笹の葉に想いを託し
by:蒼井 刹那 Tweet
「あとは
メモアプリに表示される食材を読み上げながら手慣れた様子で食材をカートに入れる彼は日系三世、日本文化からはある程度遠ざかりつつある世代である。
が、こうやって日本食材を買い込む程度には匠海は日本食をそれなりに作り食べる人間であった。
元々はそこまで日本食が好きだったわけではない。アメリカに移民した
――
ふと、自分が日本食に触れるきっかけを思い出す。
スポーツハッキングの腕を磨くためと世界的な大会を積極的に開催するアメリカにやってきた一人の日本人女性。
彼女との出会いが匠海を大きく変えた。
ごく普通の会社員として働いていた匠海をスポーツハッキングの世界へを導き、そして流星のように消えて行った和美。
――逢いたい。
その思いは常に匠海にまとわりついている。
暫く起きてなかったフラッシュバックが起きそうな気配を感じ、駄目だ駄目だと首を振って昏い考えを振り払おうとする。
と。
『タクミー、七夕祭りだってー』
匠海の様子に気づいて気を紛らわせようとしたのか、偶然かは分からないが彼の左肩のあたりで面白そうな商品がないか回りを見ていた妖精が声をかけてきた。
「ん?」
妖精の言葉に一気に現実に引き戻され、ほっとしたように匠海が妖精が指さす方向を見る。
そこには何本かの様々な紙細工に彩られた笹と小さなテーブル、そこに折り紙や筆記用具が置かれている。
『へー、お願いごと書いて織姫と彦星に届けよう、だってさー』
折角だからタクミも何か書こうよ、と妖精が提案する。
その前に、笹にぶら下げられた他人のお願いごとにふと興味を持った匠海は七夕コーナーに足を向けていた。
◆◇◆ ◆◇◆
「匠海、七月七日って何の日か知ってる?」
ベランダに出て星空を眺めながら和美が匠海にそう問いかける。
「七日? 独立記念日は過ぎてるしな……何の日だ?」
和美の横に立ち、匠海も星空を見上げる。
「七月七日は七夕。織姫と彦星が年に一度だけ逢うことができる日」
和美の言葉にへえ、と声を上げる匠海。
「日本の風習か?」
「そうね……元々は中国のお祭りらしいけど日本でも願い事を書いた短冊を笹に吊るしたイベントになってる」
そうか、と匠海はそっと和美の肩を抱く。
「織姫と彦星って?」
「天文学的に言えば織姫はこと座のベガ、彦星はわし座のアルタイルって言われてるね。天の川を挟んでるけど、この二人は年に一度、七月七日だけカササギが橋を作ってくれて逢えるんだって」
でも、日本は梅雨の真っ盛りで、大抵雨なのよね……と和美がぼやく。
「雨が降ると不都合があるのか?」
「そりゃ、天の川が増水して危険じゃない。年に一度しか逢えないのにそれじゃかわいそうでしょ」
なるほど、と匠海は頷いてから改めて星空を眺めた。
街の明かりで無数の星が見える、というには程遠いがそれでも1等星であるベガとアルタイルは視認できる。
オーグギアの天体観測モードで星座の確認をしてからデータを非表示にさせて二つの星を見る。
「……でもさ、考えようによっては雨の方がいいんじゃないか?」
不意に、匠海がそう呟く。
「? どういうこと?」
不思議そうな和美の声。
だって、と匠海が続けた。
「雨は地球での現象だろ? 星の世界には関係ない。そう考えると雨で空が見えない方がその織姫と彦星とやらは誰の目も気にせず逢えるんじゃないかなって」
どうせ雨で天の川が増水するってのも人間が作り出した夢物語なんだから、そう考えた方がロマンチックじゃないか、と匠海が続ける。
「……そんな考え方があるのか……なるほど」
匠海の考えは荒唐無稽ではある。
そのような伝説に現実を当てはめるのは実に馬鹿馬鹿しい話である。
だが、それでも匠海の考えはロマンチックだな、と和美はふと思った。
「……ねえ、匠海」
匠海の肩に頭を預けながら和美が声をかける。
「どうした?」
「七夕飾り、作ってみる?」
どうせ
それに対し、匠海が「面白そうだな」と頷く。
「作り方、教えてくれるか?」
「勿論。折角だし、そうめんも茹でちゃう?」
日本流の七夕のお祭り、楽しみましょ、と和美が笑う。
「そうだな」
もう一度頷いて、匠海は改めて和美を抱き寄せた。
その瞬間、得も言われぬ不安が匠海を襲う。
いつか、和美が自分の手から離れてしまいそうな。
それこそ、織姫と彦星のように限られた時にしか逢えなくなるような――。
「……俺たちは、あの二人みたいにはならないよな」
思わず、和美にそう問いかける。
匠海の腕の中で和美が頭を上げ、彼を見上げる。
「そんなわけないでしょ。わたしは、ずっと匠海の傍にいる」
そう言って、和美は匠海に微笑みかけた。
◆◇◆ ◆◇◆
――結局、あの約束は守られなかった。
あの約束から約二か月後にあの事故は起こった。
和美は匠海を庇い、トラックに撥ねられ命を落とした。
あれからもう何年が経過したか。
織姫と彦星はまだいい、年に一度だけでも逢うことができる。
それに比べて、自分は――。
『タクミ?』
笹飾りを前に呆然と立ち尽くしていた匠海に妖精が声をかける。
はっとしたように、匠海が妖精を見る。
『思い出してた?』
「……ああ、」
小さく頷き、匠海はそっと手を伸ばして誰かが書いた短冊の願い事を見る。
「家族みんなが元気でいますように」や「プロスポーツハッカーになりたい」という様々な、ささやかでいて大切な願い事にふっと笑みをこぼす。
「あの時の俺はなんて書いてたっけ」
ふとそう思い、匠海が記憶のページをめくる。
あの時の自分は、確か――
『「キャメロット世界制覇」だったよね』
アーカイブを参照したのか、妖精が先に答える。
「そうだったな。あとは『和美の作るコロッケが食べたい』だ」
そう言ってから、匠海はもう一つ、思い出した。
短冊には書いたが恥ずかしくて結局丸めて捨ててしまった願い事――。
「……『和美と結婚したい』もぶら下げとけばよかったな」
『……タクミ……?』
じとり、と妖精がジト目で匠海を睨む。
『タクミはどうして大切なことを言わないのーーーー!!!!』
「うわっ」
聴覚フィルタリングを貫通した妖精の怒鳴り声が匠海に届く。
「……耳、いてぇ……」
右耳に手を当てて匠海が唸る。
『タクミなんなのバカなのなんで
「プロポーズはしたぞ!」
『それ、朝ご飯作ってるときに不意打ちでしょ!?!? ムードも何もなかったじゃん!』
まくしたてる妖精に、匠海がうっ、と言葉に詰まる。
「だ、だって、あの時本当に和美の味噌汁毎朝飲みたくて……」
『タクミ、ほんっとうに、バカだよ……』
腰に手を当てて、妖精がぷくー、と頬を膨らませる。
「……悪かったな」
『わたしに謝っても仕方ないでしょ』
依然プンプンとしている妖精に、匠海はそうだな、と頷いた。
それから、テーブルに置かれた短冊と筆記用具を手に取る。
『お、書くの?』
ああ、と頷いて匠海がさらさらと願い事を書く。
興味深そうに眺めていた妖精が、眉を寄せる。
『英語で書いてる! ずるい!!!!』
「恥ずかしいんだよ!」
妖精とそんなやり取りをしながら、匠海は傍らに置いてあった
「……これでよし」
そっと短冊を撫でて、踵を返す。
「……よし、買い物続きするか」
『今日のごはんはー?』
妖精が匠海に尋ねる。
「お前は食えないだろ」
久しぶりにそうめんでも茹でるか、と言いつつ二人がその場から離れていく。
残された笹飾りがそよりと揺れる。
――
そう書かれた短冊が、ゆらりゆらりと揺れていた。
おまけ:七夕イラスト
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