縦書き
行開け
マーカー

天辻家の今日のおやつ ハロウィン特別編「かぼちゃプリン」

 
 

 最近、妙にかぼちゃヘッドのキャラクターやシーツお化けモチーフの飾りが多いなと思ったらハロウィンだった。
 お化けや幽霊といったオカルトは廃れて久しいが、それでも子供だましのネタとしては人気があるのでシーツお化けやゾンビパニックもののゾンビがデフォルメされたキャラクターは根強い人気がある。それがハロウィンとなるとなおさら、だ。
 とはいえ、辰弥はそのようなイベントに興味があるわけではない。厳密に言うと興味がないわけではないが、このようなイベントは大抵そのイベントに合わせた料理が登場するので気になっている程度である。
 実際、ハロウィンと言えばかぼちゃが出回り、かぼちゃを使った様々なレシピがSNSを賑わせる。
 いくらプリントフードが主流になったアカシアこの世界でも時には本物食材を口にしようと謳い、「御神楽みかぐら財閥」が福祉の一環として季節ものの食材を格安で「カグラ・マート」に展開してくれるのだ。フードトナーに比べて割高の食材を少しでも安く買いたい辰弥にとってはこういったイベントに乗るに越したことはないのである。
 店頭にうずたかく積まれたかぼちゃを手に取る。
 ずしりとした重さはしっかり身が詰まっていることを感じさせる。
 いいかぼちゃだ、と辰弥はふと口元に笑みを浮かべた。
 このかぼちゃを使って何を作ろうか、そう、辰弥が思ったところで山積みにされたかぼちゃの横に「子供も喜ぶハロウィンのかぼちゃレシピ!」と書かれたPOPが目に付いた。
 POPには二次元コードがプリントされており、それを見るとGNSが自動的にコードを読み取り、スーパーが用意した特設サイトへとアクセスしてくれる。
 二次元コードの視覚アクセスは悪意を持った人間が利用すると詐欺やGNS内のストレージ操作といったトラブルに巻き込まれやすいので気を付けろ、とは鏡介に言われている。
 それでも、天下の「カグラ・マート」でそんな悪意的な利用がされるとも思わなかったのと、鏡介お手製の追跡アプリによる事前調査でアクセス先が問題ないと判断し、辰弥は一見不用心にも見える視覚アクセスを行った。
「……ふむ」
 視界に投影される様々なかぼちゃレシピ。
 今まで作った料理のレシピだが、ほんのひと手間加えるだけで華やかなハロウィンカラーを醸し出し、見る目を楽しませる。
 ジャック・オー・ランタンを模した飾り切りの人参が添えられたかぼちゃのシチューや小ぶりのかぼちゃを丸ごと使ったグラタンなど、見ていて飽きない。
 さて、何を作ろうか、と辰弥はレシピを閉じ、もう一度かぼちゃコーナーを見る。
 ハロウィンの時期だからか、かぼちゃも普段よく見かける黒皮栗かぼちゃだけでなく皮の処理がしやすくてお菓子作りにも適した宿儺かぼちゃや一つ一人分として丸ごと使えば写真映えしそうな坊ちゃんかぼちゃなど、何種類ものかぼちゃが並べられていた。
 ふと、気になって辰弥が坊ちゃんかぼちゃを手に取る。
 辰弥の握りこぶしよりも幾分か大きい程度の坊ちゃんかぼちゃは、小さいながらもずしりとした重量で存在感を放っていた。
 ――もし、このカボチャの皮を入れ物にして料理をしたらバズるかな。
 そんな考えがふと脳裏をよぎり、辰弥はだめだだめだと首を振った。
 自分は暗殺者、迂闊に料理写真をマイクロポストSNSに上げてバズるわけにはいかない。
 以前、偶然見栄えのいい料理ができたからと写真に撮ってSNSで自慢した時のことを思い出す。
 アカウントも情報収集のために作ったばかりで、フォローもフォロワーもほとんどいなかったのに、その料理の写真を上げた途端、思いもよらない数のいいねやリポストが押され、プチバズってしまったがために速攻アカウントを消さざるを得なかった事件はまだ記憶に新しい。
 鏡介に「特定されるから迂闊に写真を上げるな」と怒られたことを思い出せば、SNSにまた料理写真をアップロードする気にはなれない。
 それでも、辰弥もふと思う時はあるのだ。
 もし自分が暗殺者ではなくて、ごくごく普通の一般人だったら好きに作った料理で万バズできていたのだろうか、と。
 そんなことを望めるような存在ではないと、辰弥も理解している。理解しているから、料理写真は記録として撮影してもSNSに上げるようなことはしない。
 しかし、この坊ちゃんかぼちゃで何かを作りたい。
 グラタンもいいし、肉詰めもボリュームがあるうえに肉だから日翔が喜ぶだろう。シチューを作ってかぼちゃの中に入れてもいい。
 そんなことを考えてはいたが、辰弥にしては珍しくなかなか献立が決まない。
 どうしよう、と辰弥はもう一度レシピ集にアクセスした。
 どの料理もとても美味しそうで、目移りする。
 しかし、レシピ集をしばらく眺めていると自然と献立は決まってくるもので。
 辰弥の目が一つのレシピを捉える。
「かぼちゃプリン……」
 それは、小ぶりのかぼちゃをくり抜いて器にし、中の身を混ぜ込んだプリンのレシピだった。
 小ぶりのかぼちゃ、と見て辰弥の視線がかぼちゃコーナーの一角に流れる。
 握り拳より少し大ぶりな程度の大きさの坊ちゃんかぼちゃ。
 これだ、と辰弥は頷いた。
 これならハロウィンのおやつにもぴったりで、季節ものの食材を使った料理としても申し分ない。
 決めた、と辰弥は手を伸ばし、坊ちゃんかぼちゃを三つ、籠に入れた。
 他にも煮付け用に、と通常の黒皮栗かぼちゃも籠に入れる。
 プリンを前にした日翔の笑顔を想像し、辰弥はそれなら、と製菓コーナーに移動した。
 製菓コーナーは辰弥の思惑通り、ハロウィンのおやつを彩る小物が多めに並べられていた。
 その中からジャック・オー・ランタンの顔がプリントされた旗のピックを手に取り、籠に入れる。
 これだけ揃えれば誰が何と言おうともハロウィンのおやつである。
 せっかくの季節行事だから楽しもう、と考え、辰弥は次の食材を買うために製菓コーナーを後にした。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「さて、と」
 まな板の上に置かれた三つの坊ちゃんかぼちゃを前に、辰弥がパン、と手を叩く。
 日翔がこのかぼちゃを見つけた時に、「明日のおやつに使う」と説明したが、それは通常のプリンに比べて大きいため冷やす時間が長くなるからである。三日目夜日の内に作っておけば翌巡のおやつ時間には程よい状態で食べられるだろう。
 まずは坊ちゃんかぼちゃの上部を数センチのところで切り、蓋と器の部分に分ける。
 スプーンでかぼちゃの種とワタの部分を取り出し、ラップフィルムをかけて電子レンジにかける。
 そうしないとかぼちゃが硬くてくり抜けないためだ。
 かぼちゃを電子レンジにかけて柔らかくしている間に、辰弥は取り出したワタをざるに入れ、丁寧に種を取り分ける。
 かぼちゃの種を捨てるのはもったいない。ワタもスープに使えるので夕飯はかぼちゃのスープにしよう、と考える。
 取り分けた種は水でさっと洗い、干物用ネットに重ならないように並べ、ベランダに出しておく。
 乾かしたかぼちゃの種をしっかり焼いて塩をまぶせばそれだけで栄養価の高いおつまみになる。辰弥は日翔に「成人している」とは言っていたがアルコールを摂取しないのでおつまみとは無縁のように思われているが、日翔が時々安い発泡酒で晩酌をすることがあるのでそれに付き合っておつまみを食べることもある。おつまみが一品増えればそれだけ日翔が喜ぶ、そう思った辰弥はベランダにぶら下げた干物用ネットをそっと撫で、台所に戻った。
 まるで計っていたかのように電子レンジがアラームを鳴らし、かぼちゃの加熱の終了を告げてくる。
 熱々のかぼちゃを取り出し、辰弥はスプーンを握った。
 かぼちゃにスプーンを入れると、程よく柔らかくなっていたのかすっと飲み込まれていく。
 手首を捻り、かぼちゃを抉る。スプーンに乗ったかぼちゃはそのまま食べてもおやつとして通用してしまいそうな濃い黄色で、辰弥は一口食べたくなる衝動をぐっとこらえざるを得なかった。
 そんなかぼちゃを、皮に穴を開けないように注意してくり抜き、身の部分をミキサーに入れる。
 ミキサーに牛乳、砂糖、卵も入れ、蓋をして始動。
 かき混ぜられる材料がだんだんと滑らかなクリーム色の液体へと変わっていく。
 全体が混ざり切ったところで、辰弥は漉し器を取り出した。
 ミキサーの中身を漉し器に流し込み、網に通す。
 こうすることで口当たりが滑らかになるのはいつものプリンの作り方と同じだ。
 プリン液が漉されることによって混ざり切らなかったかぼちゃの繊維などが漉し器に残り、先ほど以上に滑らかになった液体はボウルの中でたぷたぷと揺れている。
 よし、と辰弥はおたまでプリン液を掬った。
 こぼさないように気を付けて、先ほどくり抜いたかぼちゃの器に流し込んでいく。
 プリン液は三つの坊ちゃんかぼちゃを満たし、まだ残っていたため、普段プリンを作る時に使う耐熱ガラスの入れ物にも流し込んでおく。
 たぷたぷとプリン液が満たされた三つのかぼちゃと三つのプリン容器。
 それを、辰弥はそっと天板に並べていった。
 プリンの横には熱湯を入れたココットも置き、焼いている間にプリンが乾燥しないように配慮する。
 プリンを並べた天板を、あらかじめ予熱していたオーブンに入れ、辰弥はタイマーをセットした。
「……おいしくなってね」
 ここまでは辰弥のさじ加減でいくらでも調整が効くが、加熱を始めればもう辰弥にできることは何もない。
 ただ見守るだけというのがもどかしくて、辰弥は思わずそう呟いていた。
 おいしくなあれ、それは愛情のこもった優しい呪い。
 呪いなんてオカルトな、と言われるかもしれない。それでも、人間は簡単に人を呪うし祝福する。
 俺がそれを望んだっていいじゃないか、と辰弥は加熱を始めたオーブンに願いを託す。
 おいしくできますように。
 おいしそうに頬張る日翔の笑顔を思い浮かべながら、辰弥は次の料理を作るためにオーブンに背を向けた。

 

 ちん、という音に辰弥が振り返る。
 オーブンを開け、天板を取り出すと焼き上がったかぼちゃプリンの表面がゆらゆらと揺れている。
 今回のレシピは柔らかめのものなので、表面は固まっているがスプーンを入れるととろりとしたプリンを掬う形になるだろう。
 そう思うと同時に、口いっぱいに広がるかぼちゃプリンの甘みが脳内で再生され、口の中にじわりと唾液が満たされるような錯覚を、辰弥は覚えた。
 おいしいものを前にすると涎が出るというのは誰にでも起こりうるものである。とはいえ、そうなるのは実際においしいものを経験したから、その経験が脳内で再生されて起こるのだという話も聞いている。 そう考えると、辰弥もまた様々なおいしいものを経験してきたのだ、と思い知らされる。
 日翔と出会う前は栄養価だけを追求したペーストフードやペレット状の合成クラッカーが主食だったという記憶がある辰弥。時折プリントフードにありつけたこともあったが、本物の食材で作られた食事を口にしたという記憶は全くない。
 それが、日翔と出会い、怯える辰弥に鏡介がそっと差し出したのがプリンだった。
 普段エナジーバーやゼリー飲料で食事を済ませる鏡介が、たまには本物を食べないと舌がバカになる、と買っていた洋菓子店の高級プリン。
 そんな大切なものを差し出された辰弥はそこから料理に興味を持ち、自分から台所に立つようになったのもすぐのことだった。
 はじめは日翔の「プリン食いたい」というリクエストからだったが、辰弥はあの時食べたプリンを再現したいと研究を繰り返した。
 その結果が、今では天辻家の台所を一手に引き受ける「おかん」という立場である。
 そこに不満はない。おいしいものを作りたいだけ作れる自由な生活を、辰弥は満喫している。
 いつかはその生活が終わるということは辰弥も理解していることではあったが、それでも今この瞬間は面白おかしく生きていたい、という願いが辰弥にはあった。
 天板から下ろしたかぼちゃプリンの粗熱を取り、切り取ったかぼちゃの蓋をしてラップフィルムで包む。
「……ちちんぷいぷい」
 かぼちゃプリンをつん、とつついて辰弥が呟く。
 鏡介から教わった「おいしくなあれ」のおまじない。
 日翔も鏡介も、このかぼちゃプリンを楽しんでくれますように。
 そんな願いを込め、辰弥はラップフィルムで包んだプリンを冷蔵庫に入れる。
 料理を始めたばかりの頃は何故そんな手順で作らなければいけないのかなど分からず、我流でアレンジしては失敗を繰り返していたが、失敗するたびにその手順の意味や理由を理解し、同時に辰弥は料理というものはただ作るものではない、食べる人のことを考え、手間暇を惜しまず丁寧に作ることが重要だと知ることになった。
 食事はただ生きるためのものだと思っていた辰弥にとって、目から鱗が落ちた失敗の数々。
 食事はただ生きるためのものかもしれない。しかし、料理は底に彩りを与えてくれる。
 鏡介が差し出したプリンが辰弥の心を融かしたように、相手のためを思って作られた料理は食べる人間に希望を与える。
 ささやかだがとても大きなその効果に、辰弥は手を抜きたくない、そう切実に思った。
 自分が作った料理で笑顔になってくれるなら、そんな思いは伝わってほしいし伝わっていると思いたい。
 それが、辰弥の二人に対する感謝であり願いだから。
 冷蔵庫の扉を閉め、辰弥がふふっと笑う。
 二人の笑顔が見えるようで、それはとても楽しみな光景だった。

 

◆◇◆  ◆◇◆

 

「日翔、おやつにしよう」
 翌巡の二日目昼日、小腹も少し空いてきた時間。
 辰弥は日翔にそう声をかけていた。
「おー、もうそんな時間か」
 ソファでゴロゴロしていた日翔が体を起こし、辰弥を見る。
「今回は鏡介も食べられるプリンだから呼んできて」
「あいよ」
 今日のおやつはかぼちゃプリン、それは辰弥と一緒にかぼちゃを買ったから分かっている。
 それなら鏡介も楽しみにしているはずだ、と日翔はいそいそと玄関を出て隣の鏡介の家に向かう。
 その間に。辰弥は冷蔵庫からよく冷えたかぼちゃプリンを取り出した。
 ラップフィルムを外し、皿に乗せ、一度蓋を開ける。
 張りのあるクリーム色の表面を見て、辰弥はうん、と頷き、戸棚から小さな瓶を取り出した。
 瓶の蓋を開け、中の液体をたらりと垂らす。
 金茶色に輝く液体は甘い香りを周囲に漂わせながらプリンの表面を彩っていく。
 カラメルのような、そしてその中にほんの少し混ざったウッディな香りはメープルシロップ特有のもの。
 パンケーキやワッフルなどに掛けようと思い買ってきたメープルシロップ。輸入品が高級品とされるこのご時世ではなかなか気軽に買えるものではなかったが、辰弥はどうしてもおやつに彩りを持たせたくて一本は必ず常備している。勿体ないからと使わなければ宝の持ち腐れなので、時々使うと日翔は目を輝かせて喜んでくれる。
 そんな日翔の顔を想像しながらかぼちゃプリンにジャック・オー・ランタンがプリントされた小さな旗を立て、辰弥は三つのかぼちゃプリンをテーブルに運んだ。
「たつやー、鏡介連れてきたぞー」
 プリンと一緒に楽しめるように、と辰弥がコーヒーを淹れているところで日翔が鏡介を連れて戻ってくる。
「かぼちゃプリンと聞いてな。お前も色々作れるようになったんだな」
 そんなことを言いながら鏡介が席につき、目の前のプリンを見て目を見開いた。
「坊ちゃんかぼちゃを器にしたのか……! 確かにハロウィンのおやつとしてはぴったりだな」
 旗まで立てて、楽しむ気満々だなと続ける鏡介に、辰弥はふふっと笑ってみせる。
「季節ものの行事を楽しむのも大切だと言ったのは鏡介じゃない。料理くらいしかできないけど、楽しみたいからさ」
 す、と鏡介の前にコーヒーが置かれる。
 三つのコーヒーカップをそれぞれの席の前に置いてから、辰弥も自分の席についた。
 日翔がCCTを取り出し、画角がどうのと呟きながら写真を撮る。
 辰弥も視界スクリーンショットでプリンを撮影し向かいに座る日翔と鏡介を見た。
「よし、食べよう。ハッピーハロウィン」
「ハッピーハロウィン」
「いえー!!」
 辰弥の音頭に合わせる鏡介、テンション爆上がりでスプーンを手に取る日翔。
 三人が同時にスプーンをプリンに差し込む。
 とろりとしたかぼちゃプリンがスプーンで掬われ、三人の口に運ばれる。
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
 真っ先に声、いや、声にならない声を上げたのは日翔だった。
「んめぇ〜!」
 とろり、と舌の上でとろけるプリン、口いっぱいに広がるカボチャの風味。卵と牛乳によって優しい甘味となったかぼちゃプリンはじっくり味わおうとしてもするりと喉を通り過ぎてしまう。
 一度漉したからだろうか、口や喉に引っかかる繊維もなく、プリンはまるで飲み物のように優しい甘味を仄かに残し、通り過ぎていった。
「すごいな」
 プリンを口に運びながら鏡介が呟く。
「昔、行きつけの洋菓子店でかぼちゃプリンを買ったことがあるんだ。季節ものだったし、本物の食材でちゃんとした栄養素を摂取するのも大切だと思ってな」
 鏡介の言う「行きつけの洋菓子店」は辰弥も知っている。
 あの時鏡介が差し出したプリンはその店のものだったし、辰弥が料理に興味を持ち、スイーツを作りたいと言い出してからは「研究のため」と称してその店のスイーツを時々買ってきたこともある。
 いつしか、辰弥の目標はこの洋菓子店のスイーツに負けないスイーツを作りたい、というものになっていたが、果たしてその目標は達成されたのだろうか。
 そんな思いで辰弥が鏡介を見ると、鏡介は無言で左手を上げ、サムズアップしてみせた。
「あの洋菓子店のかぼちゃプリンを超えたぞ、辰弥。よくやったな」
「マジか、俺は鏡介ほど舌が肥えてないからよく分かんねーが、それでもうまいって思うぞ」
 想像していなかったが、それでもいつかは言われたいと思っていた言葉が鏡介の口からこぼれ、辰弥が一瞬呆気に取られる。むしろ日翔の「それでもうまい」の方がすっと頭に入ってくる。
 え、という言葉が辰弥の口から漏れる。
「え、それは――」
「辰弥、腕を上げたな」
 鏡介はお世辞やおべっかを言うような人間ではない。そう考えると、鏡介の言葉は鏡介なりの率直な意見なのだろう。
 辰弥の顔が何故か赤くなる。
 スプーンをテーブルに置き、辰弥は両手で自分の顔を覆った。
「な、なんか恥ずかしい」
「俺が師匠だったら免許皆伝してるぞ。お前、本当に店開けるんじゃないか?」
 ただ作るだけではなく、見た目にも気を使って楽しませてくれる辰弥のスイーツの数々。
 前々から腕を上げたとは鏡介は思っていたが、ここまで来ればもう店を開いてもいいのではないか、と思ってしまう。
 それが辰弥を暗殺者の道から足を洗わせる、ということは鏡介も分かっていることだったが、それでいい、とさえ考える。
 辰弥は確かに暗殺者としても一流の腕を持っているだろう。あらゆる状況に対応できる臨機応変さと確実に対象を仕留める殺意は日翔も鏡介も辰弥には及ばない。
 それでも、辰弥をこの道に置いていてはいけないという思いは日翔にも鏡介にもあった。
 可能ならば一般人として表社会に戻ってもらいたい、そんな思いが湧いてくるのは何故だろうか。
 しかし、鏡介の「店開けるんじゃないか?」という言葉に、辰弥は首を横に振って否定する。
「俺なんて店を開く権利ないよ。俺はただ日翔と鏡介に美味しいご飯を食べてもらいたいって思ってるだけ、他の人なんてどうでもいい」
「辰弥……」
 辰弥の言葉に、鏡介ではなく日翔が辰弥の名前を呼ぶ。
「俺にとって食べて欲しい人は日翔と鏡介だけなんだ。だから、俺はこれからも二人のためだけにご飯やおやつを作りたい」
「お前の料理ならもっとたくさんの人を喜ばせられるのに?」
 日翔が尋ねる。
 うん、と辰弥が即答する。
「だから店を開けるなんて言わないで。俺は二人が喜んでくれればそれでいいから」
 あまりにも無欲な、と鏡介は思った。
 ここまで立派なスイーツが作れて、店を開けるレベルだと言われたら大抵の人間はそれに乗せられて開業してしまうだろう。
 それなのに、辰弥は。
 そんな思いで鏡介が辰弥を見ると、辰弥は穏やかな笑顔で鏡介を見ていた。
 その笑顔に鏡介がどきり、とする。
 辰弥は本当に幸せなのだ。この限られた世界で生きることが。
 日翔と鏡介と暗殺連盟アライアンスの懇意にしている数人だけで、辰弥の世界は完結している。だからと言って、外の席を知らないわけではない。
 辰弥は満足してしまっているのだ。この狭い世界に。
 それなら、その幸せを壊してしまうかもしれない決断を押し付けることは鏡介にはできなかった。
 そうか、と次の一口を口に運び、鏡介はふっと笑う。
「……俺だって、お前に巣立たれたくない」
 初めて出会った時、一度は「殺した方がいい」と口走りはしたが、今では大切な仲間である辰弥。日翔が「殺せるわけないだろ、とりあえず落ち着くまでは俺が育てる」などと言い切り、昴もそれに同意したから鏡介も面倒を見ることに同意したが、今思うと何故あの時「殺した方がいい」と言ってしまったのか鏡介の中でも一つの疑問になっている。
 そんな辰弥が自分のために料理を作ってくれる、というのは鏡介にとってとてもありがたいことだった。普段はエナジーバーとゼリー飲料だけで済ませているから辰弥の料理を食べることは滅多になかったが、それでも「作りすぎたから」と持ってくる料理は大抵消化吸収のいいもので、鏡介はありがたくいただくことができた。
 そんな気遣いのできる辰弥が、暗殺者という裏社会の中でも特に危険で汚い仕事に携わる必要はない。
 それでも、辰弥がここにいたい、というのなら。
 俺は全力で辰弥を守る、と鏡介は改めてそう思った。
 いつかは離れ離れになる日が来るかもしれない。敵対する日が来るかもしれない。
 そんな日が来ないに越したことはないが、それでもその日まではこの幸せな擬似家族でいられればいいな、と鏡介は願うのだった。

 

11章へ

Topへ戻る

 


 

この作品を読んだみなさんにお勧めの作品

 AWsの世界の物語は全て様々な分岐によって分かれた別世界か、全く同じ世界、つまり薄く繋がっています。
 もしAWsの世界に興味を持っていただけたなら、他の作品にも触れてみてください。そうすることでこの作品への理解もより深まるかもしれません。
 ここではこの作品を読んだあなたにお勧めの作品を紹介しておきます。
 この作品の更新を待つ間、読んでみるのも良いのではないでしょうか。

 

  Vanishing Point
 本作の原作となる作品です。
 ほのぼのとした本作とは一転、ハードな展開で読者を惹き込むサイバーパンク・サスペンス。
 辰弥たちの選択肢の行く末とは。

 

  虹の境界線を越えて
 本作と同じく惑星「アカシア」を舞台とする作品です。
地球からアカシアに迷い込んだ特殊な能力を持つ女性の物語です。

 

  テンシの約束
 平和な日常をお求めの貴方に。
 しかし平和な日常は、いつか壊れていくものなのですよ……?

 

 そして、これ以外にもこの作品と繋がりを持つ作品はあります。
 是非あなたの手で、AWsの世界を旅してみてください。

 


 

「いいね」と思ったらtweet! そのままのツイートでもするとしないでは作者のやる気に大きな差が出ます。

 マシュマロで感想を送る この作品に投げ銭する