No name ghost -名前のない絵画- 第7章
第7章 「心霊スポット」
『おはようございます。ニュース速報の時間です』
女性アナウンサーの淡々とした声が今日は猛暑日になることや、流星群が見られる日であること、世界情勢などを述べていく。
『――続いてのニュースです。
中学生か、と度流はニュースを見てぼんやりと思う。中学生というと、度流と大体同い年だろう。伯父や伯母も不安そうにしている。朝食を食べる度流の横で、従弟がCCTを弄っていた。
従弟も小学校高学年。年齢的には近いのだが、危機感がなさそうだな、と度流が見ていると、CCTの画面を度流に見せてくる。
「これ、ニュースの行方不明の子だよ。ニュースでは細かいとこ省かれてるけど、中学生でこれはだいぶやんちゃだねぇ」
「……確かに」
どうやら行方不明者の情報を調べていたらしい。言葉だけだとイメージしづらいということなのだろう。従弟が見せてきた写真の少年は、ピアスをばちぼこに開けており、指を握り込むのに苦労しそうなデザインの指輪を持っていた。一種のお洒落、と度流は片付けるタイプなのだが、それはそれとして、こういうタイプのお洒落をする学生を世間一般では「不良」と呼ぶことは度流でも認識している。
「でもまあ、やんちゃだろうと、行方不明になっていいわけではないし」
「それはそう。……あれ? 度流兄、ここって」
従弟がニュースについて書かれているのだろう文面をピンチアウトし、度流に見せてくる。そこには「清原さやか美術館跡」とある。前後の文面からするに、行方不明者の最終目撃情報があるのが、その美術館跡らしい。
度流はその場所を知っていた。
「今日行くところじゃん」
「だよね? あの辺治安悪いのかな。大丈夫? 優音ちゃんの他に女の子もう一人いるんでしょ?」
桜庭は結構しっかりしているから大丈夫そうではある、と考えたところで、度流のCCTが通知音を鳴らす。桜庭からメッセージが届いていた。
『ニュース速報見ましたか? 今日行く美術館跡の近辺で行方不明者が出ているそうなので、何かあったときのために、冴子さんに同行してもらいます。よろしくお願いいたします』
「――だって」
「冴子さんって?」
「桜庭さんの叔母さん」
「大人の人がついてくれるなら安心ね」
従弟と度流の話を聞いていたらしい伯母が、食後の飲み物を出しながら告げる。息子と同じ年頃の子どもが行方不明と報道されていると、心中穏やかではないのだろう。
度流は安心させるために、付け加えた。
「冴子さんは遊園地での小火騒ぎのときもてきぱきしてたし、何かあったとき、頼りになるよ」
「何もないに越したことはないけどね」
その通りである。
桜庭の好奇心を主として、この肝試しは動いている。お化け屋敷、ホラー映画、百物語、そしてこれから向かう心霊スポット。眉唾物とされるオカルトだが、桜庭の目論見通りと言っていいのか、奇妙な現象は起きている。
何も起こらない方がいいのだろうが、度流は度流で楽しんでいるので、今回も何か起こってしまわないだろうか、という気持ちの割合は不安半分、好奇心半分といった感じなのだ。
犯罪に巻き込まれたくはないが。
「というわけで、諸君、おひさ~」
「いや、全然久しぶりではないですけど」
桜庭たちと合流すると、そこにはにこにこの冴子がいた。動きやすそうなパンツスタイルに、今日はスニーカーだ。
今日は桜庭曰く「出る」とそういう界隈で有名らしい心霊スポットの散策である。「清原さやか美術館」はさして有名なわけでもないこじんまりとした美術館であり、観光客が来るというよりは、地元民が名前を知っているというくらいなもの。
閉館理由は建物の改築のため。老朽化というほど長く建っていたわけではないが、壁の一部が崩れたり、柱に傷がついていたりしたことが原因で、改築のために閉館された。
ここからが曰く付きと言われる所以なのだが、この美術館、改築が完了次第、再開予定なのに、何かにつけて工事が延期されているのである。作業員の落下事故や、近辺での連続不審火、現場にトラックが突っ込む事故など、信じられないほど危険なことが多発しており、かれこれ一年半は工期が伸びている。再開の目処も立っておらず、いっそ美術館としてではなく、壁を取り払い、屋根のある簡易休憩所として開放した方が早いのではないか、という話まで出ているほどだ。
噂を聞きつけた桜庭と同じ趣味の人間が、散策したり、写真を撮ったりと訪れることが増え、その界隈ではそこそこ有名なのだそう。「オカルトは実在しない」という考えの方が一般的であるため、この美術館のそういった捉え方に嫌悪感を抱く者も少なく、界隈が荒れることもないのだという。
「ちなみに、出るっていうのは……不審者?」
恐る恐るといった様子の優音の挙手に、日翔が「それはそれで怖いな」と呟いた。
桜庭が即座に否定する。
「幽霊に決まってるじゃないですか! といっても、証言のほとんどは『声がする』だけなので、生きている人間である可能性は全然あるんですけど」
「どんな声が聞こえるの?」
「『助けて』『熱い』『痛い』『苦しい』といった助けを求める声が多いらしいですよ。美術館時代から、事故はあっても死傷者が出ているわけではないので、不思議ですけどね」
原因がわからないからこその恐ろしさっていうのはありますよね、と弾んだ声で語る桜庭。優音と日翔はドン引きだが、度流だけどうも反応が違った。
「清原さやかさんって、炎の絵で有名な人なんですよ」
急にどうした、と日翔が度流を胡乱げに見る。度流は説明するように続けた。
「この美術館、ずっと来てみたかったんだ。清原さんは火事で家族を失っていて、有名になったのはそのときの炎の絵を描いてからでね」
「なんかどっかで聞いた話だな」
すっとぼけたような日翔の発言に、優音と桜庭が「ええ?」という顔をする。度流は苦笑いを浮かべる。
日翔はふと度流に目をやった。それから、この少年の代表作も「止まない炎」という炎を描いた作品だったな、と思い出す。彼苑度流もまた、炎の向こうに家族を失った画家である。
「つまり、あれか? 境遇が似てっから、シンパシーを感じるってことか」
「うん、そんな感じ。あとは単純に絵が上手いから、尊敬してる」
「へぇ、お前にも尊敬とかそういうのあるんだ」
感心した風に呟く日翔に、ちょっと失礼じゃない? と目くじらを立てる度流。
「僕だって人に敬意くらい抱きますー! 天辻くんの方こそ、人への敬意が足りないんじゃないですかー?」
「お前、俺に失礼って言ったその言葉、ブーメランしてるからな!?」
「はいはい、元気でよろしいね! そろそろ散策始めるよ」
喧嘩が勃発したので、冴子が無理矢理間に入る。日翔は活発そうだなという印象を抱いていたが、度流は物静かなイメージがあったので、こんな風に人に噛みついているのが意外だった。
まあ、度流も年頃の男の子。これくらいぶつかり合える友達がいる方が健全だろう。
「それで、そう! 聞こえる声っていうのは、清原さんが描いた絵に宿る情念かもねっていう話をしたかったんだ」
「ほう?」
日翔と引き剥がされて、とても自然に、当たり前のように、優音と手を繋いだ度流が言葉を次ぐ。その内容に、冴子が関心を示した。
桜庭がああ、と得心したように声を上げる。
「彼苑くんの描いた絵みたいにってことですか?」
「そうそう。僕の描いた『母さん』の絵は結局、特に何もなかったみたいだけど……あれ? 優音ちゃん大丈夫? 顔色が悪いよ?」
「な、なんでもないよ」
優音が顔を青ざめさせていたので、度流が心配する。優音は必死に笑顔で取り繕ったが、桜庭にはバレていた。元々、桜庭はこの中で唯一、優音が階段の絵の怪異を噂通りに感じ取ったことを知っているのだ。優音が「絵に宿る情念」と聞いて、あの絵を連想することも、容易に想像できた。
度流と日翔は気づいていないようで、桜庭は一人、鈍いなあ、と目を細めた。今は気づかれない方が都合が良いのでかまわないが。
一方、冴子は何やら気づいたようで、にやにやとしていたので、牽制に足を踏んづけておく。踏み返されたが、これくらいはまだコミュニケーションの範疇だろう。
「清原さんの遭った火災って、事故だったんですか?」
「えぇ、そこ掘らなくても良くないですか? 桜庭さん……」
わりとうきうきとした様子で桜庭が度流に問いかけるので、優音が若干引いた声を上げた。質問の内容も不謹慎である。人が死んでいるというのに。
度流は首を傾げた。
「そこまで詳しくは調べてないよ。さすがに調べた中で僕が苦しくなるような内容があったら良くないし……」
「あっ、ごめんなさい」
度流は幼い頃、テロに遭い、両親を文字通り目の前で亡くしている。なんでもないように日々の生活を送っている様子を見ていると、つい忘れてしまうが、度流はそのときのトラウマで、未だにパニック発作を引き起こすことがあるのだ。先日の遊園地でも、小火騒ぎがあり、大事には至らなかったが、度流は医務室に運ばれた。
度流とて、わざわざ苦しい思いをしたいわけではない。自分の琴線に触れそうなものには「初めから近づかない」といった対応策を取っている。
いいよ、と度流は笑った。きちんと対応策を取っているのが意外に思えるほど、度流は自分のトラウマ関連のことにはおおらかなのだ。どうしても暗い話になるから、わざわざ話題にしない、ということなのだろうが。
そんなやりとりをして、冴子を先頭に、美術館跡へ入っていく。崩れかけていた壁が取り払われ、柱と天井だけになった吹き抜けの広い空間。上を向けば、空の青や木々の緑が見えたりして、解放感があり、心地よい。
「お化け屋敷やお墓とかって暗くてどんよりしてるイメージがあって、そういうスポットもそうなのかなって思ってたけど、ここはわりと明るいね」
度流がそう告げると、そうでしょうね、と冴子が答えた。
「幽霊がいるいないとかはともかく、『人が死んだ場所』っていうのはイメージが良くないからね。まあ、この美術館は人が死んだわけじゃないけど、雰囲気の悪い場所や物騒な印象がある場所には人が寄りつかなくなる。人が寄りつかなくなると、そこにはオカルトに関係なく、悪いものが寄りつくようになるから、そうならないように御神楽とかが取り締まったり、他にも健全な企業なんかが働きかけたりしてるのよ」
「オカルトも元を正すと治安の悪さを怪異に例えていただけって事例もあるらしいですからね」
冴子の説明と桜庭の補足に、日翔がけっと胡散臭そうな目をする。この世の何も信用ならないというような、疑い深げな目だ。
「どこ行っても結局御神楽の名前が出てくるんじゃねえかよ。オカルトってのも、御神楽が名前を体よく売るための陰謀なんじゃねえの?」
日翔の発言に、度流がじろりと日翔を睨む。桜庭はしまった、と思った。
度流と日翔が度々対立するのは、血気盛んな年頃の男の子だから、というだけではない。度流は幼い頃にテロに遭い、両親を失ってから、御神楽財閥という世界屈指の巨大複合組織から支援を受けて生きてきた。そのため、御神楽という組織に対して、盲目的なまでの信望を抱いている。対する日翔は、付き合いが浅いので断定的な発言をするのは憚られるが、どうやら親が激しめの御神楽陰謀論者らしく、アンチ御神楽思想に染まりきっている。そんな思想の異なる二人が、対立しないわけがないのだ。
桜庭はどちらということもないのだが、御神楽が超巨大複合企業として成り立っているのは、多くの人から支持されているからだろう、と考える。その思想や活動に特に疑念や不満を抱いたこともないので、陰謀なんて考えたこともない。それでは度流側の考え方なのか、と聞かれると、度流は度流で行き過ぎている気もするのでちょっと、となる。
どっちつかずと言われてしまうだろうが、つまるところ、度流も日翔もどっちもどっちなのだ。
「なぁーにオカタイこと言ってんの? 陰謀だろうが何だろうが、こういうのは楽しんだモン勝ちヨ?」
冴子が度流たちに振り向き、度流と日翔の肩を豪快に抱き寄せる。有無を言わさずむぎゅむぎゅと抱きしめられた少年たち。仮にも冴子は妙齢の女性である。二人は気まずそうに顔を逸らした。
「た、楽しむって……肝試しをですか……?」
今まで静かだった優音が声を震えさせて問う。冴子は間髪入れずに「モチのロン」と親指をぐっと立ててみせた。
優音は度流の肩口に顔を埋める。「無理だよ~~~~~」というのは声にならなかった。夏休みの三巡を使った肝試し計画はこれが最後である。最後の最後、みんながそれなりに楽しんでいる――何より度流がかなり楽しんでいるのに、その腰を折るような真似なんて、優音にはできなかった。
そんな優音を慰めるように、度流がよしよしと頭を撫でる。砂糖を煮詰めに煮詰めたような様子に、日翔はうげえ、と顔を逸らした。
なんだかんだ、いつもの空気感に戻ったので、桜庭が安心して息を吐き――そこで異変に気づいた。
「みなさん、なんだか熱くありませんか? なんか、夏の暑さとは違う感じの……」
「え?」
桜庭の指摘に、優音と日翔がぽかんとする。冴子は辺りを見回した。度流が顔を歪めて、目を伏せる。
「たぶん、どこかで火が出てる」
「は!?」
「ここを離れた方がいい。煙は向こうから来てるから、今ならまだ逃げられ――」
「助けてえええぇぇぇぇぇ!!」
知らない声に、全員が反応する。無視するにはあまりにも大きく、必死な叫び。度流は顔色が悪くなっていく。
優音がそれに気づき、度流の腕を引いた。度流はそれを軽く払う。ハイライトの灯らない目で、「いかなきゃ」とまじないのように繰り返す。
日翔がその頬をひっぱたいた。
「落ち着け、彼苑! 混乱したお前が行っても無駄だ」
「そんなこと、助けなきゃ」
「だーかーら! 動く前にまずちゃんと呼吸しろ! 呼吸もロクにできないやつが、人を助けられるかよ。まずお前が生きろ」
日翔の言葉に、ようやく度流が止まって、優音は度流の腕を引き、出口へ足を進める。桜庭と冴子が視線を交わして、二手に分かれ、桜庭が優音と度流を先導し、冴子は日翔に声をかけ、悲鳴がしたと思われる方へ向かった。
「いいんですか? 通報して、逃げた方が」
「通報ならしたよ。彼苑くんはああ言ってたけど、火も煙もまだ目視できてない。火の手はまだもっと向こう。ここはもう改装工事は諦めて、一般開放に向けて設備が整えられ始めてるから……あったあった、消火器」
どうやら、混乱した度流を鎮めている間に、桜庭と冴子で通報を済ませていたらしい。外に向かった桜庭は、逃げ遅れた人がいる可能性と、火災の初期段階の対処のため、救援を呼ぶ役割も担っているようだ。
冷静で素早い判断。大人がいてよかったな、と思う日翔だったが、桜庭もなんか手慣れている感じがした。まあ、彼苑がヤバそうなので、慣れているやつがついていた方がいいか、と判断し、日翔は冴子について行く。
冴子曰く、この美術館跡は、美術館としての再開を諦め、屋根のある開放的な休憩所として開かれる予定があるらしい。そのため、安全のための設備などが整えられているのだとか。だから、消火器が置かれている。
「にしても、彼苑はなんで火の出所がわかったんでしょうね?」
「んー、彼苑くんとは深く関わりがあるわけじゃないけど、目が特別なんじゃないかな? 不思議な絵を描くし、テロで助かったのも、煙を『見て』逃げたって言ってたから」
「へぇ」
変なやつ、とは前々から思っていたが、日翔の想像以上に度流は不思議ちゃんらしい。
言っているうちに、煙たくなってきた。肌をじりじりと焼くのは夏の暑さじゃない。めら、と空の向こうの太陽より凶悪で獣性を宿した荒々しい揺らめきが赤を伴って踊る。日翔はごくりと生唾を飲み込んだ。
そこは行き止まりだった。燃えているのは額縁に入れられた絵画だ。ここは元美術館と聞いてはいたが、絵画が残されていたのだろうか。
問題は、丁寧に額縁にまで入れられた絵画が、何故地べたに置かれているのか、という点にもありそうだが、冴子が消火器を構え、栓を抜き、躊躇うことなく、絵に向かって消火剤を噴射した。日翔とは違い、GNSの恩恵のある冴子の動きに淀みはなく、さして時間もかからずに、火は消し止められる。
絵は消火剤まみれだ。消火剤を取り除いたところで、燃えていたから、煤に変わっているだろう。日翔は度流のことを好かないが、度流が興味を持っていたであろう画家の絵が燃えたことに、少し切なさを覚える。
「天辻くん、ここからキミの出番だ」
「はい? 火は消えましたよね?」
「火は消えて、安全になった。それならあとやることは一つ。――悲鳴の主を探そう」
どこかに隠れているかもしれないし、倒れているかもしれない。混乱している人間に対しては大きな声で話しかける必要があるし、倒れている人間は想像よりも重い。冴子は大人だが、女性である。男手があった方がいいだろう、と考えて、日翔を連れてきたのだ。
「つっても、この辺、入り組んでるわけでもないし、姿がないならいないんじゃ――おわ」
探索を始めようとした日翔が、うっかり足を滑らせ、消火剤のかかった絵画の上に倒れる。何やってんの、と呆れかけた冴子だが、絵画が置かれていた位置からずれ、床ではないものが現れたことに気づく。
床ではないものの正体には、日翔の方が気づいた。
「あ? これ、質感的に服……服? はあ!?」
ずれた額縁をがぱりと剥がし、絵画の下から現れた何かを手繰る。赤と黒のパーカー。どこかの制服らしい質感の違うズボン。青いスニーカー。それは人間だった。
「天辻くん、それ以上あまり動かさない方がいい」
「なんで!? まだ息があるかもしれな」
倒れている人がいたら、まず意識と呼吸の確認をする。通報するより先に、その「状態」を確認すべきだ、と考え――引っ張り出した頭を見て、日翔は何も言えなくなった。
焼け爛れていて、判別がつかない。
「事件性しかないから、
今朝、ニュースで流れていた行方不明の少年。
日翔はそっと、少年とおぼしき死体を床に横たえる。
少年の体は冷たい。ついさっき死んだとするには不自然なほどに。
けれど、それなら、
日翔たちが聞いた「助けて」という声は、一体……?
to be continued……
おまけ
「冴子さん」
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