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天辻家の今日のおやつ 七夕特別編「七夕ゼリー」

 
 

 梅雨が始まってしばらくという初夏のある日。
 平年の梅雨明け宣言まであと少しか、と辰弥が街を歩いていると目に緑が飛び込んできた。直後、ばさり、と辰弥の頭に何かが当たる。
「……」
 自分がぼんやりと歩いていたことに気付きつつも辰弥が目の前の緑を掻き分ける。
 身長155センチという、成年男性の中では特に小柄な辰弥の頭にぶつかるのだから、よほど低い位置に飛び出していただろう緑の何かは、カラフルな飾りを施された一本の笹だった。
 ちら、と横に視線を投げる。フェンスの向こうで小さな子供が興味深そうに辰弥を眺めているところで目が合う。
 そこで、辰弥は自分が近所の幼稚園に差し掛かっていたことに気が付いた。
「おにーちゃん、おめめ真っ赤ー!」
 そんなことを言いながら、この幼稚園に通っているらしい園児が手にした笹をフェンスの隙間から突き出して辰弥にわさわさと当ててくる。
「……何してんの」
 思わず出た声が思いの外低く、ドスの効いたものになって、辰弥はしまった、と内心舌打ちをする。
 だが、そんな辰弥の声に怯むことなく園児は相変わらず笹で辰弥をつつき、興味深そうに眺めている――と。
 ぱぁん、と何かがはじけた音と共に辰弥の頭上から水が降ってきた
!?!?
 園児に気を取られて回避どころではなかった辰弥がまともに水を被り、びしょ濡れになる。
「やったー!」「ぐっじょぶ!」
 そんな声が口々に聞こえ、さらにその奥から「こらー!」という女性の叫び声も聞こえてくる。
「あんたたち、またやったの!?!?
「わー、出た、おにせんせー!」
 フェンスの前にいた園児含めて数人の園児が逃げ回り、それを追いかける女性教諭と、タオルを持って駆けつける別の女性教諭。
「すみません! あの悪ガキども、時々通行人に水掛けるんですよ! ほんと、すみません!!!!
「……あ、いや、ぼーっとしてた俺も悪いんで」
 タオルを手渡された辰弥が頭を拭きながらそう応える。
「ほんとすみません! とりあえず、服を乾かして……」
「いや、いいです。急ぎですし」
 とりあえず中へ、と辰弥を誘う女性教諭。辰弥は家が近いこともあり、それを断ろうとする。
 が、ちら、と見えた教室内の笹飾りと「たなばた」の文字に目が留まる。
「あー……七夕、か……」
 辰弥の気を引いて足止めした園児が手にしていたのもよくよく考えれば七夕の笹飾り。
 もうそんな時期か、と思っているうちに辰弥は女性教諭に手を引かれ、幼稚園の敷地に足を踏み込むことになった。

 

「――ヒィ。いや、だって、おま」
 日翔が腹を抱えて笑い転げている。
「……だって、濡れたままだと風邪ひくって言われたし」
 憮然と反論する辰弥の言葉に、日翔がさらに笑い転げ、呼吸困難に陥っている。
「だからって、それは、反則」
 駄目だ、胃がよじれると笑い転げ、日翔は辰弥を見た。
 日翔の視線の先にいたのは黄色い帽子を頭に乗せ、水色のスモックを着た辰弥の姿が。
「いや、でも、なんで、お前のサイズが、あるんだよ」
「……先生の予備って聞いた」
「ヒィ」
 辰弥が大真面目に答えるので、日翔の笑いのツボがどんどん押されていく。
「ちょっと待って、鏡介に、写真、送るわ」
 ひとしきり笑ってほんの少しだけ落ち着いた日翔がCCTを取り出し、写真撮影を始める。
 それを無表情で眺めながら、辰弥は「どうしてこんなことに」と呟いた。
 この姿がよくある幼稚園児の通園姿であるということは理解している。「濡れたままだと風邪をひくから」と代わりになる服を出してくれたのも分かっている。それが、この幼稚園の教諭が園児とより親しく遊ぶためにと自腹で購入したスモックである。しかし、日翔が笑い転げる理由が分からない。
 むしろ、辰弥としては意味もなく笑われて腹が立つ。
 これはブラッディ・ミラージュぶらみら案件か、それとも今日の夕飯抜きにするか、などと報復方法を考えているうちに日翔は撮影を終了し、鏡介に写真を送信したらしい。
「いや、マジで笑えるわこれ。一年分笑ったわー」
 だが、そんなことを言われると辰弥の中の怒りが一気に鎮火する。
 日翔が楽しかったならいいか、何が楽しかったのかはよく分からなかったけれどもきっと日翔の琴線に触れるものでもあったのだろう、と思うと何故か自分まで楽しくなってくる。
「……ふふ」
「お、やっとお前も自分の状況理解したか?」
 笑いすぎて胃が痛ぇ、と笑いつつも日翔がそう尋ねると、辰弥はううん、と首を横に振った
「日翔が楽しいなら、それでいいかなって」
 そう言い、辰弥はそのままキッチンに移動した。
「おやつ作るね」
「え、お前そのカッコでか!?!?
 いや待て着替えろ、それ借り物なんだろ!?!? と止めに入る日翔。
「……あ、そっか」
 日翔に言われて辰弥も気が付いたのだろう。
「分かった、着替えてくる」
 後で洗濯して返しに行かなきゃ、と言い、辰弥が踵を返して自室に入っていった。

 

 部屋着に着替え、改めてエプロンを身に着けた辰弥が食材を取り出す。
 取り出したのはバタフライピーのティーバッグと竹炭パウダー、グラニュー糖にアガー。
「……そうだ、これも使おう」
 そう呟きながら、小さな食材をまとめておくケースから銀色の粒――アラザンも取り出す。
「ん? 何作るんだ?」
 日翔がキッチンに顔を出し、首をかしげるのもいつもの光景。
「うん、七夕だしゼリーでも作ろうかと」
「おー、七夕ゼリー」
 ってか、もうそんな時期なんだ、と思いつつ日翔がふと思いを巡らせた。
 梅雨真っただ中に訪れる、星空のイベント。
 天ノ川を挟むようにして見える二つの一等星、ベガ織姫アルタイル彦星

 太陽光を受けて夜も輝くバギーラ・リングの影響で夜空の星はよほど明るいものでないとみることはできないが、この二つの一等星と、もう一つ、少し離れたところにある一等星をつないで「夏の大三角形」と呼ばれることは学校の授業をまともに受けて来なかった日翔でも知っている。
 鏡介が見せてくれた夜空の星の絵本、年に一度、この二つの星のモデルとなった男女が、天ノ川を越えて逢瀬するという、ロマンチックなストーリーに日翔は心を躍らせたものだ。
 それをモチーフにしたおやつをどうやら辰弥は作るらしい。
 わくわくしながら、日翔は辰弥が出した食材と手元を交互に見比べた。
 辰弥が慣れた手つきでアガーとグラニュー糖を混ぜ、それから水を入れた小鍋をコンロにかけ、加熱を開始する。
 小鍋が沸騰したところでバタフライピーのティーバッグを入れ、煮出すと濃い青色の液体が出来上がる。
 よし、とティーバッグを取り出し、青い液体を二つに分ける辰弥。そのうちの片方に、竹炭パウダーを混ぜ、より濃い青色を作っていく。
 それができると、今度はアガーとグラニュー糖を混ぜた粉に水を入れ、加熱を開始。
「おー、青色! 夜空モチーフか」
 青色に染まった液体に、日翔が感心したように声を上げる。
 辰弥が夏場に涼し気な青色のスイーツやドリンクを出すことは時々ある。今までは食品用の着色料を使ってわざわざ青くしているのだと思っていたが、こうやって作っているところを見ると使ったのはティーバッグで、青色のお茶があるのか、と驚きが大きい。
 どこでそんな食材を見つけてくるんだと思いつつ日翔が眺めていると、アガーの入った鍋が沸騰し、辰弥は火力を落として丁寧にかき混ぜている。
 その作業の一つ一つが丁寧で、日翔は辰弥の細やかさを改めて認識した。
 料理だけではない。家事全ても、暗殺の仕事であっても、その作業は全て丁寧で、雑なところは一つもない。
 普段、大雑把な自分からすれば正反対の辰弥に、日翔は感嘆のため息を吐くしかできなかった。
 息が詰まったりしないんだろうか、と思うこともあるが、辰弥は決して弱音を吐くこともなく、丁寧に、確実に仕事をこなしていく。
 アガーの鍋が沸騰してから数分、辰弥は加熱をやめ、氷水に鍋を入れ冷やし始めた。
「え、そこで冷やしたら固まるんじゃね?」
 ゼリーが冷たい状態で固まっていることは日翔も知っている常識である。氷水に付けたらあっという間に固まるんじゃないか、と日翔が声を上げると。
「大丈夫、粗熱を取るくらいなら固まらないよ。それに、今回は別に熱に弱い食材は使ってないけど、果物のゼリーとか作る時は熱は天敵だからね」
「ほへー」
 そんな会話をしながらも辰弥の手は止まらない。
 粗熱が取れたゼリー液を三つに分け、一つは竹炭パウダー入りの青い液体を、もう一つは竹炭パウダーを入れなかった液体を、最後の一つはそのままにしておく。
 それから、辰弥はアラザンを小さな容器に入れ、水を少し入れて混ぜ始めた。
「それはなんだ?」
 なんかキラキラしてるなあ、と日翔が呟くと、辰弥は、
「ふふ、出来上がってからのお楽しみ」
 ともったいぶる。
「えー、もったいぶるなよー」
 日翔が抗議するが、辰弥は意に介することもなく手を動かしている。
 普段はパウンドケーキを作るための四角い型に竹炭入りの青い液体を注ぎこむ。
「よし、少し休憩」
 パウンドケーキ型を冷蔵庫に入れ、辰弥はうん、と頷いた。
「ちょっと休憩しよう。ティータイムは作り置きのクッキーでいい?」
 どうやら、七夕ゼリーが食べられるのは三日目夜日らしい。
 それでもそれが楽しみで、日翔は応、と嬉しそうに頷いた。

 

 一時間ほど冷やすと、ゼリーはしっかり固まっていた。
 それを確認した辰弥が竹串でゼリーを引っ掻くように軽く混ぜ、そこに溶かしたアラザンと、竹炭を入れなかった方の青い液体を注ぎ込み、再び冷蔵庫に入れる。
「うわあ、結構手間かかるんだなあ……」
 じゃあ、次の一時間は日翔の部屋の掃除でもするか、と辰弥が掃除機を手に移動をはじめ、それを追いかけた日翔が声をかける。
 てきぱきと部屋の片づけをする辰弥を手伝いながら、日翔は「辰弥ってやっぱりすげえなあ」と呟いた。
 そんな掃除の後、一時間経過したところで辰弥が冷蔵庫からゼリーを取り出し、再び竹串で引っ掻き、透明なゼリー液を流し込む。
 それをもう一度冷蔵庫に入れ、辰弥はにっこりと笑った。
「これでしっかり冷やしたら出来上がり」
「おおー」
 三回に分けて流し込んだゼリー液。それぞれの色が違うことを考えると、グラデーションになるのか、と日翔が考える。
 これは今夜のデザートは期待できるぞ、と日翔も笑う。
 それから、
「そうだ」
 とどこからか一本の笹を取り出した。
「七夕飾り、作らね?」
 笹を見た辰弥が、数時間前の一件を思い出し、苦笑する。
「……いいよ」
 せっかくだから、年に一度のイベントは楽しんでおきたい。
 そう思い、辰弥は自分の部屋から筆記用具を持ち出してきた。
 辰弥が丁寧に紙を切って様々な飾りを作り、日翔が短冊に片っ端から願い事を書いていく。
「あ、鏡介にも書かせてあげてよ」
 あまりにも日翔が「○○を食べたい」という願い事ばかりを書くので辰弥が止めに入る。
「あ、忘れてた」
 まぁ、鏡介は飯の時間でいいんじゃねえか、と言ってから、日翔は辰弥に一枚の短冊を手渡した。
「ほら、お前も書けよ」
「……うん」
 短冊を受け取り、辰弥もペンを取る。
「……」
 どんな願い事を書こうか、と考える。
 考えたところで、ふと過去のことが脳裏をよぎった。
 あの頃は何を願うこともなかった。願うことを許されなかった。
 ただその一瞬を生き延びることだけ考え、願う余裕などなかった。
 だが今は違う。
 願いたいことはたくさんある。その中でもとくに強い願いは――。
 辰弥が、ペン先に自分の願いを託す。
「んー?」
 日翔が、辰弥の手元を覗き込む。
「恥ずかしいなあ」
 慌てて短冊を隠す辰弥に、日翔が手を伸ばして頭を撫でる。
「俺はどこにも行かねえよ」
「日翔……」
 日翔はしっかり見ていた。
 辰弥が書いた短冊の願い。
 「日翔と鏡介とずっと一緒にいられますように」というその願いは、ささやかであり、重たいもの。
 叶わぬ願いだと分かりつつも綴られたその願いを叶えたい、と日翔は思った。
 その願いを壊すのは自分だと分かっていたが。
「……日翔は、どこにも行かないよね?」
 不安そうな辰弥の言葉。
「……ああ、」
 日翔が小さく頷く。
 それは嘘だと分かっていても、そう頷かずにはいられなかった。
「あ、ところで夕飯はどうするんだ?」
 思考が湿っぽくなり、日翔は咄嗟に話題を変えた。
「え? そうめんにしようかな」
「おー、そうめん!」
 夏らしいメニューに日翔の顔もほころぶ。
「そうめんに、七夕ゼリーか。楽しみだな」
「うん、楽しみにしててよ」
 そう言い、辰弥もにっこりと笑った。

 

「流石に辰弥の幼稚園児スタイルには笑うしかなかったぞ」
 辰弥に呼ばれて家に来た鏡介が開口一番そんなことを言う。
「もう、鏡介まで!」
 辰弥がぷぅ、と頬を膨らませるが、その姿があまりにも子供で、鏡介は思わず辰弥の頭をポンポンと叩く。
「子供扱いしないでってば!」
 いつものやり取り。
 辰弥も、怒ってはいるものの、「こんな日々が続けばいいのに」とは内心思っている。
 ダイニングに移動し、日翔と鏡介が席に着いたところで辰弥がそうめんを運んでくる。
 一人一皿、一口分に丸められたそうめんがいくつも並べられ、黄桃の缶詰を星型にくり抜いたものが散りばめられたスペシャルディッシュ。
「相変わらず、すごいな」
 皿を前に、鏡介が感嘆の声を上げたところで辰弥がふふん、と笑い、
「まだあるよ」
 と冷蔵庫を開ける。
「いよっ、待ってましたー!」
 辰弥が作っていた七夕ゼリー。待ち切れずに日翔が声を上げる。
 とん、と日翔と鏡介の前に置かれたのは青色のゼリーだった。
 夜空を思わせるような深い青、それが上から下に行くにつれ薄くなる、グラデーションを描いている。
 一番色の濃い層は溶かしたアラザンの銀色で薄く煌めき、星空を連想させる。
 ゼリーの表面には少量の銀箔が乗せられ、夜空に輝く天ノ川のよう。さらにその隅に飾られた金箔はバギーラ・リングか。
 見た目にも涼し気で華やかなそのゼリーに、日翔も鏡介も感嘆のため息を漏らす。
「……こ、細けぇ……」
「相変わらず、すごいなこいつ……」
 口々に呟く二人を尻目に、辰弥も自分の席に着く。
「じゃ、食べよう」
 いつもよりほんの少しだけ豪華な食卓。
「いただきます」
 三人が手を合わせ、そう呟く。
 外は三日目夜日に入ったばかりの夜真っ盛り。ベランダに出れば星くらいは見えるだろうか。
「ねえ、」
 そうめんを食べながら、辰弥が二人に声をかける。
「ご飯食べたらさ、みんなで星見ない?」
「いいな、笹飾りのお願い事も三人で見ようぜ」
「……そういえば、さっき書かされたな」
 織姫と彦星が逢瀬する特別な夜に。
 三人の心も、強く結ばれていくのだった。

 

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