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天辻家の今日のおやつ #07 「龍蝦片ロンシャーピン

 
 

「……む」
 深夜に目が覚めて、辰弥が唸る。
 なんだか切ないような、物足りないような、そんな感覚に襲われて一瞬考える。
 きゅる、と腹が鳴る音が聞こえ、そこで漸く自分が空腹であることに気が付いた。
「……むぅ」
 ホームアシスタントAIを呼び出して部屋の照明をオンにする。
 ベッドから降り、椅子に掛けていたカーディガンを羽織り、辰弥はそっと部屋のドアを開けた。
 時計を見ると一日目朝日の二時。時間にして、三日目夜日の延長線にある「深夜」真っただ中である。
 ただし、リビングの窓から見える外の景色は少し白み始め、多くの人が眠る世界を優しく照らそうとしている。
 リビングの照明までは付けなくていいか、と薄暗い室内を通過し、キッチンに入る。
 冷蔵庫を開ける。こういう時はホットミルクでも飲んで温まれば眠くなる、と日翔に言われていたことを思い出す。
 だが、牛乳は日翔が飲んでしまっていたのか切らしていた。
 他につまめそうなものはないか、と冷蔵庫内に視線を巡らせるも、どれも調理が必要な食材ばかりで一人で食べるには憚られる。
 パタン、と冷蔵庫の扉を閉め、辰弥は小さくため息を吐いた。
「……」
 これは何か食べないと眠れそうにない。
 だったらこれが空腹とは認識できなかっただろう。
 うっすらと蘇る記憶では生鮮食品など食べたことはなく、大抵は固形状の栄養管理食か、良くてフードプリンタ製の合成食を食べていた気がする。
 それを考えると今の生活には彩りがあった。
 過去の自分が見たこともない食材、巧妙な動きで食材を加工する調理器具、そして自分が作った料理を美味い美味いと食べてくれる同居人。
 あの頃に比べたら俺もわがままになったな、と苦笑し、辰弥は流し下の収納を開けた。
 大きめのコンテナを引っ張り出し、蓋を開ける。
 中には小麦粉や片栗粉といった料理の定番粉類だけでなくホットケーキミックスや白玉粉、上新粉といった製菓材料も収納されている。
 基本的にこのコンテナには湿気を嫌うものを収納していたが、その中で辰弥は一つの箱を取り出した。
 ホットケーキは牛乳を切らしているし白玉粉などはそれ単体では美味しくない。
 しかし、夜食を作るのにそこまで手の込んだものは作りたくなく、少し手を加えるだけで食べられるものにしたい。
 そう思って取り出した箱には、
 ――龍蝦片ロンシャーピン
 そう、書かれていた。
 桜花の北西に広がる大国、夏華かか人民共和国で料理の付け合わせにも使われるスナック。
 以前、料理のレパートリーを増やしたくてふらりと入った夏華料理の店で出されて、その軽い口当たりとサクサクとした食感に、辰弥は心を奪われた。
 食事時で、客の絶えないその店の厨房を観察すると、ちょうど店主がそれを作っているところだった。
 その、夏華料理屋で見た龍蝦片が今、自分の手の中にある。
 箱を開けて中の袋を取り出す。
 中には半透明の薄紅色をした、小さなプラスチックの板のようなものがぎっしり詰まっていた。
 興味深そうに袋の中身に視線を落とし、ふっと笑う。
 夏華料理屋で出されたときにはふわふわとした見た目のスナックだったのに、その調理前がどう見てもプラスチック片で「これは合成食の一種なのか」と思ったものだ。
 実際には数種類のでんぷんと海老、そして調味料を水で練って伸ばし、乾かしたものらしいが、どう見てもプラスチック片のこれがふわふわサクサクになるとは誰が想像できようか。
 天ぷら鍋をIHコンロに置き、油を入れる。
 電源を入れ、二〇〇度になるまで加熱する。
 数分待ってIHコンロが加熱完了のアラームを鳴らし、辰弥は袋から薄紅色の龍蝦片を取り出した。
 油が跳ねないようにそっと、それでも何枚かを同時に鍋に入れる。
 数秒待つと、龍蝦片に変化が起こった。
 ぶわり、と龍蝦片が突然大きく広がる。
 高温の油で加熱され、龍蝦片に含まれていた水分が水蒸気となり、さらに熱で膨張したことにより起こる現象。
 広がった龍蝦片を素早く油から引き上げ、用意していた金網の上に置く。
 続けて何枚も龍蝦片を手際よく揚げていく。
「んー……たつや、起きてたのかー?」
 不意にリビングから声がして、辰弥は首をそちらに向けた。
「……日翔、起こしちゃった?」
 そこにいたのはこの家の家主こと天辻 日翔。
 数年前、辰弥を「保護」した張本人。
 そんな日翔が調理台の上に置かれた龍蝦片を見て目を輝かせた。
「えびせん! こんな時間に作ってたのかよ!」
「うん、お腹が空いて。日翔も食べる?」
 調理台の金網の上には日翔の言う「えびせん」こと龍蝦片がこんもりと山を作っている。
 辰弥が一人で食べるには明らかに多すぎる量。
 ふふ、と辰弥が笑う。
「俺一人だけ食べたら君、拗ねるでしょ? 今たくさん揚げておけばおやつに出せるかなと思って」
「えー、今食いたい!」
 そうは言うもののキッチンには入ってこない日翔。
 無許可で踏み込めば何が飛んでくるか分からないのは身をもって知っている。
 了解、と辰弥が頷いた。
「それじゃ、もう少し揚げたら一緒に食べよう。おやつは改めて作ればいいからね」
「やりぃ」
 キッチンの入り口で日翔が小躍りする。
 本当に、食いしん坊なんだから、と思いつつも、日翔と一緒に夜食が食べられることの嬉しさが隠せない辰弥だった。

 

「日翔、できたよ」
 辰弥が大皿にこんもりと積み上げた龍蝦片をリビングの机に運ぶ。
「待ってましたー!」
 日翔がテンション高く声を上げ、手を叩く。
 そんな彼と、その向かいには麦茶の入ったコップが。
「えびせんは口が乾くからな、麦茶入れといたぜ!」
「ありがとう」
 机の真ん中に皿を置き、辰弥は日翔の向かい、麦茶が置かれた前に腰を下ろした。
「「いただきます」」
 二人で手を合わせ、感謝の言葉を口にする。
 同時に手を伸ばし、龍蝦片を手にとり、口に運ぶ。
 パリッと音が響き、それから口の中に揚げ油の香りと香ばしい風味、それからわずかな塩味が口いっぱいに広がる。
「うめぇ~」
 パリパリと龍蝦片を貪りながら日翔が幸せそうに呟く。
「このほんのりとした塩っ気がたまらないんだよな~」
 次から次へと龍蝦片を口に放り込む日翔を見ているとそれだけで幸せになっていくような、そんな感情が辰弥を満たす。
 日翔が五つ食べている間に一つを丁寧に咀嚼し、飲み込むとそれだけで満たされていく感じがする。
 あっと言う間に龍蝦片の山は消え、最後の一つが皿に残される。
「あー……」
 残念そうに日翔が声を上げる。
 辰弥がにこりと笑い、皿を日翔の方に押しやった。
「食べていいよ」
「いいのか?」
 日翔が皿の上の龍蝦片と辰弥の顔を交互に見比べる。
「でも、お前、腹減ってたんだろ? なのにあんまり食ってないんじゃ……」
「ううん、お腹いっぱい」
 辰弥は別に小食でも何でもない。日翔に拾われた直後は食事もろくに喉を通らず、痩せこけていたが、鏡介が「前は嫌な思いをしていたみたいだから」と腕を振るって料理を作り、辰弥自身もそれに興味を持って料理するようになってからは三食きちんと食べ、肉付きも細身ではあるがしっかりついてきた。それでも日翔に比べて小食ではあるが、それは単純に日翔が大食いなだけである。
 日翔に大半の龍蝦片を食べられていたが、辰弥は十分すぎるほどの満腹感、満足感を覚えていた。
 心も体も満たされて、ほんのりと眠気が全身を包み込んでいる。
「そうか? じゃあ遠慮なく」
 日翔が最後の龍蝦片を手に取る。
 一口、パリッとかじるが何故か食べてしまってはいけないような気がする。
「辰弥、」
 思わず、日翔は辰弥を呼んだ。
 眠いのか、少しとろんとした目の辰弥が日翔を見る。
 その口に、日翔は龍蝦片を押し込んだ。
「むぐ」
 とろんとしていた辰弥の目が見開かれる。
「な――」
 それで眠気が吹き飛んだのか、状況を把握しようと目をキョロキョロさせ、次の瞬間、ぼんっ、と真っ赤になる。
「……なにすんの……」
 間接キス……と口の中でもごもご呟いた辰弥に日翔が笑う。
「美味しいもののおすそ分け。二人で食べたら幸せは倍だろ?」
「それは……」
 それはそうだ。美味しいもの、楽しいこと、そういったものは共有すると幸せが倍になるとは日翔がよく口にしていることだ。
 それなのに。
「でも、辛いことがあったらちゃんと俺に言えよ? 辛いことはみんなで背負えばその分軽くなるからな」
 幸せは倍になるのに、不幸は半分になるという不思議。
 日翔と暮らすようになって、辰弥の心を支配していた辛さはいつの間にかその多くが消え去っていた。
 今でも思い出し、フラッシュバックでパニックを起こすことはある。だが、その頻度は以前に比べて減っている。
「……なあ、辰弥」
 不意に、日翔が真顔になって辰弥を見た。
「どうしたの」
「辛いことがあったら、俺に言えよ」
 突然の日翔の言葉にきょとんとする辰弥。
「何、を……」
「お前、まだ時々思い詰めてるような時あるからさ。言ってくれて構わないんだぞ。それで、俺がお前を拒絶するなんてありえない」
 その言葉に辰弥が一瞬揺らぐ。
 ――言いたい。
 日翔になら、いや、日翔と鏡介になら言ってもいいかもしれない。
「日翔……俺、は……」
 言ってしまってもいいのだろうか。
 「拒絶するなんてありえない」と言っているが、自分の真実を全てさらけ出して、それが受け入れられるとは思えない。
 信用していないわけではない。日翔のことも鏡介のことも、この街にいる暗殺連盟アライアンスの誰よりも信用している。
 それでも、言えない。
 拒絶されるのが怖かった。今まで過ごしてきた日常が崩れるのが、嫌だった。
 日翔に拾われて、初めて「人間」らしい生活を送るようになって、それが手放せなくなっていた。
 だから、言えない。
 自分を守るためにも、日翔や鏡介を守るためにも。
 日翔に向けてにこりと笑う。
「大丈夫だよ、俺は、幸せだ」
「辰弥……」
 鈍い日翔でも分かった。辰弥は嘘を吐いている、と。
 「嘘を吐いてはいけません」と両親に言われてきた日翔にとって、嘘はある種の裏切りだった。
 それでも、暗殺者として裏社会に身を置いている限り、その嘘は自分を守る鎧であるということも理解している。
 だから、「本当のことを言えよ」と詰めることはしなかった。
 その代わり。
 そっと手を伸ばし、辰弥の頭をポンポンと叩く。
「子供扱いしないでって」
「その幸せ、もっと大きく続くといいな」
 そう言い、日翔は立ち上がった。
 皿を手に取り、流しに持っていく。
「ほら、もう少し寝とけ。おねむなんだろ」
「……むぅ」
 子供扱いされて、辰弥が頬を膨らませる。
 その姿があまりにも子供で、日翔は思わず苦笑した。
 ――俺が結婚して、子供ができたりしたら、こんな感じの生活になってたのかな。
 それは決して望めない生活ではあるけれど。
 辰弥と一緒なら、何となく父子おやこの生活を楽しめるのではないか、日翔はそう思うのだった。

to be continued……

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