退魔師アンジェ 第16章
『〝一撃必殺〟千桜フブキ』
父を
そして最後の試練の日。アンジェは瘴気から実体化した怪異「
翌日、月夜家を訪ねてきた生徒会長、
アオイから明かされた事実、それはアンジェ達の学校が「
早速学校を襲撃してきた下級悪魔「
アオイから恐怖心の克服を課題として言い渡されるアンジェ。玉虫色の粘液生物と戦ったアンジェはヒナタの何気ない助言を受けて、恐怖心の一部を克服、再びアンジェを助けた白い光を使って、見事学校を覆う謎の儀式を止めることに成功したのだった。
しかし儀式を試みた魔術師は諦めていなかった。それから一週間後、再び学校が今度は完成した儀式場に覆われていた。アオイは母・ミコトの助けを借り、儀式場の中心に到達するが、そこに待ち受けていた
そこに現れたのは「英国の魔女」と呼ばれる仮面の女性。彼女は事前にルーンと呼ばれる文字を床一面に刻むことで儀式の完遂を妨げたのだ。そして、英国の魔女は「この龍脈の地は私が治める」と宣言した。逃げる安曇。追う英国の魔女。蚊帳の外の二人。アオイは安曇は勿論、英国の魔女にも対抗することをしっかりと心に誓った。
ある晩、アキラから行きつけの古本屋を紹介してもらった帰り、アンジェとアキラは瘴気に襲われる。やむなくアキラの前で刀を抜くアンジェ。しかし、一瞬の不意を撃たれ銃撃されてしまう。謎の白い光と英国の魔女に助けられたアンジェはアキラの部屋に運び込まれ、週末に休みの期間をもらう。
休みの時間をヒナタと街に出て遊ぶのに費やすアンジェ。そこで剛腕蜘蛛悪魔を使役する上級悪魔らしきフードの男と謎の魔術師と遭遇する。追撃することも出来たが、アンジェは怪我人の保護を優先した。
アンジェは父が亡くなった日の夢を見る。時折見るその夢、しかしその日見えた光景は違った。見覚えのない黒い悪魔の姿があったのだ。そしてその日の昼、その悪魔とその使役主である上級悪魔、
そして同時にアンジェはアオイから知らされる。父が死んだその日は「大怪異」と呼ばれる霊害の大量発生の日だったのだ、と言うことを。
イブリースが大攻勢をかけてきた。悪路王と英国の魔女は陽動に引っかかり、学校にいない。アオイとアンジェだけでは学校への侵攻を防ぎきれない。最大級のピンチの中、アンジェは自身の血の力と思われる白い光を暴走させる。それは確かにイブリースごと全ての悪魔を消滅させたが、同時に英国の魔女が封じていた安曇のトラップを起動させてしまい、学校を大きく損傷、死者まで出してしまう。
アンジェはその責任を取るため、討魔師の資格を剥奪されることになるところだったが、突如乱入してきた悪路王がアンジェの血の力と思われる白い光を強奪。最大の懸念点だった力の暴走の危険は無くなったとして、引き続き討魔師を続けて良いことになった。
アンジェの力の暴走、通称「ホワイトインパクト」の後、
ホワイトインパクトに対処する中、英国の魔女は事態収束後も同盟を続けようと取引を持ちかける。アンジェは取引は断りつつも、英国の魔女の座学から様々な知識を学ぶのだった。
英国の魔女に連れられ、ロアの実例と対峙するアンジェ。しかしそこに、ロア退治の任を受けた討魔師・
父の仇である悪路王は如月家の血の力を盗んだ。そして如月家について、明らかに何か知っている。アンジェはそれを問いただすため、そして可能ならば討ち倒すため、アンジェは悪路王のいるとされる
アンジェの右腕は英国の魔女の尽力により復活した。悪路王はアンジェの血の力について、ウキョウを倒せるレベルにならなければ返却できないと語り、あのアオイでさえそれに同意した。そしてアオイはアンジェについてしまった及び腰を治療するため、ある人物とアンジェを引き合わせることを決める。
アンジェは
討魔仕事の帰り、アンジェを迎えに大きなバイクに乗ったフブキさんが現れる。フブキさんは言う。「
「見つけた!」
神社に向かう途中、道を左折した直後に、フブキさんはバックミラーを一瞥して、突然バイクのハンドルを右に切り、道に対して腹を向ける形で横滑りさせ、そのままさらに右にカーブしていく。要は派手にUターンを決めたわけだが、私は突然の激しい慣性にやや目を回していたので、Uターンしたという状況を把握できたのは直進ルートに戻ってからとなった。
そして改めて正面を見ると、そこにいたのは確かにベルナデットさんの後ろ姿だった。
向こうはただゆったりと歩いている、こちらはバイク。追いつくのは時間の問題だ。まして、先程からどんどん加速している。
「oh, Japanese templars knights .」
ふと、ベルナデットさんがこちらを向いて笑う。
「アンジェ! しっかり捕まってろ!」
フブキさんは背中に背負った大太刀を左手で持ち、真左に向けて突き出す。改めて見ると本当にデカい。300cmはありそうだ。
よくそんな大太刀を片手で持てるな、と思うが、見ると左腕の筋肉が異常に膨れ上がり、血管が浮き出ている。先程までも大した筋肉だったが、これはそのレベルを超えている。世界記録を持つボディビルダーでさえこのレベルの筋肉を持っていないだろう、と思えるほどに。これが真柄家の血の力なのだろうか。
そして、よく片手で運転できるものだ、慣れているのだろう。まさか、いつもこの戦い方を?
「come on.」
ベルナデットさんが腰に下げた外付けのポケットのようなものから二枚のカードのようなものを取り出す。
ベルナデットさんはそれを両手で一枚ずつ持ち、こちらに見せびらかすようにカードと手のひらを見せた後、柏手を打つように両手のひらをぶつけ合わせ、そしてその二枚重なったカードを地面に叩きつけた。
直後、地面に叩きつけられたカードから膨大な煙が溢れ出した。
「魔術!」
つまり、ベルナデットさんは魔術師!
煙幕が私達の元まで到達し、ベルナデットさんの位置を見失う。
「小賢しい!」
しかし、フブキさんはそれを一喝し、大太刀を左腕で大きく一振りする。
その圧倒的な筋力と重量により生み出された一振りは空気の流れを生み出し、一瞬にして煙幕を晴らしてしまった。
ベルナデットさんはもう目前。フブキさんの大太刀が持ち上がる。
「終わりだっ!」
フブキさんの大太刀が振り下ろされる。
「You’re still sweet, sweetie.」
「幻か!」
しかし、フブキさんの大太刀はたしかにそこに存在しているはずのベルナデットさんをすり抜けて、ただ、アスファルトに巨大な
「降りろ、アンジェ!」
その言葉に私は慌ててバイクから飛び降りる。
フブキさんのバイクはそのまままっすぐ進んでいく。
私は腰から刀を抜き、ベルナデットさんと向き直りつつ、周囲を警戒する。このベルナデットさんが幻だとしたら、本物のベルナデットさんは不可視の状態でどこかにいるはずだからだ。
「Look who it is, it’s not the girl from the other day. you are Japanese Templars knight…」
幻には術者が近くにいる必要があるものと、囮にして逃げられるようなものがある。後者であればこんな悠長な事は出来ないが、後者の幻は動かず喋らない事が殆どである。
対して、今回の幻はこちらを認識し喋っている。これまでの座学の内容からして、この幻ベルナデットさんの声と動きは本体のそれを模倣しているはず。つまりこの幻は前者。周囲に術者がいなければならないタイプの魔術のはずだ。
油断なく周囲を見渡す。視線の奥でフブキさんが反転ドリフトしてこちらに戻ってきているのが見える。
フブキさんがここに来るまでにベルナデットさんの本体の位置を確認できれば、フブキさんがあのとんでもないデカさの刀でベルナデットさんを倒せるはずだ。
逆にそれが出来なければ、またフブキさんは空振る事になり、再び反転ドリフトして戻ってくるのを待つことになるだろう。
ベルナデットさんは私のそんな焦りを知ってか知らずか、再び外付けのポケットからカードを取り出す。
「You’re not being very careful overhead.」
取り出されたカードは一枚。それをベルナデットさんは天高く掲げ、直後、頭上から雷が落ちてきた。
私は咄嗟に右手を頭上に掲げて身を護る。と、右の手の甲に英国の魔女が刻んでくれたルーンが白い光を放ち、雷を防いでくれる。
「ルーン!?」
まさか私が魔術を使うとは思っていなかったのだろう――厳密には私自身が使うわけではないが――、ベルナデットさんが驚愕する。
「そこかぁ!」
そして、そこにフブキさんが前輪を浮かせた状態、所謂ウィリー走行で走ってきて、空中に向けて大太刀を振るう。
「oh, that’s a lot of power.」
フブキさんの大太刀が空中で止まり、ベルナデットさんの姿が露わになる。ベルナデットさんはフブキさんの大太刀に匹敵するサイズの巨大な光だけで構成された剣を構え、フブキさんの一撃を受け止めていた。
「アタシの一撃を受け止めるかよ……」
「I can’t believe you let me use the special something. It was a treasured possession that I had steal from Templar knights without being seen by they. Damn.」
フブキさんは自分の一撃を受け止められた事に驚愕するが、ベルナデットさんも悔しそうに吐き捨てるようなセリフを吐く。
後半はよく分からなかったが、前半はスペシャルなものを使わせるなんて信じられない、みたいなことを言ったように聞こえた。あれはベルナデットさんにとっても、とっておきだったのかもしれない。
とはいえ、状況は拮抗してはいない。僅かにフブキさんの方が優勢に見える。
しかし、片方は空中で静止、片方は前進しようとしているバイクの上。
バイクがフブキさんを置いて前進し、乗り手を失って、横転、そのまま滑っていく。
フブキさんはそれで足場を失い、落下する。しかし、即座に脚部を左腕のように筋力マシマシ状態に変化させ、空中のベルナデットさんに向けて大きく跳躍する。
ベルナデットさんは光の剣で受け止めるものの、右手も筋力マシマシになって、両手で構えられた大太刀の振り下ろしはとんでもない威力で、ベルナデットさんを支える魔力の足場が限界を迎えた。それにより、ベルナデットさんが落下する。
「今だ、アンジェ!」
「は、はい!」
目前に落下してきたベルナデットさんにむけて、私は突きを放つ。狙いは腰に吊るした外付けのポケット。あれを奪えばベルナデットさんは無防備なはずだ。
「You are sweeter than she is.」
ベルナデットさんが腰の外付けポケットを強く叩くと、外付けポケットから衝撃波が発生し、私は為す術なく吹き飛ばされる。
「アンジェ! くそっ」
遅れて地面に着地したフブキさんが振り返りざまに大太刀を横一文字に振るうが、ベルナデットさんはこれを跳躍して回避し、外付けポケットから七枚のカードを取り出す。
「させるか!」
慌ててフブキさんが立ち上がり駆け出す。
私もそれに遅れて駆け出す。
しかし、それより早く、ベルナデットさんは五枚のカードを纏め、空中に放り投げる。それは即座に剣と盾を構えた騎士の見た目を取り、更にベルナデットさんがそこにもう一枚のカードをぶつけると、騎士が次々と増えていく。
「今更手勢が増えようと!」
ベルナデットさんはさらに最後の一枚を空高く掲げる。
直後、ベルナデットさんの周囲を竜巻が纏わりつき、私も、フブキさんも吹き飛ばされる。
いや、フブキさんは足の筋力をマシマシにして、その場にとどまろうとしているが、逆に言えば、留まるので精一杯のようだ。
やがて、竜巻が消え、そこにはベルナデットさん一人が残る。
「くだらない時間稼ぎを!」
フブキさんは再びベルナデットさんに向けて大太刀を振り下ろす。
ベルナデットさんが外付けポケットから三枚のカードを取り出し、両手でギュッと握ると、先程の巨大な光の剣が出現する。そしてその光の剣でフブキさんの大太刀を受け止めた。やはり悔しそうな表情をしている。貴重なのだろう。
私もフブキさんを援護すべくベルナデットさんに向けて駆け出すが、先程たくさんいた騎士の一人が空から降ってきて、私の前に立ちふさがった。
所謂片手剣と丸いバックラーと呼ばれる盾を持った、中世の騎士のステレオタイプのような騎士だ。
正面に伸ばした左腕でバックラーを構え、右手で持った剣を左手の手首に乗せて支える構え。剣術の勉強にあたって西洋の剣術も学んだから知っている、敵の攻撃を受け流すのに向いた『弓』の構えと呼ばれる構え方だ。
私は下段に刀を構え、下から一気に強襲をかけるが、騎士はその一撃をバックラーで逸らし、片手剣で突きを放ってくる。
私は慌てて、それを半身逸らしで回避する。
「イイノカシラ? ワタシトタタカッテテ?」
ベルナデットさんが片言でフブキさんに話しかける。
「アンジェはアンジェでどうにかするだろ」
「No,No,ソウイウコトジャナクテ、サッキノKnights、ドコイッタトオモウ?」
「っ、まさか!」
「yes. マチジュウ、バラマイタ。アナタタチ、ソレ、ホウチデキル?」
まさか、さっきの大量の騎士が、町中で人を襲うというのか。
「……畜生!」
フブキさんは刀を下げ、ベルナデットさんから視線を逸らさず後退してバイクの側まで移動する。
「イイコネ」
フブキさんはバイクを起こして、一気に加速、私が苦戦している騎士を筋力マシマシのパンチによる一撃で粉砕して。
「そいつは任せたぞ!」
そのまま走り出した。
確かに機動力のあるフブキさんなら町中に散らばった騎士を倒して回るのに最適だろう。
ということは、私がベルナデットさんの相手をしなければならないわけか。
私は刀を中段に構え直して、ベルナデットさんに向き直る。
「マダヤルノ?」
ベルナデットさんは巨大な光の剣を構え、こちらに向き直る。
あれはフブキさんの大太刀に匹敵する剣。この刀と鍔迫合えば負けるのはこちらだろう。
迂闊に攻めればあの剣で受け止められて押し切られる。相手が何か隙を晒すのを待つべきだ。
私は刀を下段に構えたまま、じっとベルナデットさんの全身を見据える。視野を広く持って、細かい動きさえ見逃さない。
ふと、ベルナデットさんが片手を剣から手放し、外付けポケットに手をのばす。
「そこっ!」
一気に踏み込む。
ベルナデットさんが外付けポケットからカードを取り出す。
あのカードがなんなのかは分からないが、使わせればまたろくなことにならないことだけは明らかだ。
私は刀を下から切り上げ、小手を狙う。
「oh」
ベルナデットさんはそれに対処して避けようとする。少し踏み込みが甘かったか、小手を狙い続けるのは難しい、なら……。
「shit!」
刀の先端がカードに命中し、カードが弾き飛ばされる。
ベルナデットさんがカードに手を伸ばす。
「させるかっ」
私もカードに手をのばす。
距離的にはベルナデットさんの方が近い。
くっ、あんまり使うとアオイさんがいい顔しないと思うけど……。負けるよりは良い!
並走するベルナデットさんに向けて左腕を向ける。
「
私の叫んだ
「取った!」
「I can't believe there are Japanese Templar knight who use magic so much in Japan.」
カードを掴む。
直後、背後からの危機を感じ取り、カードをポケットに仕舞いながら、咄嗟に駆け出す。
振り向くと、先程まで私がいた位置に巨大な光の剣が振り下ろされていた。
「Oh, right, it is the "later first". Then there's ...... a way.」
ベルナデットさんが再び巨大な光の剣を構える。
再びにらみ合いか。次もチャンスは逃さないぞ。
十数分にも及ぶにらみ合い。アオイさんやアカリさんとの鍛錬のおかげで機を待つことにも耐性が着いてきた。後は相手が焦れるのを待つだけだ。
「おまたせしました、アンジェ」
ルーンの発動を検知したのだろう、英国の魔女が空中から現れる。
「……えーっと、アンジェ、まさかとは思うのですが……」
何故か、言いにくそうに英国の魔女が言う。
「その幻とずっとにらめっこを……?」
「え?」
そういえば、あの攻防の後は剣を構えたきり本当に微塵も動かなかった。
私はすり足で近づき、ベルナデットさんを斜めに切る。その刀は見事にベルナデットさんをすり抜けたのだった。
「や、やられた……」
思わず膝を付く。
私はまんまとベルナデットさんに逃げられたようだった。
「……とりあえず、両手のルーンを貼り直しましょうか」
「……お願いします」
ホワイトインパクト後のあれこれは終わったのに、私は未だに英国の魔女のお世話になっている。
とはいえ、今回、彼女のルーンがなければあそこまで戦えなかったかもしれない。
彼女の目的がなんなのかは分からないが、ここまで世話になっている以上、何か報いる事は考えたほうが良いのかもしれない。
「いいのですよ、私は私の住むこの地の安寧をあなたが五体満足なまま守り続けてくれるなら、それが何よりの返礼です」
「心を読まないでください。……言っておきますが、どれだけ良くされても、明らかな犯罪を見逃したりはしませんよ」
「もちろんですとも、私は、魔術を使わない日常を謳歌したいだけなのです」
私の両手にルーンを刻みながら、英国の魔女はぽつりとそんな事を言った。
「あなた、魔術を使いたくないのですか……?」
「さぁ、ルーンが貼り終わりましたよ。どうやら、討魔師の皆さんは崎門神社に集まっているようです。あなたも向かったほうが良いでしょう」
そう言うと、英国の魔女はふわりと浮き上がり、どこかへと飛び去っていった。
「……」
逃しました、と報告するために向かうのはなんとも気が重い。
だが、行かないわけにも行くまい。
私はとぼとぼと、崎門神社に向けて歩き出した。
竈門町にいる限り、崎門神社に向かうのはそう難しくない。
崎門神社は長門区最高峰の山である竈門山の山頂に存在し、竈門町は背の高い建物は多くないため、どこからでも竈門山の存在を見ることが出来る。
なので基本的には竈門山の方向に向けて歩き続ければ、崎門神社に辿り着ける理屈だ。
かれこれ一時間かけて、私は崎門神社の入り口に立った。
それは竈門山を登るための長い長い階段。再びため息一つ。階段を登り始める。
「アンジェ。来たのですか。フブキは?」
登ってきた私を出迎えたのは、アオイさんだ。そして、カリンも来ていたらしい。カリンは竈門町の討魔師なので当然か。
「ベルナデットさんが町中に騎士をばら撒いて、それを倒しに行きました」
「それは報告を受けて知っています。そして一通り倒し終わったので、アンジェを回収して戻ってくるとのことだったのですが……」
しまった。独断で行動してしまった。
「あぁ……。すみません、ベルナデットさんを見失ってしまったので、その報告をしないと、と思ってこちらに……」
「なるほど、そういうことでしたか。ではフブキにはこちらで連絡して戻ってきてもらいましょう」
そう言うとアオイさんはスマートフォンを取り出して連絡を始めた。恐らくフブキさんと連絡を取っているのだろう。
ややあって、フブキさんが階段を登って……いや、跳んで来た。足を筋肉マシマシにして跳躍して登ってきたのだろう。
「あれがフブキさんの血の力なんですか?」
こっそりと、アオイさんに尋ねる。
「えぇ、全身の筋肉を強化する。それが真柄家の血の力です。あれはまだ第一段階で、より強いものになると、肌が赤くなり、額に角が生えるそうですよ。真柄家が過去に強力な鬼と交わったためと言われていますね」
鬼か。赤い肌に角と言われるとまさにステレオタイプな鬼だ。血の力の多くはかつて魔と交わったがゆえに生じたものと聞くが、真柄家のそれは分かりやすい。
「待たせてすみません、アオイさん。それで、あの魔術師は?」
最後の一段を普通に登ってくるなり、謝罪と、そして問いを発する。
「……すみません、逃しました」
そして、アオイさんが言葉を発する前に、私が謝罪を口にする。
「ちっ、そうか……」
フブキさんがそう言いながら、こちらに近づいてくる。
「おい、アンジェ。アタシがあいつを地面に叩き落とした時、なんで、あんな半端なところを狙った?」
「え……、と、ベルナデットさんの魔術は必ずあのポケットから使われてたから、それを無力化すれば、と」
「甘ぇな。厳密には警告も発してねぇ場面だから、首を刎ねろとは言わねぇが、腕を狙っていれば、まだ結果は違ったかもしれねぇ。要するに、お前、まだ人を斬ることに抵抗があんだろ」
「それ、は……」
否定出来ないかもしれない。これまで私は人を斬った事などないのだから。
「別に人を斬れるようになれ、なんて偉そうに言う気はないけどさ。お前が斬らなかったら、その斬らなかった相手が、他の誰かを害するかもしれないんだぜ」
……それは、その通りだ。
ベルナデットさんが何を目的として、盗みに入ったのかは分からないが、少なくとも町中に人を殺す騎士をばら撒くような魔術師だ。次に何をするつもりなのか想像もつかない。
私が黙り込んだのを見て、自分の言いたいことが伝わったと見たのか、フブキさんはアオイさんに視線を戻す。
「それで、なにか分かったんすか? 盗んだものとか」
「ミノリ君によると、一冊、本がなくなってるみたいね」
フブキさんの問いにカリンが答えた。
「本? 魔導書か?」
「ミノリ君の報告によれば、『象棋百番奇巧図式』と呼ばれる詰将棋の本ですって」
「詰将棋?」
カリンの言葉に首を傾げるフブキさん。
「お二人が戻ってくるまでに軽く調べてみましたが、江戸時代における詰将棋の最高峰とされる作品の一つだそうです。『将棋図巧』とも呼ばれているようですね、国立国会図書館に収蔵されているはずですが……」
「ミノリ君のお祖父さんによると、崎門神社の蔵にある本は全部原書のはずだから、他にあるのは写しだって」
「どうだかな。アタシの
あのバカ長い刀は太郎太刀というのか。
「とはいえ、こちらの記録ではそれが魔導書という記録はありません。なぜそんな本を盗んだのか、判断が付きませんね」
「そう言えば、アンジェ、お前、あの魔術師の事知ってるみたいだったよな?」
アオイさんが唸るのを見て、フブキさんがこちらに話を振ってくる。
「あ、はい。ベルナデット・フラメルさん。棋士だそうです」
「どれどれ……なるほど、ベルナデット・フラメル、奨励会の三段ですか。身分が明らかなのは助かりますね。盗みに入った映像もあることですし、窃盗事件として、対霊害捜査班に動いてもらいましょう」
アオイさんがスマートフォンで検索する。
対霊害捜査班。以前に会ったアオイさんのお父さんであるマモルさんが所属しているという警視庁内の対霊害組織か。
「棋士? じゃあなにか? この事件は棋士であり魔術師でもある女が超絶レアな詰将棋本を求めて行った窃盗事件だって言うのか?」
「現状ではその可能性も否定しきれませんね」
「もしそうなら……、彼女の目的はこれで達成されたわけだから、これ以上の被害は出ない事になるわね」
「流石にそんなわけはねぇだろ。たかだか詰将棋本一冊のために、自身が魔術師であることを晒し、町中に人殺し騎士をばら撒くなんて普通じゃねぇ」
「普通の人間は魔術師になんてなりませんよ」
「そりゃそうかもしれないっすけど……。カリン、本当に他に盗まれたもんはなさそうなのかよ?」
「……えぇ、目録と蔵の中のものを全部比較したそうだけど、件の本以外は全部存在していたそうよ」
やはりフブキさんに対しては思うところがあるのか、カリンが一瞬、顔を歪ませてから、返答する。
「それにしたって、そのミノリとやらも、その祖父も、普通の人間なわけだろ? なにかの魔術で欺瞞してる可能性はあるんじゃねぇか? アオイさん、魔術欺瞞を見抜ける人を呼んで、確認したほうが良くないっすか?」
「そうですね。それは手配しておきましょう」
ところで、とアオイさんが続ける。
「そのベルナデットさんは魔術師だったとのことですが、具体的にどのような魔術を?」
「魔術には詳しくないっすけど、なんかこうカードみたいな物をポケットから取り出して、そのカードから魔術を使ってたっすよ」
「ルーンカードのような魔術図形を記したカードを使った魔術でしょうか?」
「それはどんな魔術なんです?」
「要はルーンのように刻むことで効果を発する魔術の図形を事前にカードに書いておくことでカードから即座に発動出来るようにしたものですよ。私達の符術も似たようなものですね」
「なるほど」
確かにそれで説明は付く。
「あ、けど、フブキさんの攻撃を受け止めた時、「とっておきだったのに」みたいなことを言ってたような……」
「だから、フブキで良いって。しかし、そうだったのか、そいつは妙だな。単に魔術をショートカットするためのカードなら、そんな貴重さみたいな概念はなさそうに思えるが……」
いや、今回、迷惑をかけてしまったし、呼び捨てにするのはちょっと申し訳ない。
「謎は謎ですが、これ以上の考察は実物のカードが無いと判断が付きませんね」
確かに……、あ、そういえば。
ポケットからカードを取り出す。
「そういえば、相手が使おうとしたカードを一つ奪えました」
「おぉ、ただではやられなかったんだな、偉いぞアンジェ!」
喜ぶフブキさん。
「ふむ、確かに図形などが書かれている様子はないですね……、宮内庁で解析してみましょう」
アオイさんがカードを受け取り、ポケットにしまう。
「結果はまた追って報告します。今日のところは解散としましょう」
「了解っす」
「分かった」
カリンとフブキさんが頷き、踵を返していく。
「あ、アンジェは少し待ってください」
私もそれに続こうとするが、アオイさんに引き止められる。
「今回、連絡に不自由したので、痛感しました。〝守宮"殿と相談して、携帯電話を一つ買ってもらいましょう。明日の片浦家での鍛錬は休んでいいので、"守宮〟殿と携帯電話を買いに行きなさい」
「分かりました」
実際、今回携帯電話があればかなり便利だっただろう。フブキさんに無駄に私を探して回ってもらう必要もなかったはずだ
「伝達事項は以上です。〝守宮〟殿には私からも連絡しておくので、必ず買うのですよ」
私はその念入りの通達に頷き、二人に遅れて階段を降り始める。
厳密にはフブキさんはとっくにいないので、私の前にいるのはカリンだけだが。
「災難だったわね」
私が階段を降り始めたのに気づいてか、カリンが振り向いて私に声をかけてくる。
「え?」
「相手が魔術師だったこと。フブキはあんなに簡単に言っていたけど、人間を傷つける覚悟なんて簡単じゃないわ。まして、アンジェは普段、真剣での鍛錬もしてないのだし」
あの真剣での鍛錬にはそういう意味もあったのか。
「けど、人間に真剣を向けることへの抵抗を無くすなんて、普通じゃない。そんなこと、しないで済むならその方が良いと思うわ」
この前の話で、カリンはどちらかと言うと嫌々討魔師になったらしいことが伺えた。この発言はカリンの嘘偽り無い本音なのだろう。
「気を遣ってくれて、ありがとうございます。けど、私はいつかあの悪路王を倒さないといけない。彼は悪魔ですが、人間によく似た姿をしている。人間を斬れるようにならなければ、私の目的は果たせない」
「そう。ならまずは、アオイさんと相談すると良いと思うわ。今のアンジェがいきなりアカリさんと真剣で立会するのは危険だと思うから」
「ありがとうございます。そうしてみます」
それから数日が過ぎた。
警察はベルナデットさんの居室を尋ねたが、すでにそこはもぬけの殻。退去後の足取りを追っているが、なかなか難しい状況とのことだ。
蔵については、宮内庁からは直々にアオイの母親であるミコトさんが来て確認したそうだが、魔術による欺瞞は見つからなかったとのことだ。つまり、ベルナデットさんはやはり『象棋百番奇巧図式』だけを盗んだということになる。
その間に私はヒナタからのアドバイスも参考にして、Lemon社のlPhone5cを購入した。
2013年の9月に発売されたモデルで、小型で取り扱い易い。2014年のモデルであるlPhone6が発表されてからはLemon社のオンラインストアからは買えなくなっていたが、キャリアの携帯ショップではまだ取り扱っていたので助かった。
そして、年が代わり、三ヶ日も終わり、2015年の1月4日。翌日はいよいよ学校という日曜日。
「うーん、このエンシェントデビル強いねぇ……」
私は久しぶりに尋ねてきたヒナタと、昼から夕方まで『デビルハンター4ダッシュ』に興じていた。
こうしている場合ではない。次にベルナデットさんが現れたら、どうすればいいのか、考えなければならないのに。
結論が出ないまま、私は事態を先送りにしていた。
「アンジェもなんか心ここにあらずって感じだし」
う、すみません。
それはそれとして今戦っている爆発属性のエンシェントデビルはかなり強い、あちこちに爆発を撒き散らすし、しかも、突然、自身を中心として超新星爆発の如き大爆発を発生させて、プレイヤーキャラクターを戦闘不能に追い込んでくる。
「はぁ、今日は解散しようか。けどさ、アンジェ、ゲームが気分転換にならないくらい悩んでるなら、さっさと解決しちゃいな。相談できる相手がいないわけじゃないんでしょ?」
確かに。カリンからも「アオイさんに相談すると良い」と言われている。今日は日曜日で鍛錬は休みなので、明日の鍛錬の時に相談してみるか……。
と、ヒナタを見送った直後、スマートフォンにアオイさんから電話が来る。
「はい、アンジェです」
「アオイです。例のカードについて分析が終わったので連絡しました。あれは、マテリアルカードと呼ばれるカードだそうです。ケーテ式と呼ばれる錬金術に使われるものだそうで」
「錬金術? ってあの、鉛を黄金に変えるっていうアレですか?」
「そうです。厳密には様々な物質を別の物質に変換する魔術ですね。そして、一口に錬金術と言っても、いろんな方式があります。その中でもケーテ式は実戦に特化したタイプの錬金術だそうです」
「と言うと?」
「普通、錬金術は物質を別の物質に変換する手間がかかります。例えば、最近の
聞き覚えのない単語が出てきたが、それは一度スルーすると、ヒナタがおすすめしてた錬金術のゲームに似ているな、と感じた。あれも錬金は戦闘前の準備として行うもので、戦闘中に錬金して作ったアイテムを活用したり、錬金で作った装備品を装備するのが主な戦い方であって、戦闘中に錬金はしない。いや、10年前辺りのタイトルは戦闘中に錬金をして戦う、とヒナタが言ってた気がしないでもないが。
まぁともかく、納得できる理屈だ。
「ですが、ケーテ式は戦闘中に錬金を行い、それを使って戦う、という目的のために編み出された方式です。具体的には事前に素材となるものを時間をかけてマテリアルカードに変換しておくことで、マテリアルカード同士を使った錬金をその場で瞬間的に行える、というものだそうです」
「結局事前に準備がいるのには違いないけど、生成物そのものではなく素材を持ち歩けるから、戦闘時に選択肢が増える、というわけですね」
「はい。しかも、カードの形をしていますから、持ち運びも容易です」
「なるほど、つまり相手は実戦のために錬金術を磨いた魔術師、ということですか」
「おそらくは。あるいは、専門も錬金術で、実戦用にケーテ式も使うということの可能性もありますね」
「どちらにしても、相手はケーテ式と呼ばれる錬金術を使う、ということですね」
「はい。分かったことはそれくらいです。それでは、私は他の二人にも連絡しなければならないので……」
「あ、アオイさん」
「なんですか?」
「私……人を斬る事に慣れたいんです」
「……それで?」
「私と、真剣で稽古を付けてください。人に真剣を向けることに慣れたいんです」
「……本気なんですね?」
「はい。私の、討魔師になった目的には、それが必要なんです」
「父上の仇、でしたか。……いいでしょう、では、明日からは片浦家での鍛錬は辞めとします。今後は夜、私と鍛錬をしましょう、真剣で」
その頃、月夜邸の外。
「ベルナデット・フラメルは錬金術師!? ……そうか、フラメル! その名前を聞いた時点で気付くべきだった!」
悔しそうに魔女は呻く。
「……真剣を人間に向けることに慣れる、か」
そして続く話題に魔女が唸る。魔女には理解できる。それが彼女に必要なことだと。
だが、魔女はそれに複雑な感情を抱くのだった。
……なんてね、私の領域に一度足を踏み入れて、その繋がりを維持し続けている魔女さん、それはあなただけが使える繋がりではないのよ。
そして、翌日。
三学期が始まる。
私は昨日ぶりにヒナタと、そして久しぶりにアキラと、三叉路で合流する。
……そういえば、最近ヒナタがセクハラしてこないな。いや、良いことなのだけど。
「休みの間何してたー?」
「私、実はベルナデットさんに憧れて、将棋の勉強始めちゃった」
ヒナタの問いにアキラが答える。
「へぇ、チェスしかやったことないなー、将棋って面白い?」
「うーん、私はチェスをやったことがないから比較はできないけど、どちらもチャトランガを源流としてるゲームだし、似たようなものだと思う」
「チャトランガ?」
聞き慣れない言葉に私は聞き返す。
「古代インドのアナログゲームだよ、将棋やチェスのルーツだね」
それにヒナタが解説する。
「へぇ、アキラ、よく知ってましたね」
「うん、実は戦術とかより起源とかの方に好奇心がいっちゃって」
「へぇ、勉強好きのアキラらしいですね」
アキラは勉強が好きだ。学年二位――かつては三位だったが私が二位の座を失ったので今はアキラが二位だ――の地位にいるのも、ひとえに勉強して知ることが趣味というアキラの性質に由来している。
「知ってる? 将棋の三列目にいる道具は全部貴重品なんだよ」
「へぇ、そうなんですか?」
「うん、金将と銀将はそのまま金と銀、香車は香料や香木、桂馬は
「へぇ、王と区別するために玉になったんだと思ってたよ」
とヒナタ。いや、私は玉という駒があることさえ知らなかったし、金将、銀将、香車、桂馬も初耳だ。
「あはは、アンジェがちんぷんかんぷんって顔してる。そのうちテレビゲームばかりでなくアナログゲームも遊ぼうね」
「そうしましょう」
ここは素直に受け止めておく。
「って事は、三列目にいる貴重品を、歩兵と
「そういうことだね」
「で、貴重品を敵陣まで持ち込めれば金に交換出来るんだね」
「? どういうことです?」
「あぁ、将棋では、駒を敵陣まで入れると、駒を裏返して「成る」事ができるんだよ。「成る」と、飛車と角行以外は金の動きになるの。だから、成金って言うんだよ。裏返した先の文字は全部金の崩し文字なんだって」
成金って将棋用語だったのか。
「ちなみにチェスだと「プロモーション」っていう似たようなルールがあるんだよ。こっちだとクイーンになれるから、将棋の「成る」より強いね」
「まぁその代わり将棋は持ち駒を使えるからね。『プロモーション』でクイーンになるのは、チェス盤をモチーフにしてる『鏡の国のアリス』のギミックで使われたりしてるよね」
「お、アキラ、『鏡の国のアリス』読んでるんだー」
将棋が分からないせいで、油断すると話に置いていかれる。
「そういえば、アキラ、一つ聞きたいことがあるのですが」
いい機会だと思ったので、分からないまま放置していた言葉について聞いてみよう。
「詰将棋って何か知ってますか? 知り合いが話していたのですが、将棋に関わる何かだろうと思った程度で理解が止まってまして」
「あぁ、詰将棋っていうのは、簡単に言うと将棋を使ったパズルゲームだね。限られた盤面で規定の手番以内で「詰み」……まぁ勝利する、みたいなゲームだよ」
「なるほど、詰将棋の本、という文脈だったのですが、あれはパズルゲームを集めた本、という意味だったのですね」
「うん、その理解でいいと思う。将棋のルールを勉強するのにもいいから、今度一緒に遊ぼうよ」
「良いですね」
そうこう話しているうちに校門に差し掛かる。
私達の三学期の始まりだ。
to be continued……
「退魔師アンジェ 第16章」の大したことのないあとがきを
こちらで楽しむ(有料)ことができます。
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