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空虚なる触腕の果てに 第4章

「未確認領域ウェストスペース」

「やぁやぁどうも、みなさんお揃いで」
 アースの艦橋に白い髪に眼鏡をかけ、妖しげな装丁の本を手に持つ男性が現れる。
「お待ちしておりました、安曇神秘士官」
 安曇神秘士官は神秘を専門とする士官だ。
 神秘というと妖しげだが、この宇宙には確かに未解明のオカルトで溢れており、それを他の組織より一方で先んずれば、即ち自組織が優位となるのは間違いなく、彼のような怪しい人間がセントラルアースで雇われているのはそういうわけだった。
「ふむ、これが資料です、か。……皆さん、コンピュータの解析以外でまともにちゃんとこのエンブレムを確認しましたか?」
「い、いえ。しかし、図形の概要さえコンピュータが把握すれば良いので……」
 ラルフのハルを見ても分かる通り、この時代のコンピュータは極めてファジーな判断が可能だ。故にコンピュータへの信頼が厚い。
「やれやれ、便利というのも考えものですね。それで、これが三つのエンブレムの意匠を取り込んだエンブレムとやらですか?」
 正面モニタにそのエンブレムが映し出される。それは、意匠が取り込まれたどころではない。ただ雑にその三つのエンブレムを重ね合わせただけの禍々しくすら思えるナニカだった。

 

 

「えぇ、コンピュータなら言うでしょう。三つのエンブレムの意匠が取り込まれたもの、とね。けど、人間の目で見て、どうです? これが真っ当な人間の、あるいは組織の使うエンブレムですか?」
 艦長は黙って首を横に振った。異常なそのエンブレムを見て、背筋が凍る思いをしたのだった。
「そ、それで安曇神秘士官、ラルフは、救えるのかね?」
「えぇ。我々なら救えるでしょう。問題はラルフ君が下手を打っていないか、ですね」
「下手? 彼は優秀な操縦士だ。そうそう下手は打たないさ」
「えぇ、まぁそうかもしれませんが、しかし、オカルトについてはどうです。例えば、怪異に名前をつけてはいけない、とか、怪異の施しを受けてはいけない、とかそう言うこと、ご存知ですか?」

 

《同時刻 トーラス型コロニー「[名称不明]」内部》

 

「ん……」
 目を覚ます。柔らかいベッドの上での睡眠は心地良かった。このベッドから離れたくない……。
 って、ベッドのだと!?
 自身の状況を思い出し跳ね起きる。
 そこは汎用的な閉鎖型コロニーの個室のようだった。
「くそ、鎮静剤で眠りこけてる間に運ばれたのか? 冷静さを失ってたな……」
 冷静になれば危険な場所だからこそ、機内で待機し、必要とあらば、ドッキング直後に発進する手もあった。それがどうだ。
 宇宙服すらない。寝るのに適したラフな格好に着替えさせられている。
 どうやって着替えさせられたのだろうか。
 ふと、恐ろしい怪物がその触腕で宇宙服を脱がせて服を着せるところを想像してしまう。それはまるで着せ替え人形のようで……。
「いやいや。俺達アストロノーツは巨人の軍勢ヨイツンヘイムとさえ対等に渡り合ったんだ。どれだけ強大な相手だろうと……」
 かぶりを振って自分の考えを頭から追い出しつつ、ポジティブな思考を実行していく。
 直後、そのポジティブな思考も停止する。
 こつり、こつり、こつり、こつり。
 壁の外から聞こえるそれは足音だ。
「誰か来る!?」
 その事実に怯えた俺はとっさに扉の側に設置されたコンソールに近く。幸い、俺たちのよく知る人類向け統一規格のコンソールで、緑のボタンを押すと小さいモニターの文字が「locked」に変化する。
 その間にも足音はますますこちらへ接近し、ついにこの部屋の前で止まった。
 ピピッと電子音が鳴り、扉の側のコンソールの表示が「open」に変化する。向こうは鍵持ってるのか。
 くそ、本当に失敗した。ブラスターすらない。身を守る術は皆無だ。
 ゆっくりと扉が開かれる。
 どんな鬼や悪魔が現れるのか……。
「おや、起きてましたか」
 人間だった。人の良さそうなおじいさんだ。
「何者かと見に行ったら、お疲れだったのか眠っておいででしたから、こちらへご案内差し上げたんですよ」
「なるほど、それはどうも御親切に」
「あ、こちら朝食に、と思いましてスープをお持ちしたんですよ、良ければどうぞ」
「ありがとうございます」
「それでは、ごゆっくり。お代わりがご所望でしたら机のコンソールからどうぞ」
「あ、ちょっと」
 こちらの呼びかけが聞こえなかったのか、おじいさんは部屋を出て行った。
「……とりあえず、スープをいただこうか」
 恐る恐る、スプーンで掬って口に運ぶ。
「うまい!」
 それは久しぶりの温かい食事だった。しかも、野菜や肉らしきものも入っている。いつも倹約して食事していたため、スープを食べ終えてなお、まだお腹が空いていた。
「お代わりは机のコンソールから、と言っていたな」
 コンソールに近づき、触れると、お代わりボタンが大きく表示される。躊躇なくタップすると、「しばらくお待ちください」のメッセージののち、コンソール上の小さな扉から食事が出現する。
 食べる。
 お代わりする。
 食べる。
 お代わりする。
 スープの具が少なすぎて空腹に対して全然腹が膨らまない。
「うまい! だが、次はもっと固形物がいいな。スープはいいから、肉だ、肉を頼む」

 

「{5?ァシ?o=y?ワ??キ?O4{5kヌキ?o{5?gキ?_<{5?ァケ?vレ{??owスk_^{5kキキ?_8{5??キ?_{5iァ?mマ_{4?Gクmカロ{5?キキ?Vコ」

 

 一瞬、頭痛と耳鳴りがしたと思ったが、直後扉が開き、すぐに意識がそちらに移行する。
 ……が、ご機嫌な意識はそこで終わりと相成った。
 そこにあった肉は、どう見たって人間の肉だった。
「お、おいおい、これはなんの冗談だ? は、ハル、対象のタンパク質組成を分析しろ」
 返事はない。そりゃそうだ、今の俺はEF-31Cと、ハルと接続する何かを持っていないのだから。
「コンピュータ! おい、このコロニーのコンピュータ! いるんだろ、返事しろ」
 まぁこれも無茶振りに近い、俺はあくまでゲスト扱いなのだろうから、コロニーの運用すら担うコンピュータが応じてくれるとは思えない。
 くそ、やっぱりここは危険な場所だ。急いでドックに向かおう。
 扉に駆け寄る。コンソールをタップする。
「開かない?!」
 扉の表示は【locked by administrator】。管理者ロック? 閉じ込められたのか!?
 机のコンソールに戻るが、「お代わり」のボタン以外何にもなし。くそ、さっきはあまりの食事の旨さで正気を失っていた。他の操作系統がないことに違和感を持つべきだった。
 ……って待てよ。肉の塊を頼んで出てきたのがあれ、ってことは……さっきまでのスープに入ってた肉は……。
 その事実に思い当たった瞬間、猛烈な吐き気が襲う。よく考えたらトイレすらないぞ、ここ。

 

「{7?ヌキ?fク{7iヌカ?Fコ{o4kァ?mマ_{4?Gキ?_w{5?ァキ?_{5iァ?mマ_」

 

 吐き気を上回るほどの頭痛が襲い掛かり、思わず目を瞑る。
 目を開けると、部屋の片隅に個室スペースが出来ていた。
 覗き込むとトイレで、とりあえず、思う存分に吐瀉物をぶちまけた。

 

 水道で口をすすぐ、幸い、普通の水のようだ。もちろん、水質分析が出来ない以上、普通の水のような味をしたやばい水の可能性もあるが。もう飲み込んでないのでセーフと信じるしかない。
「はぁ……はぁ……」
 ベッドに腰掛けて息を整える。
 さて、どうしたものか。
 もっとも最初に思いつくのはあの扉をぶち壊すことだが、昔の地球のドラマにあるような木製の扉ならともかく、金属の機械式扉を生身でどうにかするのは不可能だ。
「考えろ、考えろ……」
 トイレの上には換気用のダクトがあるが、試しに覗いてみたが、空気循環機構が道を塞いでいた。燃料電池でスタンドアローンで動いているようだ
 ふと思いつく、あのお代わり装置、肉の解釈こそ違ったが、一応要望に答えてくれたんだよな。
「爆弾」
 ダメでもともとと思いながら、お代わりボタンを押してみる。

 

 ………。

 

 ………。

 

 ………。

 

 反応なし。流石にそうか。
 そうだ。

 

「コーヒーを飲みたい。砂糖は自分で入れたいから別で」
 ポチっ。
 出て来た。なるほど、食べるものなら応じてくれるんだな。


「{6?gキ?Vオ{6?ラキ?ow{?t?キキ?ov{ヨキkgキ?_<{5??キ?_[{5i?キ?_{{5iァキ?_8{6?」

 

 なら、やりようはあるな。
 まず、いくらかの食べ物を要求し、塩を別にしてもらう。
 さらにお水を蓋付容器で頼み、塩を溶かす。

 

 トイレからダクトに入り、ダクトの道を塞いでいる空気循環機構から燃料電池を取り外す。

 

 で、コンソールをぶん殴って分解し、銅線を得る。
 で、電気分解装置を作って、塩水を電気分解すると。

 

「出来た」
 水素ガスを蓋付容器に閉じ込め、水素爆弾の完成だ。いや、いわゆる水素爆弾ってのは普通核分裂で爆発するからまた少し違うけど。
 あとはコンソールの銅線を引っ張ってやって点火装置にしてやる。
 それでも狭い部屋だから俺も爆発に巻き込まれるだろうが、閉じ込められ続けるよりマシだ。

 

「{5kGキ?o5{4?Wコiヨロ{6?wキ?_|{6?wキ?Vエ{6?」

 

 果たして、扉は開かれた。
 爆発させたからではない。なんか勝手に開いた。
「えぇ……」
 自爆してでも開けたい扉だったのに、こうなってくると本当に先に進んでいいか不安になる。
「いや、行くしかない」
 扉から外に出る。
 通路は通常灯はおろか常夜灯すらついていない。真っ暗だ。
「覚悟を決めるか」
 幸い緊急時用の懐中電灯がドアの横に取り付けられている。取り外して使わせてもらう。
 一般的に多くの閉鎖型コロニーは車輪のような形をしている。
 スタンフォード・トーラス式とほぼ同じ理論で、回転することで遠心力による擬似重力を生み出す仕組みだ。そしてそれはこのコロニーも例外ではない。つまり、俺が今歩いているのは、コロニーの外径の壁と表裏一体の床、ということになる。まぁ、厳密には色々配線とかあって、床下的な機構があるんだろうが。
 さて、では絶えず回転しているこのコロニーのどこに宇宙船が停泊するのかと言うと、唯一ほぼ動かない場所、中心軸である。つまり、どこかの天井にドックに移動するための通路があるはずだ。
 暗闇に怯えながら歩く。
「お、非常用防護設備」
 コロニー内には非常時用に宇宙服が配置されていることがある。イメージとしては公共施設にある埋込み型のAEDや消火器の入った壁に埋め込まれた扉のイメージだ。
「ラッキー」
 と、扉を開ける。
 もし、10秒前に戻れるなら、今すぐ戻って10秒前の俺を殴ってでも止めるだろう。
 扉を開けた先は、何もなかった
 空っぽということではない。ただ真っ黒で、懐中電灯を向けてなお、一切の反射が起きなかった。
 手を突っ込んで奥を探ろう、などという発想はおきなかった。
 だってそれは。

 

 まるであのとき見た、極彩色の壁が口のように歪んだ、その先に見えた空虚な世界のようで。

「ひっ」
 その思い出したくない記憶が頭の全てを支配して……。

 

「{5?ラキ?ow{5iァキ?Vシ{5?wキ?o{?ン?ヌキ?o{ニ゙mヌキ?ow{5kキキ?V?{5?キキ?Vキ{5??キ?o8{4?Wキ?_x{6?Wキ?ow{5i」

 

 強烈な耳鳴りと頭痛に苦しむ中、俺は確かに見た。
 空虚な暗闇から極彩色の何かが染み出してきて、本来あるべき壁とそして宇宙服を形成するのを。

 

「なっ……、なっ……」
 やはりここは異常だ。これ以上ここにいてはいけない。
 ひたすら恐怖のかられながら暗闇を走る。

 

「{5iァキ?ow{5kキ?mマ5y?ワ??キ?O4{5?キキ?Vキ{5?キキ?_{?ン?ヌキ?Vキ{5kァキ?_6{5?gキ?__{5i?キ?V?y?ワ?」

 

 耳鳴りがする。

 

「{5iァキ?ow{5kキキ?V?{6?wキ?Vサ{5iァキ?ow{5kキキ?V?{6?wキ?Vサ{5iァキ?ow{5kキキ?V?{6?wキ?Vサ{5iァキ?ow{5kキキ?V?{6?wキ?Vサ{5iァキ?ow{5kキキ?V?{6?wキ?Vサ{5iァキ?ow{5kキ?mマ5y?ワ?」

 

 それは止むことなく続く。

 

「見つけた!」
 しかし、ドッグに向かうための通路を見つけた。ボタンを押してはしごを下ろす。
 あとははしごを登るだけだ。ある程度まで登れば無重力になって、そこからは楽だ。

 

「{゚4?wキ?_y{5iァキ?_8y?ワ?」


 耳鳴りを感じた、その直後。忽然と、はしごが消滅した。
 このままでは落ちる、くそ、だが、もう天井には到達してるんだ!
 俺は腕を突っ張って、なんとか通路にとどまった。このまま腕を動かしていけば登ることも不可能ではないはずだ。
 何が起こったんだ、一体。

 

「{゚4?wキ?_v{5iァキ?_8{5kキ?mマ5」

 

 再び耳鳴りが襲い、再び目を疑うようなことが起きた。
 先程まで歩いていた通路、その床一面にびっしりとうねうねした触手が姿を表した。
「スペースアネモネ?」
 といっても花ではない。アネモネはアネモネでもシーアネモネのほう。つまり、イソギンチャクだ。
 イソギンチャクが水の中のプランクトンを食べるようにスペースアネモネは宇宙空間の
 “粒子”を食べる。つまり、草食(?)だ。
 その草食のはずのスペースアネモネが、俺に向かって触手を伸ばしてくる。服に付着した”粒子”を食べに来たのか?
 そう一瞬油断した。直後。
「えっ!?」
 触手たちに足をがっしりと掴まれた。
「おい、マジか。嘘だろ!?」
 引っ張られる。なんで!? こいつに人間を襲うなんて習性はないはずだ。
「誰か! 助けてくれ!」
【はい。ただいま。耳を塞いで目をつぶってください】
 館内放送が響く。言われるがまま、耳をふさいで目をつぶる。
 直後、爆発音が響いた。一気に体温が低下を始める。体が重力を感じなくなる。
 コロニーの外壁に穴が開いたのか!?
 思わず目を開けかけるが、宇宙服無しでそれはまずい。まぁどのみちあと15秒ほどの命だが。
 と宇宙を漂う時間はわずか1秒だった。なにか柔らかいものに当たり、そして空気に満たされる。
【目を開けてください】
 目を開けると、そこは。
「相棒?!」
【コロニーにハッキングを仕掛けピンチを感知して自動発進し救出いたしました】
 ジーンとする。
「ありがとう、ハル。もう頼りになるのはお前だけだよ」
 そう、もうハル以外を信用してはいけない。
 だって。
 だって、全ては、最初に食べ物を持ってきてくれたおじさんでさえ、あの極彩色のねちょっとした物体で作られたナニカに過ぎないのかもしれない。
「ハル。この宙域は危険だ。未確認領域ウェストスペースとでも名付けて、この辺一体の星系を危険判定しろ」
【了解。星間ネットワークに共有。警告。星間ネットワークにアクセスできません。次回アクセスしたタイミングで自動的に同期されます】
「ハル。どっちでもいい。全速で飛べ。センサアレイの感度を最大に。既知の星系を探して飛び続けろ」
【了解】

 

「{ソ_k?キ?Vキ{5kァキ?o{?エo?コ?゚4{5iキシk_{5?ラキ?__{5??キ?V?y?ワ??キ?O4{5iァキ?o={ッy?ラキ?_<{5kァキ?_6{5?gキ?o{6?ヘム」

 

【E69EB6E7A9BAE6A78BE980A0E688A6E889A6E38397E383ABE383BCE38388】

 

「座標は無視だ! ひたすらに前進!」
 後に、せめてこのコードをデコードしておけば、そう後悔するのはそう先のことではなかった……。


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