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charm charm charm 第3章 逃亡と目的と

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 ホラー映画を観ていた少女・リナは魔法を使ってしまい、通報され、科学統一政府から追われていた。
 逃亡の最中、森で動く死体の少女・サラと出会い、共に逃げることに。知られている神秘とは違う様子のサラの正体に近づくため、ドイツの黒い森に住む魔女イアンを訪ねることにした。
 サラのことを知るために、魂の魔女・イアンの元を訪れた二人は、目的が決まるまでイアンの小屋に逗留することに。
 そこでイアンが魔法で出していた人魂に、リナは絶叫してしまうのだった。

 

 
 

 

 リナの悲鳴にイアンがぎくりと肩を跳ねさせる。それは癖というか、もはや反射の領域である。
 映画館というそれなりに大きな建造物を容易く押し潰すほどのリナの魔法。リナの驚愕や恐怖といった大きな感情の揺れに呼応するそれを、訓練に長らく付き合ったイアンは何度も体感していた。犠牲になったのは小屋だけだ……と称することができるくらいには、命を失わずに済んだのは奇跡と呼べる。
 そのため、リナの力の気配というか、絶叫を聞くと、身を固くしてしまう。ある程度の制御を得たとはいえ、それはあくまである程度であり……
 キシキシキシ。
 板が軋み、擦れ合う音。耳に障るそれには、リナから体を離したサラも顔をしかめていた。
「リナ……」
「ご、ごごごご、ごめん!!」
「私はいいけど……」
 謝るリナから視線を外し、サラはイアンを見た。顔色をなくし、震えている。憐れむくらいしかできない。
 リナはイアンのところで訓練を積んだと言っている。イアンはこういう場面に何度も遭遇したのだろう。ものすごい怖がりように、サラは「あーあ」と思うのだった。
「イアン!? なんかめっちゃ怖がってる!? 初めてじゃないよね!?」
「初めてじゃないからでしょ」
 正直、サラとしても、リナの魔法は「死ぬかもしれない」とは思うので、イアンに共感できる。実際に人を殺しているのだし。命の危機があまりにも気軽に側にあるのだ。誰だって怖い。
 リナは自分の魔法で押し潰されたりしないから、その恐怖がわからないのだろう。
 潰れなかったからいいようなものの、ここでサラやイアンもろとも潰されていたら、先程までのこれからについてやサラについて探る会話がふいになるところだ。
 はあ、とイアンが短く溜め息を吐く。それから、リナに寄り、その額をこつんと弾いた。
「まだ制御の訓練は必要みたいだね。怖いものを怖がるのは、人間として正常な反応だけど、これは駄目」
「そんなぁ」
「そもそもなんでイアンの人魂が怖いの? 初めてじゃないよね?」
「う」
 先程イアンに向けた言葉をサラに混ぜっ返されて、リナは冷や汗をたらたらとしながら、目線をあちこちにさまよわせる。
「び、びっくりしたんだもん」
「それで能力発動させないでよ。そんなだから魔女だってすぐバレるんじゃないの?」
 返す言葉もない。
 リナは長い間、逃亡生活を送っているわけだが、逃亡しなければならないのは、リナが魔法を発動させてしまうからだ。
 ウィッグやカラコンで変装はしている。何なら服装もこまめに変えるので、見た目だけならいくらでも誤魔化せている。それなのに魔女であることがバレている。リナが簡単に驚いて、簡単に魔法を発動させるからだ。
 簡単に驚いてしまうのは、個人の特性だとしても、それで魔法、しかも人の命を脅かすレベルのものをぽんぽんと発動されてしまっては、科学統一政府でなくとも、危険視する。だから指名手配までされるのだ。
「正直、リナと一緒にいるのはおすすめできないよ。ただでさえ君は見た目が『動く死体ムービングコープス』だ。リナの変装は役に立つけど、この子は潜伏ができない。見つかったらおしまいなのに」
 イアンの言い様に、リナがぷくりと頬を膨らます。
「逃げきれるもん」
「そもそも逃げなきゃならない事態にするなって話をしてるの。見つからなければ逃げる必要もないんだから」
 リナがうぐ、と言葉を詰まらせ、黙り込む。まあ、リナの変装が見つからないのは、リナが「生きている」人間だからで、明らかに普通の人間とは肌色が違うサラはそれだけで怪しまれてしまう。サラが見つかるのは必ずしもリナだけのせいではない。
 というのはイアンも承知しているのだが、これから持っていきたい方向性にするのに、その補足は邪魔になる。リナは基本、素直でいい子ではあるのだが、人並みにずるい部分もある。揚げ足なんて、平然と取るくらいには。
「そんなわけで、僕はリナとサラちゃんが一緒に行動することには反対なんだけど……リナはどうしたいの?」
「一人旅は寂しいよ。サラと一緒にいたい」
 即答。イアンは勝手だな、という思いと、この子は寂しがりだったな、という思いとで板挟みになる。
 幼い頃、事故で両親を亡くし、早くからひとりぼっちになってしまったリナ。助かったことを祝福する人もなく、魔法も発現して、追われる身となった。人気のあるところに行ってしまうのも、無意識に人の気配や温もりを感じたいと願っているからなのだろう。
 イアンはリナとの付き合いが長いし、そういう身の上を知っている。人の心情を慮れない人間でもない。だが、思ってしまう。――僕じゃ駄目だったんだろうか。
 魔法の訓練に苦戦するリナを見て、どうしてそこまで頑張るの、と問いかけたことがある。僕と一緒に森に隠れ住んでいればいいじゃない、と。

 

「ここは、あんまりにも寂しすぎるよ」

 

 悲しげに、潤んで微笑んだ緑の目。風がリナの方に引き寄せられていくのを感じながら、見つめていた。不思議と目が離せなかったのを、よく覚えている。
 選ばれなかったことが、全然悲しくなかった、というと、嘘になる。けれど、仕方のないことだとも理解していた。リナは女の子で、イアンは男の子。性別というわかりやすい差もあったし、リナは家族全員を失って、天涯孤独になったが、イアンは父も母も生きている。何なら祖父母も生きていて、兄弟のみならず、従兄弟まで存在する。
 魔法の性質だって違う。物覚えも、コントロールも、覚え方も、何もかもが違う。共通点なんて、「魔法」が使える「魔女」と呼ばれる存在だということくらい。
 リナが自分のところにいるのは、イアンが「魔女」だからという理由だけだ。彼女の寂しさを埋めるには、それだけでは足りなかったのだろう。
 わかっている。はっきり、関係ない人間にもわかりやすく説明できるくらい、言葉で噛み砕くことができるのに。それなのに、「サラと一緒に」というリナの言葉にどうしても「僕は?」と思ってしまうのだ。
 よぎった思いを苦々しく飲み込む。少なくとも、リナに悟られてはいけなかった。だから、イアンはなんでもないような顔をして、サラを見る。
「って、リナは言ってるけど……サラちゃんはどうしたい? 何か思い出せたことはある?」
 イアンの質問に、サラはうーん、と悩ましげな声を上げた。あまり表情に悩ましさが反映されないのは、サラの元々の性格なのか、死んでいることが原因なのか。手足が正常に動いているところから見るに、死んでいることによる筋肉の不全ということはなさそうだ。
 見ていても仕方ないな、と視線を外そうとすると、サラがこてん、と首を傾げた。
「イアンは?」
「へ?」
「イアンは、リナと旅をしたいって、思わないの?」
 それは、あまりにも正鵠を射た疑問の形だった。イアンは息を詰まらせ、思わず噎せる。リナも振り向き、「大丈夫?」と疑問符を浮かべる。
 はあ、と息を吐くと、イアンはそうだね、とどこか諦めが滲む声で語った。
「旅には、興味はあるよ。でも僕は、逃避行を旅とは呼ばないかな。旅をするなら、ゆっくり世界を見て回りたいよ」
「それはそう」
「そんな!?」
 サラの同意にリナが悲鳴を上げる。やはり、自身の詳細に関する記憶が欠けているだけで、ある程度の常識的な部分の知識や考え方が失われているわけではないようだ。
 でも、とサラはイアンを真っ直ぐ見直した。
「でも、きっと楽しいよ」
「……サラちゃんは、リナと旅をしたいの?」
「楽しそうとは思う。でも、やりたいかどうかは別」
「そんなご無体な!!」
 リナの悲鳴に、サラはくすくすと笑った。まだ出会って数時間程度の付き合いだろうに、随分親しげだ。まあ、リナの性格キャラが親しみやすいというのはあるが。
 イアンは、サラに質問を連ねる。
「やりたいかどうかは別って、サラちゃんには他にやりたいことがあるの?」
「うん。まあ、やりたいことっていうか、当たり前だけど、記憶を取り戻したいっていうのはあるし」
 それはそうである。
 その言葉に、リナが乗り出す。
「でもでもっ、記憶を取り戻すのに、脳に刺激を与えるってことで、色んなところを順繰り巡るってのは、よくある話じゃない?」
 言外に「一緒に旅をしよう」というアピールをしている。イアンはリナのこういうところ、嫌いじゃない。
 が、サラはリナの額を弾いた。
「話は最後まで聞く」
「あい」
 あまりに真っ当すぎる主張である。
 サラは真剣さを宿した目で続けた。
「わたしはまず、今ある記憶を補強したい。……っていうのは、建前になるのかな。……わたしは……家族に会いたい」
 イアンもリナも、胸を衝かれた。
 家族に会いたい。それは、話し方から察するに、自分たちとそう変わらない年頃であろう少女が抱いて、何ら不思議のない感情だった。
「というか、家族のこと、覚えてるんだ?」
「うん。お父さんとお母さんがいて、妹も二人……顔は思い出せないけど」
 顔が思い出せない、というのが不安らしい。記憶の限りでは仲が悪かったわけでもない。思い出そうとすれば「思い出したくない」と記憶に蓋をしているような不自然さも引っ掛かりもなく、ただ思い出せないだけ。
 このまま忘れて、二度と思い出せなくなってしまうのが怖い。大切な人たちのはずなのに。
「だから、顔を見るだけでもいい。会いたい。大切なことをちゃんと『覚えてる』って思いたい」
「……そっか。そうだよね」
 サラの言葉に、リナは優しく微笑む。大切な人がなくなる孤独を、恐怖を、リナは誰より知っていた。リナだって、両親のことを忘れたくはない。もういないからこそ。
 その記憶まで消えたなら、「ひっぎゃあああああああ!!」なんて叫ぶ余裕すらないだろう。リナはそんな恐怖を体験したいわけじゃない。ホラー映画はあくまで娯楽だから楽しいのであって。
「それなら、私はサラの手伝いをするよ。人探しなら、怖いこともないだろうし」
「フラグに聞こえる」
「馬鹿な!?」
 能面のサラを見て、イアンは気づいているのか、と思った。まあ、「気づいている」というよりは「失念していない」の方が正確だが――仮にもサラは死人。イアンの仮説が合っており、死んだばかりの人間の魂だったとしたら、サラの家族は今頃、サラの葬式をしており、サラを失った嘆き、悲しみにうちひしがれているはずなのだ。
 自分が原因で悲しむ大切な人々の様子を、進んで見たいとは思わないだろう。それでも忘れてしまうことの方が怖いから、サラは向き合おうとしているのだ。立派なことである。
 リナはそれに思い至っていないようだが。普通の現象ではないので、一発で全容を把握できなくても仕方のないこと。責める気なんて一ミリもない。
 まあ、失念しているリナが、サラの墓を見て何か叫ぶ可能性はあるので、イアンもフラグ回収にベットするが。
「二人共、私を何だと思ってるの!?」
「極端なびびり」
「すっとこどっこい」
「二人共!? 特にサラ!?」
 サラの言語センスに、イアンは思わず噴き出した。サラが真顔で言うものだから、尚のこと面白い。
「いずれにせよ、悲鳴と共に引力を発生させるのはどうにかした方がいいよ。人助けしたいならね。はっきり言って、サラちゃんの目的の手助けには、絶対ならないから」
「う」
「というわけで、久しぶりに訓練しようか」
 とてもいい笑顔のイアン。リナは顔をひきつらせた。
 大袈裟な、とサラは嘆息しかけたが、イアンの手元を見て、息を飲む。
 イアンがおそらく魔法を使って出した魂なのだろう。だが、先程まで漂っていた、白くて、ふよふよしていて、朧気で、どこか愛嬌のある人魂ではない。それはわりと明瞭に人の顔を象った人魂だった。全くデフォルメされておらず、喜怒哀楽の違いはありそうだが、人面を剥ぎ取ったような生々しい表情が貼りつけられている。しわの寄り方がどの表情も吐き気を催しそうなほど気持ち悪い。
「ひっぐぼっ」
 リナが例によって悲鳴を上げそうになるのだが、そこに人魂が突撃する。輪郭が明瞭だからか、イアンが魔法でそのように調整しているからかは不明だが、朧気だった先程の人魂とは違い、何故か質量を持っている。質量を孕んだ人面の人魂は、リナの口内に突撃、窒息させる勢いで、リナの口の中を埋め尽くしていく。
 サラが言葉を失って、イアンとリナを交互に見る。人魂による喉への突撃により、白目剥きかけのリナと、にこにこ微笑んでいるイアン。柔和で穏和な人当たりの良さそうなイアンの笑顔が怖い。下手なB級映画より怖いかもしれない。
「……いや、あの、リナのこと、殺す気?」
「え、殺人犯になるつもりは毛頭ないんだけど」
 では窒息死寸前の赤髪の少女をどう説明するのだろうか。
「とりあえず、リナの悪癖を治さなきゃね。だいぶ荒療治をするけど」
 そんな気はしていた。だが一応、説明は聞きたい。
 サラの不安げな目に、イアンはころころと笑う。それは苦笑いに近かった。
「ごめん、びっくりさせたよね。一旦寝させて、脳を休ませないと、魔法が暴発し続ける可能性があるんだ。それでもって、リナは滅茶苦茶寝つきが悪いから」
「そこも荒療治なんだ……」
 気絶と睡眠ではだいぶ違うような気もするが、穿って聞くほどの勇気と親しみはサラにはなかった。
 それを察してか、イアンは補足を始めた。
「聞くところによると、僕たち『魔女』が『魔法』を使えるのは、脳が変異した存在だからってことらしいんだ。詳しく話そうとすると、専門用語が多いから割愛するけど。
 あらゆることが科学で解決され、リナの好きなホラー映画で描かれるような怪奇現象なんかも、完全に非現実そうさくぶつになった現代においても、人間の脳ってまだまだ謎の宝庫ブラックボックスでね。そんな脳を基幹として発動する魔法は、何を引き起こすかわからないから、頭を休めることは大事なんだ。まあ、頭を休めるのが大事なのは、魔女に限った話じゃないけど」
「リナってもしかして、睡眠不足なの? 随分元気というか、パワフルなことしてるけど、食事もあまり摂ってないっぽいし」
 散々逃げ回って、気力も体力も使っただろうに、食事は朝のスムージーが最後などと言っていた。サラの記憶の限り、ここに来るまでリナが食事をしている姿は目撃していない。
 イアンの作ったバゲットサンドには豪快にかぶりついていたから、少食、というわけでもなさそうだ。
「逃亡生活の影響もあってか、一人のときは生活がおざなりになるみたいなんだよね。ここで訓練してたときは、一日三食しっかり食べてたよ」
「変な人」
「言わないであげてよ」
 答えながら、イアンはリナを簡易ベッドに寝かせる。ほぼ白目を剥いて、年頃の娘とは思えない顔芸具合で気絶したリナだが、温かいタオルを目元に宛がえば、安らいだ表情の眠り顔になる。
 リナに薄手の毛布をかけてやり、タオルを額に乗せ、リナのバッグから着替えを取り出すイアン。あまりにも手慣れていて、サラはきょとんとしたが、すぐにわかった。これが長く繰り返されたリナとイアン、二人の間に流れた時間の積み重ねなのだ。
 特に兄弟がいるという話のなかったリナは一人っ子なのだろう。イアンはちらりと弟がいたような話が出た。二人が同い年に見えないのは、世話焼きに慣れているか、焼かれるのに慣れているか、という違いが出ているからだ。
 サラは目を伏せた。妹がいたことは覚えている。けれど、顔も名前も思い出せない今、どうしようもない不安に襲われていた。
 嫌われていた記憶も、仲が悪かった記憶もない。けれど、そもそも記憶の多くが欠落している今、「そういう記憶がないから、そんなことはなかった」なんて楽観を抱いていいのだろうか、と思う。もしかしたら、生前の自分はイアンのような世話焼きじゃなかったかもしれない。性格が悪かったり、わがままだったりしたかもしれない。妹たちの方がしっかり者で、世話を焼かれる側だったかもしれない。――ちゃんと、いいお姉ちゃんをやれていたか、という不安。
 家族に会いたい。話せなくてもいい。本当に一目、元気で幸せそうな顔を見て、それを記憶に刻めたら、安心できる。そう思っている。けれど、その家族の笑顔の理由が「サラがいなくなってせいせいした」というものだったら……それは、あまりに。
「サラちゃん?」
「!」
 イアンに呼びかけられて、サラははっとする。お湯を沸かして、紅茶を淹れようとしているらしかった。
「紅茶のおかわり、飲む? なんならハーブティーもあるんだけど」
「……結構優雅な暮らししてるね」
「茶葉はわりと簡単に手に入るよ。紅茶文化発祥の地であるイギリスはもちろん、イギリスに茶葉をもたらした中国や、文化の独自発展が凄まじい日本なんかでもよく飲まれるし。ドイツはコーヒーやビールの方が多いし、紅茶はあまり一般的なイメージじゃないかもしれないけど、地方によってはこだわり深い独特の文化があってね。傾向としては、果物やハーブの香りをふんだんに乗せたフレーバーティーが多いから、ただの紅茶よりはハーブティーの種類が豊富かな」
「さっきの紅茶も美味しかった。あんまり渋くないから、ミルクがなくてもいいね」
「そう! ここはフランスも近いから、フランス式の淹れ方をしてるのも大きいかな」
 フランス式? とサラが疑問符を浮かべると、イアンはティーポットを出してみせた。ティーポットは普通のものだし、紅茶を入れていたのはお洒落なティーカップではなく、マグカップである。
 が、フランス式はただの茶漉しではなく、コットンフィルターを使うのだ。そこが大きな違いである。コットンフィルターが茶葉の渋味を吸収して、すっきりした味わいの紅茶になるらしい。
 サラはコットンフィルターを知らなかったので、家では紅茶を飲んでいなかったか、淹れ方を知らなかったかのどちらかである。
「イアン、詳しいんだね」
「まあ、魔法の研究以外、特にすることもないからね。この森の近辺は観光地として整えられているから、危険すぎる野生動物がいるわけではないし、狩りをしたとして、取引も、自分で処理するのも大変だからね」
 おおっぴらに外に出回るわけにもいかないし、と茶葉をフィルターに投入するイアン。
「食事っていうのは、人間が普遍的に持つ最大の娯楽だよ。暇だと娯楽が捗る捗る」
「だから料理が上手いの?」
「かもね。少し前までは先生もいたし」
 先生。イアンに神秘について教えた人間だ。つい先日、科学統一政府に捕まったという。
 情報をかき集めて、サラは一つの推測を口にする。
「その人も魔女?」
「ははは、まさか」
 男の人という話だったが、「魔女」というのはあくまで呼称であり、性別を限定する意味合いはない。目の前のイアンが何よりの証拠だ。
 が、イアンはあり得ない、と断言した。
「この話はしていなかったっけ。まあ、これも先生から教わった話なんだけど、『魔女』と呼ばれる存在は、何故か今年で『十六歳を迎える少年少女』の中にしか存在しないんだ」
「どうして?」
「それはわからない。魔法は何かの実験の産物で、僕たちはその被験者として『選ばれた』年代なのかもね」
 肩を竦めると、蒸らし、抽出していた茶葉をフィルターごと取り出す。ちら、とポットの中を覗いたイアンが、柄の長いスプーンで中を軽くかき混ぜる。とぽぽ、とマグカップに注がれた緋色の液体からは爽やかな柑橘の香りと、スパイシーな香りが漂ってくる。
 赤。死体のサラには欠落した色だ。
「先生の正確な年齢は聞いたことがないけれど、日本人が顔立ちの若い人種なのを抜きにしても、成人済みとわかる見た目の人だったからね。魔女ではないよ。ただ、神秘を知っているだけあって、神秘を扱う魔術師ではあったみたい。本を作った魔術の行使だから……邪本使いマギウスだったかな。分類は」
「ああ、魔術師にも色々あるって話?」
「そう。神秘は廃れたから、神秘を扱う魔術師も、今はほとんどいないし、新たに魔術師になろうって人間もいないだろうね。科学統一政府に逮捕されるし」
「……ん」
 ジンジャーレモンのフレーバーティーを一口含む。吐き戻すこともなく、普通に美味しくいただけることにしみじみとし、何かに感謝しようという気持ちになったが、心の中にもやもやしたものが広がる。
 死んでいるのに消化器官はどうなっているのかとか、そういう細かいことが気になったのではない。
 神秘、魔術師、科学統一政府、逮捕。……何気なく並べられた言葉が、なんだか気になったのだ。思い出せないというより思い出したくないこの感覚。とてもむず痒く、気持ち悪い。
「その先生、捕まったんでしょ? 助けに行かなくていいの?」
「助けてなんて言うような人じゃないし、望んでいる気もしないよ。それにたぶん、先生の方が何倍も強いし、知識も戦術も、年季が入ってる」
 行っても自分が捕まるのがオチだと思うな、とイアンは自分のカップに紅茶を注ぎながら言う。
 そうだね、とサラは瞑目した。同意したというよりは、諦めの色が強い声音で、溜め息のようにこぼす。
「捕まったら、処刑されてしまう」
「うん……まあ、だからこそ、サラちゃんもリナも、捕まらないように、リナの魔法訓練をしていくんだけど」
「リナの魔法、すごいけど、逃げるだけじゃ駄目?」
 サラの言葉に、イアンはほろ苦い顔をした。
 リナの引力の魔法の利用方法をイアンは知っている。引力による高速移動は便利だし、凄まじい。逃亡に特化した能力であることは、リナがこれまで捕まっていないことからも明らかだ。その仔細をイアンは当然知っている。リナは暴発の制御以外にも、魔法の訓練はイアンの下で重ねたのだから。
 けれど、それにばかり頼ってしまうことの危険性も、当然ある。
「リナの魔法は確かにすごい。だけど、もし魔法が使えない状況のとき、どうする?」
「魔法が使えない? どんな状況?」
「科学統一政府だって無能じゃない。先生のような熟練の魔術師も捕まえるし、魔女を捕まえた実績だってある。神秘にも、魔女の魔法にも、何らかの対抗手段を持っているはずだ。例えば、魔法を無効化するとか。
 そうなったとき、君もリナも、脚力だけで逃げるしかない。そんなときが来たら、どうするつもり?」
 魔法の無効化は、あくまで物の例えだ。あらゆるメカニズムを用いて、魔法を封じれば、魔女とはただの十六歳の子ども。それを捕まえるのは造作もない。
 それに、科学統一政府はかつて「非科学オカルト」とさえ称された事象も悉く科学で解決した。彼らの科学に不可能はないといっても過言ではないだろう。それなら、魔法への対抗手段はいつ普及してもおかしくない。既に開発されている可能性すらある。
「どれだけ最悪の想定をしたって足りないよ。科学統一政府が敵ってことは、『世界そのものが敵』っていうのとほぼ同義だ。摘める不安の芽は、摘んでおかないと」
 イアンの言葉に、サラは黙るしかない。世界そのもの、なんて、途方のないスケールの話だ。
 家族に会いたい、なんてわがままを通さずに、じっとしていればよいのでは? という考えが、サラの中で膨らんでいく。イアンと共に黒い森ここに隠れ住めば、科学統一政府からの追っ手に怯えることなく、楽しく、安穏とした生活を送れるのではないか?
 サラの現状は宗教的な生まれ変わりとは異なるものだろうが、「死んで生き返った」という意味なら、生まれ変わったようなものだ。それなら過去せいぜんを気にせず生きるべきでは? とぐるぐる考える。
 赤い湖面を見つめ、固まったサラを見て、イアンはしまった、という顔をする。それから少し左上を見た。そっと溜め息を吐くと、サラちゃん、と呼ぶ。
 振り向いたサラの少し不安げな青灰色に、イアンは優しく微笑みかけた。
「君の願いは、当たり前で、叶えてあげたいって、リナも、僕も思ってるよ。リナの家族については、僕から話せることはないけど、僕の家族の話をしようか」
「イアンの家族?」
 うん、と頷くと、イアンはにこやかに――暗くなりすぎないように、表情を整えた。
「僕には、弟がいてね。でも、幼いうちに、死んでしまったんだ。……もう会えないんだ」

 

To Be Continued…

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