縦書き
行開け

空に溶ける

 

「父さん、母さん、次はあの『スタークラウンドリーム』ってやつに乗ろう!」
「こらこら度流わたる、あんまり走るとはぐれちゃうわよ」
「そうだぞ。並ぶ時間は長いけど、ジェットコースターは逃げたりしないから」
 それもそうなのだが、と彼苑かれその度流は遊園地を走りながら、どこか急いた気持ちを抱いていた。
「何言ってるの。時間がないんだから急ごうよ!」
「それもそうね。時間は無限じゃないわ」
「そうだな。はぐれられても困るし」
 度流の両親は度流の言に納得して、度流から差し出された手をそっと取る。二人で目配せをして、度流を抱き寄せた。
 それは、永遠に続いてほしい時間だった。

 

 度流はもう高校生で、ジェットコースターに乗るのに、身長制限を気にしなくてもいい年になった。ジェットコースターなどの絶叫アトラクションが特に好き、というわけではないが、事前の調べで、ジェットコースターが一番人気であることを知っていた。
 この「スタークラウンドリーム」というジェットコースターは後ろ向きに動くという一風変わったシステムで、評判を得ている。度流は是非乗ってみたいと思った。
 後ろに落ちる感覚を知りたかった。危険だというのはわかる。これは好奇心ではない。知っている。本当は、後ろ向きになんて、落ちたくないし、落ちてはいけない。
 それでも「もしif」を体験できるなら、体験してみたかった。せっかく、父と母がいるのだ。一緒に楽しみたかった。
 それに、スタークラウンドリームは、他のアトラクションより客捌けが良いという。実際、結構並んでいたけれど、思うよりスムーズに列が進んだ。
「早く乗れたね」
 度流はにこにこと、両親に振り返る。両親は各々、だから急がなくてもよかった、とか、度流が楽しそうでよかった、とか、口にしていた。
他のアトラクションは二時間半待ちなどがざらだ。時間は一分一秒だって惜しい。時間なんて、あっという間に過ぎてしまうのだから。
「音楽が聴けるんだってよ」
「ふふ、面白いわよね」
「ジェットコースターで音楽聴いてる余裕なんてないと思うけど」
 笑う母の後方で、父が気弱な声を出す。度流は面白いものを見つけたような気がして、笑みを深めた。
「父さん、もしかして、絶叫系苦手?」
 度流の指摘にぎくりと固まる父。どうやら図星のようだった。母は知っていたのか、ちょっとわざとらしいくらいに上品に口元に手を当てて、笑う。
 父は、参ったな、と頭を掻いた。
「まさか度流にバレるとは」
「僕だってそれくらい気づきますー! でも、意外だな。父さんって頑丈そうなイメージなのに」
「ははは。誰にだって、苦手なものはあるということだよ」
 お待ちのお客様、どうぞー、とスタッフの声がして、度流は両親と前に進む。
 誰にでも、苦手なものはある。それはそうだ。父にだって、母にだって、苦手なものはあるだろう。それを度流が知らなかっただけで。
 コースターに乗り込み、安全バーを下げる。何やら音楽が流れてきて、コースターは思うよりゆっくりと前に進んだ。と思ったら、どんどん加速して、ぐるぐると回っていく。どこかの誰かの「きゃー」という悲鳴が聞こえる。音楽がじゃかじゃかと、見えた空の向こうに溶けていく。ぐるぐると回る視界の中、空だけが変わらずに、真っ青でいてくれた。
 ジェットコースターで流れる悲鳴のなんと平和なことだろうか。度流は以前も遊園地に来たが、あのときは身長制限に引っかかって、乗ることができなかった。こんなに爽快で、安らかだとは思わなかった。
 度流は悲鳴を上げなかった。上げなかったというより、上げられなかった。いつからか、大きな声を上げるということが苦手になった。いや、いつからなのかは知っている。
 どんなに視界がぐるぐるしても、それは幻でしかない。度流が望んだ幻だ。これは、幻なんだ。
 後ろに下がっていく感覚も、曖昧だ。どうして、と思ったけれど、その理由も知っていた。
 ここは、度流の夢だから。

 

 目を開けると、そこは伯父の家の自室の天井。少し景色が滲んで見えた。
 両親がいたら、という夢を抱かずにはいられない。伯父一家にはよくしてもらっているし、幼馴染みの荒崎あらざき優音ゆねはかけがえのない存在だ。不満なんてない。
 けれど、実の親というのは替えのきかない存在で、度流にとって悪い親じゃなかっただけに、失ったことを悲しむ存在なのだ。
 春も終わり、夏を運ぶ風が吹き始める頃。今日は毎年ある大型連休の中腹くらいで、伯父一家と一緒に、遊園地に行くことになっていた。
 度流なりに楽しみにしていたので、あんな夢を見たのだろう。テロで失った両親と、遊園地に行く夢を。
 もう少し、夢を見ていたかったな、と少し思った。あれが夢なのが惜しまれる。ジェットコースター以外にも、メリーゴーランドやら、観覧車やら、コーヒーカップやらに乗ってみたかった。成長した自分を見て、父や母がどんな反応をするのか見てみたかった。
「度流にい、起きてる?」
「うん、おはよう」
 度流の部屋に従弟が訪れる。起こしに来てくれたのだろう。度流を見て、少し驚いていた。
 度流が泣いていたから。
「なんか嫌な夢でも見た?」
「ううん、いい夢だよ。父さんと母さんがいたんだ」
 従弟はそれで、はっと息を飲み、押し黙った。度流は参ったな、と眉を八の字にする。困らせるつもりはなかったのだ。
 けれど、度流の行いが、時に家族を困らせてしまうのも仕方ないことだった。両親を亡くしたとき、度流は一生分かというほどの涙を流した。それを、度流を引き取った伯父一家は知っている。腫れ物に触れるような気分だろう。
 そんな風に、距離を感じてしまうから、あまり困らせるようなことを言いたくないのだ。だが、困らせてしまうかどうかを、度流は口にしてしまう前に判断できない。
「ごめん」
「謝らないでよ。何も悪いことしてないじゃん」
 それもそうだ。けれど、やはり、申し訳なくなってしまう。
「度流兄が本当のお父さんやお母さんと行きたいって、考えるのは仕方ないよ。俺が度流兄とおんなじだったら、きっと父さんや母さんのことをつい思い出しちゃうもん」
「……そうだね」
「だから、今日は思い切り楽しんでよ! いつも、こういうとき、度流兄は遠慮するからさ。父さんも母さんも、ちょっと困らせるくらい、楽しんじゃえ!」
「えぇ? それはちょっと」
「それなら、優音ちゃんを振り回せよ!」
 今日は隣家の荒崎家も同じ遊園地に行くという。両家の間で、優音と度流は、もう公認の恋人だった。
「優音ちゃんなら、度流兄も遠慮はしないでしょ? それに俺、応援してっから!」
 応援も何も、度流と優音はもう、永遠を誓い合った仲だ。お互い浮気なこともない。――とはいえ、それは内緒の話だが。
「じゃあ、着替えて準備するよ」
「ん! 父さんたちと待ってるね」
 従弟が部屋を出ていく。度流はパジャマのボタンを外した。
 伯父も、伯母も、従弟も、みんないい人だ。この生活に、文句なんてない。
 けれど、どうしても、心のどこかで考えてしまう。両親が生きていたら、という「もしもif」。
 もし、それが叶うのなら、伯父一家のように仲良く、素敵な家族になっていたい。平凡でも、平穏な日々を送れるのなら、それ以上のことはない。
 ――そんな風に考えるのは、度流が既に失ってしまったからだ。
 無い物ねだりを人はする。叶わない願いこそ、叶えたいと願ってしまう。本当に、欲張りだ。
 けれど、起き上がって、立ち上がった「今」は「もしも」を考えるときじゃない。夢の世界も幸せだったけれど、もっとずっと、悲しくならないように、幸せになりたい。
 度流が窓を開ける。深呼吸をすると、初夏を思わす緑の匂いが鼻腔を抜けて、心地よい。
「さて、準備しようかな」
 今日は本物の「スタークラウンドリーム」に乗って、美味しいものを食べて、パレードを見て、観覧車に乗って……やることがたくさんある。
 これから待っている、たくさんの幸せを享受しに、度流は窓を締め、着替え始めた。

 

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おまけ

 


 

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