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虹の境界線を越えて 第1章「カラ」

 
 

淡海湖あふみこ基地に侵入した所属不明の敵性武装者は基地の脱出と同時に所属不明のドライバーの運転する車に搭乗し、砂処県すかけんを西に向けて逃走中」
 夜中。突然無線が激しく交わされるようになる。
「なんだと、仲間がいたということか」
はいaffirmative。まもなく西京都せいきょうととの県境にさしかかりますので、そのタイミングで追っ手をぶつけます」
「あぁ、この平和な桜花おうかで戦争をするわけにはいかない。人目のつかないところでひとめにつかない形で終わらせろ」
「少佐、山中での作戦が失敗すれば、次に彼らがたどり着くのは、桜花の第二首都、西京都です。第二首都で銃撃戦を行うリスクを考えると、砂処県内で迎撃するのも手ではないかと……」
却下negative。街中での戦闘行為は我々の信用を落とす要因になる。山中で襲撃し、山中で仕留めよ。その分出し惜しみはしない。多脚戦車を光学迷彩モードで山中に待機させ、攻撃ヘリも最寄りの基地より派遣する」

 

「追っ手がない、振り切れた?」
 一台の乗用車、後ろの席に座る女性が後ろを見ながら呟く。真っ白な服に真っ白な帽子はとても目を惹くが、真っ白な研究室においては隠れるのに有効だったらしい。
「振り切れた、だと? お前、ヘマしたのか?」
「あー、うん、まぁ、ちょびっと」
 女性は悪びれずに笑う。
「くそ、マジかよ。俺が聞いてたのはお前がバレずに出てきたところを」
「分かってるよ。ちゃんと割増でお支払いするよ」
「そういう問題じゃねぇ、命がなきゃお金に意味はねぇんだよ」
 道理だ。と女性は思った。死者にいくらお金があっても使い道がない。銀のスプーンを咥えて生まれてこようが、その辺の橋の下で産み落とされようが、死は等しく全てを奪うのだから。
「うそ、来た!」
 町を離れて山道に入った瞬間、その車たちは現れた。同乗する3人の戦闘員の持つType-4 アサルトライフル、通称T4から、フルメタルジャケット弾が撃ち出される。
「くっそ、ありゃ、カグラ・コントラクターの車両じゃねぇか! なんて奴を敵に回してやがる!」
「カグラ・コントラクター?」
「なっ、てめぇ、知らずに喧嘩を売ったのか? 世界で一番でっかい民間軍事会社PMCだよ」
 PMCとは、簡単に言えば傭兵達の派遣会社だ。規模大きいから強いとは限らないはずだが、ドライバーの口ぶりからすると、大した練度なのだろう。女性はホルスターからmark 32と呼ばれる特殊部隊用の拳銃を取り出し、制音器サプレッサーを取り外してから、後ろに向ける。とはいえ、相手は突撃銃アサルトライフルでしかも三人。こちらはただの拳銃、で一人。あまりに戦力が違いすぎる。
 物は試しとばかりに、数発発砲してみるが、当たる気配はなく、むしろ顔を出している分、弾丸をもらうリスクがいたずらに高まるばかりだった。
「おっちゃん、トランクに武器があったりしないの? 無反動砲バズーカとか重機関銃マシンガンとか」
「馬鹿野郎。俺は本当は銀行強盗とかを警察から逃すのが仕事だ。軍隊なんか相手にできるか!」
「伝説の運び屋ならそれくらいやってくれると思うけどなぁ」
「それが誰のことかしらねぇが、俺は普通の運び屋なんだよ、って、前からも来やがった!」
「うん、それにヘリコプターの音もするね」
「冗談じゃねぇ。こんなところで死ぬのはごめんだぞ」
「うん、私もそうだよ。だから、仕方ないな」
 扉が開かれる。
「お、おい、お前だけ逃げるつもりか」
「流石にそれは無理だよ。だから、全員、倒してくる」
 車から女性が飛び出し、転がりながら、左手の人差し指で空を切るような動作をしながら右手だけでmark 32を構えて発砲する。弾丸は空中で消失し、突如後ろから来る車のタイヤの手前に出現し、タイヤを撃ち抜く。高速での走行中に前輪をパンクさせられた車両はそれでバランスを崩し、スピンする。
 一方女性も、飛んできたアサルトライフルの弾丸が帽子をかすめ、帽子が頭から離れていく。帽子の中にまとめていたらしいグレージュの長い髪が空中に広がる。
 そして地面に激突する直前、女性が人差し指でその地面を撫でたかと思った次の瞬間、女性は消滅する。
 さらに次の瞬間、ちょうど逃走車両を狙える位置に到達した戦闘ヘリの上空から刀を持った女性が現れ、その戦闘ヘリを両断する。
「馬鹿な! 桜花刀おうかとうでヘリが……」
 追跡していたカグラ・コントラクターの戦闘員が驚愕の声を上げる。
 彼らは知らない。彼女の持つ刀が単にこの桜花国が世界に誇る刀剣、桜花刀ではなく、それを模した単分子刀であるという事を。単分子刀は、単分子ナイフをそのまま大きく、刀の形にしたもので、刃先が単分子……つまり分子一つ分の厚みしかない、という性質を持つ。これにより分子間の隙間を通り抜け、あらゆる物質を切ることができる。もちろん実際に、戦車や戦闘機に刃物のレンジまで近づく馬鹿はいないし、そもそも近づくことを許す馬鹿もいない。従って単分子ナイフを扱うのは人間離れした兵士の、さらにとびきりの狂った人間だけだ。単分子刀もそこからとある愛好家がロマンとして作った一品ものだった。
 女性は空中でその残骸と化したヘリの真下の空間に指を滑らせる。するとそのヘリが消滅し、追っ手の車両の真上に出現して車両を押しつぶした。
「さ、超兵PSI Soldier……」
「くそ、光学迷彩を解除しろ、多脚戦車を出せ!」
 残骸から這い出した戦闘員が愕然と声を上げる。そしてもう一人が悲鳴のように指示を出す。
 依然走行中の逃走車両の前に、四脚に砲台とガトリングガンの搭載された車体を持つ多脚戦車が二台現れる。まるで空中から滲み出てくるように現れたそれは先程から女性が現れたり消えたりしている何かとは違い、単に風景に溶け込む技術で隠れていたに過ぎない。タコとかカメレオンのようなものだ。
 二台の多脚戦車がそのガトリングガンを女性に向け射撃を始める。そして女性はそのうち片方に向けてまっすぐに走り出す。ガトリングガンの弾丸を回避する様子すらなく地面を人差し指で撫でる女性はPainless gun無痛ガンの異名が示す通り、痛みすら感じる暇もなくズタズタになって死亡する、はずだった。
 しかし、弾丸が女性に命中するか、というの瞬間、女性はその場から落下するように消滅し、そして、事実、多脚戦車の上空から落下してきた。
 多脚戦車に単分子刀が振り下ろされる。

 

 こうして、誰にとっても理解不能なまま、戦闘が終了した。
「ふぅ、なんとかなった……。あぁ、もう切れ味が落ちちゃってる。これは後で捨てとこ」
 いつの間にか、女性は再び逃走車両の後部座席に座っていた。単分子の刃物には接近戦を強いられる以上のデメリットもあった。それは摩耗が驚くほど早い、と言うことだ。振動によって切断力の向上とゴミの付着を防ぐなど様々な手法が取られているが、それでもこのように、すぐに装甲を切るのが難しい状態に陥ってしまう。
「あんた、超兵なのか?」
「そのサイ・ソルジャーってのがなんなのかは分からないけど、違うよ」
「違うもんか。あれはどう考えたって転移テレポートだろ。かつて東側が西側の義体技術に対抗するため、熱心に研究しごく少数実現したって言う、超能力者の……」
「へー、この世界にはそんなのいるんだ。でも違うよ。私は、ただの迷子。私、ここでいいや。あ、お代はこれね。換金が少し大変だけど、現金よりは足がつかないからいいでしょ」
 そう言って女性が渡してきたのは、金の延べ棒だった。何グラムなのか想像もつかない。
「メッキじゃないよ。疑うなら、ちょっとめくってみる?」
 そう言って女性は自身の単分子刀を見せる。
「いや、信じるよ。だが、二度とはごめんだ」
「そう。ありがとね。じゃ、ばいばい」
 女性が扉から降りる。
「なぁ、やっぱり、名前を教えてくれないか?」
 ドライバーが悩んだ末に車で追いかけてきて、声をかける。
 女性は驚いたあと、うなづいて答えた。
「私は、虹野にじの から。日本人だよ」
「日本?」
 聞き覚えのない言葉に男が首をかしげる。訪ねようと顔を上げた時には、空はもう、いなかった。

 

「私は迷子、か」
 空は西京都というらしいその街並みを見ながら考える。
「こんなにも日本に似てるのに。ここは日本じゃないんだよね」
 この国の名前は桜花。日本ではない。彼女のよく知るアメリカもドイツもない。彼女の使っているmark 32はドイツの会社の銃によく似ているが、ドイツ製ではない。団結と自由と正義の連合国、通称UJFユジフなどという聞いたこともない国のものだ。そして何より違うのは、一日が8時間しかないことと、月がない代わりに空に見える土星のような微惑星帯、バギーラ・リングの存在だった。
 空は世界を股にかけた迷子なのだった。
「はぁ」
 スマートフォンを取り出す。今、この世界の通信手段は電脳GNSに移行しつつあり、それ以前の通信端末もCCTなる量子通信を活用した代物だ。二世代前の通信手段にあたる電波を使ったスマートフォンはただでさえ見かけないが、このスマートフォンは輪にかけて見かけないだろう。このスマートフォンの後ろに記されたリンゴをかじったようなマークはこの世界のどこにも存在しないものであったから。
 このスマートフォンには彼女の思い出が詰まっていて、逆に言うとそれ以外には何もない。方位磁針のアイコンで狩猟の旅を意味する名前のブラウザアプリも、青い鳥のSNSアプリも、ここでは何一つ起動しない。それでも、服から、あるいはこの体を構成する細胞さえ一つ残らず元の世界のものからこの世界のものに変わってしまった今、このスマートフォンだけが唯一、自分が桜花人ではなく日本人であると自分に対して証明してくれる品となっていた。
「せめて、SNSで呟きを見るくらいはできたらな……」
 考えても仕方ない。
「そんなことより、カグラ・コントラクターか。調べてみよう」
 空はこの世界に迷い込み、そして一つの力を得た。それは世界の振幅あるいは濃淡のようなものを感じる能力だった。それを応用すれば意図的に世界の濃淡を制御し、ある程度遠くまで自身の体や品を移動させることも出来る。先ほど、戦闘員やドライバーがテレポートだと言っていたのはまさにこの力である。ただ、刀ほど小さいものならなんとかなるのだが、人間サイズやそれ以上になるとどんどん移動できる範囲は小さくなってしまう。空がその力であの戦場から逃げなかっり、わざわざ逃走用の車両を用意したりしたのはそれが理由だ。
 そして何より空があの施設に侵入したのは、空以外の誰かが空と同じ手段で転移した気配を感じたからだった。もし、それが空のような迷子になった経験のある人間で、もしかしたら、元の世界に戻る方法を知っているかもしれない。そう、空の今の行動目的はただ一つ、「元の世界に帰りたい」であった。
 しかし、そこには何もなかった。手がかりは途絶えてしまった。残った手がかりは一つ。あの研究所を所有する組織が「カグラ・コントラクター」と言う名前である、と言うことのみ。となれば、その情報を当たるしかなかった。

 

「ふむふむ。本部はこの桜花にあるけど、新技術や兵器の研究所はIoLイオルにしかないのか」
 ちなみにIoLはインディペンデンス・オブ・リバティの略らしい。自由と独立の名前が示す通り、アメリカに極めて類似した国だ。
「なるほど、あの琵琶……じゃない、えっと、淡海湖の研究所は表向きは存在しないことになってるのか」
 そういえば、湖の中にあって入り口を見つけるのも大変だった。と思い出す空。
 隠蔽されている研究所なんて、あからさまに怪しいが。少なくとも先ほど侵入した時は何もなかった。さらなる追加情報でもなければもう一度侵入する手はないと判断せざるを得ない。と、なれば。
「IoLに行くしかないか」
 ちなみにお金は盗み出した金以外持っていないので、店で支払いができない。従って、転移して逃げるしかない。
 空は人差し指を上から下へ、宙に一本線を入れるように動かすと、そこに空間の”裂け目”が生まれる。この"裂け目"を用いて、空は空間を転移する。これを見られると後々大変厄介だが、この部屋が監視カメラの範囲外なのは確認済みだ。
 そしてIoLに向かうための船旅ももちろん、密航になるのだった。

 

To Be Continued…

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