キャンディケインの魔法
この世には祝福された美しい食べ物というものがある、と私は思っている。
その最たるものがキャンディだ。
色とりどりのキャンディはとても美しく、まるで宝石のよう。食べる宝石と言っても過言ではない。
私はそんな美しいキャンディの数々をとにかくたくさん買ってきて瓶に詰めて、それを眺めるのが好きだ。私の勉強机の上に置かれたキャンディが詰め込まれた瓶はまさに私のための宝石箱。
そして、たくさんの溜まったキャンディを一個ずつ口に運んで、口の中で転がしていく。
決して噛まず、少しずつ口の中で溶けていくキャンディもまた、想像するだけでとても美しい。古語で言うところの「あはれ」と言う奴だと思う。
「
そんな私の密やかな楽しみを呆れ顔で、見つめてくるのは
「そういうお姉ちゃんはスナック菓子ばっかり」
そんな姉は二段ベッドの上段でボリボリとポテトチップスを食べていた。
この世に祝福された美しい食べ物があるように、この世の中には忌むべき食べ物と言うものがある、と私は思っている。
その最たるものがスナック菓子だ。
高カロリーだし、食べかすが床に転がるし、高カロリーだし、バリバリと食べる音もうるさいし、あと何より高カロリーだ。
「っていうか、食べかすはちゃんと掃除しといてよ。前みたいに適当にバサバサやってベッドの外に放り出すだけとかやめてよね」
前はそれでベッドの周りや私の布団の中までポテトチップスの食べかすに汚染されたものだった。
「分かってるって。ハンディクリーナーどこやったかしら」
などと言いながら、姉はボリボリとポテトチップスを食べ続けていた。
「はぁ。散歩行ってくる」
私はため息をつきながら勉強机の椅子から立ち上がる。
「お、今日も一時間の散歩? 続いてるわねー、感心感心」
そんな私を姉が楽しげに微笑む。
「お姉ちゃんも付き合おっか?」
「ううん。一人で歩くよ。お姉ちゃんは部活で疲れてるでしょ」
姉は陸上部で毎日嫌と言うほど走っているはずだし、そんな体育会系の姉に隣をついて歩かれるのは気が進まない。
一方、文芸部という文化部に所属する自分は、ちゃんと適度に運動しないと危険だ。
私は特にお気に入りのキャンディを数個、包装された状態のままのものをポケットに突っ込み、外へと出かける。
必要に迫られて、とはいえ、散歩というのは退屈なものだ。開始して数日は周囲の目新しい環境を楽しめたものだったが、そんなものは数日で飽きる。
姉はスタイルが良い。出るところが出ている、ということはないが、スレンダーでとても綺麗だ。
対する私はどうだろう、と自分の腹を見る。幸いにして、まだ出っ張りすぎている、ということはないように思える。ラインの出るワンピースもまだ着れている。
けれど、この散歩をサボれば、姉よりどんどん突き放されていくような気がする。姉と自分の差を感じるたび、口の中のキャンディが少し苦くなる気がして、私はこの散歩を嫌々ながらもやめられない。
だから私は、せめてお気に入りのキャンディを舐めながらこの散歩を続ける。
しばらくすると、体に水滴がかかった。
どちらかというと雨は好きだ。水の水滴はキャンディに似ているし、それが反射する様は美しい。
けれど。
空で神様がバケツをひっくり返してしまったかのような大雨に発展するとなると話は変わってくる。
「傘持ってきてないのにっ!」
慌てて近くの民家の屋根の下に駆け込むが、一瞬で身体中がびしょびしょ。お気に入りのワンピースが体に張り付いて気持ち悪い。
がりっ、と思わずキャンディを噛んでしまう。あぁ、やってしまった。口の中で砕けたキャンディは美しくない。
祝福された美しいキャンディの形を、私が壊してしまった。
風は冷たく、びしょびしょの体から気化熱が熱を奪っていく。
「くしゅん」
くしゃみが出て、キャンディが飛び出していってしまう。
「あぁ……」
流石に地面に落ちて砕けたキャンディを拾って食べるわけにもいかない。
「はぁ……」
思わずため息を一つ。
「ため息をすると、幸せが逃げちゃうよ」
ふと、そんな声が聞こえて、思わず私は顔を上げる。
「
「や」
そこに傘を刺して立っていたのは、同じ文芸部の仲間である石本君だった。
「もしかして雨宿りで立ち往生中?」
「そうなの。石本君は?」
「あぁ……、えっと」
石本君は照れたように頬を掻いてから、再び口を開く。
「実は、愛さんに会いに来たんだ」
「私に?」
思わず驚く。何か要件があったならさっき部室にいる間に済ませてくれればよかったはずなのに。
「じゃ、行くよ」
私の心の中の疑問に答えることはなく、石本君は傘を私に手渡してくる。
かなり斜めった状態で手渡されたので、傘の布が私の視界を覆い、石本君が一瞬見えなくなる。
私が傘を正しい姿勢に戻すと、そこには金髪のウィッグに付け牙をつけて、そして膝までありそうな長く黒いマントをはためかせた石本君が立っていた。
「吸血鬼のコスプレ?」
よく見ると赤いカラーコンタクトまで付けている。
驚くべき早着替えだが、石本君は元々手品師に憧れていた手品部があったらそっちに入っていた、と言う程の人間なので、これくらいはお手のものなのだろう。
「今日はなんの日?」
「えっ……と、金曜日。明日と明後日はお休みでハッピーな日?」
私は思いつくままに答える。
「それも正解。だけど、そうじゃなくて、10月31日はなんの日?」
「あ、ハロウィン?」
そう言われて、今日が10月31日だと気付いた。
「そう。と言うわけで、トリック・オア・トリート」
石本君がそう言って、こちらに手を差し伸べてくる。
「う、うん」
私は思わずポケットからキャンディを取り出して石本君に手渡す。
「おや、持っていたか。流石は愛さん」
「持ってなかったら何するつもりだったの……」
もしお菓子を持ってなかったらいたずらが待っているはずだ。おとなしめの石本君が変な事をしてくるとは思わないが、何をするつもりだったかはちょっと気になる。
「ま、まぁそれは置いといて。じゃ、私からもお返し。あ、その前に濡れて寒くなってきたから、傘返して」
ささやかなくしゃみをしながら、石本君がそう言ってくるので私はおかしくなって少し笑ってから、傘を返す。
「ほいっと」
その動作の間にいつの間にか石本君はシルクハットを持っていた。
「3、2、1、はい!」
シルクハットから出てきたのは一つのステッキだった先端が滑らかに曲がってピンクと白色で構成されたそれは。
「キャンディケイン?」
ハロウィンというよりはクリスマスのお菓子だ、それは。
そして、私が好きなのは丸い飴玉なので、実はちょっと好みと違う。キャンディケインなど食べたこともない。
「はい、握って握って」
小さなキャンディケインを言われるがまま、手に取る私。
直後。
「はい」
キャンディケインは本物の杖サイズにまで大きくなった。
「じゃあ次はこの杖を、先端を下にして持ってみて」
「う、うん」
言われた通りにすると、石本君がマントをその上に被せてくる。
「3、2、1、はい!」
マントの布が突然持ち上がり、キャンディケインはいつの間にか傘に変わっていた。
「これで、この雨でも大丈夫だね」
そう言って、石本君は笑った。
「あ、ちょっと」
すぐさま立ち去ろうとする石本君に私は慌てて呼び止める。この傘はどうすればいいのか。
「大丈夫! 家に帰ったら食べちゃって! だってそれは、愛さんの大好きなキャンディだからね」
なんて言って、足早に去っていった。石本君は手品をやっている間だけ自信家っぽくなるが普段は割とシャイなので、終わってから恥ずかしくなったのかもしれない。
「食べちゃって、って言われても……」
どう見てもそれはキャンディなんかではなく傘だった。
とはいえ、傘があるのはありがたい。私はその傘をさしたまま歩いて、家まで帰った。
「ただいまー」
「おかえり、愛。大丈夫……じゃなさそうね」
雨でずぶ濡れの私を見て、姉が階段を降りてきて、そう言う。
「お母さんに言われてお風呂沸かしておいたわよ。入ってきなさい」
「うん、ありがとう」
私は傘を閉じようとして、手元にあるのがただの小さなキャンディケインであることに気付いた。
どういうタネか分からない。まるで狐につままれた気分だ。
私はキャンディケインを口に放り込みながら、お風呂に入った。
はじめて食べるキャンディケインは意外と美味しかった。
お風呂から上がって自室の勉強机に戻ってくると外は晴れて虹が出ていた。
明後日、部室で石本君にタネを聞いてみよう、そう思いながら、私は瓶からキャンディを一つ手にとって、口に放り込んだ。
Fin
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