塹壕の少女 第4章
「キュレネ」の街を歩きながら物思いに耽る食べ物の魔女・ニコ。不意に彼女の歩く地面が変容し、ニコは塹壕へと迷い込んだ。
迷い込んだ塹壕で出会った少女に敵対者と勘違いされ、銃を向けられるニコ。
敵対者どころか同じ「魔女」であることを明かし、どうにか信頼を得、誤解を解くことができた。
少女からお詫びとしてチョコレートのレーションをもらうが……?
もらったチョコレーションの不味さにガチギレするニコ。そのチョコが一番おいしいと言う少女・メディナに天むすを振る舞う。
メディナの塹壕生活について聞き、ふと大好物は何か尋ねてみたところ……?
「スキナタベモノ……」
うん? とニコはメディナを二度見した。なんだかカタコトだ。「好きな食べ物」はかなり一般的な言葉の羅列のはずだが。
ニコの訝しむ様子にも気づかず、メディナは顎に手を当てて考え始めた。かなり深刻な様子である。表情が希薄そうなのに、眉間に皺まで寄り始める始末。
(好きな食べ物の話って、そんなに難しいものかな……?)
ニコ自身も戸惑い始め、なんなら気まずくなってくる。メディナは悩む仕草をするものの、呻いたり唸ったりはしないので、沈黙が流れた。耳が痛くなってくるほどに。
ニコはわたわたと手を振り回して、メディナに告げる。
「すっ、すぐ出てこないなら、後でいいよ! 思い出したらで大丈夫っ。魔法ならいつでも使えるし」
カロリーを食べ物に変換しているので、何かを口にする必要はある。だが、摂取したカロリーと魔法で出す食べ物のカロリーが等価である必要はない。これが魔法の便利なところだ。
よくわからない身振り手振りに必死なニコを見て、メディナはおずおずと頷き――直後はっとしてニコの腕を引いた。
庇うように引き寄せられ、半分抱きしめられる形となるニコ。自分たち、主にメディナの立っていたあたりに何かが穿たれたのを見る。
――トゥクルの槍!
思い出した。一時的に逃げ仰せただけで、魔女狩りを倒したわけではない。自分たちが食べ物のことでのんびりしているうちに、追いついてきたのだ。
逃げるために走り出す。入り組んでいても、塹壕の構造を理解しているメディナであれば、迷いなく進める。その先導に従い、ニコも走った。
「メディナ、どうしよう!?」
「まずは距離を取る! 塹壕内なら地の利はこちらにある」
それはその通りだが。
「塹壕だって無限に続いているわけじゃないよね? 一旦距離を離せたとしても、これじゃぐるぐるいたちごっこだよ!」
「時間は稼げる。そのうちに次を考える」
考えるほどの時間があるかな。ついそう思うが、マイナス思考のドツボに嵌まりそうだと気づいた。後ろ向きなことをぐるぐる考えてしまうのは悪い癖かもしれない。そのせいでこの塹壕に迷い込んだわけでもあるし。
気を取り直すと、ニコは考えた。とにもかくにも時間を稼ぎたい。それなら、足止めができれば……!
塹壕に視線を巡らす。何か使えそうなものはないだろうか。塹壕を成すのは掘られた溝と、土嚢と、木の板等々。無骨で雑然としている。
「メディナ、土嚢って何入ってるの?」
「土砂だ。土とか石とか」
「木の板、外せる?」
「立てかけてあるだけのものなら」
「じゃあまず、土嚢を撃ったら目眩ましできないかな!?」
ニコの言葉にメディナは即座に対応。タイミングを狙って、魔女狩りのすぐそばを撃ち抜く。土嚢は塹壕を補強するためにそこかしこにある。狙いをつけなくとも土嚢には当たった。土嚢の中身が派手に飛び散る。精度の低い射撃、取るに足らないとそのまま直進しようとした魔女狩りは見事に視界を閉ざされ、目潰しを食らう。
その隙にニコは手当たり次第に外せる木の板を転がしていく。ざっくばらんに床に置けば、それだけで障害物となるのだ。時間稼ぎには打ってつけ。
「ぐっ、魔女め、小賢しいことを……うわっ!」
魔女狩りが障害物に躓いているところに、メディナが突進。低い姿勢のタックルで組み付き、押し倒し、締め落とす。
くたり、と魔女狩りの体から力が抜けるのを確認すると、メディナは体を離し、徐に魔女狩りの頭に銃を当てた。
ニコがひゅっと息を飲む。
「だめ!!」
叫びは静寂の中にやたら響く。メディナは険しい目でニコに振り向いた。魔女狩りの体を踏みつけにしつつ、銃はその頭に照準を定めたまま。
明らかに殺そうとしている。明瞭すぎる殺意に、恐怖から息がひきつりそうになるのを、ニコは必死に堪えた。息を何度か飲み直して、メディナの目を見返す。
声はどうしても震えた。
「だめだよ。殺しちゃだめ」
「なぜ?」
「なぜって……人殺しは犯罪だよ?」
やってはならないことの代表格に、まさか「なぜ」と問われ、びっくりしてしまう。聡明に見えるメディナがそんな基本的なことを理解していないなんて、思っていなかったからだ。
メディナが低い声で更に問いを連ねる。
「なら魔女狩りがしようとしてるのも人殺しだろう? 私たちは人じゃないとでも言うのか。そうだとして、自分を殺しに来ているやつをどうして殺してはいけない?」
「そっ……れは……」
ニコは咄嗟に返す言葉を見つけられなかった。
殺されそうだったから殺した。正当防衛という名前のあるそれは殺人罪の刑罰を軽減することもある。メディナは正当防衛を主張したいのだろう。
だが。
「だからって、本当に殺したら、魔女狩りに理由を与えちゃうよ。人を殺したからやはり危険だって」
「それはこれまでと何が違う?」
思いの外、頑固な返答が来た。
ニコは言葉に詰まる。けれど、考えなくちゃならない。考えなきゃ、考えなきゃ。今、メディナに人を殺してほしくない理由。
法や普遍的な倫理で納得してくれない。もしかしたら、そういう精神性がメディナの追われ続ける理由なのかもしれないけれど、今は横に避けておく。
「今」殺してほしくない、理由。
「目の前で、人を殺した人と……食べ物をおいしく食べられないよ、わたし」
「……は」
食べ物。食べること。
ぽろりと口から出たニコの芯となっている言葉。それが理由なら、言葉はいくらでも出てきた。
「目の前で人を殺した人とは食べられない。目の前じゃなかったら、大丈夫かもしれない。でも、血を見たら、しかもそれが人の血だったら、嫌だ」
「なら、食べなきゃいい」
「そんなのしたくないって言ってるの。わたし、わたしね、メディナの大好物を知りたい。メディナが大好物について教えてくれたら、わたしが魔法で出してあげられるから。メディナが何を好きで、どんな味つけが好みとか話しながら、笑顔でごはんを一緒に食べたいの」
「なんで。銃を向けられた相手だぞ。会って間もない。どうしてそこまで」
「食べ物の魔女だから。わたし、食べ物の魔女だから!」
ニコの声が高くなっていく。喚き立てるのではなく、しっかり主張として、メディナに届けるために。
「わたしが『キュレネ』の食堂で魔法を使うのは、役に立ちたいから。人を笑顔にできたら、役に立てたって思えるの。それで、わたしも笑っていたい。目の前で人を殺した人相手だと、たぶんうまくできない」
「…………」
「無理して笑うことはできるよ。でも、それは苦しい」
思いを吐露して、ふと気づく。
――わたし、無理して笑いたくなかったんだ。
「キュレネ」での生活、与えられた役割に不満はない。けれど、なんだかもやもやして、もやもやを見ないふりして、どうにか笑っていた。
それをしたくなかった。魔法を発現した前後の苦しかったことを思い出すから。
食べることが好きで、ぽっちゃりしてしまって。太っていることが気になってきた。女の子だから、かわいくなりたい。太っちょの子はかわいくない。
バカにされて、後ろ指を指されて、やーいデブ、と心無い言葉を投げられるのが怖かった。でも食べ物がおいしくて、おいしいものを食べることをやめられない。食べたら太る。怖かった。食べるのが怖い。食べるのが怖くなるなんて思わなかった。好きなことが怖くなるなんて。
でも、食べたものを吐き出したら、食べたもののカロリーがなかったことにはならないかな。……そんなことを考えた。思いついたそれが魔法になって、食べ物になって。
これなら食べても大丈夫! 食べたものを魔法で消費して、魔法でまたおいしいものを作るの! そうしたら、食べても食べても太らないで済む! ――とても素敵な永久機関を見つけた気分だった。
病的で、「キュレネ」の長であるアビゲイルに見出だされるまで、ニコはまともな食事の摂り方をできなかった。食事をしたら魔法を使わないと平気でいられないようになってしまって。
そんな自分に「人に料理を提供する」役割を与えてくれたのがアビゲイルだ。自分の魔法で出した食べ物を人に食べてもらう。おいしい食べ物を食べて喜ぶみんなを見て、すごく心があたたかくなった日のことをニコは忘れないでいる。
ありがとうとか、一緒に食べようとか、優しく声をかけられるととても嬉しかった。魔法を使うとはいえ、食堂は忙しいから、あまり一緒には食べられなかったけれど。
誰かと一緒に食べる喜びも得たい。ニコはそう思っていた。
食に疎そうなメディナに色々教えながら、おいしいものを分け合ったら、きっと楽しい。「キュレネ」の外なら、魔法を好きなだけ使ってもいいだろうし。
けれど、目の前で人殺しをされたら、人が死んだ不幸を乗り越え幸せでいるなんてできない。肉料理を食べられるのは精肉される前の家畜が目の前で殺されるわけでないからだ。ニコはそう思う。マグロなどの魚の解体ショーは見られたとしても、牛や豚が殺されるところを見て、平気でいられる自信はない。
そんな気持ちで食べ物を出したくはない。
「……そう」
ニコが静かに語った内容に対し、メディナは淡白な声。けれど銃を仕舞い、魔女狩りをロープ等で縛り上げる。簡単にほどけない結び方と簡単に動かせない位置での束縛。そうしてぽい、と放り、周囲の土嚢を崩して魔女狩りの体を囲うように配置し直した。
それはそれで大丈夫なの、飢え死にとかしないかな……とニコが不安になるのを汲み取り、メディナは説明する。自分が塹壕の魔法を解けば、土嚢も消えるから、と。
「これであれは目覚めても簡単に動けないはずだ。……お前の心にあまり配慮せず、すまなかった」
「いいよ。ありがとう」
ところで、とニコが話を切り替える。
「大好物、何も浮かばない? 一番好きな食べ物」
「……それなら、さっき食べた天むすはだいぶ好きだが」
「よかった! ……じゃなくて、それは久しぶりにおいしいもの食べた補正かもしれないじゃん。この年になるまで、おいしいもの何一つ食べて来なかった、なんてことはさすがにないはずだよ。
大好物っていうか、思い出の味。そういうのを、知りたいな」
ニコの改めての問いに、メディナは困ったように笑った。
「すまない。時間がかかりそうだ」
「そっか。それなら、もっといろんなものを食べてみたら思い出すかも。一口でいいから、何か食べ物分けてもらえる? そうしたら、魔法で色々出すよ。サンドイッチとかどうかな」
緊張の過ぎ去った塹壕。その中で少女たちの声が互いに歩み寄り始めていた。
To be continued…
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