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花冠の約束 第3話「春の陽気に」

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

高校野球の地方大会、決勝戦。
ここぞというところでフライ天ぷらを打ってしまい、負けてしまったことを悔やむ秀明ひであきとそれを慰める臣人おみと
幼馴染の咲希さきにも慰められるが、その平和は突然の爆発によって打ち砕かれた。
「アドベンター」と呼ばれる宇宙からの侵略者を前に、秀明と臣人は軍に入ることを決意する。
3年後、成人した秀明と臣人は最前線の塹壕でアドベンターと戦っていた。
仲間には目もくれず敵を撃ち抜く2人を、仲間は「死神」と呼んで避けるようになっていた。

 
 

 その日はアドベンターの襲来はないだろう、という予報が流れてきたことにより塹壕はいつもより緩んだ空気が漂っていた。
 アドベンターが月から襲来する、ということから様々な観測が試みられた結果、襲来の予測はある程度の精度で行われるようになっていた。
 当然、月の裏側を利用した奇襲などもあるが、アドベンターも奇襲を行うにはそれなりの準備が必要らしく、毎回奇襲を仕掛けることはできない。そういったことから、襲来がないと予測された日は人類側も落ち着いて次の襲来に向けての準備を行うことができた。
「そうだ、秀明」
 塹壕の奥に作られたテント村の一角、テント内に据えられた簡易ベッドに寝転がっていた臣人が突然起き上がり、隣のベッドの秀明を見た。
「どうした?」
 秀明も怪訝そうな顔をして体を起こすと、臣人は身を乗り出して秀明を見た。
「キャッチボールしようぜ」
「いきなり何を」
 何を言い出すかと思えばキャッチボールである。確かに、この三年間、アドベンターの襲来がないときは肩をほぐすためにキャッチボールをしていたから珍しいことではないが、こんな急に臣人が言い出したのは初めてだったので秀明は面食らっていた。
「いや、なんか暇だし。それに、バディとして息は合わせておきたいからな」
 あっけらかんとしてそう言った臣人は私物入れを漁り、ボールとグラブを取り出している。チームにいた頃はキャッチャーとして秀明とバッテリーを組んでいるため、ミットも別に持っているが、それどころかバットまで私物入れに入っているので臣人は実は塹壕の仲間と草野球をしたいんだろうか……と秀明はぼんやりと考えていた。
「ほら、お前も準備しろよ」
 臣人に促され、秀明も自分の私物入れからグラブを取り出す。
 テントの幕をめくって外に出ると、眩しい日差しが二人の目を刺した。
「おー、いい天気。キャッチボール日和だな」
 季節は厳しい冬が過ぎ、戦時中でなければ近くの広場で昼寝でもしたくなるような春。
 暑くなる前の、平和な時代なら「春の甲子園」と呼ばれる選抜高等学校野球大会が開催される頃だろうか。
 もう成人してしまったために出場は叶わないが、もしこの戦争――知性間戦争と呼ばれているアドベンターとの戦いがなければチャンスはあったのだろうか、そう、二人は思ってしまう。
 戦争が始まった時、秀明も臣人もまだ高校二年生だった。戦争がなければ春と夏に一回ずつチャンスはあった。
 もちろん、あの時の決勝戦が偶然に偶然が重なったが故の進出だったことは重々承知しており、よほどの奇跡が起こらなければまた決勝戦のグラウンドに立つことは許されない。
 それでも、もし戦争が起こらなければ――春の陽気に、そう考えてしまった。
 普段はデータから予測された襲来予報に従ってアドベンターを迎撃し、そうでない日でもどんよりとした空気が漂う塹壕と宿舎だが、流石にこの陽気だと多少は人の心も浮つくということか。
 そういえば、人間は日光を浴びないと精神の安定に関わる脳内伝達物質、セロトニンが生成されずにうつ症状や攻撃性が出てくるらしい、という話を聞いたな、と秀明は思い出す。
 夏の間は暑さで弱り、冬は寒さと日照時間の短さから陰鬱とした雰囲気になり、耐えきれなかった兵士が自ら命を絶つ、ということもよくあった。
 だが、この陽気で、アドベンターの襲来も予測されていないのなら少しくらい気分転換をするのかもいいかもしれない。臣人の意図もそこにあるのだろう、と考え、秀明は手にしたグラブの調子を確認した。
 少し視線を遠くに投げると、塹壕と宿舎とは名ばかりのテント村の間にある空き地に草が生い茂り、小さな花が咲いているのが見える。
 秀明も臣人も野の花にはそれほど詳しくなかったが、スミレやレンゲソウくらいは分かる。レンゲソウは春の花冠の定番の花だし、咲希も子供の頃、よくレンゲソウで花冠を作っては秀明や臣人の頭に置いていたものだ。
 三月下旬だとレンゲソウには少し早い気もするが、この春の陽気に気の早い開花を迎えたのだろうか。
「よし、あの広場でやろうぜ」
 臣人が空き地の一角を指さす。
 普段、襲来がない時は訓練に使う広場は、踏み固められて土が露出している。
 下手に草の生えた場所でキャッチボールをして花を踏み潰したり、ボールが草の陰に隠れて見失うことを考えると広場はちょうどいい。
 今は自主的に訓練をしている兵士も見えず、秀明と臣人は広場に足を踏み入れた。
 何も言わずに二人が離れ、約18メートル半――野球のマウンドとホームベースを隔てる距離で立ち止まり、向き合う。
 バッテリーとしての距離に、秀明も臣人も苦笑する。
 軽くキャッチボールをする程度なら10メートルもあればいい。それなのに無意識のうちにこの距離を開けてしまうとは、野球から離れて数年経っても身体は覚えているもんなんだな、と互いに思っていた。
「よーし、投げるぞ!」
 臣人が数度、ボールをグラブに投げて感覚を確認してから秀明に投げる。
 ぽん、と春の青空に弧を描いて飛ぶ白球。
 ボールは狙いたがわず秀明のグラブに収まった。
「腕はあんまり鈍ってないな」
「いーや、ガチで投げると暴投しそうで怖い」
 臣人が笑いながらグラブを構える。
「よし、行くぞ」
 今度は秀明が投球ポーズに入り、ボールを投げた。
 いきなり全力では投げない。
 準備運動もなく全力で投げて肩を壊せば元も子もない。
 野球自体はもうすることもないだろうが、それでも肩を使う動きは数多い。
 射撃一つ取っても肩が強くなければ反動を受け止めきれずに怪我をしてしまう。
 敵が固まって押し寄せて来るなら手榴弾が有効な場合がある。その際も肩が使えなければ遠くまで投げられず、下手をすれば味方に被害が及ぶ。
 まずは準備運動も兼ねて軽く投げ合い、二人は肩を温める。
 程よく肩の周りの筋肉がほぐれ、温まってきたところで秀明はよし、と呟いた。
「そろそろ本気出すぞ」
「おう、どんと来いや」
 自然と、臣人がキャッチャーとしての構えのポーズを取る。
 秀明は全力で投げるつもりだ、それならキャッチャーとして正しく構えないと取りこぼす。
 ボールを手に、秀明が大きく振りかぶる。
 足を上げ、全力でボールを叩き込む。
 ぱぁん、と小気味よい音を立て、白球が臣人のグラブに収まった。
 グラブを通じて鈍い衝撃がピリピリとした触感になって手に伝わっていく。
「っつつ……」
 久々に受けた秀明の本気の投球。
 得意球のナックルカーブは暫く投げていないことで出せなかったのか、変化球でも何でもないストレートではあった。それでも狙いは全くぶれず、臣人も全く動くことなく球を受け止めていた。
「相変わらず、お前のコントロールはすげえな」
 ドラフト会議でもきっと上位指名入ったんだろうな、と臣人が続ける。
 元々、秀明はピッチャーとして優秀なほうだった。
 球速は平均程度かもしれないが、コントロールがとにかくうまい。ナックルカーブを得意球として持ちながら、数種類の変化球を使い分けてバッターを揺さぶることができたから相手チームが秀明を見ると警戒するくらいだった。
 もちろん、その揺さぶりをコントロールしていたのはバッテリーを組んでいた臣人であったが、サインを出さずとも秀明が臣人の意図する球を投げることもよくあり、二人が揃っていることで初めて本来の性能を発揮していた。
 ――もし、戦争が起きなければ。
 今頃、どこかのプロ野球チームに所属し、下手をすれば一軍入りも果たせたかもしれない。その時に秀明と臣人が同じチームで組めたかというとその保証はどこにもなかったが、秀明も臣人も単独でも優秀な選手なのでプロとしての責任はきちんと果たせていたに違いない――二人ともそう思う。
 もし、プロ入りしていたら今頃咲希との約束も果たせていたのだろうか――ボールを受け止めて立ち上がる臣人を見ながら秀明がふと考える。
 ――プロ選手になって花冠でプロポーズするから選んで――。
 小学生の頃の言葉を、思い出す。
 あれは雑誌の特集だっただろうか。
 白い花で編まれた花冠を頭に乗せた花嫁の写真を見た咲希が目を輝かせて「こんな花嫁さんになりたい」と言っていた姿は今でも鮮明に思い出せる。
 あの頃の自分は、臣人はどういう感情を咲希に寄せていたのだろうか――そんなことを考え、秀明は苦笑する。
 小学生の頃の「好き」などかわいいものだ。恋愛がどのようなものかも理解できず、ただそばにいたいという理由だけで「好き」と言う。結婚もただずっと一緒にいる、という認識で、それ以外は何もない。
 成人した今なら――いや、高校生の時代にはもう分かっていた。
 結婚というものには大きな責任が伴うこと、一生互いを支え、寄り添っていくこと。
 俺にはそれができただろうか、そう考えても今の秀明には分からなかった。
 咲希はいない。あれから三年の時間が経過したが、秀明の中の時間は止まっている。
 好きという感情は置き去りにしてしまった。今では咲希のことが好きだったのかどうかさえ分からない。そんな感情があったところで咲希はもういないし、いつ死ぬかも分からない戦場では感情など邪魔なだけだ。
 それでも、もし咲希が生きていたら、もしこの戦争が起こらなければ――。
 考えてしまうのだ。今の自分には見ることのできないIfを。あのまま平和に高校生活を終えていれば、自分たちは別の道を歩けていたのではないか――と。
 考えても無駄だとは分かっている。しかし、この春の陽気の中、アドベンターの襲撃もないだろうと言われていると、ふと考えてしまう。
「おーい、どうした?」
 マウンドの距離から、臣人が声をかけてくる。
「――いや、なんでもない」
 ぐるぐると回り始めた思考を振り払い、秀明がグラブを構えた。
 臣人が大きく振りかぶって投球する。
 それを受け止め、秀明は今度は少し力を抜いて投げ返した。
 小気味いい音が広場を往復する。
「なあ、臣人――」
 白球が何度か往復したところで秀明が臣人に話しかける。
 どうした、と臣人が答えようとしたところで、二人は人の気配を感じ、その方向に視線を向けた。
 そこには数人の仲間が立っていた。
 秀明と臣人にとっては一応仲間ではあるが、特に深く関わることもないこの塹壕の面々。
 普段の戦いで、二人は仲間が負傷しても構わず戦っていた。仲間も二人に関わるのは足手まといになるだけだと手出しすることはなかった。
 それなのにキャッチボールをしている二人を見に来るとはどういうことなのか。
 警報は鳴っていない。つまり、アドベンターの襲撃ではない。
 それとも、何か上の方であったのだろうか。
 二人がキャッチボールの手を止めると、仲間は意外そうな顔で二人に声をかけた。
「死神でもキャッチボールするんだ」
「おい、本人に向かって死神って言うなよ!」
 最初に二人に声をかけた仲間に別の仲間が小声で叱咤するが、秀明も臣人も仲間が自分たちのことを死神と呼んでいるのは知っているので苛立ちは全く浮かばない。
「なんだ、俺たちに用か?」
 ぶっきらぼうに秀明がそう尋ねると、仲間たちは反射的に背筋を伸ばして二人を見た。
「いや、田宮の投げ方も宮崎の受け方も慣れてるから野球やってたのかなって思って!」
 やっとのことで仲間が口にした言葉があまりにも緊張したもので、秀明も臣人も思わず顔を見合わせる。
 一体何が目的なのか――無言でそう尋ねあい、それぞれがまさかな、と考える。
「まぁ、高校時代は野球やってたからな。一応地方大会の決勝戦は行ったぜ?」
 臣人の返答に、仲間たちがおお、とどよめく。
「実はさ……今日は天気もいいし、襲来予測もないから仲間で草野球でもしないかって話してたんだ」
「だが、二人ほど人数が足りなくてさ……」
 恐る恐るだが話し始める仲間たちに、秀明と臣人が再び顔を見合わせる。
 考えていたまさかが現実になってしまった。
 広場の反対側を見ればいつの間にかそれなりの人数が集まっている。
 この春の陽気に中てられたのは俺たちだけではなかったのか――そんなことを思いながら秀明と臣人は同時にどうする、と声を掛け合っていた。
 野球ならルールを熟知しているし昔取った杵柄がある。これがサッカーやバレーボールなら体育の授業でプレイした以外に経験はないので断るところだったが、野球と言われると揺らいでしまう。
 とはいえ、この広場が野球場として整えられているはずがなく、バットやグラブも隊員の私物。できたとしても仲間の言う通り誰もが気軽に参加できる草野球程度のものだ。
 それならブランクがあったとしてもそこまで気負うことはない、と二人は同時に頷いていた。
「いいぜ、参加する」
「ああ、俺も参加する」
 臣人と秀明が立て続けに返答すると、仲間たちは一瞬意外そうな顔をしたが、すぐに嬉しそうに笑った。
「人数足りなかったら三角ベースにするかってところだったが、お前たちが参加してくれるなら願ったり叶ったりだ。久々に野球できるぞ!」
 楽しそうに笑う仲間たち。
 その顔に、秀明と臣人は暫く忘れていた感情を思い出したような気がした。
 友達というほど仲良くはなくても、クラスメイトとつるんで騒いだ高校生時代の日々――。
 それをふと思い出し、胸が締め付けられるように痛む。
 クラスメイトではないが、塹壕にいる兵士たちはある種の運命共同体だ。その観点で言えばクラスメイトに近い存在である。
 そんな仲間を今まで蔑ろにしてきたのか。
 咲希の仇を取るため、アドベンターを皆殺しにするため、そう思って戦ってきたが、周囲にはこんなにも今を生き、人類のために戦おうとしている仲間がいる。
 今、草野球に参加したら自分たちはクラスの中で孤立した存在ではなくなる、それは二人とも気づいていた。ここで断れば今まで通り何の感情も表に出すことなくアドベンターと戦える。仲間を見捨てることができる。それなのに、断ることができなかった。
 高校生時代まで慣れ親しんだ野球ができると思ったからか。
 そう考え、秀明はその考えを否定する。
 どこかで恐れていたのだ。
 下手に仲間意識を持って、その仲間が目の前で死んだ場合、耐えられるのか、と。
 咲希を喪った時の喪失感が大きかったからこそ、同じ感情を二度と味わいたくない、と逃げていただけだ。仲間意識を持たなければその仲間は集団であり個ではない。個を認識してしまえばその個が喪われた際に失意に沈む。
 それは同時に自分たちの停止と死につながる。
 咲希の仇を取るまでは、アドベンターを皆殺しにするまでは死ねないと思っている秀明はそんなことで立ち止まることはできなかった。
 臣人もそれは同じはずだ。だから二人は仲間に関心がないふりを演じ続けてきた。
 自分の心を偽ってまで。
 それなのに仲間に関心を持つような行動に走ってしまったのはきっとこの春の陽気と野球の誘いのせいだ。そう、自分に言い聞かせて秀明は仲間について歩きだした。
「秀明……」
 歩き出した秀明の背に、臣人が声をかけようとするが、すぐに思い直して歩き出し、秀明の隣に並ぶ。
「久々の野球だな」
「ああ」
 頷いた秀明の口元がわずかに緩んでいる。
 なんだかんだ言って、やっぱり秀明も野球が好きなんだな、と思いながら臣人が秀明の背を叩く。
「った、何するんだ」
「気張りすぎて、天ぷらすんなよ? 『天ぷらの秀明』くん?」
「おま、それは――!」
 言わない約束だろう、と反撃する秀明の手をするりとかわし、臣人が朗らかに笑う。
「ま、お前が天ぷらしても俺とお前なら相手を完封するなんてわけないだろ」
「――ッ」
 臣人の言葉に秀明が言葉に詰まる。
 そうだ、臣人と二人なら負けることはない。
 俺たちのバディが本物だということを思い知らせてやる、そんな妙な闘争心が燃え上ってくる。
「あ、そうだ」
 歩きながら、臣人が秀明に声をかけた。
「なんだ」
「さっき、俺に何か言おうとしてたが、何だったんだ?」
「あー……」
 草野球を誘いに来た仲間によって中断された会話を思い出す。
 あの時は――。
「大したことじゃない。春の陽気に中てられて俺らしくないことを考えてただけだ」
「そっか」
 秀明の返答に、それだけで臣人が納得する。
 多分、同じことを考えていたな、と臣人はもう一度秀明の背を叩いた。
「歩けない可能性のことを考えても仕方ないだろ、今の俺たちは咲希の仇を取る、それだけだ」
「――そうだな」
 あの時こうだったら、と考えていても仕方がない。
 今置かれた環境で今を生きるしかない、そう自分に言い聞かせ、秀明と臣人は広場の隅に集まっていた仲間と合流した。

 

 To be continued…

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