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No name ghost -名前のない絵画- 第2章

 

 
 

  第2章 「学校の階段」

 

「優音ちゃん、顔色が悪いけど、大丈夫?」
 度流が心配して、優音の手を取り、顔を覗き込む。優音は触れてくる度流の手の温もりに安堵しながら、こくりと頷いた。
 頷いた優音に、共にいた桜庭と日翔も安心したようで、そっと胸を撫で下ろす。びびらせんなよな、と日翔が冗談混じりに口にする。
「この時期は体調不良起こしやすいし、気をつけろよな」
「文献保存室で日がな一日寝てるような人間が何か言ってるよ……」
「あ? 文句あんのかよ? 喧嘩なら買うぜ」
「売ってない売ってない」
 笑うには本気の度合いが強めなやりとりをする男子二人をよそに、桜庭が首を傾げる。
「荒崎さん、大丈夫ですか? 幽霊でも見たみたいな顔してますけど……」
「え?」
「見たんですか!?」
 冗談なのか本気なのかわからない顔で桜庭がずい、と優音に顔を寄せる。幽霊でも見た、と言われると、度流の母親は故人であるため、あながち間違いでもない。が、不謹慎な気もするので答えにくい。第一に、見たのは幽霊ではなく、絵だ。
 それでも、優音には、絵の女性が自分をじっと見ているように見えた。もう一度、確認して、気のせいだと笑いたい。けれど、もう一度あの目と出会ってしまったら、今度こそ悲鳴を上げてしまう。それが嫌だった。度流にも度流の母にも失礼だ。
「もしかして……」
 何かを察したらしく、はっとした桜庭が、優音の裾をちょんちょんと引いて、耳貸して、と言った。
 優音は言われるがまま、耳を貸す。桜庭は言い合いを続けている度流と日翔を気にしつつ、ひそひそと優音に問いかけた。
「荒崎さん、あの絵に『見られた』んですか?」
「……うん」
 見事に言い当てられ、神妙な面持ちで頷くしかない。桜庭は優音を馬鹿にしたり、優音の発言を面白おかしく吹聴することはなかった。ただ、首を傾げ、絵をありとあらゆる角度から眺めて、疑問符を浮かべるだけだ。
 桜庭の不可解な挙動に、男子二人も気づいたらしく、どうしたの、と声をかける。桜庭はいえ、と短く応じた。
「相変わらず、彼苑くんの絵にはものすごい情念が宿ってるなあって。こっちを見るだけじゃなくて、今にも動き出しそうですよね」
「そう? ありがとう」
「褒めてんのか? それ」
 すかさず日翔が茶々を入れてきて、度流がじろ、と睨む。日翔はいやいや、と桜庭の肩を叩きながら度流に弁明する。
「こいつのオカルト好き、ぜってー根が深いって。絵が動くうんたらもそういうおっかない話系統のあれじゃねえの?」
「天辻くんは、彼苑くんの絵、怖いです?」
 桜庭が器用にかわしながら、新たな問いかけをする。日翔はからかったり、混ぜっ返したりすることなく、真剣な面差しで悩んだ。
 んー、と顎に手を当て、言葉を探す様子の日翔に、度流は意外そうな声を上げる。
「天辻くんがそんなに考えて答えるの、珍しいね」
「いつも人が考えてねえみてえな言い方すんな」
「そんなことは言ってないよ」
 度流はすぱんと言い切ったものの、「言ってない、よね?」と自信のない様子。そんな度流の様子に日翔は「お前なあ」と呆れた。
 溜め息を吐いて、度流の母の絵を見上げる。日翔は目を細めた。
「からかったり、おだてたりしたら、この人に悪いだろ?」
「ただの絵なのに?」
「お前が描いた絵だろうが……」
 きょとんとする度流に、日翔はいっそう呆れを深くする。存外、度流は自分が描いた絵に対する他者からの評価を気にしていないのかもしれない。
 日翔は今年知り合ったばかりだから、ぴんとこないかもしれないが、度流はそういうところがある。賞を獲れば、人並みに喜ぶが、誰かに自慢したりすることも、喜びのあまり涙を流すこともない。「人並みに喜ぶ」というポーズを取っているだけなのでは、と思うほどに、度流は生み出した作品に対してドライに見えた。「一所懸命描いた」という自負はあるようだが。
 そんな度流に、日翔は時間をかけて選り抜いた言葉を手向ける。
「なんつうか、俺はゲージュツとか詳しくねえけど、タマシイっつうか、心がこもったいい絵だと思うよ。笑いもんにしていいような代物には見えねえな。そんなことしたら、お前に失礼っつうか、この人に失礼だろ」
 度流は狐につままれたように目をぱちくりとした。それからくしゃっと笑った。
「ははっ、それはきっと、母さんも喜ぶよ」
「ん、そか」
 度流は度流らしい言葉で受け止めたようだ。度流が嬉しいんじゃなくて、母親が喜ぶ、というのが度流らしい。
 桜庭は、度流のこういうずれた感性が絵に芸術性をもたらしていくのだろうな、と関心した。もたらしているのは芸術性だけではない。
 ――度流の絵が怪談として広まっている現実、優音だけが体感した、どこまでも見つめ続けてくる絵。度流の才能が、絵に怪異オカルト性をも与えている。桜庭はそう推測していた。
 その推測をどの程度指針にするか決めるために、桜庭は度流と交流を深めたいと考えていた。巻き込めるのなら、唯一、絵の怪異を体験した優音も巻き込んで確かめたい。
 どう二人を誘おうか悩んでいると、日翔が声をかけてくる。
「なあ、桜庭。他にはなんかねえの? この絵みたいな『カイダン』ってやつ」
「ありますよ!」
 勢いよく、爽やかな笑顔で振り向いた桜庭に、お、おう、とたたらを踏んだような声を出す日翔。自然、度流と優音からも視線が集まり、桜庭はぽん、と手を打った。
「じゃあ、すぐ検証できるやつを一つ。『十三階段』って知ってますか?」
「駄洒落か?」
「怖い話の怪談じゃなくて、登り降りする階段ですよ」
 日翔の惚けた発言に、桜庭は足でとんとん、と近場の段差を示しながら告げる。一同の視線が足元に向く。
 そういえば、ここはちょうど階段脇だったな、と思い出す。
「十三階段っていうのは、同じ階段を登り降りしたはずなのに、人によって一段多く数える現象のことを言うんです」
「数え間違いじゃないの?」
「諸説あるらしいんですが、学校とかの短い階段って、あまり数え間違いようがないじゃないですか。だから不気味とされているんですよ」
 確かに、高層マンションの階段全部、などといった途方もない数ではない。現代なら、GNSによるカウント補助機能もある。起こり得ない怪奇だ。
「一段多いからって何か起こるわけでもないですし、みんなで試してみましょうよ」
「まあ、階段降りるだけだもんな」
「踏み外さないようにだけ、気をつけてね」
「ありがとう、度流くん」
「あ!」
 ごくごく自然に度流と優音の手が繋がれたのを見て、桜庭が声を上げる。
「どうしたの?」
「いや、手繋いだら、検証の意味ないかなって思って」
「階段から落ちると怖いよ?」
 度流の無垢な瞳に、返す言葉がない。度流は過去に、階段から転がり落ちて大怪我をしたという過去があるのだ。これがただの度流の不注意による事故だったなら、まだ笑い話にできたのだが、残念ながら、その経験は爆破テロに巻き込まれたときの避難中の出来事であるため、下手に話すこともできない、繊細な話題である。
 とはいえ、ここはテロ現場ではなく、学校だ。落ちても「十二段」の階段で、高さもない。打撲はするかもしれないが、よほど打ち所でも悪くない限り、深刻な大怪我にはならないだろう。
「降りるの怖いなら、彼苑くん、手すり側に来ますか?」
「いいよ。女の子が安全な方がいいし」
「彼苑、いいこと言うじゃねえか」
 日翔が珍しく度流の意見に賛成する。女の子を気遣うのは男子としての基本だ。とはいえ、度流は女の子に限った話じゃなく、人には気を遣うべきだと考えているが、余計な軋轢を生まないために、言わないでおいた。
 桜庭、日翔、度流、優音の順番で横に並ぶ。四人横並びだと、かなり幅を取るな、と今更ながらに思ったが、少しの間だし、幸いにして、校舎内にいる生徒は少ない。階段の段数を数えるだけだ、と優音は自分に言い聞かせた。
 ただ階段を降りるだけ。怖いことなんて何もないのに、手すりを握る優音の手には、じわりと汗が滲んでいた。優音だけが、先程の絵の怪談を体験してしまっている。その経験は自然と、「また何か起こるのではないか」という不安を呼び起こした。
「優音ちゃん?」
「ん、度流くん?」
 隣に立つ度流がそっと優音の手に触れる。その手がやけに冷たくて、優音は思わず身を固くした。
「大丈夫? 手、震えてる」
「だ、大丈夫」
 怖い、とは言えなかった。度流一人が相手なら、気兼ねなく言うことができるのだが、ここには度流以外にも、桜庭と日翔がいる。弱みというほどの弱みにも思えないが、優音の中にも存在する小さな小さなプライドが「怖い」ということを拒んだ。桜庭は吹聴しないだろうが、日翔はどうかわからない。日翔も友人の一人であるが、付き合いの浅さから信用はさほど太くないのだ。
 それを知ってか知らずか、度流は優音の手を握り直して微笑む。
「僕が隣にいるからね」
「うん……!」
 度流の冷たい手から、度流なりの体温を受け取って、優音はようやく微笑みを返せた。
 度流の向こうで、日翔が不機嫌と呆れの狭間のような表情を覗かせる。
「おい、そこ、二人だけの空間作ってんじゃねえぞ」
「?」
「きょとんとしてんじゃねーよ! お前と荒崎のことだからな!?」
「は、始めますよー」
 桜庭の遠慮気味な掛け声に、度流たちは各々返事をした。
「せーのがいいです? それとも、一、二、三?」
「せーのだろ」
「僕もせーのかな」
「うん」
 意見が割れなくてよかったー、と桜庭は胸を撫で下ろす。それから、じゃあいきますよー、せーの、と声をかけた。
 一段、一段、ただ階段を降りているだけだが、四人はどこか神妙な面持ちで足元を見ていた。日翔が怠そうに顔を上げる。
 優音と桜庭がほぼ同時に踊り場の床を踏んだ。優音はほっとして、内心で溜め息を吐く。絵の怪談のこともあり、緊張していたようだ。
「荒崎さん、何段でした?」
「十二段。合ってますか?」
「はい、私も十二段でした。『十三』になるのが怪談なので、十二段で合ってるはずです」
 桜庭の説明に、優音は安堵する。そう何回も怪奇現象に遭うなんてことはないだろうが、それでも不安になることはある。
 ふと、気がつけば、感じていたはずの絵からの視線も感じなくなっていた。度流の母の絵を見れば、どこかに向かって、穏やかに微笑んでいるだけだ。やはり気のせいだったのだろう。
 階段に目を戻すと、ちょうど日翔が降りてきたところだった。少しやる気なさそうに、首の裏を掻いている。
「天辻くんは何段だった?」
 すかさず桜庭が問うと、日翔は盛大に欠伸をする。
「彼苑降りてきてからでよくね?」
「それもそうですね。……同時に降り始めたはずなのに、やけに時間かかってません? 彼苑くん」
「そういえば、そうね」
 三人が怪訝な目を度流に向ける。度流はそろーっと、大袈裟なくらい慎重に降りていた。
「十八」
 最後の一段に踏み出した度流が放った言葉がどういう意味なのか、三人は理解しそびれた。
「……彼苑くん、なんて?」
 桜庭が思わず聞き返すと、度流はきょとんとして答える。
「え? 階段の段数」
「そうじゃなくて、ええと、そうなんですけど、何段と?」
「十八段」
 桜庭が当惑した表情で、助けを求めるように、優音と日翔を見る。
「聞きました!?」
 二人は頷くしかできない。
 日翔が確認する。
「ここの階段って、十一段だよな?」
「それも合ってない!?」
「十二段ですよ?」
「十二段な。かすってもねえじゃん、彼苑」
「自分はさておいて、何言ってるの?」
 度流と日翔は仲悪そうに睨み合う。険悪な二人に戸惑い、口をぱくぱくとする桜庭。声もなく優音に助けを求める。
 優音は少し困ったように眉を寄せ、度流と日翔に声をかける。
「二人共、もう一度数え直してくれる?」
「え~?」
「いいよ」
 日翔は不服そうだったが、階段を登り降りするだけだから、と説得され、渋々登っていく。
 度流と日翔が上に戻るのを眺めながら、桜庭が優音に耳打ちした。
「天辻くんのは誤差の範囲としても、彼苑くんの十八段は何でしょうね?」
「さあ……?」
 六段を誤差というのは、確かに無理がある。正直「十三階段」より度流の方が怖いかもしれない。
「行くぞー」
「どうぞー」
 桜庭が手を振って応じると、日翔と度流が並んで降りてくる。日翔は特に不自然なところはなく、すたすたと降りてきた。優音はそれを見ながら、先程の日翔は一段飛ばししたのかもしれない、と考える。少し大股な日翔は、一段ずつ降りるのがどこかむず痒そうに見えたから。
 一方、度流はというと……
「彼苑くん? そこ、段差ありませんよ?」
 桜庭が指摘した通り、段差のないところで足踏みをしていた。段差どころか、何もない。階段を先に降り終えた日翔にまで、「何やってんだ、お前?」と言われる始末である。
 それに対して、度流本人は、困ったように眉尻を下げた。
「だって、何か踏んでるんだもん」
「え」
 度流以外の三人の声が見事にシンクロした。顔を見合わせ、度流を見、再び顔を見合わせる。
「何もないよな?」
「……一回眼鏡拭いてみます」
「いや、桜庭さんの眼鏡、滅茶苦茶ぴかぴかだよ? 落ち着いて」
「眼鏡かけてる私はさておき、天辻くんと荒崎さんは肉眼ですもんね」
「度流くんも肉眼だよ?」
「え、彼苑、GNSじゃねえの? 絵、めっちゃ綺麗じゃん」
「天辻くんが度流くんを褒めてる……」
「んなことでぞっとしてる場合か?」
 画家やイラストレーターがGNSの補助を受け、直線や歪みのない線を引いたり、色彩バランスを取ったりしているのは、今時珍しくない話だ。これにより、人はある程度の絵を描けるようになった。ただ、芸術や社会に評価されるような絵を描くには、センスが必要であるため、画家やイラストレーターは存在するし、才能を見出だすためのコンクールなどもある。
 日翔はどうやら、度流の天性の才能はともかくとして、絵を描く基礎の部分は電脳に補ってもらっていると考えていたようだ。しかし、度流はGNSを導入していない。
 GNSを導入するまでもなく、技術面に優れているわけであるが、今刮目すべきはそこではないだろう。
 先に述べた通り、GNSは視覚に作用する部分を補助することがある。GNSは電脳で、何らかのエラーが起きれば、そこにないはずのものを視界に映してしまうことだってあるはずだ。度流が感じている「何か」がGNSの不調によるものなら、ただの「バグ」と表現できるのである。
 が、度流はGNSを導入していない。ということは、少なくとも、何かのバグではないのだ。
「じゅうはち! うーん、やっぱりさっきと変わらないよ?」
 階段を降りきった度流が、朗々と桜庭に声をかける。桜庭はもちろん、優音も日翔も、かける言葉がなかった。
「度流くん」
 それでも、優音が真っ先に度流に駆け寄り、不安そうに度流の体に触れる。ぺたぺたと触る優音の手を少しくすぐったそうにしながら、度流は優しい眼差しで見つめた。
 特に度流の体に変なところもないし、度流の様子もおかしいところがない。優音は少しぞわぞわとした悪寒を感じながら、度流に確認する。
「何か踏んでるって言ってたけど、何を踏んでいたの? 何も見えなかったけど……」
「なんだろ? 僕もよく見えなかったんだけど
 「よく」見えなかったということは、ぼんやりとでも、何かしらは見えていたらしい。正体はわからないようだが。
 顔を青ざめさせる優音を安心させるように、度流は笑った。
「優音ちゃんに害がなくてよかった」
「……私は、度流くんのことが心配なの」
 度流が自分自身を軽んじているかのように聞こえたため、優音はむっとする。幽霊か何かわからないものに、度流が害をもたらされないか、というのもそうだし、度流の心も、優音は心配でならなかった。
 度流の心のどこかがおかしくて、見えているのかもしれない。幼い頃に目の前で両親を失った度流。その心のどこかが異常をきたしていても、何らおかしくはなかった。だから不安なのだ。
 度流は優音を抱き寄せ、ありがとう、と囁く。
「大丈夫だよ。僕は大丈夫。優音ちゃんがいてくれるから、大丈夫でいられるんだ」
「度流くん……」
 それは大丈夫じゃないよ、と優音は思った。けれど、言わなかった。度流が優音をよすがにして、優音がいなければ生きていけないような状態になっているのが、嬉しかった。不謹慎ではあるのだろうけれど。
 もうしばらくは、このままで……
「おーおー、見せつけてくれちゃって」
 日翔の声に、優音が、がばっと度流から離れる。桜庭が目を塞いでいるようで、塞いでいないポーズを取っていた。
「二人の空気になるのは、二人だけのときでよろしくお願いします……」
「ご、ごめんなさい」
 桜庭の消え入りそうな声に、優音は顔を真っ赤にした。
 日が傾き始めた中、下校時刻を知らせるベルが鳴り響く。それに誘われるように、優音たちも下校の準備を始めた。

 

to be continued……

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おまけ

「何か踏んでる……」

 

階段でふざける日翔

 


 

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