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世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第4章

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  第4章 「『黒き魔女モルガン』握りし精霊の剣」

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
 ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの永瀬ながせ 匠音しおんは駆け出しのホワイトハッカーとして巨大仮想空間メタバースSNS「ニヴルング」で密かに活動していた。
 通学途中で聞いた都市伝説、義体の不具合時に現れるという小人妖精ブラウニーを目の当たりにしたり、ホワイトハッカーとして校内のトラブルを解決していた匠音はある日、幼馴染のメアリーの「ニヴルング」での買い物に付き合っていた際、怪しげな動きをするアバターを発見通報する。
 その際に起動された爆弾から彼を救い、叱咤する謎のハッカー。
 弟子入りしたいという匠音の要望を拒絶しつつもトレーニングアプリを送り付ける魔法使い。
 それを起動した匠音はランキング一位にかつてスポーツハッカーだった和美母親のスクリーンネームを見つけ、このランキングを塗り替えるとともに謎のハッカーと再会することを誓う。
 そんな折、メアリーが「ユグドラシル」エリアでチーム「キャメロット」の握手会に行くことになるがメアリーがトラブルに巻き込まれ、それを助けるためにハッキングを行った匠音が拘束される。
 メアリーの機転でトリスタンが現れ、厳重注意だけで済んだ匠音。
 和美にハッキングを辞めるよう言われるものの辞められず、彼女のオーグギアからハッキングツールをくすねようとするがセキュリティが固くて断念、代わりに匠海のオーグギアに接続する。
 接続した瞬間、再生される匠海のビデオメッセージ。
 初めて聞く匠海父親の声と、託された固有ツールユニーク、「エクスカリバー」を手にし、匠音は和美を守ると誓う。

 

匠音しおん、昨日お父さんのオーグギア触った?」
 朝起きて、匠音が昨日の夕飯の残りを冷蔵庫から取り出していると突然和美かずみにそう問いかけられた。
「え? あ、ああ、まぁ……」
 歯切れ悪く匠音が頷き、唐揚げの入った皿を温める。
 これは勝手に接続したのバレたか、怒られるかなと少々びくつきながらも匠音は電子レンジの中で温められる唐揚げを眺める。
 ところが、和美は、
「……そう」
 そう反応しただけで、その言葉に特に怒りの感情も含まれていなかった。
 それに一瞬呆気にとられるものの、それでも怒られなかったならまあいいかと匠音は一度電子レンジから離れてカトラリーを取りに行く。
「お父さんに何か言われたの?」
 匠音の背中に唐突に投げられるその質問。
 えっと匠音が振り返るが、和美は本当に怒っていない。
「……うん。『母さんをよろしく』って」
「……そっか……」
 匠音の返答に、和美はほんの一瞬、笑みを浮かべたようだった。
「匠音も匠海お父さんのメッセージ受け取ったのね」
「……怒らないの?」
 恐る恐る、匠音が訊ねる。
 どうして? と和美が首を傾げた。
「匠音がお父さんのことに興味持ってくれたならそれだけで嬉しいの。別にどうしてとか何を言われたとか聞かないわよ」
 和美としては匠音が匠海たくみのことに興味を持ったのが純粋に嬉しかった。
 そもそも匠海は匠音が生まれる前に死んでいる、匠音からすればいくら血がつながっていても知らない人という位置づけである。
 だからここ墓参りにはほぼ行っていないしどんな人物だったか訊かれることもなかった。
 和美からも匠海のことを語ることはほとんどなく、それが余計に匠海と匠音に距離を作ってしまっていたが。
 どのような理由があったとしても、匠音は匠海に興味を持った。
 もしかしたら良からぬ理由はあったかもしれないが匠音は匠海のオーグギアに接続し、ビデオメッセージを受け取った。
 だから、次の匠音の言葉を待っていたのかもしれない。
「……父さんって、どんな人だったの」
 和美からすれば待ち望んでいた匠音の言葉。
 自分から押し付けるのではなく、匠音が望んで初めて語ることができると思った匠海の話。
 そうね、と和美は呟いた。
 しかし。
「……でもごめん、今、お父さんのこと話す気分じゃないの」
「えっ」
 思いもよらなかった和美の言葉。
 普段の彼女なら、押し付けはしまいと思いつつも何かしら語ろうとしてすぐに黙っていたのである。匠音が聞けば喜んで語ってくれると思ったのだが。
 疑問に思いながらも匠音が和美を見ると、彼女はあまり眠れていなかったのか少々辛そうな雰囲気があった。目の下にうっすらとくまが浮いているようにも見える。
「ごめんね匠音。今は、ちょっと話せない」
「……そっか」
 深く追求することなく、匠音は引き下がった。
 今日は土曜日、授業も午前中だけあったがそれをサボってでも聞きたい話ではあった。
 しかし、和美が「話せない」と言うなら無理に聞くわけにもいかない。
 眠れないほど仕事で大きなミスをしたのか、と思っていると。
 そのタイミングで電子レンジがアラームを鳴らす。
 中から皿を取り出し、匠音がテーブルに着いた。
 その時点で空腹も最高点に達していたため、昨日の夜食べ損ねた唐揚げをむさぼる。
「やっぱ母さんのから揚げおいしい」
「そう、よかった」
 ほんの少しだけ、和美がホッとしたような顔をする。
 もぐもぐと唐揚げを頬張る匠音を眺めながら、和美も手早く朝食を済ませる。
「授業、ちゃんと受けるのよ」
「うん」
 和美の言葉に匠音も頷く。
 残りのから揚げを口に運び、匠音は皿をもって立ち上がった。
「……あ、母さん。これだけは聞いてもいい?」
 シンクに皿を運びながら匠音が和美に尋ねる。
「何?」
「母さんって、若い頃、結構ヤンチャした?」
「う……」
 痛い所を突かれたのか、和美が言葉に詰まる。
「ま、まぁそれは、色々と……」
 和美の言いにくそうなその言葉に、匠音はなるほどと納得する。
 どうやら自分の母親は自分が思っていたほど真面目な人間ではなかったらしい。
 昨夜聞いたビデオメッセージの「狙われているのは和美だ」という言葉に妙に納得してしまい、匠音は「それで父さん死なせてたら自分を責めるくらいするよな」と内心呟いた。
 和美は未だに匠海の死を悔やんでいるところがある。
 思っていた以上に根は深そうだと思ったが、匠音はそれ以上の追求はしないことにした。
「うん、それだけ聞ければいいよ。じゃあ、お昼ご飯楽しみにしてるから」
 そう言って匠音はテーブルに移動、机の上にあったドミンゴのチョコレートを一掴み手に取る。
「あ! だからそれわたしの!」
「授業のおやつにいただきー!」
 和美からチョコレートをせしめた匠音が意気揚々と部屋に戻――
 れた。
「……え?」
 いつもなら、匠音が和美の食べ物を強奪すればお仕置きとしてSPAMスパムが飛んでくる。
 それを分かっていても食欲には抗えず毎度SPAMを喰らっていたが、和美がそうしてこないところを見ると余程の事態なのか。
 部屋の椅子に座って、いつまで待っても、SPAMが飛んでくることはなかった。
「……母さん?」
 思わず椅子から立ち上がり、部屋のドアを開けてダイニングにいる和美を見る。
 ぼんやりとした様子の和美に、「これはやばい」と判断する。
 しかし、匠音には和美の身に今起きている事態を知る方法はなく、そして解決する方法もない。
 そっとドアを閉じ、匠音は小さくため息を吐いた。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 授業を聞きながら、匠音がこっそりチャットウィンドウを開く。
 チャットの相手はメアリー。
《匠音、どうしたの?》
 普段なら授業中に匠音からチャットを開くことはない。
 一応は「真面目な生徒」で通っている匠音が自分からチャットを開いてきたため、メアリーは不思議そうな顔をして隣の席の匠音を見た。
『メアリー、スポーツハッキングの色々に詳しいからさ、ちょっと聞いておきたくて』
《どうしたの、やっとお母さん説得できたの?》
 スポーツハッキングするの? おすすめのトレーニングアプリ教えようか? と聞いてくるメアリーに、匠音は「違う」と返答した。
『母さんは多分折れないだろうな。じゃなくて、調べて欲しい選手がいるんだ』
《へえ、ルキウス以外に気になる選手……もしかしてトリスタン様? いいよ、トリスタン様のことなら調べるまでもないわ、なんでも聞いて!》
 ――やっぱりそっちに食いついた。
 違ぇよ、と返答し、匠音は一つの名前を送信した。
『調べて欲しいのはアーサー。昔の選手だと思うけどメアリーなら分かるかなって』
《アーサー? 『キャメロット』の?》
 やはりメアリーは知っていたか。
 うん、その人と返事をしつつ匠音は文面を入力する。
『ちょっと聞いたことがあって、どんな人だったかなって。あと固有ツールユニークも分かると助かる』
 送信し、ちら、とメアリーを見ると彼女は面白そうなものを見つけたかのようにニヤニヤしている。
《オッケー、でも現役の人じゃないからあたしもそこまで詳しくないし少し時間ちょうだい。でもデータベースDBには記録あるだろうし、見てみるね》
『ありがとう、恩に着る』
 思いの外あっさりと快諾してくれたメアリーに感謝しながら匠音はさらに続ける。
『今度リトルパフェの限定パフェをリアルで食べに行こう。母さんから許可もらった』
 先日メアリーと試食したリトルパフェの限定パフェはとにかく美味しかった。
 基本的にジャンキーなものを好む匠音からすれば珍しいことで、和美も「メアリーちゃんと一緒なら」と快諾してくれている。
 そんなリトルパフェの限定パフェを食べに行こうと誘われて断るメアリーではなかった。
《あの限定パフェ?!?! オッケー、頑張って調べるから!》
『頼んだ』
 そのやり取りでチャットを終了し、匠音はもう一度メアリーを見た。
 限定パフェに釣られたメアリーが匠音にウィンクしてみせる。
 自分だけに向けられたそのウィンクにどきりとしつつも、匠音は慌てて首を振って授業に集中し始めた。

 

 午前中の授業が終わり、匠音は同じく午前中の仕事を終わらせた和美と向かい合って昼食を摂っていた。
 普段とあまり変わらないサンドイッチとトマトやブルーベリーといったシンプルな昼食ランチ
 サンドイッチを食べながら、匠音はもう一度匠海のことを聞いてみようかと考えた。
 しかし、和美は朝と変わらずやや焦燥したような面持ちでブルーベリーを摘んでは口に運んでいる。
「何かあったの?」
 思わず、匠音がそう問いかける。
 声をかけられるとは思っていなかったのか、和美が一瞬びくりとして、それから「そうね」と小さく頷く。
「ちょっと知り合いが大変なことになってるらしくって。わたしも力を貸したいんだけど、どこから力を貸せばいいか、どうすればいいか全然分からなくて」
 そっか、と匠音は呟いてサンドイッチを牛乳で流し込む。
「無理するなよ」
 和美が何やら大変なことは分かった。仕事の知り合いがドジでも踏んだのだろうか、リカバリーも大変って聞くしなとのんきに思いつつ匠音はブルーベリーを数粒口に放り込み、それから席を立った。
「母さん、俺、メアリーの家に行くから」
 本当は匠海のことをじっくりと聞きたかった。
 しかし、朝の和美の様子を考えると恐らく今も話す気力はないだろう。
 父さんのことを聞くのはお預けか、と思いつつも匠海=アーサーということは分かっている。メアリーがある程度調べてくれるだろう。
 そう思いながら、匠音は和美が食欲なさそうな様子を見せていることを確認し、さらに残っているサンドイッチを強奪した。
「あ!」
「隙あり!」
 サンドイッチにかじりつき、匠音は自分の部屋に足を向ける。
 しかし、覚悟していた和美からのSPAMはやはり飛んでこなかった。
「……母さん……?」
 二度に渡って、SPAMが飛んでこない。やはり余程の事態なのか。
「……大丈夫?」
 サンドイッチを食べる手は止めず、匠音が和美に声をかける。
「……え? ええ、大丈夫」
 もう、いつまでもつまみ食いしないでよと続けながら和美は匠音を見た。
「メアリーちゃんのところに行くの? 今日はリトルパフェに行かないんだ」
「今日誘ったばかりだからさ、予定が合えば行くかも」
 そう、と和美が小さく頷いた。
 それから小さく指を振り、視界に映り込んだウィンドウを操作する。
 すっ、と和美が匠音に向けて指をスワイプすると、彼のウォレットアプリが開き、いくらかの入金が行われる。
「メアリーちゃんに奢ってあげなさい。それくらいは出してあげる」
「あ、ありがとう」
 そう言って、匠音は一度自室に戻り上着を手にする。
 それからバスルームに移動し、鏡の中の自分を見る。
 ――よし。
 何が「よし」なのかは分からないが、それでも顔は汚れていない、髪型も乱れていない、と確認してほっとした匠音は玄関に向かった。
「じゃ、行ってくる」
 出かけるといってもメアリーの家は隣である。
 もし、リトルパフェに行くとなれば少し歩くことにはなるがそれでも日本人街リトル・トーキョーは行き慣れた場所だしそこまで治安の悪い場所でもない。
 アパートメントの廊下に出て隣の扉の前に立ち、匠音はインターホンを鳴らした。
 ほんの少しの沈黙の後、メアリーの母親が出迎えてくれる。
 軽く挨拶すると、彼女は快く匠音をメアリーの部屋に案内した。
「あ、匠音いらっしゃい!」
 ベッドの上であぐらをかいてオーグギアを操作していたメアリーが匠音の姿を認めて嬉しそうに声を上げる。
「ちょうどよかった! 今DB調べてたとこ」
 ぴょん、とベッドから降り、メアリーが匠音の手を掴んで部屋に招き入れる。
 座って、と自分のデスクの椅子を指さし、彼女は再びベッドに座った。
「……で、何か分かったのか?」
 メアリーに掴まれた手を思わずさすりながら匠音がやや上ずった声で尋ねる。
 他の女子には特に何の感情も湧かないが、メアリーを前にした時だけはどうしてもドキリとしてしまう。
 妙に意識してしまっている、という意識はあったがそれは一体なぜなのか。
 一瞬、「まさか」という思いが胸をよぎるが匠音は心の中で全力で首を振った。
 ――いやいやいやいや俺がメアリーになんてそんなことあるわけないし!
 第一メアリーはトリスタンガチ恋勢である。そんなメアリーになど無駄の極みでしかない。
 匠音がそんなことを考えているともつゆ知らず、メアリーはウィンドウを開いて匠音に共有した。
 匠音の目の前に一人のスポーツハッカーのプロフィールが表示される。
 そこに添付された写真を見て、匠音は言葉を飲み込んだ。
「っ――!」
 匠音が食い入るようにプロフィールを見る。
 メアリーが利用したデータベースはスポーツハッキング専門誌「スポーツハック・マニアクス」の歴代選手名鑑。
 各選手の顔写真、アバター、よく使うツールなどが詳しく紹介されたそのページに匠音はここまで網羅されているのか、と驚いていた。
 その名鑑の「アーサー」は数人登録されているが、メアリーは的確に匠音が探していた「アーサー」のページを探し当てていた。
 そのページに表示されている写真は紛れもなくあのビデオメッセージで見た匠海のもの。活躍年代も事故のあった十五年前となっている。
「びっくりしたわよ。匠音のお父さんじゃないの?」
 だって、そっくりだしと続けるメアリーの言葉が頭に入ってこない。
 プロフィールには通り名スクリーンネームの記載はあっても本名の記載はない。
 メアリーほどのマニアオタクなら本名を調べるくらいはたやすいことだったりする。
 あのトリスタンの本名ですら既に把握しているというメアリーならと思う。
「なあ、本名調べられるか?」
「そう言うと思って今調べてる。ただ、十五年前のデータだから残ってるかなあ……」
 メアリーの言葉にさすが、と言いつつも匠音は匠海のプロフィールを凝視した。
 使用ツールは知らないものも多かったがそのいくつかは昨日匠海のオーグギアからダウンロードしている。
 そして、固有ツールユニークの欄に書かれたツールの名前に「やっぱり」と呟く。
 「勝利呼び覚ます精霊の剣エクスカリバー」、確かに昨日託されたあのツールがそこに記載されている。
「な、なあメアリー……」
 匠音がかすれた声でメアリーに声をかける。
「ん?」
「この、エクスカリバーがどんなツールだったかも調べられるか?」
 匠海はあのビデオメッセージでエクスカリバーがどんな性能を持っているかは言っていない。「自分で真価を見つけろ」と言っていた。
 それに関しては実際に使って見ないと分からないだろうが、どんなものだったかを調べるくらいは別に怒られないだろう。
 いいよ、とメアリーが頷き、それから匠音にもう一枚のウィンドウをスワイプして転送する。
「はい、見つけたわよ。タクミ・ナガセ、やっぱり匠音のお父さんじゃない?」
 早いな、と匠音は新しく転送されてきたウィンドウに目を通した。
 そのサイトは「スポーツハック・マニアクス」とはまた違う切り口で各選手のプロフィールを網羅しているようだった。
 各試合での結果の詳細や使用ツールの傾向、果ては固有ツールユニークの性能まで詳細に書かれていて、どちらかというと選手が対戦相手を調べて対策を練るために作られたサイトのように思える。
「ここ、表のネットワークにはない情報なのよね。『ディープウェブ第二層』の割と表層にあるちょーっと怪しいサイトなんだけど入り方さえ分かってたら誰でも入れるページだからあたしみたいなマニアご用達なのよね」
「へ、へぇ」
 あのメアリーが「第二層」に踏み込んでいる時点で充分驚きだが、このサイトの詳細情報は思っていたよりかなり細かい。
 選手の本名まで網羅しているとはいったいこのサイトの持ち主は一体何者だと思いつつも匠音は「アーサー」のプロフィールを眺める。
 確かに、そこに記載されている本名は匠海のものだった。
 使用ツールも「スポーツハック・マニアクス」の選手名鑑より細かく記載されており、ただただ感心する。
 大会参加歴を見ると初めての大会参加が二一二〇年一月、同年九月の大会参加を最後に足取りが途絶えている。
「匠音、アーサーってすごいのよ。これ見てると一月のルーキー杯で優勝してから負けなし、最後に出た九月の大会はNileナイルチャンピオンズトーナメント、これって一月にデビューしたばかりのルーキーが出られるような大会じゃないの。チーム戦だけどチーム内でもトップクラスのエキスパートじゃないと足を引っ張るし、そもそもこの大会、『キャメロット』は優勝してる」
 一人でも足を引っ張れば絶対に勝てない大会なの、と続けながらメアリーは匠音に「見て」と備考欄を指さす。
「『同年九月二十一日に事故に遭い、その二日後に死亡報道』ってあるの。昨日……だよね……?」
 匠音のお父さんの命日って、っとメアリーが言いづらそうに言い、匠音が小さく頷く。
「……『キャメロット』としては、とんでもない損失だったと思う。その後しばらく『キャメロット』はちょっと成績が振るわなかったのよね」
 そして、今のところ「キャメロット」にアーサーは存在しないの、とメアリーは続けた。
「どういうこと、匠音のお父さん、スポーツハッカーだったのに匠音にはスポーツハッキング禁止って」
「……多分、父さんが事故に遭ったからだと思う」
 昨日聞いたビデオメッセージを思い出し、匠音が呟く。
「母さん、当時何かのトラブルに巻き込まれてたっぽいんだ。父さんはそれに気づいて、よく分からないけど事故に遭ったらしい」
 そんなことを言いながら、匠音は匠海のプロフィールの固有ツールユニーク欄を見た。
 そこに記されているのはやはりエクスカリバー。
 その性能は――
「……『不明』……?」
 どういうこと、と匠音は声を上げた。
 メアリーも匠音の疑問にそうなの、と答える。
「ここ、分からないことはないってレベルで詳しく書いてるのに『不明』は珍しいのよ。今ちょっと過去のインタビューとか見てるけどほんと全然。ただ、ツールのジャンルとしては『破壊型』ってのは言われてる」
 メアリーの言葉に「破壊型?」と繰り返す匠音。
「『破壊型』って言うのはそのツールにどんな効果があるかっていうジャンル分けの一つなんだけど破壊系は文字通りデータを破壊するタイプのものなの。例えば、セキュリティbotが目の前に現れた時その動きとめるのが『拘束型』、ターゲットを誤認させるのが『欺瞞型』って言う感じ。『破壊型』はそうね……文字通りそのbotを破壊して動作不能にするものと思っていいと思う」
 いやそれは分かってる、そういうことを聞きたかったんじゃないとぼやく匠音。
 とはいえ、確かにエクスカリバーは剣の形状をしたツール、破壊型と言われても納得できる。
 しかし、メアリーは怪訝そうな声で続ける。
「でも、破壊型って言われてるんだけどよく分からないのよね。対戦相手によっては『飛ばしたbotが斬られたと思ったらこっちを攻撃してきた』とか『壁が出てきて攻撃を阻まれた』とか言ってることがバラバラなの。普通、ツールに複数の、何のつながりもない機能が実装されてると思えないしアーサーって同じ形状でいくつもツール作ってたのかな」
「どうだろ。そんな、固有ツールユニークっていくつも作れるものなのか?」
 匠音は固有ツールユニークが「腕の立つ魔術師マジシャンが自分専用に作り出す固有のツール」という事は理解している。あのルキウスの「凍て付く皇帝の剣フロレント」もその一つだ。
 しかし、匠音にとっては「自分専用のツールを作る」ということがそもそも想像すらできない内容である。
 魔術師が無数にあるツールを組み合わせてハッキングを行うということは分かっている。ただ、そのツールの組み合わせも一時的なもので「ツールを合成して新たなツールを生み出す」ということ自体が全くイメージのできない行為であった。
「分からない。基本的に固有ツールユニークは一人一つと言われてるけどそんなの勝手に言ってる話だし実際は分からない。もしかして、いっぱい作ってて相手に合わせて使ってたのかな」
 実際はどうなのかは分からない。しかし、これであのエクスカリバーの性能が少しは理解できるかと考えていただけに匠音は沈黙せざるを得なかった。
「どうしたの?」
 黙りこくった匠音に、メアリーが不思議そうに声をかける。
「……その父さんですらランキング二位なんだよな……」
「え?」
 匠音の言葉に、メアリーが驚きを隠せずに声を上げる。
「悪い、もう一人調べてほしい。『マーリン』、多分同じ『キャメロット』にいたと思う」
 思わず、匠音はメアリーにそう頼んでいた。
 メアリーが一瞬、呆気にとられるもののすぐににやりと笑って頷く。
「任せて! まるっと調べてあげるわよ!」
 そう言い、メアリーは視界のスクリーンに指を走らせた。

 

「……」
「……」
 沈黙が、室内を満たしている。
「……ヤバいわね」
 ぽつり、とメアリーが呟く。
 うん、と匠音も小さく頷いた。
 あの後、メアリーはマーリンのプロフィールを洗い出し、マーリンが和美であることに驚きの声を上げていた。
 匠音としてはマーリン=和美は既に知っていたのでそこまで驚くことではなかったが、それでも彼女の実力が思っていた以上に高かったことにショックを受けている。
 念のため、と古いアーカイブでマーリンが出場した試合も閲覧したが、あまりの実力に「そりゃハッキングできないよ」と納得する。
 『アーサー王伝説』であのアーサーを導いたとされる魔術師マーリン。
 その物語に違わず匠海アーサーを導いた和美マーリン
 恐らくはあの事故が原因での和美の引退、それでもここまでの実力者があっさりと引退してしまったという事実にショックは隠せない。
 本当に、どうして、と考えてしまう。
 目の前のマーリンのプロフィールに、匠音は「どうして」と呟いた。
「匠音のお母さんもプロプレイヤーだったなんて。でもどうして引退しちゃったんだろ」
 メアリーも不思議そうに呟く。
「……父さんの事故が原因だとは思う。だけど俺がハッキングするのまで禁止するって分からない」
 匠音の言葉に、メアリーも「そうよね」と頷く。
「でも、逆に考えるとハッキングで何かあったから匠音のハッキングを禁止してるってのもあるんじゃない?」
 なるほど、と匠音が頷く。
 確かに、ハッキングで何かしらのトラブルがあったから、それが原因で匠海が事故に遭ったと和美が認識しているのなら。匠音がトラブルに巻き込まれないようにハッキングを禁じたというのもない話ではない。
 匠海の事故がどのようなものだったかは分からない。
 今朝、聞いてみようと思ったが和美は「話せる気分じゃない」と拒絶した。
 せっかく匠海に近づけるチャンスだと思ったのに、それが伸びてしまったようで。
 いつか、聞くことができるのだろうかと思いながら匠音はウィンドウを閉じた。
「ありがとうメアリー、色々分かった」
 そう言って、匠音は立ち上がった。
「どうする? 時間あるならリトルパフェ行く?」
 まだ夕方になるほどの時間ではない。ここから日本人街リトル・トーキョーはそれほど遠くないから出かけるのも大丈夫だろう。
 だが、メアリーは首を横に振った。
「リトルパフェの限定パフェはあっという間に売り切れるから、今から行っても食べられないわよ。それよりもあたしはもうちょっとこの二人調べたい」
「えっ」
 メアリーがトリスタン以外に興味を持つとは珍しい。それもすでに引退した二人である、調べたところで何かの役に立つとも思えないが。
「だってトリスタン様の元チームメイトよ? マーリンはもしかしたらトリスタン様を導いたかもしれないじゃない、これは調べないと!」
 あ、もしよかったら匠音のお母さんにサイン頼めない? などと冗談めかして言うメアリーに「言うだけ言っとく」と答え、匠音は分かった、とメアリーを見た。
「じゃあ、俺も自分で色々調べるか……」
「匠音も何か当てがあるの? もし何か分かったらあたしにも教えてよ」
 りょーかい、と匠音が頷いた。
「じゃあ、メアリーも何か分かったら教えてくれ」
「りょーかい」
 その返事に、匠音は「じゃあ帰る」とメアリーに手を振った。
「うん、また後で、かな?」
 何かあったら連絡するから、と言い、メアリーは匠音を見送った。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

 隠しストレージから「第二層」へ侵入するためのツールを展開し、匠音が指を鳴らす。
「さぁて、やりますかね匠音さん」
 魔術師ハッカー御用達のアンダーグラウンドな情報の宝庫、「第二層」。
 ハッキングのことを知らない人間はほぼ踏み込むことすら叶わず、ハッキング初心者だと深層に踏み込むことが難しい、そんな危険な場所に侵入するのはスポーツハッキングでも中級の域を抜けないとはいえそれなりに場数をこなしている匠音には慣れたことだった。
 検索さえ困難な「ディープウェブ第二層」ではあるが、適切なツールさえ使えば実は検索も可能、玉石混交の領域ではあるが見つからない情報はないとさえ言われている。
 また、ルートさえ確立してしまえばハッキングを知らない人間でも特定のページには踏み込めるのでメアリーのようなハッキングに縁のなさそうな人間でも「このページは知っている」といったこともある。
 しかし、今から匠音が踏み込もうとしている領域はそんな素人には踏み込むことのできない領域。対策せずに踏み込もうものならトラップやウィルスに感染してオーグギアに致命的なエラーが発生することもある危険な場所。
 匠音は一流魔術師からすればまだまだ初心者ひよっこの域を抜けない魔術師ではあったが、それでも「第二層」を歩くくらいはできる。とはいえ、あまりにも深い領域は彼にとって刺激が強すぎて歩くことはできなかったが。
 「シルバークルツ」のアバターを身にまとい「第二層」に侵入、まずは通常のネットニュースでは報道されない様々な事件の情報を探る。
 魔術師にとって情報はとても大切なもの、一般的な報道は客観的な報道のようでチャンネルによっては偏った思想が見え隠れするので同じ事件でもなるべく多角的に俯瞰する能力が求められる。
 政治関係は特にそうで、ニュース報道だけを鵜呑みにして「悪」と思ったものを攻撃すればその実態は逆だった、ということもよくある。
 それによって制裁を受けるのは自分なので、多角的な情報収集はとても重要だった。
 しばらく気になった事件のニュースを巡回、それから匠音は思い切って表層に浮かび上がった。
 「掲示板」サイトを前に、身震いする。
 この「掲示板」サイトはもう誰がサーバを立てたかすら分からない歴史あるものだった。
 助けを求める人間がこのサイトにたどり着き、そこにSOSを書き込めば、名も無き亡霊が必ず助けてくれる、そんなオーグギアユーザーの都市伝説のようなサイト。
 その実態は有志の善意の魔術師ホワイトハッカーが徹底的に真偽を洗い出し、書き込み主が正しいと判断されればそれを解決するという、いわばネットワーク版「掃除屋スイーパー」なのだが。
 匠音はこの活動に憧れていた。
 今は駆け出しのホワイトハッカーとして「ニヴルング」のトラブル解決に奔走しているが実際はこの「掲示板」に助けを求める人間を人知れず助けるような腕利きのスイーパーになりたいと思っていた。
 今の匠音の実力では解決できる厄介ごとなど限られているだろう。
 しかし、匠海から「固有ツールエクスカリバー」を託され、少し気が大きくなっていた。
 ――父さんのあのツールがあれば。
 「エクスカリバー」の試し斬りもしてみたいところ、簡単そうなSOSなら自分にも解決できるのではないか、と匠音は「掲示板」を前にして考えた。
 自分にはまだ荷が重いのではないか、そう期待と不安を胸に「掲示板」サイトに踏み込む。
 そこに並ぶいくつかのSOS。
 ネットストーカーに付きまとわれて困る、といったものや社内の不祥事を被せられて辛い、といったもの、様々なSOSに匠音は小さく深呼吸をする。
 この中でどれが俺に解決できる、とぐるりと周りを見回す。
 そんな匠音の視界に、一枚の投稿が目に入った。
『会社が自分の著作物を勝手に会社のものとして利用しています。会社が使えないようにサーバからデータを消してほしいです』
 なるほど、と匠音が呟く。
 もしかしたら、これならできるんじゃないかという思いが彼の胸をよぎる。
 オッケー、と匠音はこの掲示板の内容を記憶した。
 魔術師側が書き込みに反応してはいけない。
 それは魔術師の特定にもつながってしまうということを匠音は理解していた。
 そのうえで、投稿主の身元の特定を行う。
 投稿自体には記されていないがIPアドレスはしっかり記録されている。
 そこから投稿主を特定、「ニヴルング」のプロフィールから勤務先を割り出す。
「……一応、ここの会社の噂も調べとこ」
 投稿主が一方的に会社を恨んでいる場合もある。
 その可能性も考慮し、匠音は一度「掲示板」サイトから離脱し、様々な情報が渦巻く「第二層」の噂を探して回る。
 そこかしこで見かける投稿主の企業の黒い噂。
 依頼したクリエイターの報酬を値切る、場合によっては未払いもあり得るという噂が数多くみられ、そして訴えももみ消されているらしいという記述も見かけ、匠音は完全に黒だと判断する。
 よし、この企業のサーバを潰す、と匠音は決めた。
 そうと決まれば話は早い。
 まずはこの企業のサーバの所在地を特定、調べたところ大手の企業ではないためNileナイル社のNile Web ServiceNWSは使用していないと判断する。それなら別のクラウドサービスか自社サーバだろうが、ここまで費用をケチる企業がクラウドサービスを使っているとも考えられず、自社サーバを切り盛りしているのではないかと考える。
 中小企業ならそれなりのサーバを用意して使い潰しのシステム管理者辺りを用意すれば安上がりで済む、という話を以前「第二層」で見かけている。
 もちろん、NWSも安いプランなら一般人でも借りることのできるクラウドサービスではあるが法人プランはそこまで安くない。それをおして借りるくらいの資金力があるならクリエイターをないがしろにするはずがない。
 匠音の予想通り、その企業は自社サーバをオフィスに構築していた。
 しかも普通に外部グローバルネットワークに接続しているためネットワーク経由で侵入することが可能。
 そこまで突き止めて、匠音はほっと息を吐いた。
 もしNWSの法人プランを契約していたなら侵入は諦めざるを得なかった。
 NWSのメインストレージはアメリカに四本ある世界樹の一本、しかも「原初」の世界樹、ユグドラシルである。そのセキュリティは世界最高峰で匠音のようなトレーニングアプリの中級レベル程度の腕では到底歯が立つものではない。
 だからといって自社サーバのセキュリティがそこまでザルであるわけでもないが、カウンターハッカーを雇っているとも思えず、難易度は格段に下がる。
 ポキポキと指を鳴らし、匠音は自分に喝を入れる。
 企業のサーバに侵入するのは初めてのこと、しかし匠海アーサーのツールがあるなら怖くない。
 初仕事だ、と匠音はサーバに取りついた。
 コンソールウェポンパレットから情報糸状虫データフィラリアを呼び出し、網の目のように展開されるセキュリティの壁ファイアウォールに送り込む。
 セキュリティが万全のサーバのファイアウォールは本当に壁のように展開されて情報糸状虫を通す隙間を探すところから始める必要がある。
 しかし、このサーバはファイアウォールも安物を使っているのかいたずらでハッキングしようとしている人間を阻む程度の防壁しか展開されていない。
 セキュリティに厳しい会社で、やむを得ずグローバルネットワークに接続しなければいけないような場合はファイアウォールを上回る防壁、Intrusion Countermeasure ElectronicsI.C.E.くらい用意するしもっと厳重なセキュリティならI.C.E.自体に攻撃性能を持たせた攻性I.C.E.も使用される。
 それでも突破されるのがセキュリティというもので、そうなると人対人の戦いになるということでカウンターハッカーが雇用される。
 カウンターハッカーは魔術師の中でも特にハッキング能力に秀でたハッカー、ハッキングで得た知識と勘を元に電子機器では察知できないような違和感や揺らぎを察知し、パターンの存在しない対抗方法で侵入者を撃退する。
 旧世代PCによるハッキングオールドハック以上に直感力を求められるオーグギアハッキングは「誰でもハッキングすることができるようになった」反面、僅かな違和感にすら気付くほどの繊細さを求められる。
 元から「勘はいい」と言われていた匠音は侵入させた情報糸状虫から送られてくる経路情報に素早くどのルートを通るかの選択を行い、ファイアウォールの突破を試みた。
 匠音の視界に情報糸状虫の探査機能が構築したファイアウォールの迷路マップが展開される。
 複雑に絡み合い、時にはトラップすら用意されている通路を情報糸状虫が匠音の指示を受け駆け抜けていく。
 ――左は行き止まり、右はトラップ、でも回避できる。
 トラップにもさまざまな種類があるが、これもやはり安物なのか迷彩外装スケルトンシェルを使えば簡単に欺瞞できそうなもの。
 匠海のオーグギアからコピーしたツールを使い、匠音は迷路を抜け、サーバ内部に侵入した。
 情報糸状虫からのデータ転送でアバターを書架ライブラリに潜り込ませ、匠音はぐるりと周りを見る。
 様々なデータが格納されたライブラリ。このどこかにあの投稿主のデータが収納されている。
 しかし、それだけでいいのだろうか。
 他にも被害に遭っている人間は大勢いる。少しでもデータを残していればそのデータを使ってさらに搾取するのではないか、と匠音はふと思った。
 ――父さんなら、こういう時どうしたんだろう。
 匠海がスポーツハッキング以外にハッキングを行っていたかどうかは知らない。
 だが、あのビデオメッセージで受けた印象から、このような悪意ある企業に対しては怒りを覚えたのではないか、とふと思う。
 匠音の指がコンソールウェポンパレットを滑り、エクスカリバーを選択する。
 彼の手に一振りの剣が現れる。
 それを握り締め、匠音は軽く素振りした。
 ただのデータなのに、ずしりとした重みを感じる。
 片手で振り回すには重すぎて、匠音はエクスカリバーを両手で握りしめた。
 匠音の視界に新たなウィンドウが一つ展開される。
 テキストウィンドウのようだが、カーソルが一つ点滅しているだけで他に何のUIもないシンプルなもの。
 バグか、と思いつつも匠音はウィンドウを意に介せずライブラリの一つに歩み寄った。
 ――ここにあるデータを、全部消す。
 エクスカリバーを振りかぶり、ライブラリに向けて振り下ろす。
 エクスカリバーがライブラリ書架を切り裂く。
 その瞬間、全ての視界が硬直する。
「え?」
 まるで時が止まったかのような停止に匠音が声を上げる。
 その目の前で、たった一つ、何のUIもないテキストウィンドウに文字が浮かび上がった。
【Command?】
「え、何これ」
 匠音がそう呟く間に文字は数度点滅し、そして消失する。
 同時に全てが再び動き出し、エクスカリバーの斬撃が書架を破壊する。
「……え、これだけ……?」
 光の粒子のエフェクトを撒き散らしながら消える書架に匠音が拍子抜けしたような声を上げる。
 この動作、よく見かける破壊型のツールと何ら変わりがない。
 データを壊す、エフェクトを見る限り復元不可能不可逆の破壊を行っているようだがそれなら匠音も既に持っている。
 何か、特別な性能があると思っていただけに匠音は失望を隠せなかった。
 ――エクスカリバーって言うし、性能も不明って聞いてたのに!
 ただ破壊するだけならこんな大仰なものを使わなくてもいくらでもできる。
 それとも、匠海はこのただの破壊ツールだけでランカーに上り詰めたというのか。
「ふざけんなよこんなツールでどうしろってんだよ」
 苛立ちを覚え、匠音は別の書架にエクスカリバーを叩きつけた。
 再び視界が一瞬だけ停止し、【Command?】の文字が表示されるが意味が分からない。
 と、次の瞬間、ライブラリ内で赤い回転灯が点灯、警告音が鳴り響いた。
「……げっ、」
 視界にも表示された警告に匠音が身構える。
 どうやらダミーの書架が設置されており、そこに仕込まれたトラップが発動したらしい。
 匠音の頭上から鉄格子が落ちてきて彼を閉じ込める。
「やば!」
 慌ててエクスカリバーを振るい、鉄格子を切断しようとするがそれよりも早く周囲から伸びたケーブルのようなものに絡めとられてしまう。
「くそ!」
 もがく匠音の前に飛行端末が飛来し、彼のIDを取得しようとする。
 このままでは警察に匠音のハッキングが通報され、逮捕されてしまう。
 「ニヴルング」の時とは違う。今回の匠音は明らかに法を逸脱した行為を行っている。
 庇ってくれる人は誰もいない、匠音は犯罪者としてデータベースに登録されるだろうし下手をすれば和美も犯罪者の身内として職を失うかもしれない。
 それだけは、なんとしても食い止めなければいけない。
 だが、ID取得用の端末を破壊しようにも拘束されてしまった今、どうすることもできない。
 ここまでか、と匠音が歯ぎしりして端末を睨みつける。
 やはり、自分にはまだ無理だったのかと。
 飛行端末に表示されるID取得ゲージが伸びていく。
 詰んだ、と匠音が覚悟を決める。
 その時。
 ID取得完了を目前としていた飛行端末に何か、衝撃波のようなものが飛来し、直撃する。
 ID取得ゲージが一瞬にして空になる。
《異常なし。配置に戻ります》
 飛行端末から電子的な音声が響き、そのままどこかへ飛び去って行く。
「……え……?」
 何が起こったか理解できず呆然と声を上げる匠音の視界に、一つのアバターが映る。
 禍々しい仮面をつけた魔法使いのアバター。
 あの時の、と匠音は思った。
 あの「ニヴルング」爆発の際にアバターの消失ロストから匠音を守り、そしてトレーニングアプリを託した魔法使い魔術師――いや、口調から考えるに恐らくは女性なので、魔女。
 どうしてここに、という声が出かけるも、魔女は手にした剣を一振り、鉄格子をバラバラに切り裂く。
 それから匠音を引っ張り、拘束していたケーブル状のものを切り裂く。
 だが、鉄格子もケーブルも匠音を解放した直後、何事もなかったかのように元の形に戻り初期配置へと戻っていく。
 さらに魔女は匠音が破壊したダミーの書架も手にした剣で切りつけた。
 フィルムを巻き戻すかのように砕かれた書架が元に戻っていく。
「な――」
「どこかで見たことある顔だと思えば、シルバークルツじゃない」
 目の前の魔女が、匠音の驚きをよそに呆れたような声を上げる。
「なん、で……あんたが……」
 この魔女が来たことで匠音が助かったのは事実である。しかし、どうしてこんなところに。
 匠音の問いに、魔女が「まぁ、」と言葉を紡ぐ。
「そりゃ表の世界で不利益を被っている人間がいるのなら、人知れず助けるのは善意の魔術師ホワイトハッカーの責務よ。まさか貴方がその真似事をしようとするとは思ってなかったけど」
 あの掲示板の投稿にアクセス形跡があったけど見慣れないし不慣れそうな痕跡だったからドジ踏んでないか見に来たらよりによって貴方だったなんて、と言いつつ魔女は匠音を――匠音が手にしていたエクスカリバーを見た。
「……その剣、どこで手に入れたの」
 魔女の言葉が鋭くなる。
 えっ、と匠音は声を上げた。
「え、エクスカリバーのこと? これは……ちょっと、言えない」
「……そう、」
 魔女がそう呟き、自分が手にしていた剣を匠音に見せる。
「――えっ」
 匠音が目を見開く。
 魔女が握っていた剣、それは紛れもなく――
「……エクス……カリバー……」
 なんで、と匠音が呟いた。
 匠海が所持していた固有ツールユニークを、何故、この魔女が。
 それに、さっきのあれはなんだ。
 匠音が使ったときはただデータを破壊するだけだったエクスカリバーが、魔女が使った時は斬られたオブジェクトはただ破壊されるのではなく、すぐに元の姿に戻って何事もなかったかのように元の場所に戻っていった。
 それは、まるで時間を巻き戻したかのような――。
 魔法使い魔女が言葉を紡ぐ。
「エクスカリバーはただの破壊ツールじゃない。『可逆的』に破壊し、自分の思うように改変することができるの。ただし、それには――魔導士ソーサラー技能が必須。ひよっこの貴方に使いこなせるツールじゃない」
魔導士ソーサラー?」
 聞きなれない言葉に匠音が聞き返す。
 この世界のハッカーは大きく分けて二種類しかないと思っていた。
 一つはオーグギアを使用したハッカー、魔術師マジシャン
 もう一つは旧世代PCを使用した昔ながらのオールドハッカー、魔法使いウィザード
 ツールを多用し、時には組み合わせて直感的にハッキングを行う魔術師に対して、PCのキーボード入力によるコード構築でハッキングを行う魔法使いは基本的に魔術師の上位存在として認知されている。
 ただし、コード構築には高度な知識と技能が必要であり、そのようなハッキングができる魔法使いは滅多にその姿を現さない。
 それでも、匠音はこの二つのハッカーの存在を知っているにもかかわらず魔導士という言葉は初めて聞いた。
 魔導士技能と言われてもどのようなスキルか全く想像ができない。
 ただ、一つだけ分かったことがある。
 エクスカリバーの能力は「改変」。ただ破壊するだけではなく、書き換えることで自分に有利な状況を作り出すことができるのだと。
 対戦相手によって受けた印象が違うのは匠海が相手によって改変内容を変えていたから。
 そんな常識外れの能力を持った破壊ツール、それが、エクスカリバー。
 使いこなせるのか、と匠音は自問した。
 魔導士ソーサラーなんてもの、初めて聞いた。
 そして思う。
 匠海は、そしてこの目の前の魔女はそんな未知の存在だったのだと。
 目の前の魔女が空中に指を走らせている。
 仮面で表情は分からない。だが、明らかに魔女は苛立っている。
「うわ、貴方、プロキシ刺してないじゃないの。道理でID取得スピードが速いと思った」
「串?」
 もう一つ初めて聞く言葉に、匠音は首をかしげる。
 独学でハッキングを学んでいる以上、その知識には限界がある。
 魔女の言葉でどうやらハッキングするために必要な何かであることは分かったがそれはそんなに重要なものなのか、と匠音はさらに首をかしげる。
「プロキシ。ネットワーク接続を複雑にするための踏み台と思ってくれていいわ。とにかく、串を一つ二つ刺すだけで侵入が発覚した時のID取得スピードは遅らせられるしその間に対処したり離脱することができる。むしろ串刺さずにハッキングなんて自殺行為よ」
 今までよく見つからなかったわね、と言いつつも魔女は匠音を睨みつけた。
「そして貴方……まさかとは思ったけど、やっぱり……」
 そう言って、エクスカリバーの切っ先を彼に突きつける。
「そんな中途半端な腕でハッキングなんて辞めなさい。わたしは、絶対に認めない」
 まるで母さんのようだ、と匠音はふと思った。
 色々教えてくれるが最終的にはハッキングを辞めろと言う。
 そんな姿勢が和美そっくりで、匠音の中に反抗心が生まれてしまう。
 嫌だ、と匠音は呟いた。
「……なんて?」
 魔女が訊き返す。
 もう一度、匠音は、今度ははっきりと、
「嫌だ。俺は、善意の魔術師ホワイトハッカーになる」
 ――ルキウスやあんたみたいに、強くてまっすぐな、ホワイトハッカーに。
 誰が、何と言おうとも、これだけは譲れない。
 今は魔導士が何かは分からずとも、匠海が遺したエクスカリバーを使いこなして、世界の闇を、ネットワークの世界から晴らしたい。
 だから、和美にもこの魔女にも「ハッキングを辞めろ」と言われても受け入れられない。
 技術が足りないなら身に着けるだけ。少なくとも、この魔女のハッキングとアドバイスで多少の知識は身についた。それを実践し、もっと磨くことで。
 匠音の言葉に、魔女は一瞬だけ怯んだようだった。
 どうして、と呟こうとして飲み込んだのが伺える。
 ――どうして、貴方は、「アーサー」を。
 何故か、そんな言葉が聞こえた気がする。
「……あんたは、と……『アーサー』を、知ってるの……?」
 思わず、匠音はそう問いかけた。
 一瞬、魔女が怯んだようなそぶりを見せ、一歩後ずさる。
「『アーサー』は……彼、は、わたしの……」
 そう言う魔女の声が震えている。
 一瞬、匠音の胸に「まさか」という思いが過る。
 いや、そんなはずがあるわけがない。
 目の前の魔女が、和美母さんであるはずがない。
 確かに和美は「マーリン」としてスポーツハッキング界のランカーではあった。
 だが、スポーツハッキングからは引退しているしいくら正義のためとはいえ違法にハッキングする人間とは思えない。
 それなのに、どうしてこんなに辛そうに言うのだろうか。
 それとも、一方的に匠海に想いを寄せていた人物だったのだろうか。
 もし、知っているのなら聞いてみたい。
 匠海アーサーがどんな人物だったのかを。
「教えてくれ、『アーサー』ってどんな人だったんだ? あんたは、知ってるのか?」
「……」
 匠音の言葉に、魔女は答えない。
 沈黙が、二人の間を流れる。
「……十五年も前に死んだ人のことを知って、どうするの」
 魔女が絞り出した言葉はこれだった。
 匠音はそれに怯まず答えを投げる。
「俺は、知りたいんだ。『アーサー』がどうして死んだのか、どうしてみんな俺のハッキングを反対するのかを」
「……知らない方が身のためよ。貴方が思ってるほど、ホワイトハッカーの世界は生ぬるいものじゃない」
 ハッキングだからドジを踏めば逮捕されて終わりだと思ってるの? 現実で攻撃リアルアタックされることもあるのよ、と魔女は続けた。
「貴方の腕じゃ、確実にリアルアタックされる。悪いことは言わない、その程度の腕ならハッキングは辞めなさい」
「嫌だ。理由も何も言われず辞めろと言われてはいそうですかなんて言えないし」
 匠音は食い下がった。
 どうして、誰も、何も、教えてくれない。
 匠海のことも、その事故の原因も、和美がスポーツハッキングを辞めた理由も。
 和美が頑なに自分のハッキングを禁止する理由が匠海に、アーサーにあるのではないかと匠音は薄々勘づいていた。
 匠海のあの言葉、「狙われているのは和美」そして「俺は殺されるかもしれない」、そこにハッキングの世界の闇があることは分かる。
 それでも、それを「子供だから」「危険だから」という理由で止められたくなかった。
 もっとはっきりと、「○○だから」と止められたかった。
 子供だから、ではなく、もっとはっきりとした、納得のできる理由が欲しい。
「あんたも俺を子供扱いするのかよ。なんでみんな、俺を見てくれない」
 子供としてではなく、一人の人間として。
 大人として扱えとは言えない。自分が幼いということは分かっている。
 それでも、一人の人間として扱ってもらいたかった。
 いつまでも庇護される存在ではないと、認めてもらいたかった。
「確かに俺はまだ子供かもしれないけど、子供である前に一人の人間なんだ。『子供だから』で除け者にはされたくない」
「……言うわね」
 はぁ、と魔女がため息を吐く。
「……真実というものはね、教えられて理解できるものじゃない。どうしても、理由を知りたいのなら……『黒騎士ブラックナイト』を追ってみなさい。でも、それを知ったならハッキングから手を引きなさい」
「……『黒騎士ブラックナイト』……?」
 唐突に出てきた名前に匠音が首をかしげる。
 黒騎士が、匠海と関係あるというのか。
 それとも、黒騎士こそが匠海を事故に見せかけて殺した犯人だというのか。
「ちょっと待てよ、まさかその黒騎士って奴がアーサーを……?」
 少しだけ考えた匠音が魔女にそう問いかけようとする。
 だが、匠音がそう問いかけた時既に魔女の姿はその場から消え失せていた。
 周りを見ると、全ての書架ライブラリのデータが書き換えられている。
 書架の一つに手を触れると、ぼんやりと一つの紋章が浮かび上がる。
 それは初めて魔女に会った時、彼女が匠音にトレーニングアプリを残した時に記されていた紋章と同じものだった。
 どうやら、この紋章は魔女が現れた時に残すしるしなのだろう、と匠音は考えた。
 噂で耳にしたことがある。
 存在すら怪しいが標だけを残すとんでもない魔術師がネットワークには存在するという。
 ネットワークのおりとも亡霊とも呼ばれる、標だけで存在が示された謎の魔術師「モルガン」。
 噂では「黒き魔女」とも呼ばれていたモルガン、思い返してみれば噂で見かけた紋章は確かに魔女が残した紋章と一致している気がする。
 アーサー王伝説で、マーリンによって魔力を磨かれ、そしてアーサーを嫌悪し敵対した魔女モルガンがこのネットワークで善意の魔術師ホワイトハッカーとして存在しているのはいささか不釣り合いなものを感じるが、それでも被害を受ける側からすればモルガンは「悪」という認識なのだろう。
 実在したのか、と匠音は呟いた。
 何故か身近な存在の感じがする魔女。
 弟子入りしたい、と匠音は本気で思った。
 この魔女モルガンの元でなら、きっと理想の善意の魔術師ホワイトハッカーになれる。
 彼女ならきっとエクスカリバーの使い方を教えてくれる。
 だから、と、匠音は拳を握り締める。
「……諦めないから、俺。辞めろって言われても辞めるもんか」
 エクスカリバーのことも、「アーサー」のことも、「黒騎士」のことも全て知って、それからあんたに認められる魔術師になるから、と呟き、匠音は踵を返した。
 ご丁寧にもモルガンは匠音が痕跡なく離脱できるようにファイアウォールまで欺瞞してくれていた。
 それを通り抜け、匠音は現実世界へとログアウトした。

 

「匠音、」
 部屋を出て、水を飲もうとキッチンに向かった匠音の背に和美が声をかける。
 その声はとても冷たく、ナイフで刺したかのように匠音に突き刺さる。
「何、」
 平静を取り繕い、匠音が振り返って和美を見る。
 いつになく冷たい視線で、和美は匠音を見つめていた。
「貴方、わたしのオーグギアをハッキングしたでしょ」
 というよりも、ハッキングを辞めないの、と和美は強めの口調で匠音に迫る。
「何を――」
「わたしが貴方のハッキングに気づかないほどへぼい魔術師だと思ってるの? 確かにスポーツハッキングは引退したけど他人のハッキングに気づかないほど腕は鈍っちゃいない」
 その言葉に、何故か先ほどの魔女を思い出す。
「別にいいだろ」
 ぶっきらぼうに匠音が呟く。
 あーこれ反抗期って奴だな、などとふと思うも彼は言葉を続けた。
「どうせ母さんも『ハッキングは辞めろ』って言うんだろ。なんでみんな俺を子供扱いするんだよ」
「子供だからよ」
 和美が即答する。
「貴方は何も知らない、ハッキングの世界のことも、社会の常識も、何も。ハッキングは犯罪、スポーツハッキングは娯楽であってもよりスリルを求めて犯罪に走る競技魔術師スポーツマンがどれほどいるか分かってるの? 捕まれば、誰も貴方を助けられない。だから辞めてって言ってるのよ」
「だから嫌なんだよ!」
 思わず、匠音は声を荒げた。
 どうして、俺を子供扱いする、と憤りが爆発する。
 いつまでも子供じゃない、分かってくれよと匠音は和美に訴えかけた。
「俺だってもう十四歳なんだよ? 分別くらいついてる」
 ただの興味本位でハッキングしてるわけじゃない、と匠音は続けた。
「俺は正義の味方スーパーヒーローでありたいんだ。『復讐者達』みたいな!」
「……匠音、映画の観すぎ」
 はぁ、と和美がため息交じりに呟く。
「確かに、いつまでも子供扱いしちゃダメだって分かってるけど。だけど危険なことは確かよ。わたしは、親として匠音には危険なことをしてもらいたくない」
「父さんのこと、聞いても『言いたくない』と言っておいて親の顔だけはするのかよ!」
 吐き捨てるような匠音の言葉。
 その瞬間、和美の表情がひきつった。
「匠音、何を――」
「わけわかんないよ、俺が知りたいことは何も教えてくれなくて、俺がやりたいことはさせてくれなくて、それが親のすること? 親だって言うならもっと親らしくしてもいいじゃないか」
 一気にまくし立てた匠音に和美は何も言えなかった。
 確かに朝、匠音に匠海のことを聞かれても答えることができなかった。
 それは今抱えている案件に対する焦燥で、決して匠音に言いたくなかったからではない。
 余裕さえあればいくらでも語っただろう。
 しかし、あの時はどうしても語ることができなかった。
 それを匠音は「拒まれた」と認識したのだろうが、和美は違う、と否定することもできなかった。
 匠音の言葉に、どう返せばいい、と和美が迷う。
 匠海との間に授かった唯一の子供、生まれ育った日本ではなく、アメリカという地で手探りで必死に子育てをしてきたが、どこでどう間違えたのか。
 ただ、自分は匠音にハッキングをしてもらいたくなかっただけだ。
 それでも彼を連れてスポーツハッキングの観戦に赴いてしまったのがそもそもの間違いだったのだ。
 あの時、和美は魔が差してしまった。
 自分が愛し、そして匠海も愛したスポーツハッキングにほんの一瞬触れさせてしまったのが全ての始まりだった。
 スポーツハッキングを見たことで、匠音はハッキングに興味を持った。
 それに危機を感じてハッキングを禁じ、スポーツハッキングからも遠ざけたが匠音は自分でその扉を開き、踏み込んでしまった。
 あんなことをしなければ、と思うもののもう遅い。
 全ては自分が誤った選択をしてしまったから。
 そう思ったが、匠音が匠海のことを知ろうとしているのなら何かは言った方がいい。
「……お父さんの何を知りたいの」
 全てを語ることができるかどうかは分からない。
 それでも、せめて匠音が知ろうとしているのなら。
 それなら、と匠音が口を開いた。
「父さんは、『アーサー』だったの?」
 ずばり、匠音はそう切り込んだ。
「え……」
 どうしてそれを、と和美が呟く。
 まさかその質問が来るとは思っていなかった。
 どこで匠音が匠海のスポーツハッカーとしてのスクリーンネームを知ったのかは分からなかったが、それでもその部分は和美としては今は語りたくない部分だった。
 それでも、訊かれたからには答える義務があるだろう。
「……そうよ」
 絞り出すように、和美が答える。
「お父さんは、『アーサー』だった。『キャメロット』の期待のエースとして、注目されてた」
「『エクスカリバー』は父さんが作ったの?」
 続けて、匠音が訊ねてくる。
 匠海が「アーサー」であると知ったのなら当然来るであろう質問。
 それも和美は肯定した。
「そうよ。『エクスカリバー』はお父さんが作り出した最強の固有ツールユニーク。斬ったものを自由に改変させる能力を持った、他の誰もが扱えないツール」
 和美の言葉にそうなんだ、と匠音が呟く。
「どうして他の人は使えないの?」
 それは、魔導士ソーサラー技能が必要だからだとは分かっていたが、そんなことを口にすれば和美は疑問に思うだろう。
 だから敢えてぼかして、匠音はそう訊ねていた。
 あれは、と和美が答える。
「普通の魔術師には理解できない原理で動作するの、『エクスカリバー』は」
「母さんは、使えるの?」
 匠音に問われ、和美は迷った。
 どう答えるべきなのかと。
 「エクスカリバー」の動作原理は理解している。匠海が初めて振るったあの剣の一撃を和美は受けている。
 その時に聞いた。「エクスカリバー」の一撃は魔法使いの技能があって初めて本領を発揮するものだと。
 その時点では、和美は「エクスカリバー」を使用することはできなかった。
 だが、今は。
「……使おうと思えば、使える」
 そう、和美は答えた。
 十五年前の事故で匠海を喪い、その事故が魔術師を上回る魔法使いによって起こされたものだと知った時に、彼女は扉を開いた。
 匠海の無念を晴らすためには、魔法使いになるしかないと。
 ちょうど匠海からのビデオメッセージに添付されていたツールもオーグギアでオールドハックを行うためのエミュレータだったことも相まって、彼女はオールドハックを学んだ。
 元からハッカーとして筋が良かったのである。オールドハックの技能もすぐに身に付いた。
 だから、彼女も「エクスカリバー」は使える
 しかし、それを知って匠音はどうする気なのだろうか。
 そう、と匠音が呟く。
「……じゃあ、魔導士ソーサラーって、何」
 匠音がその言葉を口にした瞬間、和美が硬直する。
 どこで、と唇を震わせながら呟く。
「……その言葉を、どこで」
「『第二層』の噂で聞いた。魔術師マジシャン魔法使いウィザード以外に魔導士ソーサラーがいるって」
 それは嘘だ。匠音はモルガンから聞いて初めて魔導士の存在を知った。
 しかし、それを口にしてはいけない、と本能が囁いたから、嘘をついた。
 和美が全てを語らないなら、自分も手札の全てを見せてはいけない、と。
「……ハッキングをしてはいけない人間が知る必要のある言葉じゃないわ」
「何を」
 和美の回答拒否に匠音がやや苛立った声を上げる。
「ただ、これだけは言っておくわ。お父さんは、原初魔導士ソーサラーだった。その点では、白狼おじいちゃんを超えている」
「な――」
 白狼祖父を超える、という時点で匠音は驚きだった。
 匠音は知っていた。白狼しろうもまた魔術師であるということを。
 それを超えているとは、父さんそんなすごい人だったのか、という思いが匠音の胸をよぎる。
 それなら猶更、その血を引く匠音がハッキングしてはいけないと言われる理由が分からない。
「……おかしいよ、父さんがそんなすごい人だったのにどうして俺はハッキングしちゃいけないの。子供だからとか、だったら大人になったらハッキングしてもいいの?」
 どうしても納得できず、匠音はそう問いかけた。
 大人になったらいいというのであれば、あと四年待つと言う手もある。
 不本意ではあったが、場合によってはその条件をのんでもいい。
 匠音の言葉に和美が再び硬直する。
 「子供だから」という理由では、確かに成人すればハッキングしてもいということになる。
 しかし、和美としては匠音にはハッキングには触れてもらいたくなかった。
 それは成人してからもで、できれば一生ハッキングと無縁の世界で生きてほしい。
 だから、
「……ごめんなさい、わたしは、匠音にハッキングしてもらいたくない」
 そう、言うしかできなかった。
「……だって……お父さんが死んだのは……わたしもお父さんも魔術師だったから。わたしがドジ踏んだから、現実で攻撃リアルアタックされたから、お父さんは、わたしを、庇って……」
「え……」
 初めて和美の口から語られた事故の真実。
 ――父さんが、母さんを、庇った?
 あの事故は、意図的に起こされたもの。
 その事実が匠音の胸を締め付ける。
 もし、あの時匠海が和美を庇っていなければ。
 自分は生まれていなかったのだと。
「なん、で……」
「だからお願い、魔術師の真似事は辞めて。今の貴方ではリアルアタックされてもおかしくない」
 縋りつくような目で和美は匠音を見る。
 わたしにはお父さんのような力はない、貴方を庇えない、と。
「なんで……」
 匠音が低く呟く。
「なんで、そうやって、子供扱いするの。俺がやったことだから俺が責任取るのは当たり前だろ。なんでそこに母さんが出てくるの」
「匠音……?」
 匠音としては精いっぱいの背伸びだった。
 自分のことなのにそこに母親が割り込んでくるのが腹立たしい。
 親だからと自分のすることに干渉してくるのが腹立たしい。
 匠海が和美を庇ったからと言って、自分を庇う必要性が感じられない。
 それが「大切な人を守りたいから」という感情だということは匠音にはまだ分からなかった。
 ただ、家族だから、親だからという理由で干渉されるのが嫌だった。
 ほっといてくれ、とさえ思ってしまう。
「匠音……お願い、ハッキングだけは辞めて」
 懇願するように和美が言う。
 その言葉も、匠音には届かない。
「そう、母さんはそう言うんだ」
 拳を固く握りしめ、匠音はそう絞り出すように呟いた。
「もういい、母さんなんて知らない!」
 そう叫び、匠音は床を蹴った。
「匠音!」
 和美が匠音に手を伸ばす。
 しかし、その手は届くことなく、匠音は和美の横をすり抜けて乱暴に玄関のドアを開けて飛び出した。
「匠音!」
 もう一度、和美が声を上げるものの匠音は既に家を飛び出した後、その声が届くことはない。
 どうして、と和美が呟く。
 どうして、分かってくれないの、と。
 和美としてはただ匠音には危険な目に遭ってもらいたくないだけだった。
 匠海最愛の人を喪って、さらに匠音まで喪うかもしれない、自分一人取り残されてしまうのかもしれないという不安に常に押し潰されそうになっているのに。
 どうすればいいの、と和美は呟いた。
 とりあえず、匠音を追いかけなければいけない。
 咄嗟に匠音のオーグギアのGPS情報を呼び出そうとする。
 しかし、匠音もそれは想定済みだったのか、既に位置情報はオフにされており「見つかりません」というメッセージが表示されるだけ。
「どうして……」
 頽れるように和美はその場に膝をついた。
 匠海も、匠音も、どうして自分の手から零れ落ちてしまうのか。
 ――わたしはただ、一緒にいたいだけなのに。
 ぽたり、と床に水滴が落ちる。
「匠海……どうしたらいいの……」
 どうするのが正解だったの、と和美は呟いた。
 その背後に佇む小人の妖精ブラウニー
 和美の呟きを聞いているのはこの妖精だけだった。
 ブラウニーは和美にそっと手を伸ばそうとして、そしてその手を引っ込める。
 ブラウニーの唇がかすかに動く。
 しかし、その言葉は和美に届くことなく。
 次の瞬間、ブラウニーはその姿を掻き消した。
 まるで匠音を探しに行こうとするかのように。

 

to be continued……

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