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No name lie -名前のない亡霊- 第7章

 

 
 

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 彼苑かれその度流わたるはテロで親を失った。そのテロから十二年。高校生になった度流は人とは少し違った見え方のする目を生かして、美術部に所属し、絵を描いていた。
 高校二年生の春、コンクールで最優秀賞を取った度流の絵が展示会場から盗まれる事件が発生。それが報道されたのと同巡の三日目に差し掛かる頃、度流は何者かに命を狙われ、「虹野にじのから」と名乗る不思議な少女と出会ったのだった。

 恋人の荒崎あらざき優音ゆねが行方を眩まし、動揺する度流。度流は優音の幻影と話すようになり、様子のおかしさに、周りから遠巻きにされるのだった。
 度流の様子を案じた後輩の海月みづきくららが探してくれた手がかりを元に優音を探しに行く度流だったが、再び襲撃に遭い、中学時代の同級生天辻あまつじ日翔あきとに助けられる。
 日翔から「少しは人を疑え」と言われた度流は、惑いながらも、くららへの疑念を募らせていくのだった。
 度流はくららを疑うことについて、頭を悩ませるも、度流の中の優音が「度流のことは自分が守る」と蓋をする。
 度流はそれに抗い、くららの言葉で語られたことから、自分で判断しようと決意するのだった。
 くららから語られたくららの過去とくららにとっての彼苑度流。それを聞いた度流はくららを信じ、共に優音を探すことにするのだった。
 くららの気づきや日翔からの情報提供などを元に、犯人の手がかりになりそうなことを探す度流。慰霊塔にて行われるとある取引の現場に訪れた度流はまたしても襲撃に遭う。
 通りすがった空に助けられ、事なきを得るが、度流は空からのとある指摘に動揺するのであった。
 作戦資料書を手に入れた度流はくららに頼んで調査をする。そのために携帯端末を買い替えたのだが、端末にも異変が……
 調査の末、くららが見つけ出したのは「人類救済計画」というものだった。

 

 
 

 

第7章「嘘の只中」

 

『人類救済計画とは、統括者「慈母マザー」の発案した新たな人類へのアプローチである。曰く、死を恐れない者、生への虚脱感を覚える者への救済措置である』
 赤梨協会による「人類救済計画」の説明文が、スクロールやタップでやけに綺麗なグラフィックを散らして、消えていく。
 二つのグラフデータが浮かび上がった。それは世論調査で「死にたいと思うことがあるか」「生きていたくないと思うことがあるか」という二つの項目のグラフだ。どちらも「ある」と答えた者の占めるパーセンテージがやや多い印象を受ける。
 幸せそうに笑っていても、心の奥底から笑えているかどうか、というのは計れないものだ。
 辛い時代を生き延びた者たちは、それを贅沢な話だという。何かが辛く、苦しすぎるわけではない、ただ漠然とした生への虚脱感を持つ若者などには、必要以上に響く。そんな歪な社会が形成されていた。
 タップすると、グラフは崩れていき、次の文言が表示される。
『死は救いである。
 誰もに平等に与えられた救いである。
 死は自由である。救いは救いなのならば、欲したときに与えられるべきである。つまり、死は自由に与えられるものでなければならない。
 無論、この思想は殺人を擁護するものではない。自殺を教唆するものでもない。ただ、死というものが不便である、と感じていることを主張したいのだ』
 異様な思想だった。けれど、全て間違っている、と断じると、それで苦しむ人もいるのだろう。間違っていないから正しい、なんてことは、決してないが。
 まだ先があるようで、文言が崩れていく。
『第一段階として、二度目の死を先に迎えてから死ぬという計画が立案されている。二度目の死とは人々から自分のことを忘れ去られること。家族、友人、恋人などを自分の死で傷つけることを考え、自殺衝動を抑え込み、精神を病む若者が多い。その者たちが二度目の死を予め迎えることで、思い残すことなく、死の自由に身を委ねることを目的とする』
 唖然とするしかなかった。「死は救済」というのは、自分が受け入れられなくとも、誰かにとっては正しいのだろう。それはまだ理解できる。しかし、二度目の死を迎えてから、というのが荒唐無稽すぎて、忌避感を覚える。
 けれど、ここでようやくくららが口を開いた。
「この訳わかんない計画、実現してはいないんですね。そりゃそうか。誰も彼もから忘れさせる、なんてできっこないですよね。GNSもあるのに」
 あー、安心した、と話すくららの口調は明るい。
 GNSは電脳というだけあって、記憶機能がある。任意で削除でもしない限り、記憶がなくなることはない。任意でもなく、記憶から特定の人物を削除なんてハッカーでなければ無理だろう。
 ハッカーだとしても、特定の人物の記憶を持つ「全ての人間」からピンポイントに消すというのは不可能だろう。人は一人ぼっちのつもりでも、誰かしら複数人に認知されているものだ。
 度流は何か引っかかるものを感じるものの、それが何か、掴めないまま、話が進んでいく。
「異常思想だけど、実現不可能だから、御神楽から放置されているんでしょうか?」
「確かに。ここまで凝ってるのに、内部粛清を受けた様子がない……って、こと?」
「はい。というか、粛清されていたら、こんなページ、存在しませんよ」
 それは確かだ。御神楽がこんな危険思想を中途半端に残しておくはずがない。ただ、実現不可能だから見逃す、というのも、何か違う気がする。
 単に、この団体が上手く隠れてやっているというだけだろう。それだけでも、随分おかしな話だが。
 一介の高校生に辿り着けたものに、御神楽が辿り着けていない、というのは違和感があった。しかも、白昼堂々、電子掲示板などに表示されるような団体が。これは見逃されているというよりは、見つかっていないという方が正しい気がする。
「この資料と被害届をカグコンにってできればいいんですけど……赤梨協会って、御神楽の末端組織ですよね? カグコンの中にも赤梨協会に繋がる人間がいたら……」
「間違いなく、揉み消されるだろうね」
 赤梨協会の人間がアンチ御神楽ではなく、御神楽心酔過激派というのなら、御神楽が見つけられずにいるのも納得だ。反目的なところを見つけるのは簡単だ。従順な中から不穏分子を見つけるのは、困難を極めるだろう。赤梨協会が粛清を受けずにいるのは、その辺りが理由だろう。
 それくらい、御神楽内部に溶け込みやすいのが御神楽心酔過激派というわけだ。だから、御神楽傘下のどこにいても、おかしくない。当然、その中にはカグラ・コントラクターも含まれる。御神楽財閥と関わりのない場所の方が少ない。ましてや度流たちはまだ高校生だ。安心して頼れるコネクションなんて、持つはずもなかった。
 カグコンが世の中の事件や荒事を処理してくれている。それが一般常識な中、「他」にどこを頼ればいいのか、度流たちは知らなかった。御神楽を疑うというのが、どれだけ途方のないことなのか、思い知った気分である。
「届出のことはまず、置いておこう。他に今、できることはないかな」
 度流は自分を落ち着かせるために、ゆっくりと口にした。くららもはっとしたようで、一呼吸置いてから、そうですね、と返ってきた。
「そういえば、先輩を狙う理由らしきものがないですよね? このページに書いてあるのは、変な思想だけで」
「そうだね。作戦指令書っていうから、てっきり僕の暗殺計画でも書かれているのかと。……何かこの人たちにだけ通じる暗号とかの可能性はない?」
「あるでしょうけど、暗号を読み解くのは骨が折れるでしょうね」
 くららは遠い目をした。くららに全ての作業をさせるのは、度流も気が引けたが、残念ながら、度流にできることがない。
 暗号でないとするなら、一つだけ、可能性を思い浮かべられたが。
「まさか、ね」
 だいぶ物騒な案だ。
 二度目の死を迎えるために、その人物の記憶を持つ全員を殺害する。その標的のうちに、度流が入ったのではないか、という案。
 ただ、御神楽を心酔しているのなら、こんな物騒きわまりないこの案を採用するだろうかという疑問は残る。
「……先輩?」
「いや、なんでもない」
 もし、この案が通っているとして、度流と関わりの深い生きている人間なんて、限りがある。だから、この案はない。誰のために襲われているか、見当がついてから口にすべきだ、と度流は口を閉ざした。

 

 ある一日目朝日
「先輩、おはようございます」
「くららちゃん」
 度流が学校へ行く準備をしているところに、くららは訪れた。曰く、一緒に学校へ行こうとのこと。
「保護者の方たちには話してないんですか? あたし、きょとんとされちゃって……」
 そういえば、命が狙われていることは話していなかった。けれど、話す気にもなれない。
 知ったところで、伯父も伯母も一般人なのだ。事件性のある事象を通報する先はカグコンしかない。それなら、まだ話さない方が事を荒立てなくて済む。
「荒立てないで済むようなことでもないですけど、確かに。危険に巻き込まないという意味では、正解でしょうし」
「くららちゃんは、義理のお姉さんには話してるの?」
「話してないですよ。話せないでしょ。御神楽不信なんて」
 特に、くららたちは御神楽にここまで育ててもらったようなものだ。御神楽信者になっていてもおかしくない。信者でなくとも、良くしてもらった相手の不審な行動など、知りたくはないだろう。
「それと同じことだよ。僕も話せない」
「あ、なるほど」
 くららが頷くと同時、神妙な面持ちになる。
「どうしてこんなことになったんでしょう……」
 バス停まで、どよんとした空気が続く。度流は慰める言葉を持ち合わせていなかった。どうしてこうなったのか、なんて、度流の方が知りたい。
 バス停に着く直前、人気のない通りに差し掛かったところで、くららの様子がおかしくなる。ふら、と地面に崩れ落ち、度流が一瞬遅れて気がついた。
「くららちゃん、大丈……」
 屈んだところで、何かが頭上を通りすぎた。臓腑が冷える心地がした。
 転ぶように地面に落ち、くららを保護するなり、度流は手近な物陰に隠れる。
 おそらくだが、狙撃された。空の言っていた通りなら、他に人がいるときの襲撃はないはずだが、一人、二人くらいなら誤差の範囲ということだろうか。辺りを見回しながら、早鐘を打つ胸を押さえた。
 これは、どういうことだろうか。くららも狙われているのだろうか。自分に関わったばかりに――そう思うとぞっとした。
「先輩? 今の――」
「学校に行こう」
 今は二人きりだったから狙われてしまったのだ。バスや学校では狙ってくることはないだろう。一人じゃなければ狙ってこない、なんて考えが甘かったのだ。
 これではくららも危険に晒してしまう。度流が狙われている理由とは、関係ないかもしれないのに。失われる必要のない命が失われることを、度流は恐れた。
 追加の狙撃もなく、なんとかバスに乗り込んで、ようやく一息つく。なんだか異様に疲れたような気がした。
「すみません、発作を起こしてしまって」
「いいんだよ。発作の頻度、高くなってたりするの?」
 あまり聞かない方がいいかな、とも思ったが、他に話題がない。人と話すのが下手な自分に、呆れて何も言葉が出ない。
 優音がいないと、とことん駄目だ。
「医者にも止められてるんです。GNSからの脱却をやめろって。誰もやったことがないこと、前例がないことを見つけて試すのはいい。けれど、それが命を賭けてまで成すべきことなのかは見極めなさいって」
 完全に止めるだけでない言い回しは医者というよりも教師であるような気もしたが、何にせよ、くららはいい「先生」に当たったようだ。
 GNSから脱却して、何を成し遂げたいのかは、くららもよくわかっていないという。今のくららは、目的なく命を削っているだけだ。それではあまりに無意味すぎる。
「確かに、命を賭けてまで成すべきこと、ではないです。でも、意味なんて、なくたっていいじゃないですか」
「え?」
「先輩だって、同じでしょう?」
 度流は戸惑う。自分が意味もないことを命懸けで成し遂げようとした覚えがないから。くららは何のことを言っているのだろう。
 会話が途切れたところで、ちょうどバスが停まり、二人の会話も止まってしまう。そこから学校までは沈黙が漂うばかりで、どちらも口を開こうとはしなかった。
 気まずくなったわけではないため、その日の放課後にまた会おうと言って、二人はそれぞれの教室へ向かった。
 思った通り、バスや学校では襲撃に遭うことはなく、人気のあるところは安全地帯と考えてよさそうだった。
「登校時間のあれは何だったんでしょうね」
 くららが口にした疑問に、度流は答えられる言葉がなかった。考えられるとして、理由は一つなのだ。
 くららまでもが標的になっているということ。それは恐ろしい可能性であり、度流の中では一番当たってほしくない想定であった。けれど、どんなに願ったって、向こうが標的を変えてくれるわけではない。
 向き合わなければ、前に進めないのだ。度流はそう覚悟を決めて、くららに向き直る。
「くららちゃん」
「どうしました? 先輩」
 くららが軽くへらりと笑う。度流が何を言うか、見透かしているような目で。度流は一息吐くと、意を決したように告げた。
「もう、この件から手を引いて。君の命まで危ないよ」
 度流からの警告に、くららはきょとんと目を丸くした。それから、彼女はゆったりと表情を変え、やはりへら、と淡い笑顔に戻る。
「心配してくれるんですね」
「当たり前でしょ」
 度流が即答すると、くららは剽軽に肩を竦めた。それから、言葉を次ぐ。
「あたしだって、先輩のことを心配しているんです。はいそうですか、とはいきませんよ。第一、元々狙われているのは先輩でしょう?」
「それはそうだけど」
「あたしは先輩が心配なんですよ。先輩が誰も知らないところで殺されて、死んだことすら誰にもわからないようになるかもしれないって思うと……」
 くららの言葉に、度流は疑問符を浮かべる。
「死んだことすら誰にもわからないようにって?」
 思わず聞き返すと、くららは貸しっぱなしだった度流のCCTをばっと出す。
「二度目の死のことですよ。こないだは達成不可能だって喜びましたけど、あたしたちがそう思い込んでるだけで、何らかの方法で達成されているかもしれない……達成できるようになったからこそ、先輩が狙われ出したのかもしれないって考えられて……怖いんですよ」
 度流はくららの考えにぞっとした。あり得ない話ではないからだ。
 二度目の死を予め迎える、という荒唐無稽な話だが、赤梨協会が動き始めた理由として、二度目の死が達成可能となったなら、試さない手はないだろう。それがきっかけで動き出す、というのは大いにあり得る。
 だが、くららの言い方だと、まるで……
「まるで、僕が二度目の死を迎えようとしているみたいだね」
 知らない間に、よくわからない計画の歯車にされていたのだろうか。優音が拐われたのも、他の誰かではなく、度流が計画の主軸だから?
 ――辻褄は合うけれど、問題は、そんな計画に参加した記憶が度流には一切ないということだ。
 自分の与り知らぬところで、自分の人生が終わらせられようとしているなんて、それに周りの大切な人が巻き込まれているなんて、一体どういう悲劇だろう? 終わらせようとしているどこの誰か知らない者たちにとっては、喜劇なのだろうか。
 心当たりはない。くららの発言がたまたまそのように聞こえただけだ。くららも、あの荒唐無稽な計画を見て、ちょっと不安になっただけだろう。そう重く受け止める必要はない。
「くららちゃん、大丈夫だよ。僕は誰にも知られず、いなくなったりしない。誰か知らない人の思い通りになんて、なったりしない」
「でも、先輩の一所懸命さを見ていると、怖いんですよ」
「どうして?」
「知ってはいけないことまで知って、戻ってこられなくなるんじゃないかって」
 度流は苦笑する。苦みだけじゃない、ほんのり温かさを伴った笑みだ。
「心配しすぎだって、くららちゃん。それに、知りすぎたってことはないよ。ドラマみたいに知りすぎたら消される、なんて現実的じゃない。むしろ、僕はまだ何も知らない。知らないまま消されようとしてるんだ」
「だからって、知ってどうなるっていうんですか? 今より良い状況になるって保証もないのに」
 それは確かにそうだ。
「でも、今より悪くなる確証もないよ。僕には進まなきゃいけない理由もある。
 でも、くららちゃんには、理由がない。だから、くららちゃんはここで止まっていい」
「どうしてそんな風に突き放すんですか! ひどいです!」
「くららちゃん……」
 くららが異様に取り乱している。はっきり言って、そんな状態でついて来られても迷惑だ。だが、それをはっきり言ってしまうと、角が立つだろう。
 度流はわからなくて戸惑っていた。何故、くららはここまで取り乱すのだろう、と。くららは度流のファンで、度流の後輩というだけだ。それは、事件について、調べてもらったりしたけれど、ここまで過剰に肩入れするほどじゃなかったはずだ。
「くららちゃん、どうしたの? いつもならもっと冷静に対処するはずじゃない?」
「先輩が危険な目に遭ってるのに、冷静でいられるもんですか」
 否定のしようがないが、くららの語気が荒いのが気になる。ただ、徒に問い詰めてもどうにもならないことはわかった。
「とりあえず、今日はここで別れよう。また明日」
「……気をつけて帰ってくださいね、先輩」
「それは君もだよ」
 おそらく、言いたいことの多くを飲み込んだであろうくららに、申し訳なく思いつつ、度流はくららと別れた。
 人通りがなるべくあるところを選んで帰れば、狙撃されることもなかった。優音がいないこと以外、度流の生活に異常はない。
 優音を探すためにも、赤梨協会について、調べていかなくてはならない。優音がいなかったら、度流には生きている意味がない――とはいかないまでも、それに近しい思いはある。
 優音は無事だろうか。その方が心配だ。もしかしたら、優音の方が殺されているかもしれない。そんな不安もあったが、度流はまだ大丈夫、と言い聞かせる。
『大丈夫だよ、度流くん』
 幻影の優音が、そっと度流を抱きしめる。幻影だから、温もりなんてないはずなのに、本当に優音が抱きしめてくれているみたいに感じられて、度流は涙が出そうになる。
 ――大丈夫。この幻影が僕に温もりをくれるうちは、きっと。そう思えた。
 誤魔化している、と言われるかもしれない。けれど、度流にとって、それは確信に近い何かだった。
 優音は度流に何も言わずに死んだりしない。

 

「ずっとずっと、傍にいるからね」

 

 ずっとずっと、永遠に、傍にいると誓った。あの誓いを優音が破るわけない、と度流は信じていた。幼く、拙い誓いだとしても、優音も度流もその誓いを忘れたことはない。
 今、このときだって、忘れない。忘れたくない。
 それがどれほどか細いよすがだとしても、すがっていたかった。信じていたかった。これを信じられないのなら、他の何も、度流は信じられないのだ。

 

 学校が休みの一巡、目を覚ます。今日は何をしようか、と考え、ニュースを見る。特にめぼしいものはなかった。
 考えてみれば、優音が行方不明になったことも、盗まれた「塔と少女」についても、ここ最近はニュースになっていない。「塔と少女」が盗まれた当初は、学校でもざわざわと噂されていたはずだ。それなのに、あまり日が経っていない近頃、噂話にすら上がらなくなったのはどうしてだろうか。
 情報統制、というのもあるだろうが、人の口に戸は立てられないとも言う。誰一人として噂しないなんてことはあり得るのだろうか。
 違和感はあるのに、違和感の正体が掴めず、もやもやする。食事を摂り、度流はCCTでくららに通話を繋ぐ。
「おはよう、くららちゃん」
「おはようございます。先輩は早起きですね」
「くららちゃんは寝起きだったの?」
「なんです、先輩? 興味ありました? あたしの寝起き」
「いや、別に」
 度流が淡白に流すと、くららは「釣れない」とくすくす笑った。
「先輩って本当、こういうので釣れないですよね」
「当たり前でしょ」
 心に決めた人がいるんだよ、と言いかけたところで、ふと疑問が舞い降りる。
 くららは度流と優音のことを承知しているはずである。確かに、承知した上でこういう悪戯を仕掛けてくることがある子ではあるが、いつもなら、優音がいることを踏まえた答え方をしてくるはずだ。「先輩って本当一途ですよね」というように。
 何故、いつもとほんの少しだけ違うのだろうか。ほんの少し、なんでもないことなのに、妙に気にかかる。度流はこの考え自体不毛な気もしたが、どうしても引っかかった。
 写真データの件があるからかもしれない。優音の映っていた写真だけ、おかしくなっていたことが思ったより心の中で淀んでしまっているのだ。
「それで、本題なんだけど」
 度流は心に立ち込めた不穏さを振り払うように言葉を紡いだ。元々、用があってかけた電話だ。不自然さはなく、くららもすぐに「どうしました?」と応じる。
「慰霊塔に行こうと思うんだけど、ついてきてくれないかな」
「先輩、一人で出歩いてると、危ないんでしたっけ。あたしが行くことで解決できるんなら、安いもんですよ」
「うん、よろしく頼みます」
「コーヒー飲みたいですね、近くのコンビニのでいいので」
「慰霊塔の中の休憩所のやつとかではなく?」
「コンビニコーヒー飲まないんです? 先輩」
 そういえば飲んだことなかったな、と思った。安くて美味しいとは聞いているが。
「そういえば、飲んだことないけど……帰りに寄ろうか」
「奢ってください」
「包み隠さずに言うね……いいけどさ」
 どうやら「奢ってほしい」というのが本音だったようだ。度流としては、それくらい言ってもらえればいくらでも、という気持ちではある。
 できるなら、くららを危険になど晒したくない。けれど、先日の襲撃はくららがいるにも拘らず、決行された。くららもマークされている可能性はある。何故、とは思うが、巻き込んでしまったのだとしたら、度流は責任を持たなくちゃならないと感じた。
 自分たちを殺そうとする暗い影の正体を明るみに出すまで、くららは絶対に死なせない。そんな決意を胸に秘め、度流はくららと待ち合わせた。
 くららは案外とすぐ待ち合わせ場所に現れた。先輩、と緊張感なく、手をひらひらと振っている。
「おはよう、くららちゃん。せっかくの休みに呼び出してごめん」
「謝らないでくださいよ。あたしは先輩が頼ってくれて、嬉しいですよ」
 そんな言葉を交わしながら、周囲を警戒する。度流は正直、自分の警戒能力だけでは心許ないと思ったが、何もしないよりはましだろう、と踏ん切りをつけていた。待ち合わせ場所は人気の多いところにしていたので、狙撃はなかった。
 やはり、暗殺目的だから、人目は避けたいのだろうか、と考えつつ、度流はくららと共に慰霊塔へ向かう。
「ところで、どうして今日は慰霊塔に?」
「ええとね、塔から狙撃されたっぽいから、その痕跡とか残ってないかなー、と思って」
「そんなのあったらニュースになりますし、御神楽が絡んでいるとしたら、とっくに消されてますよ」
「それもそうだけど、ほら、現場百遍っていうじゃない?」
「先輩って、そういう言葉、どこから覚えてくるんです?」
 最初に襲撃をされたとき、どうやって度流の居場所を特定したのかがわからなかった。けれど、「慰霊塔に来ないか張っていた」のなら納得がいく。それ以降の襲撃でも、慰霊塔付近でのことが多かったため、慰霊塔が拠点の一つである可能性は高い。
 御神楽のお膝元でそんなことができるのか、という疑問はあったが、御神楽傘下の者が、御神楽の笠を着て、やっているのなら、ある程度の誤魔化しは利くだろう。
 今日は学校が休みということで、慰霊塔も人目が多い。人目が多い中だと動きにくいだろうが、全く動かない、ということはないのでは、と考え、度流はこちら側から動くことにした。
 先に動いた方が主導権を握りやすいだろう、という考えもある。動かないなら動かないで安全ということにもなる。度流はできるだけ情報が欲しかった。
「先輩、ちょっと朝早かったんじゃないですか? 人通りが……」
「うん、そうだ――」
 ね、という度流の声が飲まれる。視界の隅で何かが光った。それが狙撃用スコープの反射かもしれない、と思った瞬間、度流はくららと共に地面に伏せた。何かが風を切る音がして、度流はぞっとする。すぐに立ち上がれずに、くららを強く抱きしめた。くららは空気を読んでか、大人しくしている。
 度流は続いて何かが飛んでこないことを確認して、後方の地面にめり込んだ何かを見た。おそらく、銃弾だ。拾うのも危ない気がしたので、それが飛んできた方向を見やる。遠くてよく見えない。やはり絵を描くときは別なものを見ているか、無意識に視界がクリアになっているのかもしれない。思い通りにならないことを歯痒く思った。
 それでも、大体の方角はわかる。間違いなく、慰霊塔の方から狙撃された。今なら、狙撃手を捕まえることができるかもしれない。度流はその望みにかけて、慰霊塔に向かおうとした。
 だが、足を掴まれて転ぶ。くららだった。
「先輩、もうこんなことやめましょうよ」
 立ち上がろうとする度流の耳に、くららの弱々しい声が届く。怖い思いをさせてしまった、と思いながらも、度流の口からは「どうして」と零れた。
「どうしてっていうのはこっちの台詞ですよ。どうして先輩はこんな、命のなくなるような危険な目に遭ってまで、立ち向かおうとするんですか? もう、この件から身を引きましょうよ。絵が戻ってこなくたっていいじゃないですか。いつもは興味もなさそうなのに、先輩らしくないですよ!」
 度流はくららの言葉を変に思った。その違和感がどうしようもなく気持ち悪く思えて、口元に手を当てる。小さく呼吸をした。
 まるで、くららは盗られたのは絵だけであるかのように言う。
 だが、度流はその可能性が怖くて、口をはくはくとするばかりで、なかなか言葉にできなかった。
「盗られたのは、絵だけじゃないよ」
 震える声で、紡ぐ。くららが少し拗ねたような視線を持ち上げる。口にしないが「じゃあ何だっていうんですか」とでも言いたげな眼差しだ。
 度流は深呼吸をする。決して言い間違えてはいけないから。
「忘れたの? 優音ちゃんがいなくなってるんだよ」
「優音って誰です?」
 瞬時に打ち返され、度流は変な方に息を吸ってしまった。ひゅっと吸った息を上手く吐き出せない。呼吸を止めたままでもいられず、度流は半ば泣きそうになりながら、咳き込んだ。
「そんな……そんな」
 泣きそうなのに、涙が出ない。想像はとっくにしていたからだろうか。それが悲しい。
 思えば、おかしなことだらけなのだ。何故、優音が行方不明なことが、ニュースにもなっていないのか。それは、優音の両親が通報していないからだ。優音のことが嫌いだからじゃない。優音のことを忘れているから。写真だって、優音の映っていたものがおかしくなっていた。
 まるで、「優音」が最初からいなかったみたいに。
 誰からも忘れ去られたら、「二度目の死」が完成する。
 度流が最も恐れていた可能性の具現がそれであった。
 赤梨協会が掲げる人類救済計画の被験者に優音が選ばれた、という可能性。だから、優音の描かれた絵は盗まれるし、優音のことを忘れない度流は狙われる。辻褄が合ってしまう。そんな、恐ろしいことが、度流の目の前に、考え得る中で最も大きな可能性として、立ちはだかった。

 

to be continued……

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