栄光は虚構と成り果て 第1章
町に砂塵が入り込んでくる。砂漠の中の小さな町。町を砂塵から守っているはずの木々がなぎ倒されていく。
倒される木々に視線を向けた時、そこに見えるのは黒い巨大な足。もちろん、足だけの生物ではない。しかし、小さく地を這うだけの人間には、それは巨大な足としか映らない。もちろん、視線を上げればより恐ろしい姿が見えるのだが。人々はただその巨大な足の持ち主から逃げようと、足があるのとは反対の方向へ向けて走っていく。この小さな町を抜けたその先にあるのは砂漠。他の町へは到底何の備えもなく歩いていける距離ではない。まして、着の身着のままで逃げた人間が、他の町へ逃げ延びる事など不可能に近いだろう。それでも彼らはただ恐怖から逃げる事を選ぶ。
ところで、恐怖から逃れる事を選んだもの以外に、もう二種類ほど、恐怖を感じた時の行動が異なる人間がいる。一人は、無謀にもその恐怖に立ち向かう者。例えば、そこで槍を構えた男性のように。彼は狩猟用の槍を投擲する。飛翔する槍は、しかし黒い巨大な足に突き刺さる事なく、弾き返されて落下する。
そして、もう一種類は恐怖によって、もはや動く事すら叶わなくなったもの。例えば、道の真ん中で瞳を恐怖で震わせながら、ただ、その黒い巨大な足を見つめる少女など。もはや抗う術もなく、彼女は黒い巨大な足に踏みつぶされてしまう運命に思えた。あるいは、たまたま足がすり抜けても、その後ろにある巨大な尻尾がなぎ倒してしまうかも。
ところがそうはならなかった。恐怖によって逃げる事叶わず、しかし、黒い巨大な足から目を背けなかった。彼女のような、先に挙げた三種類目の人間、彼らこそがその奇跡を目の当たりにする。
「かかった!」
誰か、男性の声がした。黒い巨大な足が、ずぶりと地面の中に飲み込まれる。黒い足を持った巨体がバランスを崩し、転倒する。人々の視界には黒い壁が写る。黒い巨体の胴体だ。
「いまだ、行けるか?」
もう一度男性の声。そして、たまたま先ほど例に挙げた少女は目撃した。それは一人の少女。男性の声に頷いて。右手を上げて、魔術を起動する。それは単純な魔術。空気を屈折させ、空中に線を描く。砂漠の歩くのに必須の「風除けの魔術」の応用。ほとんどの人が知っていて見た事のある砂漠でのガイドなどで使われる基礎的な応用技だ。もちろん、その線に対象を傷つける効果は無い。あの黒い巨体にこの線で何かができるわけないと、恐怖で震える少女でさえ知っている。しかし、魔術を使う少女は、それに意味がある事を知っているかのように、迷いなくその線を引き続ける。
そして、それは完成する。転倒した黒い巨体を囲う円系の陣。
「
そして、少女が小さく呟く。
直後、目を開いていられないほどの膨大な光と、そして風が発生する。
恐怖におびえる少女が、あるいは、そのほかの目をつぶっていた誰かが、目を開いた時、そこにその黒い巨体はいなかった。
あの魔術を使った少女が何かをしたのだと。それを目撃した誰もが理解した。
《数年前》
誰か男が喋っている。大人の男性だ。言葉の中身はあまり聞こえない。けれど、それが罵倒である事はなんとなく分かる。罵倒、罵倒、罵倒、罵倒。
そして、目を覚ます。
「こ、こは……?」
少女が目覚めたのは、砂地の上だった。私は砂地の上で寝たのだろうか? まぁあの人たちの事だから、そういう事もあるかもしれないな。と自嘲。
とはいえ少なくとも、ここが彼女の住んでいた場所とひどくかけ離れた場所である事だけは間違いなさそうであった。立ち上がって辺りを見回して見えるのは一面砂地。こんな砂漠は日本にはないはずだ。そして何より、照り付ける太陽が二つ。彼女の知らない間に、突然恒星が二つに分裂するような事が判明したのでない限り、ここは、地球ではありえない。
「そんなラノベみたいな事ある?」
少女は自問自答する。
ところで、そんなことより、何より、とても暑い。言うまでもないが、少女は何ら水分を補給出来るものを携行していない。
このままここで呆けていると熱射病で死んでしまいそうだ。
宛もなく歩き出す。砂漠で水分を見つけるコツは、ハエや蚊を追ってみる事、寝る前にビニール袋で植物を覆ってみる事、等がある。少女はこの話を知らないのでそもそも活用出来ないのだが、もし知っていても、この地はあらゆる動物が見当たらず、植物一本生えていない不毛の地、活用する事は無理であった。
それから数時間。町も、そしてあらゆる生物も、見当たらない。
「はぁ……」
少女は座り込む。少女は思う。よく考えたら必死に頑張って生きて意味があるのだろうか。頑張って元の世界に戻りたいという欲求は無い。このよく分からない場所でゼロから始める意味も感じない。ここで死んでも、別にいいか……。
と、そんな思考は、突然、右足に走った鋭い痛みに奪われた。
「え」
右足に視線をやると、そこにいたのは先端に球体の付いた触覚のようなもの頭に一本生やした、ウーパールーパーのような顔の生物。足にがっつりかみつくくらいの大きさ。
「ひぃっ」
慌てて足をバタバタさせるが、がっちりかみついて離さない。口はヒルのようになっている。がっちりと足を咥えて離さない。少しずつ食い込んできているような気がする。
「いや、いや……」
足を失う恐怖が彼女を襲う。別に足が大事なわけではない。そもそも死んでもいいかと思っていた。しかし、足が失われようとしている、その痛みに耐えられなかった。
痛みは我慢すればいいと、少女は知っている。同時に、どれだけ我慢しても〝痛み〟はどこにも行ってくれないのだとも、知っていた。
「うぅ……なんで……」
異世界に来てまでこんな目に。ラノベみたいな展開にするなら、もっと何かあってもいいじゃない。どうして、異世界に来てまで、こんなに痛みに苦しまなきゃならないの。というその言葉が完全に出る前に。
プシュと、何かが飛んできて、足を咥えている生物に命中する。続けざまにさらに二発。しかし、確かに何かが飛んだ音がして、何か当たった音はしたのに、何も刺さっていない。
「あ」
咥える力が急に弱くなり、眠るように、地面に倒れこむ。
「大丈夫か?」
そこに駆け寄ってくる人影。木製の筒のようなものを持っている。
「ひぃっ。また化け物……」
しかし、人間ではなかった。顔がトカゲだったのだ。
「なんだよ、そんなにラケルタ族が珍しいかよ」
皮肉っぽく、トカゲ人間が言う。
「ラケルタ族?」
少女は首をかしげる。
「なんだ、お前本気で、ラケルタ族を初めて見たのか?」
頷く少女。
「あー、そうだったか……。女の旅人は珍しいもんなぁ。それに全然旅の装備もしてないし。町を超獣にやられて逃げてきた口か? よく今日まで生き延びたな」
一人納得するように頷くラケルラ族の男。
「俺達はラケルタ族って言ってな。れっきとした人型種族の一つだ。肉食の獣みたいに、人間を襲って食ったりしねぇよ」
といいながら、先ほどの生物をつかみ上げる。
「デザート・アンビストマはうめぇから喰うけど」
と、笑いかける。少女は作り笑いで応じる。
「とりあえず、足見せてみろよ、そのままじゃやっていけねぇだろ?」
と、ラケルタ族の男が言う。少女は、男性(?)に足を見せる事に若干躊躇したが、治療が必要なのは事実だったので、結局、男に見せることにした。
「結構抵抗したんだなぁ。あの手の奴は、火を使うか、眠らせないと駄目だ。それ以外だと歯が余計に食い込んだり、もし外れても、歯だけ残っちまって面倒なことになる。ちょっと待ってろよ」
と、バックパックから、何か薬を取り出して、消毒して、そして包帯を巻く。
「よしっ。とりあえず、薬効サボテンのエキスを塗っておいたが、町に付いたら、ちゃんと見てもらった方が良いだろうな」
「あり、がとう」
「おう、気にすんなよ。旅人同士は助け合うものだからな。お嬢ちゃんは旅人じゃないからしっくりこないかもしれんが」
トカゲなので表情はよく分からないがおそらく、気さくな笑顔を見せる、ラケルタ族の男。
「ところで、お前さん、これからどうするんだ? 町の場所とか分かるのか? 俺でよければ案内するぜ?」
それは願ってもない申し出だった。
「お願いします」
「よっし。じゃあ自己紹介だ。俺はルチャルトラ。よろしくな」
「私はコトハ」
二人は挨拶を交わして握手をした。
「よっし、そうと決まれば、アンビストマを二人で分けるか! 俺、昼飯まだなんだよ。お前もだろ?」
ルチャルトラはそう言いながら、見た事ない銀色のものを取り出し、組み立て始める。
「それは?」
「お? パラボラ型は初めて見るか? これもソーラークッカーなんだぞ」
コトハの質問を、種類の事だと認識したらしい、ルチャルトラはそんな答えを返す。そういう名前の器具らしく、なおかつこの世界では常識であるらしい、と理解したコトハは、それ以上聞くのをやめ、よく見る事で分析を試みる。そして、なんとなく理解した。おそらく、銀の板で太陽光を反射し、熱を集める装置のようだ。太陽の光で調理をするからソーラークッカーという事らしい。
ルチャルトラは綺麗に、デザート・アンビストマを捌き、パラボラ型のソーラークッカーにセットする。
「よっし、太陽の方向にセットして、と」
パラボラ型という名前の通り、パラボラ型のソーラークッカーはパラボラアンテナのような見た目をしていて、太陽光を一点に集中させる仕組みになっているらしい。その太陽光が一点に集まる場所に、料理用の金属の板が設置されていて、その上に、肉が置かれた。
そんな感じだったので、出来た料理は、いうなれば、デザート・アンビストマのステーキであった。これを、金属のクシに刺して食べる。ちなみに、水もルチャルトラに分けてもらった。それから、コトハは密かに、せめて胡椒くらいほしいなと思った。
「よっし、それじゃ移動始めるか。今日中にはつかねーけどな」
その後、夜を迎える。夜はテントで寝る事になった。
夜は冷えたが、ルチャルトラから譲ってもらった寝袋のおかげでなんとか暖かかった。ルチャルトラは「平気さ、寒かったら冬眠するだけだからな」と言っていた。
ラケルタ族って変温動物なのかな? とふと疑問を覚えたコトハだったが、ルチャルトラはもう寝てしまったので、また朝起きたら聞いてみよう、と考える。
そして、なんとか二人で朝を迎える事が出来た。協力してテントを畳み、出発する。
しばらく歩くと、若干硬い土系の地面になった。
「町が近い証拠だ」
と、ルチャルトラ。どうも、この砂漠においては、定期的に水場とほんの少しの木々があるらしく、その周辺だけは土の地面なのだという。
後ろから、突然大きな音が鳴り、砂が空から落ちてくる。
「うそ」
「だろ」
地面から現れたもの、それは巨大なワニであった。巨大といっても、せいぜいコトハを丸のみ出来るな、という程度だが。
ルチャルトラが木の筒を取り出し、口に宛がう。
「吹き矢?」
コトハの疑問に答える事なく、ルチャルトラはふっと、息を吐く。筒の先端から、何かが打ち出され、大ワニに命中する。それを意に介する事なく、ワニは二人に向かって前進してくる。
ルチャルトラは落ち着いて、さらに二発発射する。弾を入れてる様子はないのに、どうしてるんだろう、とか、コトハは思ったが、聞いている暇はなかった。
「駄目だ、麻酔は聞いてねぇ。走って逃げるぞ。町はもうすぐだ」
ルチャルトラがコトハの手を引いて走り出す。しかし、大ワニは早い。
「だめなの……」
やっぱり死ぬしかないのか。ラノベなら異世界行くにあたって何かくれてもいいじゃない。と諦めかけたコトハの頭に、誰かの声が聞こえた。聞こえたというより、それは思い出した、というのがふさわしい。
――円を描き、目標を円の中に引きこんで……――
知らない男の声。その記憶が何なのかは分からない。でも、なぜかそれが解決策のような気がした。
「ちょっとだけ、時間を稼いで」
「は? わ、分かった」
ルチャルトラは明らかに何の手段もないはずのコトハの提案に首をかしげたが、頷いた。ルチャルトラは武器を持っている。奴が単純な頭で武器を持つこちらを狙ってきてくれれば、コトハだけでも助けられるかもしれない、と考えたからだ。
二人が手を放して、二手に分かれる。そのまま、ルチャルトラは吹き矢から炎を飛ばして攻撃する。単純な大ワニはルチャルトラを追い始める。
そして、コトハは急いで、円を描き始める。ルチャルトラの持っていたテントの骨組みの棒を使って。
「いいよ! こっちにきて!」
円が完成すると同時、コトハは思いっきり叫ぶ。
「分かった!」
何かよく分からないが、来いというからには策があるのだろう。とルチャルトラはコトハの方に向かう。大ワニはそれを追う。
――円を描き、目標を円の中に引きこんで……――
――そして、唱えろ――
大ワニが円の中に侵入する。あと一歩。いまだ。
「
瞬間、円の中から膨大な光と風が発生する。そして、光が消えた時、そこには大ワニはいなかった。
「倒した……」
二人が呆然とそれを見つめる。そこには、光と風によってかすれて消えかけている円が残るのみであった。
To Be Continued…
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