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世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第9章

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  第9章 「世界樹の中心でAIあいを叫ぶ」

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
 ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの永瀬ながせ 匠音しおんは駆け出しのホワイトハッカーとして巨大仮想空間メタバースSNS「ニヴルング」で密かに活動していた。
 通学途中で聞いた都市伝説、義体の不具合時に現れるという小人妖精ブラウニーを目の当たりにしたり、ホワイトハッカーとして校内のトラブルを解決していた匠音はある日、幼馴染のメアリーの「ニヴルング」での買い物に付き合っていた際、怪しげな動きをするアバターを発見通報する。
 その際に起動された爆弾から彼を救い、叱咤する謎のハッカー。
 弟子入りしたいという匠音の要望を拒絶しつつもトレーニングアプリを送り付ける魔法使い。
 それを起動した匠音はランキング一位にかつてスポーツハッカーだった和美母親のスクリーンネームを見つけ、このランキングを塗り替えるとともに謎のハッカーと再会することを誓う。
 そんな折、メアリーが「キャメロット」の握手会に行くことになるがトラブルに巻き込まれてしまう。それを助けたもののハッキングが発覚して拘束され、メアリーの機転で厳重注意のみで済むものの、和美にはハッキングのことを知られ辞めるよう強く言われる。
 それでも諦められず、逆に力を付けたくて匠音は匠海のオーグギアに接続し、父親のビデをメッセージを見る。
 その際に手に入れた「エクスカリバー」の性能を知りたくて手近なサーバに侵入する匠音、しかし「エクスカリバー」を使いこなせず通報されかける。
 それを謎の魔法使いこと黒き魔女モルガンに再び助けられ、ログアウトした匠音は和美にハッキングのことを詰められる。
 ハッキングを禁止する理由も、匠海のこともはっきりと教えてくれない和美に反抗し、匠音は家を飛び出し、祖父、白狼しろうのもとに身を寄せる。
 白狼からハッキングを教わりたいと懇願し、OKが出るが教えてもらえるのはPCハックオールドハック
 父親の事故の真相を聞きつつもそのハッキングに嫌気がさした匠音はブラウニーの姿を見つけ、追いかけてしまう。
 ブラウニーが逃げ込んだ先で匠音は男に声を掛けられる。
 ブラウニーについて調べてほしいという男は用意した義体にわざと不具合を起こさせ、ブラウニーを呼び出すことに成功する。
 ブラウニーを追跡する匠音。しかしブラウニーが逃げ込んだ先はメガサーバ世界樹「イルミンスール」だった。
 イルミンスールに侵入するうちに自信の才能を開花させる匠音。
 しかし、そんな彼の前にイルミンスール最強のカウンターハッカー、「ルキウス」が立ちふさがる。
 匠音を追い詰める「ルキウス」。だが、その「ルキウス」のアカウントを停止させたのは匠音をイルミンスールへと誘った謎の男であった。
 イルミンスールの管理AIである「Oberonオベロン」へのハッキングを強要する男。
 それに抵抗した匠音はとある城へと誘われる。
 そこにいたのは匠海たくみであった。
 匠海は匠音にブラウニーと自分の真実を告げる。その上で、匠音に「自分のことを世界に公表してほしい」と依頼する。
 Face Note社の思い通りにはさせないと「エクスカリバー」を振るう匠音。
 しかし、窮地に陥った男はその権限で「ニヴルング」にいたメアリーを呼び出し、人質に取ってしまう。

 

 メアリーを抱え込んだまま男が下卑た笑いを浮かべる。
「クソッ、メアリーを放せ!」
 匠音シルバークルツが叫ぶ。
 だが、男はそれに怯むことなくメアリーを撫でまわす。
「そんなことを言って、君には何もできまい。大人しくブラウニーを捕まえるか、彼女を諦めるか決めることだな」
「ちょっと、放しなさいよ!」
 メアリーが男の足を踏みつつもがくがイルミンスール内部は「ニヴルング」のようなフルダイブではない。フルダイブであっても「ニヴルング」内は痛覚緩和システムアブゾーバーが設定されているだけあって殴られたとしても痛みはない。
 だが。
「この小娘、活きがいいな」
 男がメアリーを抱えたままウィンドウを操作する。
 そして彼女の腕を締めあげた。
「いっ……た……!」
 腕を締めあげられた瞬間、メアリーの顔が苦痛に歪む。
「メアリー!?!?
 彼女の様子に匠音はすぐに察した。
 目の前の男がアブゾーバー設定を書き換え、痛覚をオンにしたのだと。
「さあどうする『シルバークルツ』? 今はまだ弱めの設定だが現実以上の痛みを与えることもできるんだぞ?」
「……卑怯な……」
 アブゾーバーはフルダイブ、またはそれに準じるネットワーク利用の際に受けたダメージで脳が実際に傷を負ったと誤認しないように設定されている。
 アブゾーバーが義務化される前、アブゾーバーを意図的に設定しないことを売りにしたフルダイブゲームで、アバターが受けたダメージを脳が現実のダメージと誤認し、それによってショック死する事故が発生したという事実がある。それを受けて全てのSNSやゲームではアブゾーバーを設定、痛みを感じない、リアル志向のゲームであっても一定以上の痛みは受けないようにすることを義務付けられている。それがもう一世紀近くは前の話。当然、「ニヴルング」もその例外ではない。
 しかし、設定はあくまでも設定。イルミンスールのスーパーアカウント所持者なら設定を書き換えることも可能だということなのだろう。
「……ぐっ……し、匠音……助けて……!」
 痛みに顔を歪めながらメアリーが匠音に手を伸ばそうとする。
「やめろ!」
 そう叫ぶものの、匠音には男を止める手立てはない。
 男の脅しが本当なら現実で同じ傷を負った以上の痛みを脳に認識させることも可能。そんなことが実際に行われたことは恐らくないが、メアリーに耐えられるはずがない。
「それなら父親を諦めろ、シオン・ナガセ! どうせAIだ、本物の父親ではない!」
「……っ!」
 匠音が歯ぎしりする。
 確かに今のブラウニー匠海は生身の人間ではない。記憶と人格を移植されたAIに過ぎない。
 匠海を選んだところで現実リアルで共に過ごすことなど叶わない。
 ここは匠海を諦め、メアリーを選択するのが最善手である。
 しかし。
 ――本当に、それでいいのか?
 匠音は自問した。
 ――父さんをここで見捨てていいのか?
 メアリーを助けたとしても、イルミンスールがブラウニーを捕獲して制御してしまえば世界はFace Noteフェイスノート社の管理下に置かれてしまう。
 それは一見平和な世界に見えるかもしれない。
 しかし、権力を持った人間ほど愚かなものはない。
 始めはハッキング等の取り締まりに使われたとしても、いずれはもっと細かいところ――やがては言論統制、思想の統制にまで到達した管理監視社会ディストピアが形成されるのではないか、そう考えてしまう。
 子供の匠音でも考えうる最悪の結末。ディストピアものSFエンターテイメントに影響されていると言われるかもしれないが、今の世界はそれを可能にできるほどの高度な情報ネットワークを形成している。現時点でそれが実現していないのは単にGLFNグリフィン四社が互いに睨み合い牽制しているからに過ぎない。
 だからこそFace Note社がブラウニーを手中に収め頭一つ抜きんでてしまった場合、その均衡は崩れてしまう。それは他のどの巨大複合企業メガコープがブラウニーを手に入れても同じことだがブラウニーの存在が秘匿される、それができないなら世界中に公表するということでメガコープ同士を睨み合いの状態で維持することができるようになる。
 だからこそ匠海は自身の存在の開示を匠音に求めた。
 今なら分かる。Face Note社にブラウニーの正体が明かされた以上、匠海の存在は大々的に公表すべきである。
 それを阻止し、手中に収めるためにイルミンスール運営のこの男はメアリーを人質に取った。
 匠音がメアリーを優先するよう、アブゾーバーの設定を変えて苦痛を与えた。
 ぎり、と匠音が拳を握り締める。
 ――どうすればいい?
 打開策はあるはずだ。いくら男が卑劣な手に出ようとも、いや、卑劣な手に出たからこそ男もまた追い詰められているのであってそこに勝ち筋は存在する、そんな気がする。
 それは匠音の魔術師マジシャンとしての勘だった。
 勝ち筋は存在する。今はただ自分の視界の外にあるだけだ。
 そこまで考えてから匠音は自分の手の中にある「エクスカリバー」を見た。
 「エクスカリバー」がコード入力によって様々な効果を発揮するということは理解した。
 だが、それだけではないはずだ。
 匠海から託されたプリセットを使用して男を追い詰めはしたが、その直前には謎のメッセージと共に送られてきたプログラムコードを入力して効果を発動した。
 つまり――いや、まさか。
 そんな機能を実装することができるのか、と匠音は自分が思い至った考えを否定しようとする。
 そんな、まさかという言葉が脳内を回る。
 いくら匠海父さんがランカーであったとしても一介の魔術師にそんな機能を実装することができるはずがない、と。
 ――「エクスカリバー」はコード入力で接触した対象データを書き換える――?
 それでしか説明がつかないのに、「そんなことがあるはずがない」と否定してしまう。
 魔術師同士の戦いでウィルスを使用するのは常套手段である。しかし、コード入力というひと手間だけでそのウィルスを自在に作り変え、相手のデータを書き換えてしまう――そんな芸当ができるのはオールドハックを行う魔法使いウィザード以外ありえない。
 しかし。それでも。
 匠音の記憶が一つの単語を思い出す。
 ――「エクスカリバー」はただの破壊ツールじゃない。『可逆的』に破壊し、自分の思うように改変することができるの。ただし、それには――魔導士ソーサラー技能が必須――。
 魔導士が何を意味するのかはあの時分からなかったが、今思い出して一つの可能性に行き当たる。
 まさか、魔導士とは――。
 ――オーグギア上でオールドハックができる魔法使い……?
 そんなことができるのか?
 オーグギアと旧世代PCではそもそもの構造が違う。
 そこまで考えてから、いや、と匠音は考えを切り替えた。
 オーグギアもはじめは旧世代PCからその基礎を構築されたはずだ。
 「魔術師は魔法使いに勝てない」もそこから来ている。
 そう考えると、充分あり得る話である。
 オーグギア上でオールドハックを行う存在、それが、魔導士。
 ――つまり、父さんは魔導士。ということは――。
 咄嗟に匠音はストレージを開いた。
 匠海のオーグギアからコピーしたツール一覧を呼び出す。
 男が匠音の動きに怪訝そうな顔をするが自分の勝利は揺らぎないと余裕の笑みは崩さない。
 いくら匠音が魔術師として覚醒していても魔術師である限り勝ち目はない。
 確かに先ほどは固有ツールユニークの攻撃で不覚を取ったがメアリーを人質に取っているうえに痛覚遮断をオフにしているのだ、下手に動くことはできないはず。
 何をしても無駄だと男は匠音を見る。
 その匠音はフォルダ内の各種ツールを見る。
 自分のコンソールウェポンパレットに登録しているツールが全てではない。一通り目を通して自分が理解できるもの、使えそうなもののみ登録していた。
 しかし、登録しなかった、理解できなかったツールの中に、もしかして。
 ――あった!
 匠音の目が一つのツールに留まる。
 「AG-PC Emulator」とファイル名がつけられたそのツール。
 これが正しいかどうかも考えず、即座にインストール、起動する。
 目の前に広がるウィンドウとキーボードスクリーン。
 白狼しろうの家で見た旧世代PCと同じ画面が匠音の目の前に展開される。
 だが、それだけではなかった。
 起動直後、視界に【Connect Excalibur?】のアラートが表示される。
 匠音は迷わず【Yes】を入力した。
 その瞬間、匠音の手の中で「エクスカリバー」が活性化する。
 「エクスカリバー」の周囲を細かいウィンドウが展開し、そして消える。
「何をしている」
 無駄なことを、としびれを切らした男が匠音に声をかける。
「逆転の一手だよ――俺は、父さんもメアリーも諦めない!」
 「シルバークルツ」が地を蹴り、男に向かう。
 何を、と男がメアリーを盾にするかのように突き出すが、それで止まる匠音ではなかった。
「匠音!?!?
「まさか、こいつ自分の彼女を――?」
 メアリーと男が同時に声を上げる。
 その、メアリーの視界に一通のメッセージが展開する。
『メアリー、俺を信じて』
 たった一言のメッセージ。
 そのメッセージの向こうから「エクスカリバー」を構えて駆ける「シルバークルツ」をメアリーは見た。
 本当に信じていいのか。
 メアリーは、「シルバークルツ」が自分もろとも男を斬ろうとしていることに気付いていた。
 同時に、それしか男を止める手立てはないということも。
 普通ならアバターがダメージを受けて消失、ホームエリアに再出現リスポーンするだけである。
 しかし、今メアリーにダメージを与えることはできない。
 アブゾーバーの設定を変えられて痛覚が発生する状態でメアリーを攻撃すれば彼女に消えない傷を残すことになる。いや、消えない傷だけならまだしも一歩間違えれば命を奪いかねない。
 それは匠音も分かっているはずだ。
 それでも匠音はメアリーに「信じて」とメッセージを送った。
 何か手があるのか。
 考える時間はない。
 ――大丈夫、匠音ならきっと――。
「匠音、大丈夫」
 メアリーが小さく頷く。
 それを見た匠音も小さく頷き、
 「エクスカリバー」が、
 メアリーもろとも男を貫いた。

 

「――が、はっ!」
 男が低く呻き、メアリーから手を放す。
 メアリーがよろめきながら匠音の方に倒れ込む。
 男から「エクスカリバー」を抜き、匠音はしっかりとメアリーを受け止めた。
「メアリー、大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
 匠音の腕の中でメアリーが頷き、不思議そうに自分の身体を見回す。
「だけど、あたし、匠音に刺された……よね……?」
 全然痛くないしダメージ警告もない、とメアリーが不思議そうに呟く。
 ああそれは、と匠音が説明した。
「『エクスカリバー』がメアリーだけは透過するように調整した。だから『エクスカリバー』はメアリーに触れてないし、当然ダメージ判定は出ない」
「……? 『エクスカリバー』って……。え、匠音持ってるの!?!?
 性能不明と言われる最強の固有ツール。
 どうしてそれを匠音が、とメアリーが不思議そうに匠音の手の中にある「エクスカリバー」を見る。
「……父さんが託してくれた」
 たった一言、今にも泣きそうな顔で匠音が答え、それから床に蹲った男を見る。
「ぐ――がっ!」
 刺されたところからデータ片をまき散らしながら呻く男。
「馬鹿、な……! 何故、痛覚が……!」
「メアリーのアブゾーバー設定をそのままあんたに引き継いだ。よかったな、緩和レベルを下げ切る前で!」
 メアリーを隣に立たせ、「エクスカリバー」を構え直した匠音がその切っ先を男に向けて言い放つ。
「『エクスカリバー』の能力は『改変』。斬った対象データを可逆的に破壊、改変し自分に有利なようにもっていける」
「それが……『エクスカリバー』の能力……」
 特定のアバターには一切影響せず、他のアバターにのみ影響させるということも可能なのか、とメアリーは驚いた。
 しかも、そこにメアリーのアバターのアブゾーバー設定を他に移しての一撃。
 完全に透過させるのではなくすり抜ける際に設定をコピーするなどという芸当に驚きが隠せない。
 ほんの一時期猛威を振るい、詳細不明のまま封印されてきた「エクスカリバー」を目の当たりにして、メアリーは惜しい、と思った。
 匠音ならスポーツハッカーとしてその能力を十二分に発揮できるのではないかと。
 和美匠音の母親はそれを分かっているのだろうか。
 スポーツハッキングを許可すれば匠音も違法なハッキングから手を引くのでは、とすら思う。
 そのあたりに関しては匠音のハッカーになった動機が「他の人の役に立ちたい」なのでメアリーの考えは間違っているともいえるのだが。
 蹲り、何度も呻きながらも攻撃をしようとする男に匠音が冷たく言い放つ。
「おっさんのスーパーアカウントもイルミンスールに届かないように凍結したよ。っても垢BANじゃないからイルミンスールの管理AIが解除できる代物だけど――」
 そう言いながら匠音がちら、と振り返り「Oberonオベロン」が構築する中枢の樹に視線を投げる。
「……父さんがそれを良しと思わなきゃ解除はされないよね」
「クソッ、ここでブラウニーが裏目に……!」
 苦しげに男が呻く。
「今ここでおっさんを排除してしまってもいいけど、そうするとおっさんリスポーンできるよね。だったらリスポーンできないように拘束だけする」
 匠音が拘束の鎖バインドチェインを展開し、男を拘束する。
「このガキが……!」
 バインドチェインを振りほどこうと男がもがくが匠音によってスーパーアカウント権限を凍結された以上無効化することはできない。アブゾーバーの設定も戻すことができず、緩和されているとはいえ刺された痛みが全身を駆け巡り続ける。
 ふぅ、と匠音が息を吐く。
 これでイルミンスール運営の妨害は排除した。後は匠海の存在を公にするだけ。
 しかし、あくまでもVRビューでの男を無力化しただけで現実の男は健在である。
 アバターが受けたダメージによって痛みは感じているだろうが逃げることも反撃することも可能。それこそ、リアルの匠音を攻撃することもできる。
 だが、それを確認する前に男の動きが止まった。
「誰だ!」
 そう、男が声を上げたことで匠音は現場に誰かが乱入したことを察知する。
 男の口調からイルミンスール側の人間ではないと判断するが自分にとっての味方であるとも限らない。
 VRビューはそのままに、現実の視界を確認する。
 そこに、一人の女性が立っていた。
 迷いなく男の頭に拳銃を向けたその女性は――和美かずみ
「母さん!?!?
 思わず匠音が声を上げる。
「匠音……やっと見つけた」
 そう言って和美が微笑み、次の瞬間「シルバークルツ」の隣に仮面を被った黒いローブの魔法使いが出現した。
「えっ?」
 驚きを隠せない匠音。
 「モルガン」のさらに隣に全身白ずくめの狩人装束の人狼が出現する。
「やっと見つけたぞ、匠音」
「え、じいちゃん!?!?
 目の前に現れた「黒き魔女モルガン」と「白き狩人ヴァイサー・イェーガー」。
 状況から考えて、この二人は――和美と白狼。
 いや待て、と匠音が「モルガン」を見る。
「え……母……さん……?」
 実在するともしないとも、ネットワークのおりが生み出した魔術師とも言われる「モルガン」。
 その正体が、和美だというのか。
「そうよ」
 「モルガン」が仮面を外しながら頷く。
 仮面の下から現れたのは紛れもなく和美の顔。
 嘘だろ、と匠音は呟いた。
 確かに「モルガン」が母親に似た雰囲気をしていると思ったことはある。そして和美がかつてはスポーツハッキングのランカーだったことも知っている。しかし、だからといって彼女が「モルガン」かもしれないという思考には至らなかった。
 いや、心のどこかでは思っていたのかもしれない。「そうではないと言ってくれ」という。
 匠海の事故が現実で攻撃リアルアタックされた和美を庇ったものであるとは白狼から聞かされていた。和美もまたホワイトハッカーだったから、リアルを暴かれて攻撃されたのだ、と。
 そう考えると和美は「モルガン」として攻撃された。その存在は一度は特定されていた。
 現在また存在が怪しまれているのは和美が「モルガン」としての活動を最低限にまで減らしたからだろう。白狼の言葉が正しければ匠海を死に追いやった犯人は既に逮捕されている、和美が狙われることはもうないはず。
匠音「シルバークルツ」、大丈夫?」
 「モルガン」が拘束された男のアバターに視線を投げながら訊ねる。
「え、あ、うん、大丈夫」
 メアリーを安心させるように抱きかかえながら匠音が頷く。
「え……おばさま……?」
「メアリーちゃん……もしかして、イルミンスール運営に呼び出されたの?」
 メアリーの姿を認めた「モルガン」が眉を寄せる。
「え、あの、よく分からなくて。『ニヴルング』を歩いてたら急にここに転送されて……」
「もう大丈夫よ、『ニヴルング』に転送してあげる」
 和美の前にキーボードスクリーンが現れ、指を走らせるとメアリーの前にポータルが開く。
「ありがとうございます!」
 ポータルに向かって一歩踏み出すメアリー。
 それを、和美が呼び止める。
「あ、メアリーちゃん?」
 はい、と足を止めるメアリーに和美がウィンクを一つ。
「このこと、他言無用よ? もし誰かに話したら……うふふ」
 その和美の言葉に匠音とメアリーが震えあがる。
 和美が含みのある笑いをした時ほど恐ろしいものはない。
 実際、匠音はそれで何度SPAMスパムを送り込まれたか。
 主に隠れてつまみ食いをした時だったとはいえ、和美が含み笑いの後にきついお仕置きを送り付けてくることは匠音の証言でメアリーも知っている。
 流石にそれに巻き込まれたくない、とメアリーはこくこくと頷き、そしてポータルの向こうへと消えて行った。
「さて――と」
 リアルの方では和美が男を縛り上げたらしい。
 これでひとまず安心とばかりに彼女は匠音を見た。
「どうしてこんな危ないことしたの。だからハッキングはやめてって何度も言ったでしょ」
「……ごめん」
 和美の叱咤を素直に受け入れ、匠音が謝る。
「まあまあ和美さん、そう匠音を怒りなさんな」
 白狼が止めに入るが和美は「おじいちゃんは黙ってて」と一喝して匠音の肩を掴む。
「リアルアタックがどういうものかよく分かったでしょ。今回はわたしたちが助けに来れたけど、実際は一人よ。まぁ――一人でもある程度はなんとかしたみたいだけどそんな幸運は何度も続かない」
「……うん」
 それはそうだ。今回は運がよかっただけだ。
 幸運が何度も続かないということは何となく分かっている。
 やっぱり、ハッキングはやめた方がいいのか、そう、匠音は思った。
 和美をここまで心配させてまで子供がするようなことではない。
 せめて成人するまでは、自分一人の力で完全に切り抜けられるようになるまではやめた方がいいのかもしれない、そう思って匠音は和美を見る。
「母さん、俺――」
「そう匠音を責めるな」
 匠音が口を開いた瞬間、横から声が投げかけられる。
 その場にいた全員が声のした方向を見るとそこにブラウニーが立っていた。
 ブラウニーの姿がノイズ交じりにふっと揺らめき、そして本来の姿に戻る。
「匠海!」「父さん!」
 和美と匠音が同時に声を上げる。
 やあ、と匠海が片手を挙げる。
「その様子だとひとまず決着は付いたようだな」
 拘束された男を見て匠海が呟いた。
「……匠海!」
 和美のアバターが「モルガン」から普段「ニヴルング」を歩く時の物に切り替わり、匠海に駆け寄る。
 二人が熱い抱擁を交わすのを見て、匠音は「よかった」と思った。
 もし、男が言うままに匠海を諦めていた場合、和美の失意は大きかっただろう。
 もしかすると、それが見たくなかったから道はないのかと模索したのかもしれない。自分が父親を諦めるという状態も嫌だったが、それ以上に匠海と和美が完全に離別することが耐えられなかったのか、と。
「匠海……本当に、無事でよかった」
 和美の言葉に匠海が苦笑する。
「この状態で無事と言えるのかどうかは分からんが……匠音が道を切り開いてくれた」
「……匠音が、」
 ああ、と匠海が頷く。
「和美、匠音を縛るな。俺がイルミンスールに縛られるのを拒んだように、匠音も自由に生きるべきだ」
 でも、と和美が呟く。
 確かに親の権限で匠音にあれこれ禁止するのはよくない、可能性を潰してしまっている、ということは理解している。
 それでも、魔術師としての自分がリアルアタックを受け、それを庇った匠海が死んだように匠音もまた危険な目に遭わないとは言い切れない。
 匠音に危険な目に遭ってもらいたくない、それは親として当然の思考である。
 和美だって分かっているのだ。今回の件を経て匠音の可能性が広がっているということに。このままハッキングのノウハウを身に付ければ自分に負けず劣らずの魔術師になる可能性があるということくらい。
 それでも和美は怖かった。成長しきる前に匠音が何かに巻き込まれて命を落とさないかと。
 今回のように目を付けられて利用されたりしないかと。
 だが、それを考えて、それを恐れてしまうのはいけないことなのか。
「分かっている。俺のせいでお前は匠音を喪うことを恐れているということくらい。自分の手の届くところに置いておきたいという気持ちも分かる。だが、匠音はもうそれが必要な子供じゃない。可能性を信じてやるべきだ」
「匠海……」
 俯き、唇を噛む和美。
 匠海の言うことは正しい。匠音はもう子供ではない。
 親が干渉して可能性を摘むのが匠音のためになるはずがない。
 それでも、匠音に自由にハッキングさせること自体が恐ろしい。
 できるなら、匠音にはハッキングを諦めてもらいたい。
 そう思いつつも、和美は自分が期待していることに気が付いた。
 ――匠音は匠海を解放してくれるかもしれない。
 今回、匠音は魔術師として一つ成長した。それはイルミンスールの最深部に侵入するという実績を残し、匠海が遺した「エクスカリバー」を使いこなすことで証明した。
 そこで日和ひよりに言われていたことを思い出す。
 ――匠海のデータは倫理委員会の規定により厳重にプロテクトが施され、別フォルダに移動することもコピーすることもできないマスタのみの保管となっている。
 データのコピーに関しては日和に警告はされていた。
 「魂のデジタルコピーに成功したとはいえ、それをさらに複製することには慎重にならなければいけない」と。
 それは和美も理解している。
 あの事故の時、医者には「もってあと三日」と宣告されたにも関わらず匠海は三日もたなかった。
 全てのデータのコピーが完了した瞬間、匠海はこの時を待っていたかのように心停止した。
 それを見届けたからこそ和美と日和は一つの過程に行き着いた。
 「魂は同時に一つしか存在できないのではないのか」と。
 デジタルコピーされたとはいえ、それを複製した瞬間全てのデータは無意味なものになってしまうのではないかという不安が二人にはあった。
 とはいえ記憶のアーカイブ程度は多少コピーしても問題ないことは確認している。倫理委員会に規制される直前に日和は試験的に一部のデータをコピーしていた。
 しかし、本体とも言えるコアデータのコピーは危険だとこれだけは規制前から強固なプロテクトを施していた。心停止の直前まで抽出していたデータがこのコアデータだったのだ、当然、慎重になる。
 とはいえそのプロテクトのせいで匠海の人格データを「Oberon」から分離することができなくなった。プロテクトの解除は管理者アドミニストレータであっても不可能。全てのキーを倫理委員会が管理してしまっている。
 そうなると匠海のデータを分離するのにできる手段は倫理委員会を説得するかハッキングで解除するかの二つ。
 前者は「個人が個人のデータを私物化すること」を良しとせず、説得には応じないだろう。それなら取れる手段はハッキングしかない。
 実際、和美はハッキングによるプロテクト解除を既に始めていた。ただ、そのデータが膨大でどれほどの時間になるか分からないだけだ。そこへもっての今回の件。悠長なことは言っていられない。
 匠音がイルミンスールを攻めるほどの実力を備えた魔術師として覚醒した今、彼の手も借りたい。
 和美と白狼、そして匠音の三人でかかれば時間はかなり短縮される。
 そう考えるともう匠音に「ハッキングをしないで」とは言えなかった。
 ただ、匠音にどうなってもらいたいかの迷いがあるだけだ。
 和美が少し考え、拳を握りしめる。
 匠音、白狼、匠海の三人がそれを見守る。
 しばしの沈黙の後、和美は頭を上げた。
「匠音、」
「な、何」
 改まった様子の和美に匠音がたじたじとする。
「もし、魔術師になりたいと言うなら、いつまでもわたしたちが助けに来てくれるとは思わないで」
「え――」
 それは、と匠音が尋ねようとするところを遮り、和美が続ける。
「『エクスカリバー』を受け継いで使いこなした匠音を今更制限できないわよ。ハッキングは認める。だけど一つだけ条件を呑んで」
 条件? と白狼が興味深そうに呟く。
「和美さん、認めるのか、匠音のハッキングを」
 ええ、と和美は頷いた。
 匠音もごくりと唾を飲み込み小さく頷く。
「で、条件って」
「イルミンスールの中枢まで攻めるほどの実力があるのは分かった。だけどまだ荒削りで危なっかしいからまずはスポーツハッキングで腕を磨きなさい。『キャメロット』なら口利きしてあげるわよ」
 思いもよらなかった和美の言葉。
 その言葉を聞いた瞬間、匠音の顔が明るくなる。
「いいの!?!?
「でも、『Nileナイルチャンピオンズトーナメント』でチームを優勝に導くまではホワイトハッカーとしての活動は禁止……とまでは言わないけど程々にしておきなさい。危なっかしくって見てられない」
 そもそも、バレたらスポーツハッキング界から追放よ? 分かってるの? と和美が凄む。
 和美を見ていた匠海が一瞬驚いたような顔をするがすぐに納得したように頷く。
 「Nileチャンピオンズトーナメント」といえば自分が最後に参加してチームを優勝に導いた大会だ。しかもこの大会にエントリーできるのは数あるスポーツハッキングチームでも上位十六チームのみ。スポーツハッキングの大会でも最高峰とも言えるこの大会を優勝に導くほどの腕を求めるのは酷なことではない、むしろただの通過点だ。
 確かにそこまでの道のりは険しいものだろう。しかし、イルミンスールを踏破し、「エクスカリバー」を使いこなした匠音に到達できないゴールスタートではない。
 それを理解しているのかしていないのか。匠音は顔を輝かせて頷いた。
「分かった、俺、活動は控える! そして父さんが見た景色を俺も見る!」
「匠音……」
 目を輝かせてそう頷く匠音を眩しそうに眺め、匠海が頷く。
 こいつも俺と同じ、根っからの魔術師気質の人間だったんだな、と。
 匠海がスポーツハッキングの世界に足を踏み入れたのはこの世界の人間の中ではかなり遅い方だった。それでも早い段階で才能を開花させ「キャメロット」を盛り上げていった。匠音もまた同じなのだろう。きっと、「キャメロット」をより高みへと持ち上げるのだという確信があった。
 そんな匠海に気づいたか、白狼が匠海に視線を投げる。
「……匠海、」
「ジジイ、久しぶりだな」
 普段からそんなに来ることもなかったジジイが、と軽く毒づく匠海に白狼が苦笑する。
「儂だって心配くらいするわ。しかし、お前さん出てきて大丈夫なのか?」
 和美さんから聞いたときはかなり切羽詰まった状況だったらしいがと訊ねる白狼に匠海はまあな、と返す。
「匠音が来てくれなければ危なかったかもしれないな。だが……あとは俺の存在を世間に公表すれば俺もなんとかなる」
「匠海……」
 いいのか、と白狼が確認する。
 匠海の存在を公表すればどうなるかは分からない。悪意を持った魔術師クラッカーによってデータを改竄される可能性もある。
 しかし、それよりも公表することによって各メガコープが牽制しあうというメリットは理解していた。
 その牽制の狭間に身を隠してしまえば誰も手出しをすることはできない。
 それは分かっていたが、公表することはこちらの事情も表沙汰になる。
 それでもいいのか、と白狼は確認するように訊ねた。
「……ああ、覚悟はできている」
「……そうか」
 そう、低く呟いた白狼の視線が鋭く横に流れる。
「――だが、その前に一仕事ありそうだな」
 そう言った、白狼の視線の先には、豪奢な鎧を身に纏った騎士――「ルキウス」が立っていた。

 

「……『ルキウス』……!」
 匠音が声を上げる。
「っそ、まさかスーパーアカウントで垢BANしてくるとは思ってなかったぞ!」
 「ルキウス」が苛立ちを隠さず匠音たちのそばで拘束されている男を睨みつける。
「どういうことだ、オレの仕事は侵入者を排除することだ。それなのにどうして邪魔をする!」
 「凍てつく皇帝の剣フロレント」を抜き、「ルキウス」は声を荒げて男を問いただす。
「ちょうどいいところに来た、『ルキウス』、こいつらを拘束しろ」
 まだ痛覚が遮断できず、悶えながらも男が「ルキウス」に指示を出す。
「はん、言われなくてもそれくらいはやってやらぁ。だがな、いくら運営でもオレを垢BANした理由くらいは教えろよ!」
 「ルキウス」からすれば自分はただ仕事をしていただけで、そこに社内規定を違反するようなことは何一つなかった。それなのに突然アカウントを停止されたのだ、青天の霹靂にもほどがある。
 恐らくは管理者権限を持った上長あたりに直談判してアカウント停止を解除してもらったのだろうが侵入者を排除できたかもしれないタイミングで停止されたのだ、その意図は問いただしておきたいのだろう。
 そんなことを言ってる場合か、と男がルキウスを叱咤する。
「こいつらは『Oberon』を排除しようとしているのだろ、早くしろ!」
「っざけんな、そうは見えねえだろうが」
 男の言葉を「ルキウス」が一蹴する。
「ぱっと見、そこのガキに違法なことをやらせようとしたのを親が助けに来ただけだろうが。むしろお前の方が悪役にしか見えねえんだよ」
 口は悪いが「ルキウス」もこの異常な事態を認識しているらしい。
 相手がスーパーアカウントを持つ、下手をすれば上長以上の権限を持つ上層部の人間だと認識しながらもその悪を正そうとしている。
 く、と男が呻く。
「クソ、カウンターハッカー風情が……お前はただ運営の指示に従えばいいだけだろうが!」
「バカか、その運営が不正をしておいてその指示に従えるか!」
 それを聞いていた匠音は「流石にそれはまずい」と冷や冷やした。
 相手は悪い奴とはいえイルミンスールの運営だぞ、と匠音が内心「ルキウス」に忠告する。こんな相手に歯向かえば流石の「ルキウス」といえども失職確実だろう。
 いくら相手が悪だと認識してもここは指示に従った方が無難であるはずである。
 それなのに、何故。
「オレは間違ったことをする奴が嫌いなんだよ! イルミンスールが腐ってんなら辞めるくらいなんてこともねえ」
「……『ルキウス』、かっけえ……」
 啖呵を切った「ルキウス」に匠音が思わず声を上げる。
 彼のことだからこの運営の男の対処が終われば自分たちの番であろうが、自分たちも違法にイルミンスールに侵入しているからそれ当然だろう。
 「ルキウス」が「フロレント」を男に突きつける。
「返答次第では先にアンタを通報するぞ」
「何を……私はイルミンスールを、そしてFace Note社のために動いているだけだ」
 だからこいつらを、と男が凄むがそれに怯む「ルキウス」ではない。
「何が『Face Note社のため』だ。てめぇの私利私欲のためだろうが」
 「ルキウス」は相当怒っている。男の言葉に納得することもなく「フロレント」を突きつけている。
「アンタの言い分は分かった。こいつらは排除するが、それはイルミンスールのためでアンタのためじゃねえ」
 そう言い、「ルキウス」は「フロレント」を一閃した。
 斬撃が男を凍結させ、凍結した男のアバターが砕け散る。
 「フロレント」を一振りし、「ルキウス」が匠音を見る。
「……ってわけだ。お前は巻き込まれてイルミンスールに侵入しただけかもしれんが、侵入者は侵入者だ。拘束する」
「『シルバークルツ』、気を付けて」
 アバターを「モルガン」のものに戻した和美が匠音の肩に手を置く。
 大丈夫、と匠音が「エクスカリバー」を握り締めた。
「俺は負けられない。『モルガン』と『ヴァイサー・イェーガー』はデータを公表してほしい」
 匠音のアバターが「シルバークルツ」から「アーサー」のものに切り替わる。
「な――」
 「アーサー」を見た瞬間、「ルキウス」は驚きの声を上げた。
「『アーサー』……? 確かに、持ってるのは『エクスカリバー』だが……」
「『ルキウス』、俺が相手だ! 何がイルミンスールのカウンターハッカーだ、『アーサー』の敵じゃない!」
 挑発する匠音。
 和美もすぐに分かった。「ルキウス」の意識を自分に向け、その間に匠海の存在を公表する準備をしろという匠音の意図を。
 分かった、と和美が頷く。
「気をつけて。『ルキウス』の固有ツールユニークは一筋縄じゃないわよ」
 「ルキウス」のデビューはあの事故の目前とはいえ和美も彼と対戦したことはない。それに「フロレント」の登場自体デビューからかなりの期間が経過してから。その頃には和美もスポーツハッキングから引退しており「フロレント」の効果は聞いた程度でしか知らない。
 それでもあらゆるデータを瞬時に凍結させる斬撃波が脅威であるということは分かっている。それを攻略した魔術師もまだいない。
 だから「エクスカリバー」で太刀打ちできるかも未知数だった。
 データ改変能力を持つ「エクスカリバー」でも斬撃波を改変することができるのか。凍結速度と改変速度、早い方が勝ちとなる。
 匠音は「フロレント」の凍結を上回ることができるのか。
 だが、今は信じるしかない。
 無理しないで、と和美が匠音を見る。匠音が和美を見て頷く。
 「アーサー」のアバターを身に纏った匠音はかつての匠海を思わせる動きで「エクスカリバー」の切先を「ルキウス」に向けた。
「来いよ『ルキウス』!」
「言ったな、クソガキが! いくら『アーサー』の真似事をしようと偽者は偽物なんだよ!」
 匠音が地を蹴って「ルキウス」に迫る。
 それを視認した「ルキウス」も地を蹴り、「フロレント」を繰り出す。
 匠音は「ルキウス」が振り下ろした「フロレント」をまっすぐ「エクスカリバー」で受け止めた。
「……重っ……!」
 「ルキウス」の重い一撃に匠音が呻く。
 斬った対象を問答無用で凍結させる「フロレント」も活性化していなければただの破壊系ツール、受け止めた「エクスカリバー」が凍結することなく鍔迫り合いの状態となる。
「……おじいちゃん、今のうちに!」
 二人の鍔迫り合いを見た和美が白狼に声をかける。
「ああ、急ごう」
 白狼も頷き、イルミンスールの中枢にアクセスする。
 目的は匠海のデータ、その中でも公開に差し支えない部分の抽出と先ほどの匠音と男の会話ログ。
 これら全てを開示し、Face Note社の思惑を世界に公表する。
 匠音の技量を考えるとそこまでの持久戦ができるとは思えない。
 短期で決着することを見越して最速で行わなければいけない。
 しかもイルミンスールを傷つけることも、自分たちの痕跡を残すこともしてはいけない。最高峰のセキュリティを細心の注意で突破し、短時間で全てを終わらせる必要があった。
 儂らが終わるまではもってくれよ、と祈りつつ白狼はキーボードに指を走らせた。
 視界の先でもイルミンスールのコンソールが展開し、データ探索を始める。
「――ッ!?!?
 匠音と斬り合いながらも「ルキウス」はその様子を視認していた。流石イルミンスール最強のカウンターハッカー、周りに対する注意は怠らない。
「くっそ、本命はあっちか!」
 「ルキウス」が「モルガン」と「ヴァイサー・イェーガー」に斬撃波を飛ばそうとするもののそれは「アーサー」が妨害し、思うように動けない。
「させるか!」
 匠音が「エクスカリバー」の破壊能力を活性化して「ルキウス」に斬りかかる。
 それを「フロレント」の凍結能力を活性化し、「ルキウス」が受け止める。
 データ片が火花となり飛び散り、凍結能力がエクスカリバーを侵食する。
「――ぐっ!」
 性能差だけに限らず、腕力差に押されつつも匠音が「ルキウス」を睨みつける。
 流石は当時最強の破壊型固有ツールユニーク万物灼き尽くす太陽の牙ガラティーン」に勝っただけはあり、凍結能力の力は破壊能力を上回る。
 エクスカリバーが少しずつ凍結していく。
 ――もう少し!
 しかし、匠音には勝算があった。
 今、匠音は「エクスカリバー」の改変能力を使っていない。
 改変するにはデータの分析が必要、だが、活性化した「フロレント」を解析するには一度は触れる必要がある。そのために、凍結覚悟であえて「フロレント」を受け止める必要があった。
 実際のところ、やや分の悪い賭けではあったが匠音は「エクスカリバー」の破壊能力でそれを受け止めた。改変能力を組み合わせればもう少し確実に保つかもしれないが、相手は最強のカウンターハッカールキウス、万一にも改変能力を予測されれば、その時点で負ける可能性がある。
 刀身を伝い、「フロレント」の解析状況が流れてくる。
 これに合わせて凍結能力を無力化するコードを生成すれば。
 あるいは匠海から受け取ったプリセットに使えそうなものがあれば。
「そこをどけ!」
 「ルキウス」が吠える。
 嫌だ、と匠音も負けずに声を上げる。
「Face Noteに父さんを好き勝手させない!」
 何度も斬り合いながら匠音が「ルキウス」を牽制する。
 二人の元に行かせてはいけない。二人は今データの抽出にかかりきりになっている、「ルキウス」の攻撃を躱すことは不可能。
 匠音に妨害されてもなお、「ルキウス」がまだ余裕そうに声をかける。
「『フロレント』で一瞬で凍結出来ないだけのデータ密度があるのには驚いたが、もうすぐお前の偽物ももうすぐ凍結する。勝負あったな」
 だが、匠音の視界では確実に解析の状態を示すインジケーターが蓄積している。
 「フロレント」の最大の特徴は斬撃波を飛ばせることだ。その最大のメリットをフルに活用されていたら、今頃匠音は為す術なく負けていたかもしれない。
 実際、普段の「ルキウス」なら落ち着いて距離を取り、攻撃していただろう。
 しかし、最初の時点で距離が近く、斬りかかられてしまったため防御せざるを得なかったことに加え、相手が子供ということと、その子供が「アーサー」のアバターを身にまとい、「エクスカリバー」を抜き、挑発してきたことでついその挑発に乗ってしまった。
 ガキならイルミンスールの最奥に到達していたとしても大したことはないだろう、という驕りがなかったわけではない。しかし、あったとしてもそれで手を抜くほど「ルキウス」も見下げた人間ではない。
 ただ、今回運営にアカウントを停止させられたりその運営がどうやら黒幕らしいといったことも絡み、いつもの冷静さを欠いてしまった。
 それでも斬り合っていても凍結する決め手に欠けると判断し、「ルキウス」は大きく後ろに跳んだ。
 匠音がそれに追従しようとするが「ルキウス」は小さな斬撃波を放ってそれを牽制する。
「ちぃっ!」
 匠音も後ろに跳び、「ルキウス」から距離を開ける。
 それで開いた距離に「ルキウス」はニヤリと笑った。
「もらった!」
「ッ!」
 「ルキウス」が「フロレント」を大きく振りかぶる。
 まずい、と匠音は身構えた。
 解析結果自体はすでに出ている。しかしそれに対抗するコードがまだ完成していない。
 受け止めた瞬間にコードを打ち込んでは間に合わない。正直な話、匠音のタイピング速度はクラスメイトの平均よりは上なだけでスピードマスターほどのスピードが出せるわけではない。これで「フロレント」の凍結スピードを上回るにはプリセット作成の、受け止めた瞬間にコードを発火させるしかない。
 「フロレント」から斬撃波が放たれる。
 それは受け止めず、匠音は横に飛んで回避した。
 斬撃波がすぐ横を通り過ぎ、背後のオブジェを凍結させる。
 避けた、と「ルキウス」がほんの少しだけ驚く。
 先ほどまでは受け止めていた匠音が回避した、これは何かある。
 そもそも斬撃波も直接の斬撃もどちらも回避するのが普通だ。喰らえば今の「エクスカリバー」がそうなっているように武器ツールが凍結してしまうのだから。
 逆に言えば、刀身は受け止める理由があっても、斬撃波を受け止める理由はない。ということか。刀身は受け止める理由があった……?
 それはなんだ。
 「ルキウス」は「アーサー」との対戦経験はない。それでもかつて彼と対戦した魔術師は語ったものだ。
 「『エクスカリバー』は危険だ」と。
 実際、「アーサー」と対戦した魔術師の多くが彼の固有ツールについて語ったが、その内容は千差万別、同じ言葉は聞いたことがない。
 ただなんとなく破壊系のツールであるということだけは理解したが、それ以上に「何か」がある。
 「フロレント」を受け止めたのは破壊機能だとしても、まだ何かを隠している。それが何か分からない。
 警戒しろ、と自分に言い聞かせ、「ルキウス」が「フロレント」を握り直す。
 目の前で匠音も八割ほどが凍結され、凍結を示すパーティクルに覆われた「エクスカリバー」を握り直す。
 もう一度、「ルキウス」は斬撃波を放った。
 匠音が再度それを回避、「エクスカリバー」に指を走らせる。
 凍結能力を無効化するコードはなんとか思いついた。理論上では対抗できるはず。
 問題は匠海からもらったプリセット集も利用したものの自分で考えたコードを「エクスカリバー」で発火させるのは初めてである。
 少しでも間違えていれば発火せず、不発に終わる。そうなれば凍結されてしまい、全てが終わる。
 本来ならテストしたいところではあるが実際の戦いでテストなんて悠長なことは言っていられない。
 「ルキウス」が三度「フロレント」を振りかぶる。
 今度は回避の姿勢を見せず、匠音も「エクスカリバー」を構え直した。
 その匠音の行動に脳内で警鐘が鳴るものの、それを無視して「ルキウス」は「フロレント」を振り下ろした。
 「ルキウス」の判断を油断と咎めることは出来ない。八割も凍結した武器ツールがなんらかの機能を発揮するなど不可能。それは「ルキウス」の認識のみならず、ハッカーなら誰でもそう考えるだろうから。
 同時に匠音が地を蹴り「ルキウス」に突進する。
 飛んでくる斬撃波を「エクスカリバー」で斬り捨てる。
 「エクスカリバー」が触れた瞬間、「エクスカリバー」の刀身から凍結を示すパーティクルが消滅し、凍結能力を備えた斬撃波は無意味なデータの羅列と化し、霧散する。
「な――」
 斬撃波が霧散した瞬間、「ルキウス」が思わず声を上げる。
 今まで、この斬撃波を止めるような魔術師は存在しなかった。そもそも凍結能力を備えた「フロレント」を真っ向から受け止めるような対戦相手もいなかった。いや、始めのうちは受け止めようとした魔術師もいたがその全てが即座に凍結され、それ故に「フロレント」は無敵のツールと言われていた。
 それなのに、「エクスカリバー」は、「エクスカリバー」の偽物と思っていたこの固有ツールは「フロレント」を真っ向から受け止めてもなお完全に凍結することなく、それどころか必殺の斬撃波ですら無効化した。
 ただの高密度データの固有ツールではない。自分のあずかり知れない能力を備えている、と「ルキウス」は迫りくる匠音を見る。
 半凍結状態から抜け出した「エクスカリバー」が振り下ろされる。
 それを「フロレント」で受け止める――
「な――」
 ことが、できなかった。
 「エクスカリバー」が「フロレント」を打ち砕く。
 ――まさか、本物――!?!?
 「フロレント」を打ち砕いた「エクスカリバー」がそのまま「ルキウス」を袈裟懸けに斬りつける。
 吹き上がる血のようにデータ片がパーティクルとして飛び散り、「ルキウス」がその場に崩れ落ちる。
「な……オレ、が……!」
「『ルキウス』、俺の勝ちだ」
 「エクスカリバー」の切っ先を「ルキウス」の目前に突き付け、匠音が宣言する。
「お前は……本当に……『アーサー』……?」
 信じられない、という声で「ルキウス」が呟く。
 その間にも斬られた個所から溢れるパーティクルは止まらず、アバターもノイズ交じりのものとなっていく。
 一瞬の迷いののち、匠音は頷いた。
「俺は『アーサー』だ。誰よりも強く、誰よりも間違いたくない――」
「『正義』だと言いたいのか? イルミンスールを攻めておいて?」
 「ルキウス」の言葉に、匠音が小さく頷く。
「俺はもう迷わない。あんたみたいに、誰よりも強くて、間違ったことを正せる正義の魔術師ホワイトハッカーに、俺はなる」
 その匠音の言葉に、「ルキウス」ははっとしたようだった。
 だがすぐに、はは、と自虐的に嗤う。
「オレみたいに、か……」
 「ルキウス」のアバターが整合性を維持できなくなり、崩壊を始める。
「オレの敗因は――道を踏み誤ったからかもしれねえな。オレは……オレの私欲のために動いてしまったからな」
「『ルキウス』……」
 崩れる「ルキウス」に匠音が手を伸ばす。
「違う、『ルキウス』、あんたは……。あんたは間違ってないよ。俺にとってあんたは、今でも目標だ」
 匠音の手が崩れる「ルキウス」のアバターに触れるが、そこからさらに崩壊が進んでいく。
 はは、と「ルキウス」が笑った。
「それは光栄だな。『アーサー』か……頑張れよ」
 そう言い残し、「ルキウス」の姿が消失する。
 ダメージを受けたのはアバターだけで、恐らくはホームエリアに再出現リスポーンしているだろうから心配することはない。
 それよりも消失直前の「ルキウス」の言葉に匠音は胸が熱くなった。
 あの「ルキウス」が認めてくれた、その思いが自分を奮い立たせる。
 いや、今は感慨にふけっている場合ではない。
 和美と白狼は、今どのような状況になっているのか。
 見ると、流石亡霊ゴースト級の魔術師二人、作業はほとんど終わっていた。
「『ルキウス』は撃退したよ!」
 匠音が和美にそう声をかけると、彼女は驚いたように彼を見る。
「『ルキウス』を!?!?
 馬鹿な、という響きが含まれているのは匠音にも分かった。とはいえ、実際のところ匠音もまさか一人で「ルキウス」を撃退できると思っていなかったため自分が一番驚いているだろう。
「『シルバークルツ』、よくやった! こっちももう終わるから少し休んでろ」
 和美のサポートをしながら白狼が匠音を労う。
 しかし、匠音は首を振って警戒を続ける。
「だって、『ルキウス』は撃退したけど他のカウンターハッカーが……」
「ああ、それは心配せんでええ」
 手を止めず、白狼が答える。
「そもそもイルミンスール側がここへのルートを封鎖している。儂らはそれを抜けたがその辺のカウンターハッカーが抜けるとは思えんな」
「……じいちゃ……『ヴァイサー・イェーガー』やべえ」
 ポロリと本音が漏れる。
 そんな会話が繰り広げられているうちに和美は必要なデータを全て抽出し、いつでも発信できるよう状態にまで準備を進めていた。
 ちら、と彼女が匠海を見る。
 いいの? という彼女の視線に、匠海が小さく頷く。
「やってくれ」
 分かった、と和美も頷き、エンターキーを叩く。
 その瞬間、ネットワークの流れに匠海の情報と、Face Note社の企みを告発する映像が展開された。
 「第二層」だけではなく、あらゆるニュースチャンネル、街中のデジタルサイネージに「モルガン」の姿が映し出され、証拠映像とともに全てを告発していく。
 Face Note社も即座に対応しようとするが相手は最強クラスの魔術師、社内お抱えのハッカーでは太刀打ちすることすらできず映像が繰り返し流れ続ける。
《Face Note社は佐倉 日和博士が抽出した一人の男性の脳内データを使ったAI『Oberon』を利用していました。それだけならまだよかったでしょう。しかし『Oberon』が生み出したブラウニーを我が物にし、GLFNグリフィン四社の覇権争いから突出、世界を管理しようと企んでいます。これがその証左――一人の魔術師にブラウニーを確保させようとした時のやり取りです――》
 澱みない声が街中に響き、通りがかった人々は足を止める。
《我々はここにFace Note社を告発します。無駄に企業間紛争コンフリクトを起こそうとするFace Note社の横暴を許してはいけません》
「……」
 映像を見る匠音の手が震える。
 和美は確かに匠海の存在を世間に提示した。しかし、それが「匠海である」とは明言していない。それでも世間に知らしめるには充分だった。
 ――父さん、
 これで、よかった。
 別に匠音はデータの公表に不服を覚えていたわけではない。リスクを考えると手放しでは賛成できないがそれでもそれを含めて、それを守ると決めての二人だろう。それなら文句を言う必要はない。
 匠海が満足そうに頷く。
「……これで、Face Noteも動きにくくなっただろう」
「父さんは……大丈夫なの?」
 公表することによって確かにFace Note社は動きにくくなっただろう。
 しかし、本当にデータが消されないという確証はない。
 それこそFace Note社が圧力をかけて削除することもあるのでは、と不安になってしまう。
 そんな匠音に歩み寄り、匠海は彼の頭を撫でた。
 実際にはデータ同士の接触なのに、何故か実際に撫でられたような、そんな温かみを感じる。

 

「大丈夫だ、倫理委員会はGLFN四社が睨み合っている。Face Noteだけが削除を提案しても他の三社が同意しなければ削除できない。それに――」
 そう言いながら匠海は和美と白狼を見る。
「あの二人のことだ、データのプロテクト解除に取り掛かっているだろう」
 言われて、匠音が二人を見る。
 そう言えばもう告発データの放流は終わっているのに二人はまだ作業をしている。
 何やら話し合いながら進めているところを見るとそれなりに手のかかる状況ではあるようだが、一体。
「おじいちゃん、この部分分かる?」
 魔術師としては超一流とも言える和美が白狼に教えを乞うている。
 その様子に、匠音は悟った。
 和美もまた魔法使いウィザード……いや、現地に来てオールドハックを行っているということはオーグギアで旧世代PCをエミュレートしている魔導士ソーサラーなのだと。
 いや、そういえば和美は「エクスカリバー」を「使える」と言っていた。そして「モルガン」は言っていたではないか。「『エクスカリバー』を使うには魔導士技能が必要」と。
 和美もまた魔導士であったから「エクスカリバー」は使えたし、今回のハッキングにもオールドハックを行っているのだろう。
 しかし、白狼に教えを乞うということはその腕は確かではあるが彼ほどではないということか。
 白狼が素早く指を走らせてコードを構築し、和美に転送する。
「……じいちゃんのオールドハック、すごいな」
 人間技とは思えないスピードでの入力に匠音が感嘆する。
「ウィザード級ハッカー舐めんな。儂だってやる時はやるんだよ」
 スクリーンから目を離さず、白狼が呟く。
 聞きなれない言葉に匠音が首を傾げた。
「『ウィザード級』? 魔法使いウィザードじゃなくて?」
 匠音はハッカーが何故魔術師マジシャンや魔法使い、そして魔導士と呼ばれているかは知らない。
 何かしらの語源はあるのだろうが調べたこともない。
 魔術師として学ぶのであればまずそこから調べるべきではあったかもしれないが興味を持った範囲から独学した、その形から入りたがる初心者にありがちなミスを匠音は犯していた。
 なんじゃ、知らんのかい、と白狼が呆れたようにぼやく。
「『ウィザード級』はオールドハッカーの中でも特にPCに精通した奴が名乗っていい称号だ。オーグギアが出る前からこう呼ばれていたからオールドハッカーは魔法使い、と呼ばれる感じだな。それに対して魔法使いよりは劣るものとしてオーグギアハッカーのことを魔術師って呼んでるんだよ」
「へぇ」
「まぁウィザード級と魔法使いでかぶるからややこしいがな」
 そう言いながらも白狼はさらに指を走らせ、和美に頷いて見せる。
「こっちも終わったわ……。匠海、」
 振り返って匠海に視線を投げ、和美が頷く。
 匠海も頷き、それから匠音を抱き寄せた。
「……父さん?」
「今からイルミンスールから俺を分離する。だから今回はここまでだな」
 和美と一緒にログアウトしろ、と匠海が言う。
「……父さんは? また会えるの?」
 一瞬、もう会えないような気がして匠音はそう尋ねた。
 はは、と匠海が笑う。
「またすぐ会えるさ――『ニヴルング』でな」
 そう言って匠海が匠音を和美の方に押しやる。
「……和美、」
 名前を呼ばれた和美が匠海に歩み寄る。
 彼女をそっと抱きしめ、匠海は耳に口を寄せた。
「また、後でな」
「じゃあ、起動するぞ」
 白狼が声をかけ、和美も匠海から離れる。
 それを確認した白狼はエンターキーを叩いた。
 ぶわり、とデータ片が周りを舞う。
 徐々に増え、視界を塞ぐデータ片の向こうで匠海が手を振る。
 光が辺りを包み込み――匠音たちは現実へとログアウトした。

 

「匠音!」
 和美が匠音に駆け寄る。
 拘束され、床に転がされた男が忌々し気に呻いているがそれには構わず、和美は匠音を抱きしめた。
「大丈夫、怪我はない?」
「大丈夫だよ、母さん」
 強く抱きしめられて顔をしかめながら匠音が答える。
「……ごめん」
 和美の腕の中で匠音が謝る。
「でも、ハッキングはやめない」
「もう今更やめろとも言わないわよ。それに条件付けたでしょ。まずは腕を磨きなさい」
「……本当に、『キャメロット』に……?」
 あの条件が現実なのか信じられず、思わず匠音は確認した。
 ええ、と和美が頷く。
「まあ、頑張りなさい。匠音ならできるわよ」
 そう話す二人の背後でパトカーのサイレンが聞こえる。
「……匠音、帰るわよ」
「うん」
 そのやり取りにわだかまりはもうない。
 パトカーが到着する前に、二人はビルを出て帰路に就いた。
「……母さん、」
 和美と並んで歩きながら匠音が口を開く。
「どうしたの?」
「俺……うまくやれたかな」
 ちゃんと父さんを守れたかな、と口にせず続ける。
 それにふっと笑い、和美は大きく頷いた。
「わたしにずっとハッキングを反対されてたのに、よくやったわよ」
「そう?」
 ええ、と和美が再び頷く。
 それから、
「……ごめんね」
 不意に匠音に投げかけられる謝罪。
 えっ、と匠音が和美の顔を見る。
「……何も言えなくて、それでいてハッキングを禁じて、本当にごめんなさい。わたしは、匠音を喪うのが怖かった」
「母さん……」
「だけど匠音、貴方は自分の手で真実を、未来を掴み取った。わたしが思っていた以上に、強かった。わたし、いつまでも貴方を子供だと思っていたのね」
 そう呟いてから和美が匠音を見る。
「目指すなら頂点目指しなさい。あのトレーニングアプリのランキングを塗り替えられなきゃ『Nileチャンピオンズトーナメント』は夢のまた夢よ」
 そうは言ったものの和美には確信があった。
 匠音なら必ず頂点を掴めると。
 親バカでも何でもない、一人の魔術師としてそう確信していた。
「……頑張りなさい。応援してるわ」
「……うん!」
 匠音が頷いたタイミングで二人は自宅があるアパートメントのエントランスに到着し、エレベーターに乗り込む。
 エレベーターが自宅のある階に止まり、二人がホールに出ると。
「匠音!」
 そんな声と共に匠音に突撃してくる影が一つ。
「うわっ!?!?
 そんな声を上げながら影を受け止めた匠音は目を見開いた。
「メアリー!?!?
 飛び込んできたのはメアリーだった。
「匠音、帰ってきたのね!」
 待ってたんだから、とメアリーが匠音に抱き着く。
「ちょっ、どうしたんだよメアリー」
 普段のメアリーが自分に抱き着いてくるなどあり得ない話だった。
 確かに先ほどの一件で彼女を助けているから彼女にも何らかの変化があってもおかしくないが、これはあまりにも変わりすぎている。
「匠音、本当にごめん! それから、ありがとう」
「何だよメアリー、調子狂うな」
 そう言いつつも匠音はどぎまぎしてメアリーに腕を回す。
「……ただいま、メアリー」
「うん、おかえり、匠音」
 匠音に抱き着いたまま、メアリーが彼の顔を見る。
「……『シルバークルツ』だったんだ、匠音」
「え……あ……うん……」
 歯切れ悪く匠音が頷く。
「ごめんメアリー、ずっと隠してて」
「いいわよ。どうせおばさまに止められてたんでしょ」
 止められていたのなら話しようがないし、とメアリーは自分を納得させるように呟いた。
「だけど、匠音、カッコよかったわよ。それにあのツール……『エクスカリバー』じゃないの? どこで手に入れたのよ? それに――」
 メアリーとしては疑問に思うことがたくさんあったのだろう。
 質問攻めが始まり、匠音が目を白黒させる。
「メアリーちゃん、匠音、疲れてるからそこまでにしてあげて」
 メアリーの肩に手を置き、和美が止める。
 あっと声を上げたメアリーが顔を真っ赤にして匠音から離れた。
「ごめん、疲れてるよね、ゆっくり休んで」
 もじもじしながら謝り、家に入るメアリー。
 その様子に、匠音は一瞬「脈ありか?」と考えた。
 そう考えてから、彼は初めて自分の、メアリーに対する感情に気づく。
「……ウソだろ……」
「どうしたの、匠音。顔赤いけど」
「え、いや、何でもない!」
 ――俺がメアリーに惚れてるとか知られるわけにはいかない。母さんには、特に。
 隠し事が一つ減り、一つ増えたな、と匠音は心の中でため息を吐いた。

 

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「世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第9章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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この作品を読んだみなさんにお勧めの作品

 AWsの世界の物語は全て様々な分岐によって分かれた別世界か、全く同じ世界、つまり薄く繋がっています。
 もしAWsの世界に興味を持っていただけたなら、他の作品にも触れてみてください。そうすることでこの作品への理解もより深まるかもしれません。
 ここではこの作品を読んだあなたにお勧めの作品を紹介しておきます。
 この作品の更新を待つ間、読んでみるのも良いのではないでしょうか。

 

  世界樹の妖精-Fairy of Yggdrasill-
 本作と同じ『世界樹の妖精』を冠していながら全く違う物語。
 「オーグギア」や「世界樹」があるところまでは同じですが主人公が本作では死亡したことになっている匠海となっております。
 蒼井によって観測された「もう一つの可能性」が、ここに。

 

  三人の魔女
 本作のキーガジェットであった「オーグギア」。これが本作のようにクラッキングに使われるだけでなく、支配者層によって支配に使われたら、という世界での物語です。

 

  Dead-End Abduction
 同じ作者による作品。今回の物語がサイバー・パンク風味を目指した結果、サイバーに大きく振りすぎてパンク要素が薄かった反省を踏まえて、サイバー要素を薄く、パンク要素を強めた作品です。
 死体を労働力として使う「再起動者リブーター」という技術の存在する世界での物語です。

 

 そして、これ以外にもこの作品と繋がりを持つ作品はあります。
 是非あなたの手で、AWsの世界を旅してみてください。

 


 

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