縦書き
行開け

後方の戦争

 戦争が始まり、数か月たった首都の郊外の陸軍総司令部。その隣にあるコンクリートのみで作られた強度だけが重視され、中で仕事をする人間の事など考えていない建物に入る。そして、入ってすぐに設置されている鏡で自分の軍装におかしな点が無い事を確認する。
 それから、自分が最高責任者である陸軍補給統括部のドアをくぐる。名前の通り、陸軍の補給に関わる事全般を行う部署で、前線への物資運搬、物資集積地の整備等輸送計画の作成が主な業務である。
 部屋の一番奥にある自分の机に向かって座り、各地にある物資集積所に蓄積された物資の状況が纏められた書類を確認する。
「大尉、リグレーンの物資が増える一方だが」
 リグレーンは前線から離れた地域にある都市で、前線から離れた地域にある物資集積所の物資が増える状況というのは、前線に輸送する物資がそこで停滞している事を意味する。
「トラックの運転手が確保出来ないそうです。伝染病の疑いから衛生局に移動制限をかけられたそうで」
 大尉が書類を確認しながら回答する。リグレーンは鉄道駅を持つ都市であるから物資を運び込むのにトラックを使用しない。そのため、物資が溜まる状況となっていたようだ。
「分かった、しばらくはあの地域を避けた輸送計画を立てる。それから、リグレーンにはうちの予備要員を派遣しよう。貯まった物資は動かさなきゃならん」
 トラックの運転手はこのような事態に備えて我々でも確保している。それを派遣すれば運転手不足は改善する。
「大佐、予備要員はすでにウェリト港に派遣されていますが」
 中尉が予備要員のリストを確認しながらそう言う。忘れていた、ウィリト港は海外からの輸入物資を受け入れている港であるから、ここの機能不全は全体の補給に影響する。予備要員の派遣を取りやめる訳には行かない。
「分かった、各地の人員を確認して人員を確保しよう。私は衛生局にも電話して何とか制限を緩められないか確認してくる」
 机に据え付けられた受話器を取りながら電信員に指示を出す。首都内であれば電話が整備されているが、各地への長距離通信はまだまだ電信が普通である。
 交換員に衛生局につなぐように頼み、電話が繋がると衛生局の職員と交渉してみたが、最後まで頑なに拒否された。医療用品の不足する前線で流行が始まるのを予防しなければならないというのも分かるし、そうなれば輸送物資の増加を招き、こっちも苦しくなるのは明らかであるから諦めるしかない事であるが、健康な運転手が止められるというのは納得が行かない所がある。
 電話が終わる頃には電信員が各地の余剰運転手について纏めてくれたので、念のために健康状態を確認してからリグレーンに移動するように命令を出す。
「司令部から電文です。ビラー方面で敵戦線が崩壊、大規模攻勢を実施中。優先で補給を回すようにと」
 落ち着いたかと思えば、電信員が司令部からの電信を読み上げる。事前の会議だと攻勢はビラー方面から離れたゼルテン方面で行われる予定であり、物資の輸送、もそれに基づいて行われている。ビラー方面には攻勢を続けられるほどの物資は用意されていないし、補給路に山岳地帯が存在し、運ぶのも難しい地域だ。
「騎兵、機械化歩兵、機甲でもなんでもいいから輸送手段を確保しよう。各地に確認を取る」
 せっかくの好機をこちらの問題で逃すとなると、不信感を抱かれ別の地域で輸送力の不足が発生した場合、協力してもらえない場合もある。補給が実現出来ない時はこちらも限界であるからその所を理解してほしいと思うのだが中々難しい。
 各地から輸送手段をかき集めると同時に、前線から必要な物資についての情報収集を行う。限られる輸送量を効率よく使う為に運ぶ物資を吟味する為に出来るだけ多くの情報を得る事は重要で、特に状況の動く攻勢中は慎重に行わなければ、弾が不足する陣地にトラックが到着したと思ったら大半が食料であったという事が起こりかねない。
「前の中古のトラックを大量に導入するって話はどうなりました?」
 運ぶ物資、使うトラック等を纏めた輸送計画書を書きながら中尉が尋ねてくる。
「購入した車両が多様多彩で、整備環境の検討で止まっているようだ。いま使っている車種の拡充だけで良かったんだが」
 トラックも運用している内に損傷し整備が必要であるが、そのトラックが多様であると整備員や部品を運ぶ手間が増えてしまう。また、整備担当の負担も増え、その影響で整備不良のトラックが溢れるようになると故障で数は増えたのに輸送力は低下してしまうという事態が発生しかねない。
「なんでうちってそれぞれがそれぞれの思い思いにやっているんですかね?」
 大尉が電信員に書類を手渡しながらぼやく。
「なんでだろうなあ」
 たまによく戦争をしてられるな、と思うぐらい陸軍内でも連携が取れていない事があるのだが、不思議と戦争は優位に進んでいる。敵はもっとひどいのだろうか等と考えたりもするが、目の前の問題を片づけるので手一杯であり、そこまで思考を巡らせる余裕というのは無い。

 

 それから数日が経過し、ビラー方面の輸送問題が一段落したかと思った頃であった、私の机にある電話が大きなベルの音を響かせた。
 その電話は農業省からで、今年は穀物が近年稀にみる不作であり、その不足を補う為に食料の輸入が必要であるから貸し出しているトラックを返還してほしいという要請であった。
 戦時下のこの国では食料は配給制になっており、その管理は農業省の担当であり、多くのトラックを持っていたが、食料不足の傾向は無くあまり使用されていなかった為、うちで使用させてもらっていた。
 しかし、よりにもよって輸送力がギリギリの状態でトラックを返還しなくてはならないとは、タイミングが悪い。
 国民の食糧事情が悪化する事の影響を考えると拒否など出来ず、それなりの数のトラックを返還し、それを補填する輸送手段を用意しなくてはならなくなったが、その目途などあるはずも無い。
 整備待ちのトラックを短距離の輸送だからと動かし、将校移動用のスタッフカーまで動員して何とか維持している状況からトラックを抜かれてしまえば、状況は容易に崩壊する。
 馬車の余裕ならあるが、水食糧、厩舎の確保等必要な事が多くトラックの代わりを務めるのは難易度が高い。
「残りの中古トラックを投入しますか?」
 中尉が提案する。整備環境の検討が終わり、整備への影響が少ないと判断された車種は運用を開始していたが、我が国で一般的なインチ規格では無くミリ規格で設計された物、設計が全く異なる物等、整備への影響が大きい物についてはどうするかが決定されておらず、放置された状態だった。
「走行中に故障し道を塞ぐなんて事があれば困るが、仕方ないか」
 たとえ整備しづらい物でも、動くなら抜けるトラックの代わりを務める事が出来る。故障は怖いが、車両が無ければ何も出来ない。
 整備担当との会議を得て、投入地域は道が太く、後方の地域に限り、耐久テストをクリアした車両のみ投入する事を決め前線に投入する事が決定された。


そして数日後、やはりトラックが原因でトラブルが発生してしまった。整備工場でインチ規格のネジとミリ規格のネジが混ざってしまったらしく、上手く固定が出来なかった結果、トラックの部品脱落事故が多数発生したのだ。
これの対策が完了するまで多くのトラックが動けなくなり、輸送力は大きく低下する事となり、ミリ規格のトラックの投入も中止されトラックの台数も減ってしまった。今度こそ打つ手なしかと思われたが、ビラー方面の攻勢が落ち着いた為、補給の需要が低下し、低下した能力でも何とか対応する事が出来た。
さらに嬉しい事に海軍の持つ多数の旧式哨戒機を輸送機に改装し運用する事が決定され、輸送機の機数が少なく限定的であった空輸を積極的に行えるようになり、輸送手段の幅を広げる事が出来る。輸送手段で困らされる事は減りそうだ。
しばらくは事前の計画通りゼルテン方面の攻勢に備えた備蓄を始める事になる。セルデン方面の指揮官は、堅実な攻めを好む将軍であるから求める物資こそ多い物の、大きく状況が変化する事は少なく、事前の計画に基づいた輸送を上手く行えれば良いから計画さえ立ててしまえば大分楽になる。
そして、ついに哨戒機改装の輸送機も配備され、ゼルテン方面の攻勢作戦が開始された頃だった。ある情報が飛び込んできた。
我が国の誇る客船が敵の潜水艦に撃沈されたという情報で、それを聞いた瞬間、私は嫌な予感がして、電話を見つめた。
その予感はすぐに当たり、電話のベルが鳴った。予想通り海軍省からの電話で対潜哨戒の強化を行いたいから輸送機に改装した哨戒機を返してほしいという事であった。
もし敵潜水艦の跋扈を許し海外からの輸入物資が止まったりしたら国内生産で補いきれない物資の補給は困難となる、対潜水艦能力の強化が必要なのは理解出来たが、せっかく使えると思った輸送力が無くなるというのはやはり悲しい。
幸いだったのは計画に大きな影響が無かった事であったが、速度の速い空輸は緊急時の輸送に活用しやすい手段である為、出来れば手に入れたかった。

 

 輸送機を使う事態にはならず、ゼルテン方面の攻勢作戦も終了し補給統括部にも平穏が訪れていた。物資需要が低下したのと同時に食料貯蔵が目標に達した事からトラックを再び借りる事が出来、トラックの台数にもだいぶ余裕が出てきた。
 戦況も優勢で戦争は間も無く終わるだろう、そう思い深く椅子に腰かけた時だった。
「大佐、電文です。ベルド山脈にて敵ゲリラの襲撃を受け輸送隊に大きな被害が出たと報告が」
 電信員が私に報告する。どうやら落ち着いてはいられないようだ。補給がこちらの弱点であると気付かれたのかもしれない。
 損傷したトラックと物資についての確認をする事を命じつつ、護衛を要請するならどこが良いかを考える。
 また、護衛させると言っても重武装の護衛はその為の物資が必要になり、届ける物資量が減ってしまう。必要最低限の護衛に留めたい。
「司令部にウィルテヌの攻略を要請しては? あそこの設備があれば海路での補給が可能になります」
 大尉が提案する。たしかにゲリラの襲撃が予想される陸路よりは安全であるが、客船撃沈以降動きが無いとは言え、敵潜水艦の脅威は存在する。
「そうだな、安全を確保出来るか海軍の護衛司令部に確認する」
 海を使った輸送については海軍の担当となる為、海軍における我々に当たる護衛司令部に確認を取らなければならない。
 確認を取るとウィルテヌまでの航路に危険は無く、海路の確立は可能であるという返答が返ってきた。そうと分かれば司令部に提出する文書の作成を始める。
「攻略作戦の為に護衛に戦力を回せないとなればどうしますか」
 護衛に就く事が可能な部隊を確認している中尉が疑問を発する。
「その可能性もあるが、敵ゲリラの活動が橋や道路に及べば陸路が機能不全に陥る可能性がある。新規ルートの開発も進めたい」
 川や谷に掛かる橋を落とされれば数分で済むルートが数時間のルートとなる事や、移動出来なくなる事態が発生する。現在利用している補給路の一部は元々敵の作った道路だ。弱点は把握されていると考えるのが自然だろう。こちらで気が付いた地点には警備を行っているが、見落としている地点もあるかもしれない。それを阻止出来るのが望ましいが完全な阻止が難しい以上、脅威の無い新ルートの作成というのが有効な対策となる。
 ウィルテヌ攻略を提案する文章を司令部に提出した所、敵にとっても重要な補給拠点であり攻略は大きな意味があるとウィルテヌの攻略を目標とした作戦を立案する事となった。
 護衛部隊についても装備戦車の更新が行えていない機甲部隊を確保する事が出来た。現用の戦車はトラックと比べて速度が遅く逆に速度の速い先代戦車の装備部隊というのはむしろ輸送隊にとって良い事であった。
 ゲリラの襲撃は恐ろしいが対策はしっかりと出来たと思う。落ち着く為に椅子に深く腰を掛けた時、電信員が紙に字を書く音が聞こえ、電話のベルが鳴り響いた。どうも、まだ落ち着いてはいられないらしい。

 

End

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