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世界樹の妖精 -Fairy of Yggdrasill- 第2章

by:蒼井 刹那

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 視覚、聴覚に干渉してAR情報を投影する通信機器「オーグギア」が普及した世界。
 そんな世界のネットワークインフラを支えるメガサーバ「世界樹」、それを悪意あるハッカーの手から守るカウンターハッカー、永瀬ながせ 匠海たくみはある日とあるハッカーを撃退した際に謎の音声ファイルを発見する。
 《世界樹に妖精は降り立った。さあ妖精との戦争の始まりだ。妖精を捕まえる事こそが我々人類の勝利条件、腕に覚えのあるもの、立ち上がるのだ》というメッセージを聞いたのと時を同じくして、匠海の視界には妖精のような人ならざるモノの姿が視えるようになる。

 

第2章 妖精の噂

 ――ログイン承認、エイリアンディテクター異物検知システムオールグリーン、世界樹ユグドラシルサーバ巡回許可発行。ユーザー:タクミ・ナガセ、貴方をサーバ監視官として認めます。

 

 とある声優から録音した音声データを編集、合成したという人工音声を聞き流しながら匠海は世界樹のイメージマップを表示し、まずは他の仲間がどのあたりを巡回しているかを確認した。同じところを確認していて、手薄な場所を攻められてはたまらないからだ。
 オーグギアで視覚情報に追加表示されたARデータに目を走らせながら、いつものように巡回を行う。最初に確認した時に気づいていたが、数日前から世界樹を巡視する仲間の数が増えていた。数日前、といえば匠海がとある侵入者ハッカーを撃退した際、謎の音声ファイルが残されていたときと重なる。
 《世界樹に妖精は降り立った。さあ妖精との戦争の始まりだ。妖精を捕まえる事こそが我々人類の勝利条件、腕に覚えのあるもの、立ち上がるのだ》、そんな音声ファイルが複数の仲間内で発見され、何かしらの組織だった犯行ではないかという噂も流れている。
「妖精、ねえ……」
 そう呟きながら巡回を続ける。その視界の隅を人影がふわりと舞い降り、すぐに消えていく。
「……視えてるんですけどねえ……何かの嫌がらせですかこれは」
 真正面からはっきり捉えたわけではない。いつも現れる時は視界の隅にちらりと一瞬姿を見せるだけだった。
 だが何度か視るうち、それが美少女フィギュア位の、背にトンボのような薄羽を付けた少女というところまでは認識していた。
 どうしてそんなものが視えるようになったのかは断定していないが恐らくはあの音声ファイルを開いたから、ウィルスチェックに引っかからなかったということは新種のウィルスだったのか。それであったとしたら世界樹も当然ウィルス感染し、全世界にそのウィルスをまき散らしているはずだがそのような報告は全く上がってこない。たかが一監視官にそこまでの情報が与えられないということも考えられるが、各種メディアを抑えたとしても世界樹のユーザーたちがSNSやそのほかの手段を使ってウィルス感染を発言し、あっという間に拡散するだろう。
 それを考えると世界樹にウィルスが感染したとは考えられない。オーグギアのみに感染するウィルスであることを考え、念のために違うオーグギアで確認したがそれでも妖精の姿は確認できた。
 と、考えると最悪のパターンとして人間の脳に電気信号単位で侵入する新種のものという結論に至ったが馬鹿馬鹿しいと一蹴する。そもそも人間の脳の仕組みが解析されて久しいし記憶や人格といったものの抽出技術も開発されてはいる。だがそれは国家単位でのプロジェクトであり一介の人間がおいそれと手を出すことができる技術ではないのだ。仮にプロジェクトの参加者に悪意を持つ人間がいて技術を盗み出し人間の脳に寄生するコンピュータウィルス――この場合ブレインウィルスと称した方がいいのか――を作り出すなど、反逆罪もいいところである。自分のようなハッカーでさえ世界樹にハッキングして反逆罪で逮捕された実績がある、ブレインウィルスを作り出した人間が逮捕されないはずがない。
 では、そうでなければこの妖精は一体何なのか。
 本当に世界樹に舞い降りたという存在なのか。
 ウィルスだとすればそれはオーグギアに感染していない以上世界樹に感染した、だが世界樹から外には出られないもの、という可能性がある。そうでなければ、世界樹は本当に妖精を生み出した、とも言える。
 そう、自分の中で結論付けてはみたものの如何せん妖精を視たと言う仲間がいない以上手がかりが少なすぎる。せめてあと二、三人は目撃者がいないと検証のしようがない。
 はぁ、とため息を吐き、匠海はコーヒーを飲むために一度ブースを出た。

 

「ああ、匠海アーサーか」
 ドリンクコーナーには先客がいた。
 世界樹のメンバーは匠海のことをスクリーンネームである『アーサー』と呼ぶ。
 元ネタはかの『アーサー王伝説』であり、アバターも騎士王を思わせるものであるが、かといって彼がアーサー王らしいツールエクスカリバーを使っているところを見た人間はいない。
 スタッフは無料で飲めるドリンクコーナーの種類は充実しており、定番のコーヒーや紅茶をはじめとしてスポーツドリンク、エナジードリンク、栄養剤、果ては小腹が空いたときのための味噌汁やポタージュスープまである。
 先客はコーヒーを片手にベンチに座っていたが、なんとなく顔色が悪いように見える。
「どうした、体調がすぐれないのか?」
 そう、匠海が声をかけると先客は頭をあげた。
 その目の下にはくまができており、数日眠れていないのではないかと思わせる。
 そんな状態でコーヒーとはけしからん。
 一瞬躊躇ったもののすぐに匠海はポタージュスープをカップにそそぎ、先客の隣に座った。その手にあったコーヒーを奪い取り、代わりにポタージュスープを握らせる。
「眠れてないのにコーヒーは飲むな。それを飲んで少し休め」
「……ああ……すまない」
 ぬるくなっていたコーヒーをあおり、匠海は先客を見る。
「何があった?」
 眠れないほどのことがあった、とは想像がつく。そのよほどのことが一体何だったのか。
 ああ、と先客が再び呟く。
「アーサー……俺、この仕事辞めたくないんだ」
「それは俺も同じだ。で、何があった? ……いや、何を『視た』?」
 そう問いかけてしまったのは、何となくの確信があったから。
 先客も視ている――そう、『妖精』を。
 そして先客の答えは匠海の予想通りのものだった。
「……俺、視てしまったんだよ……妖精ってやつを……」
「視たのか、妖精を」
 ああ、と先客が頷く。
「こんなことが運営に知られたら俺はクビになる……そうだろう、アーサー」
「……よく、今まで誰にも言わずに頑張ってきたな」
 思わず出た言葉がこれだ。匠海は気にせず業務を進めていたが、先客は気にしてしまったのだろう。監視官がウィルス感染していたと発覚すれば間違いなく解雇される。匠海もそれを分かっていたから誰にも相談せずに、仲間内で妖精を視たという報告が上がってこないかと待っていたのだ。
「上にも、誰にも言わない。いつから視えるようになったんだ?」
「ほら、数日前……世界樹内で侵入者を撃退したら音声ファイルが残ったパターンが複数例あっただろう、あのファイルを開いてから……アーサー、お前も音声ファイルの存在は知ってるだろ? あれを開いてから……」
 匠海が妖精を視るようになった時と合致する。やはり、あの音声ファイルは妖精を視るための鍵、いや『眼』と考えてもいいだろう。何人の仲間が音声ファイルを開いたかは不明だが、自分とこの先客だけではないはずだ。
 ふう、と息を吐き、匠海は先客の肩を叩いた。
「大丈夫だ、そいつは何もしてこないだろう?どうせ視界の隅を幽霊みたいにうろついてるんじゃないのか?」
「アーサー、お前……まさか」
 先客の問いかけに、匠海は一瞬どう答えるべきか、と迷った。
 自分も視えると言っていいのか、それとも視えないというべきなのか。視えると言ってもいいかもしれないが、この先客が仲間を蹴落とそうとして報告する可能性も無きにしも非ず。かといって視えないと断言してしまえば先客の孤立感を高めてしまうだろう。
 ここは――
「あー……そうじゃないかって思っただけだ」
 視えるとも視えないとも断言せず、匠海は曖昧にごまかした。
「とにかく、考えすぎるな。あと今日は早退した方がよくないか?」
「……いや、大丈夫だ。ちょっと休憩したら復帰する」
 先客の言葉に、匠海はそうか、と返し立ち上がった。
「……お前の言う妖精の出現と、ここ数日急に増えたハッカー、そしてそのハッカーの大半が妖精と戦争をキーワードとしていることを考えると視えるのはお前だけではないと思う。暫く、忙しくなるぞ」
 ここ数日のハッカーの傾向を考えるとこの世界樹に出現した(?)妖精とやらを目的にしていることが見えてくる。ハッカーによっては世界樹に侵入することを『妖精戦争』と呼称していることもある。
 現在の戦争がかつてあった人間同士の殺し合いではなく、情報世界での各種勢力のぶつかり合いということを知っているのはごく一部の人間、それも一般人なら普通はアクセスしないような情報世界の『第二層』と呼ばれるアンダーグラウンドな領域に触れた者だけである。オーグギアの普及によって『第二層』に迷い込む人間が増えたかというと実はそうでもないことを考慮すると一般人が知るようなことはそうそうない。
 現状ではまだ戦争と断言できるような状態ではないとは思うが、妖精が何かを突き止めない限りは世界樹へのハッキングは留まることを知らないだろう。
 いっそのこと『第二層』にガセネタでも流してみるか、と考えてみるが「ソースは俺」とは書けるはずもなくやはり妖精を把握、捕獲なり消去なりして世界樹にはもうそんなものは存在しない、と、この『妖精戦争』を終結させるしかないだろう。
 自分のブースに戻り、再び世界樹にアクセスする。
 全体マップを確認するとメンバーの数人が現在ハッカーと交戦中だという状況が確認できる。ただ、応援要請は来ていないためそれぞれ個人で解決できる状態と判断し、自分のエリアを巡回する。
 その途中で先ほどの先客も巡回に復帰したことを確認し、匠海はほっと息を吐いた。
 話は聞いた。自分にとっても相手にとっても何らかの利益はあった。よほどのことがない限り互いに不利益が生じることはないだろう。
 できればもう数件、情報が欲しいところではあるがそれはおいおい仲間にヒアリングをかけていけばいいだろう。
 そんなことを考えつつ、匠海は隠れていたハッカーを炙り出した。

 

 チリッ、と脳内で何かが焼け弾けたような音を聞いた気がして集中していたことに気づく。
 AR表示の時計を確認するといつの間にか数時間が経過している。
 ちょっと集中して巡回しすぎた、少し休憩するかとオーグギアに手をかけたその時。
『戦争だよ、タクミ』
 不意に、脳内で声が響いた。
 それがオーグギアの通信機能での通話に似ていて、誰かが通信してきたのかと考えるがAR表示に着信のアイコンは表示されていない。
 なんだ、と視線を巡らせると、物陰からひょっこりと人影が現れた。
 人影が現れた、というよりもアバターが物陰から姿を現したように表示されたのだが。
 それを見て、匠海が一瞬言葉に詰まる。
「な……お前、」
 そこにいたのは妖精だった。美少女フィギュア位の身長で、背にトンボのような薄羽。この数日で視界の隅をうろうろしていた妖精が、目の前にいる。
『戦争だよ、タクミ』
 先ほどと同じ言葉を、妖精が口にする。
 戦争だと、と、匠海がオウム返しする。
 そうだよ、と妖精が頷いた。
『別の人がね、頑張ってるけどこのままじゃわたし、捕まっちゃう。そうなると世界樹側の敗北でゲームオーバー。タクミなら、きっとなんとかできる』
「どうしてそう言える」
 匠海の問いかけに、妖精がだって、と答える。
『この世界樹を巡回している監視官の中で一番強いのはタクミ。魔術師マジシャン 相手に後れを取るタクミじゃないよね?』
 そう言って妖精はくるりと回った。
『ねえ、わたしが捕まったらどうなると思う?』
「知るか。俺はあの日以来忙しくて仕方がない」
 正直に、匠海は答えた。あの宣戦布告ともいえる音声ファイル発見以来一気にハッカーが増え、忙しいのだ。妖精のことは気になるが構っている暇などない。
 むー、と妖精が口を尖らせる。
『タクミ、つれなーい』
「そりゃどーも」
 早く用件を済ませろ、でなければ俺はコーヒーを飲みに行く、と席を立とうとすると妖精はだからちょっと待てーと大仰に手を振り回した。
『だーかーらー、わたしが捕まると世界樹にあるデータ、今日の昼食のレシピから夜のおかず、機密情報までぜーんぶ、ネットワークにばらまかれるんだよ! そしてタクミたちの監督不行き届きで世界樹は停止、みーんな路頭に迷うことになるどころか機密漏洩で逮捕、損害賠償かもね』
 特にタクミはチームの中でも上の方の立場だから損害賠償の金額も半端じゃないかも、と余計な一言を付け足し、妖精は匠海を見上げた。
『それでもコーヒーを飲みに行くなら止めないけど』
「……面倒だな。分かったよ、阻止すりゃいいんだろ」
 これだけ脅されれば誰でも動く、というものである。
 一度は立ち上がりかけた体をシートに沈め、匠海はどこだ、と確認した。
『んー、もうすぐ救援要請来る、かな』
 その妖精の言葉が終わらぬうちにAR表示に緊急通信のアラートが表示される。
 回線を開くと、前に「妖精を視た」と相談を持ち掛けてきたあの先客だった。
《アーサー、俺じゃ食い止められん!》
「今どのエリアだ、すぐ行く」
 エリアマップを開き、どのエリアが侵入されているかを確認する。
 一見、何もないところが一番怪しい。
 この仲間が止められないと言っているということは侵入者もかなりの腕前ということ。もしかするとオーグギアを介してのエリア開示も封じられているかもしれない。
《F-23エリアだが……クソッ、ポータルを片っ端から潰しやがる!》
「落ち着け、そのエリアならこっちから穴を開ける」
 空中に手を伸ばしコンソールをいじりながら匠海は仲間が指示するエリアに移動した。
 一見、何の変哲もないこのエリアの『裏側』で仲間とハッカーが激しい戦闘を繰り広げているはず。『裏側』と表現したが、例えるなら『鏡の向こうの世界』といったところか。
 その情報空間の裏側に移動するためには――
「ポータル開放シークエンススタンバイ。空間強制展開」
 一か所、ほんの少しでも穴を開けることができれば移動は簡単である。その穴の開け方でハッカーは素人か玄人か判別することができるとも言われている。
 誰の目にも分る穴の開け方では素人であるし穴を開けた形跡すら残さなければそれは腕の立つ玄人ハッカー、通称『魔術師マジシャン』と呼ばれる。
 もちろん匠海は世界樹の監視官となる前に侵入し、フラグを建てたという実績を持っているくらいだから何の痕跡すら残さず穴を開け、裏側に侵入することは朝飯前だった。
 いくつかのツールを利用し、何もない空間にすっ、と指を走らせると空間に切れ目が生じ、次の瞬間周りの表示が変わった。何の変哲もない情報空間のAR表示が消え、六角形の網状ヘクスマップの半球状ドームが展開される。ドーム内も多数の六角形を形成する、または形成しようとする直線が広がり、分子図を見せられているような気がする。
 このどこかに、侵入者はいる。
 匠海の後ろで先ほど切り裂いた空間上の線が消えていく。
「よっしゃ、いっちょやりますか」
 この手の侵入空間は経験こそ少ないものの対処したことはある。多数の分子図を思わせる六角形、それ切り貼りして侵入者の移動ルートを制限、確保してしまえばいい。
 幸い、侵入者はタクミの侵入に気づいていないらしく攻性プログラムは全て一か所――仲間のところへ展開されている。
 今の内だ。
 手近なラインに手を伸ばし、触れるとそのラインがどこにつながっているのか光って知らせてくる。それを見ながら匠海はラインを動かし、六角形につなげていく。
 まずは端から、それからどんどん世界樹に根を張ろうとしていたラインを除去していく。
「……なかなか気づかないな。そろそろ気づく頃だと思っていたが……」
 この侵入システムを使うくらいだから相当腕の立つハッカーだと思っていたが、そうではないのか。それとも、仲間の陽動が意外にも功を奏しているのか?
 気づかれないのをいいことに、匠海はラインを徐々に球形に近い状態に仕上げていた。
 あと数本、位置を調整すればラインは全てつながって一つの球体となり、侵入者は自身の作り出した迷宮に閉じ込められることになる。
 手にしていたラインを接続し、次のラインに手を伸ばす。
 そのラインに手が触れようとした直前。
《アーサー! それは罠だ!》『タクミ、それは罠よ!』
 二人の声に、咄嗟に手を引っ込める。
 一瞬、指先がラインに触れ――
 ヂッ! と一瞬だけラインが火を噴き、次の瞬間、何もない空間を巻き込むようにして引っ込んでいった。まるで、獲物を捕まえた食虫植物のように。
「あぶな……っ」
《ふん、気づくとは悪運の強い奴だな》
 ザザッと目の前の映像が乱れ、薄気味悪いピエロのアバターが匠海の前に現れる。
《気づかなければそのまま私の作った電脳迷宮をさまようことができたのに》
「生憎とそんな趣味はなくてね……」
 素早くフォルダから適当な攻性プログラムを呼び出し、展開できるように準備する。
《無駄無駄、私を捕らえる事なんて魔術師にはできない》
「そうかな……」
 一度は展開できるように準備した攻性プログラムを一旦待機状態に戻して投げ捨て、別のプログラムを呼び出す。それを見た侵入者のアバターがケラケラと笑った。
《何を用意しても無駄だよ。だって私は天才なんだよ、ちょっとやそっとの攻性プログラムで捕まると思ってるわけ?》
「……ああ、実はな。そうやって上から目線の奴って最終的には悲惨な目になる結末が見えてるからな」
 そう言いながら、匠海はアバターを睨みつけた。
「お前も妖精を捕獲しに来たのか?」
《当たり前だ、妖精を捕まえることで世界樹の全データを好きにできる、つまりそれは世界樹の支配者になれるということじゃないか。そんな権利、ほしいに決まっている》
 先ほどの妖精の言葉を思い出す。
 妖精とはすなわち、世界樹のデータを自由に操ることができる人間に近い容姿のアバターを持ったゲートキーみたいなものだということか。
 だが、それを知ったところでこの侵入者に妖精を渡す気は全くない。
 妖精が言ったことが現実になるのが怖い。自分の才能が正しく認められる職場に就職できたというのに、妖精というよく分からない存在のせいで職を失い牢獄のまずい飯を食わされるのは死んでも嫌だ。世界樹を閉鎖に追い込む失態を犯したハッカーがもう一度ヘッドハンティングされて救われるとはとても思えないし。ただそれが心配だった。
 妖精なんて知ったことではない、危害と損害さえ与えてくれなければ別にどうなっても構わなかった。だからただ妖精が捕獲されるだけだったら放置したかもしれない。自分に迷惑が降りかかるから、この侵入者を撃退するだけだった。
「……ま、お前の言い分は分かった。だからさっさと捕まってくれ」
《話を聞いていなかったのか、その辺の魔術師に私は捕まえられない》
 侵入者の言葉に、匠海が肩をすくめて見せる。
「俺をその辺の魔術師と同じ扱いしてくれるとはね……だから上から目線の奴は悲惨な末路を辿るんだよ」
 そう言い、手にしていたプログラムを展開。
 展開されたプログラムが、ドーム内の空間を一気に侵食する。
《自分も仲間も同じ空間にいるのに即効性浸食ウィルスを展開!?!? 自殺する気か!?!?
 馬鹿な、という侵入者の声にはお構いなく、匠海はここで初めて仲間に声をかけた。
「今だ!」
《はいよ!》
 仲間の反応は早かった。
 空間が完全にウィルスに侵食される一秒前、あと一秒遅ければ匠海も仲間も汚染されるそんなジャストなタイミングで仲間は受け取っていた攻性プログラム――先ほど匠海が投げ捨てたもの――を展開した。
《な……ん、だと……》
 侵入者が驚愕の声をあげる。
 ウィルスが展開され、これ以上ここに留まるのは危険だと判断した侵入者は自分が用意していた例の分子図マップのようなツールを利用してポータルを開き、撤退しようとしていた。だが、匠海が巧みに逃げ場を塞いでいたためポータルの展開に手間取っていた、そこへ新しい攻性プログラムが展開され――
「言っただろう、悲惨な末路を辿るとな」
 仲間が展開した攻性プログラムは空間内の異物――ウィルスだけでなく、世界樹が許可しない侵入者なども含める――を全て包み込み、捕食するものだった。侵入者が捕食された場合はオーグギアの全てのデータが凍結され、不活性化する。人体に影響は出ないが日常生活を送ることは非常に困難になる。サイバー警察にも通報済みであり、数分後には逮捕劇が展開されるだろう。
 空間内のウィルスも侵入者が展開していたプログラムもすべて飲み込まれ、次いで空間自体も匠海の手によって閉鎖され元の空間に戻る。
《助かったぜアーサー、今度一杯おごる》
「死亡フラグ建てんな」
 そんな軽口を交わしながら、匠海はちらり、と周りを見回した。
 あの時、仲間の忠告だけではトラップを躱しきれなかったような気がする。そこで妖精に一言お礼を言おうと思ったのだが、必要な時に限って気配も何もない。
 まさかあの攻性プログラムに巻き込まれたとは思わないのでもしかすると危機を察知して早々と逃げたのかもしれない。
《おい、アーサー……》
 仲間の呼びかけに匠海がなんだ、と聞き返す。
《お前……視えてるのか?》
「ああ、面倒なことにな」
 答えてから、しまったと呟く。
「視えている」と断言していなかったのにここでうっかりばらしてしまうとは。
 やはりな、という声が届く。
《そんな気はしてたんだ、お前に視えていないはずがないと思っていた》
「……」
《安心しろ、誰にも言わん。お前には借りがあるしな》
 そう言って豪快に笑うその仲間に前の不安はどこにもない。
 一応、信じておくことにするか。
 ありがとう、と伝えると仲間はとにかく、と続けた。
《一応他にも何人か視えているらしいからな。お前が視えて不思議はないさ》
「そうか……」
 それならいろいろと調査ができそうだ。
 妖精の正体とはいったい何なのか。
 何のために妖精という存在が現れたのか。
『別に害がなければいいと思うんだけどなー』
 突然の妖精の声に、思わず周りを見回す。
『とにかく、タクミが頑張れば世界樹は安泰ね』
 空になったコーヒーの紙コップのふちに腰かけた妖精がそんなことを言い、それじゃと手を振る。
『頑張ってね、タクミ。わたし、信じてるから』
「おい待て!」
 一方的すぎる発言に思わず声をあげるが、妖精は匠海のそんな言葉を意に介さずふっとその姿をかき消してしまう。
「ったく……」
 やりたい放題だな、とぼやき、匠海は立ち上がった。
 なんだかんだあって喉が渇いた。飲みそびれていたコーヒーを、いや、エナジードリンクでも飲むか。
 ブースを出て、匠海はドリンクコーナーへと移動した。
 ……先客がいた。

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