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天辻家の今日のおやつ #01「プリン」

 鎖神さがみ 辰弥たつやの一巡は冷蔵庫を開けて今ある食材を確認するところから始まる。
あじの開きはそろそろ食べないとな……あとは豆腐と納豆があるから朝ごはんのメニューは決まり、お昼は……めんどくさいから炒飯でいいか」
 そんなことを考えながら辰弥がさらに賞味期限切れの食材がないか確認する。
 「仕事」柄不規則になりがちで食事もつい外食に頼りたくなるが余程のことがない限り自炊する、と辰弥は冷蔵庫から食材を切らせたことがない。
 しかし、ここのところその「仕事」が立て込み、一部の食材は賞味期限目前となっていた。
 そんな辰弥の深紅の瞳に割り込む食材が一つ。
「卵……そういえばそろそろ賞味期限だったか」
 桜花おうかの卵は衛生管理がしっかりしているため生食は可能である。多少賞味期限が切れたとしてもよほど保管が悪くない限り問題はない。
 しかし、辰弥の意識では「賞味期限は切れてはいけない」ものなので賞味期限切れの食材を日翔に食べさせるのは由々しき事態である。
 ほぼ一パック丸ごと残っている卵に辰弥はどうしよう、と考えた。
 昼の炒飯を卵炒飯にするとしてもそれでもかなりの数が残る。
 卵を効率よく消費でき、なおかつ日翔あきとが喜びそうなもの――。
 そういえば今日のおやつをまだ決めていなかったな、と辰弥は思い出した。
 同居人、いや、この家の家主こと天辻あまつじ 日翔は甘党で、二日目昼日の午後におやつを食べるのが日課となっている。
 別に市販の菓子で十分なのだが、ここ暫くは辰弥が菓子作りにハマったこともあり、料理の合間にスイーツを作っては出す、という日々になっている。
 多分「仕事」のストレス発散なんだろうな、と思いつつ辰弥は冷蔵庫から卵を二個、取り出した。
「よし、今日のおやつはプリンにしよう」
 プリンなら冷やす手間がある、今のうちに作っておいた方がいい。
 卵を転がらないように気を付けながら置き、冷蔵庫からさらに食材を取り出す。
 牛乳と生クリーム。生クリームは「クリームパスタを作ろう」と思って買っていたがなかなか使う機会がなかったので今のうちに使ってしまうことにする。
 とはいえ、今回使用するのはパックの半分で充分なため残りの半分は夕飯をクリームシチューにすることで消費するか、と考える。
 牛乳も賞味期限が近かったので消費するにはちょうどいいだろう。
 他に必要なものは砂糖とバニラオイル。
 砂糖はおやつ専用に買っている甜菜てんさい糖を取り出す。
 バニラオイルは本来ならちゃんとしたバニラビーンズを買いたかったがその値段を見て仰天したためせめて香りづけに、とバニラオイルにしている。バニラエッセンスではなくてバニラオイルを選んだのはバニラエッセンスだと加熱調理した時にすぐ香りが飛んでしまうからだ。
「おっと、」
 思い出して流し下の収納からグラニュー糖も取り出す。
 プリンといえばカラメル。カラメルといえばグラニュー糖。
 カラメルのないプリンが物足りないものになってしまうことは以前「初めて」プリンを作った時に実感した。あの時は「カラメルなんて苦いだけだしめんどくさい」と省いたら「何か物足りない……」と日翔と顔を見合わせたものだ。
 まずはカラメルづくり、と小鍋にグラニュー糖を入れてコンロにかける。
 グラニュー糖が溶けて甘い香りがキッチンに漂う。
 IHコンロに掛けたグラニュー糖は溶けるとすぐに色づき始め、好みの色合いになったところで火を止め、水を少し。
 手早く混ぜたらこれ以上焦げないようにすぐに鍋底を濡れ布巾で冷やし、加熱を止める。
 そこからは時間の勝負みたいなもので、カラメルが冷め切る前に耐熱ガラスの器に流し込んでいく。
 ここまで作ってしまえばあとはプリン本体だけである。
 別の鍋に牛乳と生クリームを入れ、温める前に卵も割って解きほぐしておく。
 卵液に甜菜糖を入れて混ぜ、下準備の一つは終了。
「たつやー、おはよー」
 カラメルの香りに釣られたか、日翔がキッチンに顔を出す。
「ああ、日翔おはよう」
「何作ってんだ? うまそうな匂いがするんだが」
「今日のおやつ」
 辰弥がたった一言だけそう答えると、日翔は目を輝かせた。
「おお、今日のおやつ! お前のスイーツ、うまいから今日も楽しみだぜ」
 どうやら「何が出てくるか」は日翔の中でも楽しみなのだろう。
 「何を作っている?」とは一言も聞かず、日翔はうきうきと洗面所に向かう。
 日翔を見送り、辰弥は牛乳と生クリームを入れた鍋に向き直った。
「あ、余熱余熱」
 IHコンロの電源を入れる前に一度振り返り、オーブンを百五十度にセット、余熱を開始する。
 それからコンロに向き直り、ボタンを押し、電源を入れる。
 IHコンロの電源を入れ、火力を調整。
 点火のLEDライトが点灯し、辰弥は火力を弱めの中火に設定した。
 引き出しから料理用の温度計を取り出し、牛乳に先端を浸ける。
「うーん、こういう時義眼だと便利なんだけどなあ……」
 義体技術が発達したアカシア、義眼も「ただ視覚を確保する」だけでなくサーモグラフィやX線透視などの機能を備えたものもある。
 辰弥がぼやいたのも恐らく「義眼なら温度計なくてもGNS電脳で温度チェックしやすいんだけどなあ」という安易な考えからだろう。
 しかし、辰弥は辰弥でどうしても生身である必要があった。
 理由は言えないし知られるわけにはいかない。
 義眼くらいなら影響はあまりない気はするが、それでもGNSの導入以外で自分の身体に機械を入れる、ということは辰弥にはできなかった。
 温度計の温度が少しずつ上がり、五〇度を指す。
 そのタイミングで鍋の火を消し、砂糖入りの卵液のボウルに少しずつ加えて混ぜる。
 一度に入れてしまうと牛乳の熱で卵が固まってしまう。
 少しずつ入れてなじませ、ざらざらとした砂糖の感触が全てなくなったところでバニラオイルを数滴入れ、辰弥は漉し器を取り出した。
 乾いた別のボウルを用意し、プリン液を漉す。
 漉すことで卵の混ぜ残りを取り除くことができ、なめらかな口当たりになると知ったのも最初の失敗があったから。
「あの時はひどいプリン食わせたしな……」
 そんなことを呟きながら辰弥は漉したプリン液をカラメルを入れたガラス容器に移していく。
 日翔が「プリン食いたい」とリクエストして張り切って作った初めてのプリンはそれはひどいものだった。
 辰弥が料理慣れしていなかったということもあるが「こんな手順、なくてもいいよね」や「温度なんてそこまで気にしなきゃいけないの?」と我流で作った結果滑らかにならないどころかところどころに「す」の入ったボソボソしたプリンが出来上がってしまった。
 しかもカラメルを省いたため何か物足りない、というオプション付き。
 そんな失敗があったから辰弥はプリンのレシピを片端から調べた。
 一見不要に見える手順にもちゃんと理由があるということを知り、リベンジしたが一回や二回で極上のプリンが作れるはずがない。
 何度も繰り返し、失敗も重ね、辰弥は自分で納得できる境地のプリンを作り出すことができるようになった。
 日翔には「お前パティシエできるんじゃね?」とは言われたが、辰弥はそれを苦笑いで誤魔化していた。
 暗殺者やってる俺がパティシエ? そんな姿は想像すらできない、と。
 プリン液を丁寧に流し込みながら、辰弥はそんな思い出を噛み締める。
 今回作るのは六個、一人二個ずつ食べられるから夕飯のデザートに出してもいいかもしれない。
 プリン液の表面に付いた泡はバーナーで軽く炙って取り除き、器に付いたプリン液も丁寧にふき取る。
 よし、と辰弥はプリンの器を天板に並べ、天板に熱湯を張った。
 プリン液と熱湯がこぼれないように気を付け、予熱したオーブンに入れる。
 タイマーはとりあえず三十分、過熱している間に朝食を作ってしまおう、と辰弥は手際よくプリン作りに使った調理器具を洗い、冷蔵庫から鯵の開きを取り出した。

 

 ちん、というオーブンの音で辰弥が中から焼きあがったプリンを取り出す。
 器を少し傾けて生のプリン液が出てこないことを確認、辰弥の口元がわずかに緩む。
 あとは美味しくできてるといいけど、と思いながら辰弥は器のふちを指先でつん、とつついた。
「ちちんぷいぷい、か……」
 鏡介きょうすけから聞かされた「美味しく仕上げるため」のおまじない。
 流石にそんなオカルトを信じるほど辰弥は子供ではなかったが、ついつい口にしてしまうのはなぜだろう。
 自分が作ったスイーツを幸せそうに頬張る日翔の顔が脳裏をよぎり、ふと笑みをこぼす。
 ――俺は、日翔を幸せにできているんだろうか。
 拾われて数年、記憶も身寄りもない辰弥を日翔は何も言わず家に置いてくれている。
 生活能力のない日翔の身の回りの世話をしているのは鏡介に「居候するなら家のことくらいは手伝ってやってくれ」と言われたのがきっかけだが、こうやって慣れてみると家事というものも楽しいものである。
 はじめは自分が生きるために始めた家事だったが、今では少しでも日翔が楽に過ごせるように、楽しく生きられるように、という思いも混ざっている。
 普段は血に塗れた世界に生きているからこそ、仮初めの表社会ではそんなことを考えずに過ごしたい。
 せめて、当たり前の幸せというものくらいは掴めているといいな、と願いつつ辰弥は粗熱の取れたプリンを冷蔵庫に仕舞った。

 

「日翔、おやつにしよう」
 二日目昼日の休憩時。
 辰弥が冷蔵庫に手をかけ、日翔に声をかける。
「おお、もうそんな時間か」
 愛用のハンドガンネリ39Rの手入れをしていた日翔がいそいそと立ち上がり、洗面所に手を洗いに行く。
 その間に辰弥は冷蔵庫からプリンを二つ取り出し、さらに戸棚から涼しげなデザインの皿を取り出した。
 器の内側を小ぶりのナイフでつい、となぞると中に入っていたプリンがするりと皿に落ちる。
 本当は生クリームやシロップ漬けのチェリーで飾ったプリン・ア・ラ・モードにしたかったがここ暫くの「仕事」で買い出しもままならず、スイーツのデコレーションができるほどのものはない。
 仕方ないね、と思いつつ辰弥はプリンの乗った皿とスプーンをテーブルに置く。
 手を洗った日翔がうきうきと自分の席に付き、そして目を輝かせた。
「今日はプリンか!」
「うん、卵が余ってたから」
 辰弥も自分の席に付き、スプーンを手に取る。
「「いただきます」」
 同時にそう言い、スプーンをプリンに突き刺す。
 はむ、とプリンを一口、日翔の顔がぱぁっと明るくなる。
「うま!」
「そう?」
 そう言いながら、辰弥もスプーンを口に運ぶ。
 ふわり、と広がる甘味。そこに香るカラメルの香ばしさ。
 うん、今回はうまくいった、と辰弥の口元も緩む。
「お前、腕上げたな」
「そう?」
 自信なさげな辰弥の言葉に日翔が「自信持てよ」と豪快に笑う。
「お前ならパティシエ絶対いけるって。いや、普段の飯もうまいから惣菜屋とか……いやいっそのこと食堂開けよ」
「よしてよ。調理師免許とか持ってないし」
「免許も取れよ、お前なら一流のシェフになれるって」
 あ、でもそうなったらお前も俺の家から卒業かあ、と日翔がぼやく。
「いや、俺はこの家を出るつもりないから」
 ほんの少し寂しげな様子を見せた日翔に、辰弥はすぐさまそう答えた。
 日翔の家を出る気はない。料理だって日翔が嬉しそうに食べてくれるから作るだけだ。
 この笑顔だけは独り占めしたい、そう、辰弥は思った。
 自分を拾って、救ってくれたからその恩に報いたい。
 不特定多数の「誰か」のためではなく、日翔と鏡介のためだけに。
 辰弥の言葉に日翔が「だが、」と声を上げかけるが辰弥がそれを止める。
「俺が料理をするのは日翔のためだけだよ。日翔が喜んでくれるから、俺は頑張れる」
「だがシェフになればもっといろんな人を喜ばせられるんだぞ?」
「それでも、俺は日翔だけがいいの」
 そう言って、辰弥がもう一口プリンを食べる。
 滑らかな口触りのプリンが喉を通り過ぎていく。
「あ、プリン六つ作ったからさ、二個は鏡介に持っていく」
「? ああ、あいつもプリンなら食うだろ。持っていってやれよ」
 普段はエナジーバーとゼリー飲料しか口にしない鏡介。それでも辰弥が作った料理は時々口にしては「腕を上げたな」と褒めてくれる。
 辰弥としては不特定多数の誰かに褒められるより、この二人に褒められる方が圧倒的に嬉しかった。
 だから二人のために包丁を握るしおやつも作る。
 かけがえのない二人の笑顔を見るために。
「……幸せだな」
 不意に、日翔がそう呟いた。
「日翔?」
 怪訝そうな顔をして、辰弥が日翔を呼ぶ。
「いや、お前の料理もおやつも独占できて幸せだなって」
「そんな、大げさな」
 日翔の言葉に辰弥は思わずそう答えてしまうが内心ではその言葉が嬉しくて仕方がない。
「どうしたんだ、顔がにやけてるぞ」
 日翔に言われ、辰弥が真顔に戻る。
「え、そんなに?」
「ああ、すっごくニヤついてたぞ」
 そう言いながらニヤニヤとする日翔。
 その日翔は既にプリンを食べ終え、物足りなそうに辰弥のプリンを眺めている。
 ――ああ、そういうことか。
 日翔の視線を察した辰弥が、無言で彼に食べかけのプリンの皿を差し出した。
「え?」
「あげる。物足りないんでしょ?」
 そう言って辰弥はつい、と顔を横にそむけた。
「日翔が食べたいなら、あげる」
「お……おお……じゃあ遠慮なく」
 日翔が皿を受け取る。
 が、プリンをスプーンにひと掬い、日翔は辰弥を呼んだ。
「おい辰弥」
「ん?」
 振り返った辰弥の、わずかに開かれたままの口にスプーンがねじ込まれる。
「むぐ」
「お前もまだ食い足りないんだろ、もう一口食っとけ」
 そう言って、日翔が笑う。
 辰弥の顔が見る見るうちに赤く染まる。
「な、何やってんの!」
 あーんとかなにふざけてんの? とまくしたてる辰弥を見て日翔が再び笑う。
「うまいもんは二人で共有するに限るだろ?」
「そ、それは……」
 むぅ、と唸る辰弥。
「あ、でもお前がくれるって言ったからあとは俺が貰う。ありがとな」
 屈託のない日翔の笑顔が眩しい。
 この笑顔を守りたい、そう、辰弥は本気で思った。
 たとえ自分が死んだとしても、日翔だけは、いや、日翔と鏡介の二人だけは守りたい。
 それがきっと、俺がここに来た使命なんだ、そう、辰弥は考える。
 二人を幸せにする。二人を笑顔にする。
 もし、それが叶うのなら、俺はどうなってもいい。
 日翔によって口に入れられたプリンのカラメルは、いつもより少しだけ苦いような気がした。

 

to be continued……

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「天辻家の今日のおやつ 第1章」のあとがきを
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