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天辻家の今日のおやつ #12 「マシュマロムース」

 

 
 

 

 疲労困憊でもおやつは欲しい。というよりも疲れた体が甘味を欲している。
 しかし、こういう時に限って作り置きのおやつはなく、かといって市販の菓子はそのまま食べる用に買ったものではない。
「よし、作ろう」
 マシュマロの袋を前に、辰弥はうん、と頷いた。
 マシュマロはいい。ふわふわでもちもちで甘くて、ものによってはジャムやチョコレートが入っている。そのまま食べるだけでも十分幸せになる菓子ではあるが、今辰弥の目の前にあるのはあくまでも「材料」。これを利用して別の菓子を作るために買っている。日翔は「そのまま食わせろ」と言ってきそうなものだが、辰弥が他のおやつを作るための材料だというと「そっちが食べたい!」とあっさり引き下がった。
「……で」
 何を作ろう、と辰弥が独り言ちる。マシュマロを使ったレシピは数多く、どれも魅力的な甘味となって辰弥を誘ってくる。
 ――が、その迷いはすぐに消えた。
「マシュマロムースにしよう」
 メニューが決まれば後は早い。
 辰弥は冷蔵庫を開け、牛乳を取り出した。
 冷ます時間は必要だが、手順はとても単純で疲れていても手軽に作れる。
 鍋に計量した牛乳を入れ、辰弥はIHコンロのスイッチを押した。
 少しずつ温められ、ふつふつとしてくる牛乳を眺めながら辰弥はマシュマロでムースを作ることができる理由を考えた。
 マシュマロを溶かした牛乳が冷めれば固まるということでまず考えられるのがタンパク質の凝固。しかし以前ホットミルクを作り、その後手を離せない用事が割り込み冷ましてしまった時の牛乳は固まらなかった。牛乳を温めた時に膜ができるが、あれはタンパク質と乳脂肪分が熱で固まるラムスデン現象である。確かに固まりはするが、全体を固めるには至らないしムースのような食感にはならない。
 それなら何が固まる原理か、と考えて辰弥はマシュマロを見た。
 マシュマロの原料に卵白とゼラチンがある。これはどちらも調理すれば凝固する食材。
 だが、ムースとして固まる理由から卵白は除外される。
 卵白は「加熱すれば」凝固するものだからだ。
 そう考えるとマシュマロでムースが固まる理由は一つ。
「ゼラチンって、便利だよね」
 マシュマロを一つ手に取り、辰弥がぽつりと呟いた。
 ゼラチンは主に家畜となる動物の骨や皮から抽出されるコラーゲンを原料として作られている。フードプリンタが主流となった現在も凝固剤としてフードトナーにも使われているらしい、とは聞くがこうやって製菓材料としても流通している。普通なら捨てるような部位から抽出されるものなので比較的安価だが、その割に見た目も食感もいいおやつを作ることができる。
 本来のムースは生クリームとゼラチンを使って作るものだが、マシュマロを使ったムースはマシュマロに含まれたゼラチンを利用し、含まれた卵白やコーンスターチを使って牛乳をコクのあるものにし、砂糖を加えずともマシュマロの糖分で甘みを補完している。
 あまりにも手軽に作れてしまうマシュマロムースは疲れている辰弥にとって画期的なおやつだった。
 マシュマロのすごさに改めて感心しているうちに牛乳が温まってくる。沸騰させないように気を付けながら火力を調整し、辰弥は鍋にマシュマロを投入した。
 へらでゆっくりとかき混ぜると牛乳の熱でマシュマロが溶けていく。
 全て溶け切ったところで加熱を止め、辰弥はふと、考えた。
 ――素のムースにするか、チョコムースにするか――。
 マシュマロを溶かしただけのバニラムースも、刻んだチョコレートを混ぜたチョコムースも、どちらも捨てがたい。冷凍庫に入っているブルーベリーを入れるのも悪くない。
 この、味付けの瞬間が辰弥は好きだった。
 どの味にしようか、何を入れようか、何が一番日翔を喜ばせるだろうか。
 作るなら日翔が喜ぶものがいい。いや、日翔は何を入れても喜ぶが、できるなら幸福値が最大値になるものがいい。
「……でも、何入れても日翔はうまいbotになるんだよね……」
 辰弥の料理なら何でもうまいうまいと言って食べる日翔。料理に慣れてきたころはアレルギー食材があると知って日翔に食べさせてしまったら……と不安になったこともあったが日翔はいたって健康体でアレルギーはもちろん花粉症の類も一切持っていない。尤も、花粉症は環境汚染の影響で自然の緑が少ないアカシアでは花粉も飛びようがないため珍しい疾患ではあるが、それでも数少ない植物の花粉に過敏に反応してしまう人間もいるので日翔にそういうものがなくてよかった、とは純粋に思う。
 日翔にアレルギーがないのなら安心して料理が作れる。自分のせいで日翔を命の危険にさらさなくて済む。その考えだけで辰弥の、料理を作るハードルは格段に下がっていた。
「うーん……」
 いつもなら割と早く決まる味付けが今回に限ってなかなか決まらない。
 思っていた以上に疲れてるんだな、と思った辰弥はGNSに格納していたおみくじアプリを呼び出した。
 このアプリはおみくじと銘打ってはいるが実際のところ好きな項目を入力すればランダムに出力するランダマイザーである。料理の味付けやちょっとした選択が必要な場面で、辰弥はこのランダマイザーを愛用していた。
 バニラ、チョコ、ベリー、と味の候補を入力し、「おみくじを引く」をタップする。
 おみくじを引くアニメーションの後に選ばれたのは――バニラ。
 何も入れない、素の状態のムース。
 確かにチョコやベリーといった味もいいが、敢えて何も飾らない素の味もそれはそれで魅力がある。
 よし、と辰弥は器を取り出し、まだ熱いムース液を流し込んでいった。
 あとは粗熱を取った後に冷蔵庫に入れて冷やせばいい。
 埃が入らないようにラップフィルムで蓋をし、辰弥はふと苦笑した。
 「仕事」の後で疲れているはずなのにどうしておやつを作ってしまったのだろう。
 いや、疲れているからこそ甘いものが欲しかったわけで、おやつを作る動機としては十分である。
 だが、甘味を摂取するだけならこのマシュマロを食べればよかったのだ。
 少なくとも、自分一人が食べるだけならそれでいい。
 それでもマシュマロを敢えてムースにしたのは――。
(日翔、喜んでくれるといいな)
 そんな考えが、ふと脳裏をよぎる。
 そう考えて、ああ、と辰弥は納得した。
 自分一人が甘味を食べて癒されるのなら市販のマシュマロで十分だ。しかし、食べるのは辰弥一人ではない。
 大切な仲間であり同居人、そして放ってはおけない親友と一緒に食べたいから、わざわざ手間をかけたのだ。
 日翔の喜ぶ顔が見たい、という思いが原動力となっていることに、辰弥は再び苦笑する。
 どうしてこんなに日翔のことを考えてしまうのだろう。どうして日翔に喜んでもらいたいと思ってしまうのだろう。他人に踏み込んでも辛くなるだけだと分かっているのに。
 そう思いながらも、辰弥は「それでも」と呟いていた。
 ――それでも、日翔には笑っていてもらいたい。
 どうしても、考えてしまうのだ。
 いつか、日翔がいなくなってしまうのではないか、と。
 いつか、日翔から離れなければいけなくなるかもしれない、と。
 それは辰弥にとって耐えがたい苦痛で、それでも受け入れなければいけないかもしれない現実。
 こんな結末を迎えたくはないが、それでもその日がいつか来るだろうということは辰弥の心の中で燻っていた。
 ――それなら、せめてその日までは。
 そう思い、辰弥は少し冷めたムースを冷蔵庫に入れ、ちら、と時計を見た。

 

 ムースを冷ましている間は、と仮眠をとったつもりが熟睡していたらしい。
 辰弥が目を覚ましたのは八時間一日後で、GNSには日翔から「腹減ったからカップ麺食った」というメッセージが一つだけ届いていた。
 日翔としては辰弥が作る食事を楽しみにしていたところだろうが、かといって疲れて寝ている辰弥を叩き起こすほど配慮のない人間ではない。ただ、空腹には抗えずカップ麺で食事を済ませた、その報告だけはしておこうといったところだろう。鬼電すらせず、メッセージ一本だけで済ませてくれたことに辰弥は申し訳なさ半分、ありがたさ半分で体を起こし、自室を出た。
「お、起きたか」
 TVでサブスクリプションの映画サービスの映像を見ていた日翔が首だけ傾けて辰弥を見る。
「ごめん、すっかり寝てた」
「いーよいーよ、お前も疲れてたんだろ? 冷蔵庫におやつっぽいもの入ってたが、作ったのか?」
 辰弥が起きてきたことで観ていた映像を停止した日翔は目を輝かせている。
 あー、こういうところ犬っぽいよねーと思いつつ、辰弥はうん、と頷いた。
「もう冷えてるだろうし、食べようか。ムースだから鏡介も呼ぼう」
「そうだな、あいつこそ糖分が必要だしな」
 辰弥の提案に、日翔も同意して「じゃー呼んでくる」と部屋を出ていく。
「……」
 一人だけになり、がらんとなった室内を見回して辰弥は思わず身を震わせた。
 ほんの数分だけのはずなのに、この世界で一人きりになってしまったような孤独感。
 誰にも関わらない、一人で生きていこうと思っていたはずなのに、これでは立つ瀬がない。
「……バカだな、俺」
 こんなにも一人でいることが怖いなんて、と辰弥が呟く。
 呟いてからダメだと首を振り、冷蔵庫に視線を投げた。
 日翔はすぐに鏡介を連れて戻ってくる。すぐに食べられるように準備をしなければ。
 そう考えなおし、辰弥は冷蔵庫の前に立った。
「鏡介連れてきたぞー」
 明るい日翔の声が響き、続いて上機嫌の日翔と仏頂面の鏡介がリビングに入ってくる。
「ムースを作ったと聞いた」
「うん、鏡介もムースくらいなら食べるでしょ」
 普段はエナジーバーばかりでもたまには自分が作ったものを食べてもらいたい、そんな気持ちで辰弥が言うと鏡介がそうだな、と小さく頷く。
「たまには辰弥の料理も食べないとな。ありがたくいただこう」
 そう言いながら鏡介がテーブルに着いたところで辰弥は三つの器を並べた。
 ガラスの器に入れられた純白のムース。
 それだけでなく、テーブルの中央に辰弥は残っていたマシュマロを置いた。
「マシュマロを使ったのか」
 知識として知っていたのか、鏡介が辰弥に確認する。
「うん、ちょっと疲れてたから簡易レシピで作った」
「そうか」
 納得し、スプーンを手に取る鏡介。
『いただきます』
 三人の声が重なる。
 スプーンでムースを掬い、三人は口に運んだ。
「うんめー!」
 真っ先に声を上げたのは例にもれず日翔。
「あー、疲れた体に沁みるわー」
「ああ、頭が冴えるようだ」
 牛乳と砂糖の甘み。ゼラチンとメレンゲによるふわふわとした食感。
 口に運べばふわりとほどけ、しゅわ、とさわやかな余韻を残して消えていく。
「……うん、おいしい」
 辰弥も小さく呟き、よかった、と続けた。
「こうやってみんなで食べられて、よかった」
「何言ってんだ、これからも一緒に食うだろ」
 朗らかな日翔の声が逆に苦しい。
 違う、これからもずっとこんな日が続くとは限らない、そんな思いが辰弥の胸を締め付ける。
 ずっと一緒にいたい。しかしそれが許される存在でもない。
 いつかは、そう遠くない未来には二人の前から去らなければいけない、そんなことを考えながら辰弥はムースの味を噛み締める。
「ん? どした辰弥」
 日翔に言われ、辰弥は自分が険しい顔をしていたことに気がついた。
「なんでもない」
 なんでもない。本当になんでもない。ただ少し考えすぎてしまっただけだ。
 辰弥がそう言って表情を緩めると、日翔も安心したのかムースの最後の一口を腹に納め、少し物足りなさそうな顔をした。
「やっぱカップ麺一個じゃ足りなかったか……」
 そんなことを言いながらテーブルの上のマシュマロを手に取る。
「そう言えばさ、マシュマロって焼くとうまいって聞いた。それも焚き火で」
「へぇ」
 日翔の言葉に辰弥の目の色が変わる。
 詳しく、と興味津々の辰弥に日翔は「聞いた話だけどな」と続けた。
「キャンプ飯の定番らしいぞ。焚き火でマシュマロを炙って食べると最高だって」
 まぁ、俺はキャンプなんてしたことないけどと続ける日翔に、辰弥はそれなら、と声をかけた。
「今度、三人でキャンプしない? 面白そう」
「お、辰弥はアウトドアに興味ある感じか」
 辰弥が食いついたことで、日翔もほっとしたように笑う。
「いいよなキャンプ! いつか絶対三人でやろうぜ!」
「俺も参加する前提なのか」
 明らかに巻き込まれるの俺、と言った面持ちの鏡介。
 当たり前だろー! と日翔が笑い、隣の鏡介の背をばんばんと叩いた。
「こういうのはみんなで楽しむのが一番なの! やろうぜ、キャンプ!」
「……そうだな」
 それはささやかな夢。
 いつか、三人で焚火を囲んで語り合えたらどれほど幸せだろうか。
 そんな願いを噛み締めつつ、辰弥もテーブルのマシュマロを手に取り、口に運んだ。

to be continued……

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