魚は捕らず
漁船が一隻、浮かんでいた。
いや、正しくは漁船ではない、漁船に武装を施した軍艦である。
しかも、軍が民間船を徴用して利用しているのではなく、最初から軍艦として製造されたものなのである。
理由はいくつかある。まず、この国がいくつかの諸島で構築された、島国であること。だから、船舶の需要はあるし、海軍も軍艦が大量に必要だ。
しかし、この国の工業力は、低いのだ。大、中型船舶の最近の建造実績を見ると、5000トン貨物船1隻、1000トン貨物船が2隻であった。 当然、これは、国内の船舶の需要を満たすものでなく。活躍する多くの船は輸入船舶であった。
軍艦の建造は2年に1隻か2隻、駆逐艦が就役するくらいであった。
それでは国を守るのに不十分であったが、造船力の増大は、あまり進まず、増産は不可能であった。ちなみに、国産の駆逐艦は性能が低いと文句ばかりである。アメリカ、イギリス から流れてくる。旧式の平甲板駆逐艦の方が頼りにされるほどだ
そんな状態であったが、漁船クラスの小型船は民間の需要を満たせるだけの供給があった。
それを使わない手はないと、軍艦として漁船を発注し、配備しているのだ。
小型の艦艇である、魚雷艇を健造する計画もあったが、設計や製造法を変える手間を造船所側が負えず、その負担を受ける事を政府は行わなかったので、漁船の武装化ということになった。
そんな裏事情はともかく、この漁船、いや、軍艦の35号哨戒艇はのんびりと海を進んでいた。
のんびりとしているように見えるのは、エンジントラブルで上手く進めないからであったからで、艇内はてんやわんやであった。
元から、国産のエンジンはまともに動くものは少ないと評判であったが、その中でも優秀な個体を選りすぐったはずの軍艦用エンジンすらすぐに壊れるというのはこの国の工業力の低さを示している。
「予備の点火プラグはどこだ!」
「それよりも、燃料の配管を閉め直せ! 漏れてるぞ!」
エンジンルームでは、怒号が飛び交っていた。
あまりに故障するものだから、壊れても止まらないように、エンジンを二つ付けるという解決法を取っているのだが。両方のエンジンをひとつのスクリューに繋げるという機構は、複雑化を招くし、二つエンジンがあれば、配管は当然増える。それらは、逆に整備性を低下させ、エンジンが止まり動けないという状況はむしろ増えたりしている。
そんなものであったが、この艇はそのお陰で動けていた。いまさっきまで。
稼働していたエンジンの排気口が壊れて、エンジンルームを黒煙で満たし、必死で整備していた者たちを覆い隠した。
しかも、充満した黒煙は、吸気口と繋がるパイプの隙間から進入し、稼働していたエンジンを止めた。
エンジンが止まったおかげで、黒煙の流失は止まり、窓などの開けられるところはすべて開放したので、黒煙は、すぐに晴れた。
整備していた者たちと、エンジンルームは黒く染まっていたが。
「大丈夫か、機関長?」
艇長が、様子を見に降りてきて、エンジンの責任者である機関長に声をかけた。
「大丈夫です。いつも通りです」
機関長は、服に付いた黒ずみのほとんどは燃えきらなかった燃料が付着したものだから、払っても取れない事を理解しながらも、一応服から落とそうと払いながら答える。
「外国産のエンジンが配備されるという話もある。それまで耐えてくれ」
艇長の励ましに、周辺を警戒していた水兵がボソッと。
「どうせその予算は、大型艦か、上層部のポケットに消えるんでしょ?」
という愚痴をこぼした。
「そういうな、駆逐艦も巡洋艦も大変なんだ」
上層部の横領には触れずにフォローする。
駆逐艦や巡洋艦も老朽化によって、大分手をいれないとならない。
大戦後に不要になった軍艦を大量に入手したのだが、それが一気に老朽化がしつつある。
しかし、それを代替する艦船はなかなか就役しないのだから、必死で使い続けないといけないのだ。
若い艦船が少なく、年老いた艦船が多いことを考えると、少子高齢化的な状況といえるかもしれない。
上層部のポケットに消えるというのは、上層部と強く結び付いた国内の大手エンジン会社に仕事を回すという、所謂癒着というものだ。大手会社は、品質を向上しなくても、上層部にお金を掴ませるだけでいいのだから、改良せず、作り続けることでどんどん利益をあげられる。
その収益の一部が上層部に入る訳だから外国、もしくはその他のメーカーに発注する事は無いのである。
「気持ちは分かるがあまり言うな。さあ機関長、なにか手伝う事は?」
「人員を二人、もうエンジンをバラします」
「わかった、残りの者は、よく海面を見るんだ。止まってると鮫やシャチがくるぞ。小銃を持て」
艇長の指示に従って、水兵たちが行動を始める。小銃を用意するのは、いざとなったら鮫やシャチに向けて撃つためだ。対空用に重機関銃がついているので、それで対応するのが音も大きく良いのだが、死角が多く、それだけでは足りないのだ。
エンジンの修理は淡々と行われたが、なかなか直らない。
ここが陸ならメーカーに送り返す方が良いのではないかと思うほどの分解修理を終えると、ようやく動き出した。ただし、片方だけで、もうひとつは部品取りにつかってしまったから、一度帰らないと直せない。
最も、帰って補給を受けた部品がまともに動くか、という問題もあるのだが。
「今日の夜には入港だ。なんとか保ってくれよ」
機関長の言葉を聞いて、多くの者がエンジンを拝むなり、祈るなりで無事を祈った。
この艇の武装は、軽装である。
艇首付近に主砲である対戦車砲改良の40mm砲。先程触れた12.7mm重機関銃が艇後方の両舷に各一丁。
対潜にも用いられる61mm迫撃砲が操舵室を挟むように二門装備されている。
漁船としては重装備であるものの、航空機のジェット化による高速化、潜水艦の原子力化の足音が聞こえている中で、この装備で十分かと聞かれると、誰もが少なくとも首を縦に振ることは無いだろう。
魚雷艇のように魚雷を搭載することも出来るが、一部の哨戒艇にのみ支給されているものである。その一部とは優秀なエンジンを積んでいる艇である。
戦争となれば、頼りになるか怪しい武装であるが、現在の使用用途としては、かなり強力な物であった。
「艇長! 前方に船です」
艇首の主砲付近で警戒をしていた水兵が声をあげる。
「この辺りを一人で航行している船か… 珍しいな」
この辺りは、魚が豊富な地域であるが、漁港からある程度の距離があり、漁師はエンジン不調を恐れて船団を組む。
それにいま制限漁期であるから、船団を組まない漁は基本、禁止されている。
「船名は?」
「LZ0012、と書かれています!」
水兵の告げた船名を紙切れに書き込み、無線室へ持ち込む。
「漁協に照会を頼んでくれ」
無線手は、頷いて了承すると、電鍵を叩き通信を始めた。
無線機の調子が悪いのか、電波が伝わりにくい状況なのか、何度か勘違いや聞き返しなどを挟んだため、長い時間を掛けてようやく通信が終わった。
「当該漁船は入港中なり。とのことです」
「不審船だな。司令部に発見報告を」
再び頷いて無線手が電鍵に向かうのを確認して、艇長は次の指示を出した。
「相手は不審船のようだ。撃ち合いに備えろ。そろそろ十分な距離だな。配置が終われば停船命令を」
さっき片付けたばかりの小銃がまた持ち出され、撃ち合いに備える。
主砲、迫撃砲、重機関銃にも要員が配置につき、いざというときに備えた。
ブー、ブーと少々安っぽいブザー音を響かせてから、手旗信号、及び無線による呼び掛けを行う。
「止まりませんね。船員すら出てこない」
出てきてくれないと手旗信号は確認できない以上、停船命令をしました、とはならない。
無線はごまかせる物なので、明確に停船命令を出したよ、と証明するものはない。トラブルを避けるため、停船命令を出して、相手は認識出来ていたはずだと証明しなくてはならないのだ。
「主砲、空砲射撃」
この艇が出せる最も大きな音でこっちを見ずにはいられない状態を作り出すことにした。
ドン、と艦載砲としては小さな音があたりに響く。
一応もう一発と、ドンと響く。
「あっ、出てきまし」
たっ、と言いながら、注意深く不審船を眺めていた水兵が伏せる。
「行きなり撃ってくるか」
不審船の乗員らしきもの達は船内から出てきたとおもったら、小銃を構えてこちらに向けて撃ってきた。
そこそこ距離を取っているので艇体に当たる程度であるが水兵達が死傷しかねない攻撃であった。
「反撃する。小銃で撃ち返せ」
こちらも小銃で応戦を開始する。パーン、パーンと銃声が連続する。
「相手の銃、こっちより良いやつみたいですね。連射速度がこっちより早い」
そのようだった。こっちは四人で反撃しているのだが、相手は二人、二倍の差があるわけなのだが、飛んでくる弾の数は同数か、向こうの方が多いくらいであった。
こちらはかつてのイギリスの主力小銃で、ボルトアクションの中ではなかなか連射しやすい銃であるのだか、向こうはそれより早い。
「軽機関銃までもってやがる!」
誰かが叫ぶと同時に敵の弾が降り注ぐ。ビシッビシッと弾が木材に食い込む音がする。
「進路ずらせ! こっちも機関銃を使うぞ!」
艇はすぐに急回頭を始めて、敵に向けて少し側舷をさらす。艇体への命中弾は増えるが、最も火力を発揮できる角度である。
真後ろにそのままついていては、艇首方向は重機関銃の射角外であるから撃てないのである。
しかし、速度が互角である以上、進路をずらすことは相手に離脱を許すこととなる。
イギリスが設計した旧式気味の重機関銃がドドドッと音を立てて大量の弾を吐き出す。
ベストセラーのアメリカ製重機関銃より劣るといわれているが、その火力は十分であった。
敵の木製船体を次々と破壊し、場合によっては防弾用に増設したらしい鉄板すら貫いて、不審船に弾を送り込んだ。
「撃ち方止め! 様子を見よう」
敵の反撃がなくなったので攻撃を止める。
航行を止める気配はないが、しばらく待っても攻撃は再開されなかった。
不審船の速度が下がったのか、徐々に距離がつまっていく。
銃が得意な者を選抜して臨検を実施する用意を指示しつつ慎重に艇は近づいていく。
あと少しといったところで、艇長はとっさに命令を出した。
「面舵!」
操舵手は短い言葉を適切に聞き取り、舵輪を回す。艇がガクッと傾きながら急回頭をする。その横をロケット弾が掠めていった。
敵が唐突に持ち出して攻撃してきたのである。対戦車用のそれであるが、命中すればこの小舟では大ダメージである。
回避には成功したが、緊急回頭で被害が発生した。そう、お察しの通り、エンジンである。
「黒煙を吐き出し始めた! もう保ちません!」
せっかくあと少しで追い詰められそうであるのに、エンジンが駄目になっては、追い付けず逃げられてしまう。
「こうなったらヤケだな。主砲撃て! エンジンだ!」
艇長は、取り敢えず逃がさないために、主砲で航行不能にしてやろうと考えたのだ。最悪撃沈してしまうから、避けるべきであるのだが、逃がすよりはましという判断であった。
ドンっと砲声のあと、爆発音が続く。見事に命中した榴弾によって、不審船は煙突から派手に黒煙を上げだして、速度を落とし始めた。
そして、お互いにもうもうと黒煙を空に伸ばしながら、広い海を漂流し始めた。
「エンジンは直せるか?」
「無理ですね。確認したところ、被弾もしていますし諦めた方が早いかと」
実際の所、また分解して使える部品を交換したら動く可能性があったが、できない可能性もあったし、不審船からの攻撃を警戒する必要があったから、増員を見込めない事もあって、整備担当の気力が尽きてしまっていたのだ。
「仕方ないな、増援が来るまで相手とにらめっこか」
そう言うと、艇長は自分の机にある引き出しから煙草を取り出して、希望者に配った。海軍の規定で、艇上の煙草は禁止されているのだが、何もない海上でにらみ合っていたら、気が滅入ってしまう。
煙草禁止は、木造の小型艇であるから艇体も燃えるし、狭い艇体の隙間に突っ込まれた弾薬へ引火する可能性がある事と、夜間だと煙草の赤い点程度の明かりでも発見されてしまうから、生まれた規定である。
艇体は煙草程度ではそうそう燃えないし、弾薬も引火するような置かれ方はしておらず、今は昼であるため、別に吸っても問題ないだろうという判断であった。
黒煙に煙草の白煙が加わり、さらに煙たくなったが、煙草の煙など微々たる物、あっという間に黒煙だけの空間に戻った。
不審船に動きは無く、警戒を続ける水兵たちも疲労と退屈が蓄積し、サイコロを転がしたり、トランプで遊んだりと、もはや警戒をしていないも同然になりつつあった。
艇長は、流石に仕方ないと咎める事はせず、不審船を見つめていた。
「しかし、本当に動きが無いな。何かを投棄するなり、燃やすなりの動きがあってもいいと思うんだが……」
不審船の侵入目的は、大体諜報か密輸であり、基本、後者の方が多い。
この不審船は増設された無線機やレーダーも確認できない事から、密輸船と判断したのだが、確保される前に、密輸品を捨てたりするというのはよくある事である。
艇長はいくつかの可能性を考えた。輸送は終わったので積み荷が無い。さっきの主砲で乗員が全員死傷した。主砲で積み荷が損壊した。この辺りであろうと考えた。
最初の理由は、相手の出港地が分からないと判断がつかない。次の理由は、割とすぐに煙が減少したことから適切な対処は出来たと思われるので行動不能なほどの負傷では無いはずだ。最後の理由は、この辺りの密輸品は可燃物で燃えたら分かるため、燃えていないと考えられる。
考えても答えが見つからないため、艇長は考えるのをやめて、増援の到着を待った。
最初に海軍の飛行艇 がやってきたのだが、天候が崩れそうだ、という情報だけ哨戒艇に渡して帰っていった。飛行艇は水上機の中でも胴体が船のようになっている機体の事で、水上で安定して浮かぶことが出来るが、流石に天候が悪化すると着水、離水できないので、仕方のないことである。
しばらく後、ようやくぼろぼろのコルベット がやってきて、不審船に横付けし、武装した水兵が乗り込んでいく。
コルベットは護衛用の小型軍艦なのだが。運用経費の安さから、この国では巡視船として活用されているので、臨検専門の水兵が搭乗している。
銃声も響かず、しばらくすると数人の拘束された者達が船内から水兵と共に出てきて、コルベットに移された。
しばらくしたあと、不審船の乗り込んだ水兵は全員、コルベットに戻った。
手旗信号によると、船内に密輸品は無かったらしい。現物を押さえられたら、罪はもっと重い物になるのだが、残念である。
しかし、そんな不審船についての情報がどうでもよくなるような情報を伝えてきた。
不審船を港で調査するため曳航していくため、君たちの回収は後。そういう内容であった。
娯楽が少ないこの艇で、次の増援が来るまで耐えることを余儀なくされた水兵たちは、本当に海軍にいる意味はあるのだろうかと、何度目か分からない自問自答を開始した。
整備担当の者たちは、一応といった感じでエンジンルームへ向かい、細々と整備を始めた。
日が沈んでいく中、哨戒艇はただ一隻、浮かんでいる。
漁船が浮かんでいた。
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