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花冠の約束 第1話「天ぷらに散る」

 
 

 カーン、と乾いた音と共に、雲ひとつない青空を白が舞った。
 片方からは勝利を確信した歓声が、もう片側からは落胆の声が上がり、少年たちの戦場を埋め尽くす。
 スタンドで両手を握りしめて祈っていた、チーム顔馴染の少女も、これにはため息をつかざるを得なかった。
 少女の右手首に付けられたミサンガも、なんとなく色褪せて見える。
「うっわー、天ぷら」
 青空に舞い上がった白――硬球に、宮崎みやざき 臣人おみとはため息まじりに呟いた。
 夏の訪れと共に開催される全国高等学校野球選手権地方大会、その決勝戦。
 勝てば全国高等学校野球選手権大会――いわゆる「夏の甲子園」に出場できるという高校球児の大一番、その9回裏でそれは起こった。
 スコアは4対3でこちらが負けているが、全ての塁に走者は立っている。ツーアウトという絶体絶命の状況とはいえ、打者が出塁すれば逆転も可能。ホームランを打てば英雄扱い必至のこの状況で、バッターボックスに立っている打者相方は相当なプレッシャーだろう。
 そう思うとベンチで応援している臣人の手も固く握られ、じっとりと汗ばんでいた。
 小学生の草野球チームからバッテリーを組んでいる相方こと田宮たみや 秀明ひであきは投手として強靭な肩を持ち、無回転球ナックルボールのような投げ方でカーブを描く変化球、ナックルカーブを得意としていることでチームから重宝されていた。それだけでなく、打てば「飛ぶ」ことで有望視されているという、まさにチームの守り神という立ち位置ではあったが、チームメイトは分かっていた。
 秀明は打てば「飛ぶ」のだ。
 それはもう、天高く。
 天高く飛び上がったボールはぐんぐんと飛距離を伸ばす――ことはできなかった。
 飛距離が伸びればホームラン確実な打球だったが、角度が悪い。
 打ち上げられた球はフェンスを越えることなく落下軌道に入り、外野手のミットにすとん、と収まった。
「あぁ〜……」
 脱力したように声を上げ、臣人はじめチームの面々がベンチに沈み込む。
 その視線の先で、とりあえず一塁に向かって走っていた秀明の足の回転がゆっくり、小さくなっていく。
 判定はフライ、それによってスリーアウト、ゲームセット。
 ツーアウト満塁という局面での逆転サヨナラホームランは無理だったかー、とベンチの選手たちがため息をつく。
「……ごめん」
 とぼとぼと戻ってきた秀明が全員に向かってぽつり、と謝罪した。
「しゃーねーよ、『天ぷらの秀明』に全ベットした監督が悪い」
「あぁ? 打順で田宮が回ってきただけだろーが」
 励ます臣人、なんだと、とばかりに臣人のこめかみに拳を当ててぐりぐりとする監督。
 昔であれば一発逆転の可能性が見える場でミスをした選手は白い目で見られ、下手をすれば袋叩きにも遭いかねない状況ではあった。しかし暴力に訴えての折檻で選手が成長するはずもないと言われるようになった今の時代、その場に漂うのは諦めの空気のみ。
 そもそもチームとしては甲子園常連の強豪校でもなく、様々な幸運が重なって地方大会の決勝戦まで来れただけなので十分金星を挙げた、という認識が選手にも監督にもあった。
「ま、実際甲子園に行くとなると遠征費用とかバカにならないからな! 安上がりに夢を見れたってことで!」
 がはは、と監督が豪快に笑う。
 もしかしたら初の甲子園出場、という期待が打ち砕かれたことに落胆する選手たちだったが、監督が豪快に笑い飛ばしたことで「そういうものか」という考えに変わり始めていった。
「お前らお疲れさん! 田宮もあのプレッシャーでよく打ったな! まぁ結果としてはフライでも攻めに行ったのは偉いぞ!」
「! ありがとうございます!」
 監督に励まされ、秀明が帽子キャップを脱いで頭を下げる。
 高校二年生の初夏、球児の夏は始まる前に終わりを告げた。
 ――同時に、新たな夏が始まろうとしていた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「監督はあんなこと言ったけどさー!」
 地元の球場での試合だったため、現地解散となった秀明と臣人は堤防に作られた道を歩いて家路についていた。
「いや俺だって甲子園夢の舞台に立ちたかったぞ? まぁうちみたいな弱小が地方大会の決勝まで行けたのが奇跡だけどさー」
「……ごめん」
 言葉の内容とは裏腹に晴れやかな顔をしている臣人の隣を歩く秀明がうなだれたまま呟く。
「あの時、打順が俺じゃなかったら……」
 脳裏を、打ち上げてしまった打球の軌跡が何度でも蘇る。
 決まれば逆転の一打となったあの場面は、何度思い返しても「何故あの時」となってしまう。
 相手チームの投手ピッチャーが投げたボールは打ち返すには絶好のポジションに飛び込んできた。的確に打てばホームラン間違いなしのストレート、これなら、と秀明は全力でバットを振りぬいた。
 しかし、打てば逆転というプレッシャーが秀明の手元を狂わせたのか。
 振りぬかれたバットとボールのインパクトはわずかにバットが下すぎた、という状態だった。
 ボールの下から掬い上げられるように打たれた球は天高く飛び上がり、その角度ゆえに飛距離を伸ばすことができず外野手の守備範囲に落ちてしまった。
 これがあと少し、ほんの数ミリ上を打っていたらホームランになったのだろうか、と考え、秀明はいいや、とその思考を否定した。
 自分の二つ名は自分がよく知っている。
 「天ぷらの秀明」、ホームランもよく打つが、それ以上にフライの多い秀明を誰かが茶化して以来、その愛称が定着してしまった。
 上空に打ち上げられたボールを「フライ」と呼ぶことから日本国内では「天ぷら」と呼ぶファンも多い。フライボールを「カラッと揚がったなー」などと揶揄する人間もいる。
 「天ぷらの秀明」も必ずしも罵倒のための称号ではなく、周囲は親しみを込めて呼んでいたが、当事者である秀明からすれば汚名以外の何物でもなく、ここぞという時に力んで打ち上げてしまう自分の癖に辟易しているところであった。
 今回の決勝戦はその汚名を返上するまたとないチャンスだった。ここでホームランを打てば誰もが自分を見直すだろう、と、思ったのに。
「しゃーねーしゃーね! 『天ぷらの秀明』の名は伊達じゃないってこった」
「俺は返上したかったんだよ!」
 悔し紛れに秀明が返す。あの時、ベンチから送り出してくれた監督は「お前の好きなように打てばいい」と言っていた。確かに送りバントでしのげる状況でもなく、逆転するにはヒットを出して同点に持ち込み、後続の打者に全てを託すか秀明自身が二塁打以上を打つしかなかった。
 そこで飛んできた一球目が申し分のないストレート、ここで打たなければチャンスは二度と来ない。
 そう思い、思い切って打てばこの様だ。
 今回の試合、戦犯は確実に自分だ、という自覚が秀明にはあった。
 周囲は秀明を責めるどころか「あの状況ではあれでもよくやった方だ」と励ましてくれたが、むしろ罵倒してくれた方がどれだけ楽だったか、とさえ思ってしまう。
 その点、臣人は二人きりの場とはいえ正直な気持ちを口にしてくれたから少しだけ救われた。他のメンバーも口では仕方ないと言っているものの、心の中では殴り倒したいくらい恨んでいるはず。自分が他のメンバーの立場でもそれは同じだろう。ただ、暴力沙汰を起こせば一発廃部も有り得る状態で秀明以上の戦犯にはなりたくないだけだ。
「もー、何グダグダ言ってんの!」
 不意に、二人の少し先で少女の声が響いた。
 球場からの帰り道、それは秀明と臣人の二人だけではなかった。
 今まで話題には入っていなかったが、もう一人、二人の少し先を歩く少女がいる。
「すまんすまん! 秀明があまりにもなよってるからさー!」
 臣人が少女に向かって手を振る。
咲希さき、別に先に帰っててもよかったのに」
「えー、やっぱりここは『天ぷらの秀明』から今の心境をインタビューしたいし」
 咲希と呼ばれた少女――早河はやかわ 咲希さきが足を止めて二人が追い付くのを待つ。
「で、秀明、今の気分は?」
「最悪」
 軽やかな咲希の声に対し、秀明の声はずしりと重い。
「あちゃー、これは重症ですね、臣人監督」
「まあ、しゃーねーよ。時代が時代なら戦犯でリンチに遭っても文句言えねえことやらかしたもんな」
 苦笑しながら、臣人は秀明の背を叩いた。
「もう済んだことをいつまでも考えんな! 俺たちは来年があるだろ!」
「でも、先輩は今年がラストチャンスだった」
「んなもん、俺とお前がほぼ決勝まで持ってったようなもんだろ、後輩頼りでしか勝てないような先輩なんて知るか」
 秀明と臣人の二人がチームを決勝戦まで導けたと言い切るには語弊がある。野球はチーム戦なのでチームメイト一人ひとりの力が合わさった結果であるのは明白である。
 だが、臣人が敢えてそう言い切ったのは自分たちのバッテリーは息の合った最高のものであるという自負があったからだ。
「そーそー、秀明と臣人なら来年こそ甲子園に行けるって」
 わたし、ずっと見てたんだから、と咲希が続けると、秀明はほんの少しだけ元気を取り戻したようだった。
「来年、かぁ……」
 今年はたまたま決勝まで行けただけだと思うんだけどなあ、と呟きつつも秀明は来年も、と考え始めていた。
 偶然だったかもしれない。だが、チームの実力も上がっていたかもしれない。
 それなら一年頑張って来年こそ本気で甲子園を目指せば叶うかもしれない。
 今年は運良く勝ち進めたからこそ盛り上がっていったが、初めから盛り上がった状態でいれば。
 知らず、秀明の拳が固く握られる。
 来年こそ、そう思っていたところに、咲希の声が響いた。
「二人とも、来年こそは甲子園行ってプロ入りでしょー?」
 少し先を歩いていた咲希がさらに数歩先へと足を運び、振り返る。
「二人とも、言ってたよね? プロ入りして、花冠作ってプロポーズするって!」
「え、ちょ、おま!」
 数年――いや、小学生のころの約束を持ち出した咲希に二人が顔を真っ赤にする。
 確かに二人は咲希に向かってそう言った。
 「プロ選手になって花冠でプロポーズするから選んで」と。
 元々は咲希が小学生の頃に、花冠を頭に乗せた花嫁の写真を見て目を輝かせたことにある。
 「こんな花嫁さんになってみたい」と憧れる咲希に秀明と臣人は同時に同じことを言ったわけだが、このタイミングでそれを持ち出されると約束云々の前に恥ずかしさが勝つ。
 それでも、臣人の方が立ち直りは早かった。
「おう、絶対二人でプロ入りするから待ってろよ!」
 そう声を張り上げた臣人に、咲希が満面の笑顔を浮かべる。
「うん、待って――」
 待ってる、という咲希の言葉は最後まで聞くことができなかった。
 突然――全く何の前触れもなく、二人の目の前で爆発が起こる。
!?!?
 爆風に吹き飛ばされる二人。飛ばされた小石が、いくつも二人にぶつかっては転がっていく。砕けた石の欠片が秀明の頬を掠め、小さな切り傷を残していく。
 爆風が過ぎ去り、二人は弾かれたように立ち上がった。
『咲希!』
 二人の声が重なる。
 二人の視線の先に、咲希の姿はなかった。
 代わりのように、地面にクレーターが穿たれ、剥き出しとなった土が煙を上げている。
「咲希!」
 もう一度叫び、臣人がクレーターに向かって駆け出す。
 秀明はその場から動くことができなかった。
 あのクレーターに近づくのは危険だ、という思いと咲希はどこに行った、という思いが入り乱れ、体の動きを阻害する。
 これが試合だったら確実にチャンスを失う行動であったが、これは試合なんかじゃない、という警鐘が秀明の脳内で鳴り響いている。
「咲希――」
 掠れた声でそう絞り出し、秀明はクレーターの周囲を見回した。
「――ぁ、」
 地面に力無く落ちた右手が見える。
 その手首に巻かれた勝利祈願のミサンガに咲希だ、と判断する。
「咲希、大丈――」
 そう言いかけて秀明の声が止まった。
 力無く落ちていたのは右手だった。
 倒れているのではない、落ちている
 右手のその先ーーあるべきはずの咲希の姿はそこになかった。
 それを認めた瞬間、秀明も走り出した。
「咲希!」
 そう叫び、咲希の右手に駆け寄り、周囲を見る。
 だが、右手以外に咲希の姿はどこにもない。
 冗談だろうと思うも、泥で汚れたミサンガはどう見ても咲希が身に着けていたものだった。
「秀明!」
 秀明が動いたことで臣人も気づいたか、駆け寄ってくる。
 咲希の右手に釘付けになったまま、秀明はその場に膝をついた。
「嘘……だろ……」
 掠れた声で呟き、咲希の右手を拾い上げる。
「咲希……」
 臣人も咲希の右手に気づき、秀明と同じように膝をつく。
「そんな――」
 たった一瞬の出来事だった。
 何が起こった、と考えることもできない。
 ただ、遠くで何かが飛来する音と、爆発音が絶え間なく響いていた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 僧侶の読経と木魚の音、そしていくつもの啜り泣きが斎場を埋め尽くしている。
 あの後、駆けつけた自衛隊員に保護された秀明と臣人は自宅に帰り、咲希もいくつもの手続きを経て無言の帰宅を果たした。
 帰宅した時に目にしたテレビはチャンネルを変えても同じ報道が繰り広げられ、それだけでいつもの日常が失われた、と理解できた。
『「アドベンター」と名乗る宇宙からの使者は、「地球こそ我らの故郷」と主張し、人類に宣戦布告を――』
 その報道で、秀明と臣人は「敵」が「アドベンター」と名乗る存在だということを理解した。
 同時に、アドベンターの手によって戦争が始まった、ということも理解した。
 テレビに映し出された、空を舞う白い人影。その手から放たれた光弾が街を吹き飛ばす。
 その様子に、二人は咲希もこうやって吹き飛ばされたのだ、と思い知った。
 映像では緊急発進スクランブル出撃した航空自衛隊が交戦の末、撃破していたが、それでも舞い降りてくる白い人影は数が多く、きりがなかった。
 ――あいつらのせいで、咲希は――。
 あの日、二人の近所でも多くの人間が命を奪われた。
 そのため、個別で葬儀を行うことが難しいと判断され、合同葬儀が行われることとなった。
 制服に身を包み、並んで椅子に腰掛けた二人は涙を見せるまい、と歯を食いしばる。
 泣いてはいけない。弱みを見せてはいけない。
 何人もの大人たちが泣きながら焼香を進め、身内の棺に花を供えていく。
 秀明と臣人も立ち上がり、大人に倣って焼香を行い、花を手に取る。
 夏の花冠に使うと言われるエリンジューム、その紫がかった青いぼんぼりのような花に涙が込み上げてくる。
 もしかしたら何年か先、この花で花冠を作って咲希にプロポーズしたかもしれない。だが、その可能性は未来永劫奪われてしまった。
 アドベンターの攻撃で、ゴミのように吹き飛ばされ、右手以外は見つけることができなかった。
「こんなので……いいのかよ……」
 涙を堪えながら臣人が呟く。
「許せるわけないだろ……」
 秀明もそう声を絞り出す。
「ほら、お別れしてあげて」
 後ろに並んでいた近所の女性に声をかけられ、二人はそっと棺に花を供える。
 無言で席に戻り、葬儀の終わりを待つ。
「――咲希!」
 臣人がそう叫び、走り出した霊柩車に向けて駆け出したのはそんな葬儀の終わり際だった。
「臣人、落ち着け!」
 慌てて秀明が臣人の手首を掴み、引き戻す。
「嫌だよ! こんな別れ方したくねえよ!」
 秀明に手首を掴まれたまま、臣人が何度も声を張り上げる。
「俺も同じだ! なんで咲希が――」
 夕立だろうか、突如降り出した雨に打たれながら秀明も叫ぶ。
「臣人、俺は軍に入る」
「秀明――」
 秀明の言葉に、手を振り解こうとしていた臣人の動きが止まる。
「だってこのままやられっぱなしでいいのかよ。俺はアドベンターをぶっ潰す。咲希をあんな風にした奴らを許せない」
「――それは俺も同じだ!」
 今度は臣人が秀明の手を掴み、真正面から見据える。
「俺も軍に入るぞ! アドベンターに復讐する!」
「ちょっと、秀明くん、臣人くんも――」
 周囲の参列者がざわめき、何人かは二人を止めようとする。
 バカな真似はよせ、と誰もが思うが、それを口にすることはできなかった。
 それほどに、二人の決意は固かった。
「自衛隊が国連軍に加わって、十六歳以上なら歓迎するって言ってるだろ!」
「そうだ、俺たちはもう十七歳だ、止める権利なんてない」
 アドベンターとの戦争、ということで国連軍に再編された自衛隊。空から降りてくるアドベンターの数は多く、各国が成人の徴兵や一定年齢以上の未成年の志願を募り、戦力を増強している今、日本もその例外ではなかった。ましてや日本は少子高齢化による人口減少の速度が速く、現状の自衛隊員だけではあまりにも人手が足りない。
「行くぞ秀明!」
 決めたならすぐに行動するぞ、とばかりに臣人が走り出す。
 秀明もそれに応じ、並んで走り出した。
「そんな、二人とも――」
 二人を知る近所の住人がため息まじりに呟く。
「いくら咲希ちゃんがアドベンターに殺されたからって……」
 二人は確かに野球をしていたから体力はあるかもしれない。だが、まだ子供だ。
 子供の志願を募らなければいけないほど戦力に瀕していることは分かっていても、子供が戦場に立って長く生き延びられるはずがない。
「早まりやがって――」
 参列者の一人が忌々しげに呟く。
「お前らが死んだら、悲しむ人間が増えるだろうが」
 近所に住む参列者たちにとって、二人もまた大切な子供だった。
 それが、たった一人の幼馴染を喪ったことで自分たちの手を離れていくとは。
「……生きて帰ってこいよ」
 苦しげに呟いた一人の参列者に、他の参列者も同じことを祈っていた。

 

 To be continued…

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