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虹の境界線を越えて 第7章「焦燥」

前回までのあらすじ(クリックタップで展開)

 地球から、地球とは似て非なる星「アカシア」に文明を築く世界に迷い込んだ少女、虹野にじの からは、世界の濃淡を感じる力とそれを応用した「空間転移」能力を手にする。
 空はこの能力で「カグラ・コントラクター」という民間軍事会社PMCの人間が同じような転移能力を使っている事に気づき、自らが元の世界に帰る手がかりを得るため、新技術の研究所があると言うIoLイオルに向かうことを決める。
 貧乏な家に生まれた空は自らが欲しいもののために「盗み」という手段に手を染めた。しかし、ある日、引退しようと決めた。
 だが、今ここに再び盗みの技能が役に立つ時が来た。自らの戦力拡大のため空は単分子ナイフを盗み出すことを決めたのだった。
 空は見事単分子ナイフを盗み出したが、アクシデントが発生、手に持ったナイフで一人の男を殺すことになる。
 男を殺すという罪を犯した意識に苛まれる空が見たのは、過去に殺したもう一人の記憶と、そして殺した男の妻の様子だった。
 復讐の感情までダイレクトに伝わってきたことに困惑する空だったが、その能力について追求するのは後回しにして、カグラ・コントラクターの基地に侵入し、資料を漁ることにする。
 資料によって分かったことは、カグラ・コントラクターもまた「別の世界」に行く方法を模索しており、その方法の一つとして「コード・アリス」や「コード・メリー」なる存在を探しているということだった。
 しかし、その様子を御神楽みかぐら 久遠くおんなる全身義体の女性に発見され、戦闘になるが、敗北。なんとか逃げ延び、再戦を誓うのだった。
 独力ではカグラ・コントラクターをどうすることもできないと悟った空はカグラ・コントラクターと戦う組織「レジスタンス」に加入することを選ぶ。
 そこでカラを待っていたのは、かつて自分がプレイヤーとして参加し経験したTRPGシナリオと全く同じ展開という不思議な出来事だった。
 無事「レジスタンス」に加入した空はある日、クラッキングの腕を買われ、臨時の要員として捉えられた味方を助けるという作戦に参加する。
 作戦は見事成功したばかりか、レジスタンスの危機まで救った空は海中の潜水艦である「本部」勤務を許されることとなる。
 本部勤務となった空だが、彼女を待っていたのは転移能力を活かした物資輸送任務ばかりだった。しかし、空はそれにめげず、情報収集に励み続けた。

 

 
 

「あっちゃー、こりゃまいったな」
 カグラ・コントラクターからの略奪任務中、空はこっそりと敵基地のノードから取得した特殊第四部隊のデータを見ていた。

 

(まず間違いない。カグラ・コントラクターは、いや、少なくとも特殊第四部隊は、私と言う存在を認知している)
 最初に気づいたのは特殊第四部隊からの発布だった。
【以下の人相の人間を見つけたら殺害せず捕虜として特殊第四部隊に届けよ】
 それは間違いなく空自身の事だった。


 それから何度か略奪任務についたが、状況はどんどん悪化していた。
【以下の人相の人間を見つけたら、直ちに特殊第四部隊への支援を要請せよ】
【以下の人相の人間を見つけたら、その離脱先を見極めよ】
【以下の人相の人間を見つけたら、発信機を持って対象の展開する〝裂け目〟に突撃せよ、あるいは発信機を投げ込め】
 そして、今日見たのがこちら。
【以下の人相の人間を見つけたら、その人間が残した髪などの痕跡を全て回収せよ】
「どんどんなりふり構わなくなってるなぁ」
 細かく発布について調べていくと、このような本文があった。
【諸君らの協力のおかげで、ついに対象とおもしき存在の元に発信機送り込むことに成功した。ただし、これが本当にターゲットなのか確証を得たい。ついては残留物を回収し、発信機送付に成功したターゲットの残留物と比較、また回収した基地の兵士への聞き取りと監視カメラの映像記録の確認を持って本人確認を行うものとする。資料の転送先は特殊第四部隊直属第三研究所】
 まずい事が書かれている。
「潜水艦の位置がバレてる?」
 やけに回りくどい特定方法であること、すぐに踏み込まないことなど、引っ掛かるところはいくらかある気がしたが、自身が失態を演じた、という事実を突きつけられ、空は慌てた。
 慌てた人間はミスを重ねる。
「誰だ!」
「しまった!」
 部屋に踏み込んできた兵士にT4アサルトライフルを向けられ、咄嗟にKH M4を発砲する。
 KH M4は彼女の持つ拳銃mark32と同じ会社のアサルトライフルで、空が元々いた世界で416と呼ばれていたものと似ている。同じ会社というだけでmark32と相性が良いと言うわけでは特に無いのだが、なんとなく気に入った空の主武装メインアームとなっている。
「こっちにも敵か!」
 しかし発砲音は周囲の敵を呼び寄せる。
 ――まずった、近接武器で仕留めるべきだった
 急いで部屋を飛び出す。
「コンタクト!」
 左からこちらに向かってきた兵士群に向け、アサルトライフル下部にマウントされたグレネードランチャーを発射する。
 爆発が通路を覆う。倒せたかまでは分からないが、確実に視界は塞いだ。
「カラ、今どこだ。撤収するぞ」
「あ、ウォルター、ちょっとまずっちゃったかも」
「なんだと? 今離脱のタイミングを逃せば、次がいつか、分かったもんじゃないぞ」
「分かってる。南のヘリポートから飛び出して転移するから、追っ手を狙撃して」
「分かった。三分後にヘリで狙撃可能ポイントを通過する。タイミングを合わせろよ」
「了解」
 腕時計のタイマーを三分にセットする。ここから南のヘリポートまで行くだけならすぐだ。一分で行ける。だが、それでは三分、ヘリポートで防衛戦をする羽目になる。
 ウォルターの狙撃の腕に問題は全くないが、ヘリがヘリポートを射程に抑えられる期間は限られている。その間に彼の使うCBD狙撃銃――空の知るSVDドラグノフ狙撃銃に似たセミオートマチックライフル――では五五人を足止めするのが限度だろう。
 五人……上回った分を空が倒すにしても空が二人倒せて合計七人程度を連れて三分ジャストにヘリポートに飛び出すのが最低ラインだ。
 五人より減らせるなら二分半にヘリポートに飛び出し、三分ジャストに現れるヘリに期待して先行して飛び降りに走ると言う手もある。
 頭の中でヘリポートに二分半で到達可能でかつ敵兵士が少ないルートを算出する。
 警戒度が上がっていることを加味するとどのルートもそれなりの接敵が予想されるか。
 なら、三分ジャストでヘリポートに向かうルートを構築。
 走り出しながら自身の残り装備を考える。
 銃火器は二つ。アサルトライフル、KH M4とハンドガンのmark 32。
 まずKH M4のグレネードランチャーは今使った。残弾は後一発あるが、装填作業中に敵と接敵する危険を考えると装填する時間はない。
 KH M4のマガジンの中には感覚で後二十発ほど。空は一回の指切り撃ちでだいたい五発の弾丸を使う。つまりそれぞれで一人倒せれば残り二十発でも最大四人は倒せる計算になる。そして予備マガジンはあと2つ。KH M4の装弾数は三十発だから、六十発。予備マガジン分で倒せる障害の数は最大で十二人。合計すると十六人までなら倒せる計算になる。
 mark 32は二十発装填で、予備マガジンは一つ。こちらは正直命中精度も高いとはいえないので一つのマガジンを使って一人を無力化できるか、と言ったところだ。つまり、この残弾で倒せる総数は二人、運が良ければ三人か四人。
 最後は各部に隠し持った単分子ナイフ。銃を装備している身なのであくまで至近距離でかち合った場合の緊急装備か、壁や天井、床を破壊しての任務遂行、所謂突き破りブリーチングのための装備であり、積極的に攻撃に用いるものでもない。が、両手に二本ずつの四本。足に三本ずつの六本。腰に二本の合計十二本がある。これは一本一本に必殺の力がある。まぁ接近すればの話だが、つまり最大で十二人を倒せる。
 まとめると、最大で排除可能な対象の数は三十人と言ったところ。
 ただこれも一度に一人ずつ相手取ったときの話、実際には多くの兵士が最低でも二人組以上の集団で活動しているので、必ずしもこの通りには行かないだろう。
「コンタクト! Sブロックの廊下だ!」
「ちっ」
 KH M4を構えて、狙いをつけ、一瞬引き金を引き、すぐ引き金から手を離す。さらにもう一人に狙いをつけて同じく。
 指切り撃ち、あるいは指切り点射と呼ばれる撃ち方だ。一般にフルオートで発射した弾丸は三、四発目以降はその反動リコイルによってまともにターゲットには当たらないとされていて、それゆえに一度に発射するのは三〜四発程度にするのが望ましいとされている。
 これを機能の側で実現しているのがいわゆる「三連バースト」だが、テクニックで実現するのが指切り撃ちだ。
 さも簡単に説明しているが、これはかなり熟練が必要なテクニックである。
 例えばKH M4は一秒間に11発もの弾丸を発射する。ということは、4発にとどめようと思うと、363ミリ秒、つまり0.36秒で引き金から指を離す必要がある、と説明するとその難しさが分かるかもしれない。
「ちっ」
 さて、先ほどかなり大雑把な計算として一度の指切り撃ちで一人ずつ倒せる、と言う都合の良い計算をしたが、物事はそううまく進まない。
 そもそもカグラ・コントラクターのほとんどは最低でも防弾装備を装着している。ここは基本的にテロも少ないIoLの物資集積拠点のため比較的戦力としては軽めで、ライフルを完全に防げるほどの防弾装備でこそないものの、数発を胴体に命中させる程度では命を奪えない。
 とはいえ防弾チョッキを貫通し、胴体を貫通したその弾丸が臓器を傷つけている可能性もある。この場合、数日の後にその兵士が亡くなる可能性もある。
 もちろん、今この場で敵兵士を排除したい空にとってはそれは全く無意味だが、これは逆に言うと胴体を貫通された兵士は可能な限りその場から撤退したい、周りはさせてやりたい、と考えるはず、と言うことだ。よって、胴体を貫通させてやれば、下がってくれる可能性はある。
 ある、のだが、生憎今この場にいる敵は二人のみであり、彼らは退くことではなく、後続が到着するまでここで足止めしてやる、とこう考えたらしい。まぁ当たり前と言えば当たり前の判断である。個と集団のどちらを優先されるべきかは個人個人の価値観だろうが、集団を優先するべきと考えた場合、個の事情を考えていちいち被弾する度に下げていられない時だってある。まして内蔵が損傷した程度なら、義体に置き換えると言う手もカグラ・コントラクターならば可能だ。
 そんなわけで敵二人はアサルトライフルを構え、空に反撃する。
「ちっ!」
 空はライフルに撃たれることも想定した防弾装備をしているが、とはいえ、当たらないに越したことはない。
 空は初撃による撃退が失敗したと見ると、即座に廊下の壁から迫り出している柱の裏に逃げ込む。
 敵はこちらが影に隠れたと見ると、フルオートでひたすら連射し、こちらを釘付けにする作戦に変更した。
 それにより空はそれにより身動きの取れば銃弾の雨にさらされてしまう制圧サプレッションされた状態にある。
「グレネードを使ってこないのは、生捕を命じられてるからか」
 KH M4の先端銃口の下に装着されているグレネードランチャーにグレネードを装填する。先程無駄と判断したグレネードを結局使うことになっている。
 ――こっちに来てから、こう言うことが増えたな
 世の中には綿密に計画を決めたいタイプと、ファジーな計画を立ててファジーに進めたいタイプがいる。空は前者だった。
 念には念を入れた下調べと、それらの情報から派生する前準備、そして複数の予備ルートさえ考慮した徹底した潜入計画。可能であれば類似の地形や廃墟で予行演習すらした。
 そして、自慢ではないが、それを完璧になぞって目標を手に入れてきた。
 過去に失敗したことは一度しかない。大阪のとある裏オークション。そこで落札されたある宝石。珍しく自分からではなく頼まれて行った盗みだった。
 空自身はその宝石に特に関心はなかったし、報酬もほぼないに等しかったが、空は決してあらゆる前準備に手を抜いた認識はない。
 けれど今でも脳裏に焼き付いている。あの顔面寸前にまで迫った寸延短刀。
 あの時は本当に焦った。日本国内なのに発砲され、今のように制圧されかけた。
 それをなんとか逃げ延びたと思った矢先のあの短刀の一撃。辛うじて避けてそのままビルから降りた……いや、落ちた。
 あれが怖くて盗みをやめようと思った。これまで盗みはハラハラしてドキドキして楽しいものだった。計画に失敗というものがあるなんて思っても見なかった。
 思えば、メイド喫茶から逃げた時もあれは周到さが仇になった気がする。
 あれもメイド喫茶からの逃げるルートを色々と考えて予行演習した結果、逃げるルート全てを抑えられた気がする。
 そしてどちらも共通するのは、突発的な行動がそれを解決している点だ。
 ――まぁ計画的な行動に失敗した結果のトラブルの解決なんだからそりゃ突発的なのは当たり前か
 とはいえ、アカシアに来て以来、悉く計画が計画通りに行かなくなってるのだけは確かだ。
「なんでぇ、むしろ物語の登場人物になったんだから、ある程度のご都合主義あって然るべきでしょ」
 転移能力や言語の自動翻訳、限定的な過去視といった能力は十分に特異的かつ作劇的にも都合の良い能力のはずだが、そういう認識はないらしい。
 さて、空は覚悟を決めて柱から飛び出し、グレネードランチャーでまとめて敵を吹き飛ばすつもりだったのだが、装填している間にさらに増援が到着していたらしく、また手榴弾を警戒してか、適度に分散した位置から、制圧射撃を続けていた。
 ――くっ、まずい、これ以上のロスは致命的すぎる。
 選択肢は二つ。
 柱に隠れた状態から後ろの角にまで撤退し、そのまま別ルートに進むか、
 空の持つ特殊能力である〝裂け目〟を生成しての転移を駆使してここを突破するか。
 脳内で次のルートを想像するが時折間近を掠める制圧射撃が空の冷静さを奪う。
 こう言った状況において、冷静さを維持しきれない人は往々にしてシンプルな選択に逃げてしまう。空はそのタイプであった。
「っ!」
 勢いよく柱から飛び出す。フルオートで連射していた敵はすぐにはこちらに対応出来ない。
 その間に右の人差し指と中指だけを伸ばした手を前に突き出し、真上から下に振り下ろす。
 直後、銃弾の雨が空に届く。
 間一髪、開かれた〝裂け目〟の中に飛び込んだ空は銃弾の雨によって穴だらけになることは避けられた。
「後ろだ!」
 飛び出した先は彼らが構える真後ろ、勘の鋭い男が叫び、反転し、他の兵士も続くが、空は速やかに角を曲がる。
 少なくとも二人は負傷している。四人なら、その二人を医務室に連れて行くことを優先してくれれば、事実上の全滅に当たる、
 勘違いされやすい事実だが、少なくとも人間の敵部隊相手に効果的に敵の数を減らす方法は実は殺害する事ではなく、負傷させる事である。
 これがたとえば非情な戦闘ロボットであるならいざ知らず、情を持つ人間である場合、救助すれば助けられる兵士を放置するという判断を下すことは容易ではない。それは即ち放置した選択をした人間が「見殺しにした」という事でもあるからだ。
 フィクションではよく「非情に徹する」という性格設定が登場するが、非情な判断を現地で下す、というのはフィクションの個性になりうる程度には特殊な才覚であり、多くの人間はそこまでは振り切れないことの方がほとんどである。
 そんなわけで、一人の兵士を救助可能な程度に負傷させることができれば、その兵士を助けるため一人から二人程度の兵士を下がるせる必要に迫られることになる。
 つまり、兵士一人を殺すのではその兵士一人を除去するにしか至らないが、兵士一人をうまく負傷させれば、兵士を三人程度を除去する事が可能になる。
 このため実は部隊というのはその戦力の50%が減じられた時点で実質的には戦闘続行が困難となる。多くの軍隊が損耗率50%を「全滅」と定義するのはこれに由来する。
 ――そうか、最悪、負傷させるだけさせて逃げれば、こういう展開もあるのか
 空も今初めてそれを理解した。
 そんなわけで、遠回りにはなったが、結果的には2回の指切り撃ちで四人を戦闘不能に追い込んだわけで、むしろ想定以上の価値を上げた、ということになる。
「コンタクト!」
 が、次なる問題は速やかに発生した。それは二階のヘリポートに向かうには必須の階段。その踊り場に遮蔽物を展開し敵が待ち構えていた。
 階段というのは厄介な場所で、敵に上を取られている上に、足場も不安定だ。
 しかも多くの場合、階段のすぐ下や階段を登る途中には遮蔽物がない。
 つまり、敵に上を取られた状態で、不安定な足場を遮蔽物なしで進むことを求められる。
 今回の場合踊り場が完全に遮蔽物により封鎖されていて、もはや一種の要塞と言えた。
「ここを攻略する時間はないか」
 しかし、もう一つの階段はこの建物の北側だ。大回りを要求される上、もし万一その階段もこのように要塞化されていたら、時間内に南のヘリポートに到達するのは不可能となる。
 腕時計を見る。残り時間は限られている。悩んでいる時間は何も生むない。
「ちっ」
 空は思い切って北側の階段に向かう。

 

「こ、コンタクト!」
 トイレから出てきた兵士が慌てて銃を向ける。
「くそっ」
 焦れていた空は推定残弾10発のマガジン全てを打ち切るまで引き金を引く。
 しかし、走りながらの射撃、まして指切りも無しで行われたそれはホロサイトで簡単に狙った程度の照準からは大幅にブレ、10発も放たれた銃弾は却って一発も兵士に当たらなかった。
「ああ、もう」
 KH M4を手放し、拳銃、mark32を構える。KH M4は空が体に巻き付けているアサルトライフル固定用の帯であるスリングにぶら下がる。
 拳銃を持つ利き手側の足を引き、利き手の腕をまっすぐに伸ばし、逆の手を利き手に添えるように握り込む、所謂ウィーバースタンスという構え方。何ヶ月もの訓練により拳銃を抜くと同時に自然と出来るまでに体に染み付けた。
 が、ハッキリ言ってこれも良い判断とは言えなかった。
 敵はトイレから出てきたところとは言え、スリングにアサルトライフルをぶら下げている。ふいに空に交戦したとは言え、敵はこれを速やかに構えた。
 対して空はアサルトライフルを10発乱射し、停止してから拳銃に持ち替え、構え直す。
 それだけの時間があれば、もはや敵が空に向けて引き金を引くのに猶予はなかった。
 拳銃を構えた空もアイアンサイト越しに敵を見て、それを理解した。
 ただ、その時には初速905m/秒の銃弾が秒間15発の頻度で空に襲いかかる。
「あぁ、もう、ほんとに!」
 先の空が撃った射撃がそうだったように、アサルトライフルを乱射したところで基本的に命中率は高くない。だがそれでもこの至近距離でそれも熟練の兵士が、弾倉が一杯の状態で撃ちまくればやはり多少は当たる。
 もちろんその1秒の間、空も棒立ちではない。もはや拳銃ではどうにもならないと察してmark32を手放し、左前腕裏に仕込まれていたナイフを右手で抜いて、突進する。被弾面積を狭めるべく、姿勢は低く、一気に走る。
 とはいえ近づくとなると敵の命中率はなお上昇するわけで、空は複数箇所に被弾したのを感じた。
 最初に感じた痛みは右の二の腕、弾が掠めたらしい。次に感じたのは左の脇腹、これは側面を擦過したというレベルではない、おそらく貫通された。続いて、左足、辛うじて擦過でも抉れたかもしれない。胴体に衝撃もあったから、防弾チョッキが胴体中央への攻撃は辛うじて防いだらしい。
 重くて邪魔だと思っていた防弾チョッキ、もし脱いでいたら、そう考えると空は少しだけ怖くなり、あくまで着るように強弁したウォルターとズークに感謝した。
 2秒経過。カグラ・コントラクターの使うT4アサルトライフルの装弾数は30。秒間15発の発射レートだから、2秒で弾切れする。敵は空の接近を考慮して腰にぶら下げたコンバットナイフを抜く。
 しかしそこは既に空のナイフのレンジ。ナイフを抜くために手を下に下げれば人の急所の一つたる首筋は完全に無防備。空には描くべきナイフの軌道が完全に赤いラインとして見えていた。
 右下から左上へ首筋を一閃。

 

 そして空は〝見〟た。

 

 娘と妻と歓談する様子。
 心配する妻に「後方の物資整理の仕事だから安全さ」と笑う様子。
 時間が少し巻き戻り「娘が生まれたからより安全な部署に配置換えをしたい」と嘆願する様子。
 改めて時間が進み「今敵は南の方で足止めされてるんだな? なら今のうちに家族に連絡してくるよ」と北のトイレに入る様子。


 全て、今殺した相手の話だった。

 ナイフという短い得物ゆえにダイレクトに伝わる人間を切る感覚、殺した相手もまた生活を持つ人間であると否応なしに伝えてくる幻覚。
 慣れない不快感に、堪らずナイフを取り落として嘔吐した。

 

「こんなことしてる場合じゃない」
 時間にしてわずか30秒ほど。
 先程の視点からして、北の階段はまだ封鎖されてないはず。
 本当なら、自身の痕跡である吐瀉物は回収する必要がある。まして敵はこちらの痕跡を集めていることが分かっているのだ。
 が、空は北の階段が封鎖され脱出が困難になる可能性を考慮し、時間のかかる吐瀉物の回収を諦めることにした。
 取り落とした単分子ナイフを拾って左前腕裏に装着し直し、mark32も拾ってホルスターにしまい直す。
 走り出しながら、KH M4を手で持ち直し、コッキングレバーを引いて固定し、マガジンリリースボタンを押して空になったマガジンを外し、胴体のマガジンポケットにしまってから、新しいマガジンをポケットから取り出してKH M4に差し込み、コッキングレバーを戻す。これでKH M4に装填済み残弾は三十、予備マガジンはあと一つ。
 ところで、実のところ空には〝裂け目"を開く能力があるわけで、脱出に使わないのは追っ手が来る可能性があること、開いてみるまで転移先が見えないこと何より自身の転移可能範囲がちゃんと分かってないこと、なのが理由なのであって、吐瀉物の処理くらいなら、吐瀉物の床と回収用の袋の間を"裂け目〟で繋げば良いだけなのだが。焦りに焦っている空はその事実には気付かない。

 

 走りながら負傷を確認する。体の数箇所に擦過傷、まぁこれはほぼ無視できる。痛いだけだ。
 左の脇腹、恐らく弾は貫通している。死ぬほど痛いが、ひとまず鉛中毒の心配がないだけでもありがたい。臓器の損傷についてはどうしようもない、どうにもならない場所は外れてる事を祈るしかない。
 最後に左足、抉れているのか、左足に体重を掛けると激しく痛む。
「お腹の止血だけは、しないとな」
 止血用のスティプラーを取り出し、胴体の穴をなんとか塞ぐ。
 さらに後ろ手に回して背中側の傷を塞ごうとするが、
「いった」
 如何せん背中に目はなく、走りながらであるため、スティプラーがうっかり傷口に侵入してしまい、より痛い思いをすることになったりする。
 そんな傷口を広げるような失敗をしつつ、諦めて立ち止まり、落ち着いて位置を探りながらなんとか背中の傷の止血に成功し、空は息を吐いて、ポーチにスティプラーを戻す。
 そして走りを再開する。
 ここでも空は自身の力を応用することに気付けていない。〝裂け目〟を背中に作れば見ながら作業するどころか、後ろ手ではなく直接背中にスティプラーを使えるのに。

 

 北の階段に到達。先程の兵士との連絡が途絶えたからか、二人の兵士が踊り場に控えていたが、KH M4のグレネードランチャーで一気に吹き飛ばす。
 グレネードの破片によって物言わぬ姿となった二人の兵士の上を進む。流石にいちいち殺した相手に内心謝ったりするような事は無くなった。良いことなのか悪いことなのかはわからない。
 廊下に出る。時計を見る残り30秒。
 こうなるともはやアサルトライフルで敵を倒すとか拳銃の命中率がどうとか、そう言う問題ではない。
 もはや、ただ走るだけだ。万一どこかにバリケードが張られているなら、そこは、迂回する。
 もはやひたすら走る。そして、後はウォルターの狙撃に期待するしかない。

 

「コンタクト!」
「コンタクト!」
 あちらこちらで声が上がる。
 足と脇腹の痛みに耐えながらひたすら走る。
「コンタクト!」
 ――近い、流石に当てられる……!
 危険を感じた空は後ろ歩きに切り替えてKH M4を指切りしながら三連続で射撃した。残り十五発。
 運良く三回目の射撃の二発目が男の頭部を貫通する。男が倒れたのを確認して、空は再び走り出す。

 

 三人ほどに後ろから攻撃されている。三人なら、ウォルターがやってくれる。
 ガラスを破り、ヘリポートに出る。
 強い風と雨が空に襲いかかった。
 ――迂闊、今日は嵐だった
 ヘリコプターに乗ったことのある人は少ないかもしれないが、ヘリコプターに強い風が吹き付けるとどうなるか想像できないという人は流石に少ないだろう。答えは揺れる。元々ヘリコプターは揺れるものだがそれが、より激しく、また不規則に揺れるようになる。
 ウォルターは優れた狙撃手ではあるし、狙撃に役立つ複数の義体やモジュールを備えてはいるが、ヘリコプターから狙撃をすると言うのはかなりの難易度である。
 そこに加えて嵐。これは単にヘリコプターが不規則に揺れると言うだけにとどまらず、放たれた弾丸も風の影響を受けて不規則にぶれる事を意味する。ウォルターもある程度風の影響を計算するモジュールを装備してはいるが、ヘリコプターに揺られながら、この嵐の中の風の動きを完全にシミュレートするのは不可能に違い。
 つまり、空の最初の「五人なら」という予測は既に誤った前提となった。
 激しく雨が地面を打つ音に紛れてローターが風を切る音が聞こえる。ウォルターはすぐそばまで来ている。ウォルターを信じて走るしかない。
 走る。追っ手の1人が右目を貫通されて倒れた。
 走る。雨の水が傷口に染みて痛い。
 走る。あろうことかウォルターの狙撃が空の髪をツーサイドアップに纏めているゴムのうち片方を貫通した。纏められていた髪が広がる。
 走る。危うく水溜りに足を取られかける。
 走る。狙撃が追っ手の足を貫通し、その場で転倒する。
 走る。もうすぐヘリポートの端。ここから飛び降りて転移すれば……。
 走る。背中に鈍痛。敵の弾丸が背中の防弾プレートにヒットしたらしい。
 走る。踏み切る寸前、振り返って引き金を引く。弾丸は出ない。
 ――そうだ、さっき二度振り返って牽制で射撃をしたんだった。
 落下が始まる。敵はこちらにアサルトライフルを向け、発砲を続ける。
 〝裂け目〟を開く。
 右肩を弾丸が貫通し、激しい痛みが生じる。
 〝裂け目〟の中に落ちる。
 〝裂け目〟が閉じ始める。
 消えゆく〝裂け目〟の向こう側で最後の兵士がどこかを狙撃されて倒れて、落ちてくるのが見える。
 空と兵士が接触するより先に〝裂け目〟が閉じる。
 ウォルターが険しい顔で呼びかけている。
 右肩の傷を手当てしてくれているらしい、と空は理解する。
 けれど空は疲れ果てて返事をする気力も湧かず、そのまま気絶するように眠りについた。

 

◆ ◆ ◆

 

 数日後。貫通された腹と肩の傷がいえるまで、最低でも半月は休むように言われた空だったが、そうはいかない理由があった。
 止まない鈍痛に耐えながら体を起こす。


「却下します」
「どうしてですか!」
 空の提案は単純明快。
 特殊第四部隊にこの潜水艦の情報が漏れている。その情報は特殊第四部隊直属第三研究所のサーバーに集積されている。
 集積されている情報が解析され、この潜水艦の位置が容易に特定可能になってしまう前に、この研究所、ひいてはサーバーを攻撃しこの潜水艦を攻撃的に防衛するべきだと言うものだ。
 しかし、これは今却下された。空は当然食い下がるが。
「あなたにはまだ作戦立案権がありません。また近接戦闘と隠密のスコアはそれなりですが、射撃スコアは戦線に出るには充分とは言えない状態です。部下を任せられるレベルとは到底言えません。またなにより、部隊からはぐれるケースが多すぎます。作戦立案に着くには協調性が致命的に欠けています」
 レジスタンスとは言え組織、幕僚の返答は至極真っ当であった。
「だいたい、今回の作戦もあなた一人のためにヘリパイロットと狙撃手を危険に晒したのですよ。あれでどちらか、あるいは両方を失ったと考えてみなさい、あなたの命で釣り合いが取れると言えますか?」
「ぐっ」
 言い返したいが、この状況下で有効な反論は空に浮かばなかった。
「最低でも自身の迂闊な行動が仲間を危険に晒すのだと言う事が理解出来ないようでは、あなたの作戦に付き合うことはできません。それから、その怪我では本部勤務は揺れが障るでしょう。明日の寄港で地上の支部勤務に転属してもらいます」
「そんな!」
 この情報の宝庫を追い出されるのは困る。
「なんですか? そんな額に脂汗を浮かべておいて、何か反論でも?」
 幕僚の視線がそれが司令からの正式な決定である事を告げていた。
 どうしようもなく、部屋を出て、扉の前で呆然と立つ。
「どうしよう……」
 カグラ・コントラクターからは目をつけられてる、情報の宝庫からは追い出される。
(いっそ、カグラ・コントラクターに自主的に協力したら、元の世界に帰るのにも協力してくれないかな)
(けど、異世界植民地計画だもんなぁ)
 それは空も小説という形で知る様々な異世界が彼らに蹂躙され、支配されるということ。
 支配される事を嫌う空である。そんな事はやっぱり認められない。
 考え事をしてる最中に潜水艦が大きく動きを変えたらしく足元が揺さぶられ、体がふらつく。
「おおっ、と」
「おっと、大丈夫か?」
 いつの間にか近くに来ていたウォルターに支えられる。
「あ、ありがとう」
 空はなんとか作り笑いをしてウォルターから離れる。
「で、幕僚室から出てきたよな? 怪我人を呼びつけて説教か? 怪我人は安静にって知らないのか。どれ、老兵の身として一言」
「あ、待って、違うの。私が押しかけたの。伝えないとならない事があって……」
 再び強い揺れが襲い、空がバランスを崩す。慌ててウォルターが支える。
「ひどい汗だし、息も上がってる、とりあえず食堂で休もう。話もそこで聞く」
 ウォルターが空を支えた食堂へ向かう。
 その間にも何度も揺れが襲い、空の傷口が痛む。
「やけに揺れるな。なぜこんなに蛇行してるんだ?」
「もしかしたら……、警戒が激しいのかも」
「何か知ってるのか? そうか、幕僚室の件と関係があるんだな?」
「そう。この潜水艦の位置が、カグラ・コントラクターにバレてるかもしれないの」
 空はあらためて幕僚室で話したのと同じ内容をウォルターに話して聞かせる。痛みに呻きながら、船の揺れに苦しみながらだったので時間がかかったが、途中で食堂についてからは説明も加速し、ウォルターもコーヒーを用意する少しの間以外は集中して空の話を聞いていた。
「なるほど。確かにお前は独断専行の気があるからな。レジスタンスに来るまでは単独行動が多かった、当たりだろ? 俺もそうだ。猟師だった頃は誰ともつるまずに一人でずっと狩りをしていた」
 それは空の知らない過去だった。
「だが、そのせいで大きな状況の変化に気付けなかった。多くの猟師がお互いに警告しあって状況の変化に対応しようとしてたのに、俺はそれに追従できなかった……。いや、説教しようというわけじゃないが、まぁ100%仲良くする必要はないが、こうパイプとして使える程度の仲間は持っとくと便利だぞ。今みたいにな。少し待っててくれ」
 何か意味深なことを言って、ウォルターが席を離れる。
 しばらくするとどこか嬉しそうにウォルターが戻ってきた。
「上手くいったぞ。次の寄港で陸上勤務になると同時に作戦開始だ」
「すごい、どうやったの?」
「凄いのは俺か、お前か。スターゲイズに声をかけたのさ。お前には友人を救ってもらった恩があるから、と快諾してくれたぞ」
「スターゲイズ……」
「それから、ズークとケインも一緒だ。第552物資集積所の時に単身で集積所に入って物資を回収してしかもトラックを盗み出して逃走も助けるって大活躍だったからな。お前がいなかったら三人ともあそこで失格だったから、その恩ってとこじゃないか? な、パイプとして使える程度の仲間はいた方が便利だろう」
「ん、確かに……」
 そうなのかもしれない、と空も少し思った。実際、まさかこんな形でつい先程途絶えたと思った道が再び繋がるとは思ってもみなかった。
「よし。じゃ部屋に戻って休めよ。どうせ止めても前線に出たがるんだろうから、せめて出撃まで可能な限り傷を癒しとけ」
「うん、ありがと」


 そして一週間後、潜水艦は浮上し、輸送潜水艦ミルヒクーと物資交換を行う。
 陸上勤務に転属となる空も輸送潜水艦に乗り換えて地上に上陸することとなる。同じく陸上に移動して空と共に任務をすることになるウォルターもこっそりと輸送潜水艦に忍び込んだ。

 

 この輸送潜水艦は「シンギング・ドルフィン」というUJFユジフのPMCが保有するものだ。
 彼らは海上戦力を中心として保有する珍しいPMCであり、その珍しさから海上の仕事に関してはカグラ・コントラクターに次ぐ第二の規模を持ち、その規模の大きさゆえに御神楽財閥の政治的/経済的攻撃からも見逃されていると言われている。
 そして大きすぎる組織には組織そのものの他にいくつもの派閥が形成され、もはや組織のリーダーがその全ての思想を制御することはできなくなる。シンギング・ドルフィンも例外ではなく、内部には密かにレジスタンスのシンパもおり、彼らにより、この輸送潜水艦が徴用されている。表向きはとあるペーパーカンパニーから依頼される一月一回の輸送任務ということになっている。

 

 こうして、空とこっそりと忍び込んだウォルターは、レジスタンスのペーパーカンパニーが独占契約しているシンギング・ドルフィンの港に到着する。
 輸送潜水艦を降りると同時、空は今度は別の陸運系PMCの人員輸送車に乗るように促される。
「おおっと、待ってくれ、少し事情が変わってね、彼女はそっちじゃなくて、こっちの作戦に加わるんだ」
 ウォルターがさも外から走ってきたかのように装い、空と空を促す兵士を止める。
「なんだと、そんな話は聞いていないが……」
 そう言いながら、兵士がウォルターにスキャナを向ける。
「PMC「アイ・オブ・ホーク」のウォルターか。一般戦闘員のようだが、書類もなし、上官も連れずにではとても信用できない」
「あぁ、上官が間も無く来る。少し間に合いそうにないから止めるようにと命じられたのさ」
 訝しむ兵士に対して義体の足を見せつけるウォルター。
 兵士達は顔を見合わせ、ウォルターの話をあり得ないとは言い切れない、と判断する。
「分かった。だがこちらも時間通りが信条でね、後10分も遅れたら間に合わなくなる」
「あぁ、まぁそれは仕方ないな。十分経ってまだ来ないようなら、行ってくれ、それは流石に遅刻した上司のミスだ」
「話が早くて助かる。ならこちらは確かに十分待ったという書付を発行しよう」
「あぁ、助かるよ」
 ウォルターが頷く。
 やがて二分ほど遅れてスターゲイズが乗ったクルマがやってくる。数人が乗れる大型のバンだ。
「やぁウォルター、間に合ったか。あぁ、どうもすみませんね、こちらの事情で」
「一応、スキャン失礼しますよ」
「あぁ、もちろん」
「PMC「エリアル・フロントライン」の……教習施設長! 失礼しました」
 二人の兵士が姿勢を正して敬礼する。 
「あぁ、構わないよ。こちらこそこちらのパワーゲームに巻き込んですまないね」
「いえいえ、よくあることですから」
 スターゲイズの言葉に得心がいったと、兵士が頷く。PMCに限らず上層部複数派閥のパワーゲームにより直前で指示が変わるということは珍しいというほどの事ではない。まして今のクライアントは複数のPMCの連盟アライアンス、お互いが自身の利益のために綱引きをしていることは容易に想像出来た。
 まして彼らは自身の受け取る物資がその連盟アライアンスの本部からのものだと知っていたから、尚のことだ。本部に勤務するほどの人間なら、どこだって欲しがっても不思議ではなかった。
「それでは我々はこれで」
 陸運のトラックが走り出す。
「久しぶりだね、空君」
「こちらこそ、スターゲイズ。今回は私に代わって作戦の立案をしていただき……」
「あぁそれは少し違う。作戦の立案はしていない。どんな理由を並べてもレジスタンスが物資集積所以外の襲撃なんて許してはくれないだろうからね。僕らは言わば、影の部隊だ」
「そこまでしてくれてたんだ、ありがとう……。ズークとケインも」
「折角レジスタンスに入ったのにカグラ・コントラクターにちまちま嫌がらせするしかなかったからな。トクヨンの研究所の攻撃なんて、願ったり叶ったりだ」
「これまでもよく縁が有りましたしね。暁の神の導きなんだろう」
「よし、挨拶は終わったな? 簡単にこれからのことを説明する。スクリーンを見てくれ」
 バンの中の運転席の後ろに大きなスクリーンがぶら下がり映像が投影される。どうやら、スターゲイズの持つパソコンのモニターの映像らしい。
「我々の目指すトクヨン第三研究所はゴールデンステートのラス・ストレリチアに存在する。ここだ。北ソルヴァル大陸の地理に詳しくない奴もいるかもしれないから、念のため説明するが、ゴールデン州は西海岸と呼ばれる地域に位置する。イオルの西側の端だ」
 地図上でゴールデン州とラス・ストレリチアLSの位置が示される。地図上左端の辺りだ。
 ラス・ストレリチア。略称はLS。ゴールデン州一の大都市であるどころか、イオルの中でも屈指の大都市であり、イオルで二番目の人口を誇る。
 フィグウッドと呼ばれる世界的に有名な映画スタジオが存在し、イオルで最も規模の大きい桜花人街「リトル・セイキョー」が存在する。
 要は地球におけるロサンゼルスの事だ、と空は頭の中で整理する。
「一方、今の私達がいるのはサンシャインステートのデイドにいる。カリナゴ海の玄関口だな。そしてこれが一番大事な事だが、これは東海岸にあたる。イオルの東側の端だ」
 地図上でサンシャイン州とデイドの位置が示される。地図上右端の辺りだ。
 デイドはサンシャイン州の南端の港湾都市であり、観光都市であり、イオルの裏庭として知られるカリナゴ海の玄関口とされる。要は地球におけるマイアミの事になる。
 基本的にレジスタンスの本部である潜水艦はカリナゴ海近くを航行しているため、必然的にそこから上陸するとなるとこの辺になるのは納得だ。
「すごく遠いんだな」
 ズークが理解した、と頷く。
「あぁ。休みなしで走らせて一巡と一日と六時間ってところだ」
「おいおい、敵の拠点はいつもの集積基地や輸送船とは比にならない場所なんだろ? そんな長時間このバンで揺られてたらくたびれて、戦う前に負けちまうぜ」
 ウォルターが難色を示す。
 一巡、とは地球では聞きなれない表現だが、一日が八時間しかないアカシア特有の表現だ。一日が八時間しかないアカシアでは、やがて三日のうち一日を丸一日睡眠時間に充てるのが基本となっており、三日を一単位として「一巡」と言う単位が定着している。
 カレンダーの日付も一巡目の一日目1-1のように表現し、一月に28巡という形だ。
「あぁ、そこで、寝台列車のチケットを確保した。LSまでは三巡ほどかかるが、ま、ゆっくりは出来るだろう」
「それは良い。空の傷もまだ完治とはいかないようだし、ゆっくり出来るならそれに越したことはない」
「完治とはいかない、ねぇ」
 ウォルターがうんうん、と頷く。
 反面、ケインが意味深な視線を空に向ける。
(ケインには無理してるのバレてるなぁ、さすが体術の天才ってところか)
「だがその三巡の間に情報収集が完全に完了して、潜水艦が攻撃を受けたらどうする?」
「その時はその時だろう。急ぐとして、強行軍で戦って負けては元も子もない」
 ズークが懸念事項を口にしたが、強行軍に賛成出来ないのは確からしく、それ以上の追及はしなかった。
「武器はどうするの? 素手で戦えるケインはともかく、私にはM4やmark 32、ウォルターにはCBDとPYa、ズークにはLagefeuerラガーファイアーHornホーンが、スターゲイズもT4が、それぞれ必要でしょ」
 PYaはウォルターの拳銃サイドアームで、地球におけるMP-443に類似した武器だ。
 ズークの持つ二つの武器はゲリラ時代から愛用している武器で、所属していたゲリラが独自に改造を重ねた独特な銃で原型は推測するしかないが、以下のようなものだ。
 Lagefeuerは地球におけるAK-47を改造したらしきアサルトライフルで、あらゆるオプションを削ぎ落とし軽量化が図られている。その無茶な軽量化は僅か一マガジンを発射し切るだけで銃身が赤熱化するほどで、それゆえに「キャンプファイアー」の名前で知られている。ズークのものは銃身に油性の混合物フォッグオイルが塗られており、赤熱化時にその熱で膨大な煙幕を放出するという性質を持つ。
 Hornは地球におけるVAG-73を改造したらしきハンドガンで、フルオート発射可能かつ50発もの装弾数を持ち、Lagefeuerのすぐ赤熱化するが故に連射が効かない部分を補っている。また、特殊な軽装ケースレス弾を使っているため、大きな音が出る特徴があり、普段は制音器サプレッサーで音を抑えているが、外す事で激しい音を立てて気を引いたり、またズークの音の反響で周囲の敵や壁の配置を把握するという才能の助けになる。
「まず、ハンドガンに関してはPMCの名義でチケットを取っているから持ち込みが可能だ。ただ、アサルトライフルやスナイパーライフルは無理だからな。このバンに置いていってくれ、このバンごと陸運系のPMCに預けて、LSで回収する」
「空が転移できれば便利なのにな」
「私もそう思う」
 だって私の知る〝カラ〟はもっと広い範囲を飛べていたし。IoLを横断するくらいきっと余裕だったはずだ。

 

 列車の旅はつつがなく進んだ。というか、正直傷が全然癒えていない空は食事の時以外ずっとベッドで寝ていたため、景色すら記憶にない。
 一つだけ記憶に残ったのは、この大陸横断寝台鉄道はソルトラックという旅客公社が運営しているということで、この大陸横断鉄道は彼らの数少ない生命線であるということだった。
 現在の陸上公共交通機関はカグラ・リニアラインの運用するリニアモーターカーにシェアを奪われており、現在カグラ・コントラクターが開発中の大陸横断リニアモーターカーが完成するといよいよソルトラックの継続は厳しくなるとのことだった。
 ちなみにこの情報はスターゲイズが食事中に話の肴に、と切り出した話題だったが、ここにいるメンツはどちらかというと報酬目当てでレジスタンスに入っていたため、あまり盛り上がらずに終わった。
 裏を返すと、スターゲイズはそれなりに本気でレジスタンス活動をしているということか。

 

 そして朝にはLSに到着するという夜。
「夜中にすみませんね」
 部屋にケインが訪れた。これまでケインとは作戦中ばかりだったから、敬語のケインはしばらく慣れなかったが、三巡もすると流石に慣れてきた。
「傷、まだ痛むのでしょう?」
「あはは、やっぱりわかっちゃってたか」
 ここ二日電車内の移動などでもケインはたびたびこっそりと手助けをしてくれていた。他の三人がすっかり私は回復したと信じているのはケインのおかげと言って良い。
「明日の作戦開始までに回復は間に合わないと見ました」
「確かにそうかも……。でも、行かないわけにはいかないでしょう?」
「うん。カグラ・コントラクターの、特に最強と言われる特殊第四部隊の直轄施設という危険な拠点に突入するにあたって、電子戦要員は欠かせない」
 本題が見えてこない、と空は少し悩む。
 ケインは割と口下手な人間なので、まぁこう言うことはある。
(本題を聞くべきか、しかし、それで萎縮させるとまずいかな)
「それで、整体、どうかと」
「整体?」
 整体で傷の痛みって取れる? 空は向こうから本題を切り出してきたことに安心しつつ、提案に困惑した。
「そう。昔……殺ししかできない自分を抜け出すために、いくつかの職を試したことがある」
「そうだったんだ。でもダメだったんだよね」
「うん。けど、整体だけは少し違って。教えられたツボとかは上手く押せなかったんだけど、私がやると数日痛みを感じなくなるらしくて……」
 まぁ仕事にはならないから結局クビになったんだけど、とボソボソ続く。
「え」
 破壊しか出来ない生まれと言う設定のケインが整体をやると整体された側は痛みを感じなくなる? それは痛覚を感じる神経的なものが全部死に絶えるとかそう言う奴なのでは?
 空の頭の中で危険信号がチカチカチカチカと激しく明滅する。その中心にあるのはケインのキャラクターシートにあった成功要素「殺戮遺伝子」。
(いやいやいやいや、絶対やばいやばいよ。なんなら一生感覚という感覚が戻ってこなくなるよ)
 遠慮します、その言葉が喉の奥まででかかる。
(けど、次の作戦を成功するためには、明日一日痛みを感じないようにでもなる必要は、ある)
 この前のようにミスは出来ない。痛みが判断力を失わせ、なんで事態は避けねばならない。
 空は二度深呼吸して、覚悟を決めた。
「分かった。お願いします」
「うん」
 空の空気の変化を感じ、ケインも真面目な表情で頷き返す。
 ケインに促されるまま、背中を露出させ、ベットにうつ伏せになる。
 ケインが背中に手をかけ、力がかかる。
 グキッ。
「ガァァァァァァァァァァぁぁっっっっ!!!!」
 女性らしからぬ濁った声が部屋中にこだました。
(死んだ、これは死んだ。脊髄をやられたよ、最低でも半身不随確定だよ!!!!)
 叫び声のために口に出ない言葉が頭の中で舞う。
 しかしそれで終わらない。
 ゴキッ。
「あ゛あ゛あ゛っ、がっ、あ゛あ゛!!!」
 頭の中は真っ白になった。

 

 その後何度か激しい痛みがあった気がする。
 気がつくと自分はベッドに腰掛けていた。
 朧げな記憶で施術が終わった後に二人でホットミルクを飲んだ気がする。
 その証拠にテーブルの上に自分の分のマグカップが放置してある。
(あれ?)
 空は気付いた。痛みが、ない?
(さらば、私の痛覚神経……)
 けれど、
(これなら、明日は全力で臨める!)
 そう拳を握った瞬間、それで頭に血がどうかしたのか、貧血のように意識が薄くなり、そのまま眠りに落ちた。
(やっぱこれ、代償がやばい予感しかしないよ)
 と言う思考が現実で行われたのか夢の中で行われたのかは定かではない。

 

 翌朝、LSにて。
「では作戦を簡単に説明する」
 改めてバンの中でスクリーンを見ながら、作戦を考えることとなった。
「まず、今回の作戦に先立って、この周辺の物資集積所複数に同時攻撃を仕掛ける。トクヨンは独立部隊とはいえ、周辺の基地が攻撃を受ければ支援しないわけにはいかないだろう。このタイミングで少数……具体的にはここにいるメンバーのみで基地に侵入する」
「で、サーバールームを破壊工作サボタージュか」
「いや、空君にクラッキングしてもらい、集積した情報を削除してもらう」
「クラッキング? データはサーバーに集められてるんだろう? なぜわざわざ時間のかかることをする。防衛戦になれば数で大きく劣る我々は不利だぞ」
「より詳しくはワームウイルスを送り込むんだけど、要はここ以外にバックアップを取ってる場合、サーバーを壊すだけじゃ足りないからだよ、というより、確実に取ってると思うけど」
「なるほど、それは空に賛成だ。優れた者は何重も予備プランを用意しておくものだ。カグラ・コントラクターほどの組織がバックアップを一切取っていないとは思えない」
 ズークの質問に空が答えるとウォルターはなるほど、と頷く。
「今回送り込むワームウイルスはレジスタンスに関する情報を全て削除した上で、元々あったデータになりすまして、バックアップの更新のタイミングでバックアップサーバーやストレージに侵入、その中のデータも削除する。要はバックアップされるべきデータになりすましでバックアップされることで、バックアップサーバーやストレージに入り込むってことだね。トクヨンの人達がバックアップをどういう経路で取ってるのかは分からないけど、この方法なら想定されるほとんどの可能性に対抗できる」
 本当は半分は嘘で、トクヨンの情報が欲しいからだ。だからワームはサーバー内のデータを全部フラッシュメモリに保存するようになっている。
「ネットワークでの随時自動更新、手動のデータ移動、バッチ処理による定期更新……、うん、それはいけそうだ」
 ケインが敵の想定される手段をぶつぶつ呟きてから、頷く。
「となると、我々はこっそりと敵基地に侵入し、そのままこっそりサーバールームで作業して、そのまま気付かれずに基地を脱出するのか?」
「それがベストだ。だが、空君のクラッキング技術がいかに優れていたとしても、流石にトクヨンのセキュリティだ、侵入しようとした時点で、あるいはある程度侵入したところで気付かれる可能性は否めない……いや高いだろう」
「というより、流石にそれは避けられないと私も思うよ」
 謙虚なふりをしているが、実際にはなにせワームは大規模なデータ転送を行うわけなので、実際にはおそらくほぼ確実に気付かれる。
「ってことはサーバールームの前で防衛戦か。遮蔽物を設置して籠城するしかないな」
携行遮蔽物ポータブルカバーを幾つか用意してある。各自三枚ずつほど背負っていってくれ」
「ステルス任務なのにガシャガシャ音を鳴らしそうなものを持ち歩くと言うのはゾッとしないが、防衛戦ではこれの有無が生死を分ける、か」
 ポータブルカバーは細長い同じ形の板が5個ほど重なった大きめの角材のような見た目の金属の塊に、細かいパーツのついたものだ。詳細は使用時に触れるのでここでは携行時の見た目のみの言及に留める。
「他に確認しておきたいことは?」
「撤収はどうする? サーバールームで籠城してる状況から、打って出て廊下を突破するのは不可能に近いぞ」
「そこは空が〝裂け目〟を作って外に連れ出せば良いだろう。サーバールームの厳密な場所が分からないから入るのは難しいだろうが、出る方は簡単だ。施設のサイズから言っても、これまでの最大転移可能距離を下回っている。一度の転移ではすぐ追い付かれるかもしれないから、数回重ねられればベストだな」
「うん、そこは任せて」
 盗みに能力を使わないのが信条だが、まさかそれに他人の命を任せるわけにはいかないか。
「クラッキングは空、逃走ルートも空。なるほど、空があらゆる点で今回の作戦のキーパーソンだな。命に代えてでも守るべき護衛目標ってとこだ」
 ウォルターが頷く。
「時間だ。各攻撃隊が集積基地を攻撃し始めた。我々も移動の準備をしよう」
 一行が一斉にスリングや各種装備の確認を始める。
 空もまずはスリングの調子を確かめ、KH M4に現在装填中のマガジンを一度取り外して中身を確認した上で再装填。レーザーサイトの電源を入れて手近な壁に赤い光点が生じるのをチェックした後、ホロサイトの電源を確認し覗き込み、表示を確認、セーフティの具合をチェック、続いて拳銃を取り出し、同じくマガジンを取り出して中身を確認し再装填し、ホルスターに戻す。各部のナイフがちゃんとついているのを手で感触を確認……するのは不安なので念のため取り外し確認し、取り付け直す。最後に予備マガジンの装填具合を一つずつ確認し、準備は完了となった。

 

「うわ、これは厄介かも」
 一行の最初の仕事は空のいつものお決まりの仕事、つまり基地内の構造把握だった。
 多くのPMCでは監視カメラなどのセキュリティデータをネットワークで本社や本部、あるいは保安担当の部署に送っている。
 この通信データを途中で盗聴する事で監視カメラの映像を覗き見て、その映像から基地内部の構造と監視カメラが写す範囲を把握する。
 そのための方法はいろいろあり、一番簡単なのはメディアコンバータのコネクタに光ファイバカプラを使いデータを得る方法だ。民間の企業や集合住宅などであればこの手段が可能だが、流石に軍事組織ともなるとその手のコネクタは敷地を仕切る塀の内側にあり、侵入してからでないと無理、という事になる。
 次点の方法がカプラクリップと空は呼んでいるクリップ状のアイテムを使う方法で、このクリップは光ファイバを少しだけ折り曲げる事で光を漏らし、その光を盗み見て情報を抜き取るものだ。2章や3章で空が使ったのもこの手段だ。ただこの方法にも欠点はあり、光が漏れるため光が減衰する事から、光出力の強度を監視されるとバレてしまう。
 空がいつものように電柱を登って、ふとコンバータを見た時、そこに見覚えのないパーツが噛ませてあることに気づいた。地球で一度だけ似たパーツを見た事がある。恐らく光出力を監視する装置だ。
 最後の手段としては光ファイバーを切断し、両端にコネクタを繋ぎ直して、直接光ファイバーの中身を覗き見る方法だ。もちろん手間がかかり、ある程度手慣れた空でさえ10分は下らない上、当然その間通信が途絶えることになる。光ファイバーを繋ぎ直さないとならない以上、コネクタも使い捨てになる。まぁそれは仕方ないとしても。説明するまでもないが、こっそり侵入したい今回の目的にはそぐわない。
「どうしたものかな」
「ふむ、電柱からコンバータが見えたと言ったね? なら、こことコンバータの目前を〝裂け目〟で繋げば、ここから作業出来るのではないかな」
「あ」
 スターゲイズが提案する。
 空はその手があったか、と驚く。〝裂け目〟には空が思う以上の使い道がいろいろあるようだ。
 かくして想像よりあっさりと、基地の構造と監視カメラの情報が手に入った。
(ここでバックアップのための圧縮データでも流れてくれればよかったけど、そう上手くはいかないか)
「基地の北半分がデータセンターになっていて、南が研究施設か。思ったより敵兵はいないんじゃないか?」
「そうだね、監視カメラで見てもそこまで敵は見当たらなかったよ」
「となると侵入経路としては、このトイレ個室の壁を外から突き破っブリーチングして、と言うところか。個室を閉鎖したままにしておけば、数時間は隠し通せるだろう」
「サーバーまではここの通気ダクトが使えるね。結構狭いみたいだから身軽な私が単独で移動してサーバールーム到達すると同時に、〝裂け目〟を生成してみんなを招き入れる」
「いや、一人は危険だ。マンツーマンの原則を意識すべきだな。空より先に安全確保する要因……ベストはケインだが」
「ちょっと狭すぎる……」
「となるとズークになるか。いけるか?」
「まぁどっちかというと陽動向きではあるが、やれるさ。ただ、流石にHornだと不安だな」
 Hornは見かけだけでいえば制音器サプレッサーのついた、さも隠密用の武器といった見た目だが、実際には外すと音が大きすぎるものを辛うじて普通程度にまで制音している、という性質のもので、とても隠密向きではない。
「じゃあ、先行時は私のmark32を使う?」
 空のmark32は元々特殊部隊用に作られた拳銃で専用の制音器サプレッサーを用いる事で極めて音を小さくする事が出来るため、この状況には合致していると言えた。
「そうすると空は武器なしになるが、空はナイフもあるからな」
 それを言うとズークもナイフくらいは使えるが、ズークは何も言わなかった。
「よし、なら作戦開始だ」
 スタートの早いウォルターとケインが早速二人がかりで塀を乗り越える。片方がもう片方を塀の上に持ち上げ、持ち上げられた片方が塀の上からもう片方を引き上げる、と言うよくあるやつだ。
「……二階はないのか?」
 ふと、スターゲイズが疑問を口にする。
「? はい、監視カメラの中にそれらしいものはありませんでした。見ての通りマッピングには綻びはないですし……」
「ふむ、そうか」
(あの高さで一階建て……などと言う事があるだろうか)
 スターゲイズが唸る。
「行きましょう」
 スターゲイズは少し気になったが、皆が進んでいくので、思考は中断し、彼らに続く事とした。

 

 外縁の警備をうまくすり抜けて、トイレの個室がある場所まで到着する。
「空」
「うん」
 空が単分子ナイフを取り出し、まず瞳程度の大きさの穴を開ける。いわゆる覗き穴だ。先がトイレの個室であることと、誰もいないことを確認し、改めて大きく壁を切り取る。
 空とズークがそれぞれスリングとチョッキやポーチ、背負っていたポータブルカバーなどを取り外し、仲間に預け、空はmark32をズークに渡す。
 ズークはmark32のマガジンの中身を一度取り出して確認、サプレッサーの取り付けとフラッシュライトの具合、最後に安全装置セーフティを確認してから頷いて通気ダクトに入っていく。
 空は1分だけ待って、それに続く。

 

 幸い構造図はほぼ完璧な構造になっており、ダクトの中は構造図を参考にサーバーの方に進むだけで済んだ。
 一箇所、必要のない場所で何かを迂回するように俺曲がったのは不思議だったが。
 ――そういえば構造図でもこの場所だけ線対象じゃないんだな、少し不思議
 まぁ、大したことではない、と空は考えた。基本的に自身を一つの戦闘単位と考えているズークはもとよりである。
 空はサーバールームに到達すると同時に〝裂け目〟を生成。〝裂け目〟を通って全員がサーバールームに集合した。
「よし、ポータブルカバーはすぐ廊下に設置できるように出口の脇にかけておけ」
「設置はしないのですか?」
「今設置したらここに俺たちがいるとバラすようなものだ。少し奥の暗闇から外の様子だけ伺っておこう。空、こっちを待つことはない、はじめてくれ」
「了解」
 空は防弾チョッキとスリングを装着し直しながら、スターゲイズが用意してくれたラップトップPCを取り出し、サーバーのポートに差し込む。
「よし、やるか」
 表示されたログイン画面に対し、複数のアプリケーションを立ち上げる。まずはお決まりのディクショナリ攻撃から……。

 

「よし、入った!」
 ワームの設定を再確認し、サーバーに送り込む。直後、カウンター攻撃が襲いかかり、ラップトップPCは即座に破壊された。
「気付かれた!」
「ポータブルカバー展開!」
 スターゲイズの指示にズークとケインが出口へと走り、一つずつポータブルカバーを手にとって、廊下に並べる。
 取っ手がついているのを手前にして、その反対側についたアウトリガーのうち真ん中寄りにあって蝶番のついていない二つを地面に押し当て、上を向いているレバーを下向きに下げるとてこの原理で杭が降りて地面に食い込む。
 その後、下がっているシャッターをあげるように、二つの取手を手にとって持ち上げると、重なっている板が一つずつ板の上に伸びていき、その場にしゃがむ事で飛んでくる弾丸から身を隠せる程度の金属の壁が出現した。これを固定するために取手の上下についていた細長い柱を壁の側面沿って地面まで到達させ、柱の内側に収納されていたレバーを引き出して下げると、壁が完全に固定される。
 そして残ったアウトリガーのうち蝶番のついている残りの二つを蝶番を使って手前側に移動させ、レバーを下げて杭を打って固定する。
 これがポータブルカバー。携行遮蔽物の桜花語の通り持ち歩いて設置可能な遮蔽物である。
「コンタクト!」
 直後、奥から兵士が現れこちらに発砲してくる。
 慌ててズークとケインが展開した遮蔽物に身を隠すと、遮蔽物はその役割を果たし、弾丸を受け止める。
 爆発物を持ち込まれると流石にまずいが、後ろは彼らの守る必要のあるサーバールーム。流石にそんな危険は冒さないだろう。同様の理由で貫通力が高すぎる対物ライフルなどで抜かれる心配もひとまずはないはずだ。
 後はズークとスターゲイズ、ウォルターの三人が遮蔽物から随時射撃し、接近を抑止する。
 あくまで近接攻撃しかできないケインは少し手持ち無沙汰だが、状況は安定していると言えた。

 

 一方で安定していないのは、焦りに焦った空だった。
 ――フラッシュメモリがない!?
 そういえば、一度もチェックしていなかった。
 ――だ、大丈夫。〝裂け目〟で回収すれば良い。落としたところを探そう
 しかし、どれだけ探しても見つからない。時間だけがただ過ぎていく。
「空、落ち着け。こっちは余裕がある。少しくらいヘマしても平気だ」
 何かを感じ取ったのか、ウォルターが声をかけてくる。それが空の焦りを抑制し、一度思考をクリーンにした。
 ――しまった! 前回の作戦でクラッキング中に攻撃を受けて慌てて離脱したから、コンピュータに刺したままだ!
 ついに自身の犯した最初の大失敗に気付いた。
「仕方ない」
 急いでPDAの設定を変更し、サーバーのポートに差し込む。
 ワームがそれを予定のフラッシュメモリと認識し、セキュリティを抜けさせてくれる。
 同時、様々な情報が流れ込んでくる。
 それはワームのデータ消去の進捗であり、またサーバーのデータとコピーたちである。
「サーバーのデータに絞り込もう」
 このPDAではデータを全て保存し切ることはできない。めぼしい情報だけを取捨選択しなくてはならない。だから、空の目的から言って、その絞り込みの判断は間違ってはいない。
 間違ってはいない、のだが。
 もし
 もしワームの処理をちゃんと監視していたら
 いや、空は唯一無二のコード・アリス、その行動にもしもIFはない。


 最初に飛び込んできた大きなデータはカグラ・コントラクター内のある研究所のデータだった。
 曰く「「局所消去型生体兵器Local Erasure Biowepon」と呼称された、自在に姿を変え、自らの血肉から弾薬を生成し、無限に戦闘できる無敵の生物兵器を違法な人体実験により開発していた。トクヨンはこれを摘発し、独自の交戦権を行使して排除した」との事。
 少し前に「大きすぎる組織には組織そのものの他にいくつもの派閥が形成され、もはや組織のリーダーがその全ての思想を制御することはできなくなる」という話をしたが、カグラ・コントラクターもまた例外ではないと言うことか。独立部隊であるトクヨンはそう言った内憂の解決も行なっているようだ。
 次に飛び込んできたのは続報に似たレポートだ。
 曰く「最後まで発見できなかったLEB被験体第一号・エルステは、その後目撃証言や暴走による事件などは発生させず。既に死んでいるか、あるいは、このまま普通の人間に溶け込むことを祈り、監視レベルを最低まで引き下げる」との事。
 そこから最低レベルの監視レポートが続く。
「あー、さらに絞り込み。キーワードは「転移」「ワープ」「テレポート」「コード・アリス」……来た」
 曰く「人造コードアリス計画」。志願者に空の残留物から取り出した遺伝子を埋め込み、コード・アリス質、とでも言うべきコード・アリスがコード・アリスたり得る遺伝子を探すと言う実験のようだ。
「そ、そんな事を……」
 見たところ、コード・アリス質の特定こそ出来ていないものの、転移の成功例が出ているらしい。
 ふと、そう言えばAWsの登場人物にカンパニュラツリガネソウの意匠を付けた人物がいた気がする、と思い出す。あれはトクヨンの人造コードアリスだったのかも。
 ――けど、コード・アリスって遺伝子由来なのかなぁ? もしそうなら、コード・アリスの並行世界の同一人物アイソトープは例外なくコード・アリスになってないとおかしいと思うけど
「なっ、こんなにどこから出てきやがった!」
選抜射手マークスマンだ! 伏せろ!」
 空がこんな事を考えた直後、廊下の方からそんな声が聞こえる。
 マークスマンとは歩兵部隊の一員として行動して、アサルトライフルの射程外から狙撃を行う訓練された兵士である。
 ちなみに定義が曖昧ではあるのだが、マークスマン向けに作られたライフルのことをマークスマンライフルと呼び、レジスタンスで狙撃手スナイパーとして扱われているウォルターの使っているCBD狙撃銃もマークスマンライフルに分類されていたりする。
 実際先ほどまでアサルトライフルに混ざって敵を狙い撃っていたわけで、ウォルターもマークスマンという事が出来るかもしれない。
「ウォルター、隙間から狙えるか?」
「やってみよう」
 そんなわけで目には目を、マークスマンにはマークスマンを、とウォルターにこう言ったオーダーが下るのは自然と言えた。
 敵アサルトライフル部隊は数こそ多いがまだ危険な距離というほどではない、ここから狙撃銃を露出させて撃つことは可能だ。
 あとはどちらが狙いをつけるのがはやいか、どちらがより正確に狙えるか、その勝負だ。
 しかし、顔を出したウォルターを迎えたのは銃弾の雨だった。
 慌てて身を隠す。
「分隊支援火器だ! どう言う事だ、さっき見た時にそれらしき奴はいなかったぞ」
 分隊支援火器とは、まさに今のように遮蔽物に隠れた敵に対して継続的に制圧射撃を行い、敵の攻撃行動を抑制する事で味方の動きを支援する事を目的とした銃火器を指す。継続的に連射し続ける必要があるため、装弾数の多い軽機関銃ライトマシンガンである事が多いが、アサルトライフルを改造したものや汎用機関銃などの場合もある。
「聞いた事がある。KC M4 FAMSという奴だろう。KH M4をマークスマンライフルとして改修したKH M4 SASSを、カグラ・コントラクターがライセンスを取って独自改修した分隊支援火器SAWとしてもマークスマンライフルDMRとしても使えるアサルトライフルだ。カグラ・コントラクターはハイブリッドライフルと呼んでいたか。そしてそれを使いこなすあいつは……ウォーラス・ブラウン」
「流石にその名前は聞いた事があるな。トクヨンの隊長・御神楽 久遠の右腕と言われる男か。ここに来ていたとはな、運がない」
 話している間も分隊支援火器の掃射は続き、ひたすら金属が金属を弾き返す音が響いている。それに紛れて聞こえるは足音。こちらが制圧されているのを良い事にアサルトライフル部隊が前進しているのだ。
「くそ、制圧サプレッションされてる! そっちはまだか!」


 しかし、どこからともなく現れた敵兵士群を目視していない空は、自身の認識しているこの基地の現有戦力から、まだ猶予はある、と考える。それは致命的な危機感の落差であった。
「もう少し、何とか耐えて」
 まだ全体の10%もダウンロード出来ていない。これはPDAとサーバーを繋ぐコードの限界であり、これ以上早くなることはない。
「くそ、アサルトライフル部隊が十分な制圧位置についた! これ以上は危険だ」
 ――まだ、なんとか、せめてツリガネソウを攻撃出来るだけの材料を、何とか糸口だけでも……!
 
 空にばかり失敗の責任を押し付けるのも良くない。
 防衛組にも過失はあった。
 激しい弾幕にさらされている以上やむを得ないのだが、先程まで聞こえていたM4 FAMSから聞こえていた.300弾高速弾の衝撃波音が聞こえなくなっている事に、誰も気付けなかった。

 

 ふと、その一文が空の視界に止まった。
 曰く「虹の境界線問題解決の最有力候補」。
 虹の境界線とは、〝裂け目〟を開くところまで来た彼らがぶち当たった壁だったはずだ。確か、異世界へ行こうとすると虹のような極彩色の壁に阻まれる、とかいう。
 そしてそれは、空もぶち当たっている壁でもある。もし、カグラ・コントラクターがその問題を解決出来たのなら、同じ方法で空も解決出来るかもしれない。そして、そうすれば元の世界に帰る事だって……。
 直後、激しい爆音を立てて天井の壁が崩落した。
 キーンと、空の頭の中で激しい音がこだまする。
 激しい粉塵に視覚を、激しい爆音で聴覚を、奪われる。
 ――天井から突き破っブリーチングしてきた!
 辛うじて保った意識がその結論を出した。
 敵のいる近くの壁を破壊し、その爆音と粉塵で敵の知覚能力を奪い、電撃的に攻勢に出る。
 即ち、突き破りブリーチング突撃チャージ
 なら、敵は目前にいるはずだ。 
 空は速やかにKH M4を構える。
 空のKH M4のレーザーサイトから放たれる赤いエイミングレーザーとカグラ・コントラクターの緑のエイミングレーザーが交差する。
 空の回復しつつある視界にそのレーザーの出どころが映る。
 空の使うKH M4と何処か似た銃。それもそのはず。これこそはKH M4をセミオートライフルとして改修したKH M4 SASSセミオートスナイパーシステムを、カグラ・コントラクターがさらに独自に改修したKCカグラコントラクター M4 FAMSフルオートマークスマンシステム
 即ち彼はウォーラス・ブラウン。最強と謳われる特殊第四部隊、そのナンバーツー!
「空!」
 爆音を聞いて空の身を案じたウォルターがCBD狙撃銃を構え、ウォーラスを狙う。
 しかしその弾丸は男に命中する前に空中で停止する。
 ――反作用式擬似防御障壁!!
 その止まり方を空は過去の作戦で見た事があった。
 ウォーラスは静かに、しかし速やかにその銃口をウォルターに向ける。
 ウォルターの額に投射された緑の小さな光点は、笑ってしまうくらい小さな音の末に、大きな赤い点に変わり、そのまま仰向けに倒れた。
「ウォルター!」
「おっと、動くな」
 ウォーラスは右手でKC M4 FAMSを保持したまま左手で腰のサイドアーム――奇しくも空と同じmark32――を抜き、空に向ける。
「残りは降伏しないなら殺せ」
 ウォーラスが共に2階から降りてきたらしい部下に命じる。
 ――そうは……
「させないっ!」
 左手のスナップだけで左腕に装着された単分子ナイフ2本を空中に浮かせ、そのうち一本を手に取る。
 直後、拳銃の銃口が動いたことを見逃さない。
 ナイフという得物を手に取った空には拳銃を確実に無力化するべく切断すべき未来予想図が見えている。
 それをなぞる様に右手を動かし、ウォーラスのmark32が両断される。
 KC M4 FAMSを手放したウォーラスはその手でナイフを握った右手を掴む。
 そこにもう一本のナイフが降ってきて、先程のウォルターの弾丸の様に空中で静止する。
 空の予測通りの位置に。
 反作用式擬似防御障壁……基本的に連携のため防御範囲をホログラフの障壁として見せることから「ホログラフィックバリア」の通称で知られるそれは、カグラ・コントラクターが発明し一部の軍隊が使用しているこの世界のバリア技術だ。
 飛んでくる飛翔体を全方位カメラが目視。対象の運動エネルギーを計測しそれを完全に相殺できるだけの反作用……実際には指向性のあるエネルギーウェーブを発射し、対象の運動エネルギーを刈り取る。
 例えるならば対象を飛翔体に置き換えた逆位相ノイズキャンセラーである。
 落ちてきて一瞬空中で静止したナイフにウォーラスは気付いていない。空はそこで停止することを完全に予測し切った空が左手でそれを掴むと同時、ウォーラスのボディーアーマー諸共胴体を斬りつける。
 ――浅いっ
 そう後悔した直後、また風景がフラッシュバックする。

 

■ Third Person Start ■

 

「虹の境界線問題の突破には彼女の確保が必要だと?」
「えぇ。研究部の調査によると虹の境界線を突破するにはコード・アリスの能力と、フォルトホール発生装置を組み合わせるのが最適解よ。お互いが持ってないものをもう片方が持っている。……志願者とはいえ、何人もの未帰還者を出した末の結論がこれよ。正直成果としては納得いかないけど、彼らのためにも成功させないとね」
 会話しているのはウォーラスと久遠だった。
「しかしどうする? 相手は神出鬼没、その上逃げるのも転移によって一瞬と来てる」
「えぇ。しかもどういうイデオロギーなのか、レジスタンスに協力してると来てる。彼女が来て以来、取るにらなかったレジスタンスの妨害活動サボタージュによる被害が増えてる。おじいちゃんも流石にそろそろ頭を痛めていてね。その意味でも、彼女の確保は急務だわ。おじいちゃんの頭痛の種を取り除いてあげる、親孝行ね」
「つまり、無茶をやるんだな? 事前に社長に許可をもらっておいたほうが良い程度の」
「えぇ。彼女、ずいぶん積極的に情報収集してるみたいだから、偽情報を掴ませるわ。そして、私達の基地に誘き寄せ、基地一つを犠牲にする覚悟で、彼女を捕る」
「来るか?」
「来るわ。多分彼女はカグラ・コントラクターに自身の目的を持っている。情報収集はそのためよ。あらゆる情報を集める我々のサーバーに入るチャンスがあるなら、掴んだ情報でレジスタンスに作戦を立案するか、最悪独力で攻めてくるわ」
「しかし、最悪レジスタンスを見捨てて逃げるのでは? 現在確認している転移距離から考えて一度や二度の転移であれば追跡は不可能ではないだろうが、連続して転移されれば追い詰めるのは困難だ」
「えぇ、そこに関しては秘密道具を使うわ……」
 久遠がまだ話し中だが、風景が白んできている。ここまでのようだ。

 

◆ Third Person Out ◆

 

「全部、罠だったの……」
「なに、気付いたか」
 ウォーラスの驚きは気付かれたことそのものより、「なぜこのタイミングで」という部分が強かった。
 ――全部、私のせい?
 しかし空はそんなことよりも自分自身が殴られたような感覚に囚われていた。
「カラ、こっちへ!」
 しかし、すぐにその感覚は打ち破られた。ズークとケインが兵士と交戦しながら、サーバールームに入ってきていたのだ。
「分かった!」
 しゃがみからスライディングの要領でウォーラスの手の下をくぐり抜け、ケインとズーク、そしてスターゲイズのそばに〝裂け目〟を作る。
 まずは外の安全を確保するためにズークとケインが〝裂け目〟に飛び込み、スターゲイズがそれに続く。
「させん」
 ウォーラスがフレアガンのような、あるいは、拳銃型グレネードランチャーのような武器をもう片方のホルスターから抜き、引き金を引いた。
 放たれた弾頭はスターゲイズが飛び込む直前の〝裂け目"に弾着し、赤い粒子が飛び散ったと思うと、"裂け目〟が消失した。
「なっ」
 驚きのあまり固まる空とスターゲイズの元にウォーラスがフルオートモードでKC M4 FAMSを乱射する。
 空とスターゲイズは慌ててそれぞれ近くのサーバーラックタワーに身を隠す。
「ゴーゴーゴー。廊下の部隊は外に回れ、どうせ遠くには転移できない」
 ウォーラスは空のいる方に制圧攻撃を継続しつつ、部下に指示を送る。
 部下はスターゲイズのいる方に射撃しつつ、包囲網を狭めていく。
 ――こっちは殺せないから、制圧してって事か
 なんとか、スターゲイズを助けないと、と空の意識はそこに向かっていた。
 その瞬間、いつも制圧中に感じる焦りは却って消えた。あるいは向こうにこちらを殺す気がないと分かった事も大きいのかもしれない。
 問題は謎の拳銃型グレネードランチャー。あれが連射可能だとしたら、〝裂け目〟を使って離脱ができない事になる。しかし、と空は思う。まさかあんな武器を部下全員が持っているとは思えない。
 ――うまく射線をコントロールして私とスターゲイズがウォーラスから遮蔽されてる場所に移動出来れば
 それが可能な方法は……。
 あった。予備として出口の側に放置されているポータブルカバー。
 こっそり小さな〝裂け目〟を作って手元に呼び寄せる。
 ――あとはウォルターの死体も回収したいけど……。
 しかし、荷物が増えると確実性が下がる。外のメンバーも遅かれ早かれ廊下の兵士たちに追いつかれる。
 ――私を助けるために死んだ人間を荷物呼ばわりか。
 思えばウォルターには何度も助けられた。この作戦だってウォルターがいたから実現出来た。ウォルターは空の人脈だと言ったが、空はやはりウォルターが協力するなら、という部分が強かったのだと思った。
 それでも、どれだけ大事な人でも、もはや蘇ることのない屍は意味のないものでしかない現実があった。
 空は実利と感情の間で葛藤したが、スターゲイズがいよいよ追い詰められたため、もはや無駄をする時間は許されなくなってしまった。
 KH M4を構え、左手の人差し指をグレネードランチャーのトリガーにかける。
 ――今だ!
 タイミングを見計らってグレネードランチャーの引き金を引く。
 グレネードが飛び出し、サーバーラックタワーと天井を破壊し、粉塵を巻き上げる。
「やりたくないけど……」
 腰の単分子ナイフを抜くと、空の視界に切るべき一本の赤い線が見える。
 この感覚がなんなのかはわからない。けれど、この通りに切ればその通りの未来がやってくることが分かる。
「はぁぁっ!」
 ウォークライ一つ、粉塵の中に突撃する。
 十秒後、空の見ていた切断面現実のものとなった
 そのままスターゲイズの側に駆け寄り、ポータブルカバーを展開する。
「さ、急いで」
 ウォーラスに妨害されないように地面に〝裂け目〟を開く。
 しかし、視界の通らない粉塵の中、山なりに飛んできたグレネード弾が赤い粉末をばら撒き、〝裂け目〟を閉じた。
 直後、空は足に激痛を感じた。弾丸が貫通した痛み。痛みが回復した? 違う、肩などはまだ痛みがない。
 見ると、足に穴が開いていた。
「あ」
 直後、駆け足の音、腹部に鈍痛。粉塵の中から現れたウォーラスに腹部を強打された。
「煙幕前から目標が見えていては、煙幕の意味はない」
 地面に落とされる。絶妙にスターゲイズと距離を取らされた、と空は理解した。
「ガハッ。ゴホッゴホッ、煙幕前の位置関係の記憶を頼りに狙撃したっていうの」
「そうだ」
 空の単分子ナイフをもぎ取り、ポータブルカバーを立てている固定具を破壊する。
「このっ!」
 空が右腕の単分子ナイフをスナップで取り外し、右手に構えて突撃する。
 直後、判断ミスを理解した。

 

 もし、スターゲイズを生還させたかったなら、スターゲイズに駆け寄るべきだった。

 

 既にサーバーラックタワーという遮蔽物を空のグレネードで失っており、ポータブルカバーという最後の遮蔽物を失った今、兵士達がスターゲイズに放つ無数のフルメタルジャケット弾を阻むものは何もなかった。
 空が駆けつければ、空の持つ無敵――先程破られたばかりだが――の障壁である〝裂け目〟で彼を守れたかもしれないのに。
 空の後悔の視界の前に、スターゲイズは穴だらけの肉塊と化した。蜂の巣ってより穴あきチーズみたいだ、と変に冷静になった空は思った。
 そして直後に猛烈な感情が空を襲った。
 後悔? 悲しみ? 怒り? あるいはそれら全て?  感情の名前などどうでもいい。今すぐここからいなくなりたい

 

 そして、〝あの日"のように空の足元に"裂け目〟が出現する。
「なに、しまった」
 取っ組み合い状態のウォーラスは慌ててグレネードランチャーを再装填しようとするが間に合わない。

 ウォーラスと空はそのままどこへいくともしれない〝裂け目〟の向こうに落ちていった。

 

「……ここは?」
 空が気がつくと、そこは日本の古い街並みだった。道行く人も皆和服だ。
 そして、突然首筋に刀を突きつけられる。
「な!?」
「貴様、虚空から現れたな? 怪しき術……妖術使いの不貞浪士か?」
 その冷ややかな声の主に視線を移す。
 そこには水色の羽織を見に纏い、誠の一文字を記した旗をはためかせる一人の男が立っていた。

 

To Be Continued…

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