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No name ghost -名前のない絵画- 第4章

 

 
 

  第4章 「お化け屋敷」

 

 てらてらと太陽が眩しく照らす下、多くの子どもがきゃいきゃいとはしゃぎ回る。それに手を焼いたり、微笑ましく見守ったりする保護者が多い中、稀に一緒になってはしゃぐ大人もいる。そんな大人を見て、小学校高学年くらいの女の子なんかは呆れ顔で腕を組み、ピンクとブルーで彩られたソフトクリームを食べていた。
 陽気な人も、平静を装っている人も、皆一様に浮き足立って見える。何せここは「夏休みの遊園地」だ。
「うーん、やっぱり人が多いですね……」
 そんな中、片隅のペールカラーの柱の近くに集まっていたのは、度流、優音、日翔、桜庭の四人と保護者としてついてくれている桜庭の叔母である。
 学校も夏休みに入り、学校の課題を片付ける期間を設けて迎えたこの日。桜庭の提案により、お化け屋敷を体験するため、遊園地に来た四人。中学生以下の入場が保護者同伴必須であるため、桜庭は叔母に声をかけたらしい。
 学校ではないので、四人は各々、私服姿である。度流は青いシャツに茶色いカラージーンズのシンプルなもの。優音は細かいレース柄の綺麗な白いワンピース。日翔はオレンジ色のTシャツに「COLOR FREE」と書かれており、それにジャージのハーフパンツを合わせている。桜庭は所々フリル装飾の施された黒いシャツにシースルーの白いカーディガン、切りっぱなしの黒いショートジーンズに黒い七分丈のレギンスを合わせている。
 日翔がぶう、と口を尖らせていた。
「お前ら、なんか気合い入りすぎだろ」
 ファッションのことである。度流と優音は頭上に疑問符を浮かべるが、桜庭だけ、あわあわと顔を赤くし、弁明する。
「あ、あの、あのですねっ! 色気づいたとかそういうわけではなくっ、彼苑くんと荒崎さんという美男美女カップルを引き連れるのに、ただのキモブタデブスでは、周囲の目汚しになるので、弁えたつもりなのですがっ!!!! ブスは何着てもブスですよねごめんなさい!!!!
「そんなこと言ってねえけど!?!?
 自己卑下の凄まじい桜庭にドン引きする日翔。日翔は桜庭とはまだまだ短い付き合いだが、こういう、特に容姿に関して、自分のことを過剰なまでに卑下する様は、こいつの欠点だよな、としみじみ思う。
 んー、と少し悩んでから、日翔は言った。
「別に、可愛いと思うけどな」
 好きな人は好きなんじゃね? と思ったままを口にする。日翔としては、トータルコーデがほぼ黒なので、暑そうに見えるが、フリルがついているのは可愛いし、黒という落ち着いた色だから、フリルが悪目立ちせず、いい塩梅だと思う。
 桜庭の体型に関しても、ぽっちゃりではあるが、それは元々スタイルのいい優音がわかりやすい比較対象になってしまうくらい側にいるからで、日翔は健康的で良いと思う。街頭の広告なんかで見るモデルや俳優は日翔にはヒョロガリに映り、不健康としか思えないから、桜庭くらい肉付きのいい方が健全だと考えた。
 そのまま言ったら、優音から鉄拳制裁を食らい、度流からは「褒めてるのか貶してるのかわかんないよ」と呆れの視線を向けられた。
 桜庭の叔母はにこにこと日翔に礼を言う。
「ありがとうね、天辻くん。千尋ったら、いつも自己肯定感が地の底でね……いいコができたら少しは変わるかも、と思うんだけど、なかなか、ね」
 「いいコ」の部分で小指を示す桜庭の叔母。桜庭が赤い顔のままで「冴子さえこさんっ!!!!」と叔母をぽかぽか叩く。恥ずかしいらしい。
「あ、紹介が遅れたね。アタシは桜庭冴子。千尋の叔母だよ。今日は一日よろしく」
 ベージュの丸襟シャツに爽やかな色合いのジーンズを穿いた脚の長い女性。それが桜庭の叔母、冴子だった。上背もあり、ヒールの高い靴も相まって、周りから一段高く見える。迷子になっても、冴子を目印にすれば集合できそうだ。
「天辻くんははじめましてだよね」
「あ、はい、はじめまして。冴子さんは何やってる方なんすか?」
「うーん、主なのはライター業カナ? 兄さんたちほど忙しくないから、こうして保護者役をかって出られるんだよね。あ、兄さんっていうのは、千尋の父親ね。取材に行った先で、ソウイウ系のお話を聞くこともあるから、千尋とは趣味友達でもあるってワケ」
「世間狭っ」
 世間が狭いというより、血は争えないということでは、と優音は思ったが、口にはしなかった。そういう「血」が濃いということは、冴子も桜庭と同じく、スイッチが入ったらヤバいということである。沈黙は金だ。
「そんなワケで、今日のお化け屋敷は千尋と色々相談したんだけどね、怖さはほどほどくらいのトコにしたんだ。この遊園地のお化け屋敷はカップルのデートスポットとして評判が良くてね。今は色んな学校が夏休みに入って、家族連れが多いけどね」
 確かに、辺りを見回すと、家族連れが多い。親子ではぐれないように、手を繋ぎ合っている仲睦まじい様子を、度流は目を細めて見守っていた。
 そんな度流の様子に気づき、優音はつきん、と胸が痛む。度流が平然としているので、あまり意識することはないが、度流は両親を早くに亡くしたため、「家族」でこういう場所に訪れることはないのだ。手を繋ぐ「お父さん」や「お母さん」のいない度流は、何を思って、家族連れを見つめているのだろう。
「あ、あとね、今ちょうど映画の上映もしてるから、お化け屋敷終わったら、みんなで見に行こう! チケットはモチロン、冴子お姉さんの奢りサ!」
「ポップコーンとコーラ!」
「キミ、絶対色気より食い気タイプだろ、天辻くん」
 元気に挙手した日翔に苦笑する冴子。早く並ばないと混むから、と言って、四人をお化け屋敷の方へ案内し始める。
 お化け屋敷の方角に歩いて行くと、家族連れより二人組の方が増えてきた。男女で歩いている者が圧倒的に多いが、ちらほらと同性同士で歩いている者もいる。女性が多めの印象だ。
 その理由はすぐにわかった。
「ほら、見えてきた。あそこだよ」
 少し赤みの強いピンクの柱、ぴかぴかと映える白い壁。朱色のレンガに囲われた、角度によって群青にも漆黒にも見える緑色の屋根。シンメトリーのデザイン、丸みを帯びたなめらかな壁。壁を彩る「ゆめかわ」と表現されそうな柔らかな色合い、全てを統合し、一言で表現するのなら、そのお化け屋敷は「メルヘン」だった。
 メルヘンな洋館。「汚い」とまではならないレベルの「汚れ」がメルヘンなデザインと相まって不気味さを醸し出している。が、普通に遠目に見たら、大型遊園地のアトラクションの「○○の城」と呼ばれるような立派な建物だ。
 女性が好きなのもわかる。度流は機械音痴だし、インターネットにはとことん疎い方だが、それでも某有名SNSでよく使われる「える」という表現がこのような建築物や風景のためのものであることくらいは知っている。度流の美的感覚からしても、綺麗だし、「可愛い」デザインだと思う。
「へえ、立派な建物ですね。パンフレットには『人形の館』って書いてありますけど」
「うんうん、もう廃墟になった大きな貴族のお屋敷に住み着いている子どもの幽霊と追いかけっこするっていうコンセプトなんだ。屋敷の中は撮影禁止だけど、全体的に内装も綺麗めに整えられていて、追いかけてくる人形たちのデザインも『コワカワイイ』って言われてるんだ」
「コワカワイイ……?」
 優音は冴子の説明に首を傾げる。優音としては「怖いものは怖いだけ」なので、そこに可愛さを見出だす感性にぴんと来なかった。
 そんな優音の隣で、度流がCCTを取り出し、写真データを開く。そこには金髪や茶髪、赤毛や灰髪などの様々な人形が並べられていた。目が大きく、睫毛も長く、どこを見つめているのかわからない、愛らしくも、奇妙さを漂わせる人形。
「こんな感じじゃないかな。西洋人形って」
「わ、度流くん? どうしてこんな写真持ってるの?」
 優音の声が震える。度流がネットから拾ってくるとは考えられない。それに、ネットから拾ったにしては明るさが微妙である。
 桜庭と日翔も度流の端末を覗く。日翔は写真の中のぎょろりとした目を見て「うげ」と思わず声を出した。
「ん? 父さんや母さんの古い知り合いに人形収集してる人がいて、見せてもらったことがあるんだ」
「え、でも、彼苑くんのお父さんとお母さんって、亡くなって……」
「そんな昔の写真なのか?」
 写真の出所を気にする桜庭と日翔に、度流は苦笑する。
「死んだってご縁が完全に途切れることはないよ。父さんと母さんに子どもがいることは覚えてたみたいなんだけど、男の子か女の子かってことは覚えてなかったみたいで、僕に人形を譲ろうと考えていたって」
 そこでたまらず日翔が吹き出す。
「あっはは! 彼苑が人形? ぷふっ、絶妙に似合う~!」
「そう? ありがとう」
「てんねん……」
 日翔と度流のやりとりに、桜庭が崩れ落ちる。優音は怒っていいのか、笑ったらいいのか、情緒が破壊されつつあった。
 冴子は中学生四人の等身大のような、ちょっと幼げなようなやりとりを微笑ましく見守っていたが、列の最後尾看板が見えてきて、四人を止める。
「パンフにも書いてあるだろうけど、ここはカップル向けお化け屋敷。基本は二人一組か三人一組。一応聞くけど、どう分かれる?」
 そこで桜庭と優音が目線を交わす。度流はにこにこと微笑み、日翔は肩を竦めた。まあ、度流と優音というカップルがいる時点で、お察しである。
「彼苑くんと荒崎さん、冴子さんは私と天辻くんについてください!」
「OKOK。じゃあ、カップルさん、お先にどうぞ」
 カップルさん、と呼ばれ、頬を赤らめる優音。度流ははにかんで、冴子に「お言葉に甘えて」と言い放ち、前に並んだ。
 客捌けがかなりいいようで、十組以上並んでいたような列も、一時間と待たずに度流たちの番が回ってくる。
「お客さん、中から出てこないけど、大丈夫かな……」
「出口はここから見て裏手にあるみたいだから、僕たちから見えないだけだよ」
 不安そうにする優音を安心させるように、度流はそっと腕を組んだ。日翔が背後から呆れ混じりのじと目を向けるが、特に突っ込むこともなく、度流たちは人形の館に入っていく。
「入館証明ということで、こちらをお持ちください」
 受付から渡されたリボンの形をしたブローチタイプのライトを点け、度流たちは薄暗い屋敷の中に入っていく。
 中に入ると、窓から射す光で、ライトがなくとも歩ける程度には明るかった。受付の機械を通したCCTに順路が表示される。順路から逸れたり、禁止行為をすると、受付処理をした端末、もしくはGNSにアラートが送られる仕組みらしい。GNS装着者は脳に直結しているからいいが、CCT利用者は端末を捨てれば逃げられる。そのため、順路案内は屋敷内に張らず、端末表示にしているのだそうだ。
 とはいえ、禁止行為をされると困るので、受付からは「くれぐれも屋敷内の備品等には触れないようお願い致します」と何度も繰り返された。
 大きな屋敷に見えたが、仕掛けの都合か、通路は狭く、度流と優音はかなり寄り添っていたが、横並びで歩くのは困難だった。けれど、禁止行為の一つに「一人での入場、散策」があるので、はぐれないよう、手を繋ぐ。
 屋敷は二階があるらしく、一度階段を登らねばならなかった。階段は豪奢で、手すりに細やかな装飾が成されており、臙脂色のカーペットが敷かれている。度流が手すりにそっと触れると、突如、CCTがノイズ混じりの電子音を鳴らした。優音がわかりやすく震える。
『老朽化のため、階段の端は崩れる可能性がございます。なるべく中央を歩いてください』
 音声案内が無機質に告げる。度流が「凝ってるね」と感心した。
 実際は客に怪我人が出ないよう、きちんと整備はされているのだろうが、ここが「不気味な廃墟」であるという設定の都合上、そういうアナウンスが出るようになっているのだろう。アラートのようなライトの点滅はなく、過剰な音量のサイレンもない。警戒しなくてもいいことなのは度流も、優音もわかっているだろう。だが、こういう演出をわざわざ入れる理由も度流にはわかった。
 電脳が身近な世界では、電脳を入れていなくても、電子音は日常的なものだ。先程の音声案内も、ただなめらかなアナウンスだったなら、優音は度流にしがみついていない。電子音が身近な日常、電脳の発達が著しい世の中で「雑音ノイズが混じる」ということは最も危機感や警戒を煽る事象の一つなのである。つまり、ノイズ混じりの音声は「異常こわさ」の象徴なのだ。効果は覿面で、優音は怯えきっている。
 だから、凝っているなあ、と度流は思うのである。
 階段を上がると、広間が広がっており、大きな窓から光が射していた。ただ、光の届く範囲は限られているので、階段にいる度流たちの足元は暗い。
 かたり、と物音がして、優音から「ひっ」と悲鳴が零れる。度流はゆっくりと広間の大きなテーブルの方へ向かった。
「見て、優音ちゃん。人形が座ってるよ。服の質もいいし、ここに住んでいた貴族に見立てられてるのかな?」
「わ、度流くん、よくそんな冷静に分析できるね」
「うん、だって、許可さえあれば、絵に描き留めたいくらい綺麗な光景だもの」
 背面の窓から射す光を背負った人形たちの晩餐のような光景。それはどこか不気味で、奇妙で、人形たちの見てくれやテーブルクロス、カトラリーに至るまで、品のいいもので揃えられているために、息を飲むような美しさがあった。
 こんなところからも芸術的な美しさを汲み取れる度流を、羨ましいと思う余裕すら優音にはなかった。光の加減で、人形たちがうっそりと微笑んでいるように見えて仕方がない。一刻も早くこの場から離れたかった。
 順路に添って、度流と優音は歩いていく。カーペットの幾何学模様が、時折目のように見えたりして、優音は小さく悲鳴を上げる。度流はその背中を撫でて宥めながら、前に進んだ。
 次の突き当たりを曲がれば、一階に戻る階段のはずだ。その前の小部屋に入ると、ティーセットが置かれていた。
「あれ? ここには人形がないんだね」
「そうだね。……見るからにいいカップだね」
「UK製かな?」
 見ただけじゃわからないなあ、と優音が首をひねる。詳しいわけでもないのだ。仕方ないだろう。度流も興味はあるようだが、触っちゃ駄目だしね、と背を向けた。
 そのとき――
 パリンッ
 硬質で凛とした音が、辺りに響き渡る。陶器の質がいいからか、やけに耳に残る心地の良い音だ。やっぱりいいところのやつだな、と関心する度流の背後で、優音が完全に恐慌状態に陥っていた。
「わ、わ、わ、わ、わた、度流るるるるくんんんんんんんんんっ? え、わた、私たち、さ、さ、さ、さ、触ってないよね? え? え? え? え? さわ、触ってないよね? なんで? なんで落ちたの? いやいやいやいや、怖い怖い怖い怖い」
「優音ちゃん、大丈夫、落ち着いて」
「無理無理無理無理」
「大丈夫、大丈夫だから」
 優音の肩を抱き、自分の分と優音の分のCCTを示す。
「よく見て。禁止行為に抵触したときに鳴るアラートが鳴ってないでしょ? 大丈夫だから。落ち着いて、外に出たら、係員さんに伝えよう。ね?」
 アラートのことを指摘され、音も点滅もない二つの端末を見た優音は、ようやく落ち着きを取り戻す。大きく深呼吸を二回、度流と目と目を合わせ、眉をひそめて笑った。
「うん、ごめん。動揺しちゃった。ありがとう」
「いいよ。さ、階段はすぐそこだ。ゆっくり降りよう。ね」
 胸元につけたライトを階段の方に向ける。広間の階段より幅は狭いが、広間と違って、音声案内はない。手すりにすがってゆっくりと降りた。
 途中、床でないものを踏んだ感触がして、優音がぎくりと固まる。立ち止まった優音に度流が振り向くと、優音はぎぎぎ、と足元を見た。
「――ひっ」
 拳大くらいの人形の頭が転がっており、長く、妙に艶やかな髪を踏みつけていた。度流がこんなところに、と呟いて、CCTを操作する。係員の呼び出し要請を押し、繋がった先と通話した。
 人形の首が転がっていたことを伝えると、丁寧な謝罪と、応急処置として脇に避けていてほしい、とのことが伝えられた。度流はわかりました、と伝え、通信を終える。
 ふと、辺りを見回したが、首だけの人形の本体どころか、階段付近には人形自体が一体もない。妙だな、と思いつつ、怯えきった優音の手を取り、先を急いだ。
「度流くん、出口まで、あとどれくらい?」
「一階に降りたら、厨房と食堂を抜けて、書斎を通ったらあとは一本道だよ」
「な、長い……」
「そう? あっという間な気がするけど」
 順路から外れないようにしながら、度流は優音の手を引いて歩いていく。厨房に仕掛けはなく、食堂に入ると誰かの笑い声のようなものがエコーがかかって聞こえた。優音が悲鳴を上げたが、音声のみで、他に仕掛けはない。冷たい風が吹いたような気がした。足早に食堂を抜ける。
 書斎の扉の前に着くと「ブローチを翳してください」と音声案内があり、二人は案内に従って、ブローチライトを扉の取っ手に認証させた。ぎぎぎ、と重々しい音を立てて、扉が開く。
『おにいちゃん?』
 幼い故に、男の子とも女の子ともとれる声がする。パンフレットを読み込んでいた度流と優音は、お化け屋敷の紹介文にあったこの屋敷に住む「子ども」の声だと直感した。
 設定である分には、優音も怯えずに済む。嬉しそうでありながら、抑揚のない声は、度流たちに語りかけてくる。
『ねえ、楽しかった? 楽しかった? ぼくね、ぼくね、ずっといい子で待ってた! いい子にしてたら、みんなぼくと遊んでくれるからって言われたから』
 いたいけな声に、度流が寂しげに眉尻を下げた。優音は不気味さと虚ろな朗らかさで、子どもの無邪気な声も怖く感じる。
 度流はそっとCCTで順路を確認した。出口まで続く直線通路は向かって左側の扉だ。
『おにいちゃん、ぼくとあそぼ。あそぼうよ。まだまだ、いーっぱい、あそぼう。あーそーぼ! ぼく、おにいちゃんのこと、大好きだから。ねえ、ずっとここにいてよ』
 ばん、と左側の扉が開く。
「優音ちゃん」
 度流が素早く優音の手を引き、開け放たれた扉の方へ駆け込む。
「ニ、ゲ、ル、ノ?」
 エコーがなく、合成音声の雰囲気もない、ほとんど生声に近い音声がものすごく近くからして、優音は再び悲鳴を上げる。見ると、CCTの画面が真っ暗になり、画面にはカタカナで「ニゲルノ?」の文字が血のような色で乱舞している。
 混乱して、端末を投げ捨てようとする優音の腕を、度流が掴んで止めた。
「優音ちゃん、走って。前だけ、前だけ見て」
 ケタケタケタケタと背後から追いかけてくるような子どもの声に負けないように、度流が叫ぶ。優音はぐ、と歯を食いしばって走った。
 五十メートルほど走って、辺りが明るくなる。目が眩んだことで、思うより暗いところにいたことを知覚した。
「う……」
「優音ちゃん、大丈夫?」
「お疲れさまでした!」
 機械音声ではない人の声が聞こえて、優音は足から力が抜ける。明るさに慣れてくると、ぺこぺことこちらに頭を下げる女性職員がいた。
「この度は、こちらの不手際でご不便をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。お怪我などはございませんか?」
「あ……私は大丈夫です。走り疲れて力が抜けちゃっただけで……」
 お怪我がないならよかったです、という職員の温もりのある笑顔に、優音はなんだか安心する。
 確認ですが、と冷静なままの度流が職員に声をかける。
「人形の首しかなかったんですけど、あれはそういう仕掛けなんですか?」
「はい。天井から吊り下げられているはずのものかと」
 生首だけが吊り下げられている光景を想像し、それはそれで怖い、と優音は遠い目をするのだった。
 そこで話を収めようとしていた度流だったが、「あ」と何かを思い出したように声を上げる。
「人形の首のことで頭から飛んでいたんですけど、その手前の階段前の小部屋で、ティーセットが壊れたんですよ。破片が危ないと思うので、確認をお願い致します」
「わざわざありがとうございます。確認致しますね。それにしても、おかしなことが起きるものですね」
 女性職員の呟きに、度流と優音が首を傾げる。
「いえ、あの付近には係員が配置されておらず……お客様にお怪我などないよう、陶器等は置かないようにしているんですが」

 

to be continued……

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おまけ

「人形の館パンフレット」

 


 

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