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No name ghost -名前のない絵画- 第1章

 

 
 

  第1章 「学校の怪談」

 

 じりじりと肌を焼くような日射し。衣替えはとうに住んでおり、夏服となった半袖の制服がひらひらとまだ焼けない肌を刺激していく。衣擦れで生じる微かな不快感。汗が滲んでくると布が肌に貼りついてくる感覚は、良くも悪くも「また夏が巡ってきた」と認識させるに相応しいものだった。
 ここは惑星アカシア、桜花国。とある中学校である。アカシアではあらゆることが科学で解決され、オカルトに相当することはほとんど感知されなくなった。例えば、墓地で転ぶと怪我が治りにくくなるといったような迷信はもちろん、祟りだのといった人間の思い込みも解消された。治らないのなら義体に変えてしまえばいいじゃない、という気軽さも手伝っているのかもしれない。
 一年一組と二組の合同授業である課外授業が終わった。ぱらぱらと生徒が教室に戻っていく。この暑いのに外で授業とか勘弁だよなー、などと言葉を交わしつつ、生徒たちは昇降口付近に設置された自販機で電子決済を通し、思い思いの飲み物を買っていった。
 そんな中を黙々と歩く荒崎あらざき優音ゆねもまた、飲み物を買おうとしていた。義体の普及と共に今や一般普及を遂げた電脳、GNSを導入していない彼女は外部端末を取り出す必要があるため、周りと比べ、ワンテンポ遅れてしまう。
 そこへ、首筋へひたりと当たる、冷たく湿った感触。
「ひあっ!?」
 それは暑さで火照った体に衝撃を与えるには充分すぎた。悲鳴のような優音の奇声に周囲は一瞬驚くも、すぐ散っていく。それは優音の奇声が非難するほどのことでもなかったのもあるが、優音を驚かせた犯人の姿を見たからだろう。
「優音ちゃん、ごめん。驚かせちゃったね」
 少しおどおどとした様子の柔和な雰囲気の男子生徒。優音は彼と目が合うと、ぱっと顔を華やがせた。
度流わたるくん!」
 彼苑かれその度流。それがこの男子生徒の名であり、優音の恋人の名だった。二人の恋仲は未就学児の頃からであり、周囲からは「マセガキ」と呼ばれ続けたりしているが、変わらず仲良くしている。周囲からすれば二人の仲がよさげなのは「相変わらずだな」という評価だし、中学生にもなると、馬の脚に蹴られたくないということで、二人の関係に茶々を入れたりしなくなる。
 度流の手にはスポーツドリンクが二本。結露によって生まれた雫が滴っている。優音の首筋に当たったのはこれだった。
 度流は一本を優音に差し出す。
「優音ちゃんの分、買っておいたよ」
「え、ありがとう!」
 度流の気遣いに感動しながら、優音は自販機から離れていく。一つの川の流れのように、のろのろと階段の方へ向かっていく生徒の波に従って、二人もゆっくりと歩き出した。
「びっくりしたー。度流くんもああいう悪戯、するんだね」
 冷たいボトルを手慰みながら、優音が度流にはにかむ。度流はあはは、ごめん、と軽く笑った。
「優音ちゃんを驚かせたくて……というか優音ちゃん、放っておくとミルクティー買うから」
「? 美味しいでしょう、ミルクティー」
「美味しいけど、夏の暑いときは水分さえ摂れればいいわけじゃないからね」
 困ったように笑う度流は優音の頭をぽんぽんと撫でた。優音が心地よさそうに笑う。
 そうしているうちに、二階まで登った二人は誰かにぶつかった。その人物が「あ、ごめんなさい」と謝ったのに対し、二人はきょとんとした。
 度流が声をかける。
桜庭さくらばさん? こんなところで立ち止まって、どうしたの?」
「あ、荒崎さんに、彼苑くん。こんにちは」
 桜庭と呼ばれたのは少しぽっちゃりめの女子である。フルネームは桜庭千尋ちひろ。小学生の頃からの度流と優音の同級生である。最近眼鏡をかけ始めたらしいが、義眼も一般化した世の中で、その姿はわりと浮いて見える。
「絵があったので見ていたんですよ」
「ああ、そうなんだ」
「でも、そろそろ教室に戻らないとですよね。一緒に行ってもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
 度流も優音もにこやかに応じた。桜庭の申し出は度流と優音の間に割って入れない周囲からすれば異様なものであったが、当人たちがなんでもないようにしているので、誰も突っ込まなかった。
 これは度流の知らないことだが、水面下で、優音は度流に付きまといそうな虫は叩き落としているのである。そのため、度流には女友達というのが存在しない。そんなことをしなくとも、度流は優音一筋なのだが、優音は後顧の憂いを断つことを徹底している。
 その最中に桜庭も排除されそうだった一人だったのだが、優音からの信頼を勝ち取り、度流と優音に普通に話しかけられる一人となった。
 桜庭は元々変わり者で、友達も少ないし、熱中していること以外に大して興味も持たない、というのも大きい。
「荒崎さん、彼苑くん」
 そんな桜庭が、神妙な面持ちで二人に声をかける。二人が振り向くと、桜庭は続けた。
「二人は怪談って好きですか?」
 教室の扉ががらがらと言って開く間、度流と優音はきょとんとしていた。「怪談」というのが耳慣れない響きだったからだ。
 アカシアにおいて、オカルト的な事象は科学によって解決、解明されてしまっている。怪談もその一つだ。オカルトというジャンルは文明の発展と共に廃れてしまった。そんな世の中でも、桜庭のようにごくごく稀に、オカルトに興味を持つ人間は存在した。
 だからこそ、桜庭は話の合う友達がいないわけだが。
 度流も優音も「怪談」という言葉の意味くらいは知っていた。解決されたからといって、言葉そのものが消えるわけでもない。辞書くらいには載っているだろう。
「急にどうしたの? 桜庭さん」
「いえ……夏は怖い話をして涼を取る文化があったとかなかったとかで、やってみたいなー、なんて思って」
「いいね、怖い話か」
「私は詳しくないけど、文献保存室になら、怪談の記録、残ってるかな」
「じゃあ、放課後に集まろうよ」
 度流の一言で、放課後、怪談話のために三人は集まることになった。
 一般的でないとはいえ、「知らないこと」であれば、中学一年生の子どもの好奇心を擽るには充分だったのだ。

 

 放課後、度流は部活に呼び出されて、そちらに行ってしまった。後から合流するから、と言われ、優音と桜庭の二人で文献保存室に向かう。
 様々なものが電子化され、電脳とリンクされたものの、紙の本にも歴史的な価値というものは存在し、学校では紙の文献を保存するのに文献保存室が存在する。といっても、授業のほとんどは電子書籍で済んでしまうので、文献保存室には人気がないのが特徴だ。
「荒崎さんは人気のないところって、怖くないですか?」
「別に、怖いと思ったことはないけど……」
 強がりではない。実際、一人で人通りの少ない通りを歩くことに躊躇いはない。
 が、授業のときと違って、多くの生徒が下校なり部活なりに出て、人が疎らな校内を、優音と桜庭の足音だけがつかつかと響いている様は奇妙な心地になった。まるでこの世に二人しかいなくなったような孤独感。二人しかいないのに、次第に何人分の足音なのかわからなくなりそうな感覚。それを意識してしまって、背筋を風でもない何かがぞわりと撫でていくような気がした。
「やけに静かだね」
「文献保存室って、ほとんど人の出入りがないですからね。オカルトが一般的だった時代は、身近なところに怪異は潜んでいるということで、教室やら、トイレやら、そこかしこにおばけがいるって考えられていたみたいですよ」
 桜庭は自分の得意分野の話ができるからか、饒舌だ。優音は怖くなってきたのでやめてほしかったが、楽しそうな桜庭を無碍にもできない。
 おばけが見えたわけでも、現れたわけでもないため、桜庭には好きに喋らせる。
「学校の三階の女子トイレに現れる女の子のおばけとか、音楽室で勝手に鳴り響くピアノとか、美術室の動く石膏像とか……」
「女子トイレに女の子がいるのは普通では?」
「誰も入っていないトイレをノックして、女の子に呼びかけると、女の子から返事が返ってくるんですよ。で、トイレの中に引きずり込まれるんです」
「トイレの中に引きずり込まれる……? 上手くイメージできない……」
「まあ、水洗じゃない時代のトイレってイメージしづらいですよね」
「桜庭さん、どれだけ昔の話をしようとしてるの……」
 優音は呆れる。水洗じゃないトイレの時代なんて、大昔すぎて文献保存室にも資料がないんじゃなかろうか。
「そういう情報、どこで仕入れてくるんです?」
「探せばいるもんですよ。オカルトマニア。ネットの某掲示板とか」
「物好きですね……」
「私みたいな人種にとって、物好きは褒め言葉ですよ!」
 嬉しそうな桜庭に、優音は溜め息を吐くしかなかった。
 そんな話をしているうちに、文献保存室に着く。扉を開けると、中は静まり返っていて、古い紙独特の匂いが、埃っぽさを感じさせた。
「うーん、紙の匂いって、やっぱりいいですね」
 深呼吸する桜庭を横目に、優音は内心「そうかしら?」と思う。臭いとも思わないが、別にいい匂いでもない気がする。
 中に入っていくと、奥からがさがさと音が聞こえた。誰かいる、と優音は思わず体を強張らせた。
 知れず、桜庭の手を握っていた。恐る恐る、音のした方へ進む。
 そこには椅子をいくつか並べ、いくつかの文献を枕に寝そべる人物。慣れきった様子で、くかー、といびきを立てて寝ているが、体が痛くならないものだろうか。
「あ、天辻あまつじくん……?」
「んあ?」
 優音の声に、その人物が寝ぼけ眼を持ち上げた。まだ半分微睡みの中にいるような表情でむくりと起き上がった男子生徒。ぴょこぴょこ跳ねた髪の毛の人物は、優音たちの同級生で、サボり魔なことで有名な天辻日翔あきとだ。
 思い返すと、課外授業でも姿を見かけなかった。まさか、ずっとここで寝ていたのだろうか。文献保存室は保存の都合か常に涼しい冷暗所になっている。人が来ることも少ないため、サボるにはもってこいだろう。
「おー、荒崎と桜庭? 授業終わった?」
「もう放課だよ」
 呆れ果てた優音の声音に特に何も思うことがないのか、日翔はおー、と生返事する。誰かがいると思って身構えた自分が馬鹿みたいだ、と優音はそっと息を吐いた。
 一方、桜庭はというと、日翔が枕にしていた蔵書に釘付けになっていた。静かだと思ったら、穴が開かんばかりに凝視している。
 日翔が視線に気づき、ちょっと決まり悪そうに、桜庭に問いかける。
「んだよ? 本、枕にしちゃ悪いかよ」
「本は枕じゃありませんから。それより、その本……」
「本がどうかしたのかよ?」
「幻のオカルト本とされる『怪談のいろは』じゃないですか! まさかうちの学校で出会えるなんて!」
 目を輝かせ、ものすごい勢いで飛びつく桜庭の様子に、日翔は気づかれないよう退いた。日翔が手を放した本をぱらぱらとめくり、うおお、と感動の声を上げる桜庭。優音は目的の本があったらしいことにどこか安堵する。
「オカルト? 怪談? お前ら、そんな眉唾物の話してんの?」
 桜庭の反応ですっかり目が覚めたらしい日翔が、体をほぐしながら問いかけた。優音は曖昧に答える。
「桜庭さんによると、夏は怖い話をして、涼を取る文化があったらしいですよ」
「怖い話ねえ……うちの母親が塩素系洗剤と酸素系洗剤混ぜそうになった話でもするか?」
「まあ、恐ろしい」
「そういう怖いじゃないですってば!」
 冗談っぽく話す日翔と優音に、桜庭がすかさず突っ込む。「怪談のいろは」と書かれた古い本をぱらぱらとめくり、二人に見せる。そこには墓地の写真と透ける人影が描かれていた。
「私がしたいのは、幽霊とか、妖怪とかの怖い話です!」
「んなもん信じてるのかよ。桜庭って変わってんな」
 優音も同意だ。そういう変わっているところが桜庭のいいところでもあるから、否定的に思っているわけではないが。
「ほらほら、さっき話した女子トイレの女の子の話は学校で亡くなった女の子の幽霊って説があるみたいですよ」
 得意げに「怪談のいろは」を見せてくる。古めの都市伝説など、今はほとんどの人間が知らないようなオカルティックなことが書いてあるらしい。
 ぱらぱらとそれを読み進めながら、桜庭があるページで止まる。
「ほら、これとか、うちの学校にも噂話としてありますよ?」
「どれどれ」
 反対側から日翔も覗き込む。真に受けているわけではないようだが、暇潰しに話を聞くくらいはするようだ。
 日翔が見出しを読み上げる。
「どこにいても、こちらをじっと見続ける絵?」
「これが、この学校にあるの?」
「ええ。ほら、荒崎さんたちと廊下でぶつかったときに見ていたのが噂の絵です」
 そういえば、そんなこともあった。桜庭が何故あんなところに立ち尽くしていたのか、あまり気にならなかったので、気にしてもいなかったが、桜庭なりの研究といったところだったのだろう。
 それで、あの後すぐに怪談の話題なんて振ってきたのか。
「どこの廊下だよ?」
「二階の西階段の近くです。女の人が描かれた絵でしたよ」
「別に美術室が近いってわけでもねえのに、なんで絵なんて飾ってあるんだ?」
 日翔の疑問はもっともである。優音も気にしたことがないので記憶にないが、美術室は一階だったことは確実だ。
「ああ、それは――」
「桜庭さん、優音ちゃん」
「わああああ!?」
 突然、自分たちの名前を呼ぶ声がして、優音は叫んでしまう。優音ほどオーバーリアクションではないが、桜庭もぎょっとしていたし、日翔も信じられないような顔をしていた。
 三人の驚きように困ったような微笑を浮かべて佇んでいたのは、度流だった。
「そんなに驚かなくても……」
「いや、扉開く音も足音もしなかったぞ?」
「扉は開きっぱなしだったし……」
 そういえば扉を閉めた記憶がないや、と桜庭は思い返したものの、度流の足音がしなかった理由はわからない。度流くんってばもー、という優音の言葉で話題が流れてしまう。
「何の話してたの?」
「この学校の噂話だって。二階の西階段の絵について、度流くんは何か知ってる?」
 優音から話題を振られて、度流はきょとんとした。
「知ってるも何も、そこに飾られてるの、僕が描いた絵だよ」
「えええええ!?」
 今度は度流以外の三人の声が重なった。
 日翔は中学に入ってからの知り合いなので、知らないのも無理はないが、度流は昔から表現力の強い絵を描くことで評判なため、絵のコンクールなどでよく賞を取っていた。
「『母の日コンテスト』っていうのがあって、そのときに入賞した作品だよ。あれがどうかしたの?」
 度流の口から「母」という言葉が出て、優音と桜庭は口をつぐむ。度流は幼い頃に両親を亡くしており、今は父方の伯父の家に世話になっているのだ。
 伯父たち一家は度流を本当の家族のように思ってくれているし、度流も伯父たちのことは好きだという。が、度流は伯父や伯母のことを決して「父さん」「母さん」と呼んだりしない。度流にとって、「父さん」も「母さん」も死んだ両親二人きりなのだ。
 そんな度流が「母親」と言われて伯母の姿を描かないことくらいは容易に想像がついた。つまり、既に亡い度流の母親の絵に怪談のような噂話がついて回っているのだ。どこか不謹慎なように感じられた。
 優音と桜庭の気まずさを知ってか知らずか、度流がけろっとした様子で続ける。
「それで、その絵がどうしたの?」
「なんか、その絵からずっと見つめ続けられてる気がするって不気味な噂が立ってんだと」
 事情に詳しくない日翔がさらりと明かす。度流は気を悪くした様子もなく「へえ、そうなんだ」と感心した様子だった。
「母さんが見守ってくれてるイメージで描いたから、それが伝わって嬉しいな」
 むしろるんるんの度流の様子に、日翔もげっそりとして「こいつ不気味の意味わかってんのか?」と小さく突っ込んだ。
「いいじゃない。情念の宿った絵を描くのは画家の存在意義とも言えるよ?」
「情念って……非科学的だな」
「ま、まあ、非科学的なことをオカルトと言うらしいですし、合ってるっちゃ合ってるんじゃないですか?」
 桜庭が多少無理矢理ではあるが、フォローを入れたため、度流と日翔はいざこざを起こさずに済んだ。
 それは良かったが、桜庭の変なスイッチが入る。
「というか、彼苑くんの情念が引き起こした怪異ということになりますよね!? ものすごい興味湧いてきました!!」
「ちょ、桜庭さん?」
 度流の母の絵ということで慮った心境はどこへやら、不謹慎と思ったことすら忘れて、桜庭が度流に迫っていく。度流も度流で、不謹慎とかは感じていないらしく、自分の絵に興味を持たれたことが嬉しいようで、にこにことしていた。
「じゃあ、みんなで見に行ってみる? 噂が本当かの検証にもなるし」
「行きましょう!」
 ノリノリの度流と桜庭に、優音が困惑して日翔を見る。日翔は俺には関係ないとばかりに、肩を竦めるだけだ。が、日翔は腕を度流に掴まれる。
「ほらほら、天辻くんも行くよ」
「なんで!?」
「え? これは四人行動の流れじゃなかった? 男女比もちょうどいいし」
「理由が雑!」
「ここまで話聞いておいて来ないのは嘘でしょう!」
「桜庭はテンションがおかしいぞ!」
 二人に日翔が引きずられていくのを見ながら、優音はほっとする。日翔には悪いが、巻き込む人間は多い方が安心できる。桜庭の話し方も怖いが、なんでもない様子の度流が優音は怖かった。一人でこの二人の間に挟まれていたら、いつまで正気を保てるか、自信がなくなっていた。
 校内は静かだった。二階の西階段といえば、職員室が近いはずだが、職員室からは作業音しか響いて来ず、人の声はしない。
「ほら、あったよ」
「あ……」
 度流が示した先を見て、優音は思わず息を飲む。度流の幼馴染みである優音は、度流の両親の顔を覚えていた。少なからず、お世話になったからだ。
 遠くからでも度流の母親とわかるほど、その絵は繊細に、綿密に描かれていた。こちらを向いて、慈しみに満ちた笑みを浮かべる度流の母親。口元のほくろが印象的で、今にも口を開いて優音の名前を呼びそうなほど、その絵の女性は生き生きとして見えた。
 ぱちり、と見知った色の目と出会い、優音は思わず挨拶しそうになる。彼女は絵で、答えるはずはないのに。
「へえ、お前の母親、美人じゃん」
「でしょ? だから訳もなく出べそとかいう濡れ衣着せないでね」
「お前の母ちゃん出べそっていつの時代の悪口だよ……」
 日翔と度流の面白おかしいやりとりが前方から聞こえてくる。度流くんったら、と口を挟もうとして、優音は視線を感じた。
「え?」
 視線の方を向くと、度流の母親の絵。
「どうしたんです? 荒崎さん」
「……なんでもない」
 桜庭に曖昧に微笑む。まさか、絵がこちらを見ている、なんて、自意識過剰だろう。
 それにしても、リアルなタッチだ、と思考を切り替える。そう、リアルだから、あたかもこちらを向いているかのように見えただけで……
「うーん、見られてるようには感じねえけどなー。つーかむしろどこ見てるかわかんなくね?」
「そんなことないでしょ。天辻くんはわかってないな」
「何ぃ?」
「ちょっと、二人共、職員室すぐそこなんだから、あまり大きい声……」
 ぞわり。
 ちょうど、絵の真下に来たときだった。優音は先程より、強い視線を感じて、出かけた言葉が引っ込んでいく。その視線はあまりにも冷たく感じられたから。
 のろのろと顔を上げて、思わず悲鳴を上げた。
「荒崎?」
「荒崎さん?」
「どうしたの、優音ちゃん?」
 度流たちの声に、咄嗟に答えられなかった。
 ハイライトのない度流の母親の目が、こちらを見下ろしている。温度のないその目が、ひどく恐ろしく見えていたから。

 

to be continued……

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おまけ

度流が描いた『母の絵』

 

 


 

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