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クモの森

 
 

 三人の少女が月もない夜の森を歩いている。
「最悪だわ、クモの巣に足引っ掛けちゃった……」
 金髪碧眼の少女が靴に着いたクモの巣を振り払おうと木の枝を拾ってクモの巣を巻き取り始める。
「また? アリス、今日はついてないわね」
 黒髪をボブカットに切りそろえた少女がその様子に苦笑する。
 そうなのだ、アリスと呼ばれた少女がクモの巣に足を引っ掛けたのはこれでかれこれ五回目になる。
「アリスさんはいいじゃないですか、私なんてさっき顔にクモの巣が……」
 そんなアリスに対してささやかに主張するのは腰まで届く長い三つ編みのおさげが特徴的な茶髪の少女だ。
「それはジャンヌが抜けてるだけでしょ。流石に顔の前にクモの巣があったら気付きなさいよ」
 ジャンヌのことをジト目で見ながら、アリスが反論する。
「そ、そんなことないですよ。夜で暗い中だから見えないんですって」
 するとジャンヌもささやかながら反論する。
「はーい、二人共、笑顔の魔法を忘れてるわよ」
「分かってるわよ、エレナせんせー」
 ボブカットの少女、エレナが二人を宥めると、二人は素直に頷く。どうやらエレナがこの三人組のリーダーであるらしい。
 まだティーンエイジャーらしき三人の少女がなぜこんな深い森の中を歩いているのかというと、それはここにいる三人の出自が関係していた。
 端的に言うと、三人は「魔女」であった。
 今、この世界は政府主導の魔女狩りで溢れており、魔女達は彼らから逃げ続けなければならないのだ。
 一つ断っておかねばならないのは、彼女らが「魔女」であるというのは事実である、ということだ。「魔女」とは、生まれつき超常現象「魔法」が使える存在のこと。ここにいる三人はそれぞれ違う分野の「魔法」を扱う「魔女」なのである。
「でも、せっかくこの前ホテルに泊まれたのにこれだと辛いですよね」
「そうね、そうでなくても少し前までは整地を歩けてたのに」
「贅沢は言えないわ。私達は逃げ続けるしか無いのだもの」
 少し前まで、この地域はそこまで魔女狩りの多い地域ではなかった。
 エレナ達は街道を歩き、夜には道のハズレでキャンプをして生活出来ていた。
 ところが、エレナ達は近くの魔女狩りの少ない街で宿泊して久しぶりにリフレッシュしたまさにその日、騒動が発生し、街に魔女狩りが集まってしまった。
 夜にも拘らずテントを張るでもなく歩き続けているのはそんな魔女狩りが集まる街の近くから可能な限り離脱したいからであった。
「あぁ、また引っかかった。この辺りクモの巣多くない?」
「そうかしら?」
 薄汚れてしまった水色の靴に引っかかったクモの巣を木の枝で払いながらアリスがぼやく。
「エレナさんの足もクモの巣だらけですよ」
「あらほんと」
「なんで気付かないのよ」
 ジャンヌの指摘に従いエレナが自分の靴を見るとそこはクモの巣だらけだった。
「ま、いいわ」
 が、エレナは気にせず歩くのを再開した。
「いいんですね……」
「まぁ、エレナは魔女狩りに追われるようになる前は天体観測が趣味でよく山に登ったりしてたらしいから、そういう事はあんまり気にしないのかもしれないわね」
 その様子に二人で顔を見合わせるジャンヌとアリス。
 二人で少しだけ苦笑してから歩みを再開するジャンヌとアリス。
 が、すぐにエレナが立ち止まっている事に気付く。
「どうしたのよ」
「二人とも……どうやら引き換えしたほうがいいみたいよ」
 アリスが問いかけるとエレナがそんなことを言う。
 首を傾げながらエレナの視線の先を追ってみると、その理由が分かった。
「な、なんですか、あれ!」
 そこにいたのはクモであった。
 ただのクモであれば良かっただろう。だが、そこにいたのは巨大グモであった。人間大? いや、それより大きいかもしれない。
「しっ、音を立てないように、そっと少しずつ後ろに下がるわよ……」
 エレナがそう言うと、二人がそっと頷き、三人は少しずつそっと後ろに下がっていく。
 風によって木々が揺れて木の葉が音をたてる以外、音のない静かな森の中。
 パキリ、と、明らかな音が響く。
「あ」
「ちょっと、ジャンヌ、何やってるの……!」
 ジャンヌが木の枝を踏んだ事に気付いてアリスが咎める。
「言ってる場合じゃないわ、あいつ、こっち向いたわよ」
 巨大グモが三人の方を向いていた。
「走りましょう!」
 エレナが即決する。
 アリスが素早く身を翻して走り出し、エレナが続く。
「ま、待って下さい!」
 木の枝を踏んだショックで固まっていたジャンヌが少し遅れて走り出す。
 対して巨大グモも動き出す。
 八本の足で地面を蹴り、大きく跳躍、アリスの前にまで躍り出て、立ちふさがった。
「なっ!?」
 突然目の前に巨大グモが現れたことで、アリスは咄嗟に足を止める。
「いたっ」
 突然のアリスの動きに対応できなかったエレナがアリスの背中に衝突し、エレナが転倒する。
「えぇっ!?」
 転倒したエレナにジャンヌが躓き、ジャンヌもまたその場に転ぶ。
「……」
 巨大グモはその様子を見て、口を開ける。
「ひっ!?」
 ジャンヌは恐怖に腕で顔を覆う。同時、三人と巨大グモの間に巨大なレンガの壁が出現する。
 ジャンヌの「魔女」としての能力、即ち「魔法」が発動したのだ。
 直後、巨大グモが三人に飛びかかろうとして、ジャンヌの作り出したレンガの壁に衝突する。
「今よ!」
 アリスがエレナの手を引いて立ち上がるのを手伝ってから、走り出す。
「あ、ちょっと待ってくださいよ」
 その様子を見て、ジャンヌはレンガの壁に手をついて立ち上がり、慌てて二人に追従する。
 壁に何度も体当たりして壁を破壊した巨大グモは再び三人を今度は走って追いかける。
「また跳躍されたらどうしようもないわよ、エレナ!」
「分かってるけど、どうすればいいのよ!」
 幸い、ジャンヌの作り出した壁によって時間が稼げているが、巨大グモはその巨体に似合わぬ速さで三人に向けて迫ってきている。
「おーい、待ってよー」
「待たないわよ!!」
 巨大グモの言葉にアリスが反論する。
「そんなー」
「待って、今、あのクモ喋らなかった?」
 エレナが気付く。喋った。少年のような声であった。
「人間を食べて喋れるようになったんでしょうか!? 私達も食べられる!?」
「そんなメルヘンなことないでしょ」
「アリスがメルヘンを否定すると少し面白いわね」
「エレナ? ふざけてる場合?」
「仕方ないわね、この前作ったばっかりの惑星エネルギーを使うわ」
 エレナがそう言うと、懐からカメラフィルムケースを取り出す。
rabiu奪え vidkapablo視界を!」
 叫びながら、フィルムケースを開けると、そこから膨大な煙が生ずる。事前に準備してカメラフィルムケースに収納しておいたエネルギーを解放して特殊な効果を発生させる。これが、エレナの「魔法」であった。
「ジャバウォックを呼ぶわ!」
 足を止めて、胸に手を当てながら、謳い始める。
Twas brilligあぶりの時,and the slithy tovesそしてしゅるりとしたトーヴ
 マザーグースを謳うことで現象を起こす。それがアリスの魔法である。
 今謳うは『鏡の国のアリス』で知られる『ジャバウォッキー』。アリスにとっては、無敵の怪物ジャバウォックを呼び出すための歌だ。
Did gyre and gimble in the wabe遥かな場所で廻り穿つ;……きゃあっ!?」
 だが、歌が終わるより早く、アリスの言葉が途切れる。
「ストップストーーップ!」
 巨大グモからクモの糸が放たれ、アリスを近くの木へと拘束したのだ。
「そんな、木星の雲で視界を覆ってるのに!?」
「ごめんねー、私、紫外線も見られるから、煙幕は意味ないんだー」
 巨大グモが三人のもとに近づいてくる。
「アリス! しっかり!」
「アリスさん、大丈夫ですか!」」
 エレナとジャンヌが素早くアリスの元に近づき、クモの糸を剥がそうとするが、巨大グモの方が早い。
「麗しい友情だね、羨ましいよ」
 よっ、と再び巨大グモが跳躍したかと思うと、光って、そして人間に変化した。
「あなた……まさか、魔女?」
「そ、僕はファーブル。クモに変身できるんだー。もー、寝てたら人が来てたからびっくりしたよー。魔女なら先にそう言ってよねー」
「そっちが勝手に襲ってきたんでしょうが!」
「失礼な、もし一般人なら食べてやろうと思っただけだよー」
 クモの糸の中でもがきながら、アリスが怒鳴る。
「危なかったわね、ジャンヌが魔法で壁を作ってなかったら私達食べられてたわよ」
 エレナが頬を掻く。まさに九死に一生だ。
「そっちの金髪のお嬢さんはごめんね、なんかやばい魔法使われそうだったからさ」
「まぁ、確かにジャバウォック呼んでたら今頃あなたはぐちゃぐちゃになってたでしょうね」
「ひゅー、危なかったー」
 言葉とは裏腹に少年はなんだか楽しそうだ。
「楽しそうね」
「そりゃね、人と話すのなんて久しぶりだから!」
「ずっとこの森で暮らしてるの?」
「うん! 魔法に目覚めてからだから……何年だろ?」
「……」
 魔法は第二次性徴期に目覚めると言われている。そして、魔女は何故か今年度で一律十六歳の少年少女だ。となると、彼は早ければ六年もこの森で暮らしていることになる。
「私達と一緒に行かない? 私達、旅をしてるの」
「ううん。行かない。僕、クモの姿で過ごしてるのが好きだし、この森は気に入ってるんだ」
「そっか」
 本人がそういうのであれば、エレナはそれ以上勧誘するつもりはなかった。
「じゃ、私達、行くわね」
「うん、ばいばーい」
 アリスがクモの糸から解放されたのを確認し、エレナはそう言って踵を返す。
 二人もそれに続く。ファーブルはそんな三人に明るく手を振った。
「本当にあのまま一人ぼっちでいいんでしょうか?」
「流石にあの巨大グモに着いてきてもらうわけにはいかないでしょ」
 ファーブルが見えなくなった頃、ジャンヌの心配そうな言葉にアリスが呆れ顔で返す。
「でも確かに、人と話せないのは辛いかもね。またいつか、ここを訪れる時が来たら、挨拶くらいしてあげましょ」
 アリスがそう言って、一歩前に踏み出す。
「あ」
 水色の靴にクモの糸がへばりつく
「やっぱりこんなところ二度と来ない!!」
 そんな叫びが森の中にこだました。

 

Fin

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