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いのちじゃないね。 第2話

 

 
 

 小さな出版社による、小学生を対象とした絵本コンクール。その案内を握りしめた女の子が、少し緊張した面持ちで、度流に声をかける。
「彼苑くん、一緒に絵本を作ってくれないかな」
 話しかけられたとき、度流はその子の名前がわからなかった。かなり意識していないと、度流は顔と名前を一致させることができないのだ。
 けれど、その子のことは記憶にきちんと引っかかった。おそらく図工の授業で似顔絵でも描いたのだろう。本当に泣いているみたいに見える、右目の下に三つ連なった泣きボクロ。普段なら見逃してしまうことでも、覚えているのは絵に描いたからだ。
 絵に描いたなら、度流は記憶を辿れる。
「細川さん、だよね?」
「あ、はい。……よかった、名前覚えててくれたんだ」
 彼苑くんは名前覚えるの苦手って聞いたから、という発言からするに、クラスメイトになったのは、五年生が初めてだったのだろう。
「それで、絵本?」
「そう。今度、絵本コンクールがあるんです」
 寝耳に水、ということはなかった。最近、廊下の掲示板に、今時珍しい紙のポスターが貼られたことは印象に残っている。小綺麗な印象の明朝体で「絵本コンクール」と書かれていたのも、なんとなくなら思い出せる。
 絵本なんて、いつ読んだのが最後だっけ、くらいしか考えなくて、スルーしていたが、まさか「一緒に作ろう」と言ってくる人物がいるなんて。
 度流がみんなに疎外感を感じたことはないが、遠巻きにされていることは、なんとなくわかっていた。優音といるときと、絵を描くときは特に。
「僕でいいの?」
「彼苑くんがいいんです」
 食い気味にすぱっと答える細川。そのはっきりした物言いを度流はかっこいいと思った。
 それに、はっきりと自分を求められて、悪い気はしない。言葉を交わした数は僅かだが、度流は既に細川に興味を抱いていた。
「どんなお話を書くの?」
「ハロウィンの話です。もうすぐ、そういう時期なので」
 今は秋も中頃。海外ではこの時期に「ハロウィン」という行事が行われる。度流は正確な謂れまでは調べていないが、ハロウィンは桜花に来た「海外の文化」らしい洗礼を受け、年に一度、全国区で行われるコスプレの日のような認識だ。
 そういう方面に詳しいクラスメイトが言うには、「収穫祭」と先祖の霊が帰ってくる「お盆」のような意味合いが含まれるのがハロウィンなのだという。先祖の霊の他にも、お化けたちがやってきて、生きている人間を拐ったり、悪戯をしたりするとされているため、お化けもびっくりするような怪物に扮装して追い返そう、というのがハロウィンの仮装の由来らしい。
 仮装の文化だけが桜花では色濃い印象を残し、コスプレの日、などという認識になったわけだ。
 が、コンクールに出すような絵本が果たして桜花式のハロウィン――コスプレパーティーの話なのだろうか、と度流は思った。様々な衣装、様々な仮装は、絵としては映えるが、絵本は絵と同じくらい話の内容も大切である。
 細川は、少しもじっとしてから、おずおずと、一冊のメモ帳を出す。電脳化、電子化が進み、十八歳未満の子どもも含め、世界人口の九割が電脳GNSを導入している中、紙のメモ帳を使うというのはかなり珍しい。たまに、GNSのデータを物理データにするため、印刷しているケースはあるが、細川の手帳は表紙に手書きで名前とタイトルが書いてある。
「実は、何年も前から、絵本を作りたいとは考えていて。大体のストーリーはできてるんです。絵本コンクールは、かなりいいきっかけだと思って、形にしたくて」
 緊張を走らせながら、懸命に言葉を紡ぐ細川。その眼差しを伺い、度流はそっと「読んでいい?」と尋ねた。細川は首をぶんぶんと縦に振って答える。
 メモ帳には、走り書きで「いのちじゃないね」という全部ひらがなのタイトルが書いてあり、中を開くと、罫線に沿って、文字が羅列されている。丁寧ではないが、読みやすい文字はするすると頭に入ってきた。

 

 § § §

 

 今日はハロウィン。
 にんげんがお化けのかっこうをする日。
 わいわいと顔の形をくりぬいたかぼちゃの被り物を持つ子どもたち。それを物陰から見るばけものがいました。
 ばけものは顔がまっくろで、もやっとしていて、ぎょろりと光る金色の目が二つと、耳があったなら、耳元のあたりまでといえるほど、ながぁくぶきみに裂けたおおきなおおきな口を持っていました。口の中は目がちかちかするほど赤く、まっしろいきばが、何本も並んでいます。
 ばけものは、とてもばけものでした。にんげんの前に顔を出せば、いつも怖がられて、逃げられます。そのとき、にんげんはばけもののことを「ばけもの」と呼ぶので、ばけものは自分のなまえが「ばけもの」なのだと知りました。
 にんげんはばけものを怖がります。でも、ばけものもばけもののことを怖がると思っている、ちょっと面白いところがあります。だから、このばけものの他にも、ハロウィンにたくさん来るであろうばけものたちを怖がらせるために、ばけもののかっこうをするのです。
 ばけものが悪いのは、顔だけで、ばけものはにんげんに悪さをしたことはありません。ばけものはいつもとってもさびしいので、誰かとともだちになりたいと考えていました。
 けれど、ばけもの以外のばけものは、普段はにんげんの街にはいません。にんげんはばけものを怖がります。そのため、ばけものにはばけもののともだちも、にんげんのともだちもいないのです。
 さびしがりのばけものは、にんげんとともだちになりたくて、たくさんにんげんのことを調べました。そうして知ったのが、今日この日。
 ハロウィンの日。にんげんがお化けのかっこうをする日なら、ばけものがにんげんの中にいても、にんげんは怖がらないとふみました。念のため、ばけものはにんげんたちが持っているのと同じ、かぼちゃの被り物を頭に被ります。
 そうしてにんげんの輪の中へ、駆け出していきました。

 

 § § §

 

 絵本にするための配慮なのか、所々がひらがなで、独特な雰囲気を醸し出している文章。けれど絵本らしく、わかりやすいシンプルな言葉遣いでまとめられていて、とても読みやすい。
 どうやら、細川はきちんとハロウィンの由来を知っているようで、それに準えた舞台設定を表現している。
 主人公が寂しがりの化け物で、人間と友達になるために、ハロウィンの街に入っていく。子どもの心をきちんと引き寄せ、掴む導入。度流は文学に明るいわけではないが、細川の文章は「かなりいい」と断言しても問題ないと思った。
「すごい、始まりだけでも面白い。続きも読みたいな。メモ帳、借りていい?」
「いいですよ。でも、彼苑くん、どうする? ……あっ、全部読んでから決めたいっていうんなら、いいけど」
 細川の指摘に、度流は一瞬きょとんとした後、当初の話題を思い出した。細川から、一緒に絵本を作らないか、という誘いを受けていて、参考として、絵本にする予定の話を読ませてもらっていたのだ。
 答えは決まっている。
「こんな素敵な文章に、絵をつけていいなんて、願ってもないよ。引き受けさせて」
 細川の目が、大きく見開かれる。皮膚が動いて、泣きボクロが伸びる。本当にぽろぽろと零れ落ちるみたいに動いて、やはり、泣いているみたいだった。
 感動の大きさを代弁してくれる泣きボクロも素敵だな、と度流が微笑むと、細川はありがとう、と破顔した。
 やっぱりホクロが、涙みたいだった。

 

 § § §

 

「おかしくれなきゃ、いたずらするぞ」
 そんな合言葉が、あちこちから聞こえます。お化けのかっこうをした子どもがそんな呪文を唱えると、大人はおかしを持ち出してきます。飴玉やチョコ、ジンジャークッキー。子どもはおかしを嬉しそうに受け取り、また次の家に向かいます。
 ばけものもそれを真似して、家から出てきたにんげんに声をかけました。するとどうでしょう。合言葉を聞いた大人は、ばけものをばけものと疑うことなく、他の子どもと同じように、おかしを与えて、ハッピーハロウィン、なんていうのでした。
 にんげんとおんなじ。にんげんの子どもとおんなじ。そういう扱いを受けて、ばけものはとっても嬉しくなりました。いちご味だという飴玉が、赤くきらきらしていて、宝石みたいに見えます。なにも特別なことのない飴玉が、ばけものにはいっとううつくしい宝物みたいに思えました。
 こうして、今日の一日ばかりでも、にんげんと仲良くできたなら。なんて素敵なことでしょう。
 ばけものはいろんな家の戸を叩き、合言葉を唱えては、おかしをもらって歩きました。時々子どもが声をかけてきて、おかしをこうかんこなんかして。子どもたちとも仲良くなれて、ばけものはごまんえつです。
 その街のすみっこの最後の家になりました。はやいことに、もう夜も深く、子どもはおとうさんやおかあさんになまえを呼ばれ始めます。
 ばけものを呼ぶ声はありません。ですので、ばけものは最後の家の戸を叩き、おかしをもらおうとしました。
 けれど。
「あらあら」
 中から出てきたおばあさんは、ばけものを見るなり、悲しそうな顔をしました。
 かぼちゃのばけものの被り物をして、へんそうはかんぺきなはずです。ばけものは顔こそ怖いですが、それ以外はにんげんの子どもとなんら変わりないのですから。
 おばあさんが言いました。
「いのちじゃないね」
「え?」
「いのちじゃないね、いのちじゃないね、かわいそうにねぇ」
 おばあさんの言葉の意味がわからなくて、ばけものは目を白黒とさせます。「いのちじゃない」とはどういうことでしょう?
「いのちになったら、またおいでねぇ」
 おばあさんは、そう言って、ばけものの手にミサンガをつけます。赤い赤いミサンガです。それをつけると、家の中に行ってしまいました。
 ばけものは悩みます。
 いのちじゃない、とはどういうことでしょう?

 

 § § §

 

 そこまで読んで、度流はなんだか、胸の中が冷えたような心地がした。
 タイトルにもなっている「いのちじゃないね」という言葉。ひらがなで、優しくて、柔らかな印象なのに、心にどうしようもないほどの血を流させるような予感。
 おばあさんの言葉以外は暖かな物語なのに、悲しみの影を感じてしまう。
 それでも、ページをめくることは、やめられなかった。

 

 § § §

 

「ああ、あのおばあさんねえ。不思議なひとだよね。でも、悲しいひとなんだよ。何年か前に、おまごさんをなくしてねぇ」
 ハロウィンが終わる前に、近くを歩いていた大人にばけものはききました。すると、大人はあのおばあさんのことを教えてくれます。
 おまごさん、とは子どもの子どもです。あのおばあさんはまごをたいへんかわいがっておりました。けれど、まごは事故で死んでしまったのです。
 まだ、二本の手で数えるには足りないくらいの年の子で、みんなもかわいそうだと悲しみました。おばあさんはいっとう、悲しんでいたそうです。
「前から、不思議な話し方をするひとだったんだけどね。おまごさん以外も、子どものことが大好きで、ハロウィンなんて、毎年毎年手作りのおかしを用意するくらい、楽しみにしてるのに、不思議だねぇ」
 ほれ、おじさんが飴をやろう、と話してくれた大人は、ばけものに飴玉をくれました。気をつけて帰るんだよ、とばけものの被り物を撫でると、大人は去っていきます。
 今日はハロウィン。お化けのかっこうをする日。
 ばけものが来る日。
 ばけものは、自分の手を見ました。
 ――自分が「いのちじゃない」から、いけないのでしょうか。
 ばけものは、被り物なしではにんげんとおはなしできません。ばけもののままでは、飴玉もくれません。話しかけてもくれません。話も聞いてもらえません。
 ばけものは何も悪いことはしていません。でも、ばけものが、ばけものであることが、ばけものに生まれてしまったことが、にんげんといういのちじゃないことが、悪いというのなら……

 

「きえちゃいたいなあ……」

 

 ばけもののつぶやきはそっと、夜の中にとけて、黒く、おおきなかいぶつが、かぼちゃの頭をぐしゃり。
「あはははは、あはははは、にんげんの子ども、にんげんの子どもだぁ! さいきん、にんげんは警戒して出てこねえからなぁ! あはははは、久しぶりににんげんが食える!」
 がぶがぶがぶ。
 赤い赤いみずたまりの上に、赤いミサンガがぷつり、と落ち

 

 § § §

 

 度流はびく、と肩を跳ねさせ、読む手を止めた。……というか、文章はそこで終わっていた。
「いのちじゃないね、いのちじゃないね、かわいそうにねぇ」
 印象的なその台詞。何故か、度流の脳内で、度流の祖母の声が、それを読み上げていた。
 繰り返し繰り返し、度流の脳内に木霊する祖母の声。優しい、ぬくもりのある、少し嗄れた声。
 祖母は今年の夏、亡くなった。大往生だった。あまり義体化を好まない人で、加齢で体が動かなくなったり、臓器の摘出を伴う手術があっても、できる限り、義体にはしないように、と医者に語っていた。
 義体に恨みがあるわけではないし、最終的には肺と肝臓、左足は義体にしていた祖母だけれど。「なるべくなら、赤い血を流す人間でいたい」と語っていた。
 本が好きだった祖母は、ちょっとロマンチストだったのだろう、くらいの認識だった。義体化の技術が進んだ現代、血液は赤くないことの方が当たり前で、テロを目の当たりにし、生き残った人々が義体を装着して動いているのを見てきた。だから、度流自身は義体にあまり抵抗はない。
 祖母も、自分につけるのに抵抗を覚えるだけで、度流に思想の強制はしなかった。
「あんたは普通になるには、しんどい目に遭ったからねえ。普通でいられるところは、普通でいておくれ」
 そう言って、祖母はよく、度流の頭を撫でた。
 絵本のおばあさんの手と重なる。

 

普通いのちじゃないね、普通いのちじゃないね、かわいそうにねぇ」

 

 つまり、こういうことだったのだろう。
 血が赤いことは、とても「生きている」ことを感じさせる。
 白い血よりも、「生命」をまざまざと感じる。
 だから、
 だから――

 

 どくどく、どくどく、と自分の中で鳴る音。当たり前の鼓動のはずなのに、耳鳴りがする。
 なんにも悪くないばけものが、消えたいな、と言って、殺されてしまう。あまりにも、酷い。惨い。
 でも、本当に「普通いのちじゃない」ことが悪いのなら、ただそれだけで、生きてちゃいけないのなら。
「ぼく、も」

 

「いのちじゃないね、いのちじゃないね、かわいそうにねぇ」

 

 祖母の声から、濁音が薄れて、若い女性の声に聞こえた。
 どんなに掠れても、色褪せない記憶の中。母親の声と、重なった。
 家に飾られた祖母の遺影。遺影とはそういうものだけれど、笑顔の写真だったのを思い出す。父も母も、一昨年死んだ祖父も、遺影の中では笑っていた。
 死んだら幸せになれるみたいに。
 いのちじゃないなら、普通じゃないなら。そのことが苦しいのなら、本当に「命じゃなく」なれば――

 

「信仰する者が存在するから、思想は偏るのだ!」
「信仰する者がいなくなればいい!」

 

 ごめんね。そうだね、僕がいなくなればよかった。ずっとそれは変わっていなかったのに。
 僕が幸せになるためにはもう、命じゃなくなるしかない。お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなみんな死んじゃって、命じゃなくなって、どこにもいないのなら、僕も命じゃなくなって、みんなに会うしか。
 じゃないと、寂しいよ。

 

 * * *

 

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