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No name ghost -名前のない絵画- 第6章

 

 
 

  第6章 「百物語」

 

 日は傾きかけていた。
 そんな中、「after child」と胸に書かれたTシャツを着た天辻日翔が歩いていた。手には軽く着替えをまとめられた頭陀袋がぶらぶらと下がっている。ハーフパンツは黒に近い紺色で、両脇に白いラインが入っている。隅にどこかのスポーツ用品メーカーのロゴが入っているが、詳しくは知らない。正しく男子中学生らしい格好だった。
 CCTと辺りの景色を比較しながら歩いている日翔は、やがて、見慣れた背中を発見する。
「おおい、彼苑、荒崎」
 四日ほど前に知り合いを驚かせた原始的な方法で、知っている後ろ姿の二人を呼び止める。少しのタイムラグを置いて、二人が振り向く。
「……相変わらず、気合い入りすぎじゃね? 主に荒崎」
 振り向いた二人に、日翔は思わずそう声をかけた。
 男女二人組のわかりやすいカップル、彼苑度流と荒崎優音。度流は淡い緑色のポロシャツにジーンとラフな格好だが、優音は日翔じゃなくても「気合い入っている」と思うくらいの格好をしていた。浴衣である。白地に映える青と赤の丸い大輪はなんていう名前の花だったか。簡略的な絵柄だが、この年齢の女子特有の大人びた感じを抑えめにして、魅力を引き立てている。美人は何着ても美人だな、と思った。言わないが。
 優音の長い髪は髪飾りでまとめ上げられており、普段とはまた違った色香をまとっている。こうして見ると、年頃の男子から注目を集めるマドンナの名を優音が恣にしているのもわかる気がした。
 日翔の言葉に、優音がくすくすと笑う。笑って体が揺れるのに呼応して、髪飾りがしゃらしゃらと音を立てた。凝っているなあ、と感心か呆れかわからない感情が日翔の中に充満する。
「度流くんのお母さんのお古があるってお話をいただいて、桜庭さんに話したら、『その方が雰囲気があっていい!』と言われたので、着てきたんです。似合っていますか?」
「まあ、似合ってんのは似合ってる」
「含みのある言い方」
「含みなんてねえよ」
 優音の穿ったような発言に、日翔は不服を示して口を尖らす。
「にしても、雰囲気ってなんだあ? 旧世代の遺物オカルトに雰囲気もへったくれもあるかよ」
「さあ? でも、桜庭さんって結構形から入ることあるよね。浴衣コレもそうなんじゃない?」
 度流の言葉にわかんねー、と紡いで、三人で歩き出す。
 特に待ち合わせたわけでもなかったが、合流してからは、三人一緒に歩いた。目的地は同じ。三人は桜庭の肝試し企画の二巡目「百物語」を行うために集合場所へ向かっていた。桜庭が主催なこともあって、桜庭の指定した場所に集合、となっていたのだが……。
「ここって……」
「集合場所、で合ってるよな?」
「立派な建物ですね」
 度流、日翔、優音は三者三様の反応をしたが、思うところは同じだった。
 辿り着いたのは、歴史を感じる重厚感のある造りの寺。
「本当に形から入るなあ……」
 屋根のついた山門の向こうから、ひょこ、と姿を現したのは、桜庭だった。
 紺色の浴衣の中を色鮮やかな金魚が泳いでいる。夏らしい涼やかな装いだ。
「あ! 荒崎さんの、朝顔ですね!」
「ああ、この花? 可愛いよね」
 男子二人が「あさがお?」と首を傾げたので、「夏の花ですよ」と桜庭が説明する。
「丸い花を咲かせるんですよ。昔は夏の風物詩の代表格でもあったんです。庭のある家では好まれて育てられていたんですよ。今はそうしている家も見かけないですけど」
「思ってたんだけど、桜庭さんって、古めの文化に詳しいよね?」
 度流が疑問を口にすると、桜庭は少し照れくさそうにはにかんだ。
「幼い頃、小学校に上がる前くらいまで、私はこのお寺にお世話になることが多くて、古い文献や文化に触れることが多かったんですよ。オカルトが好きなのも、そこに起因する部分が多いですね」
「へえ。ここは桜庭さんの親戚のおうちか何か?」
「はい。伯父の家ですよ。寺をやっているんです」
 新事実であったが、驚きより、納得のいくことが多く、三人はなるほどな、と思っていた。やはり趣味嗜好は育った環境が大きく作用することを実感する。
 中に入っていくと、石畳が敷かれており、その向こうにお堂がある。お堂の入り口の前には両脇に石でできたごつごつとした燈籠があった。木造の瓦屋根という荘厳な雰囲気を持つ建物だ。
 お堂の中に入ると、冷房が効いており、ひんやりとする。ぴたりと襖で閉められていた少し広い和室に通された。
「天辻くん、彼苑くん、男の子用に甚平がありますよ! 着ますか?」
「じんべえ? サメか?」
「服ですよ。和装の一種です。動きやすいですよ」
「別に今の服も動きにくくはないけど」
 難色を示す日翔の肩を度流は気軽にぽんぽんと叩く。
「いいじゃん、着てみようよ。せっかくなんだし」
「そうそう、雰囲気も出ますから!」
「桜庭はまじで雰囲気大事にするよなぁ……」
 まあ、そこまで押されて、断る理由もないのに断るほど、日翔はいけずなわけではない。桜庭は嬉しそうに奥へ行き、二人分の甚平を持ってきた。
「思ったより、着るの楽だね」
「だな」
「って、ちょっと天辻くん! それ、縦結びじゃないですか! 駄目ですよ、縦結びは死装束の結び方なんですから」
 あ? といまいち理解していなさそうな日翔の留め紐を桜庭が慌てて結び直す。結び終わり、何が違うのだろう、と首を傾げたが、よく見るとリボン状になった結び目が横向きにリボンらしく鎮座していた。自分でやるとどうしても縦になるのがむず痒いと思っていたのだ。
 誰も縦に結ぶ人間がいないから、何かあるのか、とぼんやりと思ってはいたが、死装束と聞いて、さすがに死人扱いされるのは嫌だな、気をつけよ、と日翔は思うのだった。
「でも、縦にならね? どうやんの? これ」
「ええと、リボンにするときに、下側に来てるやつを輪っかにして、上から中央に巻きつけるんですよ」
 実演を交えながら、桜庭が丁寧に教える。そうしていると、寺の人なのか、女性が麦茶を運んできた。
「あらあら、仲良しさんね。お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
 グラスに入った氷がからんといい音を立てた。雅だなぁ、と思いながら、各々グラスに口をつける。
 麦茶を飲んで寛いだところで、桜庭が百物語について説明を始めた。
「百物語とは、ざっくり言うと、百個の怖い話をするものですが、さすがに四人で百個はきついので、今回は簡易版ってことで、一人一つずつ、怖い話を話して終わります」
 簡略化しない場合は他にも細かい決まり事や用意しなければならない道具などがたくさんあるため、本格的なものをやるのはかなり難しいらしい。日翔が興味本位で「詳しく聞きたい」と言ったら「夜が明けますが、いいですか?」というルンルンの回答が来たので、「あ、いいわ」と断った。
 百物語は夜から明け方にかけて行うもの、という事前通達があったため、度流、優音、日翔の三人は泊まりがけ仕様だ。
「まあ、百物語の『百』というのは、一説によると、『たくさんの』の例えみたいなもの、とされていますけどね。夜から明け方までのほんの少しの時間で百個もお話を語るのは難しいでしょうし」
 アカシアの一日は八時間であり、八時間の中で、朝、昼、夜がある。夜はせいぜい三時間ほどだ。三時間なんてあっという間に過ぎる。
「で、話数は譲歩できるんですけど、儀式的に譲歩しない方がいいな、と思ったので、こちらを用意しました」
 桜庭がGNSを操作すると、部屋の明かりが消え、四隅と部屋の中央に、ぼんやりとした小さな炎の揺らめきが生まれる。近づいてみると、それは蝋燭型の機械の上に炎をホログラフィック投影したものだった。立体感とリアルな揺らめきで、まるで本当に蝋燭に火がついているかのようだ。
「さすがに本物は用意できなかったんですけど、蝋燭です。百物語では、一つのお話が終わるごとに、一つずつ蝋燭の炎を消していくんですよ。息を吹きかけると反応して消えるようになってます」
「お寺にはLEDの蝋燭型ライトがありますよね。借りられなかったんですか?」
 優音が素朴な疑問を口にすると、桜庭は苦笑した。少し妖しげな笑みを閃かせる。
「こっちの方がリアリティと雰囲気があるじゃないですか~。この炎の揺らめく感じが不定形の光になって程よい不気味さを醸し出すんですよ!」
 あ、と優音は失策を悟る。薄暗い中でもわかった。桜庭のスイッチが入ってしまった。
「本当なら、本物を手に入れたかったんですけど……」
「蝋燭作ってるところなんて、今残ってるかな。あったとしてもかなり値が張るんじゃない?」
「そうなんですよねえ。まあ、蝋燭の消し忘れとか、溶けた蝋が火事の原因になって危険っていうのはわかるんですけど」
 それでも本物が欲しかったですぅ、と残念そうにする桜庭。桜庭さんは本当に凝ってるねえ、と苦笑いを返す度流。日翔は肩を竦めた。
「本当、形ばっか整えてどうすんだよ?」
「大事ですよ? 特にオカルトは雰囲気が大事です。ホンモノを見たいというのなら、形から入るのは鉄則です」
 そういえば、と優音が問いかける。
「どうして蝋燭が五本なんです? 私たちは四人ですから、蝋燭四本でいいのでは?」
「よくぞ聞いてくれました!」
 桜庭が中央で揺らめく蝋燭の投影を指差す。
「百物語の禁忌の一つに『蝋燭を全部消すこと』があるんです。百個目の物語を話してしまうと、魔の物が現れるとかで。それに伴い、一つ話すごとに消す蝋燭も、最後の一本は消してはいけない、最後の一本をつけたままで、夜を明かすというルールがあるんです。だから、全部話し終わったら、この一本の明かりだけを頼りに夜明かしをします」
 「魔の物」というのにいまいちぴんとこないが、桜庭に追加で聞くことはなかった。時間がないのもあるが、うっそりと笑む桜庭が不気味で仕方がなかったのだ。
 ぽん、と手を叩いて、始めましょうか、と桜庭が紡ぐ。否やはなかった。
 どういう順番で話すかについては、ひとまず一番手は桜庭に任せるということがほぼほぼ総意で決まった。
「じゃあ、始める前に、蝋燭以外の明かりをなくしておくのがルールなので、CCTの電源を切ってくださいね」
 そこまでするんだ、と驚愕しつつ、三人は電源を切った。なくさないように、中央の蝋燭の前にまとめて置く。
「では、始めますね。私が話すのは、GNSの不調に関する話です。
 ある女性はGNSを導入して十数年、特に何の不便もなく過ごしていました。ですが、あるとき、仕事から帰ってくると、軽い頭痛がしました。疲れているのかな、と大して気にしませんでした。
 その夜、夢を見ていたわけではないのですが、ずっと誰かの声がしていました。よく聞こえないのですが、女の子の声のような気がします。
 朝、目が覚めても女の子の声が聞こえるような気がして、疲れているのかな、と疑問に思ったまま、職場に向かいました。
 それから何巡も何巡も、頭痛や幻聴のようなものが続いて、さすがに何かおかしい、と思い始めました。果てには、知らないマンションの部屋の前にまで無意識のうちに行ってしまい、そのマンションの前で女の子の声がはっきり聞こえたような気がして、女性はさっと血の気が引きました。ぞっとして、たまらず職場に欠勤の連絡をしました。
 かかりつけ医に駆け込むと、GNSの不調では? という診断を受け、すぐさま検査を受け、発見された不具合を直してもらいました。
 調整を受けるため、入眠系の投薬を受けた女性は、一瞬だけ女の子の声をまた聞いたような気がしました。
 泣きじゃくっていて、何を言っているかわかりませんでしたが、調整が終わって以降、GNSの不具合も直ったので、忘れてしまいました」
 私の話は以上です、というと、桜庭は部屋の隅にある蝋燭の方へ向かう。蝋の溶けない蝋燭なのに、炎の揺らめきだけはやたらリアルだった。桜庭がふう、と吹いた一息で、その炎が嘘のようにぷつん、と消える。
 日翔や度流が、炎の消え方など、投影装置に感心する中、優音だけは、桜庭の話の不気味さから抜け出せずにいた。
 桜庭の話は、とある女性の不調の原因は、GNSが原因だったかのように幕引きされているが、捉えようによっては、恐ろしい可能性が浮上する。GNSの不調で聞こえたと思っていた女の子の声が実在する女の子の声だとしたら?
 女性が行ってしまった知らないマンション。もし、それがGNSに何者かが干渉した結果だとしたら? これは想像にしかならないが、声の女の子が不特定の誰かに向けて出したSOSが「GNSの不調」と思われたものたちなのではないだろうか。桜庭の話の端々には、そう考察できる要素がいくつもあった。
 女性が鈍感とか、頭が悪いとかではなく、優音の気にしすぎかもしれないが……そうなると、女性は女の子のSOSに気づかず、放置してしまったということになる。女の子がどんな目に遭って、SOSを出していたのかは語られていないし、考察でしかないから、確かなことなんて何一つない。ただ、SOSだったのだとしたら、女の子はどうなってしまったのだろう。そう考えて、ぞっとする。
 度流や日翔はどうも気づいていないようだが。優音はそっと自分の胸元を撫で、麦茶を一口飲んだ。
「と、まあ、こんな感じで進めていただければいいので。次誰行きます?」
「じゃあ、僕、いいかな?」
 度流が手を挙げ、居住まいを正す。優音も日翔も特に反論することなく、桜庭がどうぞ、とGOサインを出した。
「僕は火事からみんなを助けた男の子の話をしようかな」
 度流の言葉に優音がぱっと度流を凝視する。かなりトラウマすれすれの話題のような気もするが、大丈夫なのだろうか。
 桜庭も気になるのか、ちら、と様子を伺っている。
「イベントか何かで、人がたくさん集まっている場所で、突然色んな人に声をかけ始める男の子がいたんだ。男の子はみんなの服の裾を引っ張って、みんながこっちを向いた瞬間に『燃えちゃうよ!!!!』って声をかけて回っていた」
 平気そうに話しているので、ここまで来れば大丈夫だろう、と優音も桜庭も話に集中する。
「ほとんどの人が『変なことを言う子』って気味悪がって、男の子を避けていたんだけど、一人の青年が『どういうこと?』って聞いたら、イベント会場の一部で、爆発が起きて、火事になるという話だったらしい。ちょうどそれを聞き出したところで、爆音がして、みんなすぐに避難に移れたんだって。
 イベントは中止になったけど、怪我人は出なくて、男の子の警告のおかげだってなったけど――男の子は、どうしてそんなことが起こるってわかったんだろうね?」
 度流は話を締めくくり、部屋の隅に行って、蝋燭に息を吹きかける。ぱっと炎が消え、辺りが真っ暗になる様は、茶々が入らなかったためか、先程より不気味に思えた。
 中央の蝋燭に照らされた日翔の顔が「うげえ」とでも言いたげに歪む。
「桜庭も彼苑も、そういう系の怖い話かよ」
「あんまり怖くなかったかな?」
「いや、ちゃんと怖かったけどさ」
「怖かったならいいじゃん」
 日翔と度流の不毛なやりとりが、光源の限られた部屋の中に落ちては消えていく。何の実にもならない話なので、降り積もることはないが、余韻もないため、途絶えたときの静寂が耳に痛いほど空虚に思える。
 その沈黙を感じたくなくて、優音がそっと手を挙げた。
「次、私が話すね」
「お、優音ちゃんの話? 気になるな」
「荒崎怖がりなのに、怖い話なんてできるのかよ?」
 日翔に入れられた茶々に、何も返せなくなる。正直、この集まりで一番、というより唯一怖がっているのが自分というのは優音も自覚していたので、気恥ずかしい思いと、それでも怖いものは怖いという思いがぐるぐると駆け巡る。
 桜庭は何も言わないが、それなりにワクテカしているのが空気感でわかった。諦めて優音は話し出す。
「私が話すのは、チェーンメールの話だよ。大した話じゃないかもしれないけど……。
 チェーンメールとか、迷惑メールって、巧妙にアドレスを弄って送ってくるから、防ぐのが難しいんだよね。まあ、GNSの場合は安全性を高めるために、ある程度のHASHは弾いてくれるし、botも判別してくれて、自動生成アドレスもブロックリストに登録してくれるんだけど……。
 それでも完璧じゃないから通してしまうこともあるし、そこを潜り抜ける悪質なハッカークラッカーも存在する。……それでも、GNSの方が、プロテクトはしっかりしているんですよね」
 優音はちょんちょん、と蝋燭の前に置かれたCCTをつついた。
「GNS普及率が全世界で九割に到達していて、私や度流くん、天辻くんのような未導入者はほんの僅かです。が、こういった外部端末はなくなりません。こうした携帯端末の他にも、普通にパソコン使って仕事する人はいますし、人間の脳内に置いていてはいけないタイプの記録とかは、媒体に記録しますからね。あとは、チェーンメールや迷惑メール、詐欺メールなどを『送る側』の場合とかも、外部端末を使うでしょう。GNSだと、特定されたら脳に直接ダメージを与えられるかもしれませんから。
 ただ、外部端末を使うことの方がリスクは多いです。いくらセキュリティを売りにしている会社でも、GNSと比べると、ガバいところがありますし、端末が古いとOSも古くて、機能性が悪かったり、対応していない動作があったり……それでもCCTを使う理由があるからやめないですけど。
 私が怖かったのは、一度ブロック対応したはずのアドレスから来たチェーンメールですね。CCTだと、ブロックリスト登録に上限があって、古いものが自動でリストから排除されたっていうのが真相だったらしいですけど」
「リストの上限超えるレベルで迷惑メール来るとか色々おかしいだろ」
「部分一致やドメイン一致だけでも防げるので、登録の仕方を変えてはいかがです? まあ、荒崎さんなら実践しているかもしれませんが……」
 あまりにも生々しく、身近な話に、日翔も桜庭も、思わず思ったそのままを口にする。優音は苦笑し、詳しく答えず、こう続けた。
「ただのチェーンメールや迷惑メールくらいなら、どうでもいいんですよ。それよりもっと怖かったのは、事故で死んだことにより、解約したはずの叔母のアドレスから、解約から八時間も経たないうちにメールが来たことですから」
 付け加えられた情報に、一同が押し黙る。その間に優音は部屋の隅へ行き、ふう、と蝋燭の炎を消した。
 揺らめく蝋燭は、あと二本。
「解約されてから何年か経って、別な人のアドレスになるのは聞きますけど……八時間って、一日も経たないうちに?」
「まあ、だから偽物だってわかったんですけど」
「腕利きの悪質ハッカークラッカーだとしても、怖いですね……」
 優音の話について思うところがあるらしく、桜庭が優音と話し合う。気をつけなきゃなー、といった感じで、優音も相槌を打っていった。
 度流がそろそろと手を挙げる。
「あの、僕あんまり詳しくないんだけど、死亡による解約の場合、悪用されないように、しばらくそのアドレスなり、アカウントなりは使えないようにされるもんじゃないの?」
「そう。そういうものだから『だったらなんで使われたの?』って……」
「なるほど」
 度流が「怖いね」と続けようとしたところで、突然CCTが光り出し、けたたましい音が鳴り始める。
 電源は完全にオフにしたはずなのに、と混乱が走る中、度流が音の鳴っている端末を手に取った。度流のものだったらしく、手慣れた様子で操作し、音を止める。
「ごめん、なんかわかんないけど、着信が入ったし、着信音が設定した覚えのないやつになってたし、音量が最大になってた」
「それ以前に電源切ってたよな?」
「切ってたはずだよ」
「怖」
 日翔はあまり度流と仲が良くないので、普段なら「消し忘れたんだろ」などと難癖をつけるところなのだが、目の前で電源を消していた記憶がまだ新しく、自分の記憶力を否定するには至らなかった。
 確認して、ぞっとする。が、優音ほど怖がるわけではない日翔の立ち直りは早く、ぽん、と何やら思いつく。が、すぐさまこてんと首を傾げた。
「桜庭が静かだな? こういうの、真っ先に『ホンモノだ』って気づいて、騒ぎ立てそうなものなのに」
 言われて、優音と度流も顔を見合わせた。隣に座っていたはずだが、と度流が手を伸ばすと、蝋燭が揺らめいて、頭を押さえて踞っている桜庭を照らした。
「桜庭さん?」
「桜庭さん、どうしたの?」
「だ、大丈夫です。ちょっと頭痛と眩暈がして……」
「それ大丈夫って言わなくない?」
「熱中症か? お茶飲めよ」
 日翔が気を利かせて、置いてあった盆の上から、麦茶の入ったピッチャーを手にする。桜庭はありがたくお茶をもらった。まだ溶けていない氷が、からん、と涼やかな音を立てる。
 ふう、と一息つく。桜庭が落ち着いたので、大丈夫です、と申告すると、日翔がこほん、と咳払いをした。
「じゃ、最後に俺な。
 俺が怖いものについて話そう」
「え、興味ないんだけど」
「か・れ・そ・の! お前なぁ~」
 嫌そうにそっぽを向いた度流の首根っこを捕まえ、締め上げる日翔。本気で締めているわけではないじゃれ合いの範疇だが、度流は噎せながらギブギブと日翔の腕を叩く。
 緊張感ないなー、と優音は目を平坦にした。
 桜庭が目をきらきらとさせる。ホラー耐性があり、怖いものもなさそうな日翔の話す「怖いもの」にちょっと周りが引くくらい興味津々のようだ。
 そこに度流がケチをつける。
「どうせ、天辻くんの言う怖いものって、御神楽のことでしょ? 御神楽陰謀論者め」
「何をぅ、この御神楽盲信者め。御神楽は恐怖より嫌悪や憎悪の方が近い感情だわ。俺が怖いのはズバリ――まんじゅうだ」
 ファーン、と妙ちくりんな効果音が流れたような沈黙が落ちる。一拍遅れて意味を理解した優音が口元を押さえ、噴き出した。度流は呆れから肩を竦める。
 静寂の中、どや顔の日翔に正拳突きを食らわせる者があった。桜庭である。
「ぬぁーーーにが『まんじゅうこわい』ですかぁ!!!! 私の期待を返してください!!!!
「がふっ」
 怖い話をよほど期待していたのだろう。正拳突きで後方に倒れた日翔の体を桜庭はぽかぽかと叩いて喚いていた。涙がちょちょ切れている。
 日翔が悪かったって、と桜庭を宥めすかす。
「いや、文献保存室でこの話読んでから、いつかやってやろうと思ってたんだけど、今回くらいドンピシャなタイミングってなくてよぉ……」
「百物語は遊びじゃないんですよ!?!?
「遊びだろ!?!?
 桜庭が駄々をこねたが、それでも物語は物語、ということで、蝋燭を一つ消す。
 これで残るのは中央の一本のみになった。
「このまま夜明けまで過ごすんだっけ? あとどれくらいかな?」
「時間をかくに――あ、CCTの電源切ってるんでし」
 ピルルルルルルルルルッ!!!!
 語尾を飲み込んだ着信音に、優音はひっと悲鳴を上げる。またしても電源が切られていたはずのCCTが勝手に点灯し、けたたましい物音を吐き散らす。
「今度は優音ちゃんの端末だね」
「わた、度流くん、切ってくれます?」
「いいよ」
「平然と甘やかすなよ」
 度流の安請け合いに日翔が突っ込んだところで、また異変に気づいた。
「桜庭? 静かだけどまさか」
「うぅ……」
 呻き声のした方を向くと、桜庭がまた具合悪そうに踞っていた。少し汗をかいている。
「桜庭さん、桜庭さん、大丈夫?」
「大丈夫です……でも、声が……」
「声?」
 慌てて桜庭を介抱した優音に、桜庭は途切れ途切れに告げる。
「『たすけて』って、女の子の声、が……」
「……え」
 さっと全身の血が一気に冷えたのを感じた。まるで、桜庭の話した「GNSの不調の話」のようなもので、恐ろしさが優音の胸中を支配する。
 そこへ度流が更に爆発物を投下。
「あれ? このアドレス、見覚えがあると思ったら、去年亡くなった優音ちゃんのおじいさんのやつじゃない?」
「え」
 ほら、と度流が見せてきたそれは、確かに優音の祖父が使っていたアドレスだ。内容は検索避けのような半角記号が大量に織り込まれたメッセージ。あからさまなHASHメールである。
 祖父のアドレスは、六年の凍結処理が成される、と担当者から説明があったのはまだ記憶に新しい。それなら、何故?
 いや、そんなことはいい。今はすぐに端末を閉じてもらって――
「燃えちゃうよ!!!!
「え?」
 突然聞こえた明瞭な声。四歳から五歳くらいの男の子とおぼしきその声がしたと思うと、消したはずの四隅の炎が、瞬き一つ分の間に復活する。
 何が起きたのかわからない。
「ひ、火を……!」
「消さないでください」
 怖くなって、火を消すように言おうとした優音を遮って、桜庭が命じる。はっきりとよく通る声に止められ、一同は気圧された。
「百物語の蝋燭は結界のような役割を持っています。だから一本だけでも吹き消さないで、夜明けを迎えるんです。消しちゃ駄目」
「で、でも」
「本物が来てるかもしれないからこそ、結界は維持すべきだと言っているんです」
 桜庭の言うことは一理あった。優音のCCTの電源を切った度流が、優音に歩み寄る。桜庭に触れていた手を取り、そっと包み込む。
「大丈夫だよ、優音ちゃん。夜明けまであと一時間だし」
「長くね?」
「しっ」
 余計なことを言う日翔は一睨みされた。
「手を繋いでいよう。大丈夫、僕はここにいるよ」
「うん、ありがとう」
「さすがに私も怖いので、みんなで固まっていましょうか。ほら、天辻くんも」
「いや、あちーだろ」
 などと言葉を交わしながら、各々の緊張感を抱え、夜明けまでの時間を過ごした。

 

 夜が明けて。
「うーん、お疲れさまでした!」
「や、やっと終わった……」
 完全に明るくなったところで、蝋燭を消し、四人はそれぞれ解放感を味わっていた。
「戸も開けるぞー。お?」
 日翔が襖に手をかけ、からりと開けたところで、少し嬉しそうな声を上げる。
「まんじゅうじゃん! やりぃ! 誰かが差し入れに来たのかな」
 みんなも食おうぜ、と言いながら、早速頬張る日翔。度流が平坦な目で「まんじゅうこわいんじゃなかったの?」と問うのに対し、「今度はお茶がこわい!」と宣う日翔。
 そこに、向こうから、前日にお茶を持ってきてくれた女の人が来る。
「あら、終わりましたか?」
「はい。まんじゅうありがとうございます」
 上機嫌の日翔がそう口にすると、女の人が首を傾げる。
「あら、ゆうべは戸を開けちゃ駄目だと千尋ちゃんに言われていたから、来なかったのだけど……主人も私も承知していたし、他に人もいないのに……」
 その言葉に、日翔はまんじゅうを取り落とした。

 

to be continued……

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おまけ

「浴衣s」

 


 

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