No name lie -名前のない亡霊- 第4章
高校二年生の春、コンクールで最優秀賞を取った度流の絵が展示会場から盗まれる事件が発生。それが報道されたのと同巡の
恋人の
度流の様子を案じた後輩の
日翔から「少しは人を疑え」と言われた度流は、惑いながらも、くららへの疑念を募らせていくのだった。
度流はくららを疑うことについて、頭を悩ませるも、度流の中の優音が「度流のことは自分が守る」と蓋をする。
度流はそれに抗い、くららの言葉で語られたことから、自分で判断しようと決意するのだった。
第4章「異常者と嘘」
忘れもしない、十二年前。
命すらも失いかけたあの日。
ごうごうと炎が渦巻く中で、くららは自分の命を除く、ほとんど全てを失った。
炎に包まれながら、くららだけでも助けようと、両親は水場にくららを放り、力尽きた。
その両親の努力は報われ、くららは生き残った。けれど、それは全然嬉しくなかった。いっそあのとき死んでいれば、楽だったかもしれない、と幾度思ったことか。
それくらい、くららの失ったものは大きかった。
そんな中、くららの半身火傷の治療も落ち着いた頃、ニュースでとある絵画が報道された。
その絵画のタイトルは「止まない炎」。作者は当時五歳の彼苑度流という子どもだった。
くららは目を奪われた。彼苑度流の「止まない炎」はくららが目にした絶望そのものだったから。美しく、残酷で、生々しい。それがそう年の違わない子どもの作品だという。
異様だった。だからこそ、心を奪われた。
それがくららの始まりだった。
度流がくららに「学校で話すのもあれですから」と連れて来られたのは、マンションだった。といっても、新築ではなく、歴史を感じるような趣のマンションだ。
「ここは?」
当然の質問である。度流はくららが養護施設育ちなのでは、と思っていた。あの無差別自爆テロの孤児であるなら、そういう支援も受けられるはずだ。
だが、目の前の生活感のあるマンションは、とても養護施設には見えなかった。
「あたしんちです。一応、成人済みの義理の姉が保護者です。仕事は何してるんだか知りませんけど、大抵、家は空けてますんで、あんま気にしないでください」
「義理のお姉さん?」
くららに姉がいたのだろうか、と疑問を口にすると、くららは苦笑いする。
「同じ養護施設で育ったんです。血は繋がっていないですけど」
その説明に納得し、次なる質問を紡ぐ。
「どうして、施設を出たの?」
そんなことをしなくても、十八になれば一人暮らしはできただろうに、何故、そんなに急いてしまったのだろうか。御神楽からの支援も、万全なはずだ。
すると、くららは真剣に目を細める。
「義体化しないあたしは、どうしても浮いてしまったんです。それで、居心地悪くて、一刻でも早く、施設を出たかったんですよ。……一人にも、慣れたかったですし」
後ろの言葉は仄暗さと後ろめたさを孕んだ本音に聞こえた。身の上を思えば、くらら自身にも、様々思うところがあるのだろう。
「一人の部屋があるといいですよ。趣味全開にできるんで」
くららの言葉に、度流は自分の部屋を思い浮かべる。確かに、度流は趣味のスケッチなどを部屋に並べている。絵の具なども、何色をどこに置いたかは、自分一人だからこそ、ぐちゃぐちゃでもわかるというものだ。
なるほど、と思ったところで、近くの電子掲示板が表示を変える。
「本当の自由を手にしよう! 赤梨協会」
なんだかつい最近見たような標語だ、と度流は首を傾げる。「自由」をテーマに、随分とふわふわしたことを言っているなあ、と感じた。どこかの政治団体か何かだろうか。
掲示板の表示が別のものに切り替わり、度流もすぐに忘れてしまった。
「とりあえず、中へどうぞ、先輩」
「うん」
そっと辺りを見回す。おそらく、誰からも狙われていない。が、素人判断なのでなんとも言えない。それでも前巡と異なり、警戒はするようにした。
くららがもし、直接襲いかかってきたとして、武器がなければ、度流も一応男である。対応はできるだろう。
度流は一瞬、空か日翔を頼るべきだったか、とよぎるが、首を横に振る。空とは連絡先も交換していないし、日翔に連絡したところで、一般人に何ができるというのだろう。それに、得体の知れない危険に、知り合いを晒すのもどうか、と一応は踏み留まった。
「先輩、たぶん、あたしのこと、怪しんでますよね?」
「えっ?」
思わず声が引っくり返る。図星を指されたというのが丸分かりな反応だった。あまりにも露骨で、指摘したくららが苦笑する。
「だって、なんか慎重なんですもん。いつも何かと迂闊な先輩が」
「え、僕ってそんなに迂闊かな?」
「そうですよ~。彼女さんがいないと、うっかり知らないリンク踏むし」
「う」
その点は否定できない。否定できないのだが……何か、引っかかった。何が引っかかっているのかは、わからないのだが。
ぱたり、とドアを閉める音に、緊張した。確かに、いつもより慎重で、過敏になっていると自覚する。
「やだな~、あたしが先輩に乱暴するわけないじゃないですかぁ。逆だってあり得ないのに」
「それはそうだよ。恋人がいるもん」
「そうですよ。先輩がこれに乗ってきたら、バギーラレインが降ってくるレベルを警戒しますよ」
それは言い過ぎじゃないかな、と思ったが、自分が優音以外の女の子に興味を持つなんて、それこそ天地が引っくり返ってもあり得ない、と度流は自分で断じた。
くららの態度がいつもと変わらないため、少しだけ警戒を解く。くららが襲ってくる可能性も、あるにはあるが、限りなく0に近い。――彼女がしている無茶で、彼女が身体の機能を損なっているからだ。
「部屋、散らかってるっていうか……もはや隠せるレベルではないので、見せるしかないんですけど……いやぁ、改めて、恥ずかしいですね」
案内された部屋で息を飲む。そこにはこれまで度流が描いてきた作品の模倣品や、無料配布に使われたチラシ、Tシャツに印字されたものまで、様々あった。もちろん、Tシャツなんて販売したことはない。絵のデータを個人的にプリントアウトしたのだろう。個人での鑑賞には著作権は適用されない。
そのことに思い至ったのか、くららが慌てて弁明する。
「こ、ここにあるのは、あくまで、個人鑑賞用として作ったものです! 商用利用は絶対にしてませんし、これからもしませんから、安心してくださいね!」
「それは当たり前だけどさ。どうしてTシャツ作ったの?」
度流の指摘に、くららがぎくりと固まる。
そう、Tシャツも含め、「鑑賞用」なのだ。Tシャツは着たっていいのに。
まあ、察しはついている。
「火傷を見られないため?」
「……はい」
くららが頷き、座ってください、と椅子を勧める。度流が黙って、席に就くと、くららも座り、口を開く。
「御神楽ホテル爆破テロ事件、あたしも、両親と一緒に居合わせました。犯人たちは反御神楽の過激派で、御神楽の目的が『世界平和』なら、『人類滅亡』でも願っていたんでしょうか。訳のわからないことを叫んでいましたよ。確か……」
「信仰する人間がいるから、一つの思想が蔓延り、人の想像力を行き詰まりにさせる。それなら信仰する人間を皆殺しにすればいい!!」
くららは記憶に強く残っているのか、明瞭に紡ぎ、苦い笑みを浮かべる。度流は愕然とした。
どれだけ彼女が渦中の中心に近いところにいたか。そうでなければ、わざわざ思想などを叫ばないだろう。彼女はたくさんの人と共に居て、たくさんの人の死を目にしたのだ。
御神楽ホテル爆破テロ事件での死者は六十九名。怪我人に関しては重軽傷問わず、数えきれないほどだ。度流もくららも「たまたま七十人目にならなかった」だけの人間である。
「あいつらの論理で言うなら、『人間』っていう信仰をする種族がいる限り、一つの思想に人間が集まって、偏りができるってことですよね? 今思うと、テロ行為はあまりにもその場限りの意味のないものだったんじゃないかなって。それこそ、人類が滅亡でもしないと駄目でしょう?」
「もしくは、それも承知の上だったのかもね。だって、自爆テロだもん。自分たちすら『いなくなるべき人間』だったのかもしれないよ?」
「狂人の考えることはわかりませんね」
くららは肩を竦める。
実際、犯人グループの生き残りはいない。自爆テロで、犯人は死なばもろともと言わんばかりに吹き飛んだ。そう考えると、死者六十九人は少ないのかもしれない。
その死者の中に、度流の両親と、くららの両親が含まれるわけだが。
「大人は駄目だ、滅却するしかない、と言って、テロリストたちは大人たちを殺していきました。当然、抵抗はするんですけど、大人たちには足手まといがいました。『子ども』っていう、ね」
「足手まといって……」
「事実でしょう?」
くららは淡々と、暗い色の目で告げる。
「テロリストたちは子どもを人質にした。子どもを『浄化の炎に晒す』とか言って。拗らせた中二病でも、もうちょいましなこと言いますよ。あたしや他の子どもは、まとめて爆弾を纏った大人に囲われてたんです。爆弾を持ったテロリストたちは笑っていました。『いたいけな子どもを救えば、我らの罪も許されるだろう』って。何を言っているのか、当時のあたしには、理解できなかった。理解した今は、腸が煮え繰り返る思いですよ」
浄化の炎とは、爆発の炎、救うとは、殺すということだ。ふざけている。子どもたちは、難しい言葉だったため、よくわからなかったのだろう。
それでも、恐怖はあった、とくららは話す。
「爆弾大人の隙間から、なんとか抜け出したのがあたしです。でも、大人にすぐ追いつかれて、抱きしめられた瞬間、ぞっとしたのを忘れられません。それで人が吹き飛ぶところを、既に見ていましたから。
あたしが、もう駄目だ、と目を瞑って、子どもなりに、死を覚悟したとき、あたしを救ってくれたのが、父と母でした」
くららの父が、くららとテロリストを引き剥がし、母が、くららを庇うように抱き抱えたのだという。
だが、それは、間に合わなかった。
「あたしとテロリストを引き剥がせたけど、その直後には、爆弾が爆発して、あたしは母と共に吹き飛ばされ、父がどこにも見えないまま、『熱い』とだけわかって。他の子どもの悲鳴なのか、大人の叫びなのか、テロリストの笑い声なのか、わからないまま、あたしは音の渦の中で、もがいていました。もがくのをやめたら、死んでしまうような気がして」
そこからはずっと、「痛い」という感覚が続いたという。意識もあるのか、ないのか、わからないまま、救急輸送機に担ぎ込まれた。くららが見つかったのは噴水。母親がくららを投げ入れ、事切れていたという。
そこまで歩けたのが不思議なくらい、顔は原型を留めておらず、腕は焼け爛れていたのだそうだ。くららを庇ったために、母は多大なダメージを一身に負い、死んだ。くららが半身火傷程度で済んだのは、母のおかげといっても過言ではない。
くららは生死をさまよった。意識が安定するまで、一週間はかかり、意識が保てても、まともに喋れない状況が続いて、GNSを介しても、錯乱状態で、会話が成り立たない日々が続いた。
誰よりも、くらら自身がつらかった。目が覚めたら、両親の死を伝えられたのだ。左目を失ったことよりも、ショックだった。
「今でも、心療内科通いは続いています。ソーシャルワーカーの相談サービスも受けてて。まあ、あんまり行きたくないんですけどね。義体化を勧められるので」
「義体にはしない……というか、されなかったの?」
「左目以外は治る余地があったので。テロの被害者には、御神楽から治療費等の支給があるのは、先輩もご存知ですよね? だから、やろうと思えば、全身義体だってできます。でも……」
くららが言い淀む理由が度流には、なんとなくわかった。自分が変なことを言っているという自覚がくららにはあるのだ。
「義体にしたら、お父さんとお母さんがくれたこの肉体を捨てることになる。それって、不義理じゃありませんか? 少なくとも、
「ううん。おかしいなんてことはないよ。それも一つの考え方だと思う」
くららは度流の言葉に、自虐的に笑った。
「先輩なら、きっとそういうだろうなって、わかって言ってるんですよ。卑怯でしょう?」
「そんなこと」
「あたしがおかしいんです、きっと」
度流の言葉を遮ったくららの声には、痛みが伴っていた。
「だって、あたしにとって、あたし以外のみんながおかしい! それはもう、あたしだけがおかしいっていうことなんですよ!!」
「誰かに、そう言われたの?」
「誰にでも言われますよ。それに、心療内科通いが続いているのだって、あたしがおかしいからじゃないですか?」
それを慰める言葉を、度流は持ち合わせていなかった。安易に慰めるには、くららは「変だ」と言われ続けてきただろうから。
けれど、叫んだら落ち着いたのか、くららは軽く「ごめんなさい」と呟く。
「取り乱しました。でも、先輩に、ずっと聞いてほしかったので、ちょっとすっきりしました」
「僕に?」
度流が首を傾げると、くららはほんのりと笑う。
「あたしを救ってくれたのは、先輩の絵なんですよ」
度流の代表作「止まない炎」は御神楽ホテル爆破テロの光景を度流が描いたものだ。それは残酷で、抽象的でありながら明瞭な、事件現場の炎と、人々の阿鼻叫喚をまざまざと描き出していた。その絵に、くららは心を救われたのだ。
くららは「止まない炎」の中に、父と母の姿を見た。気のせいだとか、偶然だとか、言われてしまえばそれまでであるが、くららの目には、確かに見えたのだ。
「それで、あたしはその絵を描いた人を調べて、それで『人と少し違うものが見える。それを描いている』という言葉で、心が軽くなったんです。先輩も、テロの被害者で、あたしと年が近くて、少しおかしい。失礼ですけど、『あたしだけじゃないんだ』って思いました。
よく考えれば、テロのせいで心を乱された人も、あたしだけじゃないはずです。そう気づいたら、楽になって」
くららがほう、と息を吐く。少し、脱力し、度流の方を向いて、ふっと微笑んだ。そこに自嘲の色はない。
「彼苑度流はあたしの恩人なんです。だから、一度、会ってみたかった。高校になって、それが叶って、ほっとしてます」
恩人、という言葉に、胸をとん、と衝かれる。身近な人物に、そんな風に言われるのは、初めてのような気がした。
それから、度流は考える。くららは恩人を命の危険に追いやるようなことをするだろうか、と。
――この考えも、甘いと言われるだろうか、と考えて、溜め息を吐いた。ここまで聞き出しておいて、これを法螺話だというほど、度流は人間として、終わっているつもりはない。
甘いと言われようとかまわない。自分のことを「恩人」と言ってくれたくららを、度流は信じることにした。
「つらい話をさせてごめんね」
「いえ、謝らないでください。あたしも、いつかは話したかったことですから」
「――それで、話は変わるんだけど」
度流は優音が行方不明であることと、自分が何故か命を狙われていることをくららに打ち明けた。くららは狐につままれたような顔をしながら聞く。
度流が全て話し終えると、くららは叫んだ。
「どうしてそんな大事なこと、もっと早く話してくれなかったんですか!?」
うーん、と度流は微妙な気持ちになる。くららを疑っていた、とは言いづらい。
が、くららの方が察したらしく、こう紡ぐ。
「ああ、なるほど。ここまでだと、一番身近で怪しいのは、あたしになりますもんね。でも、普段はうっかりしてる先輩が、よくこんなに慎重になりましたね」
「ああ、それは」
日翔と空のことを話そうとして、ふと考える。二人のことを明かしていいのだろうか、と。
「まあ、助けてくれた人が、警告してくれてね。それ以来会ってないけど」
嘘は言っていない。
「へぇ、通りすがりで助けてくれるなんて、随分親切な方たちですね」
くららは度流を訝しむこともなく、興味なさげにそう告げた。
「それにしても、これで、彼女さん探しの難易度は上がりましたよ。先輩が狙われてるのと、無関係ではないでしょう。先輩が持ち帰ったCCTが何よりの証拠です」
そう。先日の襲撃で、おそらく犯人は、優音のCCTを使うことで、度流を誘き出した。優音のCCTを手に入れるには、優音と接触しなければならない。ただ、優音は今、行方不明だ。
ということは、十中八九、優音を拐った何者かと、度流の命を狙う者は同一と見て、間違いないだろう。
「でも、彼女さんのCCTがこちらにあるのはアドバンテージにもなります。これを調べれば、彼女さんがいなくなるまでの足取りがわかるかも」
「本当?」
「ええ、任せてください。なんとかしてみせます!」
まだ何も解決していないが、大きく一歩、踏み出せたような気がした。
to be continued……
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