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メルティ・スウィート・XXX

 

 
 

※本作品は『世界樹の妖精-Brownie of Irminsul-』の「その後」の時間でお送りしております。
『世界樹の妖精-Brownie of Irminsul-』本編のネタバレを多分に含んでいますので先に本編を読むことを強くお勧めします。

 


 

「あー、来月はバレンタインか……」
 視界に映るカレンダーに匠音が低く呟く。
 二一三六年一月。冬の「ルーキー杯」も終わり、さて次はどの大会に出場するかと「キャメロット」の面々と相談していた矢先の話である。
「どうした、『アーサー』? もうバレンタインの心配か?」
 エナジードリンクを両手に「ガウェイン」がロッカールームに入ってくる。
 ここはスポーツハッキングチーム「キャメロット」本拠地のロッカールーム。
 週に何度か、学校の授業が終わってから匠音はここに訪れ、かつて匠海父親と共にスポーツハッキングを行ってきた仲間たちに師事していた。
 かつては和美母親も所属していた「キャメロット」。その頃からはメンバーの入れ替わりもあったが「ガウェイン」や「トリスタン」といった古株のメンバーもそれなりにいる。
 ほい、と「ガウェイン」が匠音にエナジードリンクを手渡す。
「ありがとうございます」
 エナジードリンクを受け取り、匠音が会釈する。
「お前、ここに来たばかりのころに比べたら腕上げたよなあ……ま、俺に比べたらまだまだひよっこだが」
 そんなことを言いながら「ガウェイン」がエナジードリンクを飲む。
「で、バレンタインの心配してんのか?」
 諦めろ、「キャメロット」のプレゼントMVPは毎年「トリスタン」だぞと言う「ガウェイン」に匠音が違う違うと手を振った。
「そんな、ルーキーがプレゼント貰えるなんて思ってませんよ。ただ……」
 口ごもる匠音。
 ははぁ、とガウェインが顎に手を置いた。
「そういやお前、『ルーキー杯』の後に告白したんだっけ? で、どうだったんだよ」
 このー、マセガキー! と肩に腕を回し茶化してくる「ガウェイン」に匠音が真っ赤になって否定する。
「そ、そ、そんなのどうだっていいじゃないですか! メアリーは……その……」
 実際のところ、あの「ルーキー杯」の決勝戦終了後、匠音はメアリーに告白した。
 その結果は……推して知るべしと本人は言っているが、結局のところはっきりとした返事は貰っていない。
 あれはダメだったのかなあ、やっぱり「トリスタン」ガチ恋勢を覆すことはできなかったのかなあ、と匠音は「ルーキー杯」終了後ずっと考えていた。
「おやぁ? ガールフレンドのことそんな風に言っちゃっていいのかなぁ? おじさんが貰っちゃうぞー?」
 いくら冗談でも流石にその台詞はいただけない。
 咄嗟に匠音は指先でコンソールウェポンパレットを開き、ガウェインにSPAMスパムを送り込もうとする。
「はいはい、効かない効かない」
 匠音の目の前でピンと指を弾き、SPAMを無効化する「ガウェイン」を匠音が睨みつけた。
「流石に先輩でもメアリーに手を出したら怒りますよ」
 そう言って睨みつけてくる匠音に「ガウェイン」は「あ、これマジなやつだ」と察知する。
 もちろん、冗談ではあったが悪ノリしすぎた、と反省し、匠音の肩を叩く。
「すまんすまん。だが、中途半端な態度取ってると愛想尽かされるぞ」
「……まるで愛想尽かされたことがあるような」
 ぐさり。
 そんな音が聞こえたような錯覚を「ガウェイン」は覚えた。
 痛い。今のは確実に刺さった。
 「ガウェイン」は過去のことを匠音に話したわけではないが、どうしてこんなに察しがいいんだ、俺は察しのいいガキは嫌いじゃないが流石に傷つくぞと心の中で考える。
「……痛いところついてくるなあ……」
「あ」
 地雷を踏んだ、と匠音が唸る。
 ガウェインの過去は知らないが、あまりにも「経験者は語る」口調に聞こえたため思わず言ってしまったがどうやらそれは事実だったようだ。
「……スポーツハッキングにかまけすぎてさー、嫁に逃げられたんだよー」
「うわぁ……」
 ドン引きする匠音。ていうか「ガウェイン」結婚してたのかよと思いつつも彼の言葉は重く、絶対にメアリーのことは雑に扱わない、と決意する。
「俺のことはいいだろ、で、ガールフレンドはどうなんだ。バレンタインってことは……プレゼント考えてたのか?」
 「ガウェイン」としてもあまり掘り返したくないことだったのだろう。話を戻してくる。
「あー……まぁ、そういうところですね……。初めてプレゼントするから何にしようかなって」
「まぁスポーツハッキングに興味持ってる子なら『ルーキー杯』の賞金でグッズ買ったらそりゃ喜ぶだろうな。っても『アーサー』のグッズはまだ暫く出ないだろうし……。確か『トリスタン』のファンだったっけ? だったらトリスタンの新作グッズでいいだろ」
 なんだかんだと面倒見のいい「ガウェイン」は匠音にとって良き相談相手だった。
 「ガウェイン」もあの匠海の息子ということで特に可愛がってくれる。
 が、「ガウェイン」の提案に匠音は首を横に振った。
「……メアリー、『トリスタン』のグッズ出たら発売日に全部買うから」
「マジか」
「あの限定百本のボールペンも持ってますよ。どうやって小遣い稼いでるんだろ」
 きょうび高校生でもアルバイトなどで収入を得るのは当たり前である。それでもメアリーの「トリスタン」グッズのフルコンプは一体どこから資金が出ているのだと疑いたくなる。
 投資でもしてるのかなあ、などと思いつつも匠音はうーん、と腕を組んだ。
「だからグッズ系は喜ばないと思うんですよね……やっぱりバレンタインだしチョコレートにするか……」
「うーん」
 グッズがだめとなると「ガウェイン」も案が尽きてしまったのか。
 匠音と同じように腕を組み、彼も同じように唸り始めた。

 

「母さん、女子って何貰うと嬉しいと思う?」
 夜、夕食を口に運びながら匠音が和美に訊ねた。
「ぶっ!」
 水を飲みかけていた和美が思わず吹き出す。
「わたしにダイレクトに訊く!?!?
 バレンタインのメアリーちゃんへのプレゼントでしょ!?!? と和美に言われ、匠音は大まじめに頷いた。
「だって全然思いつかないし。母さんも女性なんだから女の子が何貰うと嬉しいかくらいわかるだろ」
「えー……わたしとメアリーちゃんは違うでしょ。わたしが貰って嬉しいもの買ってもメアリーちゃんが喜ぶとは限らないじゃない」
「でも、女子が喜ぶものの参考にはなるよね?」
 食い下がる匠音。
 再び「えー」と声を上げる和美。
「それ、テンプレになって逆に喜ばれないわよ。匠音が真剣に考えて選んだら大抵は喜ぶんじゃないの?」
「それで地雷踏んだらどうするんだよ。ただでさえ、曖昧になってんのに、地雷踏みたくないよ」
 匠音としては絶対に失敗したくないバレンタインのプレゼント。
 メアリーには喜んでもらいたいし好感度は上げておきたい。彼女が欲しかったものをプレゼントして「匠音凄い」くらいは言われたい。
 だからリサーチを頑張っているのに「匠音が真剣に考えて選んだら大抵は喜ぶんじゃないの?」である。それで自滅した友人を見てきたから自分は絶対に失敗したくないのだ。
「うーん、何がいいかなあ……」
 うんうん唸る匠音を、和美が微笑まし気に眺めている。
 匠音も成長したわね、頑張りなさいと思いながらポテトサラダを口に運ぶ。
「……バレンタインだし、チョコレートでもいいじゃない。日本ほどじゃないけど限定のチョコレートとか色々あるわよ」
 メアリーちゃん、よくお菓子作って持ってきてくれるし美味しいチョコレートあげて「君のチョコレート菓子も食べたい」とか言ったら悪い気しないんじゃないかしら、と和美は続けた。
「そうかなあ……」
「少なくともわたしだったらドミンゴの限定チョコレート渡されるとコロッと行っちゃうかも」
 和美がそう言った瞬間、匠音がじとーっとした目で彼女を見た。
「……母さん?」
「ん?」
「母さんにはバレンタインにドミンゴの限定チョコレートあげるから」
「やった♪」
 言ってみるものね、などと和美が呟いているところを見ると彼女は自分が欲しいものを口にして匠音からのプレゼントをねだっていたらしい。
 そういうところだよ、と苦笑しつつも匠音はハンバーグステーキを口に運ぶ。
「『モルガン』には色々助けてもらったから、『シルバークルツ』としてのお礼です」
「うわ、可愛くない」
 そんな子に育てた覚えはないんだけどなあ、和美も苦笑する。
「とにかく、チョコレートは候補に入れてもいいんじゃないかしら。そこにもうちょっと可愛いアクセサリーとか、どう?」
 なるほど、アクセサリーかと匠音は呟いた。
 確かにメアリーは年頃の女の子だしアクセサリーの一つや二つあってもいいかもしれない。
 尤も、そこで何を選ぶかが問題になるが。
「母さん、ありがとう。チョコレートとアクセサリーの線で考えてみるよ」
「ええ、わたしの分もよろしくね」
 はいはいと頷き、匠音は最後に残していたミニトマトを口に入れた。

 

「父さん、いる?」
 食後、「ニヴルング」にログインした匠音は匠海のホームエリアに移動していた。
「どうした匠音。宿題は終わったのか?」
 室内の一角が揺らめき、匠海が姿を現す。
「夕飯前に終わらせたよ。そういう父さんはまた巡回してたの?」
 あのイルミンスールの一件で基幹システム「Oberon」から切り離され、独立した存在となった匠海。
 しかし義体の不具合を監視するブラウニーとしての機能は残っているため常々ネットワークに枝を張り巡らせ、不具合を検知したら応急処置プログラムの送信と管理センターへの通報は行っているらしい。
「まあな。不幸な事故で大切な人を喪うという経験はさせたくない」
 十五年前、事故で和美を独り身にしてしまった、その記録メモリーは匠海のストレージの奥深くに刻み込まれている。
 こんな人間を少しでも減らしたい、その思考パターンはAIとして蘇った自分が学習した結果身に着けたものなのか、「Oberon」を開発した日和の思いから生じたものなのかは分からない。
 それでも匠海はブラウニーとして今でも活動している。
「やっぱ父さんは凄いね。俺も、父さんみたいに強くなりたい」
「ははは、大切な人ひとり幸せにできなかった俺が強いとは言ってくれるな。強くなりたければしっかり勉強して経験しておくことだ」
 知識と経験はあればあるほどいい。それに匠音はまだ子供だ、未来がある。
 様々な経験を積むことで何かあった時にその経験を元に切り抜けられる可能性が高まるというものだ。
 匠海がそう言うと匠音は「難しいなあ」と呟きつつも分かった、と頷いた。
「で、今回は何の用だ? いつもならハッキングのトレーニングしてるだろ」
 匠海の質問に、匠音がああそれ、と頷く。
「父さんにも相談に乗ってもらいたくて」
「何の」
「好きな人にプレゼントするなら何がいいかなって」
 ひゅう、と匠海が口笛を吹く。
「メアリーと初めて過ごすバレンタインってか? 気合入ってんな」
「そりゃそうだよ! 結果はどうであれ、好感度は上げておきたい」
 何人かに相談してるけどいまいち決められなくて、と匠音が説明すると匠海がははぁ、と意味ありげに笑う。
「ジジイには相談したのか?」
「うーん、じいちゃんはふざけて『バロンのお面』とか言いそうだから除外」
「ははは、ジジイなら言いかねんなそれ」
 大真面目に答えた匠音に匠海が笑う。
 ひとしきり笑ってから、匠海は真顔に戻り匠音の肩を叩いた。
「……匠音」
「うん?」
「地雷踏んだな、お前」
 えっ、と声を上げる匠音。
 今の話題に地雷要素なんてあったか? と考える。
 もしかしてじいちゃんにも相談するべきだった? いや、相談したところでろくな結果にならないのは目に見えている。
 それなら、と戸惑いの視線を投げる匠音に、匠海はため息を吐いた。
「……俺、和美にバレンタインのプレゼントできてないんだぞ、当てこすりかよ」
「そっち!?!?
 全く想定していなかった匠海の訴えに匠音が思わず声を上げる。
「今なら通販でプレゼント贈れるよね?」
「……あ」
 匠音に言われて気が付いたのだろう、「そうか、その手があったか」などと呟きだす匠海。
 気付いてなかったんかーい! と匠音は匠海の肩をポンポンと叩いた。
「……父さん、応援してるから」
「……お、おう……。何がいいだろう」
「何が、って……ドミンゴのチョコレートとか?」
 相談する側が相談される側に回ってしまった。
 とりあえず、俺もメアリーのプレゼント相談したいんだけどなあと思いながら匠海が開いたドミンゴの通販ページを一緒に眺める。
「おー、今年の限定はオランジェットか。カリフォルニア名産だし地物フルーツはポイント高いな」
 そんなことを呟き、カートに入れる匠海の決断の速さに匠音は「これがトップランカーの判断力か……」と考えた。
「匠音、お前はどうするんだ?」
「え? 俺? どうしようかな……」
 さっさと選び終え、配送手続きも終えた匠海に声を掛けられ、匠音が唸る。
「メアリー、何をプレゼントしたら喜ぶか分からないんだよなー……。『トリスタン』のグッズはありきたりだしそもそもメアリー全種類買ってるし、うーん」
「『アーサー』グッズは……あー、三月か……。間に合わんな」
「ってか俺のグッズ貰ったところでメアリーも嬉しくないだろ」
 メアリーは今でも「トリスタン」の大ファンである。とはいえ、匠音が「アーサー」としてデビューしてからは少し熱が下がったのか「トリスタン様」ということもなくなり、「アーサー」の次の試合はいつよー、とか訊いてくるようになったが。
 これは俺のファンにもなってくれるのかな、そんな淡い期待を寄せてしまうがそうでなかった場合のショックが大きそうなので過度な期待は持たないでおく。
「メアリーがお前のこと好きなら喜ぶと思うがなあ……。まぁ、間に合わないものを考えても仕方ないだろ」
「うん」
 それはそうだ。「俺のグッズ来月出るからそれまで待って」は流石にバレンタインのプレゼントとしては悪手すぎる。
 話が振出しに戻り、匠音は腕を組んで唸り始めた。
「女の子というものは甘いものと可愛いものが好きなんだよ、チョコレートとアクセサリーでも贈っとけ」
 あまりにも考え込んでしまった匠音に匠海がアドバイスする。
「母さんと同じこと言うんだ」
 夕飯時、和美に言われた言葉を思い出した匠音が思わずぼやいた。
「まぁ、考えることはだいたい同じってことだ。チョコレートはやっぱりドミンゴがお勧めだぞ、あれはうまい」
「まあ、ドミンゴのチョコレートがおいしいのは認めるけど」
 匠音も和美がよく食べているのを見ているし、自分もつまみ食いしているから知っている。
 生粋のアメリカ人である匠音は実感が湧いていないが、元日本人である和美はチョコレートの味にはうるさく、「アメリカのチョコレートっていまいち口に合わないのよね」とよく呟いていた。
 そんな彼女が好んで食べるのがドミンゴのチョコレート。彼女にとって一番日本人受けする味らしく、チョコレートを買うなら必ずドミンゴと決めているくらいに徹底している。
 和美も匠海も同じことを言うのなら確実なのだろう。
 そう思った匠音は二人の言う通りチョコレートとアクセサリーを贈ることにした。
「でも、俺、アクセサリーなんてよく分からないしな……」
 どんなのが喜ばれるんだろう、やっぱりペンダントとか? と呟き始めた匠音の肩を匠海が叩く。
「匠音、バレンタインで女の子を一撃ノックアウトするアクセサリー教えてやろうか?」
「え、そんなのあるの!?!?
 食いついた匠音に匠海が片目を瞑って応じる。
「メアリーはお前のこと嫌ってないんだろ?」
「う、うん……多分……好きでいてくれる、と思う……」
 そう答える匠音の顔が赤い。
 ちょっと自意識過剰だったかな、と思うものの普段のメアリーの態度を考えると自分に好意を持っているはず、と自分に言い聞かせ、頷くと。
「だったら指輪にしろ」
「指輪ぁ!?!?
 匠音が素っ頓狂な声を上げる。
 指輪? あの、指に付ける、指輪? としどろもどろに尋ねる匠音に匠海が「他にどんな指輪があるんだよ」と笑う。
「勿論、石の付いたやつじゃなくてもっとカジュアルな、普段使いできるやつな。左手の薬指狙いじゃないぞ?」
「え? あ、そ、そう……」
 匠音の声のトーンが落ち着いてくる。
 「指輪」と聞かされた瞬間、匠音の脳裏に浮かんだのはどうやら和美が左手の薬指に付けているような特別なもの、だったらしい。
 カジュアルで普段使いできるようなもの、なるほど、と匠音が納得する。
「確かに、カジュアルな指輪なら普段使いできるし左手の薬指じゃなくてもちょっと特別感はあるか……」
「そういうことだ。俺は、指輪をお勧めするな」
 匠海に背を押され、匠音がうん、と頷く。
「分かった、父さん、ありがとう。ドミンゴのチョコレートと指輪にするよ」
「チョコレートのお勧めは……お前くらいの歳ならこのメルティ・ハートボックスにしとけ。値段も手ごろだし多分女の子受けする」
 再びドミンゴの通販ページを開き、匠海が適当なチョコレートボックスを見繕って匠音に転送する。
「父さん、慣れてるね」
 若いころはそうやっていろんな女の子を口説いてたりしたの? と言う匠音。
 匠海がまさか、と答える。
「俺は和美一筋だよ。まぁ、和美と付き合ってからドミンゴのチョコレートは色々研究したしな」
 そんな惚気話が飛び出すが匠音は「ふーん」と受け流す。
「とにかく、これにするよ。指輪は……自分で考える」
「そうだな、それくらいは自分で考えろ。考えるのも楽しみの一つだからな」
 匠海の言葉に匠音が頷く。
「ありがとう、父さん。それじゃ、また来るよ」
 思い立ったら即行動、と、匠音は一人で指輪の選定を行うらしい。
 匠海もにこやかに送り出し、匠音がログアウトをするのを見てふっと笑う。
「……まぁ、詰めが甘いのは遺伝しているだろうしな……。しくじるなよ、匠音」
 そんな意味深な呟きが、匠海のホームエリアに流れて行った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 バレンタインデー当日。
 クラスメイトにバレンタインのパーティーに誘われてはいたがそれを断った匠音とメアリーは匠音の部屋で普段と変わりなく過ごしていた。
 特に理由がなければパーティに行くはずの二人。だが行かなかったのにはちゃんと理由がある。
 ほんの少し、距離が近づいた二人、バレンタインの甘いひと時くらい二人っきりで過ごしたい。メアリーも断ってくれた以上、同じ想いのはずだ。
「匠音、クッキー焼いてきた」
 そう言いながらメアリーがクッキーを入れた缶を匠音に差し出す。
「お、メアリーありがと!」
 ほんの少し、緊張の面持ちで缶を受け取った匠音が蓋を開ける。
「わ、チョコチップクッキー!」
 普段、メアリーが作るクッキーはプレーンなものが多い。
 だが、今回彼女はチョコチップをふんだんに使ったチョコチップクッキーを持ってきていた。
「ほ、ほら、一応バレンタインだし」
 真っ赤になったメアリーがもじもじしながら言い訳する。
 可愛いなあ、これで「トリスタン」ガチ恋勢じゃなければもっとかわいいのになどと思いながら匠音がクッキーを頬張る。
 実際のところ、メアリーの「トリスタン」への熱の上がり方は以前よりかなり下がってはいるがそれでもTVでトリスタンが出てこようものなら黄色い声が上がる。
 匠音としては少々嫉妬心が芽生えるもの、もう少し俺も見てほしいなあ、と思ってしまう。
 クッキーはいつものさくっとした甘さの中にチョコレートのほろ苦さが混ざり、ほんの少し特別な感情が沸き起こる。
 このクッキーを食べられるのは俺だけ、誰にも渡さないという独占欲。
 このままメアリーも自分のものにしてしまいたいなあ、などと思いつつ、匠音は小さく咳払いした。
「……あ、あのさメアリー」
「どうしたの? 匠音」
 急に改まった様子の匠音に、メアリーが首をかしげる。
 匠音がごそごそと枕の下から二つの箱を取り出す。
「あ、あの、メアリー……これ……ハッピーバレンタイン」
 ラッピングされた二つの箱。
 メアリーが一瞬呆気にとられ、それから嬉しそうに笑う。
「なんだ匠音、プレゼント用意してくれてたんだ。いつも通りだったから、忘れてるんじゃないかって思ってた」
 箱を受け取り、メアリーはもう一度にっこりと笑った。
「ありがと、匠音。開けていい?」
「……う、うん」
 どぎまぎしながら匠音が頷く。
 これはメアリーの笑顔にどぎまぎしているのか、それとも彼女がプレゼントを喜んでくれるかどうか、という緊張なのか。
 箱のリボンを解くメアリーを緊張の眼差しで眺める。
「あ、チョコレート! しかもドミンゴのじゃない!」
 先にチョコレートの箱を開けたメアリーが歓声を上げる。
「バレンタイン限定のメルティ・ハートボックス! 匠音、分かってるねー?」
 きゃー、この箱可愛い! と歓声を上げるメアリーに匠音の心臓がさらに高鳴っていく。
 本命はもう一つの箱。匠海のアドバイスに従って買った指輪。
 気に入ってくれなかったらどうしよう、そんなことを考えているうちにメアリーはチョコレートを一粒口に放り込み、指輪の箱を開ける。
 ごくり、と匠音がつばを飲み込む。
 箱を開けたメアリーがそのままの姿勢で硬直する。
「……匠音?」
 数秒の沈黙の後、メアリーがぎこちない動きで匠音を見て名前を呼んだ。
「は、はいっ!」
 完全に固まっていた匠音が姿勢を正す。
 やばい、これは地雷を踏んだか、そんな思いが胸を過る。
 だが。
「え、匠音あたしがこの指輪欲しいって思ってたの知ってたの!?!?
 メアリーの言葉は匠音の「最悪の」想像の真逆のものだった。
「え、え、あの、その……」
 しどろもどろになり、匠音が言葉に詰まる。
 匠音が選んだ指輪。
 それは猫の前足を模したもので、指に付けると猫が抱き着いているように見えるデザインだった。
 「ニヴルング」でのアバターが猫頭のものだったり、アパートメントがペット禁止でなければ猫を飼いたかったと常日頃言っていたメアリー。彼女の部屋は「トリスタン」グッズ以外に猫グッズも数多く置かれていることから、匠音は彼女に猫モチーフの指輪をプレゼントしようと考えた。
 その結果が、予想を大きく上回った好反応。
「あの、その、メアリー、猫好きだからさ……」
「匠音、ありがとう!」
 メアリーが匠音に抱き着く。
 彼女に腕を回し、匠音は照れ臭そうに笑った。
「喜んでくれて、嬉しいよ」
 抱擁の後、メアリーが箱から指輪を取り出す。
「付けてもいい?」
「もちろん」
 メアリーの指にこの指輪が嵌ったらどう見えるんだろう、そんなことを思いながら匠音が頷く。
 メアリーがわくわくとした様子で指輪を左手の人差し指に差し込む。
「……あれ?」
 メアリーの不思議そうな声。
 何が起こった、と匠音がメアリーの手を覗き込む。
「……サイズ、合わないみたい」
「えぇ!?!?
 匠音とて指輪にサイズがあることくらい分かっている。とはいえ、メアリーの指のサイズが分からなかったため「これくらいだろう」と思って購入したのだが、まさかサイズが合わないとは。
「ごめん、メアリー! サイズ交換、してもらうから!」
 とんでもないところで詰めを誤った、と匠音がメアリーに両手を合わせる。
 しかし、メアリーはにっこりと笑って人差し指から指輪を抜き、薬指に嵌めた。
「大丈夫よ、匠音。こっちならぴったり」
「え――」
 メアリーの左手の薬指に嵌められた猫の指輪。
 彼女の言う通り、最初からちゃんと測って購入したかのようにぴったりと収まっている。
「それとも匠音、もしかしてこっちのつもりだった?」
「いや、そ、それは――」
 いくらメアリーが大切な人であったとしても、左手の薬指に指輪を贈れるほど匠音は成長していないし責任を持つこともできない。
 本当に、人差し指に付けてもらうつもりで買った指輪が、まさか薬指にジャストフィットしてしまうとは。
 メアリーも分かっていた。
 匠音がこの歳で「結婚しよう」と言うほど無責任な人間ではないということを。
 指輪が薬指にジャストフィットしてしまったのはただの偶然だ。しかし、それでも何故か嬉しい。
 匠音の想いが、これからの希望が、伝わってくるから。
「匠音、」
 メアリーが匠音に顔を寄せる。
 近い、と言うこともできずに匠音がぎゅっと目を閉じる。
 唇に一瞬だけふに、とした感触が当たり、すぐに離れる。
「……メアリー……?」
 かすれた声で匠音がメアリーを呼んだ。
「ありがと、匠音」
 ほんのわずかに上気した頬になり、メアリーが笑う。
「匠音、知ってる? この指輪ね、暫く付けてると、ほら」
 メアリーがそう言って指輪を外し、指を匠音に見せる。
 彼女の左手の薬指に、小さな肉球のスタンプが二つ、ついている。
「こうなるから、この指輪欲しかったんだ」
 再び指輪を嵌めるメアリー。
「本当にありがとう、匠音」
「……う、うん」
 本当はメアリーが見せた肉球のスタンプは匠音の目には入っていなかった。
 ほんの一瞬の出来事に全ての思考が吹き飛び、現実に戻って来れていない。
 ――もしかして、今の、答えと思って、いいのかな……?
「あ、もうこんな時間。お母さんマミーが今日はごちそう作ってくれるって言ってたから!」
 立ち上がり、メアリーが二つの箱を手に取る。
「匠音、また後でね!」
「う、うん」
「あ! 来月発売の『アーサー』グッズ、サイン付けてプレゼントしてくれると嬉しいかも!」
 バタバタとメアリーが匠音の部屋を出ていく。
「……メアリー……」
 自分の唇に触れ、匠音が呆然としたまま呟く。
「……俺、大きくなったら、メアリーのこと絶対に幸せにするから」
 今はまだ、何の力もないけれど。
 もっと成長して、一人の大人として認められたら、その時は。
 ――もっと自信を持てよ、匠音。
 何故か「ニヴルング」でにやけている匠海の顔が見えたような気がして、匠音はベッドに倒れ込み、枕に頭をうずめた。
「メアリーとキスしちゃったよーーーー!!!!」
 初めてのキスは触れるだけであったとしても甘く、蕩けるチョコの味。

 

――メルティ・スウィート・キッス

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おまけ

 


 

この作品を読んだみなさんにお勧めの作品

 AWsの世界の物語は全て様々な分岐によって分かれた別世界か、全く同じ世界、つまり薄く繋がっています。
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  Dead-End Abduction
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 そして、これ以外にもこの作品と繋がりを持つ作品はあります。
 是非あなたの手で、AWsの世界を旅してみてください。

 


 

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