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天辻家の今日のおやつ お正月特別編「おせち」

 圧力鍋から蒸気が勢いよく吹き出している。
 GNSのタイマーで時間を図っていた辰弥がうん、とIHコンロを停止させる。
「これで黒豆はOK、あとは……と」
 そんなことを呟きながらリストとレシピ一覧を確認し、リストに記載されていた「黒豆」をチェック済みにする。
「次は伊達巻でも作るか……」
 年の瀬の一巡。ウィンターホリデーもいよいよ終盤となったタイミングで辰弥はせわしなくキッチンを動き回っていた。
「辰弥ー腹減ったー」
 日翔がキッチンに顔を出す。
「ん、こっちも一区切りついたからお茶にしようか」
 そう言って辰弥が戸棚から茶器と茶葉を取り出し、前日のうちに作っていたクッキーを皿に盛った。

 

 話が弾んだティータイムの後、辰弥は再びキッチンに立っていた。
 調理台の上に置かれた材料は卵とはんぺん。そこにいくらかの調味料とだし汁。
 まず、はんぺんを適当に潰してフードプロセッサーに入れ、卵も割り入れる。
 味付けは砂糖、みりん、だし汁とはちみつ。
 本来の作り方なら白身魚をすり鉢ですり身にして作るらしいが今ははんぺんというとても便利な食材がある。
 本物志向の美食家なら激怒するレシピではあるかもしれないがはんぺんを使った簡易レシピでも充分それっぽいものが作れるから料理研究家の研究は凄いものだ、と思う。
 フードプロセッサーで混ぜ始めると、その音に日翔が再びキッチンに顔を出す。
「お、頑張ってるな」
「もう今年も終わるからね。来年に向けて豪華に行きたいじゃん」
 そんな会話をしている間も日翔の目はフードプロセッサーに釘付けになっている。
「で、何作ってるんだ?」
 飛んでくると思った質問。
「何だと思う?」
 わざと質問で返し、ニヤリとする辰弥。
 んー? と首をかしげた日翔だが、流しのゴミ箱に入っていた卵の殻とはんぺんの袋に気づいたらしい。
「卵とはんぺん……おせちだよな? なんだろ……」
「ふふっ」
 考え込んだ日翔を見て辰弥が笑う。
「なんだよー」
「かわいいね、日翔は」
「なっ」
 辰弥の言葉に日翔の顔が赤くなる。
「なっ、なんだよかわいいって!」
「日翔、意外とかわいいところあるんだね」
 普段はお調子者だが「仕事」となると決して油断しない、どのような状況でも決して挫けたりしない日翔。
 そんな彼が自分に時折見せる無防備な様子が何故か嬉しい。
 ふふ、ともう一度笑い、辰弥は卵焼き用のフライパンを手に取った。
「伊達巻きだよ」
「おお!」
 伊達巻きの名前を聞いた瞬間、日翔の顔が輝く。
「あの甘い卵焼き! はんぺん入ってたのか!」
「本当はすり身なんだけどね、はんぺんでも作れるから」
「おおー」
 そうなんだ、とはしゃぐ日翔。
「楽しみにしてて。頑張って上手く作るから」
 そう言いながら、辰弥はフードプロセッサーの電源を入れた。
 勢いよく回転する刃。あっという間に材料が混ざっていく。
 フードプロセッサーを回すこと数分。
 その間も日翔はキッチンに入ることもなく入り口で見守っている。
 辰弥の料理中、いや、そうでなくても日翔がキッチンに立ち入ることは固く禁じられている。
 日翔がキッチンに踏み込めば必ず何かを粉砕する。皿を割られるくらいならまだいいが食材を無駄にされるのは辰弥にとって許せないことだった。
 そもそも桜花は他国と比べ明らかに生鮮食品が安い国である。御神楽のお膝元ということと島国であるということから鮮魚も手に入りやすいし都市部を離れれば豊かな自然が残っており畜産も盛んである。それゆえ諸外国において主流な代用食ではなく本物の食材が手に入りやすいがそれでも代用食に比べれば割高である。
 辰弥が代用食ではなく本物の食材をふんだんに使うのは単に「美味しいから」である。最近の代用食は確かに味も改善されてきたとはいえ栄養バランス重視なので味気ない。
 暗殺者という、普段から殺伐としたことをしている分、辰弥は美味しい食事で自分だけでなく日翔の気持ちもリフレッシュしたいと考えていた。
 もちろん、暗殺の依頼が少ない時などはどうしても食費が足りず代用食で済ませることもある。それでも財布に余裕がある時くらいは美味しいものを食べたいのである。
 今回の食材は特に辰弥が目利きして購入した、それも普段は買わないような高級品が多い。日翔に台無しにされたら鮮血の幻影ブラッディ・ミラージュだけでは済まないかもしれない。
 それが分かっているから日翔もキッチンに飛び込んでつまみ食いしたい衝動をぐっと堪えて覗き込んでいた。
 どろどろになった材料を薄く油を敷いた卵焼き用のフライパンに流し込む。
 アルミホイルで軽く蓋をしてコンロにセット、火力を最低にして加熱を始める。
「ん? 焼くんだったら強火で一発だろ?」
 日翔が入り口から声をかけてくる。
「何言ってるの、そんなことしたら中まで火が通る前に表面が焦げちゃう」
「へえ、そうなんだ」
 すぐに焼けるから強火ですればいいと思ってたわー、と日翔が感心する。
「料理は科学。強火が適した料理もあれば弱火が最適な料理もあるの。食材の切り方で食感が変わることもあるし、ただ作ればいいってものじゃないんだよ」
「ほへー、科学」
 生活能力が皆無の日翔にはすぐに理解できるようなことではなかったが、辰弥の調理の一つ一つに意味があるということだけはなんとなく分かった。ただ焼いているだけに見えてもその火加減一つで仕上がりが変わる、というのは見ていて不思議だ。それが「料理は科学」ということなのだろうか。
 伊達巻きを焼いている間に辰弥は隣のコンロで茹でていたさつまいもの鍋を手に取り、水をかける。
「お、それは分かるぞ! 栗きんとんだろ!」
 栗きんとん、とは名付けられているが本体はさつまいもである。
 初めて食べた時は全て栗でできていると思っていたのにいざ食べるとさつまいもで「騙された……」とぼやいたのは日翔だけではない。
 辰弥も初めて栗きんとんを作るということでレシピを確認して「あれ、栗じゃなかったんだ……」とぼやいていたものだ。
 あれからもう年が過ぎたんだなあ、と感慨に耽る日翔。
 年を追うごとに辰弥が作る料理はだんだん華やかに、そして美味しくなっている。
 来年もまた美味い飯が食えるんだな、ともう来年のことを考えてしまう。
 来年も、辰弥と鏡介と一緒にいて、美味しいご飯のために働いて。
 それが長く続けばいいな、と考える。
 それを、おそらく自分が壊してしまうだろうことには心が痛むが。
 思わず感傷に浸ってしまい、日翔がぶんぶんと首を振る。
 暗いことを考えていても仕方がない。今はおせちのことを考えていたい。
 辰弥を見ていると彼は篩を取り出し、逆さに置いてそこにさつまいもを置いている。
 木べらを取り出し、篩にさつまいもを押し付けるようにし始める。
 栗きんとん作りの中で最も手間のかかる工程、裏漉し。
 こんな手間暇かけて料理って作られるんだな、と感心しながら眺めていると辰弥はどんどんさつまいもを裏漉しし、手慣れた様子で調味料を追加していく。
 調味料を追加した栗きんとんをコンロに掛け、全体に馴染むように混ぜてから栗の甘露煮を投入。
「栗きんとん、できたよ」
「やったー!」
 歓声を上げる日翔。
 そう言うところが可愛いんだよなあ、と思いつつ辰弥は箸立てからスプーンを取り出し、ひと掬いスプーンに取る。
「ほら、日翔」
 キッチンの入り口に移動し、辰弥が日翔にスプーンを差し出す。
「え?」
「味見していいよ。ここまで我慢してたご褒美」
 そう言って辰弥がにっこりと笑う。
 日翔もつられて笑顔になり、スプーンを受け取った。
 はむ、とスプーンに乗せられた栗きんとんを口に運ぶ。
「……うまっ!」
 日翔が思わず声を上げる。
「よかった」
 難しそうな面持ちで日翔の反応を窺っていた辰弥が顔をほころばせた。
「よし、これで栗きんとんは完成。伊達巻もそろそろかな」
 フライパンにかぶせていたアルミホイルを少しめくり、伊達巻の焼け具合を確認する。
 表面はしっかりと乾いており、ちゃんと仲間で火が通っているようだ。
 鬼すだれを取り出し、その上に焼きあがった伊達巻を置いて巻く。
 巻き終わったら輪ゴムで広がらないように止め、辰弥は両手をパンパンと叩いた。
「よーし、今年のおせちづくり終わり! 正月が楽しみだね」
「おー、お疲れさん」
 重箱に詰めるのは後でいいや、と辰弥が手を洗い、エプロンで拭きながらキッチンを出る。
「お待たせ、ちょっと休憩したらご飯作るから」
 そう言い、辰弥はにっこりと笑った。

 

 大晦日深夜。
 まもなく巡が変わり新年が始まろうかという時間。
「うー……腹減った……」
 日翔が腹をさすりながら部屋を出てキッチンに置かれた冷蔵庫に向かう。
 辰弥も鏡介も日付が変わるまで起きる趣味はなく、早々と寝てしまっている。
 日翔はとりあえず年が明けるまで起きているか、と自室でカウントダウン番組を見ていたのだが空腹に耐えかねて冷蔵庫を漁りに来た、というわけだ。
 日翔の視線が調理台にす、と流れる。
 調理台の上には三段重ねの重箱が。
 じゅるり、と口から垂れそうになる涎を拭い、日翔はふらふらと重箱に近寄った。
 そっとふたを開け、中を見る。
「おお……」
 重箱にみっしりと詰められたおせち料理。
 海老や昆布、カズノコといった縁起物食材は勿論、ローストビーフやテリーヌといった洋風のごちそうも詰められている。
 無意識のうちに日翔は手を伸ばしていた。
 まずは伊達巻。
 口に入れるとふわりと解け、甘い卵が口いっぱいに広がっていく。
 この風味ははちみつだろうか、などと考えている間に手は止まらず伊達巻を口に運んでしまう。
「……やべ」
 気が付けば重箱に詰められていた伊達巻はなくなっていた。
 これは確実に辰弥に殺される、さてどうする、と日翔は恐る恐る冷蔵庫を開ける。
 恐らくは重箱に詰め切れなかったものが残っている、と思っての行動だったがその予想通りまだ切られていない伊達巻が残っている。
「……よし」
 意を決し、日翔は伊達巻を取り出した。
 流し下のナイフケースから包丁を取り出し、伊達巻を切り分ける。
 日翔の普段の馬鹿力で伊達巻が崩れるが気にしない。
 崩れる伊達巻と格闘し、日翔はなんとか切り分けた伊達巻を重箱に詰め直した。
 これでよし、と再び冷蔵庫を開ける。
「……」
 残り物はまだたくさんある。
 ちょっとくらい食べてもいいだろう、と日翔は手を伸ばした。

 

 元旦の朝。
 おはよー、と辰弥が自室から顔を出し、鏡介も「日翔、お年玉くれ」などと冗談を言いながら部屋に来る。
「あけましておめでとう」
 鏡介に一言声をかけ、辰弥がエプロンを身に着ける。
「あれ、料理すんのか?」
「ん? お雑煮作るね」
 そう言った辰弥がキッチンに消え、鏡介は日翔と同じようにこたつに潜り込んだ。
「冷えるな」
「ああ、お雑煮で温まろうぜ」
 そんな会話をしつつ暗殺連盟アライアンスメンバーからの年賀状メールを確認したりするうちにふわりと出汁の香りが漂ってくる。
「お待たせ」
 辰弥がお雑煮の入ったお椀をこたつに置き、一度キッチンに戻っておせち料理の入った重箱を抱えてくる。
「改めて、あけましておめでとう。今年もよろし――」
 そこまで言った辰弥の言葉が止まった。
 その手は重箱のふたを開けた状態で止まっている。
「どうした?」
 異変を察知した鏡介が辰弥に声をかける。
「……日翔?」
 ギギッとぎこちない動きで辰弥が日翔を見た。
「ん?」
 日翔がなんで呼ばれた、とばかりに首をかしげる。
「……伊達巻、食べたでしょ」
「エ、ナンノコトカナー?」
 すっとぼける日翔。こめかみに青筋を立てる辰弥。
「今年もおせちつまみ食いして!!!! しかも証拠隠滅しようとしてばっちり証拠残してる!!!!」
 だん、と勢いよく辰弥が重箱のふたをこたつに置き、日翔に向かって手を振る――と、スローイングナイフが日翔めがけて飛翔する。
「うわっあぶねっ!」
 咄嗟に回避する日翔。
 日翔を逸れたスローイングナイフが背後の壁に突き刺さる。
「殺す気か!」
「君、一度死んだ方がよくない!?!?
「死んだら蘇らねえよ!?!?
 始まる辰弥と日翔の口論。
「……年明け早々、元気だなお前ら」
 鏡介だけが、落ち着き払った様子でお椀に入ったお雑煮の汁をずずっ、と啜った。

 

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