No name ghost -名前のない絵画- 第5章
第5章 「ホラー映画」
「いやぁ、凝ってんな~」
「人形とか、調度品とか、綺麗なもので揃えられていて、見応えがありましたね」
「GNSや小道具を活かした演出もふんだんに使われてて、一味違うお化け屋敷よネ。お化け屋敷を怖がるタイプの子と一緒に入ったら楽しそう」
「あはは……」
冴子の言葉に苦笑いする桜庭。残念ながら、桜庭は怖い話を怖がるような子どもではなかった。日翔もそう。日翔は怖いものは怖いと思う派だが、傾向として、科学的に怖い=死に直結するタイプのものや、大衆がおぞましいと思うタイプのものが怖いらしく、今回のお化け屋敷は、日翔にとって「怖い」というより「面白い」ものだったようだ。一緒に歩きながら日翔の様子を観察して、桜庭が出した結論である。
撮影禁止だけれど、綺麗なものが揃っており、綺麗に整えられていることで、綺麗であるが故の迫力というものがあった。綺麗なものの奥に潜む何か恐ろしいものを想起させるような薄暗さ、アナウンス、館内温度……と分析ができる時点で、桜庭は一切怖がる気配はないのだが。
三人で出口から歩き、スタッフの「お疲れさまでした」という爽やかな挨拶を背に受けながら、先にお化け屋敷を出たはずの度流と優音の姿を探す。
姿を見つけたのは日翔だったが、あれ、と不思議そうな声を出す。
「どうしたんですか? 天辻くん」
「いや……あそこのベンチに荒崎見つけたんだけど、彼苑が見当たらねえ」
「あら」
日翔の指差した先を見て、桜庭も冴子も怪訝な表情を浮かべる。ベンチにちょこん、と一人で座る優音がいるのだが、一人で座っているのに、やけに肩身が狭そうに縮こまっていて、どこか浮かない表情だ。
桜庭は思わず辺りを見回す。ぱっと目につく場所に度流の姿はない。あれで度流はこれといった身体的特徴のない少年だ。見た目で人目を引くとすれば、あの花よりも淡い薄紫の目くらいなものだろう。色素薄めの茶髪は珍しいものではないし、極端な短髪でも長髪でもない髪型は人波に紛れやすい。背も極端に高いわけでも、低いわけでもない。度流は芸術的感性や不思議ちゃんな側面を除いてしまえば、あまりにも普遍的な子どもなのだった。
「とりあえず! 荒崎さんを保護しましょう」
冴子が日翔と桜庭の肩をまとめて叩く。
「彼苑くんも迷子なら心配だけど、あんなに可愛い女の子、放っておいたら変な虫がついちゃうワ」
「冴子さんが思うより、荒崎は強かだと思うけどな」
日翔が肩を竦めながら、優音の方に歩き出す。桜庭と冴子もそれに続いた。
日翔が手を振って、おおい、と声をかけると、何故か一緒に歩いていた桜庭と冴子の方が驚いていた。無理もない。電脳社会において、人とコンタクトを取る方法は一に通信である。桜庭はGNSで優音のCCTに通信を飛ばそうとしていたが、日翔はびっくりするくらい原始的な方法で優音を呼んだのだ。原始的すぎて、桜庭や冴子には思いつかなかった。
ただ、日翔の取った方法はものすごく手っ取り早い代わりに、ものすごく人の視線を集めるものである。
優音は日翔の声に顔を上げ、わかりやすいように手を挙げた。何人か優音に声をかけようと様子を伺っていた男連中がいて、日翔の姿を見るなり散っていく。
桜庭はそんな男共を視界の片隅に置きつつ、少し安堵した。日翔を連れてきてよかった、という思いと、こんなに目立ちたくはなかったな、という思いが綯交ぜになり、複雑だ。可愛い女の子が不埒な輩の毒牙にかからずに済んだのは良いことだが。
「荒崎さん、彼苑くんは?」
「わ、度流くんは、飲み物を買いに……」
「あなたを置いて、一人で?」
穏やかに問いかけた桜庭の横から、ぬっと顔だけ近づけた冴子が続ける。明らかに言葉にも表情にも棘があった。
食い気味の冴子に、優音は苦笑を浮かべる。
「私が具合を悪くしてしまって。休んでいたんです」
「それにしたって、こんな可愛い子を一人にするなんて、信じられない!」
憤然とする冴子を桜庭が宥める。
「ま、まあ、桜に拐われるわけでもあるまいし」
「人に拐われるならまだいいわよ」
「いや、良くないっすけど」
勢いの乗った冴子は日翔のツッコミもスルーし、くわっと目を見開いた。
「幽霊に拐われたらどうするの!?!?」
冴子の斜め上の回答に、日翔があんぐりとする。桜庭は無性に申し訳ない気持ちになった。ごめんね、私の叔母、こういう人なんだ、と。
ふと、優音に目を向けると表情がぎこちない、というか固まっている。桜庭はその顔色を見て察した。優音が何故具合悪くなったのかも、大体わかった。
優音は学校で度流の絵を見てしまったときと同じ表情をしていた。それはつまり、何か「遭った」ということなのだろう。桜庭の中で感情がせめぎ合う。優音に根掘り葉掘り聞きたい感情と、怯えている人間をこれ以上怯えさせるわけには、という理性。
ここには桜庭と趣味を同じくする冴子もいる。冴子はライターという職業柄、ネタになりそうな話は躊躇いなく根掘り葉掘り聞くタイプだ。倫理観や気遣いは二の次である。そのことを知るのは桜庭のみ。心の中の悪い自分が冴子を話題に乗せてしまおうと囁く。正直、度流と優音がお化け屋敷でどんな体験をしてしまったのかは滅茶苦茶気になる。が、心の中の綺麗な自分が「駄目ですよ、千尋。せっかく付き合ってくれる友達を得たのですから、それを蔑ろにするなんて、あってはなりません」と律する。
悪い自分が脳内で「本当に友達になってくれたと思ってんの? 図々しいヤツ」と言い始め、言っているのは自分なのだが、大いに傷ついてしまった。が、傷ついたおかげで悪い、というよりひねくれた自分の言葉を切って捨てることができた。今は聞かないでおこう。聞くにしても後だ。
GNSから、桜庭はこっそり、優音にメッセージを送る。優音が着信に気づき、CCTの画面に目を落とすと、そこには「何か怖いことがあったなら、一巡後の百物語のネタにしちゃってかまいませんから!」とあった。三巡に渡って行われるこの肝試し計画、一巡目が今出てきたお化け屋敷、二巡目が百物語、最終巡が心霊スポットと呼ばれる場所の探索となっている。百物語は怖い話を持ち寄って、みんなで楽しむ、というものらしい。ちょうど話の種に困っていたので、ありがたく採用しようかな、と思いかけ、優音はくすりと笑った。ちゃっかり聞き出す気である桜庭の意図に気づいたのだ。
桜庭の気遣いに優音はいくらか心が和らいだ。そこに「優音ちゃん」と声がかかる。
「度流くん!」
にこにことジュースのボトルを持って、度流が戻ってきていた。優音に冷たいミルクティーのボトルを渡す。優音の好きなメーカーのものだ。人の多く訪れる遊園地は何種類か自販機があるが、その中からわざわざ探してきてくれたらしい。
「ありがとう、度流くん」
「いえいえ」
……と、恋人二人は和んでいたのだが、周りはそうではなかった。桜庭も、冴子も、日翔も、度流が現れた瞬間からぎょっとしている。
「彼苑、おま……気配なっ……!?!?」
「んえ? どうしたの? 天辻くん」
そう、優音は一ミリも不審がることがなかったが、度流はかなり急に現れた。気配もなく、足音もない。すぐそこは人混みだというのに、揉まれた様子もない。爽やかな笑顔で佇んでいるだけだ。
その様子があまりにも「普段通り」なのが却って気味が悪い。
「びっ……くりしたぁ……急に現れないでくださいよ」
「え、ごめん。そんなに?」
「そうです。さ、彼苑くんも戻ってきましたし、次行きましょ、次」
桜庭が話題を転換させたことにより、それ以上、度流について言及することはなくなった。日翔は最初、もやもやしていたが、歩いているうちにどうでもよくなってきた。日翔が口を出していたら、余計ややこしい揉め事になっていただろうから、これでよかったのかもしれない。
「劇場はあそこです。大スクリーンで見られるんですよ!」
「遊園地って、映画館あるものだっけ?」
「普通はないですけど、この遊園地は映画をやることで、映画とのコラボお土産やアトラクションを出すことで収益を得ているみたいですね。さっきのお化け屋敷も、時期によっては映画のキャラクターの人形が置かれるようですし」
「商売上手いな。ところで何の映画観んの?」
日翔に聞かれて、桜庭がGNSの画面から、遊園地のパンフレットページを選んで、シアタースペースの時程表を呼び出す。時程表を見て、にや、と口角が吊り上がる。
その動作が不気味すぎて、度流、優音、日翔に至るまでの三人がドン引きした。冴子だけがにこにこと微笑ましげに笑っている。
「冴子さん、狙ってました?」
「ウフフフフ。大人を甘く見ちゃぁイケナイわよ?」
どうやら何かを狙ったらしい。優音は嫌な予感しかしない。現実逃避に男子二人を見ると、桜庭たちの発言の意図が汲み取りきれてないらしく、こてん、と二人して首を傾げていた。思わず溜め息が出る。
「というわけで、今回観る作品はこちら!」
台詞と共に、桜庭が三人のCCTに資料を送った。観覧用のパスと、作品紹介。遊園地の劇場用のパンフレットかと思いきや、桜庭の自作らしい紹介資料まとめが来た。表紙はさすがに公式からの引用のようだが……。
瓦礫の山。原型を留めている建物がほとんどない中を走る少女。ぺたぺたと不自然な足音がすると思えば、整地されているわけでもない地面を少女は裸足で駆けていた。小石や何かの破片で傷ついたのだろう。少女の足には大小様々な傷があり、血が滲んだり、固まったりしていた。
少女の足音以外は耳が痛くなるほどの沈黙を保っていたスピーカーから、か細い声が流れ始める。それは、声というより、吐息だった。吐息が次第に大きくなり、走りながら喋れないのであろう少女の独白が零れ出す。
「にげ、なきゃ……逃げなきゃ、逃げなきゃ。立ち止まっては、駄目。どんなに痛くても、つらくても、まだ、死にたくないから……」
死にたくない、死にたくない、と温度のない震える声で、自らに言い聞かせるように繰り返す少女。悲壮感に数人の観客が息を飲む。
ほどなくして、別の足音がした。足音というには、少女のように走っているわけではない、人間が歩いているというには、あまりに辿々しく、覚束ない足音。その音を感知した少女の顔が強張る。
「あいつらだ。逃げないと」
ちら、と後ろを省みた少女の視線を伝うように、カメラが移動していく。その先に映っていたのは、人間の形をしているが、肌が青ざめ、動くたびに脆い皮膚が崩れるようなナニカ。ゆら、ゆら、と大袈裟なまでに左右に身を振りながら、ゆっくりと、確実に、こちらに前進してくる。
無数のナニカのうちの一つが、不意に顔を上げた。どん、と何かにぶつかったような効果音と共にナニカの顔がドアップで表示される。
眼球が潰れ、だらだらと血を流す左半分と対照的に、右半分の顔はヒトだった面影を残していて、けれど、目は好き勝手にぎょろぎょろと動き回り、血走っている。唇は紫色で、顔面も表皮も蒼白であるのに、垂れていく血は赤く、てらてらとしていて、あまりにアンバランスだ。
アレは見た目通り……と言っていいのかわからないが、死人である。
少女はひゅっと息を飲み込み、前を向いて、新たに踏み出そうとした。が、べしゃあ、と盛大に転んでしまう。血溜まりで足を滑らせてしまったのだ。
「死にたくない……死にたくない……」
継続されていた独白からエコーが消えていき、徐々に映像の中の少女の唇も「死にたくない」と紡ぎ出す。迫り来るおぞましいナニカたちから逃げたいのに、立ち上がれない。夥しい量の血に苛まれた地面は、ぬかるんでいて、足をとる。少女の顔が悲壮からより深く、絶望へと染まっていく。
死にたくない、の言葉が途切れ、ぎり、と歯噛みする少女。震える声。泣きそうになりながら紡がれる、心の奥底の、本音。
「生き、たい……っ」
少女に理性のない骸たちが襲いかかろうとしたそのとき――
どかばきぼぎゃ
ものすごい殴打音。鳴ってはいけないような音も聞こえた気がした。いつの間にか閉じていた震える瞼を開くと、返り血にまみれた青年が、鉄パイプを振り回し、ナニカたちを吹き飛ばしていた。
のろのろと顔を上げた少女に気づき、青年が声をかける。
「無事か!?!?」
「は、はいっ」
「逃げるよ。……立てる?」
勢いよく鉄パイプを振りかぶって、残っていたナニカを吹き飛ばすと、青年は少女に手を差し伸べる。強く、長い時間、鉄パイプを握っていたのだろう。手はまめがいくつも潰れた痕があり、それ以外のものも含め、血にまみれている。痛いだろうに、それでも手を差し伸べる優しさに、少女が涙を滲ませた。
「っ、はい!」
手を取って、立ち上がる。もうぼろぼろでどろどろのスカートの裾が更にぐしゃぐしゃになったけれど、かまわなかった。逃げて、生き延びて、自分は――
「ウガアアアアァァァッ」
「え」
希望は、一瞬で打ち砕かれる。青年の頭蓋と共に。
嘘みたいにかち割られ、ぶしゃぶしゃと赤を撒き散らしながら吹き飛んだのは、青年の頭だった。少女の目からハイライトが失われていく。
どうして忘れていたのだろう。どうして道具を使うのが、生きている人間だけだと思い込んでいたのだろう。青年の遺体の向こうで、だらしなく唾液を撒き散らしながら、歯茎を見せてこちらを威嚇しているソレもまた、ヒトの形をしている。ヒトの形をしているのだから、道具を持っても不思議ではない。廃屋が無数にあるのだから、鉄パイプなんて掃いて捨てるほどあるのだ。その辺に転がっているのだ。
ヒトの形をした、ヒトではないソレが、その真黒い目に少女を映し、にたぁ、と笑う。死人のようなのに、まるで生きているみたいに。
新しいオモチャを見つけた子どもみたいに。
生気のない唇が動く。
知能なんてないはずなのに。
「ア……ソ……ボ……?」
「きゃああああああ!!!!」
優音の叫び声に、度流が慌ててその口を塞ぐ。度流の両手によって声を阻まれた優音が、目を零れそうなくらいに見開き、もはや痙攣レベルで震えていた。目尻に涙が溜まっている。
その様子に桜庭がちら、と優音を見て、耳打ちをする。
「怖いなら、先に彼苑くんと出てていいですよ?」
「始まったばっかだろ……」
桜庭の向こうで声を聞き取ったらしい日翔がぼやく。更にその向こうの冴子が日翔を小突いた。
そう、まだ映画は序盤も序盤。ほぼほぼ導入部分である。というのに、優音は既にぼろぼろと泣き濡れていて、体もがたがたと震えている。荒崎優音の見たことない怯えように、桜庭はびびっていた。オカルト大好きの桜庭が言うと説得力が皆無なのだが、「そんなに?」と思う。
今回観ている映画というのが「サバイバルホラー」というものに分類されるゾンビパンデミックものだ。オカルトは眉唾とされるアカシアであるが、パンデミックは「起こりうるもの」として捉えられ、教訓的な意味合いである程度広まっている。ゾンビの存在はともかくとして、「感染症」の恐ろしさを例えるには、ちょうどいい映像作品なのだ。
度流は優音の口から手を離す。ちょうど、先程殺された青年がゾンビに噛まれてむくりと起き上がったところで、優音はひっとか細い悲鳴を上げて、度流にしがみついた。度流がよしよし、と優音の頭を撫でる。
「大丈夫? 外出ようか?」
明らかに駄目そうな優音に度流が優しく問いかける。優音は小さく首をふるふると振った。
「め、迷惑かけないから、一緒に、いさせて」
普段ならその健気さに可愛いとか思うところなのだが、優音の体が洒落にならないくらい震えている。これ以上は無理だろう、というくらいは度流にもわかった。
無理しちゃ駄目だよ、と窘めると、優音はがばっと度流を抱きしめる。何事、と思っていると、弱々しい優音の声が紡ぐ。
「一人や二人きりじゃ、駄目なの。人がたくさんいないと怖い」
なるほど、重症である。度流が優音を挟んで向こうにいる桜庭に目線で問いかけた。「いいかな?」と桜庭にお伺いを立てる度流。桜庭は小さく頷いた。
普段は凛としていて、とても強いイメージのある荒崎優音。桜庭は小学一年生の頃からずっと知っている。彼苑度流は名前だけなら、その前から知っていた。優音と度流の恋仲は度流がテロに巻き込まれた五歳の頃から続いており、周囲はマセガキと軽んじたものの、桜庭は二人の想いの強さを汲み取って、憧れていた。
優音はいつも度流を守っていた。男尊女卑なんて言葉は今時流行らないが、そんな言葉があるのは、かつてそんな文化があったからだ。男は女を守るもの、女は男に守られるもの。差別というほど強くはないが、そんななんとなくの固定観念があるから、
桜庭はわりと幼い頃から、エモさがあればどんな関係も受け入れられるタチだったので、優音と度流の恋仲にああだこうだ言うことはなかった。周囲の偏見を物ともせず、度流を守ろうとする優音をかっこいいとさえ感じていた。
そんなかっこいい優音が、ここまで見た目相応の脆さをさらけ出すなんて、というのが桜庭の感想である。階段脇の絵画の話を怖がっていたから、ギャップ萌え程度の軽い気持ちで誘ったのだが、悪いことをしたかもしれない。
桜庭が罪悪感を抱き始めていると、轟音が響いた。スクリーンの中で、型落ちの戦車が火砲を撃ったところだった。少女に群がろうとしていたゾンビが散っていく。少女は呆然と、復活したばかりの青年のゾンビが吹き飛ばされていくのを眺めていた。
桜庭の隣で、日翔が「うおー、かっけえ」と感嘆の声を上げているが、桜庭と冴子はそれをしらーっとした顔で見ていた。こてこてのオカルトが好きな二人は、劇中に近代兵器などが出てくると複雑な気持ちになるのだ。映画の面白さが損なわれるわけではないのだが。
まあ、まだまだ序盤。面白くなるのはこれからである。ポップコーンをせっかく冴子に買ってもらったので、ひょいぱくする日翔に倣い、桜庭もつまみ始めた。それを見た優音が、何かを「食べる」という別な行動を取ることで気を紛らせることができるかもしれない、とポップコーンを口に含む。バターの香りが濃厚で、ほんのりとした甘さを孕む塩気がもう一口を誘う。さすが、他にも食品を多々取り扱う遊園地のポップコーンだ。美味しい。
画面では戦車に乗った人物が、少女を助け出し、現場から離脱を始めていた。タイトルテロップが流れる。壮大でいて、奥に底知れない何かを秘めるような音楽はホラーというより歴史もののようなイメージがある。時折あるミスマッチ感がこの映画の癖なのだろうか、と分析できる程度までに、優音は回復しつつあった。ポップコーンと一緒に買ってもらったドリンクに口をつける。優音はアイスティーにしたのだが、ミルクティーで慣れているからか、物足りない気がした。誤魔化すように、口内をポップコーンでいっぱいにする。
オープニング映像が終わり、荒廃した大地が映し出された。ナレーションが世界観説明を始める。人体に無害とされていた謎のウイルスが、死んだ人間を蘇らせたことから世界の悪夢は始まった。ウイルスにより知能を失い、捕食のためだけに動く死体はゾンビと呼ばれ、生きている人間の命を脅かすようになる。ゾンビに噛まれた人間はゾンビの体内で変質したウイルスに侵され、生死如何に拘わらず、ゾンビになってしまう。そんな世界の中を生き抜く少女の物語らしい。
戦車に保護された少女は、戦車を保有する組織に加入し、その日暮らしをしていく。日常パートは平々凡々としていて、作劇としては刺激の少ない退屈なものとなっているが、オープニングがなかなかの迫力とグロテスクさを醸し出していたので、優音としては心休まる一時である。
が、それも五分としないうちに打ち砕かれる。施設内にアラートが鳴り響き、避難勧告が出された。主人公の少女は同室で休んでいた人たちと不安がりながら避難指示に従う。案内をしていた警備担当が、何者かに殴り倒された。
ゾンビだ、と思って逃げようとすると、「動くな」という声がして驚く。
知能の低下したゾンビは叫び声を上げることはあっても、意味のある言葉なんて話さない。――それは、人間だった。
衝撃の事実が明らかになったところで、劇場内でもサイレンが鳴り出す。映像がぶつん、と途切れ、室内の明かりがついた。映画に集中するため、沈黙を保っていた人々が矢庭にざわめき出す。
『上映をお楽しみのところ、申し訳ございません。館内で火災が発生致しました。お客様は係員の案内に従い、直ちに避難してください。繰り返します――』
無機質な女性アナウンスが淡々と非常事態を告げる。館内は騒然とするも、すぐに係員が案内に現れ、人々を導いていく。
優音たちも、係員に従って、席を立った。優音は「度流くん、行こう」と隣の存在の手を引いた。抵抗なくついてくる体温に安堵する。
火災、と聞いたから、度流が取り乱さないか不安だったのだ。度流が幼い頃に遭遇したテロは爆破テロであり、炎のある中を度流は一人で逃げ延びた。もう何年も前の出来事とはいえ、被害者の胸に傷は残り続ける。最近は少なくなったとはいえ、避難訓練の警報でさえ、発作症状を起こしていたほどだ。そんな度流が取り乱したりせず、静かに避難指示に従えるようになったことに、成長を感じる。
火災が起きている、ということだったが、特に煙たさも感じず、優音たちは避難を終えた。他の観客にも怪我人などは出なかったようだ。桜庭と冴子がGNSで情報収集を行っている。
日翔はちゃっかり持ってきていたドリンクを啜っていた。
「炎も煙も見えねえな。誤報か?」
「何もないなら、それに越したことはないよ」
ドリンクを持って、呑気な日翔にやや呆れつつ、優音は返す。日翔は肩を竦めた。
「映画はこれからって感じの展開だったから、気になるな。このまま中止は惜しい気がする」
「え……私は、続きは……いいかな……」
「残念ながら、続きは諦めるしかなさそうです」
桜庭から声が飛んでくる。それと同時に、優音と日翔のCCTに何かが共有された。開くと、それはニュース速報と遊園地の館内速報の記事だった。「シアタースペースで火災発生」と見出しにある。
「火災があったのは本当のようです。小火で済みましたが、原因不明、誰もいないところで起こった不審火とのことで、捜査が入るでしょうね。安全のため、シアタースペースでの公演予定は原因が判明するまで中止とのことです。怖いですねえ」
「ん、概要は千尋の言った通りだよ。全国にニュース速報で流れたし、今日のところは解散にしましょう。親御さんたちに心配かけてもいけないし、ね」
「ジェットコースターとか乗りたかったなー」
「そもそも映画は二時間かかるから、終わる頃には日が暮れてただろうよ」
「ちぇー」
不満そうに唇を尖らせる日翔をこれこれ、と宥める冴子。冴子は桜庭の叔母と聞いたが、年がある程度近い姉のような気安さがある。
「冴子さん、彼苑くんが戻ってきたら、少し食べ歩きでもしましょうよ。お昼ちゃんと食べてないですし」
「――え?」
優音は桜庭を二度見した。優音の様子に、桜庭がきょとんとする。
「どうしたんですか? 荒崎さん」
「え、いや、度流くんは――」
「彼苑くんなら、具合悪くしていたので、別の係員さんに連れて行かれていたじゃないですか」
「え?」
思わず、「ここにいるよ」とずっと繋いでいた手を引こうとして、繋いでいたはずの手がないことに気づく。
「それとも、迎えに行きます? 冴子さん、スタッフルームに問い合わせ、お願いできますか?」
「任せといて! さっきの係員のスタッフ認証バーコードは押さえてあるから!」
「いや、普通に名前覚えとくだけでいいはずでしょ……」
そんな叔母と姪の愉快な会話が遠く聞こえた。
度流の手を引いて、歩いてきたと思っていた。優音の中に、二つの思いが生まれる。一つは、苦しんでいる度流に気づけなかったという後悔。
二つ目は――では、先程まで度流の手だと思っていたものは、一体――?
to be continued……
おまけ
「避難後の日翔」
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