charm charm charm 第2章 魂と体と
ホラー映画を観ていた少女・リナは魔法を使ってしまい、通報され、科学統一政府から追われていた。
逃亡の最中、森で動く死体の少女・サラと出会い、共に逃げることに。知られている神秘とは違う様子のサラの正体に近づくため、ドイツの黒い森に住む魔女イアンを訪ねることにした。
さらさらでつやつやの銀髪、一房だけ結わえられているのがチャーミングだ。白い肌は血流がよく、決してサラの肌と同じではない。生命力のある白さだ。肌も色艶がよく、目鼻立ちも整っている。少年から青年へ向かおうとしている面差しも、絶妙で清涼感がある。
そんな少年を前に、サラは硬直していた。
「魔女? 男なのに?」
率直な感想であった。イアンと紹介された人物は、中性的な顔立ちであるが、それでも男とわかる体躯をしている。
だからこそ、「魔女」という表現に疑問が浮かぶのだ。
リナがなんでもないように説明する。
「魔女って、魔女狩りを魔女狩りにするためにつけた名前だからね。そこに男女の差はないよ」
「でも、物語なんかでは、魔法を使う男の人は魔法使いか魔術師って呼ばれるわ」
そういう記憶はあるのか、とリナは感心した。が、そんなことを言われても、魔女が男でも魔女と呼ばれることに変わりはない。
それ以上の説明ができないでいると、イアンが一歩サラに近づいた。
「今はもういないだろうけど、魔女とは別に、『魔法使い』や『魔術師』という存在が神秘の世界には存在したんだ。区別する意味はないかもしれないけど、魔法使いと魔術師は魔女とは違う神秘の存在なんだよ」
「そうなんですか」
「敬語はなくてもいいよ。リナと同い年だから」
「ええっ!?!?」
新たな驚くべき話題にサラは思わず声を上げる。イアンは困ったように笑うと、そっと口元に人差し指を当てた。サラが慌てて口を塞ぐ。
正直に言うと、背丈もあるが、イアンの方がリナより大人びて見えるため、サラは驚いた。同い年と言われても、まだリナの年齢すら知らないが。
サラのある意味失礼な思いを知ってか知らずか、リナはにこにことしてサラを見る。
「イアンは親切でしょ?」
「う、うん……同い年って言ってたけど、リナは何歳なの?」
「十六歳だよ。サラは?」
「私も同じくらい……だったかな……」
サラの声は次第に消えていく。やはり、自分のことに関する記憶はまだ定かではないらしい。無理しなくていいよ、の意を込めて、リナはぽんぽん、とサラの頭を撫でた。
「それで、リナ。用向きはこのお嬢さんかな?」
「そうだよ。やっぱり気づいちゃった?」
イアンは困ったように笑み、肩を竦める。
サラは気づいていないようだが、イアンとのやりとりで、サラの表情は驚くほど変化しなかった。そのことに本人は気づいていないだろう。
表情の変化といっても、顔のパーツが動いていないわけではない。ここで言うのは顔色の変化だ。サラの表情は血の気がないままで、顔の明るさがわからない状態となっている。気づいていないのに、口に出してしまったら、サラが傷つくだろう、というイアンの気遣いが、困ったような笑みとなっていた。
リナもイアンの言いたいことはわかるが、どこまでサラに気を遣ったらいいかがわからない。リナのわからないことをさらっとやってのけるから、イアンは大人びて見えるのだろう、ということは、リナも認めていた。
「大きな声で話せるようなことでもないし、とりあえず、家まで案内してよ」
「わかった。はぐれないようにね」
イアンが合図すると、人魂がリナとサラ、それぞれに一つずつ引っ付いた。リナはイアンの能力だとわかっているはずなのにひえっと悲鳴を上げていた。サラは呆れながら、リナの手を引いて歩く。
リナはサラの手をきゅっと握った。少し震えているのは、やはり怖いからなのだろうか。
イアンがすたすたと進むので、サラは少し大股で歩かなければならなかった。それでも息が切れることはない。死んでいるというのは不便な気がしていたけれど、疲れも感じなくていいかもしれない。
「イアン、イアン……イアン!!!!」
「どうしたの? リナ」
リナの手がサラから抜ける。その手はぴん、とイアンの頭を弾いた。
「歩くの早い。もうちょっとゆっくり」
「ああ……ごめん」
サラはびっくりしていた。リナの言葉をあっさりと受け入れたイアンもだし、リナとイアンの精神的距離の近さにも驚いた。同い年というのもあるだろうが、暗い森の中で生活しているイアンと訳ありではあるが、年がら年中逃亡生活をしていて、溌剌としたリナとでは、テンションにギャップがあるような気がしていたのだ。ずいぶんと親しげである。
自分は別に、多少速くても大丈夫だが、と水を差すのも悪いな、とサラは黙っていた。リナが今度はサラの手を引いて歩き出す。
先ほどよりもゆったり歩いているため、サラは周囲の景色を見ながら喋った。といっても、森だからあるのは木ばかりだが。
「どうして、こんな深い森に住んでいるの?」
問うと、イアンが一度振り返り、サラの目を見た。どこか自信なさげに「僕だよね?」と問い、サラが頷くと、一呼吸置いて、話し出す。
「大きな理由は、僕の魔法は人目につくと目立つからね。悪目立ち」
「私を見ないでよ、サラ」
リナの魔法も結構派手な気がするが、まあ、イアンのそれとは目立つの意味が違うか、とサラは斜め後方を見やる。
ふよふよ、とほのかに光りながら浮かんでいるのは、人魂だ。おたまじゃくしを白くしたような見た目に、目が二つだけついている。表情を表すのに目が二つで足りるものだろうか、と思ったが、その円らな瞳が愛らしくて仕方がない。ぬいぐるみであったなら、臆面もなく抱きしめていたことであろう。
リナは人魂であることに怯えているが、これだけ可愛い見た目をしていても怖いものだろうか、とサラは疑問に思う。
「人魂浮かせてたら、あっという間に魔女狩りに捕まっちゃうよ」
「そうなんだ。だから、森に隠れてる。自分の魔法の研究もしたいし」
「魔法の研究? 魔法って呪文唱えたりするんじゃなくて?」
「魔術師と魔女は違うんだよ。……うーん、イアンに説明してもらった方がいいかな?」
イアンはゆったりと歩きながら、わかった、と頷く。
「魔術師……といっても、色々いたんだけど、君がイメージするような、呪文を唱えたりして、不思議なことを発生させる人たちと、僕たち魔女は違う。僕たちの魔法は与えられた名前を使って、一つの属性に基づいたことだけができるんだ。リナの場合は引力、僕の場合は魂、だね」
イアンは空で指を振る。オーケストラの指揮者のようだった。それに従って人魂がぴょこぴょこと出てきてイアンの腕にまとわりつく。どこからともなく現れる人魂がイアンの魔法らしい。
リナの魔法は、サラは存分に味わった。引き寄せる力を使った移動。どれだけ振り回されても、サラはリナの腕の中に固定されていたこと。ただの人間だったら吐いていたかもしれないが、サラは死んでいるので、そういった感覚はない。が、リナとの移動が少し怖い部分はあった。
「僕の魔法は魂に関わることしかできない……けど、考え方を変えれば、魂に関わることなら、なんでもできる。どのくらいのことができるかは、魔女本人の発想力次第なんだ。だから、何ができるか研究して、できることを増やしていくのは、魔女にとって、とても有意義なことなんだよ」
順序立てて説明してくれたので、魔女でないサラにもわかりやすかった。つまり、イアンが人から隠れてまで、研究をしているのは、自分のできることを増やすためなのだ。
「人魂も研究で出せるようになった?」
「そうだよ」
イアンが指を振ると、更に人魂が出てくる。人魂はなんだか人懐っこくて、イアンの指先にじゃれていた。
「人魂の形もどうするか試行錯誤してね……」
「え、最初からこの形じゃなかったの?」
サラが驚くと、イアンは照れくさそうに笑った。リナが人魂をつつきながら告げる。
「前は人の顔とかしてて、これの何倍も怖かったよ」
「ひえ」
人面……まあ、人魂ならそれが妥当なのかもしれないが、今のどこか愛くるしい姿からはかけ離れている気がして、変な声が出た。
「私はあの人魂、シュールで好きだったよ、イアン」
「嘘でしょ。いつもぎゃーぎゃー騒いで逃げてたのに」
「それはそれとして怖いじゃん?」
「わ、わからないな……」
リナは過去も今も、そう変わらないらしい、ということが二人のやりとりからわかった。リナの感性に関しては、サラもよくわかっていない。
理解できないものを理解しようとするより、気になることを聞いた方がいい、とサラが口を開く。
「二人はどういう知り合いなの? 魔女仲間っていうのはわかるけど、どんな交流があったの?」
すると、二人は少し沈黙し、やがて、どちらからともなく話し始めた。
「きっかけは忘れたけど、リナが僕のところで魔法の訓練をしたんだよね」
「うん、そう。指名手配されてから、さすがに映画館潰すのはヤバいと思って……力加減の訓練をしたの」
「今の小屋が何代目かは、途中から数えるのやめたよ」
なるほど。リナはイアンの暮らす小屋で、建物を潰さないようにするための訓練を積んだらしい。いつまでも潰し続けて、罪を重ねるわけにはいかないと思ったのだろう。犠牲となった小屋には南無三である。
リナは移動のための力の調整もしたらしく、この森やイアンには相当お世話になったという。サラはよくこの森が保ったな、と安堵のような何かを覚えた。
「木って丈夫なんだなって思ったよ」
「丈夫というか、融通が利くってことだと思うよ。木ってしなやかだから」
「でも、イアンの小屋は木造だよね」
「……」
リナの発言で、微妙な沈黙が流れたところで、一軒の小屋に着いた。一人で暮らすのには悠々とスペースを使えるであろう。
この小屋を何度も作り直したのかと思うと、よく諦めなかったな、という思いが湧いてくる。イアンも苦労しているな、とサラは思った。
「さて、着いたね。ここまで普通に歩いてもらったけど、疲れたとかない?」
「疲れたぁ~」
「リナじゃなくて」
サラが、私? と首を傾げる。小屋に入りながら、イアンは頷いた。
サラとリナが中に入ったのを確認し、イアンは扉を閉める。戸締まりをしっかり確認してから、慎重にサラに声をかけた。
「サラちゃん、だっけ。疲れとか、体の違和感とかない?」
そういえば改まって名乗っていなかった。サラは名乗るべきか答えるべきか一瞬迷った。が、名前を間違えられたわけでもないので、質問に答えることを優先した。
「疲れも違和感もないよ」
サラのコメントに、イアンは眉をひそめる。
少し考えてから、イアンはリナに向き直った。
「相談があるのは、この子についてだよね? リナ」
「うん。サラ、話してもいい?」
サラはいいも何も、そのために来たんだろう、と思いながら、頷いた。
サラが頷くのを確認してから、リナはサラの手をぎゅっと握りしめつつ、説明する。
「この子の名前はサラ。森で出会った動く死体の女の子。イアンに調べてほしいのは、この子がどうして動いているのかってこと」
リナの言葉にイアンは難しい顔をする。
「どうして動いているのか、か……まあ、それは言ってしまえば、『魂があるから』なんだけど、これはまた変わった事象だからなあ……」
魂があるから、とはまた魂の魔女らしい回答だが、どうやらただそれだけの単純な問題ではないらしい。
サラが動揺することはなかった。というか、想像のついていたことだ。ワンピースに着替えるとき、サラの体には土がついていた。当然、体を洗ってから着替えたわけだが、あの土のつき方はどう考えても、転んだからではない。あまり考えたくなかったが、自分は「埋められていた」のだ。
殺されていただけでも大変なのに、死体遺棄ときた。厄介事が絡んでいないわけがない。一言で言って異常だ。
「いくつか仮説はあるけど、リナ、まず君が彼女と会ったときの状況を教えて」
言われて、リナは思い出す。あれは魔女狩りから逃げていたときのことだ。
「森に入って、狼に会って、びっくりして、引き寄せたのがサラだった」
言ってから、リナはこてんと首を傾げる。
そういえば、悲鳴は二回上げたような気がする。
狼と目が合った一回、引き寄せたのが死体と気づいた一回。それからサラが「うるさい」と喋って一回。……三回だな。
そのことをイアンに話すと、イアンは目を見開いた。
「イアン、何かわかったの?」
「……いや。相変わらずリナは怖がりだな、と思って」
「何よ! もう」
イアンをぽかぽかと叩くリナを見ながら、サラは首を傾げる。明らかに何か気づいた感じだったが、イアンは何故誤魔化すのだろうか。それとも私の気のせいだろうか、とサラは感じた。
サラは少しわからなくなった。イアンの反応をどこまで真に受ければいいのだろう。真に受けるにしたって、リナのリアクションが邪魔をする。自分のことについて考えてくれているのに、邪魔だなんて言いたくはないけれど。
「リナが怖がりなのはわかるけど、私のことでわかったこと、本当にない?」
「もーっ、サラまで!」
リナがぽかぽかサラを叩くが、全然痛くない。加減しているのだろう。イアンはその様子を微笑ましげに眺めた後、サラに向けて、気まずそうに口を開いた。
「一つ、気になっていることがあるんだ」
「? なに」
イアンの表情が、思うより深刻なものであるため、サラは訝しんだ。イアンはちょっと待ってね、と言い置き、棚から鏡を取り出した。
イアンの様子に、リナはぽかぽかとするのをやめ、サラの隣で共に待つ。サラに差し出された鏡を見、サラ共々、こてんと首を傾げてみせた。
「鏡に映る自分の顔に見覚えある?」
イアンの紡いだ言葉に、リナは驚いた。
「この体がサラのものじゃないっていうの?」
「殺されて、遺棄されたのなら、死んでから時間が経っているはずだ。死んだら魂は幽霊の世界に行くとされている。こことは別の世界、領域……人智の及ばないところに。そこに行ってしまった魂は簡単には帰ってこない。体の持ち主本人の魂とは考えづらいよ」
「そんな……」
鏡を見ていたサラが、リナの手に触れる。リナはその冷たさにはっとして振り向いた。サラはリナと目を合わせると、不器用に微笑む。
「リナが気にすることじゃない。それに、自分の容姿も私はよく覚えていないから、断言はできない」
「記憶がないの?」
イアンからの問いかけに、サラは迷いなく頷いた。
「私が生きていた頃の記憶はおぼろげ。名前もフルネームは思い出せないし」
「そうなんだ。他に異常はない?」
「異常と言われても、何が異常なのかわからないから」
確かに、とイアンは黙った。けれど、感心もしていた。わからないなりに、判断力はある。わからないときは「わからない」と自覚するのが一番大変なのだが、サラはそこの割り切りができているらしい。立派なことだ。
「他に詳しいことはわからないの? イアン」
「僕も神秘にとても詳しいわけじゃないからね。幽霊の世界云々も、先生に教わったものばかりだし」
「先生?」
「うん。僕の魔法に興味を持って、神秘について色々教えてくれた人がいて」
「まッ! イアンきゅんに先生がいたんですか!?!?」
ちょっとオーバーリアクションなくらい反応したのはリナだった。サラは目が平坦になり、イアンは目を丸くしていた。
「うん、先生いたよ。そういえば、リナは会ったことないっけ」
「ないですわ~! イアンきゅんったら、イアンと私の仲ですのに、今の今まで教えてくださらないなんて、いけずですのー!」
「ええっと、リナさん?」
ずい、とリナがイアンに迫る。イアンはじりりと下がった。
「先生は殿方?」
「は、はい、男性ですけど……」
「どちらの出身?」
「日本人……」
「イケメン?」
「いけ……なにて?」
「リナ、いい加減に」
「うわああっ!?!?」
リナがぐいぐい迫ったために、足をひねったイアンが盛大に転ぶ。もちろん、迫っていたリナも、ぐしゃあ、と床に崩れた。サラが平坦な顔で溜め息を吐く。
「……だから言わんこっちゃない」
「り、りりりりリナさん?」
「よく見なくてもイアンもイケメンですもんねー! イケメンかけるイケメンとか眼福しかないですわー!」
「リナは何を言ってるの?」
「サラちゃんは知らなくてもいいことです!」
「あっそう」
「先生! サラちゃんが冷たいです!」
「死体だからね」
「拗ねないでぇ~!」
サラは拗ねたわけではない。あっという間に騒がしくなって、呆れただけだ。
リナがイアンを押し倒してしまったこの状況も、十割でリナが悪いのは承知だ。よくわからないところでダル絡みをするな、と思った。サラはイアンの「先生」が何人だろうが、イケメンだろうが、心底どうでもいい。唯一、興味を示すとしたら、その「先生」がイアンに神秘について教えたということだろう。
というか、そもそも「神秘」って何だ、とは思う。サラは自分のことに関しての記憶はないが、この世の常識まで忘れてしまったわけではない。ただ、リナやイアンの話す「神秘」については学んだことがない。
「というか、私もイアンがリナを先生に会わせなかったことが気になるんだけど」
「あはは、先生、わりと神出鬼没だから……」
イアンは苦笑いしながら、リナに避けて、と進言する。リナはえー? とダル絡みモード続行中の様子だったが、イアンは渋面のまま、無言でリナを脇に移動させた。これでも男なのだ。力ではリナに勝る。
イアンは空気を切り替えるように、椅子を出した。全員が座ると、こほん、と咳払いを一つ、話し始める。
「リナにも紹介できたらよかったけど、先生とタイミングが合わなくて」
「先生がいることくらい、言ってくれたらよかったのに」
「科学統一政府が幅を利かせている今、横の繋がりがありすぎるのも良くないよ。それに」
イアンの表情が暗くなる。
「――先生は最近、科学統一政府に捕まったって聞いた」
ひゅ、とリナが息を飲む。サラも心持ち固い表情になった。
「先生が口が軽い人とは言わないけれど、人間である以上、裏切りの可能性はあるからね。ただでさえ指名手配されてる君と知り合いじゃなくてよかったよ。君が厄介なことになっているのなら、尚更」
イアンの言葉に、リナが両手を上げて、肩を竦める。
「サラを厄介事扱いしないでくれる?」
「それは悪かった。でも、それならリナはサラちゃんを今後どうしていくか、考えているの?」
イアンの問いに、サラは知れず、緊張する。リナとは今日会ったばかりだ。これまでのやりとりで、リナの人となりがなんとなくわかった気がしなくもないが、「サラ」という存在が厄介事そのものであることに変わりはない。ただでさえ追われる身なのに、これ以上追われる理由を増やしたくはないだろう。
サラも、これ以上迷惑をかけるつもりはなかった。とはいえ、自分が死体に戻る気配もない以上、行く宛などどこにもないのだが、失せろと言われれば、どこかに一人で消えようという覚悟くらいはしていた。
ところが。
「……何も考えてなかった……」
リナの正直すぎる一言に、サラは呆れながらも、肩の力が抜けた。イアンを見ると、半ば予想がついていたのか、苦味を帯びつつ、やれやれと笑っている。
「本当に? 何も考えてなかったの? 呆れた……」
「だってぇ……」
「まあまあ。後先考えないけど、とりあえず行動に移せるのは、リナの美徳だよ」
真っ赤になるリナにイアンはフォローを入れる。サラはそれでも呆れるしかなかった。
リナが小さく震えながら、サラの方を見て、ぶつぶつと呟く。
「だって、どうしたらいいかわからなかったし、一人は寂しいし……」
「とのことだけど、サラちゃんはどうする? リナを放って一人でどこかに行ってもいいんだよ?」
サラはイアンに見つめられ、首を横に振る。
「正直、どこに行ったらいいかわからないし、ここまでの話だと、無闇に出歩けば、私も科学統一政府? に捕まるんだよね?」
「捕まるだけで済めばいいけど」
「少なくとも、自主的に消えたいわけじゃない」
サラはすぱすぱと断言していく。リナはおお、と感心した様子だ。
サラの言葉に、イアンも納得した様子で、うんうん、と頷いた後、こう申し出る。
「リナも、サラちゃんも、目的はないけれど、一緒に行動したいってことなら、ひとまずの目的ができるまで、僕のところにいようか。こんな森の深くまで追っ手が来ることはそうそうないし、悩む時間くらいはあるよ」
「……いいの?」
サラがイアンを伺う。自分の存在そのものが厄介事であることを自覚しているからこその反応だった。イアンは安心させるように笑い、頷く。
一方リナはというと、少し悩んだようだが、助かるよ、イアン、と答えていた。
「今悩んだのは何?」
「いや、五日後に公開になるサメ映画が気になって……」
「人魂であんなに怖がるのに、ホラー映画観るのはやめないんだね……まあ、しばらくは控えてもらって」
「はぁい」
「なんでちょっと不服そうなの」
リナのこの様子には、サラも引いていた。リナのホラー映画好きは聞いていたが、逃亡生活の中、細かい日程を覚えるほどとは、と。
「なんでびびりなのにホラー映画好きなの?」
「怖いのがいいんじゃない!」
思わず問いかけたところ、間髪入れずに返ってきたのがこれだったため、サラは考えるのをやめた。これは理屈を説いてもどうにもならない
これ以上刺激して、五日後のサメ映画に連れて行かれるのが一番の悪手である。触らぬ神に祟りなしというではないか、とサラはそれ以上問い詰めなかった。
「イアンのところにいるのは賛成。サラの正体に関しては、どこに取っ掛かりを求めればいいのかわからないし、イアンに調べてもらえたら、助かる」
「そうだね。魂が同じでないにせよ、死人が生き返ったようなものだし、興味はあるよ」
イアンの言葉に、リナはちら、とイアンを見る。その視線が大変に訝しげなものであったため、イアンは頬をひきつらせながら、何、と聞いた。
「いんや? もしかして、弟さんのこと、まだ諦めてないのかなぁって思って」
「う……」
「イアン、兄弟がいるの?」
他に話題もないため、サラが興味を示す。が、イアンは気まずそうに目を逸らすだけで答えず、お茶を淹れるね、と思い切り話を逸らした。
地雷か何かかな、とサラはそれ以上詮索せず、話題が風に消えていく。代わりに紅茶のいい匂いがしてきた。
「そういえば、サラってお茶飲んだり、食べ物食べたりできるの?」
「わからないけど、美味しそうって思うよ」
「よし! じゃあ一緒に飲めるね!」
サラは呆れて物も言えない。あまりに楽観的すぎる。まあ、美味しそうと思っているのに、飲ませてもらえない方が苦痛とは思うが。
「リナ、そういえば食事は?」
イアンがふと気づいたように問う。リナはうーん、と顎の辺りに人差し指を宛がいながら答えた。
「朝に飲んだスムージーが最後……かな?」
「ちゃんと食べなよ」
簡単なものだけど作るから、とイアンはパンを出す。慣れた手つきでバゲットサンドを作り、リナとサラに差し出した。
「私も、いいの?」
不思議そうにするサラにイアンが頷く。
「実験みたいなものだよ。それに、食べ物を食べられるなら、食べた方が幸せになる可能性は高い」
「……ありがとう」
サラはイアンの言葉に勇気づけられ、躊躇いなくバゲットサンドを食べた。リナもその横で大口を開けて頬張る。
「んー、美味しい」
「うん、お茶も美味しいし。イアン、料理上手?」
「まあ、自炊はしなきゃならないし。口に合ったならよかったよ」
サラが微笑むのを見つつ、リナはふと考えた。
イアンのところで隠れ住むのもいいかもしれない。けれど、サラの体がサラのものでないという問題や、遺棄されていた死体だということを考えると、人道的には、元の持ち主の家族へ返してあげるべきだろうと思う。できるなら、殺した犯人も捕まえたいところだ。
サラはサラで、帰るべきところがあるだろうし……と理性では思うが、正直なところ、せっかく出会えたのに離れるのは寂しい。サラをどうするか、具体的に考えていなかったのは、リナがただサラと一緒にいたかったからだ。一緒にいるために、サラのことを知ろうとした。けれど、このままでは、一緒にいることも難しいだろう。
それならせめて、サラの望むことを叶えてあげたいな、なんて考えていると、サラがリナの方に近づいてきて、抱きしめてくれた。冷たいなあ、死体だから、仕方ないか、と思っていたのだが、どうも、人の肌ではないものが、リナの肌を撫でていく。
リナははっとして、自分の状況を確認した。
自分を取り囲む、サラと無数の人魂。人魂たちはじゃれつくようにぴとぴととリナの肌にくっついてくる。
おたまじゃくしのような愛くるしい見た目の人魂だが、リナにとって「人魂」は「人魂」であり――
「ひっぎゃあああああああ!!!!」
恐怖の対象であった。
To Be Continued…
おまけ
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