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Angel Dust 第1章

 雪のちらつく夜だった。とても、月がきれいだったのを覚えている。

 

 ――その日、日常は崩れ去った。
 違う、とっくの昔にそんなものは崩れ去っていたのだ。ずっとずっと前に発生した対岸の火事は長い長い時間をかけて、川の向こう岸の私の家までたどり着いた。ただ、それだけの話。
 だが、ならばどうすればよかったというのか。もしそれが、単なる火事であれば対岸の火事と放っておかず、消火を手伝えばよかった、とそう後悔すればいい。
 だが、だがしかし、この〝災害〟に対して、私はどうすればよかったというのか。それは火事というより、台風だった。あるいは地震か。そういう存在があるのは知っていたとして、それをどうにかしてあげることなどできないし、こっちにそれがやってきたとしても、当然、どうにかできるはずもない。
 そして、〝これ〟はそういうものだった。

 

 だから今でも、これは運命だったのだと、そう思うことにしている。そうしてその日から、私の新しい日々が始まったのだった。

 

■ Third Person Start ■

 

 目の前には廃墟が広がっていた。そして、その中心には、白い巨人が。猫背気味でひょろっとした腕をだらんと下げ、背中には折りたたまれた翼が。顔はのっぺりとしていて、だいたい目の位置だろうといった部分にそれぞれ燃えるような赤色あるいは濃いオレンジ色に光る点が、そしておでこの位置にも一つ同じ点が。要するに額につなげば二等辺三角形からギリギリ正三角形になるくらいの配置で三つの燃えるような赤色もしくは濃いオレンジ色に光る点が存在していた。それが何らかの感覚器官なのか、白い巨人は確かに、顔をきょろきょろと動かしながら活動していた。
「……ルシフェル」
 少女は静かに、その名前を呟いた。
 人類の敵。世界の破壊者。それは突然、この地球に降り立った。当初降り立ったその怪物に対し、人々は当然のように立ち向かった。
 最初に怪物に対処したのはアメリカだった。世界の警察を名乗る国家は当然のようにその軍事力を怪物に向け、そして総力を挙げてようやく排除することに成功した。
 それからしばらく、また〝それ〟は現れた。場所がアジアだったから、次にそれにあたったのは中国だった。そして、それがよりアジアの深部に侵攻しようという段階でソビエトが動いた。
 そしてさらなる怪物が現れて、ようやく東西に分かれていた二つの勢力はいがみあっていては勝てない敵なのだ、と気づいた。その怪物は「ルシフェル」と呼ばれるようになり、世界中で様々な対策が立てられた。
 それがどういったものだったか、ここにいる少女は知らない。少なくとも主導していたソビエトもアメリカもこの世界にはない、ということは知っている。かつて起きた東西の冷たい戦争は、怪物の登場によって休戦し、そして主導する二大国の滅亡を以て永遠に終わった。様々な対策を講じてなお、その対策が最も厚くしかれたであろう二大国が滅びたのだから、きっと、この怪物を止める術はどこにもなかったのだろう。
 だから、この〝災害〟から彼女を救うものはどこにもいない。今ここに彼女が一人残っているのだって、あくまで周りを破壊しつくした結果偶然生き延びているだけだ。

 

◆ Third Person Out ◆

 

 ――そして、怪物と目が合う。
「……あ」
 怪物が体をこちらに向け、前進してくる。
 死ぬ。だらんと下げられた腕は人を殺すには十分すぎる――さっき建物を破壊していた――強靭な爪を持っている。
 ほら、怪物が私の前までやってきた。ほら、片腕が振り上げられる。私は怖くなって目を閉じた。
 ズシン、と大きな音がした。それは私に爪を振り下ろした音かと思ったけれど、違った。一向に死はやってこない。今、ついさっき目を開けていた時は目の前まで来ていたのに。
 恐る恐る目を開けてみると、怪物はなぜか私から背を向けていた。
 怪物の視線の向こう……そこには銀朱色の巨人が鎮座していた。さっきの大きな音はアレが降ってきた音か。

 

 

■ Third Person Start ■

 

 銀朱色の巨人が腕を怪物に向ける。いかなる理屈か。先ほどまでは何もなかった巨人の腕の中に二丁の拳銃が出現した。もちろん人間サイズのソレではない。圧倒的に巨大な、その巨人が使うに適したサイズのソレである。
「GRAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
 怪物が吠える。爪を振りかざし、巨人に向かって突進する。対する巨人はその拳銃を巨人に向け放つ。
「?」
 怪物が声にならない叫びをあげる。取るに足らないと判断し、弾丸を爪で受け止めた瞬間、腕は突然動きを止めてしまったのだ。しかし、怪物の足が止まったわけではない。巨人は発砲をやめなかった。次に狙うは足。間髪入れずに放たれた弾丸は足に被弾し、怪物は大きく転倒する。少女は知る由もなかったが、その二丁の銃の名はグレイプニル。神話の時代、恐ろしい魔獣を拘束するために作られた鎖の名を冠した拘束の魔銃である。
 しかし、怪物の背中の翼は決して飾りではない。折り畳まれていたそれは今この瞬間に開かれ、そして、空に飛び上がった。
 巨人は発砲を続けるが、空を飛び、三次元的な移動を実現した巨人には当たらない。
「GRRRRRRR」
 それなりの高度に到達した怪物はそこから一気に急降下した。位置エネルギーを運動エネルギーに変え、怪物は巨人に体当たりをしたのだ。そのままその強靭な爪を動かないなりに巨人にひっかけ、組み付いた。さっきまでただのっぺりしていただけのはずの目(のような三つの光点)の下の部分にギザギザの歯が覗く口が出現していた。考えてみれば先ほどから吠えていたのだから、口は元々あったのか、先ほど、叫ぶために出現したのだろう。少なくとも今、それは噛みつくために使用されていた。
 こうなっては銃ではどうにもならない。まして、攻撃よりも拘束に力を入れた武器など、組み付かれた状態で意味があろうはずもない。巨人の腕から銃が消失し、代わりに右手に鉄鋼でできたと思われる剣が出現した。
「GYA! GRRRR……GRAAAAAA!!」
 剣で刺され、ダメージを受けてなお、巨人から離れず噛みつくのをやめない怪物。巨人は必死で剣を持つ腕を動かし、翼の片方を切断した。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
 怪物は大きな叫び声をあげ、しがみついていた力を弱めた。それをチャンスとばかりに巨人は怪物を蹴り上げ、回し蹴りを見舞い、怪物を(少女とは反対の方向に)吹き飛ばした。
「GRRRRRR………」
 なお立ち上がろうとする怪物に対し、巨人は剣を消滅させ、再び銃を握り発砲し、怪物の動きを封じる。この銃ではとどめはさせないということなのか、巨人はもう一度先ほどの剣を手元に出現させ、そして、その機能を停止した。突然巨人は崩れおち、地面に膝をついた。そして、胸の辺りからボトリと、コンテナのようなものが落下した。

 

◆ Third Person Out ◆

 

 思わず、コンテナのようなものの傍まで駆けていった私は、それがおそらくその巨人を動かすための部分、なのだろうと理解した。そのコンテナの中に、一人、女性が座っていたのだ。女性は生気のないうつろな瞳で、こちらを見つめていた。女性の周囲には何か光る窓のようなものがあり、そこに外の風景ではないものが見えていた。黒い線が時おり走る青い背景に黄色の太いラインが走り、その中に黒く「Warning Falldown」の文字。私が一体それが何なのか理解するより先に、その窓から光が消え、窓は真っ黒になった。
 視線を向けると、動けるようになったらしい巨人が体を起こそうとしていた。今度こそ、私は死ぬのか。私は、それを覚悟した。
《……お前、死にたくないのか?》
「え?」
 頭の中に声が響いてきた。
《死にたくないのかと聞いている》
「誰なの?」
《私はデウスエクスマキナ。情けなくもそこで膝をついている機械よ。ま、人間がそう呼んでおるだけじゃがな》
「デウスエクス……マキナ?」
 まったく聞き覚えのない響きだった。それでも、デウスエクスマキナというのが、そこで膝をついている銀朱色の巨人のことであり、今頭の中に響いている声の主だというのは分かった。
《そうだ。死にたくないのなら、私に乗れ。そしてそこのルシフェルと戦うのだ》
「戦う? 無理だよ。私、そんな方法分からない」
 私はここモスクワで生まれ、今まで必要最低限の教養以外学んだことがない。こんな巨人はもちろん、車すら操れない。
《他の人間どもはおかしな機械で簡単に操りよるがなぁ。……それに、お前であればそれがなくとも操れるはずだ》
 有無を言わせぬ口調、この巨人も死にたくないのかもしれない。そして、次の瞬間、コンテナが抜け落ちてケーブルが見え隠れする空間から、ケーブルが伸びてきて触手のように私をからめとった。
「え、ちょっと」
《問題ないと言っておろう。死にたくないのなら、その気持ちだけで十分よ》
 ケーブルは私をさっきまでコンテナが抜け落ちていた部分まで運ぶと、そのまま私のことを覆い、そして私から何かが少し抜けたような感覚がした後、そこに壁ができた。外から見たら、巨人を構成する壁が復活したことになるのだろうか。
《さぁ、目をつぶって周りを見ようとしてみよ》
 仕方ないので、やってみる。すると、いつもより何倍も高い視点から、起き上がろうとする怪物の姿が見えた。びっくりして目を開けると、ケーブルばかりの風景が広がった。
「え、今のって……」
《お前が感じた通りだ。私の見ている風景をお前がその目で見たのだよ。体を動かすのも、同じ要領でできる》
 そういわれ、もう一度目をつぶり、腕を自分の顔にもってくるイメージをする。すると、視界に巨人の腕が見えた。
《のう? 簡単だろう?》
「う……うん」
 そういっているうちに怪物が完全に起き上がり、こちらに向けて、威嚇してきた。
「GRAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
「武器、武器は!」
 さっき、この銀朱の巨人は何か武器を手に戦っていたはずだ。
《カタログを送る》
 目を開けると、目の前に古めかしい本が出現していた。見たことのない文字。こんなの読めるわけ……、いや、読める。なぜか分からないけど、この文字は読めた。
「これ。災厄の枝、《レーヴァテイン》」
 選択すると同時にカタログは消え、腕に何かを持ったような感覚が芽生える。再び目を閉じてみると、〝私〟は確かに剣を握っていた。さっき握っていたのとは別の剣、さっきの剣より少し長く、そしてさっきの剣とは比べ物にならないくらい、鋭利だった。
 怪物が爪を振りかざし飛びかかってくる。片翼を失った怪物はもう飛ぶ力を持たない。〝私〟は振りかざされる爪に剣を合わせ受け止める。
「いける」
 手ごたえがある。剣にかかってくる力は大したことがない。〝私"であればたやすく打ち返せる。"私〟は即座にそれを実践し、一閃薙ぎ払い爪ごと胴体を切り裂いた。切り裂かれた胴体の中心近くに、オレンジ色の球体が見える。
《あれがコアだ。あれを破壊すればそれは死ぬ》
「分かった」
 片翼、片腕を失った怪物など、もう〝私〟には怖くない。剣を突く姿勢で固定し、一気に、コアを貫く。
 その瞬間、コアはバラバラに砕け散り、その衝撃波のようなものが怪物の細部にまで伝わり、そして、怪物そのものが灰と化して散っていった。
「勝て……た」
《ふぅ、なんとか死なずにすんだわい》
 やっぱり自分が死にたくなかったんだな。
 と、突如としてグラリと揺れを感じた。気が緩んで、バランスを崩した? 慌てて目をつぶる。
 〝私"の視界は、先ほどまでとまったく変わっていなかった。ある一点を除いて。それは光の筋だ。無数の光の筋が地面から空へと立ち上っている。その光の筋は……間違いない、"私〟を中心に立ち上っている。
「なにこれ。地面、そうだ。地面は?」
 地面から立ち上っているのなら、地面に何か仕掛けがある可能性は高い。気が動転していたのだろう。巨人に乗るのが初めてだとしても、こんな当たり前のことを咄嗟に思いつかないなんて。
 そうして、地面を見ると、そこにはいびつな五芒星が浮かび上がっていた。そして、それを認識すると同時に、〝私〟の視界は真っ白になった。
「何? なにこれ!?」
《落ち着け、単に迎えが来ただけの話だ》
「迎え?」
 考えてみればこの巨人……デウスエクスマキナはどこからともなく飛んできたのだ。どこかに帰るのは当たり前だ。
「大丈夫なの? 私、怒られたりしない?」
《それは分からん。ま、なるようになるさ》
 HAHAHA。と、とても頼りにならない私の相棒。……あ、そういえば。
「そういえば、あなたのことは、デウスエクスマキナって呼べばいいの?」
《ん? 私か? いや、それはお前のことを人間と呼ぶようなものだろう。うむ、私の名前は…………そうさなぁ。ヴァーミリオン、少なくともたいていの人間どもは私をそう呼ぶな》
 なるほど、デウスエクスマキナとはこの機械の巨人そのものの名前だったのだ。つまり、ほかにもいるのか。……それにしても、ヴァーミリオンか。なるほどこの銀朱色の巨人にぴったりだ。というか、少し安直すぎる気がする。まぁ、でもいいか。
「そっか、よろしく。ヴァーミリオン。あ、そうだ。人間って呼ばれたくはないからね、私はフレイ。フレイ・ローゾフィアよ」
《うむ。覚えたぞ、よろしくなフレイ》

 こうして、私は相棒と出会い、そして闘いの日々に明け暮れることになったのだった。

 

 To be continue...

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