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No name lie -名前のない亡霊- 第9章

 

 
 

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 彼苑かれその度流わたるはテロで親を失った。そのテロから十二年。高校生になった度流は人とは少し違った見え方のする目を生かして、美術部に所属し、絵を描いていた。
 高校二年生の春、コンクールで最優秀賞を取った度流の絵が展示会場から盗まれる事件が発生。それが報道されたのと同巡の三日目に差し掛かる頃、度流は何者かに命を狙われ、「虹野にじのから」と名乗る不思議な少女と出会ったのだった。

 恋人の荒崎あらざき優音ゆねが行方を眩まし、動揺する度流。度流は優音の幻影と話すようになり、様子のおかしさに、周りから遠巻きにされるのだった。
 度流の様子を案じた後輩の海月みづきくららが探してくれた手がかりを元に優音を探しに行く度流だったが、再び襲撃に遭い、中学時代の同級生天辻あまつじ日翔あきとに助けられる。
 日翔から「少しは人を疑え」と言われた度流は、惑いながらも、くららへの疑念を募らせていくのだった。
 度流はくららを疑うことについて、頭を悩ませるも、度流の中の優音が「度流のことは自分が守る」と蓋をする。
 度流はそれに抗い、くららの言葉で語られたことから、自分で判断しようと決意するのだった。
 くららから語られたくららの過去とくららにとっての彼苑度流。それを聞いた度流はくららを信じ、共に優音を探すことにするのだった。
 くららの気づきや日翔からの情報提供などを元に、犯人の手がかりになりそうなことを探す度流。慰霊塔にて行われるとある取引の現場に訪れた度流はまたしても襲撃に遭う。
 通りすがった空に助けられ、事なきを得るが、度流は空からのとある指摘に動揺するのであった。
 作戦資料書を手に入れた度流はくららに頼んで調査をする。そのために携帯端末を買い替えたのだが、端末にも異変が……
 調査の末、くららが見つけ出したのは「人類救済計画」というものだった。
 人類救済計画とは、死の自由を謳う異常思想だった。けれど、実現不可能な思想だということで安堵したのも束の間、度流はまた命を狙われる。
 優音に繋がる手がかりもない中、足掻く度流に、くららは「優音って誰です?」と衝撃的な言葉を告げた。
 クラスメイトから、果てには優音の家族にまで、優音の存在が忘れられていることに絶望する度流。
 絶望し、葛藤する中で、優音の本当の思いを知りたいと決意した度流は、優音との再会のため、前を向くことにした。

 

 
 

 

第9章「嘘の道行き」

 

 くららは、部屋のカーテンを微かに開けた。
「まぶしっ」
 薄暗い部屋の中に、外からの日射しが刺さる。薄暗い中で慣れきった目を焼いたので、即座にカーテンを閉めた。開けるんじゃなかった、と後悔する。
 くららは部屋に明かり、特に日光を取り入れないように細心の注意を払っていた。自主制作の彼苑度流グッズを日焼けから守るためである。特に紙に印刷したものなどは傷みやすい。だから、カーテンを開けるなんて、滅多にしない。
 では何故カーテンを開けたのか。度流がいないか確認したかったからだ。
 くららは度流のことが心配だった。変な組織に命を狙われているというだけで心配なのに、度流の様子はそれだけではないおかしさに満ちていた。
「『ゆねちゃん』ね……」
 慰霊塔付近で狙撃をされて、くららの言葉に絶望した様子の度流が残した、くららが知らないはずの手がかり。語感から人名であることがわかった。
 ゆね、というのが誰なのか、くららは思い出せない。そもそも記憶にないからだ。けれど、度流の口振りからして、くららが知っていて然るべき存在であるのは、充分に推察できた。
 実際、くららも「ゆね」という名前には何か引っかかるものを感じる。本当に覚えていない? ただ思い出せないだけ? と疑問が鎌首をもたげるような違和感。自分の中の偶像の姿ではない彼苑度流を知るからこその度流への信頼が、くららの中に引っかかりを作っていた。
 おそらくだが、ゆねという人物は、度流にとって、大切な人物だ。そうでなきゃ、命懸けで探す理由がわからない。関係性は親友だとか、恋人だとか、家族だとか、色々あるだろうが、くららはぶっちゃけどうでもいい。大切なのは、度流にとって大切な人ということと、くららが知っているはずの人間だということ。
 できるなら、度流の力になりたい。あのとき、絶望しきった表情のまま、度流は「帰ろう」と呟いた。その呟きに従って、くららは帰宅した。度流も自宅に帰ったようだったから、今日のところの捜査は終わりなのだろう、と。
 度流は「ゆね」を知らないくららを、もう頼ってこないかもしれない。それでも、くららはあの危うい人を放っておけなかった。
 くららにとって、「止まない炎」の作者である「彼苑度流」という人物は、神様だった。爆破テロの炎を人々は地獄の業火のように語るが、くららにとって、度流の描いた止まない炎は温かい灯火だった。命以外の何もかもを失ってしまったくららは、絵の中の炎に失った全てを見た。そんなの、幻想で、幻覚だ。けれど、そういう幻想や幻覚に、くららの心は掬われ、救われたのだ。
 「彼苑度流」という画家の絵には、心を焦がすしかないような厄介な魅力がついて回った。くららはあれから十二年、ずっと焦がされ続けている。
 高校生になって、本物の彼苑度流に会えたことは最初、画面の向こうの有名人に会うような現実味のなさがつきまとった。自分はその貴重なごく少数に選ばれたのだ、と優越感を抱いたりもした。
 けれど、度流を知っていくうちに、薄暗い優越などの感情は消えていった。度流がどういう弁護も受け付けないくらいに「おかしい」人間だと知ったから。平凡な一般人みたいな顔をしておいて、誰よりも壊れそうな危うさが怖くて怖くて仕方がない。度流にとって、度流の日常にあるものの何一つさえ、欠けていいものはなくて、もし、欠けてしまったら、その瞬間に、ぎりぎり形を保てている「彼苑度流」は壊れてしまう。そう思わせるような脆さと儚さが度流にはあって、その危うさから目が放せなかった。
 確かに、「自分」は彼苑度流に必要な日常の一部になれた人間だ。そのことに優越を覚えるのは自由だろう。だが、付き合いも深くないのに「なくてはならない存在」という価値を与えられるのは、あまりに重かった。嬉しかったのは、最初のうちだけだ。
 彼苑先輩には―――がいるのに。
「――ん? 何、今の」
 喉に異物が引っかかったような違和感を覚えて、くららは顔をしかめた。――今、あたしは何を考えた? を思い浮かべようとした?
 半端に散らされたパズルを前にしたような気分だ。このパズルを完成させなくてはならないけれど、ピースが足りなくて、途方に暮れるような気分。なくしたピースを探さねばならないことに倦怠感を覚えている。
 けれど、くららの中で、その違和感は確信を持たせるものとなった。
 椅子を引く。ぎ、とあまり気分がいいとは言えない軋みの音がして、くららは不快そうに顔を歪ませた。けれど、それも刹那のことで、くららはどっかりと椅子に座り、背もたれに体を預ける。何もない中空を見つめ、青い目を細めて、すう、と深呼吸をした。
 GNSに呼びかけて、記憶検索をかける。検索内容は「度流と出会ったきっかけ」。忘れるはずもない、と傲っていたが、忘れていることに気づいた。この違和感を見逃してはいけない。神様に会ったようなものなのだ。そう簡単に忘れてたまるものか。
 しかし、GNSからの応答は芳しくない。検索結果は「エラー:該当データを閲覧できません」とのこと。自分の記憶だぞ? とくららは眉間を揉んだ。
 GNSはほぼ万能だ。思い出したいことがあれば、自主的に忘れないようにしなくても、電脳がデータとして記録を残してくれる。こうして、見返したいときに呼び出して、確認すればよいのだ。破損することは滅多にないし、保存期限などもない。思い出したいときに思い出せるのは強みである。
 度流と出会ってから、一年も経っていない。だというのに、度流と出会ったときのデータを思い出せないというのはおかしい。不具合を起こすにしたって、もっと古いデータの方が先じゃないだろうか。
 だが、なんとなくこうなるような気はしていた。くららは深呼吸をする。
「ごめんなさい」
 誰にともなく、そう呟く。くららはGNSを起動したまま、GNSの機能を使わずに、記憶を遡り始める。電脳による補助なく、必要な情報だけを閲覧するというのは、ほぼ不可能だった。元々の脳の機能がある程度仕分けてくれるが、GNSのようなオート性と秩序性はない。普段、GNSという機械にどれだけ助けられているかがわかる。無秩序に飛び交う情報から、必要なもの以外がシャットアウトされることによって、脳が容量オーバーしないように制御してくれているのだ。
 くららの唱えるGNSからの脱却は、電脳による制御に頼らず、脳内の情報を統制するという無謀なものである。口で言えるほど簡単なことではなかった。
 だが、思い出せない記憶について、これは有用だとくららは信じた。電脳でなければ、閲覧制限などかからない。記憶とは元々脳という肉体の一部に刻まれたものであり、GNSはそれを制御する機械に過ぎない。GNSを入れていない人間は少数とはいえ存在することからもわかる通り、人間は元々自分自身で脳の情報を制御できる。GNSはあくまでその補助機能に過ぎないのだ。
 自力で記憶を特定するのは難しいので、閲覧しようとした記録を辿るために、GNSの機能を開いたまま、閲覧不能のデータにアクセスする感覚。感覚的なコントロールであるため、成功率は低く、電脳を使いながら電脳の制御を無視するという無茶をしているため、脳に過負荷がかかる。頭がずん、と重くなり、視界が薄暗くなったような気がする。それでもくららは、手が届いた記憶データを見た。
 度流の他にもう一人、女子生徒がいる。艶やかな濃紫の髪を靡かせた麗人。整った面差し……が、ぐにゃりと歪む。
「っ、あ……」
 息が詰まる心地がした。美人に嫉妬や嫌悪を覚えたわけではない。くららにとって、これはいつものだ。
 頭が痺れるような感覚。それに伴い、体も制御が利かなくなり、手足が痙攣を始める。呼吸もままならず、苦しみに喘ぐ声すら出ない。座っていた椅子から、くららはずるずると落ちていく。
 自らの荒い呼吸音だけを耳が拾い、ぼやける意識の中でそれにすがった。一つの音だけでも、すがっていないと、自分が生きていることすらわからなくなる。
 GNSからの脱却に関する実験行動。それに伴って起こる副反応は医者にも相談済みで、医者からは散々「やめなさい」と言われている。脳に意図的に過負荷をかける行動は命数を縮める行いだ、と。
 くららは死にたいわけじゃない。テロから生き延びて、数多のものを失いながらも、生き続けてきたのは、この肉体が、この命が、両親が残してくれた遺品だと思うからだ。両親がいた証拠を誰かに認めてほしい。認めるまでいかなくとも、自分がありのままの肉体で生きることを許してほしいと、くららは祈りながら生きている。
 がし、と椅子の肘掛けにしがみつく。呼吸はいくらかましになった。視界はまだ回復しない。ぐるぐるとする中、頭の中で何か音が鳴っていた。鈍く脳を刺激する音波が着信音だとわかったのは、たっぷり十コールほど繰り返されてからだ。
 発信者は「彼苑度流」と出ている。
「……先輩?」
『あ、くららちゃん! 昨日はごめん』
 昨日? と思い、まだぼんやりとする頭を上げる。カレンダーと時計の機能を表示すると、度流と別れてから、確かに丸一日八時間が経っていた。
「いえ、あたしは大丈夫ですよ。先輩こそ、平気ですか? というか、今どこです?」
『諸事情あって、別な街にいるんだけど……赤梨協会について、手がかりになりそうなことがわかったんだ。……頼っても、いいかな?』
 度流の申し出に、くららは目を見開く。少し、視界が晴れたような気がした。
「はい。最後まで、付き合わせてください」
『うん、お願い』
 命数が少ないのなら、せめて、敬愛する先輩のためになりたい。そんな想いが報われたような気がした。

 

 くららの家に着くと、くららがへらりと笑って、家の中に招く。保護者だという姉は相変わらず帰っていないらしい。度流は少し不安になった。ほぼほぼ女の子の一人暮らしというのもあるが、くららはGNSからの脱却を試みている影響で、体調不良を起こしやすい。倒れても、誰も側にいないという状況はあまり良くないのではないか、と思う。
 それに、今日のくららは何か変だ。何が変なのか、と少し考えて、指摘する。
「くららちゃん、今日は服、ちゃんと着てるんだね」
「あたしがいつも服着てないみたいな言い方やめてくださいよぉ」
「……ボタン全部掛けてる」
 いつもなら、第三ボタンまでだらしなく開けられているくららのシャツがしっかり首元まで締まっている。普通といえば普通なのだが、いつものくららを知るだけに、違和感が大きかった。
 生徒指導をされても、頑なに締めないでいたのに、一体、どういった心境の変化が? と思っていると、くららが苦笑する。
「あはは、ちょっと寒くて」
「そう?」
 暑いわけではないが、極端に寒いわけでもない。今の気温を特に何とも思っていなかった度流は首を傾げる。
「それより、何がわかったんです?」
 部屋に通され、くららの問いかけに、思考が停止する。少し考え、話すのが先か、と日翔に会って気づいたことを語り出した。
 話していて、くららが「荒崎優音」の存在を受け入れていることに気づく。
「くららちゃん、優音ちゃんのこと思い出したの?」
 一縷の希望を持って問いかけると、くららはほろ苦い笑みを浮かべた。
「ちゃんとは思い出せてないですよ。でも、先輩の大切な人なんですよね?」
「うん」
「じゃあ、ついでに教えてくださいよ。あたしがもう二度と忘れないように」
 度流は頷こうとしたけれど、同時に嫌な予感もした。このまま、くららが無茶を続けて、くららが壊れてしまうような。
 壊れるって、一体、と思いながら、優音のことを語って聞かせる。
「優音ちゃんは僕の幼馴染みの女の子だよ。とても優しくて、テロで家族を失った僕に手を差し伸べてくれた。僕の絵を、誰よりも先に好きだと言ってくれたのは優音ちゃんだ。だから僕は描き続けられたとさえ言える。僕の絵は、変だって言われることの方が多かったから。
 家族を失った僕を誰よりも傍で支えてくれたのは優音ちゃんだ。将来を約束までした。みんなには子どものままごとだと笑われたけど、今日まで優音ちゃんが僕の隣にいることをやめようとしたことはない。僕も、隣にいるなら、優音ちゃんがいい。だから、優音ちゃんを取り戻すために探している」
「でも……先輩」
 くららは仄暗い表情で続ける。
「赤梨協会の目的と、『ゆねさん』の記憶が誰もから消えていることを照らし合わせると、十中八九、『ゆねさん』は」
「わかってる」
 やはり、くららも度流と同じ結論に到達したらしい。
 優音は死にたがっている。赤梨協会に利用されているのか、赤梨協会を利用しているのかはわからない。だが、この世の誰の記憶からも消え去る「二度目の死」を丁寧に完成させていることから、計画性の高さが伺える。度流は優音の口から直接、その意思を聞くまで信じないことにしているが、端から見れば、これほど計画的な自殺を「本人の意思ではない」と考えるのは難しい。
「わかってる」
 繰り返し、言い聞かせるように紡ぐ度流に、くららはかける言葉がなかった。声が上手く出なくて、咳払いをする。
「それ、なら……いいんです。本題に入りましょう」
 CCTを出してください、とくららは度流に言う。何やら共有をかけたらしく、着信のライトがちかちかと点滅していた。
 画面を開くと、顔のない女子生徒が佇んでいる画像が流れてきた。目や口はなく、鼻筋だけが描かれた顔が印象的だ。けれど、それが誰なのかは紫色に艶めく長い髪でわかった。
「優音ちゃん……?」
「あ、やっぱりそうなんですね」
 くららが説明する。
「はっきりしない記憶だったんですけど、先輩と出会ったときのこと、よく思い出せなくて。あたしと先輩って、いきなり出会ったわけじゃないですよね? それで、誰かが仲介したかも、と思って、思い出そうとしたんですけど、それしかわからなかったんですよ」
「記憶……記憶だけで、ここまで描いたの?」
「美術部ですよ? 仮にも」
 デジタルとはいえ、すごい画力だ、と度流は関心する。
「で、あたしは優音先輩のことを思い出せなかったし、ぱっと言われても、自力でも、思い出せなかったんですよね」
「でも、これは、どうやって……」
「そ・れ・よ・り! 先輩とその天辻さんって人の共通点ってあります?」
「え、ええ……?」
 急に言われても、と口ごもりながら目線を落とし、CCTが目に入る。
 あ、と声を上げた。
「天辻くんもGNS入れてない」
「ふむふむ。今時珍しいですね。まあでも、からくりはだいぶ見えてきましたよ」
 くららは検索画面を共有する。検索する言葉は案外と単純なもので「GNS、メリット、デメリット」である。表示されたページをくららはざっと流し、ペンツールで、デメリットの部分を囲った。
「GNSを使うことでのデメリットは少ないですけど、言うなれば、GNSも一種のコンピュータですから、ウイルスにはかかります。セキュリティは日々進化していますけど、世の中に完全なものなんて、何一つありませんからね。
 CCTだって、コンピュータウイルスには引っかかりますけど、GNSで引っかかるよりまし、と言えるのは、『人体に直接』影響が出るか否かってことです。それ以外は脳と直接繋がっていますから、操作性も高くて、使いやすいんです。使いやすさが危険性を遥かに上回っているし、危険に対する対策も、日々研鑽されているから、GNSは全人口の九割に普及しています。
 九割って言ったらほぼ百パーみたいなもんですからね」
「……ええと? つまり、GNSに何かウイルスが仕込まれたってこと?」
 デジタル系に疎い度流だが、「怪しいリンクを踏んではいけない」と優音が教えてくれた際に同時に教えてくれていたため、ウイルスについては知っていた。
「そうです。他にも可能性はあるんでしょうけど、一番わかりやすいのはウイルスですね。記憶領域のデータを『削除』するのは脳とリンクしてるから難しいでしょうが、GNSによる制御で『閲覧不能』にするくらいならできるでしょう。特定の記憶データを閲覧できなくすれば、『忘れさせる』ことができる。特定の人物のデータにアクセスできなくなる、と設定すれば、特定の人物を忘れさせることが可能です。忘れさせるだけなら、身体的な害もないですし、プロテクトをすり抜けやすいのかもしれません。こうして『二度目の死』を事前に完成させるわけですね」
「でも、僕や天辻くんは、優音ちゃんを忘れてないよ?」
「だから先輩は狙われたんでしょう」
 くららの声が冷たく刺さる。
 GNS未導入者という少数派マイノリティ。けれど、少数派も汲んで記憶の消去を行う必要は、世界的な有名人でもない限り、ない。故に、優音と繋がりが深くないとみなされた日翔は対象にならなかった。
 だが、度流は違う。将来を約束しているほど、優音と深い繋がりのある人物で、GNS未導入者。更には絵を描いて優音の記録を様々な人間の脳に焼き付けることができる人物。――ここまで不都合な人間もそういない。
 対象を知っている全員が死ぬことで、二度目の死が完成する、という話もあった。冗談半分だったが、死ぬのが一人でいい場合なら、殺害が手段の一つになるのも、まあ納得はできる。
「いや、納得はしてほしくないけど」
「言葉の綾ですよ。まさか、『道理が通っている』なんて言うわけにはいかないですし。
 ともあれ、これで先輩が狙われた理由も、絵が盗まれた理由も、説明がつきます。絵には優音先輩が描かれていたんでしょう? 優音先輩がいなくなったり、彼苑先輩が狙われ出したりしたタイミングから、件の計画が始まったのだとしたら、慰霊塔に飾られた『荒崎優音の絵』は相当都合が悪かったはず。優音先輩のことを覚えている上に、その他大勢の不特定多数に優音先輩の存在を伝える手段を持つ彼苑先輩は、計画の邪魔でしかない。だから殺害を目論んだんでしょう」
 大義を成すために殺人も厭わないというのは当然ながら異常思想である。それに加えて、掲げる大義が「死の自由」という異常思想なのだから、救いようがない。
 ここまで状況を整理して、度流はふと疑問に行き当たる。
「でも、記憶の閲覧を不可能にするウイルスが本当だったとして、どうしてくららちゃんは優音ちゃんの姿を不完全とはいえ、覚えていたの?」
「それは……」
 くららが目を泳がせるのを感じ、度流はくららの方を向く。案の定、くららは明後日の方向を向いていた。
 何か気まずいことでもあるのだろうか、とくららを見ていると、不意にくららの視線が固定され、固定されたと思ったら、瞳孔がぶれ、体が傾ぐ。重力に逆らわず、崩れ落ちそうになったくららの体を、度流は慌てて支えた。
 その様子を見れば、どんなに察しが悪くとも、くららが何をしたのかわかる。――GNSからの脱却を目指す、GNSに故意に抗う活動だ。医者からやめろと言われても、やめずにいる、くららのアイデンティティ。
 くららは記憶は脳にあるから、削除はできない、と言っていた。つまり、GNSを使わなければ、記憶の閲覧は理論上可能であるということだ。GNSをオフにして、特定の記憶にすぐに辿り着くのは難しい。GNSに慣れていればいるほど
 人間の脳は不確実なことが多く、時系列順に、正確に記憶を並べることは難しい。対して、GNS機械はその方面に強い。くららはそのGNSの特性を生かすためだけに、GNSをオンにしたまま脳に焼き付いた記憶を思い出そうとしたのだ
 ウイルスの話が本当なら、GNSはウイルスにかかっているはずで、ウイルス自体に歯向かうことになる。人体にどのくらいの影響があるかはわからないが、脳にある機械に逆らうことで生じる負荷は脳にかかるのは素人でもわかる。ウイルスによる悪影響とGNSに抗うことへの過負荷。ただでさえ、ダメージの多いくららの脳への打撃は大きいだろう。
「う……ん、あ、彼苑先輩……?」
「くららちゃん、また、無茶したんだね?」
「あはは。でも、先輩の役に立てそうで、よかったです」
 複雑な心境だが、くららが常日頃から唱えている「GNSからの脱却」が役に立った形だ。こんな無茶はくららにしかできない。
 度流の最優先は、いつだって優音である。そのためにくららに協力を仰いだ。けれど、くららを蔑ろにしたいわけではない。
「くららちゃん、これ以上、無茶をしないでほしい。優音ちゃんを見つけられても、くららちゃんがずたずたのぼろぼろなのは、いい気がしない。そうなるくらいなら、ここで」
「やめるなんて、言わないでくださいよ」
 くららは、何かを恐れるような暗い目で度流を射抜く。震える手が、度流の襟首を掴んで、あらんかぎりの力で締め上げた。
 少し、襟が食い込んで、度流は息を詰める。髪の合間から、くららの義眼も覗いた。違う色の目が度流を見つめる。
「あたしの知ってる彼苑度流は、好きなもののためにどこまでも真っ直ぐで、誰かのためにそれを諦めたりなんかしません。優音先輩のこと、思い出せないけど、あたしのために優音先輩を諦める、なんて言わないでください。解釈違いです!」
「解釈違いって……」
 くららの論点がずれていて、度流から気が抜ける。くららは大真面目だったが、やがて、緊張が切れたように笑い出した。
 度流の襟首を掴んでいた手が離れる。
「あはは。変なこと言いました。解釈違いってのは変ですね。でも、やめるなんて、言わないでくださいよ。先輩が、優音先輩のこと諦めるの、なんか嫌だったんですよ」
「それは、……僕も諦めたくないから、止めてくれて、ありがとう……」
「よし。じゃあ、あたしは最後に一仕事しますよ」
「一仕事って?」
 くららは赤梨協会のページを開く。赤梨協会のページは、くららがいくつかコマンドを打ち込むと、編集画面になった。度流が混乱する。
 ページの編集は権限を持っていないとできない。それくらいはいくら疎くてもわかる。赤梨協会とは接点もないくららが権限を持っているわけがないことも。それがどうやって編集画面まで漕ぎ着けたか。ハッキングくらいしかないだろう。「犯罪」の二文字が度流の脳裏をよぎっていく。
「本業じゃないんで、辿り着くのに苦労しました。編集画面を開いた目的は、同じく編集画面を開いた人物のIP……パソコン端末の所在地を感知するためです。協会のページ、これだけ怪しげな思想を綴ったものを管理しているなら、パソコンは本拠地にある可能性が高いし、管理パスワードの秘匿も徹底されているはず。本拠地じゃなかったとしても、やつらの尻尾は掴めるはずです」
「そ、そんなことできるんだ……」
 にひ、とくららは得意げに笑うが、その顔に流れる汗が快いものでないことは、度流の目にも明らかだった。セキュリティを突破し、侵入に至るまで、くららはくららにしかできない無茶を重ね続けてきたのだろう。
「先輩が諦めなかったから、やつらの目的や、実際に何をしでかしているのかがわかったんです。あとはもう、場所を突き止めて、優音先輩を迎えに行くだけ。だから」
 くららが何か続けようとして、びく、と固まる。また体調不良か、と身構えた度流だが、くららは倒れたりよろけたりせず、度流に振り向く。
「誰かが編集画面にログインしました。今、位置を特定したんですけど……御神楽ホテル爆破事件慰霊塔です」
「なっ……!?」
 慰霊塔。度流が絵に描いた場所であり、この事件の始まりの場所とも言える。度流の暗殺も慰霊塔を中心に行われていた。
 それに、度流の描いた「塔と少女」の絵も、慰霊塔に展示されていたところを盗まれた。まさか、盗まれたと思われていた展示会場から、運び出されてすらいないとは。
「まあ、御神楽の警備を突破するのは難しいでしょうから、妥当な結論でしょうね。に持ち出されることを普通は警戒するから、それに比べれば、中の警備は緩い」
「なるほど……絵も、取り戻せるかな」
「どうでしょう? 彼苑先輩にとって、最優先は優音先輩でしょう? 絵は、最悪、燃やされてても仕方……っ……!?」
「くららちゃん?」
 くららが息を詰めるのを見て、度流が反応する。くららは目を見開いたまま、膠着している。それが、十秒、二十秒、と続いて、くららの全身が震え出す。目がちかちかとしているのか、痙攣とも取れるほどに瞬きをして、ゆっくり床に崩れていった。
 度流はくららを抱きしめて支える。耳元にちょうどくららの唇が近づくのを感じて、度流はぞっとした。――呼吸をしていない。
「くららちゃん、くららちゃん! 息して、息!!」
 大声で呼び掛けながら、度流はくららを床に横たえる。くららには悪いが、床に散らばるグッズ類を雑多に避けて、平たい場所を確保すると、応急措置を始めた。気道の確保、意識の確認……心臓マッサージも行った方がいいだろうか、と考えていると、くららの瞼が震えた。
「くららちゃん!」
「あ……わた、る、せんぱい……」
 まだ回復しきっていないだろうに、くららはのろのろと起き上がる。その手が必死に、度流の手にすがった。
「あたしは、大丈夫です。それより、先輩は早く行ってください」
「でも」
「本当に、これ以上の無茶はあたしにはできません。赤梨協会のことを、御神楽に匿名で通報して、あたしはそこまでです。だから、度流先輩は、優音先輩を迎えに行ってください。御神楽が踏み込んだら、事情聴取やら何やらであなたたちは引き離されるだろうから、はや、く」
 息も絶え絶えに、くららは度流に願う。
「度流先輩が、優音先輩を、助けてあげてください……」
 青い目の強い光に、度流は薄紫を細める。
 優音が死を望んでいるのだとしたら、それを救える可能性があるのは度流だけだ。そういう意味を込めての言葉だろう。
 度流は優音が死にたがっていることを、まだ信じていない。けれど、優音を救いたいという気持ちは、優音の思いがどうあろうと、変わらない。
 半ば朦朧としたようなくららから絞り出された切なる願い。願われるまでもなく、度流はそうするつもりだ。だから、手を握り返し、切ない気持ちを抑え、くららを真っ直ぐ見つめる。
「わかった。……いってくる」
 そう告げた度流に、くららは安心したように微笑んだ。

 

 決然と度流が慰霊塔へ向かうため、くららの自宅から出たのを確認し、くららはGNSを操作する。度流に宣告した通り、御神楽へ通報するためだ。
 赤梨協会の情報と、事件の要点だけをまとめた資料を一つのファイルにまとめ、あとは送信するのみ。けれど、くららはなかなか決定ボタンを押せずにいた。
 まだ、度流が離れてから、時間が経っていない。これは、最後の悪足掻きだ。度流と優音が邂逅できる時間を一分一秒でも長く、確保したい。
「優音先輩……」
 くららは顔に脂汗を滲ませ、壁に凭れかかりながら、独白する。
「あなたのこと、結局、思い出せませんでしたけど、度流先輩の絵を展示会場から消えさせたのは、もしかして、あなたが考えたことですか? あたしと親しかったなら、知っていたはずです。個人活動とはいえ、あたしは彼苑度流の作品が世に出てからすぐ、グッズにしてしまうということ」
 「塔と少女」のグッズがあったら、さすがにモデルは誰だと調べるくらいしただろう。あるいは、優音を忘れなかった可能性さえある。
「……なんて、思い上がりですよね。あたしと同じ活動をしている彼苑度流ファンって、わりといますから……できるなら、あなたともう一度、話してみたかったですよ、ゆねせんぱい……」
 視界がうすらと靄がかってきて、くららは自分の限界を悟った。通報直前まで操作していた画面の決定ボタンを押す。
 度流に「いってらっしゃい」と言えなかったのは、「おかえりなさい」を言える気がしなかったから。そんな余裕が、くららにはなかった。赤梨協会側に気取られたか、セキュリティに引っかかったか、どちらなのかはわからないが、くららのGNSに軽いHASHが送られてきた。悪戯防止用のオート防御のようなものなのかもしれない。一般人なら、眩暈に見舞われる程度のそれだが、元々脳にダメージが蓄積されていたくららには、必要以上のダメージを与えた。トドメになったと言ってもいい。
 この目を閉じたら、もう二度と目覚められないだろう。そんな確信があった。目覚められたとして、正常な状態ではないだろう。二度と度流に会えなくなるのは、くららの方だった。
 だからせめて、あの二人は、あの恋人たちは、再会できますように……
「ごめんなさい」
 そう呟けたかどうか、わからないままに。
 くららの意識は闇に落ちた。

 

to be continued……

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