、家は埼玉の方なんですが、昨日夜中に相談を受けて終わった頃には終電でして、そのままビジネスホテルに泊まったんですよ」
 もちろん嘘だ。凛太郎は我ながらよくすらすら言い訳が出てきたな、とちょっと驚く。
「そうなんですね。私、事務仕事は退屈で外回りを羨ましいと思ってましたけど、帰れなくてホテルって言うのは、嫌ですね」
「本当に。けど、人の役に立つためですから」
「そうですか……」
 何故か女性は視線を伏せた。
「何か?」
「あぁいえ、わたしにはそんな大層な事を言えるような志はないなぁ、と思って。ただ働いてお金を得て、その日暮らし出来ればいいかなって」
「あはは、僕も似たようなものですよ。福祉学科に入ったのも、本当のこと言うと第一志望に落ちたから、滑り止めで。けど、『自覚者が責任者である』なんて言葉を大学で知りましてね。どうせお金さえ稼げればなんでもいいなら、福祉学科で現実を知って自覚者となったからには、その責任を果たさないと、そう思っただけなんですよ」
 これは本当だった。糸賀いとが 一雄かずおという、「日本福祉の父」とさえ呼ばれる偉大な人間の言葉である。
「いやいや、立派ですよ」
「ははは、ありがとうございます」
 と、雑談が続く中、視界の隅でさっきの女の子が降りていくのが見えた。
 見ると、秋葉原駅。
 頭の中に乗り換え案内が入っていないので分からないが、お茶の水に行くにはここで乗り換えなのかな。
 だが、あれで実は不登校などと言う可能性もある。と凛太郎は考え、念のためスマートフォンを取り出して調べる。
 西新井駅から御茶ノ水駅。
 なるほど、秋葉原でJR中央総武線三鷹行きに乗り換え、とある。
 なるほど、杞憂だったらしい。
 その後は特に何事もなく、相談者も女性も六本木駅で降りて行った。
 凛太郎も本当はここで都営大江戸線に乗り換えるべきなのだが、まだまだ東京の路線に明るくない凛太郎はそれに気付かず二人を見送り、恵比寿駅まで向かう。
 そして、恵比寿駅からJR山手線で新宿駅に向かうのだった。
 普段はさいたま、つまり北から新宿に入るので、南から新宿に入るのは初めてだ。
 ダンジョンとして知られる新宿、初めての降り口。
 凛太郎はたっぷり迷った後、なんとか、区役所第二分庁舎分館に到着する事に成功した。

 

「お、中村君、お疲れさん。ちゃんと早出扱いにしとるから安心してな」
「お疲れ様、中村君。それで、なにかわかった?」
 平太と直美が凛太郎を出迎える。
「いえ、特には何も。ただ、一つ気になったのは、会社の給湯室にいた女性、彼女も同じ路線に乗っていました。ちょうど相談者が寝始めた頃です」
「……それは、ちょっと怪しいな。こっちの件とも符合するかもわからん」
 平太がそれを聞き、顎をさすりながら呟く。
「どう言うことです?」
「所長に探りを入れてもらったところ、あの女性、相談者からセクハラを受けていたようなの。社長に相談したけど社長が握りつぶしていたらしくて、今回所長の口利きで調べてようやく発覚したようよ」
「つまり、セクハラに耐えかねて、あの女性が相談者を?」
「その可能性も出てきた、と言う話よ」
 直美はあくまで慎重にそう答えた。
「ならとっととしょっぴいて取り調べるべきだろう」
 直後、扉を開いて入ってきた男がそう言い放った。
「もう来たんか、早いな」
「はい。警視庁より出向して来ました、仮設能力者対策課所属、その前は警視庁特殊強襲部隊SATに属しておりました、田中たなか 大翔たいせい巡査部長であります」
 平太の言葉に大翔が応じる。そして、さらにその後ろからもう一人男が入ってくる。
「同じく、警視庁より出向して来ました。仮設能力者対策課所属、その前は、えー、警視庁刑事部に所属しておりました。中国ちゅうこく 箕霞無きかない警部であります」
 箕霞無が自己紹介する。
 そして二枚の書類を平太の机に置く。
「うむ。君たち二人を能力者相談所は受け入れました」
 平太が書類に目を通して承認のハンコを押した。
「それで、田中巡査部長、今の発言はどう言うことです?」
 直後、直美が単刀直入に切り出した。
「逆に他に判断の余地があるのか、と聞きたいくらいだ。相手は人間に対し無数の切り傷を与える攻撃的な能力者だ。犯人の目星もついている。なら、国家権力で傷害の容疑でしょっぴくのが手っ取り早い。そうでしょう、所長」
 直美の凄みには一切動じず、大翔は力強く告げる。
「性急に過ぎます! 故意に起こしたかどうかも分からない。能力の十分な制御が出来ず、セクハラに対し反感的な内心を抱いたが故に自動的に防衛行動として能力が発動した可能性もあります。所長、我々があくまで調査、対処すべきです」
 直美が机を叩いて起立し、大翔に負けないくらい力強く主張する。
「その可能性の方がよほど危険ではないか。いつ制御不能な能力による理不尽の刃が他人に降り注ぐか分からない状態で街を歩いているのだぞ。それも満員電車の中にいることさえある。直ちに隔離すべきだ!」
「その発言は能力者の人権をまるきり無視しています! 我々が対処することで能力者が他の人間と同じように生きられるようにノーマライズ出来るのであれば、そうすべきでしょう!」
「その能力者は傷害の罪を働いた犯罪者だぞ!」
「罪を裁くのは、能力者をノーマライズしてからでも出来ます! 危険だから問答無用で隔離すると言うのでは、弁護人なしどころか裁判すらなしで裁くのと変わりません! むしろ裁判を受けさせるためにも我々で対処し、ノーマライズする必要があるのではないですか」
「ぐっ……。貴様は能力者の恐ろしさを知らないからそんな事を言えるのだ。私は能力者が初めて日本で事件を起こした時からSATの一員として能力者犯罪に対抗して来た。仲間もたくさん死んだ。多くの市民の安全のためなら、能力者の人権程度、無視してでも強制隔離を決行すべきだ!」
「そもそも、その強制隔離が本当に安全策ですか? 相手の意思を無視した行動の強制や制限は精神を追い詰め、能力の暴走を招きます。壁を生成するだけの無害な能力者だったみなと 優姫ゆうきちゃんを暴走させた挙句止むなく狙撃で殺害したあの痛ましい事件をもう一度繰り返すつもりですか!」
「その事件で私は最高の親友を失った! 暴走すると言うなら、問答無用で眠らせてでも隔離すべきだ」
 議論が白熱していく。しかし、その主張は極端なまでに平行線だ。
 どちらも正しいが、ともにどちらも極端だ、と凛太郎は思った。
 能力者が能力者である事を理由に不当な扱いを受けることは、これは明確に差別だと言える。
 例えば日常生活に支障をきたすような能力者でも、可能な限り日常生活を歩めるようにする。それはノーマライゼーションと呼ばれる福祉の大事な役割の一つだ。
 一方で相手が明確に武器を振るっている状況で、無制限に相手を受け入れることはできない。必要に応じて多少強引な手はあり得る判断だと言える。
 ではこのケースはどちらがより妥当なのか。
「二人とも、その辺にし。まず田中巡査部長の上司として、中国警部、どう思う?」
「え? あー、えーっと、そうです……ね」
 箕霞無が視線を空中に彷徨わせ、下を見て上を見て、ふと、凛太郎と目があった。
「そ、そうだ。フレッシュな彼の意見を聞きたいですね、私は」
「なるほど。確かにこういう時こそ、と言えるかもしれない。中村君、君はどう思う?」
「え、お、俺……じゃない、私ですか!?」
 慌てて立ち上がる。
 結論は何も出ていない。
「えっと、その……どちらも一理ある一方で、極端な部分も……」
 先程考えていた事を話そうとした、直後。
「中村君……その背中、どうしたの?」
 直美が当然話に割り込んだ。
「え?」
 なんのことか分からず、振り返りながら首をかしげる。
「背中に無数の切り傷。これはどうみても同じ能力による被害だ。しかも、彼は今朝、被疑者と会っている」
 そして振り返ったことで背中を見た大翔は、すぐさま事情を理解し、理論を組み立てる。
「これはつまり、今朝接触したことを自身への疑いと見て、排除行動に移った証拠ではないか。つまり、被疑者には意図的に第一被害者に攻撃をした自覚があり、第二被害者を見て自身に対処しに来たと感じて、同じく攻撃を行なったのだ。所長、やはり警察が対応すべきです」
「ま、待ってください! まず、被疑者や被害者という言葉を使わないでください。そして、所長。それでもやはり我々が対処するべきです。警察が威圧感を与えては、暴走の危険があります。理性的に相手を傷つけているなら、まだ対応の余地が……」
「んー、理性的に傷つけているんなら、それは流石に傷害罪と見做さざるを得ないんやないか?」
 直美は反論するが、所長の意見は大翔寄りになっていた。
 そこに電話が鳴る。
「はい、能力者相談所でございます。あ、いつもお世話になっております。はい…………はい。承知しました。書類はまた追って送って下さい。はい」
 所長が応対し、そして、一同に視線を向ける。
「問題の沿線の診療所や薬局で似たような切り傷を受けた人間を治療した、薬を出したっちゅー報告が何件か確認されたわ。接点の有無などはこれから調べることになるやろが……」
「やはり危険な能力者です!」
「まだです。無差別だとするなら、相談者や中村君もたまたま能力の対象になっただけかもしれません。ケアする余地があります」
 所長の言葉が終わるより早く、二人がまた口論を始める。
 やはりどちらの理屈にも理があり、そして平行線だった。
「もうええわ、二人ともちと黙れ! 中村君、見解を聞かせてくれ。そちらの方針を選ぶわ。責任はわいが取る」
 再び、凛太郎に選択が回ってくる。
「え、えーっと、お、俺は……」

 

to be continued to 後編