Vanishing Point / ASTRAY #02
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「カタストロフ」の襲撃を逃れ、キャンピングカーでの移動を始めた三人はまず河内池辺で晃と合流、それぞれのメンテナンスを行うことにする。
途中、河内池辺名物の餃子を食べる三人。その後、「カタストロフ」の襲撃を受けるものの撃退し、RVパーク池辺で一同は一泊することになる。
朝、辰弥は晃と話しながら朝食を作る。
全員で朝食を食べながら、辰弥は馬返東照宮へ行きたいと改めて口にする。
晃から生体銃を受け取り、三人は移動を開始する。
馬返に到着した三人は馬返東照宮までの道で食べ歩きを始める。
「おー、うまそー!」
そう言い終わらぬうちに日翔が饅頭にかじりつく。
それを見て辰弥と鏡介も饅頭を口に運んだ。
衣と、揚げられた湯葉のサクサクとした食感が食欲をそそる。
「……ん、」
『甘いー! 甘いのいいね、辛いのなんてクソ喰らえ』
ノインの言葉遣いが気になるが、これが素、というものだろう。
下手に注意しても聞く耳を持たないのは分かっているのでスルーし、辰弥も饅頭に集中した。
まず、口に広がる塩味は衣に付けられたものだろうか。直後、小豆餡のガツンとした甘さが口いっぱいに広がり、塩味によって引き立てられていく。丁寧に練られた小豆餡は本物の小豆を使ったもので、同時に衣も湯葉も合成食材ではなく本物の材料を使って作られていることに気付かされる。
普通、屋台飯と言えば食品衛生法や食材の管理等の観点から、合成素材のフードトナーを使ったプリントフードである。比較的安価に量産できるし特殊な技術を求められないので、祭りの縁日やちょっとしたイベントで活躍するのは辰弥も知っていた。
しかし、この店の揚げゆばまんじゅうは観光地という多くの人間が集まる場所で、本物の食材を使用している。代金もそれなりに高かったが、それは観光地という付加価値によるものだと思っていた。だが、本物の食材ということを考えると本物の食材こそが付加価値であり、この饅頭を作るのに必要な材料費を考えると逆に安い。
いくら桜花が御神楽財閥のお膝元で、諸外国に比べて本物の食材が入手しやすいとはいえこの味を維持し続けるには相当な努力が必要なはずである。それとも、御神楽が馬返東照宮という世界遺産を保護すると同時に歴史的観光地としての文化を維持するために多額の支援を行っているのだろうか。
御神楽の「世界平和」という理念は理解できる。人々が飢えることも争うこともなく、文化的な生活を送れるように、と採算度外視の福祉事業に力を入れているおかげで、辰弥もその恩恵にあずかれている。
「うまいな」
饅頭を食べながら鏡介も呟く。
「……来て、よかったな」
「うん」
この旅がただの観光旅行ではないことは分かっている。「カタストロフ」から逃げ延びるための逃避行であることは重々承知している。
だが、だからといって楽しんではいけないというルールはどこにもない。逃げ延びた先で本のひと時の安らぎを得る、それくらいの権利はあってもいい。それに、これからどのような旅になるかは予想すらできない。「カタストロフ」の追っ手に追いつかれるのか、それともそんなことなく平和に逃げられるのか。
それを占うために馬返東照宮に立ち寄ろう、という話もしていたが、こうやって三人で買い食いをしていると、自分たちの旅が逃避行であることを忘れてしまいそうになる。
ぶらぶらと大通りを歩きながら、三人は東照宮に飾られているという「見ざる聞かざる言わざる」のサルをモチーフにした人形焼きや香り豊かな葉山椒を詰めた塩にぎりを楽しんだ。
「いやー、すげえな。観光地のグルメ、舐めてたわ」
両手に持った塩にぎりを交互にかじりながら日翔が笑う。
「俺の推測だけど、御神楽が文化保持のために支援してるんじゃないかな」
辰弥も塩にぎりを頬張りながら自分の考えを口にする。
その瞬間、日翔がげっ、と声を上げたのを聞き逃さなかったが、辰弥はそれをスルーして鏡介を見た。
「ああ、かなり御神楽の支援の手が入っているようだ。日翔には耳の痛い話かもしれないがこういう方面で御神楽は世界平和を目指している、ということだ」
「ぐぬぬ……」
両親が御神楽陰謀論を信じる反御神楽思想の人間だったために日翔もその思想を色濃く受け継いでいる。
辰弥が食材を調達するために足しげく通う「カグラ・マート」も御神楽系列ということで日翔としては色々思うところがある。
辰弥を造り出した研究所が、御神楽系列であることを考えると御神楽財閥も清廉潔白ではないのは明らかだが、それを言うと日翔にALSの治療薬の治験を受けさせるために手を組んだサイバボーン・テクノロジーも、それと敵対した榎田製薬やワタナベといった各種企業も、もっと腹黒いことをしているはず。水面下で御神楽財閥や他のメガコープの足を引っ張ることは当たり前、人を人と思わぬ扱いも日常茶飯事である。それを差し置いて御神楽財閥だけを悪と叫ぶのは正しいことではない、それは日翔も薄々感じていたことではあったが、それでも御神楽陰謀論を捨て去るのは日翔にとって両親を捨て去るにも等しいことだった。
「ま、これで考えを改めろとは言わん。が、お前も少なからず御神楽の支援を受けているということは覚えておけよ」
「……おう」
「あ、ここから上っていくのかな」
鏡介の言葉に日翔が少々気を落としたところで辰弥が声を上げた。
日翔と鏡介が辰弥の指さす先を見るとうっそうと茂った木々の間に東照宮へとつながる階段が見えた。
「おー、こりゃ上りがいがありそうだな」
周囲を見ると観光客たちもぞろぞろと階段を上り始めている。
見たところ、階段はそう長くなく、すぐに整備された歩道に繋がっているようだが東照宮の社殿まではそこそこ距離があるようだ。
「食べ歩きの腹ごなしにはちょうどいいんじゃない? 行こう」
早く行きたい、とばかりに辰弥が先に立って階段を上り始める。
「あ、辰弥待てよ!」
辰弥を追いかけ始める日翔。
しかし、その肩を鏡介が掴んだ。
「待て、日翔」
「何だよ」
「少しだけ話したいことがある」
そういった鏡介の面持ちはまじめなものだった。
それに日翔も動きを止め、鏡介を見る。
「なんかあったか?」
「――辰弥のことだが」
少し先に立って歩く辰弥の背を見ながら鏡介が低い声で続ける。
「かなり、無理していると思う」
「あー……」
感情の機微に疎い日翔にもピンときた。
日翔は、辰弥が千歳を殺したという事実しか知らない。自分に晃と生体義体を届けるためにノインと融合したという事実しか知らない。そこにどのような感情があったのか、どのようなやり取りがあったのかは知らなかった。全て終わった後に鏡介から聞かされた事実でしか何があったのかを把握していなかった。
一応は辰弥も殺意を持って千歳を殺したわけではない、とかノインを融合した裏でどのような感情が渦巻いていたのか、とかそういったものは鏡介からの話で理解できるものではない。辰弥本人ではないから何を思ってその決断に至ったかなど分かるはずがない。自分以外の人間の気持ちを察するなど国語の定期テストで「これを書いた作者の気持ちを答えろ」と問われる並みに不可能なことである。
とはいえ、辰弥の心の内を完全に理解できずともどのような状態なのかはなんとなく分かった。
旅が始まり、未来に希望を持って歩いているようでも、その心の奥底に苦い感情が押し込められているのは時折見せるぼんやりした表情で分かる。
辰弥はまだ過去に縛られている。積み重なった過去に押し潰されそうになりながらもそれを気取られないように歩いている。
「父さん」と呼べないのもそこに根があるんだろうな、と考え、日翔はああ、と頷いた。
「この旅で、少しでも重荷が軽くなるといいな」
「ああ、辰弥には幸せになる権利がある――本人がその権利はないと思っていても、俺は辰弥に幸せになってほしい、と思う」
「俺も」
LEBだから、人間ではないから、と不幸になる必要はない。本人が幸せだと思っているなら、その幸せは偽物だ、本物の幸せを掴め、と言うのはただの偽善だと分かっているが、日翔と鏡介の目には今の辰弥は幸せになる権利を放棄してしまっているように映っていた。
それとも、辰弥はあれで幸せなのだろうかと考え、鏡介はかすかに首を振った。
旅ができる、おいしいものが食べられる、それだけで満足せず、もっと強欲に幸せを求めてもらいたい、と思う。
それを見つけられるのが自分たちだ、と鏡介は辰弥を追って足を踏み出した。
「今はそっと見守ろう。やぶれかぶれになるなら止めるだけだ」
「そうだな」
並んで歩きながら日翔も頷いた。
辰弥の幸せは二人とも心の底から願うものだった。辰弥が幸せになるなら自分たちが苦しんでも構わない、と思えるほどに。
それが本末転倒であることは分かっていたが、それでも辰弥には心の底から笑ってもらいたかった。
ここからは大人たちの仕事だ、そんなことを考えつつ二人は辰弥に追いつき、並んで歩きだす。
「先に行くんじゃねえよ」
日翔がそう言って辰弥を小突くと、辰弥も苦笑して日翔を見る。
「だって馬返東照宮だよ? 色々回りたいじゃん」
「ま、そりゃそうか」
そんな会話をしながら、三人は表門へと続く通路を歩いていた。
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