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テンシの約束 第3章

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 俺、三木みき帆夏ほなつには好きな人がいる。
 その人の名前は崎門さきかど実利みのり。俺の幼馴染だ。
 けど、実利は女装してるだけの男で、その関係が壊れる可能性を考えると、とても告白なんて、できない。
 5月には木村と木村の想い人・日向先輩、オカルト研究会の前城さん、そして実利の5人でハイキングに行った。実利の新しい一面を見ることが出来た。下りで何か起きたような気がしたけど、なんだっけ……?

 

 しとしとと雨が降る。
 平年より5日早く、昨年より2日早いらしいという6月3日に始まった梅雨は6月末になっても未だに続いている。
 毎年、この季節はどうにも苦手だ。まぁそもそも雨が好きって奴の方が珍しい気もするが。……いや、もっと子供の頃は実利と二人で水溜りで遊んだりもしたっけ。けどまぁ、そういうのは本当に幼稚園から小学校低学年くらいまでの話だろう。
 6月の良い事は基本的に上旬のうちに済んでしまう。
 具体的には衣変えだ。
 夏服を着た実利は可愛い。いや、冬服も可愛いんだが、やはり薄着で半袖っていうのは素晴らしい。
 が、それくらいだ。あとは悪いことばっかり。
 まず祝日がないし。梅雨が始まるし。
 布団の中でポチポチとスマートフォンで『モンスターホームラン』を遊びながらそんな事を考える。
「はぁ、実利に会いてぇなぁ」
 今日は26日金曜日の夕方。つい少し前に神社の階段の前で実利と別れたばかりなのだが。このあとは土日が二日間存在しており、いや、それ自体は良いことなのだが、なにせその間は実利に会えないのだ。
 そんなわけで、金曜日の夕方から日曜日までの期間は嬉しいおやすみであると同時に、実利に会えない寂しい時間でもあるのだ。
 別に家を知ってるんだから会いに行けば良いと思うかもしれないが、どういうわけか実利は俺が神社に上がるのを嫌がっており、実利に嫌われたくない俺としてはできるだけ神社に上がるのはやめておきたいのだった。
 そんな事を考えていると、一応入れてるニュースアプリがプッシュ通知を飛ばしてくる。
【米最高裁の同性婚“合法化” 保守派は反発】
 日本放送協会JBCニュースだ。10時頃のニュースのようだが、俺は18時にまとめて受信するように設定してるので、今通知されたみたいだ。
「同性婚……か」
 ニュースの詳細は特に見ることなく、その言葉を見て、これまで考えてこなかった考えが頭をよぎる。
 俺と実利は日本じゃ結婚出来ないんだよな……。
 そもそも付き合ってもないのに何を考えてるんだと思われるかもしれないが、もし、もし、そういうことになっても、その先はないんだ、という事実はなんだか俺の心に強くのしかかった。
 なんとなくネットで調べてみると、日本でも色んな声があるらしい。
 結婚が即ちゴールではない。結婚出来なくても事実婚でいいじゃないか、という意見もある。
 一方で、結婚しないと受けられない恩恵というものが多数あるのだ、という意見もあった。
 ……実利に何か大事があった時、側にいられないのは嫌だな。
 そんな事例の中で一番引っかかったのは、大きな病気をした時、家族以外面会謝絶となれば、結婚してない同性パートナーは当然面会できない。ということだった。
「って、いやいや、別に実利と付き合ってるわけでもねーのになに考えてんだ俺」
 思わず声に出して自分の考えを中断させる。
「結婚かぁ」
 しかしそう簡単に思考は切り替えられるわけもなく、俺の思考は引き続き結婚の話題に。
「そうなると……アメリカに引っ越すしか無いのか?」
 スマホをポチポチと、アメリカに引っ越す方法などを調べてみる。
 アメリカに永住するためには米国永住権グリーンカードと呼ばれるビザが必要になるらしい。ビザというのがなんなのかはよく分かっていないが。
 グリーンカードを得る方法は幾つかあるようだが、俺と実利に出来そうなのは抽選で永住権を得る方法だけなようだ。
 これは毎年50,000人を抽選で選んでグリーンカードを付与するものらしく、日本人は去年だと636人が当選したらしい。
 あまりに狭き門だ。俺と実利の両方が当選しなければならないと考えるとあまりに現実的ではない。
 それ以上に。
「俺、英語全然出来ないんだよなぁ」
 はっきり言って、俺の成績は全く良いとは言えない。むしろ悪いとさえ言って良い。
 当然、英語だけ上手い、なんてわけもなく、英語の成績も悪い。
「……英語の勉強するかぁ……」
 なにせ俺と実利にとって結婚する手段は海外移住しか無いのだ。ならば、どうあれ英語を勉強するしか無いじゃないか。
 そんなわけで、俺は英語のテキストを開いて勉強を始めることにした。
 が、普段勉強などしない俺の勉強が長続きするはずもなく、親が夕食を呼びにくる声で目を覚ます事となったのだった。
 
 そして翌日土曜日も、結局俺は夕方まで寝て過ごしてしまい、「やべぇ休日を取り戻さないと」とテレビゲームをして遊び、勉強はしなかった。
 これではいかん、と日曜日は朝から起きて英語の単語帳を開いたり、英作文をしてみたりしたものの、やはり集中出来ずに途中で飽きてしまった。
 そんな感じでダラダラと過ごしていたらあっという間に夕方になり、気が付けばまたもや「明日こそ」などと口にして眠りにつくのであった。

 

 そして月曜日。
 土日に寝すぎたせいもあり、あまり眠れなかった俺は早々と学校に登校し、すぐ英語のテキストを開いて今度こそ、と勉強に挑む。
「うお、どうした、帆夏」
 登校して来るなり驚いた様子で声をかけてくるのは木村だ。
「別に、ちょっと英語の勉強してるだけだよ」
 とはいえ何から勉強して良いのか分からず、とりあえず苦し紛れに単語をひたすら暗記しているところだが。
「え、もしかして今日単語テストとかだっけ? 俺も勉強したほうが良いかな……」
 何かを勘違いした木村が自分の席に腰を下ろし、ノートを取り出して勉強を始める。
 普通のノートだが「単語帳」とシールが貼ってあるのが見えたな。あいつ、自分用の単語帳なんてまとめてたのか。
 と、しげしげ眺めていると。
「よう、なにやってんだ、帆夏」
 実利が声をかけてきた。
「え、いやぁ、えーっと……、え、英語の勉強だよ」
 まさかお前と結婚する未来のために英語を勉強してる、などと答えられるわけもなく、動揺しまくった末になんとか言葉を絞り出す。
 考えてみたら理由を聞かれたわけでもないんだから、思考が先走りすぎてるな。
「ふーん、今日、英語無いよな?」
 実利が生徒手帳を取り出して時間割を確認する。
 確かに生徒手帳には時間割をメモするページがあるが、実際に使ってるのを始めてみた。実利はマメだなぁ。
「ないよな。なんだってお前と木村は英語の勉強してるんだ?」
 首を傾げる実利。そんな仕草も可愛い。
「いや、俺は……えっと……その、なんとなく、だよ。で、木村がそれを見て、今日、単語テストがあると勘違いして……」
「なるほどな。で、なんとなくなわけないよな」
 実利が隣の席にまだ人が来ていないのを良いことに席を拝借して、まっすぐ俺の方に向いて座る。
 実利の視線がまっすぐなのは慣れた事だが、今この状態でされると、色んな考えが頭をよぎって、照れる……。
「なんだよ、俺に話せないようなことか?」
 じっと、実利の視線が突き刺さる。ちょっと拗ねてるように聞こえるのは、自分に都合よく解釈しすぎだろうか。
「え、えーっと……」
 ここまで聞いてくれる実利に対して、答えないわけには行かない。考えろ、俺。
「が、外国に、行ってみたいと思ってさ」
「へぇ」
 俺の絞り出した声に、実利が意外そうに目を丸くする。
「それで英語の勉強ってわけか。あれだけ勉強しなかったお前がそんなきっかけで勉強するようになるなんてな」
 面白そうに実利がニヤニヤと笑う。
 俺、そんなに勉強しないイメージか。いや、確かに勉強なんて全然しないけどさ。
「ってことは大学入ったら留学とかするのか?」
「留学? って……したほうが良いのか?」
「いや、したほうが良いかまでは知らないけど。ネイティブの人達とその言葉でしか会話出来ない環境に身を置くのはいい経験になるって聞くぞ」
「……なるほど」
 留学かぁ。確かに一つの目標として良さそうだ。
「それで、今は単語の勉強か。確かに語彙ボキャブラリーを増やすのは大事だけど、お前の場合、まだ基本文法とか品詞からして怪しくなかったか? どれだけボキャブラリーが増えても、英作、英会話が出来なきゃ意味ないぜ」
「いや、俺もそんな気がして、この土日はその辺の勉強でもしようかなと思ったんだが、どうにも理解出来なくて……」
「なるほどな。よし、他ならぬ幼馴染の悩みだ。今日の放課後、お前の家で英語の勉強教えてやるよ」
 と、若干得意げな顔の実利。
「本当か!?」
 なんて嬉しい提案なんだろう。学校が終わった後も実利に会える上に、英語の勉強まで出来る。こんな嬉しいことって無い気がする。
「じゃ、また放課後な」
 登校して来る人が増えてきたのを見て、実利が俺から距離を置いて、自分の席に戻っていく。
 俺の前でだけ男性らしく喋る実利は、逆に俺以外に人が多い場所ではあまり俺とは喋らない。先月の登山の時でさえかなりレアケースだと言えた。
「……」
 まだホームルームの開始までは時間がある。……少し寂しい。
「なあ、木村」
 なんとなく目の前の席に座る木村に声をかける。
「なんだよ、俺は今日の単語テストのための勉強で忙しいんだが……」
「今日英語無いぞ」
「マジ?」
 木村がカバンからクリアファイルを取り出して、クリアファイルの一番手前にある時間割のプリントで時間割を確認する。
「本当じゃねーか。なんで英語の勉強してるんだよおい」
 木村が振り返りジトっとした目を向けてくる。
「いや、金曜日にちょっときっかけがあって、ゆくゆくは海外とか行きたいな、と思っててさ……」
「へぇ、それで英語の勉強ってわけか。あれだけ勉強しなかったお前がそんなきっかけで勉強するようになるなんてな」
 お前も実利と同じこと言うのか。
「あ、それでお前、その単語帳とかいうノート、なんだよ」
「あぁ、これか? これは実用的な勉強というよりテスト対策の勉強だから、お前の参考にはならないと思うが」
 と言いながらノートを開いて見せてくれる。縦の線が引かれていて、左から、単語、単語の品詞、意味、最後はページ番号か?
「これ、授業で出た単語だけをこうしてノートに纏めてるんだよ。で、テスト範囲の部分の単語だけを覚えれば良いってわけ」
「へぇ」
 そんなテスト対策があったのか……。
「まず、英語の成績は上げておきたいな。……なぁ、木村、今度それ、写させてくれない?」
「……まぁ先月のハイキングのお礼もしてなかったしな。いいぜ」
「助かる!」
「ただし、何度も見せないぞ。一回見せたら、そこから先の授業の分は自分で作れよ」
「お……おう、頑張る」
「そこは断言しねーのかよ」
 苦笑する木村。
「木村っていい加減なように見えて、成績、悪くはないよな。なんで勉強してるんだ?」
 木村は俺とよくつるんでるが、成績は中の上といった具合で、下の下な俺と比べるとかなり大きな開きがある。
「なんで、って学校で聞くことかよ。……まぁ、別に特段理由はないけど、とりあえずいい大学行きたいからかな。モラトリアム人間だけど」
「モラトリアム人間?」
「倫理の教科書読み返せ」
 木村の発言の意味がわからない部分に首を傾げると、直球の返事が返ってきた。倫理、苦手なんだよな。哲学とか宗教とかよく分からなくて。エピソード系の話は好きなんだが。
「それにしても大学かぁ……」
「どこか行きたいとかねーの? 海外に行きたいなら、留学とかも経験しとくといいだろうし、そうなら大学から行くのが一番わかりやすいと思うぜ」
「留学か、実利にも言われたんだよな、それ。ただ、どこの大学がいい、とかは特に無いな」
「英語を専攻するなら英文学科とかになるのかな、まぁ幸い東京なら選択肢は多いと思うけどよ」
「うーん、まぁ考えておくよ」
「あ、好きな女を追いかけるなら、学力は必須だぞ、片浦、勉強結構出来るらしいから」
 だから、片浦の事が好きなわけではないんだが、まぁ誤解を解くと、実利の話になってしまうから、触れないほうが無難か。
「……そういえば、実利って進路どうすんだろ」
「いや、幼馴染の心配する前に自分の進路の心配しろよ」
「う……ごもっとも」
 しかし、進路か。さっきの木村の発言じゃないが、やっぱり実利を追いかけたいよなぁ……。
「まぁ、考えとくよ」
「もう高校も二年だからな、後は今年と来年しか無いわけだし、進路は早めに決めといたほうがいいぜ」
「そうかぁ……」
 実利ももう進路決めてるのかな。そのうち確認してみたほうが良いかもな……。
「ちなみに、この辺の通える範囲だとどんな大学があるんだ?」
 実利の家の厳しさを考えると、実利は大学も実家から通うことになるはずだ。という推測の下、そんな事を聞いてみる。
「あー、そうだな……」
 木村がスマートフォンを取り出し、調べた後、幾つかの大学の名前と大まかなレベルを教えてくれる。
「んー、私立ならまぁ選べなくはないけど、国立となると厳しそうだな……」
「お前の家は私立行ってもいい感じなのか?」
「え、行ったら駄目とかあるのか?」
 何も知らない。
「私立と国立は学費が段違いなんだぜ、家の経済事情次第では国立に落ちたら就職しろ、みたいな家もなくはない」
 呆れたように木村が言う。
「そうだったのか……」
「ま、そのうち家族も交えて相談しろよ」
 木村が諭すようにそんな事を言う。
 くそ、成績はともかくバカ仲間だと思ってたのに、ちゃんと考えてるんだな……。
「ホームルーム始めるぞー」
「やべ」
 そこに担任の教師である青木あおき先生が入ってきて、木村が慌ててスマホを隠す。この学校は学内では携帯の使用が禁止なのである。

 

 そして放課後が訪れる。
 珍しく雨が止んで曇り空の中、俺はいつものように実利と二人で帰路につく。
「それで木村から色々言われたよ、そろそろ進路決めろよって」
「そりゃ木村が正しい。どこか行きたいところとかないのかよ?」
「正直全然」
「高校二年生になって全然? 高校一年生の時点で進路希望は聞かれたろ、なんて答えたんだよ」
「あぁ、全然大学知らないから、東大って書いた」
「……今頃、お前の成績を見て進路相談担当の教師が頭抱えてるかもな」
 そんな真面目なプリントだったのか、ちょっとしたアンケートくらいに思ってたな。
「お前、英語勉強したいんだろ? じゃあ東京外国語大学はどうだ? 東京二十四区内の大学だし、国立だから親孝行にもなるだろ」
「へぇ、そんなところがあるのか」
「あぁ、休み時間にちょっと暇だったから留学について調べてたら見かけたんだが、カリキュラムの中に長期海外留学って期間があったりするらしい。英語をガッツリ学ぶには悪くない環境なんじゃないか。英語以外にも26言語を専攻出来るらしいから、英語圏以外に行きたい場合も安心そうだし」
「お前……俺のために調べてくれたのか?」
「そりゃ、大事な親友の事だしな。といっても、暇つぶしだけど」
 とちょっと照れ隠ししながら言う実利。ちょっと照れてる様子なのが可愛い。
「ところで、実利は進路のこととか考えてるのか?」
「……まぁ、な」
 なんかちょっと間があった気がしたが、気のせいだろうか。
「そうなのか? 参考に聞かせてくれよ。場所次第では幼馴染同士同じ学校って手も……」
「それは無理だよ。俺はじっちゃの意向で國學院大學の神道文化学部に入るんだ。それとも帆夏は神道に関心があるか?」
「いや……ないな……」
 哲学とか宗教の話はむしろ苦手だ。何より、実利の声のトーンがこころなしか落ち込んだ気がして、迂闊な返事はできそうになかった。
「な、なんでその大学に?」
「崎門神社を継がなきゃいけない。神職資格取得過程のある大学は日本で二つしかない」
「そ、そっか。実家の手伝いをしてるのは知ってたけど、実家を継がなきゃ行けない程だったとは……」
 なんとなく空気が気まずくなる。
 無言で二人歩いていると、いよいよいつもの崎門神社の境内へ続く階段の前に到着する。
「じゃ、また後で、かな?」
「いや、今日は直接家に寄らせてくれ。一回登っちまったら多分じっちゃが外出を許してくれない」
「わかった」
 頷いて歩きだす。
 と、そこに、長い黒髪の美しい女の子が通りかかる。
 実利の方が勿論綺麗だが、つい誰もが振り返ってしまう美しさというのはこういう人物のことを言うのかもしれないと思った。
「あの、すみません、その制服、竈門高校の方ですよね?」
 そして、その女性が声をかけてきた。
「えっと……」
「はい、そうですけど?」
 思わずドギマギしてしまった俺をよそに実利が応じる。
「竈門高校ってここからどう向かえば良いんでしょう。迷ってしまいまして」
「ええっと……失礼ですが学校にどういった要件が?」
「実は来月からここに引っ越すことになって、親が引っ越し関係の話を勧めている間に学校を見学しに行こうと思っていたのです」
「へぇ。学校なら、そこの角を曲がって……」
 実利が道を説明する。
「ありがとうございます。そう言えば、お二人の名前を聞かせてもらってもいいですか?」
「崎門実利、二年生です。こっちは帆夏」
「あら、では同学年ですね。私は天使あまつか 深雪みゆき。来月、もし同じクラスになったらよろしくおねがいしますね」
「えぇ、その時はよろしくおねがいします」
「あ、よろしくおねがいします」
 アマツカさんと言うらしい方の挨拶に実利が返事し、俺も慌てて頭を下げる。
「それでは、先程教えてもらった道順を忘れない内に失礼します」
 アマツカさんはニッコリと微笑んで、そして、再び歩き出した。
「綺麗な人だったな」
「あ、あぁ」
 実利の言葉に俺は頷く。まさかここで実利の方が綺麗だ、なんて言うわけにも行かない。
「それにしてもお前、露骨にドギマギして……」
「なっ、ちがっ……」
 笑う実利。慌てて否定するが、実利には通じない。
「同じクラスだといいな」
「だから、違うって」
 この誤解を解くのには難儀しそうだ。

 

「やっぱりな。帆夏、お前にはまずは、基本文型から学んでもらう」
 家に着いた後、いきなり何枚かの問題を解かされた末に、実利がそう宣言した。
「基本文型ってあのSVOとかSVCとかいう訳わからないやつだよな? あれって中学生レベルじゃなかったっけ?」
「その中学生レベルを訳わからないと言ってるから、英作が壊滅的なんだ」
「い、痛いところを突いてくるな。けど、SVOとかSVCとかって暗記したあれが英作に関係するのか? 知識問題だろ、あれ?」
「はぁ、いいか、英文ってのは基本的に基本文型のどれかに当てはまるんだ。不定詞とか関係代名詞とかが入って文が複雑にはなっても、基本文型のどれかには絶対当てはまる」
 実利が呆れ顔で説明してくれる。
「つまり、だ。基本文型ってのは数学における公式みたいなもんなんだよ。日本語訳するにしろ英作するにしろ、基本文型に当てはめれば解ける。逆に言えばそこがおざなりだと、日本語訳も英作もそりゃ捗らない」
「なるほど……」
 ピンと来てない俺に、実利が例えばこの文は第一文型、この文は第二文型、などと解説をしてくれる。

 

「なるほど、この文章は第四文型だから、動詞の後に名詞が二つあるってことか。って事は訳は『O(人)にO(物)を〜する』だから……」
「そうそう、分かってきたじゃないか。文型の形そのものは暗記していたのがよかったな。ちゃんと意味さえ分かればすぐ出来るじゃないか」
「あぁ、ちゃんと意味を理解して覚えないと駄目って事だな」
 この一時間で俺の日本語訳のレベルはかなり上がった。基本文型は文の構造の決まりである以外に日本語訳の雛形みたいなものがあるので、単純な文ならそこに単語の意味を当てはめるだけで簡単に日本語に訳すことが出来るのだ。こんな簡単な事だったなんて。
「じゃ、次は英作に挑戦するか。こっちも問題文がどの文型に当てはまるかを考えて英単語を文型に当てはめるだけだ、今のお前なら簡単だよ」
 そう言いながら実利が新しい手書きの問題集を差し出してくる。さっきから俺に問題を解かせて、その間に新しい問題集を作る、という繰り返しをしている。問題まで作れるなんて、実利は頭が良いな。
 与えられた問題集を解き始める。えーっと、「私は部屋を綺麗にしている」、か。「OをCにしている」って形だから第五文型だな。って事は、主語、動詞、目的語、補語の語順か。
 一時間ぶりの英作だが、問題文を見ただけで簡単に単語の並べ方が分かった。一時間前の問題にはあんなに苦労したのに……。この一時間の勉強の成果を改めて再認識する。
「すごい、本当に問題文を見ただけで英文の構造が頭に浮かぶぞ」
 それが嬉しくて思わず実利に声をかける。
「おぉ、大事だろ、基本文型」
「あぁ、こんなに大事だとは知らなかった」
「言っとくけど、簡単に解けてるのは、まだシンプルな形式だからだぞ、高校英語はもっと難しいからな」
 ……って事はこれ中学英語レベルなのか。
「高校レベルだとどうなるんだ?」
「単語を不定詞や関係代名詞が修飾する、みたいなパターンだな、英作で言えば、例えば『私は彼がよく見ていた花を彼にプレゼントします』とかな」
「えーっと、『花』と『彼』がそれぞれ目的語だから、第四文型か? けど、『彼がよく見ていた』ってのが浮くな」
「お、早速当てはめたな。だが、2つ目のOは『彼がよく見ていた花』で一セットだ。これは関係代名詞で『a flower which he used to looked at』と表現できる」
「なるほど。関係代名詞か、あんまり理解できてないな……」
「基本文型を理解できていれば、そこまで難しい概念じゃないさ、改めて教科書を読み返してみろ」
「そうしてみる」
 こんな話をしつつも俺は実利に与えられた簡単な英作問題をするする解けている。基本文型の基本はもう大丈夫そうに思える。
 そんな気持ちの緩みもあり、俺は問題を解きながら口を開く。
「そういえば、この前ニュースで見たんだが、アメリカでは同性結婚が合法化されるらしいな」
「へぇ、海外のニュースとかも見るようにしてるのか? いい心がけだな」
「まぁ、日本語訳されたものだけどな」
「簡単な英語だけで構成されたニュースを配信してる勉強に使えるサイトとかもあるらしいから、たまに覗いて日本語訳しながら読んでみると良いらしいぞ」
 そう言いながら実利がチャットツールを操作し、何かしらのアドレスを送ってくる。
「ありがとう。あとで覗いてみるよ」
「あぁ、そうしろ」
 ……まてよ、この流れからなら聞けるんじゃないか?
「そう言えば、実利。お前ってその、男と女、どっちが好きなんだ」
 直後、実利の動きが止まる。
 やべ、直球で聞きすぎたか。
 しかし、後悔しても吐いた言葉は飲み込めない。
「あ、いや、すまん、無神経だった。言いにくければ、答えなくていいぞ」
「いや、こっちこそすまん。普段、お前、俺のことあんまり聞いてこないから、ちょっとびっくりしただけだ。そうだよな、気になるよな」
 その言葉から「お前は聞いてこないでくれると思ってた」というような意図を感じたのは俺の自意識過剰だろうか。
「俺はこんなナリしてるけど、生物的には男だからな、普通に女の子が好きだよ」
 実利は顔を上げて、はっきりそう答えた。
「……そ、そうか」
 そして今度は俺が落ち込む番だった。
 理由は二つ。
 一つは「女の子が好き」ということ。つまり、俺の事は実利はそういう対象として見ていない。
 もう一つは「普通に」という言葉。実利の中には「異性を好きになるのが普通」という認識があるということだ。それは裏を返せば「普通じゃないのは異常」という認識もある、という事で、つまり、実利にとって、俺は「異常」なんだ。
「よ、よし、問題解けたぞ。採点頼む」
 自分が異常な存在だと悟られたら、実利が自分のことをなんて思うか想像もつかない。俺は努めて平静を装い、問題集を提出する。
 ――俺は実利にとって異常、か。
 その事実が深く心に突き刺さり、そこから先の事はあまり覚えていない。
 実利は熱心に色々教えてくれたし、それはちゃんと頭の中に入ってはいるんだが、他にどんなやり取りをしたのか、実利がどんな顔をしていたのか、何も覚えていない。
「ただいまー、ってあんた、なにやってんのよ」
 母親が帰宅して、はっと気が時には実利を見送った状態のまま、一人、暗い玄関に突っ立っていた。

 

to be continued……

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