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No name lie -名前のない亡霊- 第12

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 彼苑かれその度流わたるはテロで親を失った。そのテロから十二年。高校生になった度流は人とは少し違った見え方のする目を生かして、美術部に所属し、絵を描いていた。
 高校二年生の春、コンクールで最優秀賞を取った度流の絵が展示会場から盗まれる事件が発生。それが報道されたのと同巡の三日目に差し掛かる頃、度流は何者かに命を狙われ、「虹野にじのから」と名乗る不思議な少女と出会ったのだった。

 恋人の荒崎あらざき優音ゆねが行方を眩まし、動揺する度流。度流は優音の幻影と話すようになり、様子のおかしさに、周りから遠巻きにされるのだった。
 度流の様子を案じた後輩の深海ふかみくららが探してくれた手がかりを元に優音を探しに行く度流だったが、再び襲撃に遭い、中学時代の同級生天辻あまつじ日翔あきとに助けられる。
 日翔から「少しは人を疑え」と言われた度流は、惑いながらも、くららへの疑念を募らせていくのだった。
 度流はくららを疑うことについて、頭を悩ませるも、度流の中の優音が「度流のことは自分が守る」と蓋をする。
 度流はそれに抗い、くららの言葉で語られたことから、自分で判断しようと決意するのだった。
 くららから語られたくららの過去とくららにとっての彼苑度流。それを聞いた度流はくららを信じ、共に優音を探すことにするのだった。
 くららの気づきや日翔からの情報提供などを元に、犯人の手がかりになりそうなことを探す度流。慰霊塔にて行われるとある取引の現場に訪れた度流はまたしても襲撃に遭う。
 通りすがった空に助けられ、事なきを得るが、度流は空からのとある指摘に動揺するのであった。
 作戦資料書を手に入れた度流はくららに頼んで調査をする。そのために携帯端末を買い替えたのだが、端末にも異変が……
 調査の末、くららが見つけ出したのは「人類救済計画」というものだった。
 人類救済計画とは、死の自由を謳う異常思想だった。けれど、実現不可能な思想だということで安堵したのも束の間、度流はまた命を狙われる。
 優音に繋がる手がかりもない中、足掻く度流に、くららは「優音って誰です?」と衝撃的な言葉を告げた。
 クラスメイトから、果てには優音の家族にまで、優音の存在が忘れられていることに絶望する度流。
 絶望し、葛藤する中で、優音の本当の思いを知りたいと決意した度流は、優音との再会のため、前を向くことにした。
 度流の態度を疑問に思ったくららは自分が何かを忘れていることに気づき、日頃より実験していた「GNSからの脱却」の技術を生かして「荒崎優音」の存在を思い出す。
 日翔と話したことにより、優音が人々から忘れられたからくりも明らかになり、度流はいよいよ、優音を取り戻すため、赤梨協会に乗り込むことに。
 場所は、御神楽ホテル爆破テロ慰霊塔。
 赤梨協会の本拠地に辿り着いた度流。途中、協会の人間に見つかったりもしたが、どうにか優音との再会を果たす。
 夕暮れ時の展望デッキ、度流との再会を喜ぶ優音は、拳銃を自らのこめかみに突きつけ、微笑わらう。
「最後に、少しだけお話ししましょう、度流くん」
 優音の口から語られたのは、優音の願いとそのために成されたこれまでの全て。赤梨協会の人類救済計画も、度流の人格形成までも、優音の計画通りだった。
 度流への、歪みに歪みきった愛を告白する優音。その願いとは「度流の中の永遠となること」。兼ねてよりの願いをようやく叶えられると、優音は笑う。
 ——銃声が、響いた。

 

 
 

 

12章「 名前のないかれのしる亡霊うそ

 

 人が目の前で死ぬのは、初めてではなかった。
 大切な人が死ぬのも、初めてではなかった。
 大切な人が目の前で死んだ。彼女の死はそれの「三人目」に該当した。
 違ったのは、彼女が――荒崎優音が死んだのは自らの確固たる意志であるということ。
 伸ばしかけて、届かなかった掌が、ひら、と空を切って落ちていく。度流の薄紫が、地面に広がる色を写して赤らんだ。
 ガラス張りの展望台。向こう側はもう夜の色に染まって、夕焼けの残滓も見えなくなってきたのに、サイレンがけたたましく鳴り響いて、頭が痛い。ウウウウウウウウ、と鳴くそれは、泣き声みたいだ。
「優音ちゃん――優音、」
 もう届かないことは知っている。きっと、冷たい床に横たわる彼女に、触れるべきではない。度流はそれが悲しかったけれど、一音一音を誰が聞いてもはっきりと読み取れるように紡いだ。
 謝罪でも、感謝でもない。度流が優音にだけ与えられる言葉。優音以外の誰にも、与えたくない言葉。
 それを聞き取る者はなかった。それから、匿名の通報により到着したカグラ・コントラクターにより、二人が発見されたのは、五分後のことである。

 

§ § §

 

 明るいとも暗いとも感じられる空の色。凍えるというほどではないが、空気ははっきりと冷たく、外を出歩くのには外套が必要だった。
 度流は人気の少ない自然公園で、コーヒーを飲んでいた。ひゅう、と吹いた風に苦笑を浮かべ、新調したばかりの深緑の外套の襟を直す。
「や」
 そんな度流の前に、気さくに手を上げて現れたのは、空だった。度流も「ん」と応じ、近くの自動販売機の前に立つ。
「何か飲む?」
「じゃあ、カフェオレ」
 ぴ、とCCTをかざし、支払いを済ませる。がこんと落ちてきた缶を空に渡し、度流は近場のベンチに座った。
 空も続いて座ろうとしたところで止まり、目を細める。
 桜が咲いていた。
「冬なのに、綺麗ね」
 年明けの寒空の下、公園には桜が咲いていた。春の華やかさはなく、控えめにしずしずと咲いている。季節外れで、狂い咲きにしたっておかしな景色だ。
 度流が語る。
御会式桜おえしきざくらっていうらしいよ。春と秋に咲く桜なんだって。気温が一〇度以上あれば咲く、寒さに強い桜」
「オエシキ? って、何?」
「仏教は知ってる? それの宗祖様の命日に合わせて行う大法会……ちょっとしたお祭りみたいなものらしいよ。それをやるのが秋。その時期あたりに花が咲き始めるから、御会式桜なんだって。春も咲くけど、春は春で仏教の偉い人の命日なんじゃないっけ」
「やけに詳しいね」
 度流の説明に、空が感心する。間を開けて座った空に度流はからからと笑った。
「親戚がお寺やってる友達がいてね。まあ、あとは――お葬式、こないだやったし」
 ああ、と空は少し気まずそうにした。
 見た目には、この彼苑度流という少年は、何も変わっていない。ちょっと良さげな外套を着ているくらいで、大きな変化はないのだ。髪が伸びたとか、切ったとか、そういう変化もない。少し淀みを宿したような曖昧な薄紫の目だって、空の知るそのままだ。愛用のCCTも、新機種は買ったようだが、思い出の品だという紫色の端末も変わらず持ち歩いている。
 ――何も、何一つ、度流は変わっていない。そう見える。けれど確かに、彼から大切なものが失われたことを、空は知っていた。
「探してた子、死んじゃったんだってね」
「うん」
「で、絵を描いたんだっけ」
「……うん」
 優音の自殺については、慰霊塔という身近で象徴的な場所で起こったため、そこそこ話題になった。高校生の少女の拳銃自殺というセンセーショナルなニュースは、話題を呼び、物議を醸し、ある程度世間を賑わせた。
 世間からすれば名もない一人の少女の死。それが人々の記憶にある程度爪痕を残したのは、彼苑度流が「絵」を描いたからだ。
 事件が終わったのは、一年の最終環に入る少し前。様々な事後処理を経て、度流の新作は「塔と少女」と共に御神楽ホテル爆破事件慰霊塔に展示された。
 タイトルは「名前のない亡霊」となっており、描かれているのは、優音の姿だ。背景に透けそうなほどの透明感のある、美しい少女。その微笑みは見た者を魅了した。
「君も見たの?」
「うん、ちょっとだけね。綺麗な絵だったよ。――そういえば、一つ気になったんだけど」
 空が何かを思い出すように、宙でくるりと指を回す。度流が目を向けると、疑問を紡いだ。
「あの絵、『名前のない亡霊』ってタイトルなんだよね? そのタイトルの下に『No name lie』ってあったんだけど、それは『名前のない嘘』って意味じゃないの?」
「うん。僕の中では、『嘘』も『亡霊』みたいなものだから」
 度流はコーヒーをちみりと口に含む。少し湿らせた唇で語った。
「今時、『亡霊』なんてオカルト用語を真に受ける人はいないし、僕は……『嘘』なんて、存在しないって思っていたんだ。どんな意味や意図が含まれていようと、目に映るもの、耳にしたもの、伝えられたこと、全ては真実ほんとのことだけを示していて、嘘なんてない。僕の目に映る世界は、真実だけでできていて、ひとをきずつけることなんてないんだ、少なくとも、僕を傷つけることなんてないんだって……信じてた」
 度流が顔を上げ、御会式桜を見る。季節外れの桜は雪の代わりであるかのように、しんしんと花びらを積もらせていた。
 度流の目は、とても桜を見ているようには見えなかったが。
「優音ちゃんがしたことは、全部僕のためだった。それは本当なんだと思うし、そう信じてる。でも、決して『傷つけないため』ではなかったんだなって……」
 優音の目的は、度流を傷つけることだった。彼女が手に入れたがっていた永遠は、度流の心に永遠に住まい続ける「傷」となること。度流を肯定し、優しく接し続けていた彼女の姿が嘘だったわけではないが、彼女が最後に選んだのは「優しさ」と呼ぶには、歪な自分本位だ。
 度流は優音を盲信していた。それは出会ったばかりの空からさえ、指摘されるほどのわかりやすさと危うさで、何か一つ間違えば、度流は簡単に心神喪失してしまいそうな綱渡り。周囲が改まって声をかけなかったのは、触れれば壊れそうなほどに、手の施しようがなかったからだ。
 そうして、大事にならないよう、放置され続けた事実に、度流はとうとう気づいてしまった。危うかった度流が、気づきを得てもさして動じていないのは、周りが危ぶんだほど、度流は脆くも弱くもなかったのと、頭のどこかでは薄々気づいていたからかもしれない。
 信じていたのに裏切られた、なんてことは思わない。度流の優音への信頼はそんなちゃちな表現には収まらないのだ。
「優音ちゃんを信じたことを後悔なんてしない。けど、彼女の言葉をただ信じるんじゃなくて、もっとちゃんと、聞けばよかった。優音ちゃんの言葉を信じて、優音ちゃんの言葉に従って……正しかったはずだって、思っているけど、やっぱり……考えて、気づいて、声をかけられたなら、結果はもっと違ったのかなって思った」
 度流は空を見る。にこ、という笑い方は、どこからどう見ても笑顔だ。儚げな雰囲気を纏う度流には、少し似合わないと空は感じた。
 あまりに、不自然だ。
「自分で考えることの大事さを学んだよ」
「……そう」
 度流の言葉を受け止め、一拍置いてから、空はカフェオレのプルタブに指をかけた。プルタブを起こすと、かしゅ、と空気の抜ける独特の音がする。
 飲み口から見えるカフェオレの色を少し眺めてから、缶を煽る。
「うん。これはまあまあの味だね」
「どこから目線?」
 度流がくすくすと笑う。自虐や自嘲は消えていた。「前に不味いジュース飲ませたの誰だっけ」と平坦な目を空が向けると、誰だったかなぁ、なんて度流はとぼけた。
 暗い雰囲気が拭われ、乾いた風がさらさらと抜けていく。桜が舞った。春のものより小ぶりな花は、細やかな花弁を散らす。
「もうじき、桜花ここを離れるの」
「そうなんだ」
 空の何気ない告白に、度流は少し驚いた。
 空については、本当に何も知らない。問い詰める気もなかった。空の方も、度流にある程度の興味はあるようだが、進んで踏み入ってくるわけではない。だから、そのうち、何も言わずにいなくなって、記憶も風化するように消えていくのだろう、と考えていた。
「未練ってほどでもないけど、どうなったのかくらい、あなたの口から聞きたかったから、挨拶がてら、会いに来たの」
「そっか。その節は、本当にありがとう。君に助けてもらえたから、僕は生きてる」
 素直に感謝を伝えられた。優音は死んでしまったけれど、それでも度流が生きていることには、意味があると思うから。
「いいよ。これも一期一会ってやつかな。あなたみたいな人には、きっと、どこの世界に行っても会えないだろうから」
 空はカフェオレを飲み干すと、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 ごみ箱に缶を放ると、空は度流にひらひらと手を振ってみせた。
「じゃ、またね
「うん、また」
 空に釣られて返してから、度流は苦笑する。
 「また」なんて、あるのだろうか。まあでも、空のことは嫌いではない。「また」があるのなら、会えたらいいな、と心の中でそっと願った。
 また会えるのは、生きているということだから。

 

§ § §

 

 慰霊塔で優音が死んでから、ウィンターホリデーの辺りに行われた優音の葬式に至るまで。およそ一環ほどの期間が空いたのは、事後処理のためだ。
 度流が慰霊塔に向かってから、くららが赤梨協会のことを御神楽に通報した。通報した内容はくららの知る限りのものであるから、当然「荒崎優音が黒幕だった」なんてことは記載されておらず、御神楽側も把握していなかった。故に、優音はあくまで「被害者」として処理されている。
 赤梨協会、特に「人類救済計画」に携わっていた者たちは逮捕された。その人物らがどのような処罰を受けるかはわからないが、記憶閲覧を阻害するウイルスには専用のワクチンが開発され、人々に投与された。故に、度流が発表した絵の少女を人々は「前のコンクールの絵にも描かれていた少女」や「荒崎優音」と認識できるようになったのだ。
 ワクチンに関してはさすがに一朝一夕でできるものではなく、完成までに時間はかかった。
 赤梨協会は御神楽の内部組織であるため、監査部隊である「特殊部隊」が遣わされる。GNSに作用するウイルスが使われた、ということで、特殊部隊の中でも電脳に特化した特殊第六部隊が担当となり、事件の処理を行った。
 事件の関係者たる度流は何度か第六部隊に呼ばれ、聴取を受けたため、そこまでの道にも慣れてきている。
 窓にブラインドをかけられた送迎車に揺られながら、そうして度流は事件後のことを振り返っていた。
 くららは脳に重大なダメージを負い、植物状態となっている。目覚める見込みはない。どうやら、赤梨協会のコンピューターに侵入した際、HASHを食らったのが決定打となったようだ。
 くららの保護者である義理の姉に連絡がつかないらしく、それまではくららも病院の機器に繋がれ、心ばかりの延命措置が施されている。度流もたまに、見舞いに行っていた。
 くららがそんなことになったのに対して、度流は都合がいいとすら思った。そんな考えに至る己に自己嫌悪を禁じ得ないが、目覚めたくららに会ったところで、かける言葉も見つからない。優音を助けるように度流を叱咤激励し、こんな無茶を通してまで、手助けしてくれたくららに「優音を助けられなかった」なんて、どんな顔をして告げたらいいのだろう。
 優音を助けられなかったことで、くららが命を睹してくれたことも、無駄になってしまった。くららは度流を信じていたというのに。――何より苦しいのは、くららが寝たきりになったことよりも、優音のことにばかり胸を痛めてしまうということだ。
 くららが目覚めたところで、優音は帰ってこない。だから、もういい――そう思ってしまう自分に、何度も嘲笑を向けた。自嘲に胸は痛まなかった。
 優音の死以上に悲しいことなんてなくて、心が動かなくなってしまった。
「本当、最低だ」
 誰も聞いていない呟きがぽつりと零れると、緩みつつあった車の速度がだんだんと遅くなり、ほどなくして完全に止まった。
 自動で開いたドアから降車すると、向こうの方から現在時刻を紡ぐ電子音声が聞こえてくる。
「到着時刻、定時通リ、問題ナシ。乗客ノ降車ヲ確認。顔認証識別システム、訪問客、彼苑度流ヲ確認。問題ナシ。次ノ稼働要請マデ待機スルヨウニ。行ッテヨシ!」
 パッと見、蜘蛛を模しているように見える多脚戦車が、目だと考えられる部分で緑のライトを点滅させる。ピコン、と認証音のようなものがすると、送迎車は走り去っていく。
 多脚戦車が度流の方に移動してきて、正面のモニター部分に簡易的な表情アイコンを映してみせた。
「イラッシャイマセ、オ待チシテオリマシタ、彼苑度流サマ」
 少し弾んだ、男女の区別は特になさげな幼い子どものような電子音声。レトロゲームのようなドット絵により表される笑顔も相まって、機械ながら、愛嬌がある。
 度流は笑みを返した。
「こんにちは、グリッチくん」
「ピャ! 度流サマ、ボクノ名前、覚エテクダサッタノデスネ!」
「たくさんお世話になってるからね」
「光栄デゴザイマス!」
 この多脚戦車、詳しい正式名称を度流は覚えていないが、通称を「グリッチ」というらしい。多脚戦車グリッチは、一台だけというわけではないが、度流の担当なのか、いつも同じ機体であることは確かだ。度流は違えば見た目でわかる。
 グリッチは人語を操り、簡単な点検や客人の案内などを主な仕事としているらしい。人間と接する機会が多いためか、なんとも人懐こい性格をしている。度流が打ち解けるのは早かった。
「デハ、張リ切ッテゴ案内致シマス。ハヤテサマハコチラデゴザイマス」
 表情パネルが矢印マークに切り替わり、ピコピコと点滅すると、グリッチは矢印の方向へ歩き出す。度流もそれに着いていった。
「今日は聴取用の部屋じゃないんだね」
「ハイ。度流サマノ聴取ハ終ワッテオリマスカラ。颯サマガ個人的ナオ話ヲシタイトノコトデゴザイマス」
「……そっか」
 聴取が終わったのなら、もうここに来ることもなくなるだろうな、と度流はぼんやり思った。送迎車のブラインドからもわかる通り、気軽に来られるような場所でもない。用がないなら、来る理由もないのだ。
 やっと終わる、という気持ちと、グリッチくんこのこに会えなくなるのは寂しいな、という気持ちが度流の中で綯交ぜになる。短い期間だったが、マスコットキャラのような愛らしい性格のプログラミングがほどよく癒し効果をもたらしていた。人間じゃないから、話しやすいというのもあるかもしれない。
 人間はどうしても、度流に優音の話を振ってくるから。パニック発作を引き起こすほどではないものの、優音の話をするのは度流にはつらいのだ。その痛みが甘美にすら感じられたとしても。
 第二応接室という部屋に着く。グリッチがコードを入力すると、扉が開いた。その向こうに待っていたのはひょろりと背の高い男性。
 カグコンの電脳部門である特殊第六部隊の隊長、御神楽颯。それが彼の名前であった。少しぼさぼさとした頭をちょいちょいと整えるのは人と対面したときの癖なのだろうか。度流の前だけでなく、部屋に新たな来客があるたび、そういう仕草をしている。年齢は聞いていないが、三十代手前くらいだろう、とあたりをつけていた。
 首からはゴーグルを提げており、肩にかけた白衣もあって、研究者や開発者といった出で立ちだ。
「颯サマ! 彼苑度流サマヲオ連レシマシタ」
「ご苦労様。彼とは内密な話をするから下がってくれ。あと、この部屋に無断入室する人間がいないか監視しておくように。いいね?」
「カシコマリマシタ」
 グリッチが部屋を出て、扉の向こうに消えると、颯は口を開いた。
「やっぱり、荒崎優音ちゃんが赤梨協会の統括者であるマザーだったことは公表しないよ」
「……そうですか」
 くららがまとめ、通報時に添付した資料を元に、カグコンは赤梨協会の捜査を行った。当然、素人の女子高生が集めるより、膨大で正確な情報を獲得し、度流が告げるまでもなく、優音が「慈母マザー」であるという事実に第六部隊は辿り着いた。
 そのことを度流が知っているか確認した颯は「安心してほしい」と度流に語った。
 優音が首魁であったことを世間に公表するつもりはない、と。
 颯はそのときと同じ説明を繰り返す。
「優音ちゃんがマザーであったことを公表するつもりはないよ。彼女は被害者だ」
 ここに来るたびに繰り返し伝えられてきた颯の意見に、度流は目を細める。
 颯は優音の過去まで調べ上げたらしい。優音が電脳科学という分野に興味を持ったきっかけ、優音自身がそこで「GNSが怖い」と綴っていたこと、中学から電脳科学部に所属し、研究や論文などで頭角を表していたこと……電脳科学に限らず、優音が優秀な人間であることは、誰もが知るところだった。
 その才能と実直さを颯は手放しで称賛した。将来的に特殊第六部隊に欲しかった、などと口にしたほどだ。
 優音が評価されるのは嬉しい。だが、度流は複雑な気持ちになった。
「被害者とはいえ、今回の主犯といってもいいはずです」
「本気で言っているのかい? 度流くん。彼女はその真っ直ぐさと優秀さを利用されただけだ。荒崎優音と赤梨協会の繋がりは、優音ちゃんが小学生のときからあった。そのときから人類救済計画のために優音ちゃんは『育てられた』んだよ。洗脳と言っていい。
 いくら彼女が優秀だったとしても、その力の使い方を正しく教えなかったことは、大人の責任だ。こういう言い方は良くないけれど、ナイフで人を殺したとして、凶器のナイフを憎んだり、恨んだりするかい? 道具に罪はない。道具を悪用した人間が悪いんだ。優音ちゃんを道具扱いするわけじゃないけれど、同じことだよ。
 正しい才能の生かし方を知らなかっただけの優音ちゃん。彼女を責めていいものかな? 譬、その彼女が死んでいるとしても。
 子どもを教え導くのは、大人の役割だ。その大人が間違った教育をしたのなら、責められるべきは子どもではないよ」
 その論理はわかる。反対しようとは思わない。
 僕が言いたいのは違うんだ、と思うものの、言いたいはずの言葉は、喉の奥で止まって、出てきてくれない。度流は奥歯を噛んだ。
 その表情を「悔しげ」とでも思ったのだろうか。颯の眼差しに憐れみの色が灯る。
「優音ちゃんは大人に利用された。大人の思い通りに利用されて、使い潰されて、死んだ。
 彼女は被害者だ。被害者――しかも自死した人間を矢面に立てるほど、人間として終わっているつもりはないよ」
「……そうですか。……そうですよね」
 度流は納得を示す文字の羅列を、どうにか紡ぎ出した。
 颯の言うことは、正しい。きっと颯は特殊第六部隊という大きな部隊を任せられていることからわかる通り、優秀で、実直で、「正しい」人間なのだろう。彼が語るのは普遍の善良さで、ほとんどの人間が同じように考えるから、支持されるような、お手本のような回答を披露する。それはきっと「立派」な大人だ。
 度流が、それを手放しで喜べないのはきっと、優音の真実を知っているから。
 彼女は大人に操られてなんかいなかった。最初から最後まで、彼女は自分の意志を貫いた。その結果が自身の死だっただけで、彼女は、本懐を遂げているのだ。
 度流の胸をいつまでも苛む痛みとして、彼女は半永久を約束された。半永久なのは、度流が死んだら、それは終わるからだ。死後まで胸が痛み続けるかどうかは、わからないし、証明もできない。
 この胸の痛みから解放されるために、颯に全てを語るという選択肢はある。度流が選ばないだけで。
 この痛みが、優音が願った永遠が、苦しくてたまらないのに、同時に、とても愛おしくて。
「だから、君は大人を恨んでいい。彼女を死なせたのは、君から大切なものを奪ったのは、無責任な大人たちだ。そう思って、楽になりなさい」
「――いいえ」
 度流は胸の奥から立ち込める本心ほんとうのことばを飲み込んで、颯を見上げた。
 儚げな色なのに、芯を感じる瞳に、颯は軽く目を見張る。
「僕は誰のことも恨みません。楽になる? 笑わせないでください。彼女から与えられたもの全てを受け止める覚悟で、僕はあそこにいたんです」
「君……」
「きっと、あなたも知らないんでしょう? 心から愛している人からもらったものは、痛みでさえ、愛おしいんです。もういないのなら、それにだってすがります」
 颯は肩を竦める。
「そんなものが、愛だって? 語るねえ」
「だって、誰かが教えてくれるわけじゃないじゃないですか」
 誰も教えてくれないのなら、自分で感じたことを信じるしかない。
「僕は誰のことも恨みません――僕自身のことも。優音のことを、明かす明かさないは、もう、お好きにどうぞ。僕の胸のこの痛みだけは、僕のものだ」
 度流の言葉に、颯はハンズアップのポーズを取る。
「ふくくっ、大した覚悟あいだ。それでも、生きるのがつらくなったら、誰かに助けを求めるんだよ。大見得を切った君が、自害したんじゃ、意味ないからね」
 おどけるように軽くウィンクをする颯。度流はもちろん、と頷いた。

 

 颯と少し話をして、グリッチの案内で基地からの帰路に着いたところ、彼苑くん、と呼ぶ声がした。
 振り向くと、青みを帯びた黒髪を軽く項でシニヨンにまとめた女性がいた。
鈴々架リリカ隊員! 彼苑サマハ今カラオ帰リデス。ゴ用ナラ手短ニ!」
「お、三号クンは融通が効くね。彼苑くん、はじめまして。私の名前は深海鈴々架」
「深海……ってことは、くららちゃんの」
 話が早くて助かるわ、と鈴々架が微笑む。
 度流は頭を下げた。
「ごめんなさい。僕のせいで、くららちゃんが……!」
「あはは、彼苑くんが気に病むことないわ。あの子、GNSからの脱却実験、やめる気なさそうだったし、いずれなることだった。遅いか早いかの違いよ」
 鈴々架はさらりと言ってのける。随分ドライな考え方だ。普段からくららを放任しているところがあるのは、こういう性格があるからかもしれない。
 でも、そうねえ、と腕を組み、鈴々架は続ける。
「申し訳なく思うんだったら、一つだけ質問、いい?」
「なんですか?」
 すう、と一つ深呼吸すると、鈴々架は問いかけた。
「あの子に、後悔はなかったかしら? あなたのために自分を犠牲にするのは、あの子が自ら望んだこと? 怖いとか、嫌だとか、情けない弱音を撒き散らしたりしなかった?」
「ふえ? な、なかったです、けど」
 鈴々架はくららがそういうのを危ぶんでいたのだろうか。
 くららはくららで、簡単に弱音を吐くような人間ではない。度流もよく知っている。弱音が軽く口から飛び出すようなら、途方もなかった優音の救出作戦に協力すらしないのだ。
「そう……――それだけが、気がかりだった」
 鈴々架は度流からの返答を噛みしめ、胸を撫で下ろす。
「あの子、自分を蔑ろにするクセがあるからさ。無意識のそれで、命を失くしたなら、死体蹴りと言われようと、あの子の顔面に一発入れに行くところだったわ」
 ほの暗い表情で拳を固め、朗らかとは言えない笑みを浮かべる鈴々架。その妙な迫力に、度流は思わず冷や汗を流した。
「でも、ちゃんと『選んだ』ことなら、いいわ。――ありがとう、彼苑くん。くららに生きる意味をくれて」
「そんな大したことはしていません」
 困ったように眉を寄せる度流の背中を、鈴々架はバシバシと豪快に叩いた。
「感謝なんて自己満足なんだから、恐縮しないの! これで、あの子の死を飲み込めるわ。お葬式には顔見せてね」
 ほんのり、暗い話題になってしまったが、度流はどうにか笑顔で応じた。
「はい」

 

§ § §

 

「ねえ、優音」
 季節外れの桜を見上げながら、度流は一人、言葉を紡ぐ。
「僕はこれから、君のいない世界で生きていくよ。生きなきゃ、君が僕を生かしてくれた意味がないもんね」
 優音には、一人で死ぬ以外の選択肢もあった。あの場でなら、度流を殺してから、一緒に死ぬ、という手もあった。優音の望みは度流の中の永遠になることだから、あり得ない選択肢で、所詮はたられば論である。
 二人で一緒に死んだら、それはそれで一つの「永遠」の形だったかもしれない、なんて考えて、度流は笑う。――優音の選択を、責める気はないのだ。
 置いて行かれた、なんて思わない。止められなかったのは、手を取れなかったのは、度流なのだから。
 度流に「生きる」道を与えてくれたのは、優音の優しさだと解釈する。大切な人を目の前で失うというのはつらい体験に他ならない。けれど、生きようと思った。
 
 ――貴方の胸の中に、永遠に棲み続ける権利が欲しいの。

 

 ――貴方の綺麗な心の中に、私の居場所をちょうだい。

 

 優音の望んだ「永遠」は、度流が生き続けないと「半永久」にすらならないものだった。つまり、度流が自害でもしてしまえば、彼女の願いは簡単に潰える。
 優音の願いを叶えたかった。それ以上に、その願いの中に、無意識的でも「度流に生きてほしい」というものがあることが嬉しかった。だから生きる。――これは優音に操作されたわけではない、度流自身の意思だった。
 君に永遠をあげるために。君の願いを叶えるために。
 そんな君は、もういないけど――なんて思い浮かべて、胸が痛んだ。涙の滲んだ目で笑い、くつくつと肩を揺らす。
 そっと胸元を押さえた手が、柔らかく握られる。
「そうだった。……君はここにいるね」
 ずっと、永遠に。
 優音が与えてくれた痛み。この痛みが刻まれた過程について、誰かに話すことはない。思い出というには苦すぎるそれを度流は一人で抱え続けることにした。その決断をするのに葛藤はあった。颯に啖呵を切り、くららの状態が正式に「死」へと切り替えられることになって、ようやく決心がついた。
 たくさんの人を欺き通した君の思いの亡霊うそを僕は壊したりしない。
 本当の優音きみは僕の中にいればいい。
 君という痛みを生きる限り抱えるよ。
 大丈夫、荒崎優音という肉体がなくても、君は僕の胸の中にいる。痛みが君の存在を示し続けてくれる。ずっと、永遠に。
 だから、平気だよ。

 

「優音、愛してるよ」

 

――――――――

 

 優音の声が度流の耳を震わせることは、もうない。
 誰かからの優しさとあいによって彩られた物語。
 彼の物語から優しさとあいが消えることはない。何故なら、彼にはどうしようもないほどの亡霊うそが取り憑いているから。その亡霊うそのことを、彼が、愛してしまっているから。
 その愛だけは、決して嘘にならないから。

 

 これは心の傷を深くする、誰かの嘘の物語。
 その亡霊は、あなたの中にもいますか?

 

The END.

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おまけ

 


 

この作品を読んだみなさんにお勧めの作品

 AWsの世界の物語は全て様々な分岐によって分かれた別世界か、全く同じ世界、つまり薄く繋がっています。
 もしAWsの世界に興味を持っていただけたなら、他の作品にも触れてみてください。そうすることでこの作品への理解もより深まるかもしれません。
 ここではこの作品を読んだあなたにお勧めの作品を紹介しておきます。
 この作品の更新を待つ間、読んでみるのも良いのではないでしょうか。

 

  虹の境界線を越えて
 本作に登場した「虹野 空」とは一体何者なのでしょうか。
 彼女を主人公とした作品が存在します。
 この作品を読むことでより本作への理解が深まる……かもしれません。

 

  Vanishing Point
 第2章で登場した天辻 日翔はこちらの作品にも登場しています。
 彼が一体何を見、どのような行動を起こすのか。
 是非とも双方読み比べてお確かめください。

 

   テンシの約束
 恋愛ものがお好みというのであればこちらもお勧め。
 とある町で一つの恋が動き出し、そして大きな何かが動き出します。

 

 そして、これ以外にもこの作品と繋がりを持つ作品はあります。
 是非あなたの手で、AWsの世界を旅してみてください。

 


 

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