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Dead-End Abduction 第6章

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 先の大戦知性間戦争の爪痕が残る世界。
 大きく人口が減った人類は屍体を再起動リブートし、再起動者リブーターと呼んで労働源としていた。
 そのリブーターをメンテナンスする調整技師アジャスター、ノエルはある日自我を持つと思われるリブーターと遭遇、興味を持ったことで管理局に拘束され、「管理局に反逆しない」ことを証明するために管理局直属の工作員となることを強いられる。
 その首輪役として与えられたリブーター「リリィ」と共に反リブーターのテロリスト排除を行うノエルであったが、とある任務でリリィは管理局長官に命令を上書きされ、ノエルの下から離れてしまう。
 その真意を問いただそうと管理局本部に侵入したノエルは長官から思惑を聞かされ、拘束されてしまう。

 

 
 

 

 それは、両親の死、そして再起動から始まった物語。
  それは、一体の再起動者リブーターとの出会いから始まった物語。

 物語は廻る。一枚の円盤レコードのように。
 巡り巡りて、終焉へとその針を誘う。

 

  Dead-End Abduction

Chapter 6  反旗

 

 ――どうして、こんなことになってしまったのだろう。
 独房の隅で膝を抱えたまま、ノエルは自問する。
 拘束されて既に三日。食事と見回り以外で誰かの顔を見たことはない。故に、彼は自問自答で自らの正気を保つしかなかった。
 長官は自らの野望のために自分とリリィを利用した。それは彼にも分かる。
 そもそも、「廃棄処分されるはずのリブーターを匿った」ことでノエルは既に規定に反している。それに対して、本来は処刑され、リブーターとして再起動されるのが流れというものだったはずだ。
 それなのに、長官は囮捜査に使ったリブーター――リリィである――を監視に付け、ノエルをエージェントとして起用した。
 その時点で疑問を覚えなかったのかと聞かれるとノエルは答えに窮するところだった。
 疑問を覚えなかった、というのも覚えた、というのも嘘になる。彼の心にあったのは死なずに済んだという安堵感と、わずかな違和感。
 その後はひたすら訓練と任務の日々で考える余裕などあまりなかったが、それは言い訳に過ぎないと彼も理解している。
 もっと、ノエルは考えるべきだったのだ。何故生かされたのか、何故リリィを与えられたのかを。
 ノエルが生かされたのは単純に鉄砲玉にされただけではない。共に任務を遂行する上でリリィに経験を積ませ、ノエル自身の思想も吸収させ、やがてはそのデータをリブーターのOSに組み込むことで戦闘能力の高いリブーターを量産、長官が理想とする管理社会の監視者として世に浸透させることにあった。
 ノエルが今回解任されたのはもう利用価値がないと判断されたから。そして、長官に接触することも計算の内に入っていたのだろう。そうすれば事故死に見せかけて殺す必要もなく、処刑したという事実で「管理局に歯向かってはいけない」という刷り込みを行い、何の不自然さもなく彼を処分できる。
 長官の先見の明にノエルはしてやられたな、と呟いた。そこまで見越しての一連の行動だったとは。伊達に長官をしているわけではなかったということか、と思う。
 恐らく、数日中には管理局の法務部門で審判が行われる。長官による管理局の私物化は当然行われていると考えられるため、審判自体もほぼ形式的なものでノエルの処刑は確定しているだろう。
 処刑されることに関して、ノエルは自分が想像していたほど恐怖を感じていないことに気がついた。自分でも考えていないうちに覚悟を決めていたのだろうか、と考えてから、彼は違う、と気がついた。
 心配しているのは自分のことではない。
 リリィのことだった。
 今は管理者権限を書き換えられ、長官の下にいるのだろうか。
 彼女の無事を、ノエルはただ祈っていた。
 だからだろうか。
 その「存在」が舞い降りたのは。

 

 その時も、ノエルはただ自問の中で祈っているだけだった。
「リリィ……」
 薄暗い牢内、ノエルの呟きを聞く存在はいない。
 衛生管理がしっかりしているのだろうか、ネズミ一匹、クモ一匹その気配がない。
 少なくとも、それらの気配は存在しなかった。
 しかし。
 ノエルの前に。
「それ」は現れた。
 淡い光をまとい。
 牢の鍵を開けることなく。
 ただ静かに。
 手を差し伸べるかのように。
「それ」はノエルに問いかけた。
 ――汝、何を望む――
 耳に聞こえたような、脳に直接語りかけられたかのような、静かで神秘的なその声に、ノエルが頭を上げる。
 そして、絶句する。
 淡い光に包まれた、整った面持ちのその存在に。
「……誰、」
 真っ先にノエルの口から出た言葉は至極まっとうなものだった。
 たいていの人間なら、まずそう問いかけるだろう。
 そうでなければ、「どうやってここに、」だ。
 聞いたことのない言葉。
 どうやって発声しているのか、と疑問に思う言葉だったが、ノエルには意味が分かった。
 音声を聞いて理解したのではない。「心」が音声を、理解した。
 ――汝、何を望む――
「何を望む、って……それよりも、貴方は」
 話が唐突すぎて「何を望む」と聞かれても、すぐに望みなど口に出ない。
 まずは目の前のこの存在の正体を知りたい、とノエルは先に思ってしまった。
 思ってから、はっとする。
 風の噂で聞いた記憶がある。
 かつて知性間戦争で人類が戦った敵は、戦後、強い願いを持つ者の前に現れ、その願いを叶えるようになったと。
 その敵の名は。
「まさか、アドベンター……」
 かつて地球に住まう人類と地球の居住権をかけて争い、長い戦いの末に休戦協定を結ぶことができた地球の外からの移住者。
 自らを地球の旧人類と名乗り、圧倒的な戦力で地球の人類を脅かした存在。
 休戦協定により、アドベンターは少しずつ地球に移住のため降りてきた。
 その生態ははっきりとしていないが、それでも伝わっているのは、
「強い願いを持つ人のもとに現れる……」
 小さく、目の前のアドベンターは頷いた。
 ――汝の願いが、我が力になる。願いを、言うのだ――
「……僕の、願いは……」
 アドベンターの言葉に、ノエルがそう口を開くが、すぐにはっとして口を閉じる。
 ――僕の願いは、本当にリリィを救うことなのか?――
 確かに、リリィの無事は望んでいる。
 だが、それを望んで、今のリリィはノエルが願わなければいけないほど危機に陥っているのだろうか。
 あの長官が、リリィを危機的な状況に追い込むことはないのではないだろうか。
 つまり、ノエルが下手な行動を起こさない限り無事なはず。
 それなら、彼が望むべきことは決まっている。
「ここから出て、リリィと合流したい。管理者権限は書き換えられてるかもしれないけど、自我があるなら……」
 しばしの沈黙。
 ゆらり、と目の前の人影が光とともに揺らめく。
 ――心からの願い、それにあらず。我に叶えられるのは心からの願いのみ――
「何を恐れているのだ?」とアドベンターは続けた。
 そう言われ、ノエルも気付く。
 何を恐れているのか、と。
「僕、は、」
 死ぬことは怖くない。いや、怖いがそれ以上に何かを恐れている、ノエルがそこまで気付くのにそう時間はかからなかった。
 それなら一体何に? 不安要素はどこにあるのだ?
 少しの間考え、そしてノエルは気がついた。
 ――僕は、リリィに拒絶されることを恐れている――
 どうして。
 リリィはリブーターだ。既に死した存在だ。
 それなのに、ノエルはリリィに拒絶されることを恐れている。
 それはまるで、リリィが自らの意思を持っているかのように。
 いや、リリィは自我を持っている。
 命令に忠実に動くが、それ以外では彼女は自らの意思で動いている。
 今は命令に忠実かもしれない。だが、それでも。
 彼女が自らの意思で理不尽な命令を拒否し、正しい行動をとることを、ノエルは信じていた。
 再会すればきっと、彼女は分かってくれると。
 ノエルはそう思っていたが、それゆえに彼女が彼を拒絶することを恐れていた。
「貴方はもう必要ではないのです」と言われることを恐れていた。
 ――自分は、リリィに必要とされたい。
 そこまで考えて、ノエルははっとした。
 それこそが調整技師アジャスターの傲慢ではないのか。
 リブーターは人間より下の立場、奴隷と同軸の存在だという認識ではないのか。
 そう問われると、ノエルは否定することができなかった。
 リリィを下の立場として見ていたからこそ、この思考は成立するのではないか、と。
 目の前のアドベンターが揺らめく。
「……僕、は、」
 僕の本当の望みとは、とノエルが自問する。
 この三日間の投獄中の自問自答で答えは既に出ていると思っていた。それなのに、いざ望みを口にすることができるというタイミングでそれが出てこないとは。
 ゆらり、目の前の存在が踵を返したように見えた。
 ――悩め、ヒトの子よ。汝が真の望みを見いだした時、また会おうぞ――
 今はまだ、願いを叶える時ではないと。
 そう言い残すかのように、アドベンターの気配は消え去った。
「……はは、」
 肝心な時に何も言えないなんて、とノエルは低く嗤った。
 結局、その程度だったのかと。
「リリィ……」
 リリィに認められたい、リリィと共に歩みたい。そう、ノエルは思っていたはずだった。
 だがそれは真の願いではなかったというのか。
 まだ、揺らぐ要素があるというのか。
 そう、ノエルが考えたその時。
 独房の鍵が解錠され、扉が重々しい音を立てて開かれた。
 入ってくる数人の制服姿の男たち。
「ノエル・ハートフィールド、審判の時間だ」
 男の一人が、冷たい声でそう告げた。

 

「ノエル・ハートフィールドを電気椅子による死刑に処す」
 予想通り、いや、予想通りだが予想外のその判決にノエルだけではなく傍聴席にいた人々の間からもざわめきが上がった。
 それは検察側も同じだったらしく、裁判長に対して異議を申し立てる。
「裁判長、ここは消滅刑が妥当だと考えられますが」
 通常、この世界において死刑は二番目に重い刑と定められている。
 死刑によって屍体を残すことによってリブーターとして再起動し、全く別の存在として存在を許す、というのがこの刑の意義である。
 そこで、例えばノエルが犯した(とされる)管理局に対する反逆罪などに対しては最も重い刑罰「暴走した対アドベンターナノマシン」ダムウェントゥスを除染する除染ボランティアが下される。
「消滅刑」とはダムウェントゥスが人体を分子単位で分解し、消滅させてしまうことから呼ばれる通称である。
 実際、検察側の求刑はこのダムウェントゥス除染ボランティアであった。
 検察官の異議に対し、裁判長が首を振って死刑に決定した理由を口にする。
「異議を却下します。検察の指摘通り、本件は確かにダムウェントゥス除染ボランティアがふさわしいでしょう。しかし、ごくまれにダムウェントスが作動しない人間が存在するという報告が上がっています。もし、被告人がこれに該当した場合消滅せずに生存する可能性も出てくる。被告人ノエル・ハートフィールドは一度長官との司法取引で無罪放免されているにもかかわらず再度反逆の罪を負った。被告人が生存した場合、三度管理局に反逆を行うことは必至であると考えられる。よって、確実に刑が執行できる死刑が妥当であると判断しました」
 完璧すぎる裁判長の回答に、検察官が納得したように引き下がる。
「被告人、何か言うことは」
 結審の前に、裁判長がノエルに声をかける。
 審判自体は非常にシンプルだった。
 ノエルが行ってきたことを列挙し、それに情状酌量の余地なしと告げられ、一方的に判決が下されただけだ。
 それに対してはノエルは反論しようとしなかったしする余地もなかった。
 管理局長官の考えをなんとかして伝えたい、と彼は思ったがその辺りは既に長官の根回しが終わっていたのだろう、何も言わせてもらえなかった。
 そのため、今の裁判長の言葉はノエルが全てを語る最後のチャンスでもあっただろう。
 長官は管理局を私物化し、リブーターを利用して世界を牛耳ろうとしているのだと。このままではいけないのだと。
 だが、今更それを伝えたところでどれだけの人間が彼の言葉に耳を傾けるだろうか。
 管理局に反逆したと周知され、死刑まで宣告された彼の言葉など、今やただの妄言である。
 だから、言えることはもう何もない、そうノエルは答えることにした。
 その時だった。
≪ノエル、なんでもいいので時間を稼いでください≫
 不意に、ノエルの脳裏に言葉が響いた。
「え」
 どこから、と視線を彷徨わせるが、彼に声をかけるような人間などこの場に皆無。
 一体誰が。
≪ノエル! とにかく何かしゃべってください、脱出する最後のチャンスです!≫
(……リリィ?)
 まさか。
 リリィがこの場にいるはずがない。彼女は管理者権限を書き換えられたうえで長官の下にいるはずだ。
 だからこれはきっと自分の妄想か幻聴の類なのだ、とノエルは考えようとした。
 だが声はまだ続く。
≪長官が監視用に投与したナノマシンの通信機能を使って話しかけています。無効化されているのでは、と思っていたのですが先ほど動作を確認しました。だから、適当に何かしゃべって時間を稼いでください≫
(ナノマシン? 知性間戦争以来開発、研究は封じられてたんじゃ)
≪そんな話は今はいいです、とにかくしゃべってください≫
(……でも)
「被告人、何か問題でも?」
 ノエルの挙動に不信感を抱いたのか、裁判長が声をかけてくる。
「……あ、いえ……やっぱり電気椅子は怖いな、と思って」
「確かに死刑の方法は数あると聞いていますが、現在は電気椅子によるものを採用しています。それを変えることなど」
 ――なし崩し的にリリィらしき声の指示通りに時間を稼ぐような形になってしまった。
 そう思いつつ、ノエルは必死に思考を巡らせ、口を開く。
「いや……その、やっぱり僕が特異体質とは思えませんし、消滅刑にしてもらった方が後腐れないかなとか思っただけです。ほら、リブーターもごくまれに生前の記憶を持つ個体が発生するとか言われてますし」
「……ふむ、そういえば判例がありました。完全に死亡していなかったところへ再起動処理を行ったことによる記憶の保持、でしたか」
 さすが、裁判長はかつての判例もある程度は網羅していたらしい。
 だがその判例があるというのであるならば死刑も「ノエルという存在を消し去る」には確実性に欠ける。
 実際、電気椅子による処刑を執り行ったものの死刑囚は生存したという知性間戦争以前の記録が残っていたはずだ。
 この状況でよくそんな歴史の授業を思い出したなと思いつつもノエルは裁判長に訴えかけた。
「電気椅子も確実ではないのですし、ほら、機械の故障の可能性もあるわけですし、だったら消滅刑の方が確実じゃないかって思えるんですよ」
「……しかし、」
 裁判長は明らかに動揺している。
 リリィらしき声の指示による時間稼ぎはひとまず成功したと言えるだろう。
 それにしても、もしかして僕って詐欺師の才能もあるのでは、と思い始めたノエルである。
 聞こえてきた声がリリィのものでなかったとしても、この場から逃げることさえできればもしかして生き残れるのではないだろうか、と彼が考え始めたその時。
≪今です! 左に跳んでください!≫
 指示が飛んできた。
 そして、指示には即対応できるくらいにノエルは訓練されていた。
 左に跳べ、その言葉の次の瞬間には彼は指示通り左に跳んでいた。
 裁判長の不思議そうな顔、それを認めた次の瞬間。
 法廷の右の壁が爆発した。
 瓦礫が、法廷にいた全員に降りかかる。
屍体爆弾コープスボム? テロですか!?!?
 その場にいた全員の意識がノエルから離れていた。
 ノエルはというと、左に跳んだ先で腕を掴まれ、法廷から引きずり出される。
 人間とは思えない冷たさに、彼は腕を掴んでいるのがリブーターだと判断する。
「……リリィ?」
 土煙でよく分からなかったが、それでもノエルは自分の腕を掴んでいるリブーターがリリィだと認識した。
「どうしてここに」
「詳しいことは後です、とにかく、ここを脱出します」
 うん、と頷き、ノエルはリリィについて走り出した。

 

 二人が身を隠したのは郊外の廃墟だった。
 知性間戦争から五十年が経過しているとはいえ、この辺りは除染作業が終わってからまだちゃんとした復興が始まっていない。
 そのため、身を隠すにはちょうど良かったがそれでも位置的に管理局から近いような気がする、とノエルは感じていた。
 まるで、誰かを待っているかのような。
「……リリィ、誰かを待ってるの?」
「はい、もうすぐ合流できるそうです」
 リリィの言葉に、誰が、とノエルは考えるも、それよりも先に彼女に確認しておきたいことがあった。
「リリィ、どうして。管理者権限は長官に書き換えられているんじゃ」
「権限は関係ありません。私はノエルを助けたかった」
 そんな、まさか、とノエルは驚いた。
 確かに使用年数が過ぎたリブーターに自我が宿るという考えを持っているのはノエル自身だ。だが、リブーターの思考部分、OSのユーザー権限管理者権限を書き換えてしまえば自我は持っていたとしても保護対象はどうしても管理者に向いてしまうのではないのか。
 ノエルか長官か選択しなければいけなくなった時、リリィは長官を選択しなければいけないはずなのである。
 現に、今がその状況であるはずだが、リリィはノエルを選択していた。
 合理的に判断するはずのリブーターではあり得ない判断をした理由。やはりこう考えるしかない。リリィには自我が目覚めているんだ。と、ノエルは自分の仮説に確信を強めた。
 そう、ノエルが考えているうちに一つの人影が廃墟をよぎった。
「おう、若いの、無事か」
 入ってきたのはエイブラハムだった。
 それを見て面食らったノエルである。
「……エイブラハムさん、どうして」
 あの、法廷の壁を爆破したのはエイブラハムだったのか。
 どうして、とノエルはエイブラハムに対しても質問することになった。
「僕、エイブラハムさんに貸しなんて作っていませんよね」
「なぁに、報酬分は働かないとな」
 そう言って、エイブラハムは端末と現金の入った小袋を振って見せた。
 それは、ノエルが逮捕される少し前にエイブラハムに渡した「口止め料」だった。
 金額にしてはわずかなものだったし、ここまでリスクを冒した行動を取るとはノエルは全く考えていなかった。
 だから、ノエルは「どうして」と聞いたのだ。
 それに対するエイブラハムの回答は「報酬分は働く」というもの。
 いや、報酬分以上のことやってるよあんたとノエルは思ったが口には出さなかった。
「リリィ、とりあえず必要なものは持ってきたぞ」
「ありがとうございます」
 エイブラハムがポーチからケースを取り出し、リリィに渡す。
 リリィがケースを開けると、そこには手術時に使用するようないかつい形をした注射器シリンダーと薬剤が入っていた。
 それを見て、ノエルが首をかしげる。
「一体何を」
「ノエル、あなたに投与されたナノマシンを無効化します」
 そうだよそれだ、とノエルが声を上げた。
「ナノマシンってどういうこと、あの戦争での失敗からナノマシンの開発、研究は禁じられてるんじゃ」
 知性間戦争末期に対アドベンター兵器として開発されたナノマシン、ダムウェントス。
 空中に散布され、接触した対象の血液を採取、そこからアドベンターの組成を認識したら細胞組織を分子単位で分解してしまう性能を持っていた。
 だが、ダムウェントスは人類にも牙を向いた。
 何故人類にも有効なのか、構造、プログラム、全ての面から解析が試みられたが全ての機能は正常に動作しており、真相は不明。
 それ以来、ナノマシン技術は人類にそぐわないものとされ、開発も研究も封じられてきた。
 そんなナノマシン開発を、管理局は行っていたのか。
 リリィがそんなことは、と言いながらエイブラハムを見る。
「リリィ、頼む」
「はい」
 たった一言でリリィが指示を理解し、ノエルを押さえつける。
「え、ちょ、何を」
「時間がありません」
 起き上がろうとするノエルをリブーターらしい人間離れした力で押さえつけ、リリィはエイブラハムに頷いて見せる。
「いやちょっと待ってナノマシンの無効化って、その注射器の大きさ、麻酔使ってから使う奴だよね? 麻酔は?」
「ねぇよんなもん」
 注射器に薬剤をセットしたエイブラハムがそれを構えながら答える。
「いいから黙ってろ。黙ってられないならリリィ、何か口に入れとけ」
「いやだからせめて麻酔を」
「今この状況で麻酔を使用した場合、麻酔の効果によって脱出の可能性が格段に下がります。ノエル、大人しくしてください」
 いやだー、死にたくないー、麻酔使ってー、そんなご無体なー、などともがくノエルの首筋にエイブラハムは容赦なく注射器を押し当てた。
「男ならごちゃごちゃわめくな。歯を食いしばれ!」
「ぎゃー!」という絶叫が響き渡る。
「……何か噛ませていた方がよかったでしょうか」
「……いや、もう遅い」
「……鬼……悪魔……」
 薬剤の投与が終わり、ノエルが涙目で、いや、完全に泣きながらぶつぶつ言っている。
 麻酔を使用しなかった事による注射器の使用は彼が想像していた痛みよりもはるかに強かった。
 よく耐えたよ、と思いつつも彼は心配そうに顔を見てくるリリィを見た。
「ノエル、行きましょう」
「行きましょう、って、どこへ」
 痛みの影響か、ノエルの思考が定まっていない。
 リリィの代わりに、エイブラハムが説明した。
「お前に投与されていたナノマシンは通信機能だけじゃない。文字通りお前を監視する『首輪』として位置情報の発信機能もあった。それを今無効化したわけだが、ここの場所はもう管理局にバレているはずだ。だから安全な場所まで逃げる」
 エイブラハムがノエルに肩を貸す。
 そうやって三人が廃墟を出て数分後。
 管理局の追手が廃墟に到達したが、ノエルは既にその場におらず、位置情報も停止されてしまったため捕捉することはできなかった。

 

「……で、一体何が何やら」
 ここは安全だ、と判断した休憩ポイントで一息ついたノエルがエイブラハムに尋ねる。
「聞きたいことはたくさんあります」
「だろうな」
 そんなことは分かりきっている、とエイブラハムはノエルの正面に座った。
「まず、何が聞きたい」
「そうですね……さっきのナノマシン無効化の話です。ナノマシンの開発も研究も禁止されてたはずです。例外的にリブーターの稼働のために必要なナノマシンの生産は行われているらしいですが、OSのバージョンアップも途絶えて久しいんじゃ。とにかく、管理局は人間に投与するためのナノマシンを開発していたということなんですか」
 そう、ナノマシンは開発も研究も禁じられているがリブーターの稼働のために必要な物は例外的に生産のみ許可されている。OSに脆弱性が見つかった時のみパッチを作成し、対応してきたはずだ。
 それなのに管理局が人間用のナノマシンを開発していたとは。
 いや、「管理局」がナノマシン開発を行っていたのは納得していいことなのかもしれない。
 リブーター用のナノマシンを生産しているのだ、その裏で開発、研究を行うことくらい容易だろう。
 エイブラハムが頷いた。
「管理局は、というか長官は組織を私物化した挙句にリブーターを利用して世界を管理しようとしているんだろう? だったらナノマシン開発くらいやっていてもおかしくないというこった。正直、最初は信じられなかったがな」
 エイブラハムは基本的に管理局と契約して報酬を受け取り違法なリブーターを狩る闇リブーター狩りダークハンターだ。管理局の依頼に疑問を持ってはいけない。
 それでもノエルの言葉を信じて助けに来たということは、管理局がおかしいと思わせる何かがあったということになる。
 それにはノエルに心当たりがあった。
 彼が逮捕される直前にエイブラハムに渡した端末。
 エイブラハムもそれに気づいたか、取り出してノエルに見せる。
「リリィとの全データが保管されていると思いきや通信機能をオンにしたままだったとはな。お前と長官の会話が筒抜けだったぜ」
「あなたならあの会話で分かってくれると信じていました。少しは賭けでしたが」
 でも、多額の報酬を受け取っている以上管理局を裏切るのは大きなリスクを背負うはずだ。
 それでも、エイブラハムが管理局ではなくノエルに付いたのは長官の言葉がよほど気に食わなかったということか。
 もしかするとこの後ノエルを管理局に売る可能性はないとは言えない。ノエルは彼に高額な報酬を支払ったわけではないのだ。エイブラハムが金額で動く人間ならば、そこは少し警戒したほうがいいのだろうか、とノエルは心の隅にとどめておくことにした。
「とにかく、助けてくれたことに対してお礼は言います。報酬は支払えませんが」
「報酬は全部終わってから管理局の清浄化をする、でいいぜ。正直、今の管理局にどれだけ詰まれようとも依頼を受ける気はしねぇ」
 なんだかんだ言って、エイブラハムは義理と人情に厚い人間だったのか。
 それに頷いて、ノエルは次の疑問を口にした。
「ところで、エイブラハムさんはどうしてリリィと? そもそも、リリィは長官のそばにいたはずじゃ」
 それが大きな疑問だった。
 リリィの現在の管理者は長官。そして、長官のそばで控えていたはずだ。
 それがどうして単独行動を行った挙句エイブラハムと合流しているのか。
 それは、とエイブラハムが答える。
「本当は俺一人でお前を助けるつもりだった。長官の思惑を正確に世界に広めることができるのはお前さんだけだからな。だが、法廷に向かった時に一人で歩いているリリィを見つけてな。そしたらリリィもノエルを助けたい、と言うから一緒に行動したわけだ」
「はい、実はメンテナンスのために一時的に長官の下から離れていました。脱走するのは簡単でした」
 リリィらしい返答だ。武闘派の彼女なら調整技師を蹴散らして逃亡することなど朝飯前なのだろう、とノエルは納得した。
「とにかく、二人は二人とも僕を助けるためにそれぞれ動いていて利害が一致したから一緒に行動した、という認識でいいの?」
 あまりにもざっくりとした解釈ではあったが、ノエルはそう締めくくってありがとう、と頭を下げた。
「二人のおかげで長官の野望を砕く可能性が見えてきた。作戦とかはまだ全然固まってないけど、でも僕一人でいるよりはきっといい作戦が立てられると思う」
 絶望的なあの状況で、二人の手助けはノエルにとって本当に強い導きの光だった。
 大きな反撃のチャンス、これを無駄にするわけにはいかない。
 しかし、それなのにノエルの心に一つの不安が残っていた。
 リリィのことだ。
 管理者権限は長官に残っている。今ここで権限をノエルに戻すことはできない。
 権限の書き換えは管理局の中央コンピュータを経由する必要があり、そんなことを行えば直ちにノエルの居場所が判明してしまう。
 つまり、今の状態で長官に挑むことになるが管理者の命令は絶対。リリィと共に長官の前に立った場合、長官の命令によって事態をひっくり返される可能性が非常に高い。
 そうなるとリリィを前線に立たせることはできないが、彼女の戦力はどうしても突破に必要だろう。
(いや、リリィは自我を持っている)
 耐用年数を超えて稼働し、多くのことを学習してきたリリィは自我を持っている、とノエルは認識している。いや、今回の件をもって、もはや確信している。
 それなら。
 リリィが長官の命令に逆らう可能性もあるのでは、とノエルは思った。
 より確実性の高い作戦を立てるべきではあったが、ノエルはどうしてもリリィと共に戦いたいと思っていた。
 もし、リリィと別行動で作戦に挑んだら、もう二度と会えなくなるのではないかという不安が彼の心に宿っていた。
 その感情に、ノエルは揺らいでいた。
 それにエイブラハムも気付いたのだろう。
「ノエル、今回の作戦はお前が主役なんだ。お前がやりたいように動け」
「エイブラハムさん、」
 思いもよらなかったエイブラハムの言葉。
 それに背中を押され、ノエルは分かりました、と頷いた。
「作戦と言っても殆ど当たって砕けろ、ですが。やりましょう」
 ノエルの言葉に、エイブラハムとリリィが頷いた。
「おう、やるぜ」
「はい、ノエル」
 世界を長官の身勝手な思惑で支配されないために。
 三人は、動き出した。

 

To be Continued…

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