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Christmas collect cups

 

 
 

 黒い森に射し込む日差しが赤みを帯び、日が傾いてきたことを主張する。
 深藍色ふかきあいいろのダッフルコートのフードを目深に被っていた子どもが、ふと顔を上げた。はらり、とフードが落ちていく。現れたのは、夕焼けよりも鮮やかで深い赤毛。瑞々しい草の色をした瞳が、遠い空を悠然と飛ぶ鷹か鳶かを追いかけた。
 鳥の影を見送ると、少し癖のある赤毛を揺らして、子どもは後ろに振り向いた。無邪気な様子でにこ、と木造の小屋の前で佇んでいたモッズコートの子どもに笑う。
「よかったね、イアン。夜になる前に小屋が直って」
 モッズコートの子どもは、切り揃えられた銀髪を揺らし、赤毛の子どもに微笑みを返す。が、目は笑っていない。
 幼いながらにえらく整った顔立ちのため、笑っていない目には妙な迫力があり。赤毛の子どもは銀髪の子どもの放つ威圧に悲鳴を飲み込むような変な声をこぼした。
「誰のせいだと思ってるのかな? 引力の魔女のアイザックさん?」
 ゆらぁ、とモッズコートの影から彫りの深い髭面の成人男性の顔が覗く。青白く、とても生者には見えないうすらぼんやりとした光。人魂と呼ぶにはくっきりはっきりとした人面であるが……まあ、人魂なのだろう。
 B級のホラー映画でも、もっとデフォルメされた人魂だろうに……というのは、赤毛の子どもには関係なく。
「ひっぎゃあああああああ!!」
 ばさばさばさ、と派手な羽ばたきが遠退いていった。

 

 小屋の中には、四本のキャンドルが立ったリースが置いてある。海外文化を積極的に自国の季節イベントとして昇華することで有名な日本では、リースといえば、壁にかけて飾るものであるが、ここ、ドイツにおいて、特にクリスマスのリースは違った意味を持つ。
 これはクリスマスの前に飾るアドヴェントリースというもの。アドヴェントカレンダーなら、聞いたことがあるのではないだろうか。クリスマスを待ち、一日ずつお菓子の入ったカレンダーを開けていくものだ。アドヴェントリースは所謂それの元ネタである。
 ドイツのクリスマスは世界的に有名なほど、盛大な祝い方をする。何が盛大かというと、まず何よりも、クリスマスの四週間前から祝い始めるということだろう。
 リースにはキャンドルが四本。つまり、クリスマスが来るまでに一本ずつキャンドルに火を灯していくのだ。アドヴェントカレンダーはこれを子ども向けにアレンジしたものである。
 四本のキャンドルが立っているが、二本目までは火が灯された形跡がある。十二月も半ば、クリスマスの足音は、もうそこまで迫ってきていた。ドイツではクリスマス当日――といっても、十二月二十五日ではなく、前日イヴの二十四日なのだが――は家族で過ごすのが一般的である。にも拘らず、この二人の子どもには父親や母親の影が見当たらない。
 白人であるという点は共通しているが、兄弟というには、顔立ちがあまり似ていない。事実、二人に血の繋がりはない。ただ、白人以外の共通点はあった。
「あ、あのぅ……イアンさん?」
「何? アイザック」
「リナだよぉ。怒ってる?」
「何が悲しくてクリスマスまでの四週間のうち三回も住んでる家を建て直さなきゃならないのかな? ねえ、どう思う? 魔女アイザックさん?」
「うぐ、ぅ……」
 ぐうの音も出なくなってしまった赤毛の子どもは、どうやら女の子のようだった。癖毛の赤毛は女の子らしいというには短めだが、ダッフルコートの下にはチュニックと短パンと黒いタイツを合わせている。
 対する銀髪の子どもは、カーゴパンツを履いており、モッズコートの裏地は迷彩柄だ。女の子のような可憐な顔立ちをしているが男の子なのだろう。
 けれど、性別がどうあろうとこの二人は「魔女」と呼ばれる存在に分類された。その呼称に相応しい不思議な力を使うことができるのだ。
 赤毛の子は「引力の魔女」、銀髪の子は「魂の魔女」である。それぞれ魔女として、本名とは別の名前を持っていて、引力を操るらしい女の子がアイザック、人魂を出し入れする能力があるのがイアンという。アイザックの方は本名の「リナ」という名前を名乗っているようだ。
 イアンはリナが十一月中頃にやってきてからのおよそ四週間の間にこの小屋を三回建て直した。それはリナに引力で壊されたからだ。
 先程イアンが出した人魂は、リナでなくとも怖くてびっくりしてしまうものだが、それにしたってリナは大袈裟に驚いていた。その驚きと恐怖の感情で、リナは引力を発生させ、小屋を倒壊させてしまったのだ。しかも、三回も。
 それは小屋の持ち主であるイアンが怒るのも無理はない。
「そもそも、きみは毎年クリスマスは映画を観に行くだろうに、なんで今年は僕のところに来たの?」
 イアンはそのことも気になっていた。
 このリナという女の子は、ホラー映画が特に好きなのだが、ホラー以外でも、映画を観ること自体が好きらしい。しかも、サブスクリプションで映画館に行かなくとも観られるのに。……まあ、弱冠十二歳の子どもが、サブスクを契約できるかはともかく、わざわざ映画館に行かなくても、気軽に映画を観られる時代なのだ。
 魔女である故に魔女狩りに追われているから、サブスクも何もあったもんじゃないが、それを言うなら、映画館にすら行かない方がいい。
 それでも、リナは映画館で映画を観ることに拘っていた。父親の趣味が影響してそうなったのだが……リナの父親は、母親共々、他界している。
 だからこそ、家族との思い出を忘れないように、クリスマスには映画館に行くのだろう、とイアンは考えていたから、リナがクリスマスシーズンに自分のところにやってきたのが意外すぎて、理由がさっぱりわからない。
 明るく、能天気な感じだったリナの表情が翳る。
「だって……一人じゃ、映画もつまんなかったんだもん」
 いじけたような声音。イアンははっとした。
 リナは毎年、クリスマスにはお決まりの映画を観る。クリスマスの家族旅行で、忙しさのあまり家に置いてきぼりにされてしまった男の子が、泥棒相手に家を守る話だ。ホラー映画を遊園地の絶叫アトラクション感覚で楽しむリナは、ホラーではないがそこそこ絶叫ポイントのあるこの作品を好んでいた。
 が、つまらないという。イアンは深く聞くことをしないが、主人公の男の子は家族に置いて行かれてひとりぼっち。両親を亡くしたリナはそこを自分と重ねてしまったのかもしれない。
 旅行に行っただけの男の子の家族と違い、リナの家族は二度と帰って来ない。映画館も、家族で行っていたというし、何よりドイツにおいてクリスマスとは「家族で過ごすもの」だ。リナの孤独が加速したとして、無理もないことである。
 それで押し掛けて、小屋を三回も壊されるのは、たまったものではないが……リナの境遇には同情できる。イアンも、家族を失う痛みは知っていたから。
「じゃあ、映画以外のクリスマスの楽しみ方を覚えなくちゃね」
「え?」
 イアンはモッズコートの前を閉め、リナにマフラーを渡しながら告げた。
「僕たちはせっかくここに住んでるんだから。ちょっと歩くけど……クリスマスマーケット、行くでしょ?」

 

 ドイツではアドヴェント期間から各地でクリスマスマーケットが開催されている。ドイツのクリスマスマーケットといえば、世界的に有名で、クリスマスマーケットには外国人の姿があるのも珍しくない。最古とされるドレスデンのクリスマスマーケット「シュトリーツェルマルクト」はあと五、六年もすれば満六百年の歴史を誇ることとなる。
 開催地により詳細は異なるが、百五十箇所以上で開催されるクリスマスマーケット。そのうちの一箇所には黒い森のラヴェンナシュルヒトも含まれた。
 黒い森に住むようになったイアンにとって、最も馴染み深くなるであろうクリスマスマーケットだ。
 渓谷にかかる鉄道高架橋。美しい弧を描く橋を中心として、クリスマスマーケットが展開されていた。赤、青、緑、紫……色とりどりにライトアップされていくアーチ状の橋は幻想的で、静けさ漂う森の雰囲気を引き立てている。
 会場に向かえば、他のマーケットと比べると交通の便が悪いにも拘らず、観光客などで賑わっていて、どこかの露店が出しているのだろうフラムクーヘンの小麦粉の焼ける匂いに、グリューワインのスパイシーさの混じるフルーティーな香りが鼻腔をくすぐる。
 冬の森は冷え込む。今年はまだ雪が積もっていないが、寒さは厳しい。マフラーのおかげで顔回りがもこもこのリナも、足元はタイツにスニーカーなので防御が薄く、寒そうな印象になってしまう。
「グリューワインにニコラウジ(*)……ホットチョコレートとかココアもあるね。どうする?」
「うーん、でも、グリューワインとニコラウジはお酒でしょ? ホットチョコレートかなぁ」
「じゃあ、マスター、ホットチョコレートを二つ」
「はいよ。現金決済しか使えないけど、持ってるかい?」
「はい」
 現金の入った財布を出すイアンを見て、リナは目を丸くした。
「現金決済しか使えないの? 珍しいね」
「あはは、ここは森だからね。電子決済を安定して使うには、ネットワークが不安定なんだよ」
 電子決済で支払いをすると、身元が割れてしまうため、逃亡や隠遁生活を余儀なくされているリナたちは買い物をするのが困難である。現金決済を扱う店は少なく、見つけるのは難しいが、まさか黒い森自体が現金主流の場所とは知らなかった。
 これなら、しばらくは黒い森に住んでいても不便しないだろう。現金を得るのが大変そうだが、今は細かいことを考えず、クリスマスマーケットを楽しむことに集中する。
「カップの色、選べるけど何がいい?」
「私、赤」
「僕は緑で」
 クリスマスマーケットといえば、グリューワインのマグカップだが、グリューワイン以外でも、温かい飲み物を頼めばもらえるのだ。
「久しぶりだな。ここのマグカップはこんな感じなんだ」
「開催地ごとにデザインが違うらしいね。長靴型のやつとか」
「あ、それ、四歳のときに買ってもらった! ……もうないけど」
 きっと両親に買ってもらったのだろう。親を亡くした幼いリナが、家に残ったものの管理をできるわけもなく、おそらく処分されたのだ。
 イアンが店主からカップを受け取り、リナに手渡す。これでもかというほどクリームが盛られ、ナッツとチョコレートソースが散らされている。
「ならさ、新しい思い出を作っていこうよ」
「え?」
「僕じゃ、リナにとってのお父さんお母さんの代わりにはならないだろうけど、全然それでいいけど、思い出づくりを一緒にするのはできるから」
 同じ「魔女」だから。
 イアンとリナを繋ぐのはそのたった一点だけだ。一点だけだけれど、二人を切り離せなくするには、じゅうぶんすぎる一点。
 だから、繋がっていようよ、と。
「僕と一緒にいれば、リナはひとりぼっちじゃないよ」
「そうだ、ね」
 小屋を壊されたら怒るけれど、魔法のことで苦労するとは思うけれど。
 それでも、僕はリナを一人にしないよ、という想いを込めて、イアンはリナを見つめた。
 リナはどこでもないどこかを眺めるような不安定な目線を浮遊させてから、へにゃりと笑ってみせた。
「ありがと、イアン。しばらく、一緒にいさせてね」
 さりげなく、期間を限定されたけれど、イアンは少しほっとした。
 リナが笑ったから。

 

 ◆◆◆

 

 ――二〇三二年、黒い森のとある小屋にて。
「そういえば」
 小休止で紅茶を飲んでいるときに、サラがふと口にした。
「リナとイアンのマグカップ、おそろい? 市販品ってわけでもなさそうだけど」
「ああ、これ?」
「四年前くらいかな? イアンと黒い森のクリスマスマーケットに行ったときにもらったマグカップだよ。サラはクリスマスマーケット、行ったことある?」
「……グリューワインのやつ? 四年前って、十二……(※)十四歳未満は、保護者同伴でも、飲酒駄目でしょ」
「飲んだのはホットチョコレートですー!」
 なんだかんだ、イアンが大切に保管して、たまにリナが来たときに出すようにしているのだろう。物持ちのいい話だ。
 恋人やら結婚やらはあり得ない、と言っていた二人だが、お互いが家族のように大切なのだな、と思った。
「あ、サラもクリスマスマーケット行く? ラヴェンナ渓谷のクリスマスマーケット、かなり綺麗だよ~」
「それまでサラちゃんがここにいるとは限らないでしょ」
「いいじゃん」
 リナは赤いマグカップをテーブルに置いて、にっと笑った。
 孤独の影を一欠片だって宿さずに。
「二人で寂しくないんだから、三人ならもっと寂しくないよ」

 

*ニコラウジとは
温めたりんごのリキュールに生クリームを乗せた甘い酒。ラヴェンナ渓谷のクリスマスマーケット限定のドリンクらしい。

 

※ドイツでは条件付きですが、段階的にお酒が飲めるようになります。大体以下の通り。
・十四歳以上→親や親権者の同席があれば、飲酒可能。
・十六歳以上→ワインやビールなど、アルコール度数の高くないものは飲酒可能。
・十八歳以上→アルコール度数の高いものも飲酒可能。
●年齢制限は緩く見えますが、取り締まりは日本より遥かに厳しいです。

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