ミルクチョコレートラヴ
「
高校受験を終え、卒業まで登校日数も少なくなってきた中学三年、閑散とした教室で、興奮したように彼苑
恋人の
彼苑度流は人とは違う見え方をする目を生かした絵を描く。その独特な色彩感覚がわりと反響を呼んでいたりして、美術系の賞ではほとんど毎回受賞しているほどだ。
「ラテじろう」というのはラテアートを主に提供するカフェである。一応チェーン店で、五店舗ほど国内に存在するのではないだろうか。そのうちの一つが、度流たちの暮らす地域にある。
桜庭の言葉に、閑散とした中にちらほらといたクラスメイトが反応した。
「え、彼苑、ラテアートもできるの?」
「見たい見たい! 『ラテじろう』とコラボとか本格的じゃん!」
「いや、あの、うん、まあ、ええとね……」
ラテアートというのは、一朝一夕ではできない。が、実は度流はできる。というか、できるようになった。
そこに至るまで紆余曲折あったのだが、全てを語るのは憚られる……と悩んでいると、教室の戸がからりと開き、恋人である荒崎優音が入ってきた。
ぴん、と伸びた背筋、揺れる濃紫の髪は時折三つ編みを覗かせる。木漏れ日のような緑の瞳は迷うことなく前を見つめていた。
今日も相変わらず綺麗だなぁ、と眺めていた度流だったが、優音の一言に硬直した。
「廊下にも聞こえたんだけど、度流くんがどうかしたの?」
「うん、あのね」
「あーーーーーーーーーーーーっ」
度流が突然大声を出す、という奇行に及んだため、優音に詳細を語ろうとした桜庭を始め、全員が動揺する。度流は不思議っ子だが、ここまで奇っ怪な行動を今までしただろうか。
優音も目を丸くしている。
そこで桜庭がコラボの詳細を見た。コラボ日はでかでかと「ユノ・マイアデー」と書いてある。
なるほど察した、と桜庭は頷く。
ユノ・マイアデーというのは海外から来た文化なのだが、イベント好きのこの国の洗礼を受け、「大切な人にチョコを贈る日」となっている。
「あ、荒崎さん、そういえば、もうすぐユノ・マイアデーですね」
「桜庭さんは誰に贈るの?」
「ユノ・マイアデーは登校日なので、クラスみんな分作ろうかと。友チョコです」
「相変わらず桜庭は豪気だなぁ」
見事、話題を逸らすことに成功した桜庭に、度流は手を合わせた。桜庭の察しの良さに感謝するしかない。
そう、これは度流が優音に内緒でやっていた企画なのだ。どうせならサプライズをしたいと思って。その計画は一年前からであり、どうにか優音に不審がられずにここまで来たのだ。それならば、最後まで隠し通したいというもの。
というのも、去年のユノ・マイアデーには「ラテじろう」からのコラボ打診はあったのである。ユノ・マイアデーのイベントとして、度流の絵をラテアートにしたいとのこと。そこで度流側からも、「ラテアートを体験したい」という旨を伝え、ラテアートに挑戦した。
が、先に述べた通り、一朝一夕でできるものではない。度流は手先が器用な方ではあるが、ハートやリーフを作るのに苦心して、一週間はかかってしまった。
度流が思いの外、ラテアートにはまってしまったため、コラボの話が流れてしまったのだ。本当に悪いことをしたと思っている。
それでも、翌年コラボという代案を持ってきてくれた「ラテじろう」には感謝しかない。
ユノ・マイアデーに、自分の手作りを贈りたいと願うのは当然のことです、と温かい言葉をもらい、それを胸に、一年間、練習をし、もちろん、ラテアート用の絵も描いた。練習期間を設けてもらったので、普通のお客さんにも度流製のラテアートが提供される場合があるが、優音にだけは確実に度流が作ったラテアートを提供することとなっている。
言ってしまえば、「ラテじろう」も近所の店ではあるので、地域公認の恋人である度流と優音のことは知っており、度流には言っていないが、恋人代表の広告塔となってもらえれば万々歳というわけである。
桜庭の話題転換をクラスメイトたちは不審に思ったが、話がユノ・マイアデーに触れたことで、大方の事情をほとんどの者が察した。度流と優音のいちゃいちゃを九年間見せられ続けてきた猛者たちは、度流と優音の関係を認め、静かに応援する。普段は度流が優音に押され気味なので、度流の応援も含んでいた。
「桜庭さんも可愛いんだから、ちゃんと誰か見つけるんですよ?」
「何を言うんですか!?!? わたしが可愛かったら、全人類可愛いですが!?!?」
「相変わらず自己肯定感低ぅ」
「そ、そそそ、そんなことより、最近
「あ、そういえばそうだ」
女子トークとはそういうものなのか、話題が見る間に変わる。それを聞いて、度流も確かに、と教室を見回した。
最近、天辻
授業をよくサボる不良生徒だが、学校にはなんだかんだ毎日来ていた。というのに、中学の三年も終わりという今頃になって、日翔が姿を見せなくなったのである。
「何かあったのかな。体調を崩したとかじゃないといいんだけど」
「心配ですね。ユノ・マイアデーには来てくれるといいんですけど」
「お? お? 桜庭っち、もしかして天辻くんのことが?」
「そ、そんな意味では……!!」
「でも手作りチョコ食べてほしいんでしょ?」
「それは友達としてというか、せっかく作ったんだから食いっぱぐれるのも可哀想というか、そんな感じですってば!」
何やら話がおかしな方向に飛躍しているようなので、度流が助け船を出す。
「桜庭さんのチョコ、美味しいもんね」
「荒崎さん的には、彼苑くんが他の女の子からチョコレートもらうのはありなの?」
話がいい感じに逸れたので、度流はほっと胸を撫で下ろすが、クラス一同は凍りつく。この話題は優音にとって、地雷かもしれないからだ。
しかし、優音は穏やかに微笑んでいた。
「桜庭さんのは友チョコってわかっていますし、桜庭さんは事前に私に話してくれますから」
一同がぎょっとして桜庭を見る。毎年、ユノ・マイアデーの桜庭の手作りチョコ配りは恒例行事だったので、まさか毎度毎度、優音にお伺いを立てているのか、と。桜庭は自己卑下がひどいが、ちょっとぽっちゃりなだけの「女の子」である。そんな桜庭のチョコをもらっているだけで優音が発狂するなら、教室はユノ・マイアデーのたびに阿鼻叫喚に晒される。それが桜庭により未然に防がれていたということが発覚して、何人かは桜庭を拝んだ。
一方度流は「優音ちゃんはそんなに心狭くないけどなあ」とみんなの反応に首を傾げる。が、それを口に出すことはなかった。もし、他の女の子からチョコを贈られることがあったとして、それで優音が嫉妬してくれるのは嬉しいからだ。
と、そんな考え方をするから、度流と優音は「バカップル」などと呼ばれることがあるわけだが。
「ちなみに、荒崎さんは彼苑くんにチョコあげるの?」
誰かが放った問いが、度流の心臓をどくりと言わせた。
ユノ・マイアデーは男性から女性へ、女性から男性へ、といった決まりは特にない。度流は優音のために計画しているが、優音はどうなのだろうか。度流でさえ優音に聞かないことを、誰かが聞いたので、緊張が走る。
何気ない質問のつもりなのだろうが、当人同士がいる前である、という配慮は欲しかった。
「内緒、です」
優音は問いを放った女子生徒の唇に人差し指を立てる。どこか色めいたその仕草に、その女子生徒は顔を赤くした。
度流は少しもやっとする。優音は度流の彼女なのだ。ああいうちょっと色っぽい所作は、他者ではなく、自分だけにしてほしい、なんてやきもちを焼いたりするのだ。
少し胸を押さえて落ち着こうとすると、制服の下に隠したエンゲージリングに当たる。
そうだ。もう優音との未来も約束しているんだ、と思い出して、度流は穏やかに目を閉じた。
ユノ・マイアデー当日、度流たちは三年生であるため、登校時間はいつもより短い。
そんな中、わたわたと友チョコ配りに精を出す桜庭。そこにがらがらと教室の戸が開いて、気だるげに一人の男子生徒が入ってきた。
「! 天辻くん!!」
「ん、おお」
「天辻くんもチョコどうぞ」
なんのてらいもなく差し出されたチョコを日翔はしげしげと眺め、口に放った。
「んー、んま。桜庭がチョコ配ってるってことは、もうユノ・マイアデーか」
「そうですよ。天辻くん、全然来ないので心配してました」
「……まあ、色々あって、な」
言葉を濁す日翔に、桜庭や度流は疑問符を浮かべる。が、「もう一個もらっていいか?」と言いながら桜庭のチョコに手を伸ばしている日翔の食い意地に、いつもの日翔だ、となった。
「そいや、彼苑、なんかやるって? ええと、らてたろうじゃなくて……」
「『ラテじろう』ね。ラテアートコラボするんだ」
「どーーーーせ、荒崎といちゃつく言い訳だろ? 毎度毎度こんなくだらねえことをよくやるよ」
あ、と桜庭の表情が凍る。桜庭はぎぎぎ、とでも擬音がつきそうなぎこちなさで、度流に目を移す。
案の定、度流はキレていた。いや、見た目にはにこにこしているだけなのでわかりづらいが。度流の不自然なまでに「にこーっ」とした笑顔は、確実にキレている証拠なのである。
度流のキレたところを見たことがない者はこの生き物がキレるだなんて、夢にも思わないのだろうが。
というか、今、地雷を踏んだ日翔も度流がキレるのはわかっていただろうに、どうしてわざわざあんなことを言ったのだろうか。
桜庭は二人を交互に見て、ふと気づく。
「天辻くん、顔色悪いです?」
その指摘に、日翔は慌てふためく。桜庭はなるほど、と結論づけた。
「具合悪かったんですね。保健室に行きますか?」
「いい、いいって」
「具合悪くて他人に当たるのは良くないですよ」
桜庭の言葉に、バツの悪そうな顔をする日翔。そんな間に、度流が割って入る。もう怒ってはいないようだった。
「具合悪いんだったら無理しない方がいいよ、天辻くん。さすがにさっきのは僕だって怒るし」
「……わりぃ」
しゅんとする日翔だが、早くも桜庭にチョコをもう一個せがむ。元気がないとは桜庭の言ったことだが、本当だろうか。ものすごく平常運転なようにも感じる。
「まあ、そうだな。……さっきは悪かった。お前と荒崎はどんな理由であれ、ずっと仲良くしてろよ」
「もちろん」
そうとだけ残して、日翔は姿を消した。
「変な天辻くんだったね」
「具合悪そうなのが心配です……毎年チョコは食べ尽くしていくのに……」
「そういう覚え方なんだ」
そうしてクラスでのユノ・マイアデーを過ごし、二時間ほどで度流たちは下校となった。
度流はそのまま「ラテじろう」へと向かう。
「ラテじろう」に着くと、もうコラボメニューを頼んでいる人が大勢いるようで、コーヒーとチョコレートの香りが混ざって、甘い空気になっていた。
度流は名前だけは有名だが、顔はあまり知られていないので、本人が来ても大した騒ぎにはならなかった。
店員が度流の顔を見て、頷くと、度流を厨房へ、優音を席へ案内する。
「度流くん?」
「打ち合わせだよ。すぐ戻るから待ってて」
度流と離れるのが惜しいのか、優音は不安げな声を上げるが、度流はそれに優しく微笑んで返す。
度流の微笑みに優音もふっと表情を和らげて、案内についていった。
度流が厨房に入ると、フォームドミルクとピッチャーが用意されており、度流はそれでカフェラテの水面に絵を描いた。フリーポアと呼ばれるミルクを注ぐピッチャーの動きだけで作るハートやリーフの模様のものから、エッチングと呼ばれるスプーンやピックを用いて絵や文字を描いたりする手法によって、猫や桜の木などが描かれていた。
練習は必要だったが、度流の手さばきに迷いはなく、どんどんとラテアートが生み出されていく。
「やはり見事ですね」
「店長さん」
度流は声に振り向き、頭を下げる。カフェコラボという貴重な体験をさせてもらったのだ。感謝以外の言葉はない。
「こちらこそ、感謝しております。あなたの名前に人が寄ってきたのですから」
「とんでもない。まさか一年も待っていただけるなんて」
「ふふ、待った甲斐があるというものです」
して、と店長が声をひそめる。
「あちらにおわすどえらい別嬪さんが彼女さんで?」
「ええ」
優音が褒められて、度流は嬉しかった。優音は自慢の恋人なのだ。
「彼女さんをお待たせするのもいけませんね。此度のコラボ、ありがとうございます。彼女さんと楽しんでいってくださいね」
「ありがとうございます」
ただ、優音には自分で作ったものを持っていきたい、とラテじろうの制服を着たまま、度流は優音の元へ行く。
「優音ちゃん」
「度流くん!」
優音は待ちわびていたかのように、ぱあっと顔を華やがせた。度流はそっと微笑み、優音の前でラテアートを作り始める。カップを傾けて、ミルクを注ぎ、丸く溜まったミルクの白をつうっと縦断させて、ハートを作る。
優音は目を丸くしていた。動画などで見たことのあるそれは、別世界のもののことのようだったため、度流が何の苦もなく披露したものだから、驚かずにはいられない。
「はい、優音ちゃん」
「度流くん……すごい。どうやってやったの?」
「うーん、口で説明するのは難しいかな」
穏やかに会話する二人の元にフォンダンショコラのプレートが運ばれてくる。粉糖でしっぽをハートの形にした二匹の猫が寄り添っている姿が描かれている。なんとも愛らしいデザインだ。
「これも度流くんが?」
「うん。こっちは型紙に合わせて、デザインをなるべく簡略化するだけだったから、なんとか」
度流が微笑む。
「ようこそ、ラテじろうへ」
と、度流が優音に紡いだそのとき。
「ひゅうひゅう! 見せつけてくれちゃって!」
「でも彼苑くん、かっこいい!」
「フォンダンショコラおかわり」
「天辻くんお会計大丈夫? 割り勘じゃないよ?」
「みんな!?!?」
クラスメイトたちが店の一角から茶々を入れる。どうやら、桜庭から度流のラテじろうコラボの話を聞いたクラスメイトたちが見守りに来たらしい。
優音は席にいたので気づいていたが、敢えて言わないでいたようだ。度流の気が自分だけに向くように。そうして淹れられたカフェラテはほんのりと甘く、美味しい。
度流が何よりも驚いたのは、昼間は散々な言い様だった日翔が来ていたことだ。こういうイベントがあまり好きではないように見受けられたし、度流と優音が恋人らしく振る舞うことをばっさりと「くだらない」と切り捨てるような日翔が、きっと度流と優音の見守り隊であろうクラスメイトたちと行動を共にするとは。
「彼苑、昼間は悪かった」
「天辻くん……気にしてないよ」
「カフェラテ? 美味かったぜ」
「それはよかった」
「ふふ、仲直りできてよかったね」
微笑ましげな優音の言葉に、日翔はふん、とよそを向いた。
帰り道。度流と優音の家は隣同士であるため、帰り道は一緒だ。夜の色が更けて、街灯がちらちらと瞬く。
そんな街灯の下で、ふと、優音が立ち止まった。
「どうしたの? 優音ちゃん」
度流の声に振り向く優音。街灯はまるで、彼女に当てられたスポットライトのようだった。
そのスポットライトの内側に、度流が引き込まれる。
ちゅ、と唇が重なった。
あれ、と度流が気づく。甘い香りと、いつもと違う、キスの味。いつもより甘い。これは……
「……チョコレート?」
「正解」
優音が得意げに度流を見上げる。
「チョコレートリップっていうのがあるんだよ」
「そうなんだ……」
「だから、これが私からの贈り物。……どうかな?」
少し、上目遣いで、首を傾げる愛しい少女。度流はこの眼差しが自分だけに向けられているのだと思うとたまらなくなって、抱きしめる。
それから、少し躊躇うように体を離して、それから、耳元に唇を寄せる。
「もっと欲しい」
そんな欲張りな一言も、甘く蕩けていくのだった。
おまけ
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