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塹壕の少女 第2章

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

「キュレネ」の街を歩きながら物思いに耽る食べ物の魔女・ニコ。不意に彼女の歩く地面が変容し、ニコは塹壕へと迷い込んだ。

 
 

 目の前に佇む銃口は、やけにひんやりとした印象を抱かせる。
 銃を向けている少女の表情はガスマスクをしており、窺えない。声は冷たい夜のように澄んでおり、鋭利な印象で、敵意を抱いているのがわかった。
 たった今、初めて会ったばかりなのに。そう思って、ニコの心がちくりと痛む。背はすらりと高く見えるが、おそらく同い年くらい。どうして初対面の同い年くらいの女の子に、銃を向けられなきゃいけないんだろう。
 鋭い敵意は凶器を伴っているのならもはや殺意だ。どうして。胸がもやもやとする。淀んで、痛んで。少し、今キュレネに滞在している三人の魔女がよぎった。……普通なら私たち、なかよしの友達になれるかもしれないのに。
「魔女狩りにしては妙な風体だが、お前、どこから来た?」
「魔女狩りっ?」
「質問に答えろ」
 少女の放った思いがけない単語に頓狂な声が出る。少女の銃が構え直されて、相応の緊張感が巡るが、それよりも、ニコは確認しなければならなかった。
「魔女狩りに追われてるの? もしかして、あなたも魔女なの?」
「質問しているのはこちらだ」
「っ」
 言いながら距離を詰めてくる少女。ほぼゼロ距離の拳銃が下ろされることはない。ニコは息を詰めた。
「わ、わたしは、『キュレネ』から来たの」
「キュレネ?」
 訝しげな声に、魔女の街、魔女の組織であることを説明しようとするが、ふと止まる。魔女狩りがいるのなら、それは安易に明かしていいのだろうか。
 でも、この警戒心が強そうな子を説得するには、身分とかを明らかにしておいた方がいいよね。何の魔女かは知らないけれど、魔女狩りに追われているからには、魔女なのだろうし……。
 何より、銃を下ろしてもらわないと、落ち着いて話もできない、と考え、しっかり少女と目を合わせようとした。ガスマスクで少女の目なんて見えないけれど。
 しかし、その背後の角から、何者かが飛び出してくる。おそらく魔女狩りだろう。話の流れと直感でそう察知した。
 人の悪意を恐れたことがあったから、敵意や害意には少し敏感だったのだ。「キュレネ」で過ごすうちに和らいだと思っていた感覚は、少女に向けられた敵意で呼び覚まされており、ニコを咄嗟に突き動かした。
 手の届く距離。言葉より先に手を取って、引き寄せて。言葉はなかったけれど、少女に動揺が走ったのがわかった。それでも引き金は弾かずにいてくれた。ニコの「手を取る」という行為が体術でもなんでもないことが少女の警戒を微かに緩めたのかもしれない。
 同時に相手の行動原理を考える。心理的なものではない『何故』。拳銃に怯えていた女の子が発砲を恐れず腕を引いた外的要因、あるとすれば、後ろ!!
 ニコに腕を引かれたことで大きく態勢を崩しながらも少女はニコの腕を掴み返して小脇に抱える要領でニコを伴い、疾走。ほとんど倒れるように少し先の曲がり角に入ると、先程まで駆けていたところを何かが通りすぎる。投擲されたのだろう。爆発物ではないようだが、少女は警戒を強めながらニコを別の通路へ押し込むようにして距離を取らせる。
 ニコを避難させ、自分は元の通路へ戻り、何かを投擲して戻ってきた。シュー、と音がして、やがて投げた先の通路から煙のようなものが漂ってきた。
「手榴弾? じゃないよね?」
「煙幕だ。ひとまず距離を取る。来い」
「う、うん」
 さっきまで私のこと、殺そうとしてなかった? と思いつつ、少女の有無を言わせぬ様子に逆らうこともできない。ニコは少女に導かれるままに、入り組んだ中を進んでいく。
 側溝と思っていたが、少し深く掘られている。それに異様に構造が複雑な気がした。先導する少女は迷いなく進んでいるが、一人だったら確実に迷う。魔女狩りが魔女を追い詰めるために作った罠、なんてことを考えたが、それにしてはおかしい。そもそも、こんな迷宮を作らなくとも、魔女狩りは魔女を捕まえている。神秘を廃するために科学を推進する者たちが、異端者を捕まえるためだけに迷宮を作るのは非効率すぎるだろう。
 だとしたら、今考えられる可能性は一つ。
「ねえ、あなた魔女なんだよね? もしかして、ここ、あなたが魔法で作ったの?」
「そんなこと聞いてどうする?」
 つっけんどんである。が、ニコは淀まず、伝えたいことを口にした。
「わたし、ニコラス。食べ物の魔女ニコラスっていうの」
「!?」
 足を止めこそしなかったが、少女が驚いたのはありありと伝わってきた。
「わたしも魔女だから、その、仲間だと思って……あなたは何の魔女なの? この場所とあなたの魔法、関係あったりする?」
「……」
 ガスマスクの向こう、少女の表情が窺えることはなかったが、少しの閉口ののち、向けられたのは真剣な眼差しであったような気がする。
「塹壕だ」
「え?」
「ここは塹壕。私が作った。私は『塹壕の魔女』だ」
 塹壕の魔女、とニコは口の中で繰り返す。聞いたこともない属性だ。いや、魔女の属性が同じという例も珍しいが。
「塹壕ってたしか、戦争とかで使われてたやつだよね?」
「そうだ」
「塹壕を作り出す魔法? みたいな感じ?」
「ああ」
 迷宮とかじゃなくて、塹壕なんだ、わざわざ、とニコは思った。「迷宮の魔女」ならなかなか神秘っぽい響きであるが「塹壕の魔女」は別種の異様さを湛えている。
 科学統一政府が成ったこの世界では「戦争」は過去の出来事である。故にニコはあまりその方面に詳しくないが、塹壕というのは防戦において非常に有用とされたことくらいは知っている。
 戦争がなくとも、銃器などの愛好家は存在するし、ミリタリーオタクと呼ばれる部類の人間は死滅したわけではない。「キュレネ」の二大戦士とされるうち、「射撃の魔女」ウィリアムはミリオタだと聞く。その嗜好が高じて魔法の行使に役立っていることもあるだろう。
 嗜好が魔法に役立つという点では、ニコの「食べ物の魔法」は顕著である。だから、趣味を大切にするのは良いことだと思う。思うが、塹壕と言われると、こう、かなりの偏りを感じてしまう。
「敵を攪乱するのにちょうどいい。私自身は構造を理解しているからな」
「あ、それはいいね」
「とはいえ、魔法の発動に巻き込まれた人間の数や位置までは把握できない。お前を巻き込んだのは想定外だった」
 そういうものなんだ、とニコはただ頷くしかない。他者の存在を感知できないというなら、先程死角から襲ってきた魔女狩りに気づいていなかったことにも頷ける。
「『キュレネ』というのはここから近いのか?」
「近いかって言われても……わたし、現在地がどこかいまいちよくわかってないし、『キュレネ』は『空間の魔法』で作られた中にあるし」
「他にも魔女が? お前の仲間か?」
「う、うん。『キュレネ』は魔女のための街だよ」
 もしかして、この子はずっと一人で旅をしていたんだろうか、とニコは考えた。「キュレネ」に来ない? と誘ってみたら……と脳裏によぎったが、胸中にもやもやとしたものが立ち込める。
 塹壕を作る魔法。「キュレネ」の中では絶対に必要とされない魔法だ。「キュレネ」に招けば、目の前の彼女は魔女狩りから逃避する必要はなくなる。けれど、魔法を使うことを許されないだろうことを思えば、いつか彼女は「二等魔女」を名乗ることになるだろう。
 「キュレネ」に「二等魔女」などという言葉は存在しない。特定の場所で魔法の行使を許されている「一等魔女」というのが存在する。ニコのような生活に必要な魔法を持つ魔女だ。一等魔女に該当しない魔女は魔法を使うことを許されておらず、魔法が使えないことに卑屈になって、「二等魔女」と名乗る。そういう文化が「キュレネ」にはあるのだ。
 なんとなく、ニコの中でこれがずっと引っかかっている。ニコは「一等魔女」である。政庁の食堂の中のみと限定はされているが、好きなように魔法を使って、食べ物を人に提供する。許されているからこそ、そうでない人たちの言葉や態度はささくれのような存在感でニコの胸中に陣取るのだ。
 初対面で銃を向けてくるし、愛想もよくないし、そういえばまだ名乗り返してすらもらっていないが、塹壕の魔女を名乗った少女が卑屈になっていく様子は見たくない気がした。
 そうして逡巡しているうちに、少女が一人呟く。
「魔女の街があるから、魔女狩りも執拗なのかもな。お前の様子と話からするに、一種の安全地帯なのだろう。逃げ込まれたら厄介なんだろうな。なるほど」
 納得した様子で頷き、それなら早くにここを離れるべきだな、と続けた。
「とはいえ、このまま魔法を解いても砂漠の中だし、装備の整っていないお前を放り出すのもよくないな。魔女狩りも撒けたわけではないし」
「じゃあ、どうするの?」
「塹壕といえば持久戦だが、お前次第だな。魔女仲間がいるのなら、迎えを呼べるか? 現在地はこのあたりだ」
 少女が紙の地図を取り出し、指差しで示す。「キュレネ」からもそう遠くはないはずの場所だ。迎えは……マジックフォンで呼べるだろうか。少し不安である。
 ただ、食堂にニコがいないことはすぐにわかるはずだ。異変に気づいてもらえる可能性は高い。「一等魔女」だからこそ、というのがどうにも皮肉めいて感じられるが。
「わたしがいないことには誰かがすぐ気づくと思う。食堂を任されてるんだ」
「食べ物の魔女と言っていたな。へえ、食堂を経営しているのか」
「経営なんて大したことじゃないよ。『キュレネ』のリーダーに頼まれたことだし。……」
 魔法を活かすことができて、うれしい。……思わず出そうになった言葉を飲み込む。心からそうとは言えなかった。
 食堂を任されているのは誇らしいけれど、あの街では誰もがそんな誇らしさを持てるわけではない。そして自分が食べ物の魔女としてあそこにいられるのは、自分の能力を見出だしてくれたアビゲイルのおかげだ。
 素直に「魔法を活かすことができてうれしい」と言えるなら、テリヤキバーガーの女の子の関心に、微妙な顔なんてしないのだ。けれど、この喉に引っかかった小骨の正体をニコは言語化できない。
 しない方がきっと、今のままでいられる。それでいい、それがいいはずなのだ。
「大任じゃないか」
 そんなニコの懊悩などつゆほども感じ取っていないのか、少女の反応は極めて淡白なものであった。
 返事はあるので話は聞いているのだろうが、関心は薄そうである。リアクションを期待したわけではない。それでもあまりに塩味のする対応に少し「えぇ」と思った。
 淡々としたままの所作で、少女はポケットから出したチョコレーションをニコに渡す。
「口に合うかわからないが、生憎と手持ちがこれくらいしかなくてな。銃を向けてしまった詫びと魔女狩りの存在を教えてくれた感謝だ。一応、私の知る中では一番美味しいと思っている」
「ありがとう」
 言い訳のように並べられた言葉と共に渡されるチョコレーション。受け取って、ニコは納得した。たぶん、不器用なのだ、この少女。
 ニコが巻き込まれたことを想定外だと言っていたし、砂漠の真ん中とはいかないだろうけれど、常より塹壕に人を巻き込まないように人気のないところで魔法を使うようにしているのだろう。そのため、人と話すことが少なくて、コミュニケーションの加減がわからずに困っている、のかもしれない。
 戸惑いながらも、食糧を分けてくれた。彼女なりの誠実さだ。そう思うことにする。そうしたらなんだか、親しみさえ湧いてきた。
 チョコの包みを開け、一口食べる。チョコレートのレーションはあんまりおいしくないことで有名だが、少女からの気持ちを蔑ろにしたくない。何より、食べ物は大切なものだ。あらゆる意味で。
 だが、チョコを咀嚼すると、ニコはぴしりと硬直した。

 

 To be continued…

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