望郷の月
※本作は『Return-Soul Isomer』の書き下ろしです。本作から読んでも楽しめるようには書いておりますが、気になった方は原作もどうぞ。
ある軽トラが山がちな地形を走っている。
座席に座っているのは一人の少年と少女。
「ディシディ、メジヂからメールです」
助手席に座っている少女が自身のポケットに入れていた携帯電話が
「おう、ノリィ、読み上げてくれるか、どれ、ちょっと揺れないように、と」
ディシディは助手席に座っている少女、ノリィにそう返事をしながら巧みにハンドルを動かし、その揺れを最小限に抑える。
ディシディの乗る両親から受け継いだこの軽トラはあちこちにガタが来ていて、普段の走行は常にガタガタと振動を伴う。
だが、完全に車の癖を掴んでいるディシディは短時間であれば集中する事で、車を一切揺れない状態にすることが出来る。
ノリィはその間に素早く折りたたみ式の携帯電話を取り出し、折りたたまれていた携帯を開いてディスプレイに新着メールを表示、下ボタンを押して素早くメールの文面をスクロールしていく。
「読み終わりました」
パタンと携帯電話を閉じてノリィが告げる。
それはとても人が読めたとは思えないスクロール速度だったが。
「了解」
ディシディは集中を解除し、通常走行に戻る。
「で、なんだって?」
「今我々がいる街の近くにある集落でお祭りがあるそうです。そこで、屋台を一つ出して欲しいそうです。報酬は弾む、と。詳細は……」
まるであの短時間で全ての文面を覚えたかのようにつらつらと詳細を話すノリィ。
それもそのはず、彼女は人間ではない。それは今は赤いネックウォーマーに隠されている
彼女は先の大戦以降に失われた労働人口を補うために作られた人間の屍体を利用して作られた人造生命体、
「あぁ、良いよ。その辺の管理はもうノリィに任せてっから」
詳細の説明をディシディは途中で静止する。
これはディシディが自認していることなので、決して悪口ではなく、単純な事実として、ディシディには学が無い。
生まれてこの方、”学校”になど通ったことがなく、物心ついた時には親の手伝いをして、
親が事故で亡くなった後も、ずっとその生き方を続けている。
その生活を僅かに変えてくれたのは、どういうわけか不法投棄のゴミ山に捨てられていた少女、ノリィだった。
彼女は
それで、これまでディシディ一人では言い値で売るしかなかった様々な商品を適正価格で売る手伝いをし、さらに収入と支出を管理し、仕事を持ちかけられた時もそれが適正かを見抜き交渉までしてくれた。
今やディシディにとって、ノリィはいなくてはならない存在と言って良い。
ノリィと共に生きることは多くの障害がある。
それでも、ディシディがノリィを決して見捨てないのは、そうしてノリィにデメリットを上回るくらいに救ってもらっている、と思っているからだ。
「で、その仕事は買いなんか?」
「はい。メジヂらしく堅実な仕事と言っていいでしょう」
「けど、俺ら料理なんて出来ないぞ? 売り物になりそうなジャンクはこの前売っぱらったばっかりだし」
祭りとはほとんど縁のない生活を送っているディシディだが、祭りの屋台、というのが主に食べ物屋台であることは知っている。
しかし、ディシディの主食は合成保存食ばかりである。
屋台で出せるような”料理”など出来るわけもない。
「そこがプラスアルファのこの仕事の良いところです」
再び折りたたみ式の携帯電話を取り出し、メールに了解の返事を返しながら、ノリィは言う。
「この仕事を引き受けてくれるなら、先払いで
「へぇ。それがあれば、料理関係の仕事も受けられるようになるな。確かに助かる。けどいいんか? ただでさえノリィには色んな仕事を頼んでるのに」
「良いんです。それに、これがあれば、今後、ディシディに手料理を……っ! あ、いや、なんでもありません」
少し声が浮ついて、あらぬ言葉が漏れそうになっている自分に気付き、慌ててノリィは頭を振る。
(いけない。あくまで私は
ノリィは自分の込み上げてくる思いに蓋をしつつ、咳払いを一つ。
「それでは、祭りの会場のある集落まで
そして、ノリィは暗記したメールに添付されていた地図を元に、ディシディのナビゲートを始めるのだった。
走ることしばし、荒野の中に不自然に生え揃った森を抜けた先に人が住んでいることを示すように明かりが見えた。
「来たな、ディシディ」
車から降りて、ディシディとメジヂが顔をあわせる。
「そんな気はしてたけど、やっぱりアドベンター達の集落かよ」
周囲を見渡しながらディシディが呟く。
アドベンター。”先の大戦”と呼ばれる戦争、それは地球圏戦争と呼ばれ、その俗称を「知性間戦争」と言う。
それは、地球に住む人間と、月に住むアドベンターを名乗る知性種族との戦いだった。
人類は最終的にアドベンターとの戦いに引き分け、講和。今はアドベンターが少しずつ地球に移民しつつある状態だ。
「当然だろう。誰が憎き新人類なんかの仕事を紹介するか」
「俺もその新人類なんだけどなぁ」
新人類とはアドベンターが人間を呼ぶ時の呼び名の一つだ。アドベンターはかつて人類誕生以前に地球に住んでいた存在で、訳あって月に逃れていた種族であることに起因するらしい。
特にメジヂのような熱烈な「アドベンター過激派」……つまり、アドベンターの敗北を認めない彼らにしてみれば、自分達こそが地球人類であり、今いる人類は新人類である、という事だ。
そんな彼がなぜディシディを認めているかというと、これには極めて複雑な経緯があるのだが、ここでは省略することとする。
「じゃ、ノリィ、これ、約束のプラグインね」
「ありがとうございます、メジヂ」
ノリィは頷いてメジヂから受け取ったデータチップをネックウォーマーの内側に隠された
「簡易料理プラグイン、インストールしました。いつでも行けそうです」
と言いながら、ノリィが両手を動かして何かしらのジェスチャーをする。焼きそばをヘラで炒める動きだろうか。
ディシディはさっぱりわからず、首を傾げているが。
「よし、じゃあ、屋台の準備はしてある。焼きそば屋、早速始めてくれ」
そう言って、メジヂが二人を案内した先には、なるほど、見事な「焼きそば屋」の文字が刻まれた赤い屋台だった。
「これは日本式では?」
「うん、用意出来たプラグインが日本のものしかなかったからね。まぁ彼らはむしろ色んなレパートリーが食べられた方が嬉しいさ」
そう言って、設備の説明を始める、メジヂ。二人はそれをふむふむ、と聞き、役割分担を相談する。
と言っても、料理はノリィしか出来ないため、料理はノリィ、ディシディはそれ以外という極めて割り切った役割分担と愛なった。
練習をしている二人。ふと、アドベンター達がひとところに集まっているのが見える。
「それでは、地球に来て初めての望郷祭を開催いたします!」
集落の長らしき人が壇の上に立って、喋り始める。
「望郷祭?」
「昔、僕らはこの季節に月から地球を眺めながら望郷を祈ったんだ。その風習を今度は、かつて住んでいた月でやろうってことになってね。この満月の日に、と決まったんだ」
「なるほどな」
メジヂの解説に頷くディシディ。
「それでは、皆さん自由に屋台を楽しんでください!」
その言葉に、一斉にアドベンター達が動き出す。
そして、地獄の時間が始まった。
「焼きそば、三つ!」
「あと一分で焼けます!」
「あと一分お待ち下さい」
「焼きそばさらに二つ!」
「もうストックが少ないです。あと五分かかります」
「すみません、あと五分お待ちください」
「焼きそばさらに三つ!」
「もうストックがありません。十五分かかります」
「すみません、ここから先、十五分かかります、納得いただける方だけお待ちください!! ノリィ、材料は?」
「まだ十分にあります」
「材料はまだありますんで、お待ちさえ頂ければ確実に提供できます!!」
ノリィが用意した台本の通りに接客するディシディ。
それはあまりに忙しく。目がまわるほどであった。
「お待たせしました。月が十分な位置まで登りましたので、高台の上で、月を眺めましょう!」
その集落の長の言葉と共に、アドベンター達は一斉に歩き出した。
「ふぅ」
「ふぃ」
ノリィとディシディはあまりの疲労でその場で倒れ込む。
月は天球の中央あたりまで登っており、倒れ込んだ二人の目の前に綺麗に見える。
先の大戦以前の人々は、月にウサギやカニといったものを見出してきたらしい。
そのきっかけは月に穿たれたクレーターやその影がそういったものに見えてきた、という夜空の星々をつなげて星座にしたような、ある種の連想だった。
だが、今の月にウサギやカニは存在しない。
大戦の末、新たに穿たれた無数のクレーターがウサギやカニを消し去り、今ではそれに代わるものを見出せそうな模様は見当たらない。
それでも……。
「なぁ、ノリィ」
「なんですか、ディシディ」
「月が……綺麗だな」
「えぇ!?」
その言葉に、ノリィの存在しない心拍数が跳ね上がる。
(い、いや、違う。ディシディはきっと知らないだけ、落ち着け、私)
「ど、どうしたんだよ、ノリィ? ノリィからすると、綺麗じゃなかったか? それとも、何か『お父様』関係で嫌な思い出でも?」
ディシディはそんなノリィの様子に慌てたように体を起こす。
ノリィはそんな様子のディシディに思わず笑って、深呼吸して笑顔で返す。
「いいえ、そういう訳じゃないんです。ただ、『月が綺麗ですね』って、ディシディ、それは大戦以前の人がプロポーズに使った言葉ですよ」
「え、えぇ!? い、いや、お、俺、そ、そんなつもりじゃ、ご、ごめんよ」
今度は慌てるディシディを見て、ノリィが笑う番だった。
「分かってますよ、ディシディ」
ゆっくりと冷静さを取り戻したノリィが立ち上がる。
「でも、俺、ノリィとなら、結婚してもいいかもな」
が、最後に呟いたディシディの一言が再びノリィの心を掻き乱すのであった。
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