世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第6章
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第6章 「義体制御システム『
アメリカに建造された四本の「世界樹」がネットワークインフラを支える世界。
ロサンゼルスのハイスクールに上がったばかりの
通学途中で聞いた都市伝説、義体の不具合時に現れるという
その際に起動された爆弾から彼を救い、叱咤する謎のハッカー。
弟子入りしたいという匠音の要望を拒絶しつつもトレーニングアプリを送り付ける魔法使い。
それを起動した匠音はランキング一位にかつてスポーツハッカーだった
そんな折、メアリーが「キャメロット」の握手会に行くことになるがトラブルに巻き込まれてしまう。それを助けたもののハッキングが発覚して拘束され、メアリーの機転で厳重注意のみで済むものの、和美にはハッキングのことを知られ辞めるよう強く言われる。
それでも諦められず、逆に力を付けたくて匠音は匠海のオーグギアに接続し、父親のビデをメッセージを見る。
その際に手に入れた「エクスカリバー」の性能を知りたくて手近なサーバに侵入する匠音、しかし「エクスカリバー」を使いこなせず通報されかける。
それを謎の魔法使いこと
ハッキングを禁止する理由も、匠海のこともはっきりと教えてくれない和美に反抗し、匠音は家を飛び出してしまう。
家出をした匠音が頼ったのは祖父、
白狼からハッキングを教わりたいと懇願し、OKが出るが教えてもらえるのは
父親の事故の真相を聞きつつもそのハッキングに嫌気がさした匠音はブラウニーの姿を見つけ、追いかけてしまう。
目の前に現れた、「シルバークルツ」を知る男に匠音は驚きを隠せなかった。
どうして俺のことを、何が目的だ、いや、これが「リアルアタック」なのかという思考がぐるぐると回る。
何も言えず呆然としている匠音を一瞥し、男はふん、と鼻先で笑う。
「どうやら依頼を受けるのは初めてのようだな、『シルバークルツ』。今後は名指しで依頼が来ることも考えた方がいい」
「何を……いや、『依頼』……?」
今、男は「依頼」と言った。
まさか、この「シルバークルツ」にハッキングの依頼が? と匠音は考える。
今まで匠音は誰かの依頼を受けるわけでもなく自主的にトラブルを発見しては通報する、という活動を行っていた。
依頼らしきものを受けたとすればそれはあの「掲示板」で見つけたあれだろうか。
尤も、あれは発見されて通報されかけた上に「
そんなことを考えこんでフリーズしている匠音に、男がさらに声をかける。
「君が『シルバークルツ』でないならわたしの勘違いということで謝罪はする。しかし、君は紛れもなく『シルバークルツ』だ。そうでなければ最初の時点で『誰それ』になるはずだからな」
男の指摘に、匠音が言葉に詰まる。
確かに自分が「シルバークルツ」でないとごまかすなら初手で「そんな名前は知らない」と言うべきだった。
しかし、匠音は「どうしてそれを」と発言してしまっている。
自分が「シルバークルツ」であることを認めてしまい、匠音はまずいことになった、と考えた。
この男の依頼というものが何なのかも分からない。
それに、匠音というリアルを知っている状態での接触は依頼を断るに断れない状況に追い込んでいる。
それこそ「依頼」を断ろうものなら匠音のリアルを全て公表する、と脅すことも可能。
「……どういう要件なの」
この「依頼」は受けるしかない、そう思って匠音は訊ねた。
「なあに、簡単なことだ。君には『ブラウニー』について調べてもらいたい」
男の依頼は意外なものだった。
ブラウニーについて調べる、ブラウニーとはあの「義体の不具合時に現れるという
それなら匠音に頼まずとも義体制御OS「Oberon」の開発チームで調べればいいことではないのだろうか。
――いや、それとも――。
この男は「Oberon」開発チームに知られずにブラウニーを調べたいというのか。
開発チームに知られることに何か不都合があって、
しかし、それでも匠音は
それなのに、この男は何故。
「君はブラウニーが『視える』のだろう? そしてブラウニーに興味を持ったはずだ」
男の言葉は事実だった。
匠音は確かにブラウニーを見たことがあるし、そのブラウニーを追ってここまで来た。
興味がなければ追いかけることもなかったし追いかけなければこんなことにはならなかった。
「まぁ……興味がないわけじゃないけど……」
歯切れ悪く匠音が呟く。
だろう? と男が低く嗤った。
「そのブラウニーを調べる手伝いをしてもらいたいと言っているのだ。君に断る理由はないと思うが?」
男の言葉に重なって「駄目だ」という声が聞こえるような気がする。
駄目だ、ブラウニーを調べてはいけない、そう何かが匠音の中で警鐘を鳴らす。
そうだ、調べてはいけない。ブラウニーのことを探ってはいけない。
匠音も何故かそう思う。
しかし、それ以上にブラウニーに対する興味は強かった。
おずおずと匠音が男を見上げる。
「……本当に、ブラウニーを調べる?」
「ああ、ブラウニーを調べるだけだ」
匠音の問いに男が頷く。
どうしよう、と匠音が迷ったように呟く。
ブラウニーを調べたい。しかしこの男は信用できない。かといって断れば何が起こるか分からない。
しばらく考え、匠音は小さく頷いた。
「調べるだけなら」
「よし、それならついてきてもらおうか」
匠音の言葉に、男は満足そうに頷いた。
そして踵を返し、匠音についてくるように指示をする。
男について歩く間、二人は始終無言だった。
匠音は色々と質問したかったがそのような雰囲気ではなかったし、質問するにも疑問は浮かべど言葉にならない。
黙々と歩き、二人がたどり着いたのはとあるビルだった。
ビルではあるが量子通信を遮断する量子暗室が備えつけてあるなど、見た感じ量子通信に関する研究を行う
そこに一台のパイプベッドが置かれ、そこに一人の男が横たわっている。
一瞬、「死体?」と思って身構えた匠音だったが、すぐにそれは見間違いだと判断した。
ベッドに横たわった男の胸は上下していた。つまり、死んでいない。
だが、その片腕と片脚は明らかに人間のものではなかった。
肌色に塗装はされているが継ぎ目などが見え、それが義体であることを物語っている。
「……この人……?」
「ああ、今眠らせている。こいつの義体に意図的に不具合を起こしてブラウニーを呼び寄せる」
罠を張るのか、と匠音は呟いた。
そこまでしてこの男はブラウニーを調べたいというのか。
いや、先ほど匠音をこの男に導いたのはブラウニーだったはず。
そこまで考えて、匠音はまさか、と考えた。
――あのブラウニーは、俺を誘き寄せる罠――?
あの時覚えた違和感はそういうことだったのか、と思うもののもう遅い。
匠音はまんまと罠に引っかかり、今こうやって男の指示に従わされている。
ここまで来て今さら「ブラウニーを調べられない」とは言えない。
眠っている男のベッドに歩み寄り、匠音は男の義手にそっと手を伸ばした。
匠音の視界に義体装着者の告知タグが表示される。
現時点で義体は休眠モード。
振り返り、匠音は男を見た。
「これ、どうやって……」
「これを使ってくれ」
男の言葉と共に一つのファイルが匠音に転送される。
ファイルを受け取り、匠音は一つ息をついて眠っている男のオーグギアにアクセスした。
「ああそうだ、私は量子暗室から有線でモニターさせてもらう。データは共有させてもらうよ」
匠音のアクセスを確認し、男がそう言ってオーグギアの有線接続ケーブルを手渡してくる。
それを断ることができず、匠音はケーブルを受け取り、自分のオーグギアに接続した。
男が量子暗室に入ったことを確認し、対象のオーグギアの所在を特定して
《いいぞ、その調子だ》
匠音のハッキングの様子を共有状態で確認した男が満足げに頷く。
モニターされていなければ適当に誤魔化せたのに、と思いつつ匠音は義体の制御部分に侵入、男からか受け取ったファイルを送り込んだ。
送り込んだファイルが寄生虫のような姿をとり、義体に潜り込んでいく。
すると、「Oberon」のステータスモニタに変動が起こった。
義体の状況を示す波形が乱れ、異常が発生したと伝えてくる。
ごくり、と匠音は唾を飲み込んだ。
さて、どう出る、ブラウニーは本当に出てくるのか、と二人は固唾を飲んでステータスモニタを眺める。
――頼む、出ないでくれ!
嫌な予感がする、と匠音は内心でそう祈っていた。
ブラウニーを調べたい? 嘘だ、この男はブラウニーを捕獲したい。何故かそんな予感がする。
ブラウニーを捕まえたところで元々は「Oberon」の自己修復システムのはずだから何の意味もないだろうに。どうしてこの男はブラウニーを探ろうと考えているのか。
いや、そもそもブラウニー自体が「Oberon」開発元にとって想定外のものだとしたら?
ブラウニーが「Oberon」開発元によって開発されていない、いや、「Oberon」こそがブラウニーを開発していたとすれば。
そんなバカなことがあるはずない、と思いつつも義体制御OS「Oberon」は非常に高度なAIを備えたシステムである。AIがAIを開発してもおかしくないだろう。
つまり、この男は「Oberon」が人の手を離れてブラウニーを生み出したと言うのか。それを確認するためにブラウニーを調べたい、と言うのであれば話はわからないでもない。
――でも、それでいいのか?
妙な不安が匠音の胸を締め付ける。
ブラウニーのことを調べてはいけない、ブラウニーは自由でいなければいけない、そんな気がする。
そしてもっと、何かとてつもない秘密を抱えているのではないか、とさえ。
その秘密が何かは分からない。
それでも何か、こう、自分にも関わってくるものではないのか、そんな気さえしてしまう。
それは匠音の
ハッキングの腕はまだまだひよっこと言われるほどの、中級者の域に足を踏み込みかけただけの初心者である。
それでもネットワークやハッキングで起こりえる「何か」を感じ取る感覚は優れている。
それはあの「モルガン」にも認められたこと。
勘と反応速度は匠音が自分で把握している以上に優れている。
それを知っているのは「モルガン」だけであったが匠音はそんなことを知る由もない。
緊張で高鳴る心臓の音がやけにうるさく聞こえる。
息をすることも忘れて、匠音は「Oberon」のモニターを凝視していた。
そのモニターが、一瞬、ふっと揺らめく。
《来たぞ!》
男の声が鋭く響く。
その声に我に返り、匠音が深く息を吐く。
忘れていた瞬き一つ。
目の前に、ブラウニーがいた。
《いたぞ、ブラウニーだ!》
男の声には構わず、ブラウニーが手にしたトンカチで義体を叩く。
匠音の視界に制御コードウィンドウが表示され、高速でスクロールしていく。
あの時と同じだ、と匠音は思った。
目の前に現れたブラウニーは、トンカチを振るうというモーションで制御コードを書き換えていくらしい。
スクロールが止まった制御コードが高速で書き換えられていく。
――なるほど。
前回と違い、何故かどの部分をどのように書き換えているのか理解できる。
それはそうだろう、オーグギアの、モーションによるツール生成と違い目の前に表示されているのはそのツールの基幹となる
ほんの数日、
その基礎を学んだことで匠音は制御コードが読み取れるようになっていた。
そんな自身のスキルアップに気づくことなく、匠音は「あの時このコードが読み取れていれば……」などと考えている。
しかし、その考えも男の声で中断された。
《やはり監視を警戒していたか――。罠を張られているとも気付かず、呼びかけに応じたか》
男の声に違和感を覚える。
――呼びかけに、応じた?
「どういうこと」
《君が知る必要はない》
男の言葉は冷たい。
君はただ調べればいい、と言われ、匠音は書き換えられる制御コードを凝視した。
制御コードがどんどん書き換えられ、同時にモニターのステータスも回復に向かっていく。
一分もかかっただろうか。
制御コードのウィンドウに【Complete】の文字が浮かび上がる。
そのタイミングで、男が声を上げた。
《何をしている、ブラウニーを捕まえろ!》
ブラウニーを捕まえれば詳しく調べることができる、と男が匠音を急かす。
その声に匠音がはっとして片手をブラウニーに向けて伸ばそうとする。
――いや、駄目だ!
逃げろ、と匠音の唇が動く。
ブラウニーを捕まえてはいけない、だから逃げてくれ、という思いが匠音の動きを躊躇わせる。
ブラウニーが頭を上げる。匠音と目が合う。
次の瞬間、ブラウニーはくるりと一回転した。
直後、その姿がふっと掻き消える。
《何をしている、追跡するんだ!》
ブラウニーが消えて匠音がほっと息を吐く間もなく男が声を荒らげる。
そう言いながらも男は共有された匠音のUIに割り込み、コマンドを入力する。
すると匠音の視界にブラウニーの
「な――」
《上手くいくかどうかは賭けだったが、引っかかってくれたようだな》
男がほっとしたように呟く。
「これでブラウニーを追跡することができる」
量子暗室から出てきた男がそう呟きニヤリと笑う。
その笑いがあまりにも邪悪で、匠音は「この男は良からぬことを企んでいるのではないか」とふと思った。
「一体、何を……」
「さっき君に使ってもらったツールは義体に意図的な不具合を起こさせるだけではない。その不具合を修正しようとしたツールをあぶり出し、使用者を追跡するものだ」
つまり、ブラウニーがこのツールで発生した不具合を修正しようとしたから
「今ならブラウニーを追跡できる。さて、一体誰がブラウニーなんてものを使っているんだ」
そんなことを言いながら男は匠音を促した。
それに気圧され、匠音が小さく頷いて追跡を開始する。
ブラウニーは姿を消していたが、それは視界表示をオフにしただけでどこかに転送された、というような動きではない、とオニオンスキンが示している。
匠音が「シルバークルツ」のアバターでブラウニーを追跡する。
迷路のような制御システム内部を、ブラウニーはどこかへ向かうように移動している。
オニオンスキンを辿り、匠音がシステムの奥深くへと侵入していく。
途中に現れるセキュリティはとても脆弱なものでブラウニーの追跡を優先する匠音の腕でも容易に突破できる。
そうやってシステムの奥深くへと到達し――匠音はブラウニーが「Oberon」の内部へと消えた形跡を見た。
ブラウニーの足取りはここで途絶えている。つまり、「Oberon」自身が管理しているということか。
「Oberon」が自己修復機能としてブラウニーを開発し、不具合に対応していた。
それは以前匠音が考えていたことではあったが、やはり事実だったのか。
ぐぅ、と匠音の背後で男が唸る。
「何をしている、『Oberon』を調べるんだ」
「え――」
何を、と匠音が振り返り男を見る。
「ブラウニーが『Oberon』に逃げ込んだというのならその『Oberon』を丸裸にするまで。私は、なんとしてもブラウニーを捕らえなければいけない」
「なんでそこまで」
いくらなんでも『Oberon』を解析するのは正しいことではない、と匠音は理解していた。そもそも流通している各種ツールやシステムを
それをこの男はさせようというのか。
「流石に逆アセンブルは無理だって。俺、そこまでハッキングに強くないよ?」
「いや、君ならできる」
強い口調で男が即答する。
「君はあの『
「え、」
男の口から思ってもいなかった名前が出て匠音が言葉に詰まる。
――こいつ、父さんを……?
どうして知っている、と匠音は考えた。
スポーツハッカーとしての「アーサー」を知っているならまだ分かる。
それなのにどうしてホワイトハッカーとしての裏の名、「黒騎士」を知っているのだ。
そして、この男はその「黒騎士」の息子だろうと言った。
何故それを知っている。「黒騎士」のリアルを知っているとは、この男は。
「まぁ、『黒騎士』が君の父親、タクミ・ナガセであることを知ったのはつい最近だがな。事故の直前に既に君を身籠っていた君の母親と結婚していたとも調査済みだ」
「それは」
その話を詳しく聞きたくて、匠音は思わず男に尋ねようとする。
しかし、男は首を振って匠音が侵入中の義体を指差した。
「今はそんなことを話している暇はない。『Oberon』を解析しろ」
有無を言わせぬ強い言葉。
その言葉に逆らえず、匠音は「Oberon」に手を伸ばした。
祖父が手がけたものを、匠音は暴こうとしている。
嫌だ、やりたくない、と匠音が躊躇う。
やれ、と、男が言う。
「それとも、ここまでのことを全て公表されたいのか?」
そんな恫喝と共に男は匠音にハッキングの続きを強要する。
おずおずと匠音の手がツールを選択する。
――じいちゃん、ごめん!
心の中で謝罪し、匠音は「Oberon」内部に侵入した。
コードがさまざまなオブジェの形をとった「Oberon」の内部に「シルバークルツ」が侵入していく。
奥へ、もっと奥へ。
途絶えたと思ったブラウニーの足取りは「Oberon」のさらに奥へと続いている。
――来るな。
そんな声が、聞こえたような気がする。
――これ以上来てはいけない。
どこかで聞いたことのあるような声。それもつい最近聞いたような、力強くも優しい声。
その声に逆らい、匠音は歯を食いしばりながら奥へと進んでいく。
その奥に、オニオンスキンではないブラウニーの姿が見える。
「待って――!」
その手がブラウニーに届きかける。
しかし、匠音の手は空を掴み、ブラウニーはそのまま「Oberon」のさらに奥、そこからさらに細く伸びる
「え――」
匠音が、ブラウニーが姿を消したパスに手を触れる。
このパスはどこかに繋がったたった一つの
どこに繋がってる、と匠音はパスの先を確認した。
このパスの行き着く先が、きっとブラウニーが帰る先。
「Oberon」がそうだと思っていたが、さらにその先があるなんてと思いつつも匠音の意識はパスを辿る。
その意識が、壁に阻まれる。
ここか、と匠音は壁を見た。
複雑なラインで構築された光の壁。
いや、光の壁などではない。
見上げればそれは天高く伸び、世界中へと枝葉を広げる一本の世界樹。
イルミンスールだ、と匠音は呟いた。
ブラウニーの
「……イルミンスール……」
世界樹を見上げ、匠音は呆然と呟く。
「どうして、こんなところに」
イルミンスールは
元からメタバースやSNSに特化した
「ニヴルング」は学校はじめとして匠音が普段から利用しているSNS。
その「ニヴルング」を抱えている世界樹、イルミンスールをブラウニーは根城としているのか。
匠音がそっと壁――イルミンスールの幹に触れる。
その手が触れる直前、バチリという軽い衝撃と共に手が弾かれる。
拒絶されてる、と匠音は思った。
何も知らないユーザーがうっかりイルミンスールに侵入してしまわないように施された電子の結界。
その電子の結界をものともせず、いや、そんなものはなかったかのようにブラウニーはイルミンスールの中へと消えていった、そんな気がする。
「……やはり、イルミンスールか」
呆然とする匠音の後ろで男が呟く。
「どういうこと」
やはり、という言葉が気になって匠音が振り返って訊ねる。
「君は陰謀論者の『義体データは常にイルミンスールに送信している』という噂を聞いたことがないのか? 『Oberon』が常にイルミンスールと通信して義体のあらゆるデータを送信している、これはその証明と思わないか」
えっ、と匠音が声を上げる。
義体がらみで陰謀論者が色々話しているのはSNSでも「第二層」の噂でもよく耳にする。
匠音としては陰謀論者の話など聞くに値しないと思っていたため聞き流していたが、まさか、真実もあった、ということなのか。
現に「Oberon」とイルミンスールに
そして思う。
祖父がFaceNote社から資金援助とストレージ提供を受け「Oberon」、そしてイルミンスールの基幹OSを開発したことは知っている。
資金援助を受けているのだ、FaceNote社が何かしらの要求――それこそ義体のデータ収集など要求していてもおかしくない。
いや、義体のデータ収集が違法であるとは思えない。そもそも義体はまだ発展途上、現在はすでにほぼ完璧なトラッキングが行われているとはいえより高性能な義体の開発にはデータ収集が必須である。
そのために「Oberon」が義体のデータを収集してメインサーバであるイルミンスールに送信しているのは何の問題もない。
それとも、それすら陰謀論者は「プライバシーの侵害だ」と言うのであろうか。
この男はそんな陰謀論者の一人なのだろうか。
「Oberon」がイルミンスールと通じているという事実を突き止め、それを公表するつもりなのか。
不安げな目で匠音が男を見る。
男が厳しい目で匠音を見る。
「『シルバークルツ』、イルミンスールへ侵入しろ」
「えっ」
男の言葉に、匠音は思わず自分の耳を疑った。
――イルミンスールへ、侵入?
無茶な、という思いが匠音の胸をよぎる。
自分のハッキングの腕がまだそこまで卓越していないのはよく分かっている。
「モルガン」からもらったトレーニングアプリでランキングを塗り替えることすらできていない。
そんな状態で、世界最高峰のセキュリティを誇るメガサーバ「イルミンスール」に侵入できるはずがない。
無理だ、と匠音が呟く、
たとえ侵入できたとしても表層で
イルミンスールへの侵入自体は表面の防壁さえ突破すれば可能だろう。問題はそこから先、数々のセキュリティやトラップをいかにして回避するかである。
仮にそれが回避できたとしてもイルミンスールは人力で侵入者を発見し、排除している。
それがカウンターハッカーであり、匠音が目指す
しかも「ルキウス」はイルミンスールのカウンターハッカー。侵入すれば「敵」として遭遇する可能性が高い。
「ルキウス」に勝てるわけがない、と匠音は考えた。
あの、全てを凍結させる
そう考えると、遭遇した時点で「詰み」である。
「無理だよ、おっさん、俺の腕を買い被りすぎだって」
思わず、匠音がそう拒む。
だが、それではいそうですかと引き下がる男ではなかった。
もう一度、匠音に対して「侵入しろ」と言い放つ。
「それとも、君はここで投げ出すつもりか?」
「だって無理なものは無理だって」
この男は匠音に期待を寄せているようだがそれは過度のものだ。
今の匠音の力では誰にも知られずイルミンスールを調べることなどできない。
無理だから諦めよう、と提案するも男はそれに応じない。
それどころか、
「ならば、ここで起きたことに関して君を通報することになるが?」
そう、恫喝してきた。
「え……」
匠音の言葉に「何をバカな」という響きが混ざる。
いくら男が匠音を通報したとしても、匠音も男をきちんと認識している。
「この男に脅されてハッキングした」と反論することができるはず。
それにオーグギアには当然ながら録画機能も付いている。
男はここで起こったことを通報すると言っているが、匠音もまた男の言動は録画していた。不利なのは男の方である。
しかし、男はニヤリと笑って匠音を見る。
「なに、私は通りがかりの善意の通報者だ。君のオーグギアに今までの記録は何一つ残っていない」
「何を」
「先程君に渡したファイルはそのまま君のオーグギアに感染、録画機能をオフにするウィルスも仕込んであってな。君は録画をしていたつもりだろうが、そんなものははじめからされていないのだよ」
男の言葉に、匠音がまさか、とオーグギアをチェックする。
男が言う通り、オーグギアのストレージにはこの数十分のやり取りは記録されていなかった。現時点で匠音の視界には【⚫︎REC】の表示が点灯しているにも関わらず、だ。
「くっ……」
悔しそうに匠音が歯軋りする。
録画ができていればまだ「ハッキングを強要された」として通報することもできたかもしれないが動画という決定的な証拠になり得るものが奪われては手も足も出ない。
尤も、録画できていたとしてもリアルタイムで改竄する技術もあるため匠音の「強要された」という主張が認められるには相当な時間がかかるかもしれないが。
「さあ、どうする『シルバークルツ』。通報されたくなければ、イルミンスールをハッキングしろ」
「くそっ……」
反撃の手段を奪われた以上、指示に従うしかない。
イルミンスールをハッキングせずとも、既に「Oberon」の奥深くまで侵入している。この時点でかなり重い罪になっていてもおかしくない。
どうする、と匠音は自問した。
男の言う通りイルミンスールをハッキングするか。
それともこれ以上は協力できないと男に反撃するか。
男は「Oberon」がイルミンスールにデータを送っている、そしてブラウニーがイルミンスールと繋がっていると主張していることから「義体装着者のプライバシーを抜き取るFaceNote社は悪だ」と主張する陰謀論者だろう。
そんな陰謀論者の指示に従ってイルミンスールを攻撃するのはただの
ここまでは興味を持っていたとはいえ言われるがままハッキングした匠音だったが、ここから先は従うわけにはいかない。
なんとかして、反撃の糸口を掴まなければ。
「私を出し抜こうとしているのか? 無駄なことを」
「無駄かどうかは分からないだろ」
匠音の指が素早く動く。
UI共有がされているので匠音が何をしているのかは男には筒抜けだったが、それでも匠音のコマンド入力は速く、男は完全に把握できない。
それでも匠音が男のオーグギアにハッキングを仕掛けようとしたということは把握したのだろう、男が匠音を睨みつける。
ファイル転送の際に構築された
「ふん、無駄だと言っているだろう」
男が素早く――匠音が侵入する前にその手を払い除け、コマンド入力を中断させる。
「――っ!」
「そんなにも通報されたいか?」
男が手を伸ばし、匠音の胸倉を掴む。
「放せ!」
「無駄だと言っているのが分からないのか。君はブラウニーさえ捕まえてくれればいい。君ならできるはずだ」
そう言って男が乱暴に匠音を突き飛ばす。
明らかに苛立った男の様子に、匠音はそれでも負けじと男を睨む。
「陰謀論者の言いなりになってたまるかよ! 俺のハッキングを止めるくらいの腕があるならおっさんがやればいいだろ!」
「それができれば苦労はしない。だから、君にやれと言っている」
「くっ――」
匠音が唸る。
もう、男に一矢報いることはできないのか。
イルミンスールをハッキングするしかないのか。
このまま、自分の意に反してクラッカーになるしかないのか。
――やれ。
不意に、「声」が聞こえたような気がした。
「――え?」
匠音が頭を上げ、周りを見る。
そこに男と義体の男以外誰かがいる気配はない。
――イルミンスールを攻めろ。
どこかで聞いたことのあるような声が匠音にそう告げる。
反射的に匠音は寝かされている男の義体を見た。
「父……さん……?」
確信はない。
それでもこの声は匠海の声だと、そう思ってしまう。
理由も分からない。
その言葉通りにイルミンスールを攻めて窮地を逃れられるとも限らない。
それでも。
――俺を信じろ。お前には真実を知る権利がある。
「まさか……」
匠音の口からそんな言葉が漏れる。
嘘だ。そんなことがあるはずがない。
いくらなんでもこんなに都合のいい幻聴が聞こえるはずがない。
――どうして父さんの声が。
確かに、今一番望んでいるのは自分を助けてくれる「誰か」の力である。
あの「モルガン」が助けに来てくれれば、と思いさえしている。
そのタイミングで聞こえた
十五年も前に死んだ匠海の声が、今、どうしてこのタイミングで聞こえるのか。
ただの都合のいい幻聴だ、そう、匠音は自分に言い聞かせる。
いや、それともこの声は男が匠音を惑わせるために聴かせているものかもしれない。
都合のいい言葉を、都合のいい人間に置き換えて認識しているだけだ。
――時間がない、ここで詰みたくなければ、イルミンスールを攻撃しろ――。
どうする、と匠音は自問した。
この言葉を信じるべきか、信じずに抗うべきか。
匠音の指がおずおずと動く。
イルミンスールにアクセスしようとして、その手前で止められる。
「俺、は――」
「何をしている、さっさと侵入しろ」
苛立った男の声が匠音を追い立てる。
――信じろ。
聞こえてくる「声」に、匠音は目を閉じた。
――本当に、信じていい?
声は一方的に聞こえてくるだけ、問いかけても答えは来るはずがない。
それでも匠音は自分の心を決めるためにもそう問いかけた。
――俺は、父さんを信じる。
一つ息を吐き、匠音が目を開けて義体を、それからその先のイルミンスールを見る。
――必ず、父さんに追い付く。
「分かった、侵入するよ」
男に視線を戻し、匠音ははっきりとそう言った。
「だったらさっさと――」
「だけど、おっさんのためじゃない。俺は、自分の意思でイルミンスールを、それからブラウニーのことを突き止める」
男の言葉を遮り、匠音がそう宣言する。
「おっさんのことは信用できない。場合によっては通報する」
「バカな、証拠など何も――」
「証拠なんてなくてもいい。俺のすることは無駄かもしれないけど、おっさんの信用を少し傷つけるくらいはできるだろ」
世間は「被害者」には同情する。
先に「被害者」だと名乗りあげればたとえ加害者であっても当面は優しくされる。
だから、匠音は証拠が提出できずとも先に「被害者」だと名乗ると宣言した。
勿論、証拠がなければ有利に立ち回ることはできない。むしろ男が「実際の被害者は私だ」と証拠を提出すれば立場は逆転するだろう。
しかし、匠音が声を上げることで男の信用はわずかに揺らぐ。
「こんな子供のそう言わしめた」という事実は残る。
その影響がどこまで広がるかは分からない。それでも、何もしないよりは物事は動く。
「くっ……」
男が低く呻く。
その反応に、匠音は「よほど自分の立場を危なくしたくない」と判断する。
つまり、ほんのわずかでも信用を失うわけにはいかない立場だということか。
「くそっ、勝手にしろ。しかし、ブラウニーのデータは私がもらうからな!」
吐き捨てるようにそう言い、男は室内の椅子の一つに歩み寄り、どっかりと腰を下ろした。
帰宅した
《あら、おじいちゃんどうしたの》
匠音の様子はどう、と聞いてくる和美に、白狼は匠音が帰宅したわけではない、と判断する。
「和美さん、匠音が出かけた」
《えっ》
もしかして、帰ってくるの? と言う和美に白狼はかぶりを振る。
「その可能性を考えたが、匠音は儂に無断で帰るような子じゃないだろう。何か意図があって家を出たな」
《場所は》
和美の言葉に、白狼がそうだな、と空中に指を走らせる。
オーグギアの位置情報をオフにしていてもGPS自体は常に取得されている。
だから、その専用のサーバにアクセスして位置情報を特定しようとして、白狼は目を見開いた。
「まずいぞ、和美さん」
《どうしたの》
白狼の切羽詰まった口調に和美の声も緊張感を帯びたものになる。
「匠音、何か事件に巻き込まれたな……。複数のオーグギアが欺瞞されて居場所を特定できないように対策されている」
白狼の視界に映り込む複数の匠音の反応。
GPSを欺瞞? と和美が声を上げる。
《そんな芸当、その辺の魔術師には無理よ! まさか、魔法使い――》
心配そうな和美の声。
基本的に
すぐに自分のPCを起動し、白狼はキーボードに指を走らせた。
オーグギアでハッキングを行うよりPCでハッキングする方が早い。
すぐにGPSのデータセンターにアクセスし、データ改竄の形式を確認する。
「な――」
白狼が掠れた声を上げる。
「いや、和美さん……」
《どうしたの、おじいちゃん》
和美もデータセンターにハッキングを仕掛けたのだろう、白狼の視界、データセンターのマップに光点が一つ、追加される。
「和美さん、無理はするな」
魔術師がアバターを使ってアクセスした場合はすぐに分かる。
慣れた魔術師であれば誰がアクセスしたかはすぐに突き止めることができる。
しかし、今、白狼のマップに現れた光点は確認しようとしても名前を特定することができない。
アバターを介さずにハッキングを行うのは魔法使いくらいのものだ。
そして、その魔法使いの数は魔術師に比べて圧倒的に少ない。
こんなGPSのデータセンターにわざわざハッキングする魔法使いが何人もいるとは思えず、そう考えると和美が侵入したと考えるのが妥当である。
《匠音が事件に巻き込まれたのかもしれないのでしょ? わたしも手伝う》
通話の向こうから和美がキーボードに指を走らせる音が聞こえる。
《今は家のPCからハッキングしてるけど、匠音の居場所が特定できたら移動しながらに切り替えるわ》
「了解、儂も何かあったら動く」
キーボードに指を走らせ、GPSの状態を確認していく。
しかし、どのGPS情報も無理やり書き換えられた形跡はない。
どれも正規の方法で匠音だと登録されている。
(どういうことだ……?)
ハッキングによって情報を書き換えられたのなら必ず綻びは出てくる。
それはたとえ魔法使い――白狼のようなウィザード級の魔法使いであっても完璧に欺瞞することは難しい。
それとも、完璧に欺瞞できるほどの腕を持つ魔法使いを白狼は認知していなかったということなのか。
――いや、違うな。
白狼の勘が「これはハッキングされたものではない」と告げている。
それならば誰がデータを書き換えたのか。
誰かが管理者権限を持つアカウントを乗っ取って書き換えたのか?
そう考え、適当なデータを複数拾い、情報を洗い出す。
――管理者権限を使っているのは一人、しかしこっちに綻びがあるな。
やはり、誰かがこの管理者権限を持っているアカウントを乗っ取ってデータを書き換えたらしい。
しかしその足取りも管理者権限のアクセスログを辿る段階で途絶えてしまう。
――アクセスIP自体を削除している、か……ハッキングの腕自体はそこまであるわけじゃあないが、リスク回避の方法だけは心得てるな。
管理者権限乗っ取りの形跡ははっきり残っている。
儂ならもっと上手くやるわいと思いつつ、白狼は舌打ちをする。
――さて、ここからどう犯人を特定しますかね。
アクセスIP自体を削除されているため手がかりはほぼゼロと言っていい。
しかし、白狼も魔術師の端くれ、それもかつてはスポーツハッキングの世界大会に手が届きかけた人間である。ハッキングの形跡から犯人を特定することは不可能ではない。
さて、やりますかね、と白狼はさらにキーボードに指を走らせた。
ハッキングの痕跡から使用ツールを割り出し、そこから魔術師の
使われたツールは他人のアカウントを乗っ取るものだが、その中でも特に扱いやすいことで
なるほど、こいつは骨が折れるかもな、とその時点で白狼は判断した。
人気の高いツールはそれだけ扱いやすいということで初心者ハッカーが好んで使う。
初心者向けだけあって誰でも簡単に扱えるがその分
それなら今回の魔術師も初心者なのか、と思いたくなるところだが白狼は「そうではない」と判断していた。
ツールの使用ログを呼び出す。
使用ログは丁寧に削除されている。
それだけで白狼は相手の用心深さに舌を巻いた。
相手は発覚を恐れている。それ故に使用ツールはユーザーが最も多いもので、簡単に使用者が特定できないように細心の注意を払っている。
しかし、誰かを踏み台にしてハッキングを行うほどの腕ではないとも判断する。
アカウントを乗っ取ってのGPS情報書き換えではあったが、この乗っ取りツールは「そのユーザーが持つ権限でシステムを操作する」ことができるもので「誰かを踏み台にしてそこから別のユーザーにアクセスするもの」ではない。
今回の件、白狼がGPS情報を書き換えるならまず複数のプロキシを刺したうえで複数の人間を踏み台にし、その上で該当のアカウントにアクセス、操作を行うだろう。
その踏み台の形跡がないという時点で白狼は「相手は用心深いが同時に複数のツールを使いこなせるほどの腕ではない」と判断した。
むしろ匠音の方が上手くやるぞ、と思いながらツールから使用者のオーグギアへとつながるパスを探り始める。
用心深い魔術師のことだ、ツールも使い捨ててパスは切っているだろうが白狼ほどの魔術師ならそのパスをつなぎ直すことは可能。
時間がかかれば復元も難しくなるが、匠音の居場所を今欺瞞しているというのならパスは切断されて間もないだろう。
切れたパスの先を手探りで探す。
パスの切れ端が遠くに見える。
あれか、と白狼が手を伸ばす。
白狼の手がパスの切れ端に触れる――
と、ばちり、とその切れ端は白狼の手を弾いた。
「な――」
白狼がパスの切れ端の先を見る。
複雑なラインで構築された光の壁が見える。
パスの切れ端はその先へと続いている。
「……イルミンスール……」
《おじいちゃん、どうしたの?》
白狼の呟きに、和美が怪訝そうな声を上げる。
「……匠音の居場所を誤魔化している奴は、イルミンスールに、いる」
信じられない、と白狼が呟く。
《……え?》
和美もまさか、と声を上げる。
《イルミンスールにいるって、どういうこと》
「分からん。だが、イルミンスールを拠点にできるような奴なんてそうそういない」
――それこそ、イルミンスール運営でもなければ――。
いや、まさかな、と白狼が唸る。
流石に、そんなことはあり得な――いや。
ふと思い立った心当たりに、白狼が否定しかけた自分の考えを引き戻す。
――向こうさんも本腰を上げたか。
「……和美さん、まずいことになったかもしれない」
務めて冷静に、白狼が口を開く。
「イルミンスールも見つけたかもしれない」
《見つけたって、まさか――》
和美の声音に一瞬、期待が混ざる。
ああ、と、白狼が頷いた。
「知ってか知らずか、向こうさんは匠音を使ってあぶり出そうとしているのだろう。儂らも急いだほうがいい」
そう思った矢先、複数に分散された匠音のGPS情報が一斉に揺らいだ。
どうやら一つのユーザーIDを複数に同期させているらしい。
なるほど、と白狼はデータの一つに取り付いた。
データセンターからオーグギアという
元々位置情報を送るためだけのデータ、匠音の動向を探れたとしてもハッキングで干渉できるほどの太さのパスではない。
ただほんの少し、わずかに開かれた隙間から相手の様子を窺うだけのその細いパスに白狼は取り付いた。
わずかに垣間見られる匠音の操作ログ。
匠音はハッキングをしていた。
どうやら義体にアクセスしている、ということは突き止める。
そしてブラウニーが姿を見せた、ということも。
「匠音がブラウニーと接触した形跡がある。というよりも、義体に意図的に不具合を起こしてブラウニーを呼び寄せたようだな」
《でも
「あいつのことだ、義体の不具合は放っておけなかったのだろう。そして、罠に引っかかったか」
ブラウニーは非常に用心深い。監視下で姿を見せるようなことは行わないはず。
それでも姿を見せたということはよほど放ってはおけないような不具合を感知したのだろう。それが意図的だったかそうでなかったかはブラウニーにとって問題ではなかったのかもしれない。
最終的にブラウニーは義体の不具合を修正し、姿を消したようだが匠音はそれを追跡していた。
ブラウニーを追うように「Oberon」の奥深くへ侵入、そこから何かを追うようにパスを伸ばし――。
「まずいぞ和美さん!」
白狼が声を荒らげる。
「匠音、イルミンスールにハッキングしようとしている!」
《なんですって!?!?》
信じられない、という和美の声。
しかし、白狼の目の前にあるディスプレイに表示された操作ログは、ハッキングのアクセスログは、確かにイルミンスールのアドレスを表示させていた。
「事件に巻き込まれたのは確定だが、匠音だって自分がイルミンスールに挑めるほどの腕がないことくらい理解しているはずだ。まさか――」
《誰かに、強要された?》
恐らく、と白狼が頷く。
「匠音の居場所を特定しないとまずいがそれよりもイルミンスール侵入の方が優先事項だ。このままじゃあっと言う間にトラップに喰われるぞ!」
回線の向こうで、和美が「匠音」と呟いたのが聞こえる。
匠音、早まるな、と白狼も祈る。
《おじいちゃん、イルミンスールに侵入する》
突然、和美がそう宣言した。
「和美さん!?!?」
和美の言葉に、白狼が驚きの声を上げる。
「正気か、イルミンスールの攻略難易度は――」
《だからよ。このままじゃ匠音がイルミンスールのセキュリティに捕捉される。
「しかし、」
反対だ、と白狼は和美の言葉を却下しようとする。
もし和美が捕まれば、今後誰が匠音を導くというのだ。
それに、父親のいない匠音は母親さえ失うことになりかねない。
だったら、と白狼が口を開く。
「儂が行く。儂なら以前に全ての世界樹にアクセスしたことがある」
《おじいちゃん……》
白狼を止めようとする和美に、白狼が軽く笑って「大丈夫だ」と答える。
「表層をちょっと荒らしてカウンターハッカーの腕試しをして逮捕された儂の腕を舐めるもんじゃない。本気を出せば深層に行くくらいわけもない」
そう言って白狼が豪快に笑う。
実際、白狼は「カウンターハッカーのチュートリアル役」として名前が知られているところもある。
曰く、「世界樹で
それほど白狼は後進の魔術師の育成に力を入れていたし、それが分かっているから警察も白狼を逮捕こそすれども
カウンターハッカーを勤め上げることができるくらいの腕は白狼にはある。
それをせずに白狼が後進の育成に励んでいるのはひとえに「自分は長く生きすぎた」という意識からである。
永瀬の家系は長寿の家系と言われていたものの家族はその寿命が遺伝せず、早くに死んでしまった。
白狼だけが何代も離れた先祖返りを起こし、百年以上経過した今もまだ生きながらえている。
匠海はどうだったんだろうな、と白狼はふと考えた。
匠海が生きていたら、自分と同じく生き永らえたのだろうか。それとも遺伝せずに自分を置いて先に逝ったのか。
その答えが出る前に匠海は事故で命を落としてしまった。
それなら匠音は? 匠音には遺伝しているのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない、と白狼は首を振った。
今は匠音がイルミンスールのセキュリティにかからないようにサポートする、又はハッキングを止めさせることが最重要事項である。
今すぐイルミンスールに侵入し、匠音を止めなければ。
《おじいちゃん……》
おずおずといった様子で和美が白狼を呼ぶ。
「どうした、和美さんは匠音の居場所の特定を」
《いいえ、おじいちゃん……一緒に、イルミンスールに侵入しましょう。一人より二人の方が成功率は高い。たとえどちらかが発見されたとしても……お互いカバーできる》
「……和美さん」
いや、和美さんは、と言いかけて白狼は口を閉じた。
分かっている。自分一人で侵入するより和美と二人で侵入した方がより確実であると。
そして和美が覚悟を決めているというのなら。
「和美さん、覚悟は決めているか?」
最悪の場合、二人とも通報される。
そうなった時点で匠音も誰のサポートも受けられずに逮捕されることは目に見えている。
そうなれば全員元の生活に戻ることはできない。
それでも、匠音を守ることができる方に全てを賭けてイルミンスールに侵入するというのか。
白狼は考えた。
本当に、それでいいのか、と。
最悪の事態を想定して動いた方がいいのでは、と。
――いや。
最悪の事態を想定して動くのではない。常に最善の事態を目指して動くべきである。
ふう、と白狼は一つ息を吐いた。
確かに自分は全ての世界樹にアクセスしたことがある。しかし和美にはその経験はないはず。
いくら亡霊級の
それでもなお、イルミンスールにアクセスするという覚悟を決めているのなら。
「分かった、一緒に侵入しよう。だが、和美さんは匠音の確保を最優先で。いざという時は儂を囮にしろ」
《おじいちゃん……》
白狼の言葉に和美が一瞬言葉に詰まるがすぐに力強く頷く。
《おじいちゃんも無理しないで。大丈夫、匠音は必ず助け出す》
「あと、儂は同時進行で匠音の居場所も特定する。特定出来たらその時にどうするか考えよう」
《分かったわ》
和美の返答に、白狼は小さく頷き、それから両手で自分の頬を叩く。
「ここしばらく世界樹は攻めてなかったし、今回は若造どものチュートリアル役じゃないからな……キバっていけよ」
そう呟きながら指の関節を鳴らす。
「和美さん、儂についてこられるか?」
《わたしを何だと思ってるの。本気の『
頼もしい
「信じているよ、『モルガン』。ブランクは多少あるだろうがそのお手並み、拝見させてもらう」
ええ、と通話の向こうで和美が頷く。
《行きましょう、イルミンスールへ》
ああ、と白狼は頷いた。
「待ってろよ匠音……。必ず、お前を助けてやる」
そう言い、白狼は――「
to be continued……
「世界樹の妖精 -Brownie of Irminsul- 第6章」のあとがきを
以下で楽しむ(有料)ことができます。
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