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塹壕の少女 第1章

 
 

「魔女め、砂漠の果てまで来れば追っ手はないと思ったのか? 見積りの甘いことだ」
 魔女狩り――科学統一政府により結成された秘密警察である。科学統一政府はあらゆる事象を科学の力により解決してきた。科学による世界平和をもたらすことを宣言し、彼らは「魔女法」を制定。それに基づき「魔女」と呼ばれる者たちを取り締まっている。
 その象徴とも言える二叉の槍を携え、魔女狩りはガスマスクの少女と相対する。
 わかりやすい挑発の言葉。ガスマスクに覆われているため、少女の表情はちっとも窺えない。
 が、小さく、
「どうかな」
 と聞こえた。
 途端、ゴゴゴゴ、と大きな地鳴り。地面の形が変わり、溝が生まれる。
「く、『魔法』かっ……!」
 ただの溝ではない。溝が連なり、繋がって、それはそこそこの規模の塹壕となる。
 魔女狩り共々、塹壕に落ちていきながら、少女は銃での牽制射撃を忘れない。殺せはしないだろうが、念のため。
 溝の底に落ち、足にかかる負荷をうまく逃がしながら、少女は着地。着地するなり、できたばかりの塹壕を熟知しているかのような淀みない足取りで、駆ける。
 事実、彼女は塹壕の全体について誰よりも把握している。何故なら、彼女が魔法で築いた塹壕だからだ。
 入り組んだ塹壕の構造を理解しているアドバンテージ。それを活かし、彼女は追っ手から逃げる。
 もちろん、逃げるだけが目的ではない。同じ塹壕の中に敵がいる。その位置を把握することにまで彼女の魔法は及ばない。
 ただ、会敵までの時間は稼げる。
 反撃の意思を示すのだ。

 

   ◆◆◆

 

 瑠璃色の星月夜、穏やかに佇むアクロポリス。
 そこは魔女たちの楽園「キュレネ」。リーダーである魔女アビゲイルの統括の下、数多の魔女たちが与えられた安息を享受している。
 もしくは、甘受しているのかもしれない。
 西暦二〇三三年。科学統一政府の下、世界のあらゆる災厄が科学によって悉く解決され、文字通りの「平穏」が人々に等しく降り注ごうとしている。そんな世界。
 そこから唯一爪弾きにされてしまったように「魔女狩り」に追い回される存在「魔女」がいた。
 科学統一政府により研鑽され続けている科学技術は人智の及ばぬ不可思議として解決不能とされ続けてきた「神秘」までをも克服した。未知であるからこそ漠然とした不安と脅威であった神秘を世界から取り除くことこそが恒久平和に繋がるというのが統一政府の考えである。
 そのため、「魔法」という神秘を扱う「魔女」という世界最後の新たな神秘を人々の平穏のために討ち滅ぼそうとしている。それが魔女狩りが魔女を追う所以。
 魔法とは魔女個々の「属性」に基づき発動する神秘である。どのような属性を持つかは魔女により異なるが、属性に基づいていれば、発動する魔女自身の発想次第で文字通り魔法のような事象を引き起こせるのだ。
 例えば、何もない真っ白な皿の上においしそうな食べ物を出現させたりだとか。
 食べ物の魔女「ニコラス」の魔法がまさしくそれであった。
(テリヤキバーガー、とってもおいしそうに食べてくれてたな。うれしいな)
 ニコラス、という魔女としての名前から「ニコ」と親しまれる彼女は、少し長めのボブカットを揺らしつつ、食事を提供した相手に思いを馳せていた。
 「キュレネ」には現在、客人が来ている。ニコはその詳細を聞いてはいないけれど、愛らしい三人の魔女であった。朝食を摂りに来たので、三人の顔は知っている。
 一人はおとぎ話から出てきたみたいに長い金髪と綺麗な青い目の女の子。イタリアの朝食を頼んでいた。それからホットチョコレートを飲んでいた子。なんとなく親近感の湧くような子だった。髪の色が同じだからかもしれない。
 それから、今考えていたテリヤキバーガーの子。とても理知的で大人しそうな雰囲気をしているが、テリヤキバーガーを頼んだときと、目の前にしたときのそれは年相応かそれより幼く感じられるかもしれない無邪気さだった。同い年だとわかっているのに、ニコは思わず微笑ましくなったほどだ。
『「キュレネ」はみんなこうして魔法を活用して生活しているのね』
 その言葉も無垢で、純粋な感心から放たれたものなのだろう。それはわかっているのだが、あのとき、うまく微笑みを保てていた自信がない。
 魔女という呼称に性別による区別はなく、男性の魔女も存在する。が、年齢は一律して同じだった。二〇三二年時点で十六歳の少年少女。年が変わったから、彼ら彼女らはこれから十七歳になっていくことだろう。
 みんな同い年だから、気楽にしていいわよ、というのはアビゲイルにも言われたことだが、本当に徹底して、魔女はみんな同い年なのだなぁ、と思う。気楽ではあるが、奇妙な感じだ。
 それでも、みんな外に出れば魔女として魔女狩りに追われ、居場所がない。あの三人の魔女だって、きっとそうだから「キュレネ」にやってきた。みんな同い年で、魔法が使える。空間の魔女によって隔離され、魔女狩りたちのやって来ない「キュレネ」は、魔女たちに平等に楽園であるはずだ。
 そのはずなのに、ニコが胸中に蟠りを感じるのは……「みんな」が魔法を活用できているわけではないからだろう。
 「キュレネ」の街は空間の魔女「エウクレイデス」の魔法で守られている。外と「キュレネ」は空間が魔法で仕切られているのだ。故に外部から魔女狩りが入ってくることはない。
 そんな魔法で成り立っている空間の中で、他の魔女は基本的に魔法を使ってはいけない。一部の「一等魔女」と区分される魔女はその限りではないが、使う場面と用途は限定されている。ニコは一等魔女に該当する。そんな彼女も魔法を使えるのは指定の食堂で食事を提供するときのみだ。
 自由はある。自由のために制限が設けられるのは、矛盾した話のように思えるが、理屈はわかる。平穏を保つために必要なことだ。十六歳。わからないからとルールに歯向かって他の子たちを困らせるほど子どもでもない。
 それでもほんの少し、不平等と不自由を感じてしまう。他者に「魔法を活用しているなんて素敵」と言われたなら、尚更。
 テリヤキバーガーはあの子の大好物なのだろう。あんなに目をきらきらさせていたのだ。自分だって、大好物を前にしたらそうなる。ただそれが眩しくて、日陰の色が濃くなって、そこに避けたものの存在を思い出してしまったのだ。
 好きなように、好きなくらい、魔法を使ってみたい。好きなものをたくさん、色々食べたいし、食べてもらうのなら、色々食べてみてほしいのだ。注文されたものをぽんと出して喜ばれるのは嬉しい。けれど、なんだろう。それだけでは何かが足りない気がするのだ。
 不満というと大袈裟に聞こえるけれど。
 魔女狩りに追われるようになるから、多くの魔女にとって、魔法を使えることは苦しいことだ。ニコは魔法が使えるようになって、苦しみが和らいだタイプだ。珍しいのかもしれない。
 だからこそ何か不自由を感じる。そのことが少し不安だ。
 何も不満なんてない。安全の保証された生活。不便のない街。健やかに、穏やかに過ごせているはずだ。その上、魔法を使って感謝されることもある。この現状に何の不満を抱くというのか。
 ニコの中でぐるぐるぐるぐると禅問答のようなものが繰り返される。答えがなさそうな疑問なのだけれど、悩ましい。簡単にスルーできないのは、十六歳で、思春期だからだろうか。
 そんなので、済ませていいのだろうか。
 そう悩みながら、街の端っこを歩いていた。少し、街の中心の方が騒がしいな、という気がしたけれど、食べ物に関すること以外、ニコにできることはない。
 大丈夫だ。荒事は「キュレネ」を守る「魔女隊」たちがなんとかしてくれるはず。私は持ち場に戻ればいい。戻れば……
 ……いいのかな。
 疑問を抱いたままで、いいのかな。
 こんなもやもやした心を抱えた状態で、人においしい食べ物を提供するの? おいしい食べ物を提供「できる」よ。私の魔法は食べたことのある食べ物を再現する。当然、美味しくないものを出そうなんて思わない。だから、みんなは変わらず「美味しい」と喜んでくれるだろう。
 けれど、それで私の心はきっと晴れない。
 晴れるとしたら、たくさん自分の好きなときに好きな食べ物を出すくらい。でも、そんな好き放題は「キュレネ」では許されていない。
 でも、外には魔女狩りがいて、外でも自由に魔法は使えない。何も悪いことをしていないのに、処刑されたいわけがない。
 ――ニコの知る世界は、良くも悪くも狭かった。彼女は魔法が使えることを救いとするような経験を抱えるが、今街を騒がせている魔女のように「魔女は魔法を自由に使えて然るべきだ」という考えには至らなかった。
 現状において、それは幸運なことだったかもしれない。
 けれど、それでも、襲い来る運命からは逃れられない。
 ゴゴゴゴ、と物々しい音を立てて、地面が揺れたのだ。地震なんて珍しい。ニコは驚いたが、それは地震なんかではなかった。
 ぐにゃん、と視界が歪んだ気がする。空間ごと何かの力で無理矢理ひしゃげられたような感覚。
「え」
 「キュレネ」は空間の魔法によって守られている。
 それを歪ませることができるとしたら――

 

 思い至る前に、地面が消えた。

 

 ずさっ。
「~~~っ」
 どこかに落下した。着地とは言い難かったので、落下にちがいないだろう。
 だが、大した高低差ではなさそう……と言いたかったが、地表はニコの背より少し高い位置にある。階段にすると、七、八段くらいだろうか。二階から飛び降りるほどではないが、準備なしに落ちるには結構な高さである。
「側溝? そんなもの「キュレネ」には……あったとしても、こんなに深くないと思うな……」
 人が立って歩いて行動できるほどの溝。しかも迷路のように入り組んで続いている。
 とにかく、戻らなきゃ。
 今度は迷わずに走り出したニコだが、その足はすぐに止まることとなる。
「動くな。撃つぞ」
 ガスマスクをした少女が、目の前で銃を構えていたから。

 

 To be continued…

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