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『深海』くららの話。

 

 
 

 この作品は「No name lie-名前のない亡霊-」最終話までのネタバレが含まれます。
 「No name lie-名前のない亡霊-」読了後に読むことを推奨致します。

 


 

 深海ふかみ鈴々架りりかは日記帳を手にしていた。電脳が広まり、あらゆるものが電子化された世の中で、紙のノートというのは珍しい。しかも、手書き文字で綴られている様子だ。
 表紙に書かれている名は鈴々架のものではない。「佐倉さくらくらら」――先日亡くなった、鈴々架の義妹、深海くららの旧姓だ。
 かなり使い古している日記帳で、だいぶ色褪せている。鈴々架はそれを抱えながら、少し苦い面持ちをしていた。
 亡くなったくららの遺品と身辺の整理をしていたのだ。くららは電脳についての研究に興味があったらしいため、様々な交流サイトなどで他者と関わりを持っていた。
 くららが最も利用していたと思われるアカウントで、くららの訃報を伝えた。アカウント名の「クラクラ水母」がどういう由来なのだろうと思ったが、くららの旧姓が佐倉であるため「さくらくらら」から取ったのだろう。
 思いの外、たくさんのリプライがついた。くららの死を悼むコメントが多い。ネット上でのくららは、多くの人から「いい人」だと思われていたようだ。少しほっとした。
 そんな中、ダイレクトメッセージも複数もらい、全てに目を通した。返事は手短に済ませ、一環したら、アカウントの削除申請をし、終わりにするつもりでいた。
 ある一件のメッセージが来るまでは。

 

「クラクラさんにリアルで会う約束をしていた者です。ユノマイアデーの予定だったのが、私の都合が合わず、変更日も決まらずにいたのですが、こんなことになるなんて。
 ご冥福をお祈り申し上げますと共に、ご遺族の方にお渡ししたいものがございます。
 クラクラさんの遺品にあたるものですので」

 

 何卒、よろしくお願いいたします、と添えられた文面を見て、鈴々架はその人物と日程調整をした。
 遺品というなら、受け取らないわけにはいかない。曲がりなりにも遺族なのだ。
 それに、くららがどんな形で人と交流を持っていたか、知りたくなったのだ。カグラ・コントラクターの特殊第六部隊に所属している都合上、「忙しいから」と省みられなかった分、今からでも。

 

 麗らかな日射しが心地よい。さらさらとした風が、少し春の色を灯し始めた景色の中を吹き抜ける。あと一環もすれば、桜も花をつけるのではないだろうか。
 そんな日和の中、鈴々架は待ち合わせの公園で、桜の木を眺めていた。寒さはまだ少し残るが、だいぶ春を感じる。ユノマイアデーのちょうど一環後、メッセージの主が休みを取れたので、と指定してきた。
 合図用に持ってきたくららお手製の「彼苑度流グッズ」の一つ、「『空に溶ける』トートバッグ」を眺めて、よくやるもんよね、と何度目かわからない関心をした。
 くららが若き天才画家「彼苑度流」のファンなのは、鈴々架も知るところであった。そのファン魂は凄まじいもので、僅か五十部ほどしかなかったはずの度流挿絵の絵本「いのちじゃないね」の初版を手に入れるレベル。小学生の時点でそれなので、ちょっと異常と言える。
 好きなものがあるのはいいことだ、と鈴々架は自由にさせていた。自由にだけさせて、大して興味も持っていなかったのだが。
 遺品の詳細を聞けば、彼苑度流グッズの一つだという。それなら確かに、受け取っておかないと、くららに祟られそうだ。
 ……そういう約束は、よぎらなかったんだろうか、と鈴々架は思う。空は驚くほどに青くて、くららが大切にしていた「義眼じゃない目」も青かったな、と思い起こした。
「クラクラさんのご家族の方、ですか?」
 控えめな女性の声がする。鈴々架が顔を向けると、おさげ眼鏡の女性が一人。オーバーサイズのカーディガンがゆったりとした印象だ。服装の色合いも暖かみがあり、なんとなく春を思わせる。
「はい。『しょーこ』さんですか?」
「そうです! クラクラさんのこと、本当に残念で……心よりご冥福をお祈り申し上げます」
「丁寧にありがとうございます。立ち話もなんですから、どこかカフェにでも入りましょう」
「それでしたら、『ラテじろう』はいかがですか? ホワイトデーフェアのチケットを持っているんです」
 特に異論はなかったので、「ラテじろう」へ向かうことにした。
 ラテじろうの名前は知っていたが、来るの自体は初めてだ。そういえば、何年か前、くららが「彼苑度流コラボやるカフェがあるって! ラテじろう!! 行きたい!!」と騒いでいた。諸々あって、補習を受けなければならなかったくららは時間が取れず、随分悔しがっていた。
 もしかしたら、この女性、くららのためにここのチケットを用意していたのかもしれない。ユノマイアデーとホワイトデーのある二環に渡って利用可能なチケットを見て、鈴々架は少し切ない気がした。
 くららの死に涙を流すことはなかったが、あの子が素のままの自分を出して笑う機会を、逃してばかりだったように思う。
「私の都合に合わせてくださって、ありがとうございます。私、静水しずみ枝葉しようと申します」
「クラクラ水母……深海くららの保護者の深海鈴々架です。このたびはご連絡くださり、ありがとうございました」
 いえいえ、こちらこそ、と恐縮する枝葉。綺麗な名前ですね、となんでもないように褒めると、枝葉は早速本題ということで、鞄からあるものを取り出した。
 それは、綺麗な春の風景が印刷されたパスケースだった。
「私、夏の終わり頃に駅で倒れたことがあって。そのときに介抱してくださったのがクラクラさんだったんですが、取り落としたパスケースを探って、クラクラさんのパスケースを握りしめて離さなかったとのことで……」
 くららは枝葉を駅員に預けて、パスケースもそのまま「あげます」と言って去ったらしい。
「大丈夫でしたか? 夏の終わりと言いますが、暑さは残っていたでしょうから……熱中症?」
「はい。それと過労と、電脳の警告無視で動き続けてたので。そのとき意識を失う前の最後の記憶が『前回睡眠から一九六時間が経過しました』という警告だったので……」
「ひゃくきゅ……!? それはちゃんと寝てくださいね!?」
 仕事が忙しいのはわかるが、一九六時間というと一日が八時間のアカシアにおいては二十四日と半日である。二十一日一週間以上睡眠を摂っていないのは、倒れても仕方ない。よく死ななかったとさえ思える。
 あはは、反省してます、と枝葉は苦笑いを浮かべた。
「パスケースの件、御礼と謝罪を直接したくて。そりゃ、ネット上とか、メッセージでは御礼も謝罪もしたんですけど、クラクラさんのアカウント見たら、このパスケースがあの人にとってどれだけ大切なものかわかって、だから本当に申し訳なくて、お返ししたくて」
 くららにとって、「彼苑度流のファンである」ということはアイデンティティーですらあった。おそらく「クラクラ水母」のフォロワーを集めて、クラクラ水母がどんな人物か聞いたら、全員が口を揃えて「彼苑度流の大ファン」と答えるだろう。くららのファンぶりはそういうレベルだ。
 大切なものを、意識が朦朧していたとはいえ、奪ってしまったようなものだ、と枝葉は申し訳なさでいっぱいだったらしい。
「私を介抱してくれただけでも素敵な方なのに、お話しするうちに、優しくて、ユーモアがあって、本当に素敵な方なんだな、会ってみたいなって思って」
 パスケースを返したい、という枝葉からの話をくららは断っていたらしいが、枝葉の意気と人となりに折れたらしい。
「ユーモアがあるって?」
「パスケースを諦めた理由を聞いたんです。そしたら、『布教になると思って』と仰って。面白い方だなぁって」
 彼苑度流さんのことは、有名人ですから、知っていましたし、と語る枝葉。話の種にと調べて、今やどっぷり彼苑度流のファンとなったらしい。布教は大成功だ。
 だから、会って、話してみたかったなぁ、と枝葉の声に哀しみが滲む。
「早くに予定を設けられなかった私も悪いんですけど、まさか亡くなってしまうなんて。クラクラさん、高校生でしょう?」
「……はい」
 そう、早すぎる死だ。枝葉にわざわざ死因を話すことはしないが、病気だろうが事故だろうが、十六歳は、死ぬには早すぎる。
「意識がなかったから、顔も知らないのに。本当に……本当に」
 お悔やみ申し上げます、と枝葉は重ねて口にした。
 そこに、店員の運ぶコーヒーの香りが乗って、鈴々架の胸を満たした。

 

「馬鹿な子よ」
 帰宅し、ほとんどのものが整頓されたくららの部屋に入る。「彼苑度流グッズ」は、捨てるにはもったいないし、売るのは権利関係の問題があるからできず、難しい。
 譲渡という手段を取ることにしたが、果たしてどれほどの時間がかかるだろうか。少し気が遠くなる。上司は「遺品整理は大事だからね。まとまった休みを取ってもかまわないよ」と言っていた。
 血の繋がりはないけれど、家族だったのだ。
 鈴々架は結局、パスケースを枝葉に預けたままにした。自分の手には余るし、遺品の彼苑度流グッズは譲渡予定なのだ、と話すと、枝葉は大切にします、と頭を下げた。
 倒れた人を介抱するというのは当たり前の行動だが、家族が、くららがそれをしたというのを聞くのは初めてだった。誇らしい気持ちと共に、そういうことができる子だったんだな、と知る。
 枝葉との情報をすり合わせるために、くららがつけていたらしい紙の日記を読んだ。最初は整った文字だったけれど、次第に、ガタガタと字が震えて、文字の大きさを統一できなくなり、小さい文字が書けなくなり、罫線に合わせられなくなり……と、くららの電脳の悲鳴が聞こえるような日記は、見ていられなかった。
 複雑な文字を書けなくなって、ひらがなの、子どもの落書きのような文字で綴られた最後の言葉は、「あはは、もうだめだ」だった。
「まともな字がかけない。えはかけるのに。あはは、もうだめだ」
 くららの声が聞こえそうで、鈴々架は日記を閉じた。

 

 くららの「佐倉」という家系の人物は、電脳の発展に大きく貢献した。だから、くららは「そこそこいい家のお嬢様」だったのだ。テロにさえ遭わなければ。
「テロに遭わなきゃ、あの子はもっと違う人生を送って、長生きしたりしたのかな」
 もしも、なんて、夢物語でしかない。
 それに、と自分の口にした与太に、鈴々架は苦笑した。
 テロが起きなきゃ、「彼苑度流」という画家は生まれなかった。「彼苑度流」に出会えない人生なんて、あの子の人生ではないよ、と。本当に、苦笑いしか出ないことを、思った。

 

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おまけ

 


 

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