常に死亡フラグ~Desperately Harbinger~ 第2章
コロンス海軍航空隊に属する戦闘機パイロット、イーグルネストは、休暇を利用して南国、アテルト自治領で過ごしていた。
そんな中、入った裏路地で装備の整った戦闘員に追われる少女に出会い、彼女の「助けて」という言葉にイーグルネストは彼女を抱きかかえ逃亡する。
追手を振り切り、地下水道に逃げ込んだイーグルネストは少女に状況を尋ねる。少女はシャンナ、と名乗り、自分は神の力を使える事を告げた。
「えっと、信じてもらえないと思うんですけど、私、神の力を使えるんです」
その衝撃的な発言に少し固まってしまっていた。目の前にいる少女、シャンナは武装している集団に追われるような少女だから、何かはあると思っていたが、こうも信じられない内容だとは思わなかった。
神の力。全く想像できない。こんな事なら、雑談の中でジェネラル大佐がしていた神話講座をもっと真面目に聞くべきだったかもしれない。
「なるほど、とりあえず先に進もう。この水路の構造を把握するなりしないと逃げられないからね」
出した結論は、取り敢えず保留することだ。シャンナがどのような少女であれ、良い装備を持った戦闘員に追われていて、私に助けを求めたというのは変わらない。彼女を助けられるように全力を尽くす事が大事だ。
「え、っと。信じてくれていますか?」
シャンナの声から、かなり困惑した雰囲気が伝わってくる。さっき、信じてもらえないと思うと言っていた事から、どう思われるのか不安になりながら話した言葉だったのだろう。それを私は曖昧な返事で返してしまっていた。彼女が困惑するのは無理もない。
「神の力というのはわからないけど、いずれにしても銃を躊躇いなく使う人間に追われてる人を見捨てたりはしないよ。よければ詳しく聞かせて? 歩きながら話せる?」
正直、自分は信心深い方ではないので、下手に神の力について知ってるなんて嘘を付けば直ぐにバレる。信頼を得るなら、正直に話した方が得だ。
「そう、なんですね。そういえば、コロンスの方は信心が薄いって……。でもアメリキャット様が言っていたのはこの人……のはず」
アメリキャット様は分かる。風を司る神で、戦闘機乗りというか、パイロットにとって最も身近な神と言っていい。隣国であるテセス空軍では、各基地にアメリキャット様を祭る祠や祭壇があったりするし、テセス空軍のパイロットは作戦前にアメリキャット様へのお祈りを欠かさない。そんな敬虔なテセス人と違って、コロンス人というのは歴史的に商業を中心として発展してきた国家だ。周辺国の中では、最も信仰と言う考えが薄い国家と言っていい。
しかし、言っていたというのはどういう事だろうか、神の力というのは神の声を聞くことが出来る者の事で、シャンナはそう仕立て上げられた子どもという事だろうか。
となると、相手は宗教団体か? 良い装備を持った戦闘員がいて、子どもを神の声が聞こえると持ち上げて、信仰のシンボルとして使おうとしている。良い連中ではなさそうだ。
「えっと、イーグルさんは神様についてどこまでご存じですか?」
先ほどの通り、私は信心があまりないので神の事は殆ど分からない。先ほどのアメリキャット様を除けば、光の神であるコロトーくらいしか知らない。
「残念ながら、アメリキャット様とコロトー……様しか知らない。神様はそれぞれ何かを司っているんだったよね?」
コロトーに様を付けないのは、正直あまり敬意を感じないからだ。先ほどシャンナも呟いていたが、コロンスという国家は信仰に対する関心が薄く、神のエピソード等あまり知られていない。
そんな中でも、コロトー様の聞こえる所で悪い予感を口にするとその通りにする、という言い伝えは有名だ。ただのジンクスだとは思うのだが口にしたら実際に起こるというのは自分も出くわす事が多く、コロトーのせいではないかとちょっと恨んでいる。
「はい、その中でアメリキャット様は風を司っているんですが、私はその力をお借りする事が出来るんです」
力を借りられる? テセス空軍のパイロットからアメリキャット様のエピソードはいくつか聞いた事があるが、風を司る神である為、風を自在に操っていたらしい。
となると、シャンナはある程度風を操る事が出来る? ずいぶん大きく出た話だ。神の声が聞こえた少女というのは信仰のシンボルとしてまあ信じれない事はないが、風を操れるなんて事はもっと胡散臭いだろう。
「なるほど、シャンナは風を操れるんだね。どうしてシャンナは彼らから逃げているんだい?」
風を操れるなんて事は到底信じられないが、この子にそれを正しても仕方が無い。神の力の話は置いておいて、別の話を聞いていく。
「アメリキャット様の力を悪い事に使おうとしているからです。神の力はそんな事に使う力なんかじゃないんです」
神の力を使える少女として神の考えを大事に育てたが、金儲けなり、本当の目的を悟られて、その教育が仇となった形だろうか。
「そうだね。それはきっと正しい事だよ」
なんとなく状況は掴めてきた。残った問題は追ってくるであろう敵をどう振りきるかという事だ。
今のところ追われている気配は無いが、出てくるであろう出入口を固めているか、この地下水路について調査したり装備を整えている可能性もある。この真っ暗な水路で、暗視ゴーグルのようなハイテク装備を持ってこられたら圧倒的に不利だ。
せめて武器があればよいのだが、そう都合よく武器が落ちてたりはしないだろう。しかも武器と言っても棍棒とかナイフのような近接武器では困る。銃に勝てるような遠距離武器が必要だ。
いろいろと杜撰なこの国だから、水路を漁ったら犯罪組織が落とした銃を拾えたりするかもしれないが、それは望み薄だろう。
そう思いながら、水路の片隅に積まれていたゴミらしき山に目を向けると見慣れた物の一部がそこに見えていた。
嘘だろ? と思いながら山を崩さないようにそれを引っ張ると、その全体が見えてきた。
「銃ですか?」
シャンナが私が引き出した物を見ながら言う。彼女が言う通り、これは銃で、しかもコロンス海軍でも正式採用されているアサルトライフル、AR系とも言われる物に見える。
弾が入っていないか確認してから、各部をチェックするが、私が知っている知識通りの銃で、チェックの結果は特に問題は無さそうだ。
「そうだね。知っている銃だから、弾があればちょっとは戦えるかな」
そう伝えながら、銃を壁に立てかけ、この銃を引き抜いたゴミの山に目を向ける。よくみれば、この山は全部銃と弾薬だ。同じAR系のアサルトライフルや先ほどの戦闘員が使っていたのと同じAK系のアサルトライフルが積み重ねられて出来た山だ。
適当にAR系のマガジンを一つ取り、弾の状態を見てみる。錆が浮いている事は無いし、汚くは見えない。最も、この暗闇の中なので、何か見落としているかもしれない。
とりあえずぱっと見で状態の良い物を選んで、一つはアサルトライフルに装填して、それからいくつかは上着のポケットに詰める。
「何かが書いてある紙があります」
シャンナがそう言って、紙をこちらに出して来たので内容を確認する。細かい所はアテルト自治領の公用語であるダースター語は詳しくないし、やはり暗いので見えないが、アテルト警察の書類である事が分かった。リストのように見える。
もしかすると、これらは警察が押収した武器類で、保管する場所が無かったので地下水道に押し込んだという可能性がある。武器をそのように管理するとは思わないが、この国ならあり得る。そう思えるだけの経験はした。
となると、この近くに警察署なりへのルートがあるという事になるが、彼らは市街地で普通に武器を使っていた。もしかすると警察は彼らに協力的である可能性もある。
「えっと、私も銃を使った方がいい?」
考え込む私を気にしたのだろう、シャンナが私の顔を覗き込みながら銃の山から一つ銃を取り出そうとしている。
「いや、大丈夫だよ。危ないから慣れていないなら触らない方がいい」
子どもを戦わせるつもりはない。火力が多い方が良いのは事実だが、シャンナを戦わせるくらいなら私が死ぬ気で頑張った方が大分ましだ。ジェネラル大佐の所のラファルちゃんは銃を撃てるらしいので、少女が撃てない事は無いのだろうが。
「は、はい」
シャンナが銃に伸ばしていた手を直ぐに引っ込める。銃を躊躇いなく触っていたので、扱えるのかとも思ったが、そうではないらしい。
シャンナはコレスチア系の名前だが、そのコレスチアでは内戦が続いている。コレスチアからアテルトに連れてこられたのだとすれば、銃自体には慣れていても不思議ではない。
銃を手に入れたから、多少は相手と戦えるようになったが、不利は不利だ。相手の方が数が多いし、暗視ゴーグルを持ってこられたらこっちは相手が見えないのに、向こうは見ているという事態になりうる。そもそもこの銃がまっすぐ飛ぶかも怪しい。
「いざとなったら任せてくれていいよ。銃は使い慣れてる」
もちろん虚勢だ。ジェネラル大佐が休暇中に誘ってくれた実戦射撃教室に行けばよかった。ただ射撃場で動かない人型の的を撃つ訓練なんてどれほど役に立つだろうか。
「はい、信じます」
シャンナの信頼を裏切る訳にはいかない。ここには銃と弾以外の物は無さそうだ。間違いなく私より銃の扱いが上手い相手から、銃だけで逃げるのは相当難しい。逃げる為に使える物を探さないといけない。目を凝らしながら、シャンナの手を引いて、歩みを再開する。
銃で戦う事が期待できないとなると、必然的に罠を駆使して戦うしかない。幸いな事に、罠については海軍航空隊のサバイバル訓練とジェネラル大佐のトラップ講座である程度の知識がある。大佐は色々と知識を詰めようとしてきて、その中で戦闘機からの脱出後に役立ちそうなこれは真面目に聞いたが、シャンナを見つけてからの経験で、大佐の講座を与太話と決めつけ聞かなかったことの後悔が絶えない。まさか、こういう事態を想定していたわけではないと思うが。
「コードか」
壁面から飛び出た鉄筋に長いコードが巻きつけられている。所々摩耗したのか、外のビニールが破れ中の金属線が見えている。罠を作るにはこういった線は不可欠だ。拝借しようと手に取る。
すると、どこかが激しくスパークし、強い発光と火花が散り、激しい音が鳴る。コードに背中を向け、しゃがんでシャンナの盾になる様に動く。シャンナも驚いた悲鳴を上げながら、身を低くして手で頭を守っている。彼女も突発事態に慣れている。
すぐに音と発光が落ち着いた為、振り返る。
どうも電気が流れている活線だったらしい。動かした拍子にショートしたのだろう。怖い思いをさせたが、ショートによって焼き切れておりある程度の長さのコードを手に入れる事が出来た。
「本当に、どうなってるんだこの国」
ショートしない様に金属線を守るビニールが剥げているのに、活線だったというのはどうにも信じられない。本当に恐ろしい国だ。
「研究所はそんな事無かったのに……」
シャンナも驚きを漏らしている。あそこで出会ったという事は、シャンナが逃げ出した場所も〝アテルト自治領〟内という事になる。そこはこのような事にはなっていないのだろう。そういえば、一昨年か去年のなんとか科学賞は二年連続で〝アテルト自治領〟の科学者が受賞していたと記憶しているし、ジェネラル大佐が毎年熱心に解説してくれるリーフェリット工学賞の受賞者にも最近〝アテルト自治領〟所属のエンジニアがいた筈だ。
アテルトの人々が怠惰な性格なのは、それが許される環境だからだと聞く。豊富だった石油資源と、駐留ダースター軍から得られる土地収入や利益。多くの人々が働かなくとも養える巨大な富があったことが怠惰に繋がったと話していたのは誰だったか。
いずれにしても、多くの人々は与えられた富を怠惰に回すが、その中で学問等の分野で生きる為に回した者が優秀な成績を収めているのかもしれない。
そうなると、怠惰ではなく、何かをする事を選んだ人が集まっているだろう研究所は、外とはだいぶ環境が違うはずだ。
「まあ、研究所は真面目な人が多い所だからね。こんな風にはしないと思うよ」
考えたことを嚙み砕いてシャンナに伝える。しかし、彼女が自分のいたところを研究所と認識しているという事は、宗教などではなくて、敵も、シャンナも本気で神の力があると考えているのか?
「悪い事をしようとしていますが、皆さん真剣でした。優しくしてくれる人もいましたし……」
悪い事というのは、神の力は悪い事に使うものではないと言っていたから、その事だ。それは別にしても、親切にしてくれた人もいて、生活自体は嫌な物ではなかったのだろう。信念が違えど、親切にしてくれた人々の元から去るのは難しい事だ。子どものシャンナならなおさらだろう。
私が子どもの頃、信念なんてなかったように思う。それを考えると彼女はとても強い子であるように感じる。
「でも、その悪い事を許せないなら、そこから逃げ出すというのは間違ってなかったさ」
話を聞く限り、シャンナには研究所外の人間関係が無い。そんな状況で間違ったと感じる事に立ち向かうのは間違いなく困難だ。彼女の逃げるという判断は十分良い判断だ。
「……はい。ありがとうございます」
少しためらってから、はっきりと声を出す。逃げるという判断に迷いは殆ど無いのだろう。考えてもいなかったが、万が一、彼女が帰りたいと言ってこれまでの逃走の意味がなくなるのは悲しい事だ。迷いが無いという事が確認できたのは有難い。
「痛みとかは出てないかい? 少し待ったら痛む事もある」
先ほどの激しいスパークで体にやけどを負っている可能性は十分にある。私はそれなりに厚い服を着ているが、彼女はかなり薄手の服だ。焼けてしまったりする可能性も高い。
「いえ、特に変わりは無いです」
「よかった。次は慎重にするよ」
罠を作ろうとして、こちらが罠にかかったように負傷するというのは笑い話だ。そうなってしまえば終わりで、誰とも共有できない笑い話をわざわざ拾いに行く必要は無い。ここでは常識のラインをいくつか下げておいた方が良いだろう。だろう、違いないは事故の元。職場で聞く標語を思い出しながら、再び歩みを進める。線として使えるコードだけで敵に勝てるなら苦労は無い。線に連動して動く何かが無ければ足止めにもならないだろう。
定番は爆発物だが、流石にこの国でも転がっていないだろうし、転がっていたとしても、管理されていない爆発物は相当頼りにならない。ちょっと触った瞬間に爆発する場合もあるし、逆に発火装置を用意しても全く爆発しない場合もある。その為の知識が不足している私が触れば大惨事間違いなしだ。
「ここにも何かあります」
シャンナがそう言うと同時に、道端に積まれた缶詰のように見える何かが大量に積まれている様子が目に入る。まさか爆発物かと思ったが、爆発物には見えないカラフルな容器だ。安心しながらその容器を持ち上げて確認する。ネズミのシルエットの上に太い射線が入っているパッケージ。おそらく燻煙タイプの殺鼠剤だろう。積み重ねられているパッケージは殆どがビニールに包まれたままで、使用に問題が無いように見える。
「散布したことにして積み重ねていたんだろうなぁ」
この地下水道各地に設置してネズミ対策を行う為に用意した物を、使ったと記録してここに積み重ねる事が習慣化したのであろう。ぼんやりと見ても、幾つかのまとまりがある事が伺える。詳しい人なら地層を調べる様にいろいろな事が分かりそうだが、殺鼠剤の詳しい人間と言うのはいるのだろうか。大佐の知り合いにはいるだろうな、という確信はあるが、いまはどうでもいい。
人体に有害であるという表記があるように見える、これなら十分に罠として使う事が出来る。とはいっても、ここは下水も流れ込んでいるようなので、有毒ガスの対策で敵がガスマスクを持っている可能性は高い。そうなると有効な罠ではなくなるのだが、ガスマスクを装着していると相当動きにくいし、視界が制限される。入隊時の新兵訓練の時に経験したが、あれで物を探すというのは少々苦労する。殺鼠剤があるからとガスマスク着用を強要出来るというのは逃げている我々からすると助かる。とりあえず触って汚れや傷が無くツルツルしている物をいくつか選んでポケットに押し込めるだけ押し込めていく。
問題は何処に仕掛ければいいかという事だ。この地下水道の構造は全く分からない。歩いてきた所はある程度把握しているが、どこに出入口があるのかというのは全く分からない。それは相手がどこから来るか分からないという事で、罠を用意したのに相手がそこを通らず、何の意味も無いという可能性は十分にあり得る。
出入口から入ってくる風を感じられたらいいのだが、風はまったく感じない。戦闘機パイロットたるもの、風を感じられる事は必要な技能だと思っているが、流石にここまで深いと何も感じない。一応、手を伸ばしたり、指を湿らせて風を感じられないかと試しても何も感じられない。
「……えっと、風向きでしたら、少しわかります」
シャンナが恐る恐ると言った感じで言う。風の女神であるアメリキャット様の力を借りれる、と信じているという事は風に関する何かに自信があるのだろう。そうでなくても、子どもの感覚というのは馬鹿には出来ない物だ。シャンナを信じてみることにする
「それは助かるよ、幾つかの地点で聞いていくから、その度に答えてもらっても大丈夫かい?」
シャンナが頷くのを確認してから、歩みを再開し、水道管や分かれ道を見つける度にシャンナに尋ねて風向きを確認し、こちらに煙が来ないと確信できる位置には殺鼠剤を置き、コードに引っ掛かれば発火するように設置する。
「ここからは他より強い風が入ってきていますね」
そんな中、シャンナが一つの水道管に興味を示す。それは歩ける所から触れる水道管であり、確認すると、壁に汚れが無く、底面に水が流れた跡すら殆どない。太さも私でも通れる大きさで、ここから見える範囲だと角度も余裕で登れる物だ。
何か壁面に文字が見えたので、静かにして足音等が聞こえない事を確認してから、スマートフォンのライトで文字を確認する。
ダースター語だと思うが、この文字列は読んだことがある。エルリン、だったかアテルトで進められた都市開発計画だ。
天然資源の枯渇に備えて、新たな経済体制を構築するために計画された都市だが、結局間に合わず、計画が中止された都市であり、誰もいない都市なんて珍しいから一回行くとどうだと同僚に勧められたので覚えている。
そんな都市に繋がっている水道管なら、相手も把握していない可能性がある、放棄されている都市ならば、隠れる場所には困らないだろう。今のところ、一番有力な脱出口だ。
まあ、相手がどれだけ戦力を投入しても他者に見つからないという意味でもあるが、研究所が持てる戦力と言うのはそう多くないはずだ。都市を虱潰しに捜索できるような数ではないだろう。この地下水道を抜けて、広い土地に逃げられれば隠れるのは相当容易になる。
「よし、ここを上ろうか。シャンナ、登れそうかな」
シャンナに尋ねると、彼女は水道管の中に首を突っ込み、中の様子を確認して少し足を踏み入れる。
「はい、登れます」
「よし、じゃあここに入って待ってて、私は反対側に少しだけ罠を仕掛けてくる」
脱出ルートから風が入ってきているのなら、ある程度適当に置いても私に向かって殺鼠剤の煙がやってくる危険は少ない。シャンナの助言がなくとも、問題がないとの判断だった。
「もし、近くで仕掛けが作動した音がしたら、私は置いてこの水道管を登ってほしい。戦いながら直ぐに追いかけるから」
流石に心配そうな顔をしているが、シャンナは直ぐに頷いた。それを見てから、進んできた方向とは反対の方向へ進み、ゴミ等に隠して殺鼠剤を仕掛けていく。
相手を警戒させるために、ただコードを張るだけの罠も用意しておく。爆発物かもと時間を取らせればこちらは勝ちだ。
殺鼠剤もコードも使い切り、脱出地点へ戻ろうと背を向けた時、後ろから足音が聞こえてくる。おそらく二名。反響している為はっきりとは言えないが、おそらくすぐ後ろの角を曲がった先だ。
早歩きの様に聞こえたかと思えば、少し足音が止まるときもある。怪しい所は立ち止まりながら、素早く前進して探索をしているようだ。先ほど罠を仕掛ける為に進んだ空間は、罠は隠せるが、人を隠せるだけのスペースは無かった。かなり速いペースで脱出地点へ到着してしまうだろう。あの新しい水道管はかなり目を引く、登っている途中であれば見つかってしまう可能性は高そうだ。
となると、時間稼ぎをするしかない。数と銃撃戦の能力は確実に相手の方が良いが、この辺りを歩いてここの地理を少しは把握しているという優位を生かすしかない。地図を見たとしてもこの国なので差異があるはずだ。実際に見た私の方が知っている。
耳を澄ましていると、ちょっとした声とシューという殺鼠剤が噴霧された音が聞こえる。罠に引っ掛かったらしい。
様子を伺うと、来ていたのは予想通りの二人、そして、二人とも頭の何かを持ち上げて、腰から何かを取り出している。おそらく頭の物は暗視ゴーグルで、腰から取り出しているのはガスマスクだろう。
ガスマスクを付けるまでの間、一時的に暗視ゴーグルを外しているなら、その間相手はこちらを正確に捉える事は出来ないし、相手はガスマスクを付けないと殺鼠剤を吸ってしまう。その隙を狙わない手は無い。ある程度の狙いを付けて、引き金を引く。
……撃てない。そういえば初弾を送り込んでいない。慌ててチャージングハンドルを引き、再び構える。片方はガスマスクの装着を終えているようで、落ち着いた様子だが、もう一人は慌ただしく動いている。しかし、先ほどのチャージングハンドルの金属音が聞こえたのか、動きが止まり、こちらに視線を向けたように感じた。
待っている暇はない。引き金を引く。今度こそ発火し、訓練で感じたよりもまぶしい光と音が周囲に響く。瞬いた閃光で相手の様子がよく分からない。勘で撃つしかないが、何発撃てば敵が倒れるのか、なんてのは聞いた事が無い。直感で5発、つまり5回引き金を引いてから、一旦下がる。
相手がどうしているか様子を伺おうと少し顔を出した瞬間、目の前の壁が爆ぜる。直ぐに顔を引っ込めたが、そのまま多数の火線が角に向かって撃ち込まれている。
やはり相手はプロだし、暗視ゴーグルという視界の有利がある。真っ当に撃ち合うのは無理だ。
撃ち返す事はあきらめて、脱出地点を目指しつつ罠に誘導出来るよう、途中で足音を大きくして駆ける。
この地下水道の反響の中、相手が的確にこちらの足音を聞き取れるか分からないが、試す価値はあるだろう。
罠をいくつか超えた後、放置されているのであろう何かの機械の影に隠れて最寄りの罠の様子を伺う。機械の隙間から伺っている為、多少は見つかりにくい筈だ。大佐の受け売りだが、角のような直線的な遮蔽物に人間のような丸みのあるシルエットは目立ってしまうらしい。
私の足音をしっかり聞き取っていたのか、二人がまっすぐこちらへ向かってくる。だが、片方が手を挙げて、仕掛けた罠の途中で停止する。手を挙げた人影の目の当たりで何かが反射しているように見えたが、もう片方にはそれが無い。目元で反射する物と言うと、ガスマスクか暗視ゴーグルだろう。ガスマスクを装着中だった片方が私の射撃に驚いて水に落としてしまったりしたのだろうか。
暗視ゴーグルを付けていると思われる者は姿勢を低くし、罠のコードに手を伸ばしている。片方が暗視ゴーグルを持っていない為、跨ぐのではなく解除する事を選んだのだろう。これは有難い。
だが、それだけで上る時間を稼げるかは怪しい。機械の隙間に銃を突っ込み、コードに手を触れた敵を狙う。その傍らで銃を構えあちこちに向けている影もあるが、こちらに気付く様子は無い。
これなら射撃訓練と同じだ。落ち着いて引き金を引く。また、激しい閃光が暗闇に慣れた目に刺さる。やはり相手の様子が分からなくなるが、流石に狙いは合っていると信じてもう一発、さらにもう一発撃ちこむ。
隠れた機械に火花が散る。反撃の様だが、先ほどとは違って一点に集中していない。光った所に向かってとりあえず反撃しているという印象を受ける。
はっきり補足されていないのなら問題ない、隠れている機械から離れ、角を曲がって逃げる。その間も銃声は続いていた、こちらの足音は聞こえておらず、しばらくいない敵に向かって射撃を続けてくれるだろう。
だが、そんな事は無いようだ、銃声が止むと同時に悪態をつくような声。そしてこちらに向かってくる激しい足音が聞こえてくる。
待ち構えて撃ち抜くという事も考えたが、相手の方が銃の扱いは上手い。なら不意を突いた方が良いだろう。待ち構えるのではなく、こちらから打って出る。
角に向かって戻り、相手の足音が手前に来た瞬間に角に向かって手を伸ばす。
ちょうど相手の手、というより拳銃が角から姿を見せる。動体視力ならマッハの世界でも戦えるこちらが有利だ。
拳銃を掴み、相手の突っ込んでくる勢いと同じ方向に向けて引っ張る。相手は抵抗する事が出来ずに、そのまま姿勢を崩す。ここは地下水道、姿勢を崩した先は水場だ。
バシャンと大きな音を立てて相手が水面に落ちる。拳銃を手放したのか、小さな着水音も聞こえる。相手が装備の重みで沈んでくれればよかったのだが、深さが足りないようだ。
半身が水につかった状態で体制を立て直した相手はナイフを引き抜いてこちらを睨みつけている。
「貴様、何がしたい」
「それはこっちも聞きたいな。ここまでする必要のある少女に思えない」
隙を作る為の質問だろうか、こちらも聞きたい事があったのでこちらから聞き返す。
「知る必要のない事だ」
そういうと同時に、手に持っていたナイフをこちらへ投げてくる。持っている銃でそれを受け止め、相手の出方を伺う。航空機の動翼の動きから相手がどう動きたいか見極めるのは得意だ。集中できていれば人の動きも多少は読める。
ナイフで時間を稼ぎ、水中から抜け出したかったのだろうが、こちらの回復が早かったのだろう、私の立つ地面に登ろうとする相手の頭を蹴って再び水面へと叩きつける。
といっても、水面に落とし続けるだけでは相手を無力化出来ない。銃で無力化する。
そう思い銃を構えた瞬間、角からもう一人の影が現れる。確実に何発か当てたと思っていたが、まだ動けるとは。
片膝をつく姿勢を取っている、確実にこちらを撃ってくるつもりだ。体をそちらに捻りながら、何も気にせずに背中を地面へと倒れ込ませる。
閃光が目に届く。髪の毛を何かが通り抜けた感触があった。痛みは無い。弾は当たっていないと信じ、相手の方に銃口が向いていると信じて引き金を引く。
相手の物よりはるかに大きい閃光が光る。これは暗闇でまぶしく感じるのではなく、火薬の質が悪いのだろうと関係のない事を思いながら、私の背中に強い衝撃を感じた。
受け身を取らずに倒れ込むのは無謀だった、体が動かないのではないかというほどの痛みがあったが、相手がどうなっているか分からない。体を動かさなくては。人間、最後は気合だ。性能の差、実力の差、それらが等しい時に戦いを決めるのは気合の差。理不尽にも無意味にも思われる大佐からのトレーニングはこのような状況で気合で体を動かす為の物だったのかもしれない。
実際、体を動かしてみると、動く、痛みは十分に無視できるレベルだ。目の前の敵はアサルトライフルを落とし、足に付けた拳銃を抜こうとしている。抜かれればこちらの負けだ。照準器に相手の体が収まっている事を確認して引き金を引く、引く。
1発だけ弾が発射され、相手のホルスターの付近を撃ち抜く。それによって拳銃は地面へと転がり、敵も地面へ倒れ込む。
引き金をもう一度引いても弾が出ない。銃の側面を確認すると、排莢ポートから金色に光るなにかが伸びている。排莢不良だ。
直そうとチャージングハンドルに手を掛けたその時、水面から上がろうとする敵が見えた。引いて治るなら間に合うが、ポートに張り付いた薬莢が直ぐに取れない事もある。やり投げのように相手の顔面に向かって投げつけて、後は逃げる。
あの水面から這い上がってくる敵はもう銃を持っていない。ならば走って逃げれば十分に勝機はある。
相手が非情でなければ仲間のカバーもするだろう。逃げるには十分だ。まだ残っている痛みを無視するように全力で駆ける。
そのように駆ける事ばかりに集中してしまっていた。もうすぐ脱出地点と言うところで、何かに引っ掛かる。少しの抵抗で抜けた感触があり、こける事は無かったが、何かと確認するとそれはコードだ。
殺鼠剤の燻煙が始まる音を聞きながら、姿勢を立て直して走る。だが、思ったより煙の発生が早い。走っても煙に巻かれてしまいそうだ。
これは不味い、そう思ったとき、目の前から少し強い風を感じた。出てきた煙は私の後ろに下がり、殆ど煙を吸わずに済んだ。外から運よく風が流れてきたのか、助かった。
脱出地点に到着すると、シャンナが心配そうな顔で水道管から顔を出していた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ、直ぐ追いかけるから上り始めて」
シャンナが頷き、水道管の中に戻ったのを見て、ポケットに入れていたマガジンを逃げてきた方向と、その反対側の方向に投げ捨てる。
落ちているマガジンを見て、この道なりに逃げたのだと誤解させるのが狙いだが、この新しい水道管は目立つ。どこまで効果があるかは怪しい。
足音が聞こえない事を確認してから、私も水道管の中に入る。底面に水も流れておらず、苔のような滑る状況でもない。
シャンナの運動能力が少し心配だったが、登るのを苦労している様子は無い。
「疲れたら私が支えられるよ」
「ありがとうございます。これならしんどく無いです」
一応フォローできる事を伝えたが、それに対する返事も疲れた様子は無い。研究所の中にそれなりに長くいた様に感じられたが、しっかりと運動も出来ていたのだろうか。定期的な運動は健康にとって大事と聞くし、研究対象という事は健康の為に必要な分は管理していたのかもしれない。
「風、はっきりしてきましたね」
シャンナに言われて風を感じてみると、確かに先ほどとは違ってはっきりと風を感じる。
シャンナ越しに先の様子を伺うと、途中で水平になるように曲がっているらしく、天井が見える。そこで地上に出ているのだろうか。
後ろからの敵を警戒しないといけないし、落ちるかもしれないシャンナを支える為に後ろと言う立ち位置は間違っていなかったと思うが、先の様子を伺えないというのはやはり不安だ。
とはいっても、この狭さでは前後の入れ替わりは出来ない。どちらにしても、待ち伏せされていたらあきらめざるを得ないだろう、このままシャンナを先頭に進んでいくしかない。
「あ、外です」
シャンナの声が聞こえると同時に、私の目にもまぶしい光が差し込んでくる。角度が変わって直ぐに外に繋がっていたらしい。
水道管から出て、辺りを見回す。ここは雨の時に水が流れ込む排水路のようだ。目の前にコンクリートの土手があり、その上からは骨組みが組まれた高層ビルや建築に使われる大型クレーンが多数見える。まるで建築中の光景のようだが、動きも無ければ音も無い。ただ風が吹き抜けてコンクリートに溜まった砂埃を移動させているだけだ。
とりあえず敵はいなさそうだ。見える作りかけの街に向かい、これからの事を考えないといけない。
その旨をシャンナに伝えようとしたとき、ポケットが唐突に振動を始める。スマートフォンの着信を知らせるバイブレーションのパターンだ。
しまった、相手に警察との結びつきがあるなら、逆探知される可能性は十分にあった。電源を落とすか、機内モードに切り替える必要はあっただろう。
後悔しても仕方ない。今切れば多少はマシな筈だと、念のために発信者を確認して電源ボタンを長押ししながら画面を見る。
そこにははっきりとジェネラル大佐。と表示されており、咄嗟に電源ボタンから手を放す。
「電話、出ても大丈夫ですよ? いや、ダメなのかな……」
シャンナは多分癖として電話に出ていいと言ってしまったのだろう。気遣いの出来るいい子だ。
大佐ならば、この状況をどうにか出来るかもしれない。出来ないにしても、コロンス海軍へ駆ける迷惑を最小限にする事はしてくれるだろう。電話に出るリスクよりも、得られるメリットの方が大きい、そう判断して、画面を操作してその着信を取る。
「エルリン市街に逃げたか、いい判断だと思うぞ。こっちで拾ってる情報だと、リガール・ブラックの連中はその都市まで注意を向けてない。暫くは話せそうだな」
こっちが用件を説明する前に、大佐からこっちが求めている情報がやってきた。どういうことだ?
「スマホを消してないのはマイナスだが、こうやって最速で連絡を取る事が出来たからな、判断というのは難しいなぁ」
確かに言う通りだが。
「よし、とりあえず歩きながら話そう。周辺を警戒しながら指揮官からの指示を聞く。いつもしている事だろう? そのまま排水路を通っていけば目立たず移動できる」
なぜ知っているのか、という質問をする前にどんどん話が進む。まあ、知っているなら話が早い。謎よりも早くシャンナを安全な所に連れていくことが大事だ。
謎を抱えながらも、シャンナに電話の相手が敵ではない事を伝え、私について来るように言う。
そもそもここに来たのもやはり大佐の陰謀なのでは無いかと思いながら、破棄された市街に向けて歩みを進めた。
第2章 END
第3章へ!a>
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Angel Dust
どうやら本作には「神」というキーワードが出てくるようです。
というわけで、神というものについて触れる事の多い作品を紹介します。
ルシフェルと呼ばれる白い巨人の襲撃により崩壊しつつある文明を守るため、神の力を封じた超高度先史文明の遺産である鋼鉄の巨人を駆って戦うスーパーロボットもの。
そして、これ以外にもこの作品と繋がりを持つ作品はあります。
是非あなたの手で、AWsの世界を旅してみてください。
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